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2018年2月14日 (水)

ヴェルディ歌劇の面白さ(11)

前回から続く)

(5)マクベス(= Macbeth/1005頃-57)

ヴェルディ前期の歌劇『マクベス』(1847初演)のタイトルロール。
中世前期のスコットランドでは、王位をめぐる抗争が絶えず、王族マクベスは嫡流の王位継承権を持つ寡婦グロッホと結婚、1040年に無能な国王ダンカンを殺害して力で王位を獲得し、1043年には政敵バンクォウ(= Banquo)も殺害した。他方で彼は信仰心に篤く(在位中にローマ巡礼をしている)、武勇すぐれた国王であったが、晩年には貴族たちの離反を招き、1057年に至ってダンカンの息子マルコム3世(= Malcolm Ⅲ Canmore/1031-93)により攻め滅ぼされた。

シェイクスピアが宮廷作家として戯曲『マクベス』を書いたのは、ダンカンとバンクォウとの共通の子孫に当たるジェイムズ1世が、スコットランドから入ってイングランド王を兼位した時期である。そのため彼は、王の先祖二人を殺したマクベス・グロッホ夫妻を悪人に貶めることで、新王の治世を寿(ことほ)いだのである。かくして「民心を失って滅びた暴君」マクベスと、「稀代の悪女」マクベス夫人との、虚構カップルができ上がった。

歌劇もシェイクスピアが描いたこのマクベス夫妻の姿を継承している。ヴェルディ自ら本腰を入れて精力的に創作を進めたので、台本を担当したピアーヴェの仕事に不満を持ち、アンドレア‐マッフェーイが筆を加えた。初演は成功したものの、この歌劇は登場人物の内面に踏み込んでいるため、数十年の間は評価が定まらなかったが、いまではヴェルディ前期の歌劇の中で、比較的上演が多い作品となっている。

(6)トリブレ(= Triboulet /1479-1536)

ヴェルディ中期の歌劇『リゴレット』(1851初演)のタイトルロールのモデルになった人物。
脊椎側弯症だったが、技芸を積んで宮廷道化師となり、フランスのルイ12世、ついでフランソワ1世(= François Ⅰ/1494-1547。フランス‐ルネサンスを代表する君主)に仕えて高名になった。フランソワ王に同伴してイタリアにも来訪している。後代、宮廷の禁令に違反して王の怒りを買い、危うく処刑を免れたが、宮廷から追放されてしまった。

この人物を題材に、ユゴーが戯曲『王様はお愉しみ』を執筆。放蕩貴公子のフランソワ王(実像とは異なる)がトリブレの娘を弄び、怒ったトリブレの復讐が娘の死を招く悲劇である。ヴェルディはヴェネツィアのフェニーチェ座公開予定の歌劇にこの題材を選び、ピアーヴェに台本を書いてもらったが、当局による検閲のため、主人公をリゴレット、フランソワ王をマントヴァ公に書き改め、ようやく上演に漕ぎつけた。

ヴェルディがこの素材から人間の愛憎を主題に選んだことは確かであるが、サブテーマはやはり、悲劇に襲われる社会的被差別者に対する共感である。この流れはリゴレット(障害者)に始まり、『トロヴァトーレ』のアズチェーナ(非定住民)、『椿姫』のヴィオレッタ(娼婦)と続き、少し間を置いて『運命の力』のドン‐アルヴァーロ(南米先住民)で頂点に達する。史実からかけ離れたとは言え、「社会派」作曲家のヴェルディが本領を発揮する入口になった傑作と言えよう。

(7)マリ‐デュプレシ(= Alphonsine PlessisまたはMarie Duplessis/1824-47)

ヴェルディ中期の歌劇『椿姫』(1853初演)の主人公のモデルになった人物。
ノルマンディ出身。パリに出て仕立屋奉公をしていたが、ある料理店オーナーの愛人になったのを皮切りに、その美貌から次々とパトロンを獲得、彼らの支援を受けて教養を付けた。詩や音楽に堪能で、椿の花を愛好し、影の社交界でドゥミ‐モンド(=高級娼婦)として一世を風靡する。アレクサンドル‐デュマ‐フィスと恋愛関係にあったが、彼と別れた二年後、肺結核のために新たな恋人とも破局を迎え、孤独のうちに23歳で死去した。

デュマ‐フィスはマリとの体験を基にして小説『椿姫』を執筆、主人公の名を「マルグリート‐ゴティエ」に変え、相方を「アルマン‐デュヴァル」とした。さらにヴェルディがこの小説をフェニーチェ劇場(ヴェネツィア)から依頼された新作歌劇の題材に採用、主人公と相方とは再度名前が変わり「ヴィオレッタ‐ヴァレリー」「アルフレード‐ジェルモン」になった。台本はピアーヴェが作成。

歌劇は「社会派」のヴェルディらしく、若い二人の純愛とそれを阻むもの、との図式。ヴィオレッタと独善的なジョルジョ‐ジェルモン(アルフレードの父)との「対決」にドラマの中核を据える、ヴィオレッタがアルフレードと再会した後に息を引き取る設定にする、などの見せ場作りが奏功して、この歌劇は世界的に愛され、上演回数の多い作品となった。薄幸だったマリ‐デュプレシも、もって瞑すべし、と言うべきか。

(8)ギー‐ド‐モンフォール(= Guy de Monfort/1244-91)

ヴェルディ中期の歌劇『シチリアの晩鐘』(1855初演)の重要登場人物。
イングランドの出身。英国議会の元祖と称されるシモン‐ド‐モンフォールの四男。シチリアを征服して王位に即いたフランス王弟シャルル‐ダンジューの重臣になるが、イタリアに滞在していた仇敵ヘンリ‐オヴ‐アルメインを教会内で暗殺してしまったため、逮捕されて破門の憂き目に遭う。後にシャルルのシチリア王国へ戻ったものの、1287年にアラゴン王国との海戦に敗れて捕虜となり、解放されないまま没した。

歌劇のタイトルにもなっている、1282年に起こったシチリア住民のフランス支配への反乱「シチリアの晩鐘」事件には、ギーは直接関係していないが、この反乱の指導者として登場する医師ジョヴァンニ‐ダ‐プローチダ(= Giovanni da Procida/1210-98)は、事件を主導した実在の人物である。

破門歴などから、ギーには悪い印象が定着していたようだ。歌劇では前国王の処刑や島民への暴政など、主君シャルルが行った負の行動がすべてギーの所業にされ、反乱で殺される悪代官の役回りにされてしまったのは、気の毒な話。他方、プローチダは劇中、強固な意思で国の独立へ突進する役を担い、巻き込まれる人たちの悲劇を織り成している。

ウジェヌ‐スクリーブが作った台本の筋立てそのものをヴェルディは嫌っており、パリ進出のため不承不承受け入れて作曲するに至った。しかしながら、この歌劇は後の『ドン‐カルロス』や『アイーダ』へ発展するグランド‐オペラの形式に挑戦したヴェルディ過渡期の作品として、評価されるべきであろう。

次回へ続く)

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