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2018年2月17日 (土)

ヴェルディ歌劇の面白さ(12)

前回から続く)

(9)シモーネ‐ボッカネグラ(= Simone Boccanegra/?-1363)

ヴェルディ中期の歌劇『シモン‐ボッカネグラ』(1857初演)のタイトルロール(主人公)。
ジェノヴァ共和国の有力市民の家系に生まれ(父親は市長)、海上貿易の保安任務に携わっていた。1339年に平民勢力から推挙されて、初代ドージェ(国家元首)に選出され、平民と貴族との融和を図るべく尽力、国の内外を安定に導いた。しかし1344年、シモーネは貴族勢力の圧力により降板させられる。1356年に再選された後は、貴族側に強圧的な姿勢で臨んで恨みを買い、宴会の席上、ワインに毒を盛られて暗殺された。

ガブリエーレ‐アドルノ(= Gabriele Adorno/1320-83)はシモーネの没後、貴族勢力に推されてドージェに就任した。ただし、歌劇中のシモンの娘との恋愛や、そこに貴族フィエスコが絡む展開も虚構。他方、第二幕のシモンの語りの中に、人文主義者のペトラルカや、ローマのリエンツィの名前が登場するのは興味深い。

この台本はピアーヴェが書いたのだが、政治と家庭との狭間で悩み苦しむ父親の姿や、男と男の心理的な対決を活写しようとしたヴェルディの意図を十分反映できず、フェニーチェ劇場での初演は失敗に終わった。それから四半世紀近くの後、1881年、アッリーゴ‐ボーイトが手を加えた改訂版が大成功を収め、今日までヴェルディの傑作の一つとして、しばしば上演されている。

(10)グスタヴ3世(= Gustav Ⅲ/1746-92)

ヴェルディ中期の歌劇『仮面舞踏会』(1859初演)の主人公。
スウェーデンの王子で、1771年に父の後を継いで国王に即位。貴族層が支配していた身分制議会を廃止して、行政権や公職任免権を奪取、富裕な商人や農民層の支持を受け「啓蒙専制君主」として絶対王政を展開した。対外的にはロシアに譲歩せず、強国の地位を保ったが、そのために国家財政は危機に陥った。政策反対派の貴族たちは陰謀を企て、仮面舞踏会の最中、彼は反対派の一人アンカーストレーム(= Jacob Johan Anckarström/1762-92)により暗殺された。女性占い師ウルリカ‐アルヴィドソン(= Ulrica Alfvidsson/1734-1801)が数年前に暗殺を予言していたことが取り沙汰され、ウルリカは当局から調査を受けたが、事件と無関係なことが判明して放免されている。

アンカーストレームが自分の妻と国王との親密さに関する誤解から暗殺行為に走ったとの設定は創作である(真の理由は逆恨みだとも言われるが、未詳)。また臨死の国王が彼を赦免したのも劇中の作話であり、実在のアンカーストレームは反逆罪で処刑された。他方、ウルリカの予言は史実から脚色されながらも、歌劇第一幕の盛り上げどころに活用されている。

ヴェルディにとってこの歌劇は新たな境地に至る画期の作品だったが、当局の検閲によって舞台をボストンに変更することを余儀なくされ、グスタヴ3世は「ボストン総督リッカルド」、アンカーストレームは「秘書レナート」になった。今日ではこのボストン版が上演のスタンダードであるが、もとのグスターヴォ(グスタヴ)3世に戻したスウェーデン版もときに上演されている。

(11)ドン‐カルロス(= Don Carlos de Austria/1545-68)

ヴェルディ中期の歌劇『ドン‐カルロス』(1867初演)のタイトルロール(主人公)。
スペイン国王フェリーペ(フィリップ)2世(= Felipe Ⅱ/1527-98)の長男。王位継承を期待されていたが、身体が不自由で病弱でもあり、短絡的な思考が目立つ人であった。大審問官(カトリックの宗教裁判所長)を憎んで殺害を企てたことがあり、また、大貴族フェルナンド‐デ‐アルバ(ネーデルランドの弾圧者)もを嫌悪していたため、プロテスタント教徒たちに同情し、ネーデルランド行きを計画して失敗。怒った父王により幽閉され、ハンストにより23歳で死去した。

イサベル‐デ‐バロイス(エリザベート‐ド‐ヴァロワ= Isabel de Valois/1545-68)はフランス王アンリ2世の娘で、フェリーペ2世の王妃になったのは史実通りだが、フォンテーヌブローでの出会いから破局の場は創作である。ただ、カルロスが同い年の義母と親しかったのは事実で、イサベルはカルロスの死を悲しんで夭折したと言われている。カルロスの教育係ルイ‐ゴメス(= Ruy Goméz de Silva, Duque de Estremera/1516-73)は劇中のロドリーグのモデルで、カルロスにネーデルランド統治への関心を持たせた人物。その妻であったエボリ公夫人アナ‐デ‐メンドーサ(= Ana de Mendoza, Princesa de Éboli/1540-92)は夫の没後、フェリーペ2世の宮廷で活躍するが、後には謀略に加担した罪で失脚している。

シラーはこのカルロスの生涯をスケールの大きな戯曲『スペイン王太子ドン‐カルロス』に描いており、これをヴェルディが素材に選んでパリ‐オペラ座のためにフランス語版の歌劇を作り上げた。台本はジョゼフ‐メリが手掛け、その没後にカミーユ‐デュ‐ロクルが継承して完成。
カルロス、フィリップ、イサベル、ロドリーグ、エボリ、大審問官らは史実といささか異なるにせよ、劇中ではそれぞれの個性を十分に発揮している。また、結末をカルロスの逮捕で終わらせず、祖父カルロス5世の再来を思わせる修道士がカルロスを保護して修道院の中へ連れ去る、超自然的な収束にしたことも、一つの大きな工夫であろう。保守と自由、政治と恋愛、カトリックとプロテスタント、現実と理想など、さまざまな対立をはらんだ構図のもとに、この作品は人間の心の奥深くを見つめた傑作となった。

(12)あの「世界中がダジャレだ!」の太ったノーフォークの老騎士、『ファルスタッフ』(1893初演)のモデルは誰だったのだろうか?

シェイクスピアが中世の騎士ジョン‐オウルドカースル(= Sir John Oldcastle/1378-1417)をモデルにして、戯曲の原稿を作成していたところ、実在のオウルドカースルからかけ離れた人物像になっていたため、子孫から抗議を受けた。そのため同時代のジョン‐ファストルフ(= Sir John Fastolf/1378-1459)の名前に変更し、戯曲の設定も一部は後者の人生を反映させる形に直したため、二人を重ねた主人公フォールスタッフが、原作の戯曲『ウィンザーの陽気な女房たち』に登場することになってしまった。

オウルドカースルは王太子時代のヘンリ5世と親しかったのだが、異端とされたロラード派の指導者となって失脚し、逃亡して反乱を企てるも失敗、捕えられて処刑された。他方、ファストルフはまさに「ノーフォークの老騎士」には違いなかったのだが、放蕩者ではなく武将として活躍、また文書収集や学校建設の企画などに力を注入した人なのである。シェイクスピアはこの二人を合成しつつ、どちらの人物像とも異なる新たなキャラ「サー‐ジョン‐フォールスタッフ」を創作したのだ。

ヴェルディは最後の歌劇の素材にこのフォールスタッフを選び、ボーイトが台本を書いた。すでに高齢になったヴェルディ自身、疲れから作曲が停滞することもあったが、一人ひとりの台詞に独唱や重唱を絡ませながら丁寧に曲を付けており、すべての登場人物への愛情が感じられる。ミラーノ‐スカラ座での初演は大成功で、拍手が鳴りやまなかった。

以上、ワーグナーとヴェルディの作品に登場する実在人物を紹介してきた。両者の素材選びは、全く傾向が異なるものもあり、逆に同時代の人物をそれぞれの視点から作品化したものもあり、対照してみるとなかなか面白い。また、人物を大枠で史実に沿って登場させたものや、虚構を積み重ねて史実とは似ても似つかぬ人物像になったものもあるので、歴史ドラマ同様に、「本当はこんな人だった」という実像と比較しながら、楽劇や歌劇を味わってみるのも一興であろう。

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