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2018年6月

2018年6月25日 (月)

人と会い、人と語り...(5)

前回より続く)

巡礼を終えて向かったのは博多(福岡市内)。小倉からは静岡-浜松ぐらいの距離がある。定刻の11時半には5分ぐらい遅れてしまった(電車の博多着が5分遅れたため)が、待ち合わせ場所の「博多だるま総本店」に無事到着。

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ここで、本ブログに何度も登場してくださったジョージさん(=稲岡錠二さん。京丹後市)たちと合流。地元業界の重鎮・飯山明美さんや、長崎県から来着した諫早ドラッカーズの会、森芳正(もりよし まさし)さんや平川真さんたちの、ケアマネジャーのみなさんと一緒に、本場の博多とんこつラーメンを味わう。

そして、ホテルニューオータニ博多内にあるカフェレストラン「グリーンハウス」に集合。この日の企画「聞きたかとばってん!アンタなんしょ~と」に、遠く浜松から参戦した次第である。

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これはジョージさんが発起人になったもので、中堅・若手のケアマネジャーや介護職員が語り合うための場を作ったものだ。地元博多の髙﨑(たかざき)慎介さんや大関純平さんをはじめ、太宰府市の廣田弘樹(ひろき)さん、久留米市の岡田ヒロ子さん、林田亜紀さんらが参加された。それぞれ自分が何者なのかをプレゼンしながら、仕事や活動の現況、今後の展望などを語り合った(飯山さんは所用のため中座された)。

業界では厳しい環境の中にあって、中堅や若手のメンバーはよりよい仕事をしていくため、職場の外へ出て仲間づくりをする機会を求めている。日本中でアクティヴな中堅の業界人たちにより、このような場を作る試みが意欲的に展開されているが、ジョージさんは前のご勤務先を退職された後、地域の人たちの生活を支える「ライフデザインクリエーター」の職能を立ち上げ、全国各地の仲間と交流しつつ、人と人との輪を広げていく活動を続けておられる。

イベントは13時半から16時半までの三時間だったが、あっという間に過ぎてしまった。名残り惜しかったがお開きとなる。飯山さんや髙﨑さんたちがこれを受けて次の面白い企画を打ち出しそうな雰囲気だったので、楽しみである(残念ながら私は参加できそうもないが...)。

夕方から暗くなる時分まで、福岡城址や博多の街を散策。中洲まで来たあたりで結構歩き疲れたので、地下鉄で博多駅へ向かう。

駅2階の「めん街道」で、歌舞伎役者のG-sawaさん(HN)と待ち合わせ、行列の具合を勘案して「長浜ナンバーワン」で遅めの夕食。

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G-sawaさんと会うのは三回目だ。歌舞伎の演目は一か月単位なので、氏も6月中は博多で出演されている。上位の役者さんに従ってお仕事をもらう形なので(休演すると一か月失業することになってしまうから)、旅行などもままならないし、介護業界とは違うご苦労があろう。そのような中で、役者さん方は古い演目を墨守するだけでなく、観客に歌舞伎の魅力を味わってもらうために、協働してイノベーションや創造に取り組んでおられる。私たちの業界でも見習うべき点は少なくない。

互いの仕事やプライバシーの話をしながら、ラーメンのほうは替え玉まで注文した(博多は一杯目の麺が少なめで替え玉を追加するパターンが多いようだ)。ジョージさんがすでに帰途に就かれたため、「キリシタン三人衆」が実現しなかったのは残念だが、それはまたの機会に。ちなみに、ジョージさんからG-sawaさんへと託された丹後の「塩」をしっかりお渡ししている(私もいただいた)。信徒にとって「塩」は特別な意味を持つものだから...(^^*

翌18日朝、小倉のホテルを出ようとした矢先、大阪北部地震の影響で新幹線が運転見合わせになってしまったので、岡山あたりでもう一泊することも覚悟して、行けるところまで行こうと、普通列車で東進した。途中、宮島を通る路線は亡き母と一緒に旅行した(2003年)ところなので、15年前を懐かしく思い出した。新幹線ならスルーしていたのだから、これも何かの巡り合わせだったのかも知れない。

広島の少し手前で運転再開の報を受け、広島から新幹線に乗り換える。新大阪の手前で入線の順送りを待たなければならなかったので、かなり遅延したが、そのあとは順調に走行して、浜松に無事帰着した。当初は15時頃の予定だったのが、19時過ぎの浜松着となった。新幹線のありがたさを実感したものである。地震の影響はなお大きい。被災した方々には心からお見舞いを申し上げたい。

この三日間の旅は、巡礼が主目的ではあったが、私にとっていろいろな意味で実りのあるものであった。

2018年6月24日 (日)

殉教者ゆかりの地を訪ねて

ここ二年あまり、巡礼に行っていなかった。

それ以前も毎年どこかへ巡礼していたわけではないのだが、最近は自分自身の節目の企画や、母の介護のため浜松を離れるのが難しく、出かける余裕がないままに時が過ぎてしまっていたのだ。

そこで、母の追悼が一段落したのを機に、両親の安息を祈りながら心の平安を求めたいと思い立って、旅を企画してみた。

どこへ出かけようか考えたが、一昨年訪れた高槻教会、福者ジュスト高山右近に縁があった人の中で、福者ディエゴ(了五)加賀山隼人正興良の殉教地へまだ行っていなかったと思い、行き先を小倉教会に決めた。

私は2003年、用事で熊本を訪れた際に、福者マリア小笠原みや一家15人が藩主細川家の禁教令に従わなかったため斬首され殉教した、花岡山公園の碑文のところまで巡礼している。加賀山隼人は小笠原みやの父に当たり、細川家が熊本へ転封する前の豊前藩主時代、重臣として細川忠興に仕えていた。キリシタン時代、彼は小倉教会(当時)の中心人物であったのだ。

小倉教会には事前に問い合わせ、17日午前9時のミサに出る予定で、前日の16日夕方に小倉入りした。一年で一番日が長い時期なので、ホテルに荷物を置いて門司港まで足を延ばす。

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過去、ここに来たのは一回だけであるが、何年前だっただろうか、もう覚えていないほどである。海峡に面したレトロで風光明媚な街並みは、旅する人の気持ちを柔和にさせてくれる。一時間半ぐらい、ゆっくりと街を散策。屋外でヴァイオリンとピアノのジャズコンサートが演じられていた。

肌寒くなったので門司港から引き上げ、小倉に戻って夕食。知人から教わった店「あそび割烹・華柳」へ。

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ここでは関門蛸、ごまアジをはじめ、新鮮な北九州の味を満喫。お薦めの店だけあって一つ一つの素材が良い。また、皿のふちの裏側がしっかり洗ってあるなど、食器の扱いも丁寧である。満足度大。

一夜明けて、小倉教会の午前のミサに参列するためにホテルを出る。カトリックの巡礼は仏教のお遍路さんとは異なるが、目的地の教会までは聖歌を口ずさんだり祈ったりしながら、便利な交通機関をなるべく使わずに歩くのが基本だ。スマホで位置を確認しつつ、25分ほど歩き、時間に余裕を持って小倉教会に到着。

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北九州の拠点の教会だが、全体として簡素な造りで、人を招き入れる場にふさわしい。聖堂のイエス様は、長めのひげを垂らして老成したお姿を示し、独特のご像であった。この日はミサ後に信徒総会が予定されており、神父様は講話の中で、教会共同体の意義について述べ、神様への聖母マリアと加賀山隼人との執り成しを祈っておられた。

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加賀山隼人については、自分のHPに掲載しているので、そちらをご一読されたい。

教会の前、通りに面した側には、説教する隼人の姿と、歌会で詠んだ短歌を記した碑文が建てられている。信仰に生き、心の自由を守るために一命を捧げた人の生きざまに思いを馳せた。

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一時間余りでミサが閉祭。これでひとまず巡礼を済ませたので、次の目的地へ向かった。実は、信徒の方お二人が偶然、それぞれ別の用事で博多に滞在されていたので、午後と夜とにお会いすることになっていたのである。

次回へ続く)

2018年6月21日 (木)

AIとケアマネジメント(3)

前回より続く)

さて、私が最も好きな炭水化物系(主食系)食品は「のり茶漬け」である。

これは少年時から一貫して変わっていない。

しかし、このことを公開するのは全く初めてである。亡くなった母以外の人には、これまで一度も「のり茶漬けが一番好きだ」と言及したことはないし、HPやブログやFBに画像を載せたこともない。せいぜい、のり茶漬けのメーカーの商品情報を、過去数回クリックして閲覧した程度だ。

おそらく、私と昵懇な人たちを含め、ほとんどの知人が私のことをラーメン大好き人間だと認識しているのではないか。私がブログやFBに掲載する画像はラーメンが圧倒的に多く、他にはパスタ、カレー(+ライスまたはナン)、パン(お惣菜タイプ)、チャーハン、つけめんなどがある。

FBや@NiftyやGoogleなどは、当然だがICTを駆使して私のエントリーやコメントから個人情報を収集している。しかしながら私のエントリーなどの中に「のり茶漬け」のキーワードが圧倒的に少なければ、それはラーメン、パスタ、カレーなどに比べてマイナーな情報としてしか扱われない。そのため、私に対して開示される広告は、ラーメン関係を中心に、運営会社が私の関心を引きそうだと見なしているものが多い。「のり茶漬け」に関する広告を見ることは全くと言っていいほど、ない。

しかし、「IoT」の普及によって、生活の中のさまざまなグッズがネットでつながることになると、状況は変わってくる。

たとえば私が食品庫からのり茶漬けの素を取り出す、食器入れから大きめの茶碗を取り出す、炊飯ジャーからご飯を盛る、ポットからお湯を注ぐなどの一連の動作が、週に3~4回行われることがデータとして記録されれば、私がブログやFBなどで言及していなくても、私が「のり茶漬け」を好んで食べる事実がクラウドに蓄積されてデータ化され、かなりの精度で、「ジョン‐トラブッたはのり茶漬けが大好物だ」と結論付けられるであろう。

このような個人の行動を最先端のICTによってクラウドに何千人分、何万人分と集積すれば、AIが人の日常生活行動を読み取るためのビッグデータとなる。進化するAIは、このデータをもとに私の食生活プランのベースになる部分を割り出して、サンプルを示すことができるであろう。さらにそこに対して、いくつかのバリエーションを加えることも可能になると考えられる。

他方、AIでは絶対に踏み込み切れないであろう部分も存在する。たとえば理屈抜きに、「いま死んでもいいから○○系のラーメン食いてぇ!」と思ったときに、私の心を読んで、スジュールや機動力、健康状態などをすべて総合した上で、私の欲望を優先させ、のり茶漬けの合間に的確な頻度でラーメンを割り付けることは、AIには困難であろう。

これが、私のことをよく知っている「食生活プランナー」の達人であれば、私の顔色や習性を敏感に読み取って、「週何回ののり茶漬け、昼食は月1回は△△屋、月1回は◇◇屋のラーメン、ただしインターバルは□□日以上置いて...」みたいな割り付けをして、それに基づいたアドバイスができるかも知れない。体調による変動にも臨機応変に修正できる能力が期待される。

また、すべての人がIoTの便利な生活を実現する金銭的な余裕があるわけではなく、余裕があってもすべての人がそれを望むわけではない。防犯などに活用できるメリットは確かに大きいが、他方で生活全体を監視されるのと同じことになるから、大衆が全面的にIoTを導入する動機には、何らかの抑制がかかることが予測される。

とすれば、ビッグデータが存在したとしても、そこからAIが人の生活に関するすべてを統御することは現実的に不可能であると考えて良い。

当然であるが、生活全般を側面的に支援すべきケアマネジメントも、AIによって全面的に取って代わられることはないことになる。

この課題は実に深い。政府が推進しているSociety5.0の動向を注視しながら、機会を改めて論じてみたい。

2018年6月13日 (水)

AIとケアマネジメント(2)

前回より続く)

したがって、私たちケアマネジャーや介護職員が新たな時代を生き抜くためには、これらの用語を整理して使い分け、立ち向かっていかなければならないのだが、現実にはそれができていない。

たとえば、一昨年10月に開催された政府の未来投資会議の席で、日本介護支援専門員協会の役員が「ケアマネジメントの全面ICT化には憂慮する」との意見を提出した。

この事案の資料に目を通したとき、全面ICT化に大賛成である私は、正直、「おいおい、大丈夫か?」と思ったものだ。「全面ICT化」とは、「(最先端の)情報通信技術を全面的にケアマネジメントへ取り入れる」の意味である。これからの世代のケアマネジャーが、日進月歩する情報通信技術を駆使できなくてどうするのか?

あくまでも私の推測であるが、この役員の意図するところは、おそらく「情報通信技術の進化に乗じて職能の本質的な部分が軽視され、人工知能がすべてを統御する行き過ぎた状況になることを憂慮する」であろう。それならば、私の見解と大きな隔たりはない。

しかし、そう言いたいのであれば、ここでの意見は「ケアマネジメントにおいて、全面ICT化を進めることには賛同するが、全面的にAIを導入することには憂慮する」でなければならない。私も含め、介護支援専門員は先端技術の専門家ではないのだから、個人としては混同したり言い間違えたりすることもあろう。しかし、一昨年の事案は、政府の公式な会議に、日本の介護支援専門員を代表する団体が公式な見解として資料を提出して発言したものなのだ。自分たちが専門用語を理解できているのか、しっかり調べてから提示すべきではないだろうか。このような場で「知ったかぶり」をしてしまうと、団体の指導部が恥をかくことになりかねない。

私の主張は「全面ICT化は大いに結構。それを推進することにより全面的にAIに取って代わられる程度の仕事しかしてこなかった人は、ケアマネジャーを名乗る資格がない」である。いろいろな場に臨んで、自分ではその趣旨で話しているつもりだ。わかりにくかったのであれば私の説明が不足していた面があるかも知れないが、他方で、聴き手側の「調べて理解する力」も求められるであろう。

この「ケアマネジメントの全面ICT化推進」と「ケアマネジメントへの全面的なAI導入不可=絶対に人間でなければできない仕事が相当部分残される」とは表裏一体であると、私は考えているが、この両者を関連付けるキーワードが「ビッグデータ」である。

ビッグデータ(big data)とは、計算機において一般的なソフトウェアにより扱える容量を超えたデータの呼称である。単にデータの量が大きいだけではなく、データの種類がバラエティに富んでいることや、データが置かれる時間や空間によって変化していくことが、ビッグデータの特徴として挙げられるであろう。

それでは、ビッグデータが私たちの仕事において具体的にどのような形で存在し、ICT化やAIの導入にどう絡むのだろうか? 次稿では予測される実例を挙げて論じてみよう。

次回に続く)

2018年6月11日 (月)

AIとケアマネジメント(1)

昨10日、静岡市で特定非営利活動法人・静岡県介護支援専門員協会の年次総会があり、会長からの推薦により、議長を務めさせていただいた。

そのあと、全体研修会となり、私のダジャレ友達(?)である菊地雅洋さん(北海道介護福祉道場あかい花)が、『平成30年度介護報酬改定大解剖~医療・介護大連携時代に求められるケアマネとは~』と題して、二時間半にわたって熱気あふれる講演をしてくださった。

菊地さんは昨年8月に別の講演のため浜松を来訪されており、そのときには私の開業16周年にも立ち寄ってくださっている。7年前の県協会、昨年の三島を合わせると、当県ご訪問は四回目になるようだ。来場者は250人と、7年前に比べると半数程度だったが、わかりやすい分析と予測、ケアマネジャーへの強力なエールとに、聴き惚れていた人たちが多かった。心に響く講演だったので、会員の一人として菊地さんには心から感謝申し上げたい。

そのあと、会場を駅南のホテルに移して懇親会。すでに役員を退いたのにもかかわらず、総会議長を務めた「お駄賃(?)」なのか何かわからないが、事務局が私も混ぜてくれたので、正副会長や自主事業委員とご一緒にビュフェ‐パーティーに参加させていただいた。菊地さんから見ると半数以上が初対面だったかと思うが、予想外に盛り上がって話に花が咲いていた。

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さて、菊地さんの講演内容にはコンテンツが盛りだくさんであったが、氏が触れておられた内容の中から、おそらく時間の関係であまり詳述されなかった課題を一つだけ取り上げて、何回かに分け私流に論じてみたい。

それは、「AIとケアマネジメントの関係は、今後どうなるのか?」である。

まず、多くのケアマネジャーや介護職員の間では、関連する用語が混乱していると思われるので、以下に整理しよう。

・AI(artificial intelligence)→人工知能。人間の知的能力を計算機上で再現するための技術やシステムの総称

・ICT(information and communication technology)→情報通信技術。計算機関連技術(IT)をさらに進展させた用語で、その技術を人と人、人とモノとの「通信・伝達」分野へ広く応用していくことを含んだ概念

・IoT(internet of things)→モノのインターネット。日常生活で用いられるあらゆるモノがインターネットに接続されて統御される仕組み

ただ「AIが来る」などと心配しているだけでは何も始まらない。このAI、ICT、IoTがそれぞれ私たちの仕事であるケアマネジメントにどう影響するのか、冷静に整理してみる必要があるだろう。

これらの用語に代表される社会は、すでに現実のものになりつつあるからである。

次回へ続く)

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