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2018年7月

2018年7月30日 (月)

多職種協働には二種類ある

ケアマネジメントの標準化とか、ケアマネジャーの資質向上とかいった言葉が、私たちの周りを迷走しているようだ。それも、ケアマネジャーたちがおもに医療関係の人たちから、いわば宿題を突き付けられ、それをこなすために必死になっているのが現実だ。

個人的に言わせてもらえば、これはあまり芳しくない。医療の下支えをするのがケアマネジャーの職能ではないからである。

介護保険制度の開始に伴い、制度上の「介護支援専門員」として位置付けられたケアマネジャーにとって、本来果たすべき役割は、これまで縦割りになっていた保健・医療・福祉を横断的に結び付け、一人ひとりの利用者の生活課題に即して、必要なサービスを調整することであったはずである。

そのためには、ケアマネジャーが現在の高齢者・障害者医療を概観し、どの分野で何が行われているかを知っていなければならないのは当然である。しかし、それはケアマネジャーが医療知識を詰め込むべきだという意味ではない。

むしろ、一つの分野だけに該博にならなくても、保健・医療・福祉の各分野に対して均等に理解を深め、横断的な連携を図ることがケアマネジャーの役割であろう。すなわち、多職種協働=IPW(inter-professional work)である。

ところで、このIPWは大きく分けて二種類の形態を採ることをご存知だろうか?

一般的なIPWでは、ケアマネジャーとか、医師とか、地域包括支援センターとか、その他の事業所・機関などが、利用者や介護者からの相談を受け、利用者の生活課題に沿った介護サービス等のサービスを紹介する。こうして揃った各種別のサービスを横断する形で、ケアマネジャーがケアプランを作成し、それぞれのサービスに従事する担当者が生活課題達成のために協働することができるように、サービス担当者会議等の機会を設けて連絡調整を行う。これを仮にIPW「A」としよう。

しかし、割合はたいへん少ないものの、もう一つの形のIPWが存在する。こちらを仮にIPW「B」としておく。

このIPW「B」に該当するのは、おもに、利用者や介護者が企業経営者や士業士などの場合である。それぞれが社会奉仕団体(ロータリー、ライオンズ、ソロプチミストetc.)等の場で同業他社や異業種の企業経営者等とのネットワークを作っているから、この中からIPWが生まれるのである。すなわち、利用者や介護者が自ら、「医療なら〇〇病院の理事長に」「住宅改修なら△△株式会社の社長に」といったやりかたで、サービスを選択していく。いわば社長同士の信頼関係を踏まえた「利用者・介護者による選択権」が最大限に行使されるのだ。

この形態の場合には、ケアマネジャーにとっての課題がいくつか生じる。

まず、居宅介護支援事業所がたとえば地域包括支援センター等からの紹介で選任された場合、ケアマネジャーが初回訪問したときにはすでにサービス利用が内定しており、アセスメントが後回しになってしまうことがある。ここでケアマネジャー側から白紙に戻すような提案は、利用者や介護者の顔をつぶすことにもなりかねないので、よほどのミスマッチでない限り、なかなか切り出しにくい。

次に、相手側経営者の「顔」でサービスを選ぶのだから、利用者の生活課題からノーマティヴに判断すれば、最善の選択でなくなる可能性も少なくない。ケアマネジャーの目で見て、「確かにそこでも良いのだが、こちらのほうがさらに相応しいのでは?」と思われるサービスがあっても、候補から外さざるを得ないことも起こる。

それから、何のためにそのサービスを選ぶのか、長期目標や短期目標に相当する選択の趣旨が不明瞭になることがあり、特に依頼された「理事長」「社長」がその認識に薄いと、部下の担当者に対して説明ができていないから、ケアマネジャーがあとからケアプランの整合のために苦慮することもあるだろう。

最後に、これが最大の問題なのだが、IPW「B」の構造になっているのにもかかわらず、ケアマネジャーがIPW「A」のつもりで臨んでしまうと、適切なケアマネジメントができないことだ。利用者や介護者にとってみれば、自分を中心に「○○理事長」「△△社長」が介護に関わる「仲間」であり、そこに(それも末席あたりに)ケアマネジャーが加わっている認識である。特に被用者である介護支援専門員ならば、たとえば〇〇理事長の部下である担当者Cさん、△△社長の部下である担当者Dさんなどと同列になるのだから、ある意味、当然の認識なのだ。

したがって、ケアマネジャーがCさんやDさんとサービス担当者会議を行ったり、電話やFAXで連絡調整したりする際には、常に利用者または介護者が、「○○理事長」や「△△社長」らとどんな関係性を持っているかを意識していないと、思わぬ失敗をしたり、気が付かないままに利用者にとっての最善から外れてしまったりする可能性がある。

利用者や介護者が企業経営者や士業士でなくても、サービス選択上のキーパーソンである主治医や成年後見人の考え方によっては、このIPW「B」構造のバリエーションが出現することがあるので、注意が必要だ。

そして、IPW「A」であろうがIPW「B」であろうが、利用者・介護者をめぐる関係性をソシオメトリックに把握し、利用者の望ましい生活へ向けての的確な連絡調整を粛々と実践していく。これがプロフェッショナルのあるべき姿である。

残念なことに、職場や地域のケアマネジャーを指導・助言する役割である「主任介護支援専門員」の中にも、このIPW「B」の形態について理解している人が乏しい。これは今後のケアマネジャーの職能にとって、大きな課題の一つになるであろう。

2018年7月15日 (日)

ヴェルディ歌劇の面白さ(13)

まず、広島県・愛媛県・岡山県をはじめとする、このたびの豪雨災害で亡くなられた方々の安息をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げ、一日も早い復興を願いたい。

そのような中ではあったが、7日(土)、かねてから生で見たいと思っていたヴェルディ初期の作品「ナブッコ」が上演されたので、東京まで鑑賞に出掛けてきた。

普段であれば、数日中にレヴューを書くのだが、そうもいかない事情が生じてしまった。先月から受託を再開した浜松市の要介護認定調査が、先週は7件も集中してしまい、結構時間と手間を取られた。そのさ中、自分の利用者さんの関連でアビューズ(≦虐待)が疑われる事案が2件発生し、対応に労力を消費して、猛暑も加わりいささか体調を崩してしまった。仕事をペースダウンした結果、何とか持ち直したので、ようやくエントリーする運びになった次第である。

さて、本題。

アーリドラーテ歌劇団。読者の中には、この名前を初めて見聞きする方が多いかも知れない。ヴェルディ歌劇の上演を目的とした団体であり、指揮者の山島達夫氏が提唱、プロだけでなくレベルの高いアマチュアの人たちを加えて、2010年に設立した。翌年の旗揚げ公演以来、1~2年に一回のペースでヴェルディ作品の上演を続けている。「アーリ‐ドラーテ」は「ナブッコ」第三幕に登場する合唱曲、「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」中の「黄金の翼」のイタリア原語である。

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指揮および総合プロデュースは山島(敬称略。以下同)、演出は木澤譲。キャストはナブッコが大川博、アビガイッレが鈴木麻里子、ザッカリーアが清水那由太、イズマエーレが青栁素晴、フェネーナは栗田真帆。合唱はヒルズ‐ロート‐コーラス、演奏はテアトロ‐ヴェルディ‐トウキョウ‐オーケストラ。

上演されたのは北千住の「THEATRE1010」。1010を「せんじゅ」と読ませ、しかもビルの商業施設は1010を逆さまにした「○|○|」=マルイなので、ダジャレみたいな名称の建物である。そこの11階が劇場になっている。

冒頭、山島が歌劇の主題について解説。ヴェルディについてあまり詳しくない一般の観客向きではあったが、あえて上演の趣旨に触れたのは興味深かった。

歌唱では、鈴木のアビガイッレと清水のザッカリーアとが圧巻の出来であり、第一幕から最終第四幕まで、この二人が終始劇場を支配して「聴かせる」名唱を披露した。大川のナブッコも安定した歌唱で、タイトルロールを堅実に演じていた。青栁のイズマエーレは一応及第点ながら、どちらかと言えばもう少し重いテノール向きかなと思わせたものだ。栗田のフェネーナは前半不安定感があったものの、後半で盛り返している。

合唱団はアマチュアを含めて総勢34名の乏しい陣容ながら、よく奮闘していた。人数の制約から、同じ人たちがイスラエルの住民になったりバビロニアの兵士になったり、変身するのに結構忙しかった様子だ。入れ替わりのとき、シャツ一枚ぐらい着替える時間はあったと思われるのだが、民の心が信仰に生きたり異教に走ったりする変転のさまを表現するため、どちらの側で歌唱するときにも、あえて同じ服装のままにしたのではないかと、演出の意図に気が付いた。「アーリ‐ドラーテ」の由来となった第三幕の合唱は、いわば上演の看板の箇所だけに、一糸乱れぬ名演であり、満場の拍手がしばらく鳴りやまなかった。

ハプニングは、第三幕終了直後に地震があったことだ(震度3。千葉県東部で震度5弱)。ビルの11階なのでかなりグラッときた。余震が来ない様子だったので、アナウンスを受けて観客も混乱せずにみな留まり、少し遅れたものの第四幕が粛々と再開された。再開直後の演奏に不安定さが感じられなかったのはさすがである。

プログラムを見ると、この歌劇団は財政基盤が弱いのにもかかわらず、ヴェルディ歌劇を普及させて文化的なコミュニティ再生に寄与するため、活動を続けているとのこと。上述の通り、海外有名オペラの引っ越し公演に比べても、決して見劣りがするレベルではないので、愛好家が増えることを心から願いたい。私自身もまた機会があれば、アーリドラーテが企画する何かの演目を鑑賞に行こうと思っている。

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