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2018年10月

2018年10月17日 (水)

1分なら遅れても良い???

私が「プロフェッショナルの心構え」を本格的に学び始めたのは、開業する前年、39歳のときだ。

 

こう言うと、「なら、それまではアマチュアの感覚だったの?」と思われるかも知れないが、もちろん、それ以前も職業人としての自負はあった。しかし、勤務先では「プロの心構え」の類を体系的に教わる機会に乏しく、また残念なことに、上司や先輩の多くが、プロの資質に欠ける面を少なからず持っていたことも影響して、「こうでなければプロではない」条件をあまり意識することはなかった。

 

そのため、開業して何年かのうちに、利用者さんや介護者さんに叱られ、恥をかきながら、「プロの心構え」を曲がりなりにも身に着けることになった。私を叱責してくださった方々のおかげで、いまでは逆に、後進を指導する場で、私のほうが「プロの心構え」を説く機会をいただいている。

 

そして、大切な心構えの一つが、時間厳守の姿勢である。

 

ケアマネジャーの場合は、おもに月例の居宅訪問や、サービス担当者会議への出席(私は駐車場所も無い小さな事務所しか持っていないので、いつも利用者さんのお宅や他事業所に場所を借りている)の際に、定刻を守るように心掛けることである。

 

昨日訪問した利用者Aさんの介護者Bさんから、こんな話があった。

 

「Aも私も、自分で会社を経営してきました。〔二人の業種は異なるが、〕どちらも時間を守らないと信用を失う仕事だったため、いつも十分な余裕を持って行動していました。なので、あなたやあなたの紹介するサービス事業者さんには、決めた時間をしっかり守っていただきたい」

 

このAさん・Bさんとは二年近いお付き合いだが、利用当初のころからそう言われていた。約束しておきながら若干遅刻して、謝罪しなかった事業者に対しては、容赦なく苦情が浴びせられた。

 

私自身、過去、別の利用者さんの介護者さんから、苦情を言われたことがある。「自分は仕事を持っているから、定時で動いている。遅れる場合は必ず事前に連絡してほしい」。ちなみに、そのとき遅刻したのは、定刻からわずかに1分。

 

あとに仕事や所用を控えている人にとっては、1分でも遅れてこられると迷惑なのだ。私が来宅したときに要するおよその時間を測った上で、次の行動予定を入れる。当然ながら、後ろへずれてしまうと、あとの時間設定が厳しくなる。「1分ぐらいなら遅れても良い」などという論理は、相手次第では通用しないのである。

 

Aさん・Bさんのように、遅刻に対して不快感を示す利用者さん(または介護者さん)は、常に3~4名はおられるので、遅れる可能性がある場合には必ず事前にお断りして了解を得ることにしている。もちろん、それ以外の方も含めて、すべての利用者さんに対し、交通事情などのやむを得ない理由により1分でも遅刻した場合には、必ず「少々遅くなりまして申し訳ありませんでした」と陳謝している。例外として、定刻より早過ぎると困ると言われている場合に限っては、逆に意識して定刻ちょうど、または若干遅れて訪問することはあるが。

 

業種によっては、時間があまり厳密でなく、ゆるいところもあるだろう。しかし、それらの業種では、「○時□分ピッタリ」を守らなくても、お客≒受益者を待たせることがない業務内容である場合が多い。

 

裏を返せば、日時を定めて居宅訪問し、またはサービス担当者会議等に出席するケアマネジャーの多くが、「1分程度なら遅れても良い」と思っているのであれば、市民からも「利用者を待たせて負い目を感じない程度の職業」としか評価してもらえず、報酬や社会的地位が上がることは望めないであろう。

 

それは、『これでいいのか? 日本の介護』P.63~65に記述した、利用者さんにタメ口を利くケアマネジャーや、業務上の秘密を守らないケアマネジャーと同レベルだと言っても良い。

 

「お客さんを1分でも待たせるのは恥ずかしいことだ」と思うケアマネジャーが、増えてほしいものである。

 

 

 

 

2018年10月 4日 (木)

「暗闇の浜松」を経験して

自然災害に対しては、「備えが必要」と言われていても、ふだん縁が薄いとなかなか本格的な備えをする気になれないものだ。私自身、人為的なスインパクトに対しては比較的用心するほうだが、自然に対してはあまり用意周到な人間ではないので、いざ直面すると何かとボロが出てくることになる。

このたびの台風24号。沖縄から入り、日本列島を縦断して北海道へ抜けていった。日本列島を縦断した形であるが、意外にも最も大きな物的被害を受けた町の一つが、浜松だったのだ。

もともと、9月30日(日)には名古屋で叔父(9月初に死去)の三十五日の法要に参列する予定であった。ところが、台風が東海地方に30日の午後接近することが報じられ、JRでは新幹線も在来線も、運転見合わせとなった。とすると、名古屋まで行っても浜松に戻れなくなってしまう。翌日の午前中、事務所に居なければならない(月の1日であるから各事業所からのFAXが殺到するのに加え、三か月先の短期入所の予約を入れなければならない)私は、やむを得ず法要を欠席することにした。

そこで、せっかく浜松に残ったのだからと、早目に買い物を済ませて帰宅。暴風雨の被害を避けようと雨戸を全部閉め、吹き荒れる嵐の中で夕食をいつも通りに摂って、そのあとCDを聴き、23時ころにシャワー浴をしていたところ、その最中に停電。

意外なことに、薄明りでも浴室内の物品の輪郭は何とか弁別できた。全裸だったので、急いで動いて転倒や負傷をしないように気を付けながら、そのままシャワーを終えて、服を着てからおもむろに懐中電灯を点けた。

30日の夜は、暗闇の中で何もできず、いつもの感覚から数時間程度で復旧するだろうと思い、なかなか寝付かれずに電気が通じるのを待ったが、結局は暗いままで睡眠不足の朝を迎えた。

10月1日(月)、スマホのバッテリーが減りつつあるのを心配しながら、停電情報を見たところ、何と浜松全域と周辺一帯がまるごと停電状態!

家の飲み水は3~4日間大丈夫だが、食べ物は家電無しでは口にできないものが多く、何日分か買い足す必要がある。懐中電灯の単一乾電池は予備のものを保管してあったが、スマホを充電する術がない。家に居ながらにしては市内の被害状況の把握ができなかったので、最悪の場合は、昨日行くはずだった名古屋の叔母宅まで行って(JRは一部運行再開していた)充電させてもらうことまで想定して、まずは自宅を出て事務所に向かう。

途中、信号機は大部分が滅灯していて、交差点では十分注意し、譲り合いながら慎重に通過した。心配しながら事務所に到着したところ、幸いにもすでに復旧しており、すぐにスマホを充電。地域のコンビニは過半が閉店しており、開いていたところも「火を通さずに食べられる」ものは大半が売り切れ。朝のうちは加工肉・魚の缶詰類が売れ残っていたので、ひとまず停電継続に備えて食料を確保。

この日は、業務上必要な連絡を取っても、相手方のうち半数程度は停電のため電話が通じない状態。前月の実績も例月の1日の半分程度しか送られて来ず、逆に短期入所の予約を入れてもFAX不通の事業所があった。ともあれ、必要最低限の用件について関係事業者とのやりとりはできたので、不十分ながら一日の仕事を終了。PCで停電情報を確認するも、私の自宅がある地域は「調査中」の表示になっていたので、もう一晩は暗闇で過ごすことを覚悟して帰宅。帰る途中、いくつかの区域が信号機も外灯も消えた暗闇状態で、自宅周辺もまた同様であった。

冷蔵庫にはやや冷気が残っていたので、最低限の食物を取り出して急いでドアを閉め、あり合わせのものを組み合わせて夕食。

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暗闇では何もすることがないので、本県出身の故・加藤剛の追悼でもしようと、懐中電灯の明かりを頼りに、海音寺潮五郎の『平将門』(加藤が主演したNHK大河の原作)を読み返してみた。

まだエコキュートのぬるま湯が出たため、簡単にシャワーを浴びて、日付が変わり、そろそろ寝ようかと思っていたとき、電気が復旧! 急いで家電関係のスイッチや接続などを一通り点検して、安堵してから就寝した。

2日(火)の朝、事務所へ出勤するときには、いまだに相当な数の箇所の信号機が滅灯したままであった。前日には少なかったFAXの実績も次々と送られてきたが、中には同一法人の離れた事業所の番号からのものもあり、市内一帯の完全復旧は少し先になりそうだと実感。帰路でも、一部区域で真っ暗なところがあったので、不安な気持ちで停電三夜目を迎える人たちのことを思うと、自宅の電気が復旧したからと言って、素直に喜べなかった。

3日(水)になって、TVで報じられるところによると、山間部には倒木で道が塞がってしまったところがあり、そこから先の復旧がいまだしであるとのこと。周囲に買い物に行く店もない地域で、住民の方々は不便この上ない生活を強いられているであろう。関係機関の協力により、一分でも早く電気が使える生活に戻ることを願いたい。

今回の台風による「浜松大停電」は、北海道の地震に伴う大停電とは比較にならない小規模な災害だったかも知れない。しかし、これだけの広域で大規模な停電が起こったことは、私たちにとって大きな教訓になった。備えが不足していた部分や、不測の事態への対処法など、いろいろな課題を焙り出してくれたと思う。

また、電気業界においても、少子高齢化により熟練した技術者が減りつつあることは現実である。これからこのような災害が起こったとき、復旧にはより多くの時間を要することになるであろう。待たなければならない時間に、私たちが何をしなければいけないのか。特に災害弱者の人たちに対する地域での助け合いなどを考慮に入れて、マニュアルを準備することも大切であろう。

あまり頻繁に来てもらっては困るが、同様なことが再度発生した際には、周章狼狽せずに粛々と行動したいものである。

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