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2018年12月

2018年12月30日 (日)

年の瀬に

長いようで短かった2018年も、間もなく幕を閉じようとしている。

この一年は私にとって、大きな変転の年であった。

2月には、介護者との二足の草鞋を履いたために業務範囲を縮小していた影響で、利用者さんの数が13名と、事業所が存続できるギリギリのところまで減ってしまった。

3月5日に母が帰天(死去)。人生二回目(学生時代以来)の一人暮らしになる。

5月に母の納骨を終え、気持ちに区切りを着けたあと、事業所を建て直すために、市の要介護認定調査を受託することにした。

8月には開業17周年を迎え、ささやかな記念の飲み会。

9月。介護支援専門員の職能団体等で務めていた「公益性のある役割」からほぼ撤退してしまった以上、こちらをやらねばなるまいとようやく重い腰を上げ(笑)、初めて複数の地域包括支援センターから「予防支援の業務」を受託して、「公益性」を維持(ま、弁護士の先生が会からの割り当てで国選弁護を引き受けるようなものですかね(^^;)。

10月初めには台風24号の影響で、自宅の一部が壊れ、続く停電の余波もあって、数万円の損害を受ける。その程度で済んだのは幸いだったが...

12月に至って、「貧乏ヒマ無し」状態ではあるが、しっかり業績回復して(利用者さんは要介護の方が24名、要支援の方が3名)、食べていけるようになった。まずは一安心。

こんな一年だったが、順調に仕事が回っているので、終わり良ければ...の感がある。

さて、母の他界を契機にして、生活のスタイルを見直し、いくつかの部分で方向転換することになった。

そのうち特筆すべきなのは、母が好んで続けていた時節などの贈答を終了したことだ。お中元やお歳暮はこれまでも最低限の相手のみにしていたが、今回はその方々にも了解を得て、原則として今年で最終にすることになった。

地元の物産を差し上げたりいただいたりすることは、生活の中での楽しみではあるし、伝統的な一つの風物詩には違いない。しかし、贈る側、受け取る側の双方に負担がかかることも確かだ。特に私が受け取る場合は、他の家族がいないのだから、どうしても自分が決まった時間帯に在宅しなければならず、自由が制約されてしまう。

また、全国的に物流業界は人手不足なので、儀礼的な贈答を減らして、わずかでも働く人たちの負担を減らすことは、一つの見識であろう。

そんな思いから、これまでの慣習を変えた次第である。

来年は気分一新して、余力があれば新たな企画でもやりたいと考えているが、体力が許すかどうか、いまの時点では何とも言えない。しかし、これまで同様、全国各地の(特に若手の)業界仲間たちとは、お付き合いを広げていきたいと願っている。

こんな私ですが、2019年もよろしくお願いします(^^*

2018年12月22日 (土)

ヴェルディ歌劇の面白さ(14)

年末だからというわけではないが、業務過密状態になり、このところ夜間・休日返上で仕事を続けていた。そのため、予定していた歌劇のレヴューを、10日も経ってからようやく書き上げている。

先の12月12日(水)、日帰りで東京まで出向き、新国立劇場で歌劇『ファルスタッフ』を鑑賞してきた。

ヴェルディ鑑賞は9作目になるが、「喜劇(...と言ってもヴェルディは生涯に2作品しか喜劇を作曲していないが...)」はこれが初めてである。

指揮はカルロ‐リッツィ(敬称略、以下同)、演出はジョナサン‐ミラー。キャストはファルスタッフがロベルト‐デ‐カンディア、フォードがマッティア‐オリヴィエーリ、アリーチェがエヴァ‐メイ、クイックリー夫人がエンケレイダ‐シュコーザ、ナンネッタが幸田浩子、フェントンが村上公太、メグが鳥木弥生、カイウスが青地英幸、バルドルフォが糸賀修平、ピストーラが妻屋秀和。

20181212falstaff2

リッツィの緩急よろしき指揮のもとに、全体として高水準の上演であり、この歌劇には必須である演技力の高さにも注目すべきものがあった。

デ‐カンディアは体型もファルスタッフにふさわしいが、ブッフォの歌唱力・演技力いずれも称賛もの。オリヴィエーリは掛け合いに長け、「朴念仁の俗物」フォードを好演。メイは劇全体をぐいぐい引っ張っていくアリーチェを見事に歌い切った。シュコーザは大仰な発声と所作とによって扇の要クイックリー夫人を好演。妻屋は脇役ピストーラだったが、いぶし銀の巧みな演技力で存在感をアピールしていた。

満足度から言えば、お金と時間を使って見に行く価値のある上演であった。

『ファルスタッフ』のタイトルロールが生まれた経緯については、以前のエントリーに述べたが、ここに至って新たに気が付いたことが二つある。

一つは、喜劇の中に結構物騒な台詞が隠されていることである。ファルスタッフがアリーチェを口説く場面。"vorrei che Maestro Ford passasse a miglior vita" →「フォードさんがあの世へ行ってくれれば」。劇の舞台になった当時のイングランドはカトリック教国で、原則として離婚が認められていなかった(王侯などでは政略結婚が破綻して離婚することもあったが...)。したがって、ファルスタッフが人妻アリーチェと結婚するためには、夫のフォードを「あの世へ行かせる」、つまり始末するしかない。それを承知した振りをしてファルスタッフやフォードをからかうアリーチェたちは、相当な性悪の女性たちなのだ。

もう一つは、主人公のファルスタッフの霊名「ジョン(John)」が、ワーグナーの喜劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の主人公ザックスの霊名「ハンス(Hans)」と同じことである(どちらも聖書に登場する「ヨハネ」を意味する)。これは偶然なのかも知れないが、ともに1813年生まれであるオペラ史上の二大巨人が、いずれも後半期には一つしか喜劇を作曲しておらず、しかも主人公の霊名が同じなのは興味深い。ファルスタッフは二人の人妻へ同時に婚活を仕掛けて笑いものになり、ザックスは若い娘への恋情を封印して喝采を受ける。この二人はある意味、紙一重なのかも知れない。

中(?)高年の独身男性である私にも、大いに考えさせられるところがある。そして、私の霊名も同じ「ジョアン(=ヨハネ)」だ。この先の人生に、何か艶っぽい話でも訪れるのかな? 期待しないで(笑)待ってみるか!

...などと思っているうちに、この歌劇の大団円の合唱、「世界中がダジャレだ!」になってしまうのかも知れない(^^;

2018年12月 5日 (水)

教育機能の欠如

12月に入り、忘年会シーズンたけなわである。

ところで、私は宮仕えしていたとき(合計15年余)、最初の2~3年を除いて、その後は職場の忘年会に出るのがあまり好きではなかった。

「なぜだろう?」とことさらに問い返したこともなかったのだが、いまになって思い返してみると、単なる職場内親睦のための「息抜き」「浮かれ騒ぎ」に終始してしまっていたことが、大きな理由だった。

たとえば、同じ時期に出ていた社会福祉士会の忘年会では、杯を傾けながら、福祉業界におけるさまざまな分野での、クライエントへのアプローチの違いや苦労したエピソードなどを語り合い、視野を広げることができた。また、外国人労働者支援団体(ボランティア)の忘年会では、楽しく食事するためのマナーを分かち合うところから、文化、宗教、思想など多岐にわたるまで、熱く意見を交わすことができた。

残念なことに、旧勤務先の忘年会には、その類の収穫がなかった。せっかく他社からゲストを呼んでも、そのゲストとの「間」の取り方(「親しき中にも礼儀あり」)を教わるわけでもなく、歌や隠し芸や世間話・噂話が主流になっていた感が強い。

介護支援の技術にしても、ビジネスに臨む姿勢にしても、何かを一からしっかり指導・伝授してもらった記憶があまり残っていないことを考えると、全体として、職場の教育機能が乏しかった印象である(あくまでも私が在職していた当時の状況であることを、お断りしておく)。それが忘年会の様相にも影響していた。

同様な職場は、業界を問わず各方面に散見される。建設業をはじめとして、人手不足を嘆く事業所が多いが、教育機能が欠如しているために人が集まらない、定着しないことを理解していない事業所が少なくない。

若手に魅力のある職場では、実際に優れた上司(中間管理職)や先輩社員がいて、部下や後輩に対する教育機能が充実している。そこで育った若手がやがて中堅になって、こんどは後進に対して優れた指導をしていく、好ましい連鎖が続く。

そのような事業体では、「人」を大切にする。坂本光司氏(経営学者)は、企業が一番大切にすべき対象は「社員とその家族」だと述べているが、至言である。

メディアにときどき取り上げられる秋山利輝氏が率いる横浜の秋山木工。全寮制で5年間ストイックな生活を強いる「現代の丁稚制度」を続けているため、ブラック企業だとも評されているようだ。しかし関連情報を調べた限り、職人から丁稚へ、兄(姉)弟子から弟(妹)弟子へ、一つひとつ念入りに木工の技術を伝達しながら、ものづくりの精神をしっかり継承させる方式が確立しているとのことだ。秋山氏の方針で、同社の丁稚は年二回しか帰省できない代わりに、家族との手紙のやり取りは頻繁にしているとのこと。厳しい「修業」に耐えられずに脱落してしまう若者も多いようだし、時代にそぐわない面もあるかも知れないが、教育機能自体はたいへん充実した事業体だと言えよう。

これほどではないにしても、現場ではプロフェッショナルとしてあるべき姿、技術や心構えをしっかり伝授していくことが大切である。「上司や先輩も忙しいんだから、自分で見て覚えろ」では、本当に現場で使える社員(職員)が育たない。

介護業界に話を戻すと、これから地域で望まれる施設や事業所にしていくためには、現場での教育機能の充実が必須条件だ。株式会社、社会福祉法人、医療法人、NPOなどの種別を問わず、この機能を持たない事業体には、先細りの運命しか待っていないであろう。

市民にとってみれば、そのようなところで劣悪な介護を受けるよりは、早くツブれてくれて、優良法人に合併してもらったほうが、幸いだとも言える。

教育機能の欠如は、経営者にとっても死活問題だと認識してほしい。

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