年の瀬に
長いようで短かった2018年も、間もなく幕を閉じようとしている。
この一年は私にとって、大きな変転の年であった。
2月には、介護者との二足の草鞋を履いたために業務範囲を縮小していた影響で、利用者さんの数が13名と、事業所が存続できるギリギリのところまで減ってしまった。
3月5日に母が帰天(死去)。人生二回目(学生時代以来)の一人暮らしになる。
5月に母の納骨を終え、気持ちに区切りを着けたあと、事業所を建て直すために、市の要介護認定調査を受託することにした。
8月には開業17周年を迎え、ささやかな記念の飲み会。
9月。介護支援専門員の職能団体等で務めていた「公益性のある役割」からほぼ撤退してしまった以上、こちらをやらねばなるまいとようやく重い腰を上げ(笑)、初めて複数の地域包括支援センターから「予防支援の業務」を受託して、「公益性」を維持(ま、弁護士の先生が会からの割り当てで国選弁護を引き受けるようなものですかね(^^;)。
10月初めには台風24号の影響で、自宅の一部が壊れ、続く停電の余波もあって、数万円の損害を受ける。その程度で済んだのは幸いだったが...
12月に至って、「貧乏ヒマ無し」状態ではあるが、しっかり業績回復して(利用者さんは要介護の方が24名、要支援の方が3名)、食べていけるようになった。まずは一安心。
こんな一年だったが、順調に仕事が回っているので、終わり良ければ...の感がある。
さて、母の他界を契機にして、生活のスタイルを見直し、いくつかの部分で方向転換することになった。
そのうち特筆すべきなのは、母が好んで続けていた時節などの贈答を終了したことだ。お中元やお歳暮はこれまでも最低限の相手のみにしていたが、今回はその方々にも了解を得て、原則として今年で最終にすることになった。
地元の物産を差し上げたりいただいたりすることは、生活の中での楽しみではあるし、伝統的な一つの風物詩には違いない。しかし、贈る側、受け取る側の双方に負担がかかることも確かだ。特に私が受け取る場合は、他の家族がいないのだから、どうしても自分が決まった時間帯に在宅しなければならず、自由が制約されてしまう。
また、全国的に物流業界は人手不足なので、儀礼的な贈答を減らして、わずかでも働く人たちの負担を減らすことは、一つの見識であろう。
そんな思いから、これまでの慣習を変えた次第である。
来年は気分一新して、余力があれば新たな企画でもやりたいと考えているが、体力が許すかどうか、いまの時点では何とも言えない。しかし、これまで同様、全国各地の(特に若手の)業界仲間たちとは、お付き合いを広げていきたいと願っている。
こんな私ですが、2019年もよろしくお願いします(^^*
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