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2019年3月

2019年3月26日 (火)

ダメなコンサルの見分けかた

経営コンサルタント(以下、「コンサル」という)なる職業がある。

私が身を置く介護業界でも、昨今の制度改正...と言うよりむしろ改悪による、事業経営の厳しさを受けて、コンサルに対する注目度は高まっているようだ。

ところで、これは(ケアマネジャーも含め)どの職種にも言えることだが、コンサルも資質・能力の落差が大きい。

残念なことに、私が過去、仕事上で出くわしたコンサルは、いずれも能力に問題ありと言い切って差し支えない人物であった。宮仕えのときから現在に至るまで、コンサルを名乗る何人かの人物とさまざまな形で接触する機会があったが、「これはダメだな」「このテの人とご縁を持ちたくない」と感じた人ばかりだったと記憶している。早い話が、コンサルとしては用無しの人だ。

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むろん、そのレベルの人ばかりではなく、優れたコンサルも数多く存在する。実力十分であるコンサルの方に出会えた法人や事業所は、好いご縁によって良い仕事ができる可能性が強い。幸せであろう。

しかし、玉石混淆の中から見分けるのは、なかなか難しい。

そこで、あなたが事業経営者や事業所管理者の立場にあり、組織を代表してコンサルを依頼することになった場合に、ご参考にしていただける、ダメなコンサルの見分けかたを伝授しよう(^^)v

(1)財布のヒモをゆるめないコンサル

「ケチ」と同義語ではない。節約して効果的にお金を使う、良い意味での「ケチ」はむしろ評価されるべき。ここでは、「初期投資をしない」意味に取ってほしい。
まずは、あなたが自分の会社や事業所で作った製品(なければ、著書でも自作のアイディアでも何でも良い)をコンサルに売ってみよう。ちゃんと自分がお金を出して入手した上で、その価値について論評するのが有能なコンサル。〔モノによって、すぐ買えるもの、購入しにくいものの差異はあるにせよ、〕その商品を端(はな)から買う気がないコンサルは、「おたくの組織に関心を持っていません」と言っているのに等しい。本気度を疑うに十分だ。

(2)組織の内部に入って観察しないコンサル

コンサル選びで失敗する最大の原因は、たいてい「組織を外からしか見てくれない」ところにある。いつもスーツ姿で改まって来社・来所するのではなく、社員や職員と同じように地味な、またはラフな服装で事業所の中に入り込み、時間をかけて人の動きを観察しながら、課題の核心を抽出し、アセスメント(事前評価)するぐらいは、仕事の入口では当たり前だ。その姿勢に欠けているコンサルに頼るのは、あとで時間やお金の無駄遣いになる公算が大きい。

(3)働く人に敬意を払わないコンサル

まず、ステータス差別。たとえば会社の清掃員があいさつしても、あいさつを返さない人はレッドカード。それから、年代や性別による差別。たとえば20代の女性社員を軽く扱って「若い女の子」などと表現する年輩の人(おもに男性コンサル)などがこれに相当する。自分たちの世代の、それも特に男性に対する過剰な自負の意識を持っていれば、ニュートラルに社員・職員を観察することなどできない。
組織は働く人の集合体である以上、属性に関係なく、それを構成する全員が主役。一人ひとりの「人」を尊重しないコンサルに、組織に対して的確に助言できる資質があるはずはない。裏を返せば、そのコンサル本人こそ、自分自身が見下しているレベル程度の価値しか持たない人間なのだと、アイロニカルに評価するのが良いだろう。

(4)その事業の利用客を最優先に考えるコンサル

これは意外かも知れない。だが、利用客・顧客(≦その組織から見たステイクホルダー)満足度の向上は、その組織側の人間が考えることなのだ。コンサルの出番ではない。
コンサルが利用客最優先の指導・助言をしたらどうなるか? 利用客の要望を極大化させた理想論が先行して、働く人たちに無理を強いることも出てくるだろう。そうなれば職場に対する不満も増えて、サービスの質が低下する。
コンサルの仕事は、働く人がその職場で働きやすいように仕向け、働く人が余裕を持って利用客を尊重できる環境を作ることだ。ここを間違えているコンサルの指導・助言は、ピント外れになってしまう恐れが強いので、要注意である。

(5)地位の高い人物、著名な人物や団体との関係をチラつかせるコンサル

このテの話は、いわば「虚仮(コケ)脅かし」の類であり、実際には名前が出ている人や団体と有機的なつながりを持たない空虚な関係であることが多い。自分の存在を大きく見せたいがために、そんな話ばかりするのだ。ホンモノの大物コンサルから、そんな話はめったに出てこない。虎の威を借りなくても、おのずと品格や力量を備えているのだから。

以上、おもな点を掲げてみた。他にもあるのだが、それは機会を改めて。

このように整理してみると、この5条件、たとえば(2)(3)(5)は「ダメな主任ケアマネジャー」とも共通するし、コンサルに限った話ではない。人として、専門家として信頼に値するのかどうかは、業種や職種を超えて共通する面が多いようにも思われる。

ま、とにかく、こんな時代だ。あなたやあなたの組織が三流・四流のコンサルにダマされて、お金をドブに捨てる羽目にならないことを願う。

2019年3月19日 (火)

クイズです

介護に関する持論や人との交流記や歌劇のレヴューや食生活の話ばかりでも、どんなものかと思ったので、

今回はクイズです(^ω^)

私John Trabutta(=じょあん)は47都道府県すべてに足を踏み入れていますが、そのうち、

a)最初に行ったところ(つまり出生地)と、

b)最後に行ったところを、

両方とも当ててください!

どちらも当たった方、先着一名様に、粗品進呈☆

なお、解答権はお一人一回だけとします。また、私宛にご住所、お名前、お電話番号等を教えられる方に限ります(もちろん、個人情報の目的外使用は決してしません)。

ご解答は本エントリーへのコメント、または私宛の電子メールで。

お待ちしています(^^*

 

(3/26追記)

※解答期限を過ぎましたので、正解を!

a)愛知県(名古屋市の病院で出生)

b)徳島県(47都道府県で未踏だった最後の地です)

残念ながら正解者はいらっしゃいませんでした(^^;

2019年3月12日 (火)

人に向き合う仕事で、「身の危険」は当たり前だ!

千葉県野田市で、小学四年生の女の子が、父親からの度重なる暴力により命を落とす、痛ましい事件があった。

この事件で最も大きな問題とされているのが、市の教育委員会の対応である。

学校では「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」との但し書きのあるアンケートを、子どもたちに配付した。女の子はその言葉に勇気を得て、「お父さんにぼう力を受けています」と記入して提出した。

ところが、怒鳴り込んできた父親の威圧的な態度に恐れをなした市教委の担当者は、このアンケートを見せてしまった。これを見た父親がどれだけ激昂して暴力がエスカレートしたことか。想像できないほうがおかしい。

その言い訳が笑える。

「父親から、訴訟を起こすなどと威圧的な態度を取られて恐怖を覚えた」(要旨)

はあっ???

バカバカしくて相手にする気にならない気分だ。過激な逸脱行為に対する応接も心得ていなかったのか? 市教委はそんなときの対応マニュアルも用意していなかったのか? マニュアルがあったとしたら、担当者はその手順に目を通してさえいなかったのか?

行政機関として粛々とことを進めたのにもかかわらず、相手の言動が犯罪に該当するレベルまで至ったのならば、警察に通報すれば良いだけの話だ。悩むことはない。

この市教委の対応に擁護論もあることを、私は百も承知だ。各教委にスクールロイヤーなどの法律専門家を設置すべしと。原則論だけ振りかざせば、それは確かにその通りかも知れない。

だが、その要請に対応できる弁護士がどれだけ確保できるのか? 教育関係に特化した分野に該博な弁護士が、そんなにたくさん存在するのか?

そもそも教育委員会は行政の公的機関なのだ。なのに自治体の顧問弁護士(すべての自治体が顧問弁護士と契約しているわけではないが...)とは別に、さらに法律の専門家を頼みましょう、なんてことになったら、どれだけ手厚い話になるのか?

そんなことを言っていたら、民間はどうなるのか? 顧問弁護士など依頼できる余裕がない零細事業所に対して、行政は危険な仕事をどんどん割り当ててくる。教育のみならず、介護、福祉、どの業界でも、それが現実だ。

私は「人と向き合う」仕事に従事する立場として、開業する前も、開業してからも、身の危険を感じたことは何度もあった。刃物を振り回した人、「俺は何人殺すかわからんぞ」と周囲を脅かしていた人、私の側に全く責がない事案について延々と非難攻撃を繰り返す人などを相手に、修羅場も経験してきた。中には介護者がそんな人物だと知りながら、行政がわざわざ私に振ってきた利用者さんの事案もあった。

しかし、私はこれまでのところ、このような逸脱行為に関して警察に相談したことはない(現在進行中で、弁護士の先生に相談するつもりの事案が一件ある。と言っても民事事案だ)。誰に相談しようが、自分自身が向き合わなければならないのだから、いよいよ急迫するまでは自助努力で解決を探ろうとしてきた。

プロフェッショナルならそうあるべきなのだ。良い意味で公権力と協働するのは大切だが、安易に公権力に依存してはいけない。

 

人に向き合う仕事をする以上、「身の危険」は当たり前だ。日本は法治国家である以上、私たちは法律に守られている。過激な逸脱行為をやめない相手に対しては毅然とした態度で応酬し、自分の力で解決の道を探るべきなのだ。それでも抑止できない場合は個人、個々の機関の対応能力を超えているのだから、そこではじめて警察に相談したり、状況次第で弁護士に法律的な対応を依頼したりすれば良い。

野田市教委の担当者は、公の場に身を置く者としての矜持もなく、生徒との約束を破り、彼女を死に至らしめる最大の原因を作った。信頼していた教育者に裏切られた女の子の絶望は、いかほどのものだっただろうか?

しかし、この担当者ばかりではないだろう。行政職などの公的機関で、安定した地位にあぐらをかいていて、いざ不測の事態が起こると、「身の危険」の回避に汲々とする自称プロフェッショナル=専門職は、地域や業種を問わず、少なからぬ数で存在する。

その水準の振る舞いしかできない恥知らずは、プロフェッショナルなどやめてしまえ!!!

2019年3月 5日 (火)

一年の節目に

母が天に召されてから、早や一年になる。

息を引き取る直前の5分間。あのとき握った母の手の温もりは、いまだに忘れられない。

人生の締め括りかたは百人百様だ。母の場合、死をもたらしたのは急性疾患(心筋梗塞)であった。しかし、母はずっと前から周到に心の準備をしていたと思う。まだ家事ができていた時期にも、延命治療をしない方針や、万一の場合には従妹(母の姪)に応援を頼む段取りなど、私との間で少しずつ、終末に向けての決めごとを増やしていった。

2017年の1月末に、高たんぱくの飲み物しか摂取できず、寝たきり状態になったとき、「誰にでも心を開いて付き合いなさい」との言葉、遺訓を私に伝え、葬儀に誰を呼ぶか、呼ばないかについても私と相談した。そこから持ち直して食事が摂れるようになり、安定期を迎え、一年余も平穏に生き永らえた。実際に死が迫ったとき、母はいっとき動揺したかも知れないが、最終的には思い残すことなく、神のみ手にすべてを委ねることができたと信じている。

そんなことを思い巡らしながら、節目の墓参をした。前日までの雨続きがウソのような好天。

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平日なので、墓参に来る人もまばらだ。枯れた古い花を捨て、墓石を洗い、草取りをした後、新しい花を飾って、「主の祈り」「アヴェ・マリア」「栄唱」を唱える。静かな雰囲気の中で、母に、そして父にも、自分が力強く生きていくことができるように、神への執り成しを頼んだ。

「こんどは大勢で来るからね」と言って墓園を辞去する。来月には「帰天一年のつどい」と称して、名古屋の叔母夫妻をはじめ、身内の連中を招いて、墓参と会食をすることになっている。

昼食の時間、たまには少しの贅沢をと、「ステーキのあさくま」三方原店で、チキンステーキ+オニオンマスタード。ここは料金が高めだが、ごはんやパスタも含めたビュフェ式のサラダバーが無料で楽しめるのだ。

帰宅してから、そろそろ提出しなければならない確定申告の用紙を清書してまとめる。

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夕食のときには、母が愛好していた「丸一魚店」の品を祭壇の前に供えた。特にマグロのフレークは大好物だったので、店から行商に来た日には、母自身が毎週必ず購入していた。母の死後も、最低月一回は私が食べたい品を注文している。ヒラメの刺身やカキフライ(冬期)、カツオのたたき(夏期)などが定番だ。

さて、明日は「灰の水曜日」。カトリック教会では四旬節の入口なので、ここから節制の期間に入る。復活祭へ向けた心の準備が求められる。

母の遺訓を心に留め、日ごろの自分の振る舞いを省みながら、日々の仕事に勤しみたい。

 

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