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2019年4月

2019年4月30日 (火)

ケアマネジャーは「恩知らず」「義理知らず」になれ!

私が一切の介護事業所や医療機関と併設・提携しない、一人親方のケアマネジャーとして開業してから17年半。もとは「囲い込み反対」の動機から、この営業形態を採ったのだが、ときどき次のような誤解を受けることがある(過去、複数の関係者から直接・間接に寄せられた)。

それは、「いくら独立型だと言っても、親しい事業所、近い関係にある事業所は存在するだろうから、それらの事業所に利用者さんを紹介する率は高いんでしょ? だったら偏っていることに変わりはないのでは?」との疑問だ。

まず、人が主観を持っている以上、たとえば剛体のような、絶対的な公正中立は存在しない。いくら努力しても、なにがしかの偏りが発生することは免れない。利用者のニーズに対して数ある選択肢の中から、最適ではないところを選択することが、ときどき起こり得るのは現実だ。そうこうしているうちに気が付いてみれば、決して意図的ではないにせよ、結果として特定の事業所に紹介率が偏ってしまう可能性は存在する。

しかし、その偏りが、昵懇な事業所、あるいは利害関係が共通する事業所に対する偏りなのかどうかは、また別の問題である。

そもそも、私の場合は、親しい事業所や近い関係にある事業所を優先して利用者さんに紹介することは決してない。むしろ、私は結構「恩知らず」「義理知らず」の部類に入る人間なのだ。

たとえば、

・訪問介護を利用したくて介護者が訪問介護事業所に連絡を取ったので、その事業所は私に居宅介護支援を依頼してきたのだが、その紹介元に対し、「お宅ではこの方のご要望に対応するのが難しいと思いますので...」と言って断り、別の事業所を位置付けた。

・通院先医療機関から利用者さんの紹介。介護者からはそこの訪問リハビリを利用したい話があったので、まずは主治医の指示であるから訪問リハビリを開始。しかし、何か月もしないうちに、利用者さんの状態がかなり変化したので、ご本人や介護者に助言して、医療機関ごと利用を終了。他の医療機関と、また別法人の訪問看護とに切り替えてしまった。

・住宅改修を希望する介護者さんが、過去お付き合いのあった工務店や建築設計事務所の名前を二、三羅列。ところが、その中に私の親戚筋が経営する事業所が含まれていたので、速攻で介護者さんに対して「ダメ出し」! その理由は、およそバリアフリーからはほど遠い(他の面ではとても優良なのだが...)仕事をする人であることがわかっていたから。

これが私のスタイルである。当の利用者さんの紹介元や、身内でさえ(言葉は悪いが)「蹴飛ばす」ことをしているのだ。同様なやり方で、利用者さんのニーズに合わない事業者さんを断ったり変更したり、数え切れないほど事例を重ねてきた。

おそらく、多くのケアマネジャーが躊躇する行動だとは思う。しかし、だからと言って、必要なことを理解していながら断行しないのであれば、それはケアマネジャーの職業倫理に鑑みて、大きな問題である。

もとより、相手方が良識をわきまえた事業者であるのなら、礼を尽くして断れば、趣旨を理解してくれるものである。一方的にサービス提供を断って相手の担当者を立腹させることがないように、事情を説明して了解を求める努力は必要だ。それもまたケアマネジャーの専門性であるはず。ミスマッチを回避するためのアクションであれば、長期的には相手方の利益にもなろう。ならば、お互いにとって「win-win」にほかならないのではないか。

その証拠に、私が「蹴飛ばした(笑)」いくつかの事業所は、その後も私に利用者さんを紹介してくれている。ありがたいことだ。

もちろん、このあたりは地域性や事業所のスタンス、経営者の考え方など、いくつかの問題も関係するだろう。一回のアクションがお互いの関係を悪くしてしまい、修復が困難になる可能性もある。しかし、それを恐れていては、ケアマネジャーがすべき仕事は成り立たない。

独立開業でなく、併設型であっても同様だ。自法人や自事業所と親しい事業所、近い関係にある事業所に対しても、偏らない姿勢が求められる。上司や先輩からの圧力があっても、跳ね返すだけの専門性を備えたいものだ。

ケアマネジャーのみなさん! 自分の信念で「恩知らず」「義理知らず」になろうではないか。

2019年4月23日 (火)

復活祭二題

今年の復活祭は、4月21日で、たいへん遅い暦日となった。それが影響したのか、しばしば「寒の戻り」「花冷え」といった現症が繰り返され、寒暖の差で体調を整えるのが難しい年だった。

とは言え、大病も大きな事故もなく、この時期を迎えることができた。ささやかではあるが、好きなワインを飲みながら、手製の一品料理でディナーを摂り、主のご復活を祝っている(画像はイタリア産、祝典用のバローロ)。

さて、復活祭に関連して、今年は二つの大きなできごとがあった。これはある意味で神様からの「発題」なのかも知れないと思い、それぞれの「お題」について黙想してみた。

一つの「お題」は、パリ(フランス)のノートルダム大聖堂の大部分が、火災によって消失した事案。

このニュースが報じられた直後に思ったのは、

「建物としての聖堂が焼失しても、心の殿堂は決して消失しない」。

その後、何日か経過すると、世界の各地から再建のための支援が続々と寄せられることが話題となった。

それに対して、「聖堂に寄付するよりも、困ってる人たちを助けろ」との批判。日本の介護・福祉関係者にもそう言い出す人がいる。

私が思ったのは、

「でも、その批判、『生活保護でパチンコ行くな!』って、外野が勝手に使途を決めて、受給者を非難攻撃するのと変わらないよね」。

宗教的情熱か、売名行為か知らないが、その国で法律上の問題さえ起こさなければ、個人の資産をどう使おうと自由なはず。まさに「自己決定」だ。

社会的成功を収めた人が、得た利潤を社会に還元するのは〔キリスト教的な〕義務であろう。しかし還元する対象が、人々の祈りの場である教会であったとしても、全く道義的に問題とされるものではない。

聖堂の再建へ向けて人々が心を合わせることにより、国境やセクトを超えた連帯が生まれるのならば、それは喜ばしいことではないだろうか?

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もう一つの「お題」は、コロンボ(スリ‐ランカ)の複数の教会など6箇所の建物が、おそらくテロリストが仕掛けたと推測される爆発物によって破壊され、多くの死者が出た事案である。

テロリストたち(-イスラーム過激派だと考えられるが、同国ではかつて仏教徒とヒンドゥー教徒も、血を血で洗う抗争を繰り広げた。キリスト教を含めた多くの宗教には、異教徒たちの殺戮をいとわない人たちは存在する。日本でもかつてオウム真理教がそうであった。イスラーム教だけが非難されるべきではない。念のため-)の所業は、道義的にも法的にも許されない行為である。これは圧倒的多数の人たちが共有する見解であろう。

しかし、イエス‐キリストは十字架上で想像を絶する苦痛の中にありながら、こう仰った。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(ルカ福音書23-34)」

この言葉をゴルゴタの丘で聴いた人たちの衝撃は、いかほどであっただろうか。

そして、私たちも信徒である以上、イエスにならうべきである。

テロリストたちが同国の法にのっとった裁きを受けるべきなのは当然であるが、彼らの魂の救済のために、神のお赦しを祈りたい。

2019年4月16日 (火)

つくられた「バカ殿様」

三年前の開業15周年記念講演で予告し、過去のエントリーでも少し垣間見せたのだが、かねてから私は、江戸幕府の九代将軍・徳川家重の評伝を執筆したいと思っていた。

家重の優れた業績については、すでに甲斐素直氏(法学者)がHPで、井沢元彦氏(作家)が著書で、それぞれ持論を展開されているので、ご関心のある方は参照されたい。

このような名誉回復の動きが顕著であるのにもかかわらず、いまだに多くの日本人が家重の名前さえほとんど知らないでいるのが現実である。そして、名を知っている人も多くは、脳性麻痺による構音障害があった将軍としか認識していない。史伝でも小説でも、暗愚な君主とされていることが少なくないのが現実だ。少し古いが、1995(平成7)年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』でも、中村梅雀演じる家重は、不肖で酒浸りの身勝手な跡継ぎとして描かれており、一言で表現すれば「バカ殿様」であった。

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家重が酒好きだったことは事実であるが、彼がなぜ大酒したのか? 私は、そこに家重なりの理由があったと考えている。決して政治に嫌気が差して酒に溺れた類の話ではない。むしろ家重がきわめてクールな政治的人間であったからこそ、パフォーマンスの一つとしての「酒好き」があったと理解している。

このあたりは、いずれこのブログの中で取り上げることになるだろう。

家重は、(1)先代君主・吉宗の政策が不評だったので、大幅に軌道修正した。(2)門閥・保守派の抵抗を抑えて、既得権益の牙城を崩した。(3)米穀経済に依存する税制から大転換して、直間比率を逆転させようとした。(4)ヨーロッパ先進諸国と比較しても遜色のない、近代的な施策を推進した。...etc.

これらの面から、きわめて高い評価に値する、日本史上屈指の明君であると、私は考えている。

この仮説にしたがって、私は甲斐氏や井沢氏の論考を尊重しながら、家重に関する単一のまとまった書を世に出すことを企図するものである。

いずれは自費出版も予定しており、結構な分量になることが予測される。そのため、通常のブログ更新-最近はもっぱら火曜日であるが-の際に記事を掲載すると、別の主題を取り上げる暇がない。

そこで、火曜日には他の主題についてエントリーして、どこか別の曜日で、家重に関するエントリーを連載するようにしたい。

ただし、いきなり家重に踏み込むのではなく、まずは前置きから入りたいと思う。期待されている読者には、隔靴掻痒の感が否めないだろうとは予想されるが、ものごとは順序立てて進めたいのが私の性分である。なにとぞご寛容な心で、気長に読み続けていただけると幸いである。

(※画像はパブリック‐ドメインのものを借用しました)

2019年4月 9日 (火)

母の追悼を終えて

去る4月7日(日)、母の帰天一年のつどいを開催した。

はじめは曇りがちの天気だと予報されていたので、心配していたが、当日になってみると、朝から夕方までずっと「晴れときどき曇り」であり、イベント向きの日になった。昨年のエントリーでも述べたが、母の場合は亡くなった日と葬儀の日とが「贖罪のため」の雨天であり、そのあとは納骨式も、命日の墓参も、そしてこの帰天一年のつどいも、すべて好天に恵まれている。一生を晴ればれと生きた母にふさわしい。

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開始時刻は11:20と、午前の遅めの時間帯に設定した。叔母夫妻が、また従姉妹たちも多くは夫妻そろって、名古屋、津島(愛知県)、桑名(三重県)、そして遠くは郡山(福島県)から駆け付けて、母のために祈ってくれた。いつも親族が睦み合うことを願っていた母にとっては、とても嬉しいことだったに違いない。

墓参のあとは、母もご縁があった墓園近くのイタリア料理店「ラ・アリタリア」で会食。納骨式のときにも同じ店を選択。12名であったが、店側のご厚意で貸し切りにしてくれた。

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ここは上質な素材を使った(ソースに頼らない)料理を出してくれるので、満足度はたいへん高い。親戚一同が久々に集合したこともあり、お互いの近況を報告しながらの、賑やかな会食となった。

昼食は14:00に終了。車で来た人たちには自宅へ寄ってもらい、お茶とお菓子でしばし休息。叔母や従姉妹には、母の遺した衣類のうち、リユースできそうなものを持って行ってもらった。いわば「形見分け」である。自分が確保していても宝の持ち腐れ、箪笥の中で埃をかぶっているよりも、身内に活用してもらうほうが良いに決まっているから。

15:30になって散会。親戚たちはそれぞれ東名・浜松西IC(家から車で5分)経由で帰って行った。

これで母の追悼は一区切りである。仏教なら三回忌、七回忌と重ねるだろうが、カトリックには特段その習慣はない。個人的には、これからも母の生きざまを決して忘れないだろうし、折々の節目に墓参したり祭壇の下を飾ったりするだろう。他方で、故人を追悼する一連のセレモニーには幕を引き、自分自身が力強く生き続けることが大切なのだ。

次の展開は、私にとって未知の世界になるのかも知れない。どの道を進むにせよ、いつも神のお恵みあれかしと祈りながら、日々を送りたいと思っている。

2019年4月 2日 (火)

元号あれこれ

新しい元号「令和」が発表された。

私自身はクリスチャンなので、公的な文書以外は原則として西暦を使っているが、決して長い伝統を持つ元号の意義を否定するものではない。令(よ)き和(やわら)ぎを求めて、国民が力を合わせていくことにより、望ましい社会が建設されることを願いたい。

これまでの元号の数は膨大であり、日本だけを振り返っても「令和」は248番目となる。これらの元号すべてを頭の中で西暦に置き換えることは、常人には不可能に近い。それができる人は日本中探しても数えるほどではないだろうか。私自身、昭和、大正、明治、慶応、元治...とさかのぼって、宝暦(元年は1751年)辺りまでがやっとである。それ以前では、享保、元禄、寛永、慶長、天正など、特筆すべき事件などがあった元号だけは、何とか西暦と対照できるのだが...

さて、その多彩な元号の歴史の中から、いくつか興味深い話題を紹介してみよう。

(1)政変に始まり、タタリに終わった「延喜(901-23)」

醍醐天皇の元号。後代、「延喜の治」と理想化された天皇の時代であったが、実際に醍醐天皇がどの程度力を発揮できたかは明瞭でない。むしろ、この時代は菅原道真が大宰府へ追放された「昌泰の変」直後の、物々しい政情のうちに始まった。そして道真は没後、平安朝で最大級の「怨霊」になってしまう。政敵の藤原時平が若くして死去。他にも道真と敵対した人々が次々と不運な死を遂げ、醍醐天皇の皇太子・保明親王まで若死にするに至って、朝廷は道真のタタリに全面降伏する事態となった。長く続いたこの元号もついに終焉、「延長」に改元されている。

(2)強引に改元するも失政で崩壊した「建武(1334~36/38)」

後醍醐天皇の元号。配流先の隠岐から帰還して鎌倉幕府を打倒した天皇は、簒奪者・王莽を滅ぼして古代の漢王朝を再興した光武帝(世祖)に自らを擬し、臣下からの「武」字を回避すべしとの進言を退けて光武帝の元号「建武」を転用、「建武の新政」を開始する。しかし時代錯誤の武士軽視や土地の配分の失敗により、世論は天皇に背反し、足利尊氏をはじめとする諸国の武士が離反したことにより、新政は二年で崩壊、天皇は早々に「延元」と改元してしまった。面白いのは離反した武家側が担いだ北朝の光明天皇の朝廷がしばらく「建武」を使い続け、南朝より二年半も遅れて「暦応」と改元していることか。

(3)延々と改元させてもらえなかった「応永(1394-1428)」

後小松天皇・称光天皇の元号。歴代元号のうちでは昭和、明治に次ぐ三番目の長さである。実はその前から改元は2~3年ごとに行われ、将軍・足利義満は嘉慶、康応、明徳と続く代々の元号制定に事実上の決定権を行使してきた。ところが明徳のあと「洪徳」を提案したところ、朝廷側から「洪水を招く字はよくない」とハネられてしまった。怒った義満は、改元された「応永」を「改元させない」ことで権力を誇示する方策を採る。これは次の将軍・足利義持にも受け継がれ、称光天皇は即位して代替わりしたのにもかかわらず、16年も改元できずに過ごし、義持の没後ようやく「正長」と改元できたが、それから三か月で亡くなってしまった。

(4)改元していきなり不吉な事件が起こった「嘉吉(1441-44)」

後花園天皇の元号。辛酉の年に当たり、政治的変革を回避するため、前の元号「永享」から改元された。ところが改元してわずか4か月後、良い元号とは裏腹に、政権の最盛期にあった将軍・足利義教が播磨守護家の隠居・赤松満祐に暗殺される大事件が勃発。混乱した室町幕府では、実力者の山名持豊(宗全)が中心となって出兵、満祐を攻め滅ぼすことができたが、後継の将軍・足利義勝は間もなく10歳で死去。その次の将軍が決まらないまま(数年後に足利義政が就位)、民間では「公方を欠きつ」と皮肉られ、ほどなく「文安」に改められている。

(5)中国から「直輸入」した「元和(1615-24)」

後水尾天皇の元号。大御所・徳川家康は大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした後、「禁中並(ならびに)公家諸法度」を朝廷に突き付け、今後は原則として中国の元号のうち吉例を勘案しながら直輸入することとした。こうして選ばれたのが唐の章武皇帝(憲宗)時代の「元和」で、帝が安史の乱以降の地方政権乱立状態だった唐王朝を、一時的ながら再統一した時期の元号なのである。戦国時代が終焉して「和を元(はじ)む」の意味もある。しかし、朝廷側有識者の反発は強く、改元後一年も経たずに家康が没したこともあり、将軍・徳川秀忠は次の改元「寛永」から態度を軟化させて、朝廷が提案した日本の独自元号を幕府が追認する形に事実上改めた。

(6)災害続きのため土壇場で姿を消した「明和(1764-72)」

後桜町天皇・後桃園天皇の元号。『尚書』堯典の「百姓昭明、協和万邦」から採っており、「昭和」と同じ出典である。老中・田沼意次が政権基盤を固めていく時代。ところが田沼の不運は、在任中にしばしば災害(天災・人災)に見舞われたこと。その最初が明和九年(1772)に発生した江戸の大火だった。加えてこの年には風水害や疫病も起こったため、識者から「メイワクネンは迷惑年」だとの議論が勃発し、朝廷も幕府も凶事を回避する動機から、年末に至って「安永」に改めている。

(7)まぼろしの元号「令徳」

孝明天皇のとき、1864年に提起された元号案。甲子の年に当たるので政治的な変革を避けるために改元が提案されたが、孝明天皇側から示された第一案が「令徳」で、第二案が「元治」。出典はともかく、令徳の真意は「徳川に指令する」、元治の真意は「はじまりの治世」であり、天皇の側に「王政復古」への強い意志があったことは明らかだ。幕府側はさすがに「令徳」は受け入れられなかったので、結果的に「元治」で妥協し、改元された。もしこのとき「令徳」が採用されていたら、「令和」を待たずに「令」の字を冠した元号が登場していたかも知れない。
なお、「令和」の「令」は旧暦二月の美称「令月」の「令」であり、「よい」「うつくしい」の意味なので、誤解なきように。

以上、元号にまつわるエピソードをいくつか紹介したが、長い元号の歴史の中には、他にも私が知らないトピックがいろいろと存在したであろう。また機会があれば、それらを拾い上げてみたい。

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