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2019年5月

2019年5月29日 (水)

メッキは剥がれると思え!

ファンを大切にしない芸能人やアスリートが、業界からホされる事件が、ときどき起こっている。

最近も、二人のメンズモデルがファンから贈られたプレゼントを蹴ったり踏み付けたりしながら罵倒する動画が出回り、彼らは開催中の企画側から出演を禁止された。このテの行為をするバカモノは、ホされて当然だ。

しかし、まだこれらのタレントは、本性をあっさり露呈してしまっているだけマシな連中なのかも知れない。

「可愛い」...と言うと語弊があるが、若さゆえの傲慢さもあるだろう。自分たちの愚行を反省しつつ、いずれは品格を磨き、成長することを望みたい。

さて、この連中よりも忌み嫌われるべきなのは、相手を見て態度を変える人間ではないかと思う。

顧客≒利用者に相対するとき、貧しい人や立場が弱い人の前では尊大に、横柄に振舞い、富める人や立場が強い人の前では遜(へりくだ)って丁重な態度を示す。

残念ながら、私たちの介護業界でも、数は少ないものの、一定程度の割合でそんな人たちがいるのも現実である。

業界全体がそうだと思われたくはない。どのような立場の利用者さんに対しても誠実に仕事をしている善良な仲間たちの、足を引っ張らないでもらいたい。

そんな「相手によって態度を変える」人たちに一言。

富める人や立場が強い人の前でだけ丁重なサービス提供者を演じても、あなたのメッキは剥がされていると思ったほうが良い。

考えてみれば、これは当然である。地位の高い利用者さん(おもに高齢者)たちの多くは、修羅場を潜り抜けて財産や地位を獲得・維持してきたのだから、長年の経験から人を見る目も備えている。あなたの丁重な態度が、自分を「人」として尊重しているからなのか、それとも自分の財産や地位に対するものなのか、見抜くのは大して難しいことではない。

「こいつ、私の前では謙譲に見せかけているけど、社会的弱者の前では横柄なんだろうな」

そんなことは、何回か面談してコミュニケーションを取るうちに、あなたの振る舞いのどこかでボロが出て、相手は敏感に覚っている。恐らく、気が付いていても、そ知らぬ振りをしてあなたに相対するだろう。そういう人物は、あなたのような「小人」をせせこましく咎めることはしないからだ。

そして、そんな「客商売にふさわしくない」あなたの態度は、いずれ仕事上の破綻を招くだろう。

そうなる前に、胸に手を当てて自分を省みてほしい。そして抜本的に考え方を改め、財産や地位に関係なく利用者さんをリスペクトする姿勢に転換すれば、多くの利用者さんが、心を入れ替えたあなたを信頼してくれるに違いない。

その変容こそが、メッキの下の醜い中身を、美しく変えることができるのだ。

2019年5月21日 (火)

それが「諦める」理由なのか?

先日、亡き母と親しかった方(女性)と、短い時間であるが、話す機会があった。

この方は年齢70代初めで、旦那さんと二人暮らしである。内蔵的な疾患は持っているが、いまはご夫婦とも元気で、畑仕事や趣味活動には前向きに参加している。

この方には娘さんがお二人、どちらも40代前半で独身なのだが、娘さんたちについてこんなことを語っていた。

「うちの長女(会社の中間管理職)は仕事を仕切っていくのが忙しく、ご縁が無いのよ」

「下の娘さんはどうなんですか?」

「二女(病院の中間管理職)も多忙なのに加えて、自分が看護師だから、いろいろなことがわかってしまっている。いまの自分の年齢だと、出産しても障害を持つ子どもが生まれる確率が高い。だからもう結婚も諦める考えになってしまっているの。もし将来、ご縁があるとしても、育児とは関係ない『パートナー』ってことになるのかな」

それが二女さんの正直な気持ちであれば、十分に理解できるし、ネガティヴに評価するつもりは全くない。

生まれてくる子どもが障害(種別はどうあれ)を持っていれば、親の負担は大きい。介助に要する時間や費用、補助具の調達等の生活環境整備に要する時間や費用は、障害の程度にもよるが、「健常者」の子どもたちに比べると大きなものがある。特に、夫となった人が、仕事の多忙などにより障害を持つ子どもの養育に十分協力してくれない場合、妻の側が一人で抱え込む事態にもなりかねない。

この二女さんが「結婚・出産・育児」を諦めた真の理由は、ご本人に会って話してみないことにはわからない。しかし、医療の専門職である以上、「命」の重さに格差があるなどと考える人では決してないだろう。また、高齢出産で障害を持った子どもが生まれると決まったわけでは全くない。

本来、障害を持つ子どもが生まれてきても、親とともに社会でその子たちを支えていくことが、日本が目指す「高福祉」の理想だったはずだ。しかし、現在の日本社会は、その理想とは程遠いところにある。残念だが。

だからこそ、この二女さんの「諦め」を助長することにもなってしまうのであろう。

もし、障害を持つ子どもが生まれても、確実に支えてもらえる社会であれば、この二女さんの選択も、異なったものになるのかも知れない。

そんなことを思ってみる。

2019年5月14日 (火)

ようやく「普通」になった?日本

令和の時代が幕を開けて、はや二週間になる。

平成の30年余については、さまざまな振り返りがあるだろう。

こんなデータがあるので、読者のみなさんにご一覧いただきたい。

 

【G20諸国の指導者の変遷(1989-2019。臨時代理は除く)】

日本の内閣総理大臣         18代(17人)

中国の最高指導者             4人

韓国の大統領                   7人

インドネシアの大統領        6人

インドの首相                  10代(9人)

トルコの政権担当者         11人

サウーディ‐アラビアの国王 3人

南アフリカの政権担当者     7人

欧州連合(EU)委員長       5人

イタリアの首相               17代(13人)

英国の首相                     6人

フランスの大統領             5人

ドイツの首相                   3人

ロシアの実質的政権担当者 3人

カナダの首相                   6人

米国の大統領                  6人

メキシコの大統領             6人

アルゼンチンの大統領      8人

ブラジルの大統領            8人

オーストラリアの首相       9代(8人)

 

途中で大統領・首相・(一党独裁の国では)党書記長などの肩書が変わっても、政治指導者であった期間は通して一人と数えた。また、軍事委員会主席や軍政評議会議長などの地位にあった人物でも、公的な肩書を有して事実上政権を担っていた人物は数に入れたが、公的な肩書を持たないインフォーマルな実力者は含めていない。あくまでも何らかの形で「現職」にあった首脳の代数・人数である。

そして、このように一覧表にすると、ここ30年は首脳の代数・人数とも、日本が最多なのである。

日本以外の国で、首脳経験者の人数が二ケタなのはトルコとイタリアだけ。ドイツとロシア(旧ソ連から。「事実上」で数えた)に至っては、絶対君主国であるサウーディ‐アラビア並みだ。中国もそれに近い。

もちろん、政治指導者が民主的なプロセスで選ばれていない国もあることや、長期政権が人権侵害をもたらしている国も少なくないことは百も承知だ。しかし、政策の安定的継続や対外的な代表の重要性を考えた場合、政治指導者がクルクル変わることも、決して望ましくないのではないだろうか。

国際的に見れば、日本の現政権の長さは「普通」のレベルである。私個人としては、外交や防衛に関しては大枠支持・一部批判、社会保障や教育に対しては大枠批判・一部支持、経済・産業・科学技術・国土政策その他は是是非非で評している。だが、「長期政権」であること自体については、基本、プラスに評価できる。

確かに政権の綻びはいろいろと垣間見られるが、そもそも「独裁者」を嫌う日本の風土では、長期政権の弊害がそれほど大きくなるとは考えられない。この点については拙著『これでいいのか?日本の介護』第7章も参照されたい。

「地球儀を俯瞰する外交」に対してはさまざまな視点からの評価があるだろう。しかし、6年半の間、対外的な「顔」が安定していたことは、日本の国力をアピールするためにも大きな意味を持っていたはずだ。一年やそこらで頻繁に総理が変わっていた一時期、世界各国の首脳たちは、日本政府をどこまで信用して良いのか心もとなく感じていたとしても、不自然ではあるまい。

いまの政権与党が続くとしても、野党が政権交代するとしても、今後、簡単に総理が入れ替わるような状況は、国民の利益に鑑みて、ご免こうむりたい。次の総理以降も、長期安定政権を目指してほしいものである。

2019年5月 7日 (火)

「沖縄独立」は現実的か?

先月、沖縄に駐在する米軍海兵隊の兵士が、別れ話のもつれで、元交際相手の女性(北谷町)を殺害して自殺する事件が起こった。

経過はともあれ、自分のエゴのためにこのような殺人をしでかすのは、ストーカー殺人と変わりなく、たとえ自らも死を選んだとしても、許されない行為だ。まだまだ人生を楽しめたはずなのに、犠牲になって命を落とした女性には、心から哀悼の意を表したい。

さて、この種の事件が起こるたびに、一部の沖縄県民から唱えられるのが、「独立論」である。

ただでさえ、米軍普天間基地の辺野古移設をめぐって、国と沖縄県との反目が深刻になっている。それに加えて、上記のような米軍人や軍属による悪行が頻繁に発生する(なぜか、米軍側による地元への貢献は語られることが著しく少ないが、ま、それはひとまず措くとして...)。それならば、むかし沖縄は独立した「琉球王国」だったのだから、その時代に戻って、日本にも米国にも制約されなくなるのがいちばん良い、と考える人たちが増えるのは、時の勢いかも知れない。

もちろん、どんな政治的な見解を持とうが、一人ひとりの市民の自由である。これには全く異論はない。もし沖縄県で「独立」を支持する県民が多数を占め、日本国政府との穏当な交渉の結果、本当に一つの主権国家としての独立が実現すれば、スコットランド(英国)やカタルーニャ(スペイン)の独立運動と同様、日本国民として認めないわけにはいかないだろう。

しかし、ここで独立論者の人々にお願いしたいことがある。

以下に示す内容について、冷静に考えていただきたいのだ。

以前のエントリーで紹介した地図では、鄧小平政権時代の中国が、どこまでを自国領になる可能性がある地域(正確に言えば、領有権を再議すべき地域)だと考えていたかを示した。これ以降、江沢民政権も、胡錦濤政権も、そして現在の習近平政権も、この主張を明確に取り下げたことは一度もない。以下にその地図を再掲しておこう。

20140704chizu 

また、ジャーナリスト松本利秋氏の論考にあるように、海洋進出の障害を取り除きたい中国側から、地政学的に判断した場合、この地域全体が自国領となった場合の利益は大きなものがある。日本中心、沖縄中心ではなく、あくまでも中国を中心としたらどう見えるか? それが重要だ。

この事実を踏まえる限り、沖縄が独立した場合、中国が侵攻してくる可能性は大いにある。では、「独立沖縄国」はどうするのか?

米軍や日本の自衛隊を追い出してしまえば、両国の軍は沖縄を守らない。そして国連軍も出動しない。安保理で議決しようとしても、中国は当然のように拒否権を行使する。人民解放軍が攻めてきた場合、どこの国が沖縄を守るために出動してくれるのか?

自前で領土を守るのであれば、北朝鮮のように徹底的な「先軍政治」の方針を定め、他の用途はそっちのけにして、国費の大半で軍備を整えるのか? いや、それでも巨大な中国には歯が立たないので、急遽核兵器の開発を進め、抑止力として核武装をするのか?

おそらく、独立論者たちにとって、この道は全くの想定外であろう。「平和的に中国と共存する」ことが前提であるに違いない。中世の明王朝の時代には、それが成り立っていたではないか! と。

その場合、課題は三つある。

一つ目は、中世には「海」が障壁になっていたことだ。薩摩藩は島伝いに侵攻して琉球王国を服属させたが、反対側から来ると当時は未開地だった台湾から先島諸島、さらにそこから海を越えて出兵しなければならなかった。宣徳帝が没した(1435)後、内陸的で海に関心をあまり持たなくなった明側からは、面倒な征服事業に手を出す動機には乏しかった。

現代は全く情勢が異なる。中国は周辺諸国を圧して海洋進出を強めており、その海軍力は、沖縄へ侵攻するのに余りある力を有している。海は全く障壁にならないと考えてよい。

独立論者たちは、海に代わる障壁として何を想定しているのだろうか?

二つ目は、中世の琉球王国に対する、明王朝からの位置付けである。尚真王以降の琉球は、自らは「平和国家」でありながら、明に対して馬と硫黄とをおもな輸出品としていた。当然ながら内陸国家になった明王朝としては、この両品は周辺の異民族と戦うための必需品であった。

つまり、「平和国家」琉球王国は「軍需産業」で栄えていたのである。

したがって、「独立沖縄国」が中国からの侵攻を平和的に防止することを考えているのであれば、大々的に軍需産業を振興し、最新鋭の兵器を次々と開発して、人民解放軍のための供給基地となるのが望ましい。と言うより、中世の「平和国家」琉球を再現するとは、結局そういうことなのだ。中国にとって「独立沖縄国」が自国のため最大限の利益を引き出せる存在として位置付けられるのであれば、あえて国際世論に反してまで侵攻はして来ない可能性が強い。

独立論者たちは、郷土が(たとえば、米国ユダヤ系資本などの軍産複合体のような)軍需産業で存立する国になっても差し支えないと考えているのか?

三つ目は、中世の琉球王国の領土は、奄美群島にまで及んでいたことである。

上記の地図で明らかなように、中国はこの史実を踏襲し、奄美群島までが自国領に相当する可能性があるとしている。したがって、中国が「独立沖縄国」と共存していくのであれば、当然のように奄美群島までを同国の領土にすることを求めてくるであろう。同国の「同盟国」となる中国が南東方面へ海洋進出を強めるのであれば、ここを勢力圏にするのとしないのとは大きな違いが生じるからだ(松本氏の論考も参照)。

しかし、奄美群島は近世以来、薩摩藩→鹿児島県の領域である。当然のことながら日本国の領土にほかならない。

独立論者たちは、鹿児島県民をはじめとする日本国民に「奄美群島を割譲せよ」と要求できるのか? できないのであれば、「平和的に共存」しなければならない中国の意向と、どう折り合いを付けるつもりなのか?

この三つの課題に対して、(夢想論ではなく)私を含めた多くの人が納得できる答えが出せるのであれば、どうぞ、堂々と沖縄独立論を展開していただきたい。

(※本稿はあくまでも国を対象にした論評であり、善意の中国国民を個別に嫌悪・批判するものでは決してないことを、お断りしておきます)

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