それが「諦める」理由なのか?
先日、亡き母と親しかった方(女性)と、短い時間であるが、話す機会があった。
この方は年齢70代初めで、旦那さんと二人暮らしである。内蔵的な疾患は持っているが、いまはご夫婦とも元気で、畑仕事や趣味活動には前向きに参加している。
この方には娘さんがお二人、どちらも40代前半で独身なのだが、娘さんたちについてこんなことを語っていた。
「うちの長女(会社の中間管理職)は仕事を仕切っていくのが忙しく、ご縁が無いのよ」
「下の娘さんはどうなんですか?」
「二女(病院の中間管理職)も多忙なのに加えて、自分が看護師だから、いろいろなことがわかってしまっている。いまの自分の年齢だと、出産しても障害を持つ子どもが生まれる確率が高い。だからもう結婚も諦める考えになってしまっているの。もし将来、ご縁があるとしても、育児とは関係ない『パートナー』ってことになるのかな」
それが二女さんの正直な気持ちであれば、十分に理解できるし、ネガティヴに評価するつもりは全くない。
生まれてくる子どもが障害(種別はどうあれ)を持っていれば、親の負担は大きい。介助に要する時間や費用、補助具の調達等の生活環境整備に要する時間や費用は、障害の程度にもよるが、「健常者」の子どもたちに比べると大きなものがある。特に、夫となった人が、仕事の多忙などにより障害を持つ子どもの養育に十分協力してくれない場合、妻の側が一人で抱え込む事態にもなりかねない。
この二女さんが「結婚・出産・育児」を諦めた真の理由は、ご本人に会って話してみないことにはわからない。しかし、医療の専門職である以上、「命」の重さに格差があるなどと考える人では決してないだろう。また、高齢出産で障害を持った子どもが生まれると決まったわけでは全くない。
本来、障害を持つ子どもが生まれてきても、親とともに社会でその子たちを支えていくことが、日本が目指す「高福祉」の理想だったはずだ。しかし、現在の日本社会は、その理想とは程遠いところにある。残念だが。
だからこそ、この二女さんの「諦め」を助長することにもなってしまうのであろう。
もし、障害を持つ子どもが生まれても、確実に支えてもらえる社会であれば、この二女さんの選択も、異なったものになるのかも知れない。
そんなことを思ってみる。
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