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2019年6月 5日 (水)

東大卒のプライドは東大卒にしかわからない!

今回は、最近メディアを騒がしたいくつかの衝撃的な事件のうち、二つを取り上げてみたい。

4月19日、池袋で元上級官僚・I氏(88)の運転する車が暴走して、母子二人の命を奪い、九人に重軽傷を負わせた事故。

6月1日、練馬区の元上級官僚・K氏(79)が自宅で長男を刺殺した事件。

両事件とも、発生後にさまざまな視点からの議論が巻き起こっている。

前者に関しては、高齢者の運転技術や、警察や報道のありかたに関するものが多い。被疑者であるI氏が容疑者ではなく「さん」付けで報道されたこと。そしてI氏が退院後も容疑を実質否認しているのにもかかわらず警察に逮捕されていないので、もとの身分を忖度されたのかと評されていること。また、同年齢程度の高齢者の多くは運転能力に疑問があると考えられること。これを契機に運転免許証を返納する高齢者が急増したこと。等々。

後者に関しては、直前に発生した川崎の殺傷事件と関連付けた論評が主である。K氏の長男(44)が川崎の加害者(51歳。自殺)に類似した「ひきこもり」生活を送っていたこと。家庭内暴力があってK氏が身の危険を感じていたところ、長男が近くの小学校の運動会について「うるさい」と怒ったので、川崎同様の事件を起こさせないため殺害に踏み切ったこと。一人で抱え込んで公的機関に一度も相談しなかったこと。等々。

そして、さまざまな議論が交わされている中で、保健・福祉関係者をはじめとする多数意見は、前者について「高齢者は運転免許を返納しよう」、後者について「家族の生活課題を抱え込まずに地域資源を活用しよう」へ向かいつつある。

だが、あえて異論を一言。

I氏やK氏に対し、早くから上記のように提案しても、おそらく解決に結び付かなかった。

妨げになっているのが「東大卒のプライド」なのである。

(...もっとも、最近は東大の「権威」も低下しているので、「東大卒のプライド」にも変化が見られる。ここでは40代ぐらいから上の、一定以上の年代のOB・OGに共通するプライドの意味に使う)

誰も(←私が見聞する限り)二つの事件に共通するこの代物に斬り込んでいない。「上級官僚のプライド」に踏み込んだ論調はいくつも見受けられるが、両者はイコールではない。

上級官僚に限らず、大企業の経営者や役職者として成功した富裕な人とか、学会や業界の重鎮などは、他にも少なからず存在する。誰もがそんな知人を三人や四人持っている。つまり、数は少ないが自分の周囲にも結構いる存在なのだから、その人たち特有のプライドを感じることも、機会は少ないが日常の中でときどきあると思われる。外面からであっても、それらを理解するのはさほど難しくない。

だが、「東大卒のプライド」はそんな簡単に理解できるものではない。いや、おそらくこれは、該当する者(修了した学部・学科に関係なく)でなければ理解できないと思ってもらったほうが良い

そう言い切ってしまうと、「それでは評論のしようがないじゃないか!」と反論されるかも知れないが、それでも私はうなづくしかない。

I氏の場合。氏は事故について謝罪しつつも、「ブレーキが利かなかった」と言い張り、アクセルを踏み込んだことを否認している。他方で警察はブレーキに故障が認められないと結論付けている。この点について論者は、I氏の「認知症の兆候」、あるいは「正当化」「自己弁護」「隠蔽」の意思だと推測する。

私に言わせれば、これらは的外れだ。I氏の思考の中では、どこまでも「ブレーキが利かなかった」のである。間違えてアクセルを踏み込むはずはないのである。自分の行為は「ブレーキを踏み続けた」のに「利かなかった」以外にあり得ない。事故のとき、同乗の妻に対して「ああ、どうしちゃったんだろう」と言ったとされる言葉が、それを正直に表している。

ではI氏は亡くなった母子に対して申し訳なさを感じていないのかと言えば、決してそうではないと思う。自分の車が事故を巻き起こしたことについて、言いようのない慙愧を覚えているのではないか。しかし、その原因はあくまでも「自分は安全運転していたのに、ブレーキが利かなかった」なのである。I氏自身もそうとしか言いようがないのだと思う。

K氏の場合。氏は「長男が川崎のような事件を起こすかも知れないと案じて殺害に踏み切った」と供述しているという。長男の引きこもりは以前からあったのだから、同居した直後に公的機関などの社会資源に相談すれば良かったという人たちがいる。著名なソーシャルワーカーもそう言っている。

私は言いたい。それができない(できなかった)のだ。

結果から推測する限りであるが、何と言われても、できないものはできないのである。K氏の思考の中には、「他人に迷惑がかからないように、自分たち(家族)の中で始末する」のが唯一の選択だったのだ。K氏ほど人脈が豊かな人が、その気持ちさえあれば、自分の知人を通して適切な専門職に相談するのはたやすいことだったと判断される。しかし、それはK氏にとって容認できる手段の外であった。

理解に苦しむ読者が多いであろうことは承知しているが、この両氏の行動の根にあるのが「東大卒のプライド」である。

この二人の事例を見て気が付いたこと。「受援力」=「支援を求め、受ける力」の言葉があるが、「東大卒のプライド」は「受援力」の欠如に結び付いている。

なので、このプライドはある意味、危険な存在なのかも知れない。I氏やK氏の事例から見る限り、多くの人から見れば、「東大卒のプライド」の所産は、実体として「愚劣」に映るに違いない。

しかし、他方でこのプライドは、当人が「辛い、苦しい状況」に陥ったとき、歯を食いしばって耐え抜く原動力でもあるのだ。そして、その力が、政治、経済、科学技術、文化、社会保障などの多くの分野で、輝かしい成果を実らせてきたことも、また疑いのない事実なである。

I氏とK氏には、亡くなった人に対して心から贖罪することと、自らの心の安らぎがもたらされることを願いたい。

併せて、該当するすべてのOB・OGが抱いている「東大卒のプライド」が、社会にとって望ましい方向のエネルギーに転化されることを祈りたい。

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