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2019年6月19日 (水)

ヴェルディ歌劇の面白さ(15)

亡き母の故郷である名古屋。最近は行き来する頻度が少なくなり、用事でときどき出向く程度になっている。

先週の15日(土)、栄の愛知県芸術劇場で、ボローニャ歌劇場の引越し公演『リゴレット』を鑑賞。夕方からの公演だが、土曜日は営業日なので、午後半日の有給休暇を取っておいた。

指揮はマッテオ‐ベルトラーミ(敬称略、以下同)、演出はアレッシオ‐ピッツェック。キャストはリゴレットがアルベルト‐ガザーレ、ジルダがデジレ‐ランカトーレ、マントヴァ公爵がセルソ‐アルベロ、スパラフチーレがアブラモ‐ロザレン、マッダレーナがアナスタシア‐ボルドィレヴァ、ジョヴァンナがラウラ‐ケリーチ、モンテローネがトンマーゾ‐カーラミーア、マルッロがアブラハム‐ガルシア‐ゴンサーレス。

20190615rigoletto 

主演三人の出来が素晴らしかった上演。ガザーレは歌唱・演技とも重みたっぷりの存在感を示し、特にリゴレットが廷臣たちに向かい、奪われた娘を思う気持ちを切々と歌う第二幕のアリア「非道な役人どもよ!」は圧巻。ランカトーレは浜松で一度(『椿姫』のヴィオレッタ)見ているが、そのときよりも安定した情感たっぷりの歌唱で、全幕を通してジルダの悲哀を十二分に表現。また、第二幕を締める父娘の二重唱は互いの音程も正確で実に息が合っており、満場の喝采を浴びた。アルベロはマントヴァ公爵を数多く歌い込んでいるベテランであり、第二幕のカバレッタで求められる難度の高いハイD(=二点ニ音)を軽々と響かせる輝かしいテノールで、第三幕のカンツォーネ「女心の歌」も朗々と歌い切り、ショー‐ストッパーよろしく会場を魅了していた。脇役になってしまったが、殺し屋の役にハマったロザレンのスパラフチーレと、四重唱で存在感を示すボルドィレヴァのマッダレーナも水準以上の出来。

ベルトラーミの指揮は全体を通し、基本を踏まえて一つ一つの場面を大切にする秀逸なものであった。ピッツェックの演出はかなり奇策を用いていた。第二幕にモンテローネの娘(黙役)を登場させ、ジルダの悲劇と重ね合わせているが、かえって設定を複雑化させてしまい、あまり効果的だとは思えなかった。他方、カーラミーア演じるモンテローネが白のスーツとシルクハット姿で登場し、公爵に抗議して投獄される廷臣と言うよりも、呪いを告げるメッセンジャーボーイの役どころになっていたのは面白い。また、ジルダが箱入り娘状態であったことを、人形箱を使って視覚的に示したことも興味深い。ゴンサーレスのマルッロとケリーチのジョヴァンナについては、脇役ながら細かい動きに微妙な気持ちの変化が表現されており、示唆的であった。

いつもならば、鑑賞後にワイン+ディナー...となるところだが、この日はいささか体調不良だったこと、お天気が荒れ模様だったこともあり、浜松へ戻ってからリーズナブルな夕食を済ませ、帰宅した。

これでヴェルディ鑑賞も10作品目と、二ケタに達する。お金や時間が有り余っているわけではないので、年に1~2回程度、それも海外からの引越し公演より国内企画公演を鑑賞するほうが多い。自分のささやかな楽しみとして、今後も機会があれば出掛けたいものである。

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