« 東大卒のプライドは東大卒にしかわからない! | トップページ | ヴェルディ歌劇の面白さ(15) »

2019年6月12日 (水)

再教育が必要なのだろうか

きょうは珍しく、児童(少子化)に関連する話をエントリーしてみる。

私自身が未婚であり、(本日現在まで)子育て経験はない。なので、街角で子どもを同伴している親(母親の場合が多いが、土日には父親が一緒に居る姿も結構見かける)を傍目で眺めながら、子どもを一人前の大人に育てるため奮闘している姿に、微笑ましくなることが多い。

もちろん、時折だが社会常識に沿っていない親を見かけることはある。どんな事情があってそうするのか、なかなか察することはできないし、私自身が実害でも受けない限り、あえて口出しすることはしていない。親のそんな姿を見た子どものほうは大丈夫かな? と心配になることはあるが。もっとも、これは一握りの例であり、大部分はごく普通の常識的な親だ。

いずれにせよ、この子どもたちは自分たちの老後を支えてくれる世代である。元気に育っていってほしいと思う。

Kouen

しかし、残念なことに、世の中にはそう考えない人がいることも現実だ。親たちが社会常識に反する振る舞いをしていなくても、子どもたちや親たちに対して露骨に不快感を示す人たちが、相当数の割合でいる。それが単なる不満や、苦情程度に収まっていれば、まだ個人の意見として理解できないわけではないが、犯罪にまで至ることがある。

6月5~6日の間に、東京都足立区で、数人の幼稚園児の自宅郵便受けへ、「朝、駐車場で子供を騒がせるな。静かにさせろ。できなければ何があっても文句を言うな」との脅迫文が投函されていた。保護者が警察へ届け出て、捜査の結果、71歳の男が容疑者として逮捕された。男は容疑を認め(脅迫の意図については否認)、「毎朝のことで騒音に耐えかねた」と供述しているという。

この人物の姓を見て、同じ姓の男(たぶん血縁ではなく、偶然であろう)が数年前に起こした、とある事件を思い出してしまった。

2015年、東京都の有楽町駅でベビーカーに乗っていた1歳児の頭を、64歳(ならば現在は68歳ぐらい)の男が拳で殴打した。母親の悲鳴に驚き、父親がすぐに男を取り押さえ、警察に突き出したので、男は逮捕された。「ベビーカーが邪魔だったので殴った」と供述していた事件。

どちらの男にも共通するのは、子どもや親に対する病的な憎悪である。普通は、ベビーカーが邪魔だと思っても、子どもを殴ることはしない。普通は、幼稚園のバスを待っている子どもの声がやかましいと思っても、親を脅迫することはしない(ちなみに、私自身、営業時間の関係上、朝起きるのが遅いので、家の前を通る小学生の大きな声で起こされることはあるが、『ああ、もうそんな時間か』と思うだけで、一度として迷惑だと感じたことはない)。

もう一つ共通する点がある。それは二人とも「団塊の世代」であることだ。前者はおそらく1947年生まれ、後者はおそらく1950年生まれで、厚労省が白書にうたう「団塊世代(1947~49年生まれ)」より一つ若いが、実はこの年までの出生数が著しく多いので、広義の「団塊の世代」は、1947~50年生まれと考えて差し支えない。

日本中を騒がせた大事件でもないので、二人の家族関係や背景を検索しても明らかではなかった。憶測は控えたいが、家族がいないか、または、いても孤立に近い状態だったのではないだろうか?

もちろん、子育てに不寛容なのはこの二人だけではない。確かにこの二人がやったことは異常であるが、自宅の近くに幼稚園や保育所の設置計画が持ち上がると、地域の静穏が乱されると思い反対する住民(おもに中高年以上だが、若い世代にもある)は、日本中の各地に存在する。ある意味、この二人がしたことは、多くの市民が抱いている気持ちを、過激に表現しただけだと言えるかも知れない。幼稚園教諭や保育士たちの技術的な課題も存在している(ヨーロッパの福祉先進国では、幼児たちを無理に抑制しなくても、あまり騒がせずに遊ばせる技術が進んでいるとの報告もある)。また、ベビーカーを電車に乗せる親の一部には、他の乗客や通行人への配慮が欠落しているとの意見もある。不満や苦情を訴える側が一方的に非常識でズレていると言うのは、過当であろう。

だからと言って、暴力や脅迫が許されて良いはずはない。当たり前だ。

この二人のような行為が頻発した場合、単に社会不安を誘発するだけではない。若い子育て世代の間に、「自分たちが働いて納める税金を、何でこんな〔子育てを妨害する〕ジジイたちのために使われなければならないのか?」との声が高くなれば、団塊の世代に対する批判が強まり、世代間の憎悪を増長させ、地域社会の人間関係がさらに不寛容になる恐れがある。

そうならないために、私たちは何をすれば良いのだろうか。

この二人のような人だけではなく、すべての住民、特に中高年以上を対象とした「再教育」が必要なのかも知れない。いまの日本の少子高齢化により、社会の持続にとって危機的な事態が近付いていること。それを考慮すると、自宅近くだけ子どもの騒音がないようにしてほしいなどの「総論賛成、各論反対」は、もはや許される状況にはないこと。地域全体で理解し合って子育てをすることが、自分自身の老後を支えてもらう豊かな社会の構築につながること。等々。単なる「学習会」ではなく、おもに周囲に子どもがいない人たちには、地域の幼児や小児と実際に触れ合ってもらう機会もほしい。

もっとも、そんな再教育の場を設けたとしても、上記の二人などは参加しないかも知れない。それならば逆に、彼らを孤立させないために、地域でどう声掛けをすれば良いのか? 次なる課題を皆で協議していくことが大切だ。

地域包括ケアシステムが目指すものは、高齢者や障害者だけのための仕組みづくりではない。誰もが住みやすい街をどう建設していくのか、構成員が全員参加する形で、知恵を絞っていきたいものである。

(※画像はグラパックジャパンのものを借用しました)

« 東大卒のプライドは東大卒にしかわからない! | トップページ | ヴェルディ歌劇の面白さ(15) »

ニュース」カテゴリの記事

社会問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 東大卒のプライドは東大卒にしかわからない! | トップページ | ヴェルディ歌劇の面白さ(15) »

フォト
無料ブログはココログ
2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

他のアカウント