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2019年7月17日 (水)

政治と「家系」

民主的な近代国家であっても、政治家の世襲は少なくない。日本でも安倍総理をはじめ、世襲議員は各地に見られる。既得権を持つ利害関係者が、これまで協働して築いてきた「地盤」を守る意味で、世代交代に際して同じ「家系」の若い後継者を望むことも少なくない。

しかし、「家系」とは言いながら、このパターンと異なる形で選挙に出馬する候補者もいる。

今回の参院選で、当県ではもと将軍家の、それも「宗家の当主」である人物が立候補した。その人が保守政党ではなく左派系政党から出馬し、脱原発や九条護憲を主張していることも、県民には大きな波紋を投げかけた。「初代将軍」の事実上の政庁が当県内にあったことは事実であるが、その初代を祀る神社は、保守政党を支持しているので、ここに「初代」と「当代」との「ねじれ現象」が生じた形だ。

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このようなことは、この「もと将軍家」の人に限ったことではない。

現内閣の主要閣僚の言動を注視していても、それは明瞭だ。副総理兼財務相のA氏は、祖母(元総理の妻)も母もカトリック信徒であり、ご本人も受洗しているはずだが、A氏の政治的な見解を私たち信徒から見れば、カトリック的な考え方とはかなり乖離している。また、外相のK氏は、お父さん(元衆院議長)の隣国に関する「談話」について、「私の談話ではない。私は湘南ベルマーレが圧勝したときに談話を出す」と揶揄し、その隣国に対するK氏の外交は、明らかにお父さんと異なる見解を踏まえて臨んでいる。

つまり、特定の家系の後継者に対して、「親や先祖がこんな思想や見解だったから...」との期待を持たないほうが賢明なのだ。

しかし、家系の重みを背負った人に対して、民衆がそれなりに惹き付けられることも、また現実である。

東欧のブルガリアでは20世紀に入ってから、ドイツ系の王室主導の政治・外交が失策を招き、二度の大戦で敗北を喫したため、最後の国王シメオン‐サクスコブルゴツキ氏は9歳で国を追われ、同国は共産主義国家となった。しかし1990年代に共産党が凋落すると、サクスコブルゴツキ氏は帰国し、政党を結成して2001年の総選挙に臨み、ブームに乗り国民の支持を得て自ら首相となって、政権を担った。国民の生活水準はなかなか好転せず、皆はサクスコブルゴツキ氏に失望したので、次の2005年選挙後には政権を譲る羽目になった。しかし、国の経済力が向上したことにより、氏が目指してきたEU加盟は、退任後ではあったが実現した。

このように「もと支配者の家系」の人物が国の政権まで担う例は、近代民主制国家では珍しいかも知れないが、特定の家系ならではの品格や度量を携えて政治に臨む人たちへの待望論は、国や民族を問わずあるだろう。

「もと将軍家」の人物が当選した場合、左派系政党の政治家としてどのような振る舞いを見せてくれるのか、注視したい。当落については、次の日曜日の投票結果を待つことになろう。

(※画像は「発光大王堂」さんのイラストを借用させていただき、加工しました)

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