叔父の一周忌に思ったこと
残暑厳しい日であったが、去る17日、母の実家の菩提寺である名古屋市中村区岩塚の「遍慶寺(へんきょうじ。真宗)」にて、昨年8月末に他界した叔父(母の弟)の一周忌が営まれた。
叔父は波乱万丈の生涯を送ったようだが、晩年に活動した地域は福島県だったので、葬儀は郡山で行った。しかし、本人の生前の意向を受け、晩年のパートナー(プライバシーも仕事も共にしていた)が、実家での供養を希望したので、実家を守っている叔母夫妻や従妹夫妻が協力して、岩塚で法要が営まれることになった。昨年の「三十五日」はあいにく台風のため参列できなかったが、幸い今回は問題なく出向くことができた。
法要では叔父の幼馴染であった先代住職(現住職の父)が、「浄土三部経」を三つとも完全版で読み上げ、そのあと列席者一同で「正信偈」を誦経した。なお、私自身はカトリック信徒だが、ずっと以前から所属教区の司教より「他宗教の葬祭に参列した場合は、亡くなった人が喜ぶやりかたでお祈りしてあげなさい」と許容範囲が示されていたので、誰の葬祭に出た場合にも支障なく、そこの宗派の方式通りのお経やお祈りを唱えている。このたびも叔父の安息を祈るために唱和させてもらった。
法要のあと従妹のマンションに場所を移し、気の置けない親戚同士でお弁当を食べながら歓談してきた。
この遍慶寺、実は戦国時代の岩塚城の跡地にある。斯波氏一族であった吉田家が三代にわたり居城としたが、江戸期には廃城となり、その後にこのお寺が建てられたものだ。
先代住職・現住職が、江戸期から代々寺に伝わる過去の永代供養帳を見せてくれた。母の旧姓「高橋(正しくは髙𣘺)」を姓とする人たちが何人も名を連ねている。高橋氏はこの地でそれなりの一族だったらしい。母の実家は尾張藩の軽輩の家系だったと聞いているが、それは広い尾張国の中でのこと、ローカルな地域では敬意をもって扱われていたのであろう。これまで、あまり母の家系について省みることがなかったのだが、今後は機会があれば、少しは高橋氏の歴史でも調べてみようかと思っている。
母のルーツ、そして自分自身のルーツにも触れることができた、貴重な名古屋行きであった。
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