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2019年12月

2019年12月25日 (水)

自ら進んで灯りを点ける人

多くの人が少年時代に、O.ワイルド(1854-1900)の『幸福の王子』を読んだことがあるだろう。そしてその最終の場、自分が着けていた宝石や黄金を貧しい人たちに惜しみなく分け与えた王子と、それに対して献身的に協力したツバメとを、神様が天国で再生させる段に至って、瞼を潤ませた経験を持つ人は少なくないのではないか。

この王子やツバメのような気高い行為は、誰にでもできるわけではない。ましてや、偽善や打算(結果的に人の幸せをもたらすのであれば、偽善も打算もそれだけで批判するつもりはないが...)ではなく、素のままで自己犠牲や献身ができる人は、私たちの周囲にも、簡単に見付けられるものではない。日本中を見渡しても、一握りではないだろうか。

南関東のある地域に住む女性、A子さん(仮名)。

私がお会いしたのは17年前。自分が開業して二年余のとき、各地の仲間と協働して立ち上げた企画のパネリストとして、浜松に来ていただいたときである。

介護保険が制度が開始されて三年弱。いまだ各地で現場の混乱が収まらず、「囲い込み」を事としたケアマネジャーも横行していた時期である。とあるメディアで市民活動団体の取り組みが紹介されており、それを見てA子さんの存在を知った。当時、A子さんはチャキチャキの若い市民活動メンバーとして、地域の仲間たちと一緒に、介護現場の状況改善へ向け、市民目線で提言していくために活動されていた。そこで、私たち独立型のケアマネジャーを後押ししていただく意味で、市民の立場から彼女にシンポジウムで発題していただいたのだ。

このころのA子さんは、辺りを払うパワーで輝いている印象が強かったことを覚えている。

A子さんはその後、高齢者分野・介護分野から離れて障害者支援に転じ、団体の再編や新たなプロジェクトの立ち上げなどを経て、自分たちが中心となって市民活動団体を創設される。その経過は時折ネットで目にしていたものの、部門が離れてしまったこともあり、ずっと彼女は遠い存在であった。

先日、上京中に心組んでいた予定が不調になり、時間が空いてしまった。東京で買い物するよりも、久しぶりに同地へ行ってみようか、と思い、二日前になってA子さんに連絡してみたところ、応諾をいただき、出掛けて行った。

Blueberry-jam

17年ぶりの再会。ご自身が中心になって運営されている、福祉系の授産事業所で作った品物を販売する店(小児科系の大病院の一角)で待ち合わせ、お昼をご一緒していただいた。

端正なお顔立ちではあるが、際立った美女というわけではなく、外観だけであれば、服装も含めてごく平凡な存在なので、道ですれ違っても、特に周囲の目を惹く方ではない。「お姉さん」から、そろそろ「おばちゃん」と言われる年代である。持ち前の明るい笑顔で、ビジネスやプライバシーや、飾り気のない自然体でいろいろと語ってくださった。

同席しながら、A子さんの内面からにじみ出る「人」としての美しさ、気品の高さは隠し切れないなぁ、と強く感じたものだ。17年の時を経て、取り組む分野が変わっても、彼女が一段と輝く姿を見て、私は嬉しかった。

A子さんがいまのプロジェクトに手を着けられてから12年。市民活動団体として独立されてから9年。その間、このプロジェクトを推進するため、ご自身の力を注入されてきた。健康面では決して十全だったわけではなく、大きな病気で複数回の入院も経験されたとのこと。

販売するものの品質は決して「障害者が心を込めて授産施設で作ったものを買ってもらう」レベルのものではない。食品類は一流のシェフの指導を受け、市場で十分に戦える質を備えたものなのだ(実際に賞味して納得できた)。中身を伴った製品なので、病院に来る子どもたちや親たちにも人気である。

いま、このプロジェクトは事情があって拠点を移すことになり、A子さんたちはそちらの設備投資にかかる経費の調達に苦戦されている様子だ。非力な私であるが、貧者の一灯程度にでも、何かしらお手伝いできないものか考えている(自分自身が年末、不覚にも右足小指を骨折してしまったので、アクティヴに動けそうもないが...)。

A子さんの意図は障害福祉の枠にとどまらず、このプロジェクトを通じて、多くの市民たちの共生の場を広げていくことにある。この運動が実現すれば、障害を持つ人たちや、引きこもり・ニートの人たちや、病弱な子どもたちや、さらには外国にルーツを持つ子どもたちや、介護が必要な高齢者も含め、多様な属性を持つ人たちへの偏見や差別が次第に力を弱めていき、やがては誰もが住みやすい地域になる。

それだけの大きな意義を持つ計画に長年取り組んでいるA子さん自身は、受ける報酬が極めて低い。献身や自己犠牲の姿勢なくしては続かないであろう。それが事業に対する「正当な評価」の観点から望ましい姿なのかはひとまず措いて、誰かがやらなければ前進しないことも、また現実なのだから。

何よりも素晴らしいのは、そのお店を軸としてA子さんの周囲に集まる人たちが、笑顔にあふれていることだ。彼女と同じ空気を一時間吸っただけで、心がポカポカと温まるのを感じた。

A子さんの生きかたは、どれだけ多くの人たちに幸せをもたらしているだろうか? 本ブログで以前から言及している、人を傷付けて稼いでいる連中とは対極にあることは、いまさら言うまでもないであろう。

コルカタの聖テレサの名言で、「心のともしび」の標語にもなっている言葉が頭に浮かぶ。

「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けなさい」

A子さんがその仲間たちと手を携えて、難局を乗り切り、住みよい地域を創り上げていけることを、心から祈りたい。

2019年12月18日 (水)

人と会い、人と語り(8)

中高年(むかしなら、すでに「初老」と呼ばれていた年齢だが...)の私としては、これから自分の交流範囲が縮小しないように、そろそろ心掛けないといけない時期だ。

特に、母の介護を契機にいろいろな役職から退いたこともあり、気軽に語り合える地元の業界仲間も減少している。

しかし、良い時代になったもので、ブログやSNSを媒体として、日本全国の業界内外の仲間とのお付き合いがとても容易になった。〇〇県の△△さんが直近に何をしていたか、お互いに知り合うことが可能になっているのだ。私が20代のころには、物理的な距離感が大きいことが交流を妨げていたが、いまは離れていても身近に感じるのは、ネットの恩恵であろう。

そんなわけで、今年も自分の開業18周年を口実に、来られる方に来ていただき、飲み会をしようと心組んでいたが、自分の都合で結構時期が遅くなってしまった。11月23日(土)勤労感謝の日に、お互いの労苦へのねぎらいを兼ねて開催。

20191123nomikai

お集まりくださった方々は2県6名。三年前(午後の企画とセット)は14都府県62名、二年前は5道県11名、昨年は4県8名だったので、次第に矮小化(?)しつつある(笑)。ご参集くださった方々には心から感謝の意を申し述べたい。

鈴木さん(長上苑。右から三人目)、中山さん(トーケイモータース。左端)は四年連続。久保田さん(聖隷クリストファー大。左から三人目)、平田さん(シリアヴィラ・パトリ。右奥)は三回目である。それぞれ、本ブログに過去複数回ご登場願っている。

初のご参加はお二人。小池美枝子さん(右から二人目)は名古屋市でケアマネジャーをされており、スペイン語を生かして外国人支援にも携わっておられる方。大貫芳夫さん(右端)は生活クラブ生協の配達を担当され、市民活動団体とも協働されている方だ。お二人とも視野がお広くご見識の高い方であり、私はFacebook等の場で学ばせていただいている。

今回は初対面の方同士に意外なつながりがあったことが判明するなど、インティミットで佳い時間を持つことができた。

仕事も活動も異なる人たちが集って、お互いを尊重しながら意見交換をするのは素晴らしいことであり、今後もこの種の「自前企画」は、時期を見ながら続けていきたいと考えている。

さて、すでに読者の方々にはご存知の通り、私はときどき首都圏や関西へ出掛けて行く。浜松に居るだけでは生活が単調になるため、刺激を求めて業界内外の若い方々と交歓したい気持ちがあるからだ。

この冬にも、12月10日(火)、東京まで泊り掛けで「出張」してきた。

20191210shinjuku

画像のお二人は、用心棒稼業の怪しい方々ではない。左の方はアームレスリング、右の方は空手を身に着けておられるので、まぁ格闘家と言えないことはないが、「趣味・特技」ぐらいかな?(^^;

以前のエントリー、「人と会い、人と語り」の(2)に登場された練馬(ご出身は石垣島)の「ミッキーさん」=奥平幹也さん(左)と、(6)に登場された沖縄の「カルロスさん」=玉城竜一さん(右)である。

ちょうどカルロスさんが認知症指導者研修のため在京されていたので、それなら双方にとって旧知のミッキーさんと席をご一緒しましょうか! とお誘いして、お二人にご快諾いただいた。「暗い酒場の片隅(?)」状態だが、ミッキーさんがご存知のリーズナブルな店で会食。

カルロスさんが参加されている研修成果を今後どう活用するか、ミッキーさんが取り組まれている人材育成の課題と展望はどんな状況か、首里城再建や沖縄の現況をどう見るか、などがおもな話題になった。

二時間程度の間に、それぞれのお立場からの、たいへん有益な情報をいただき、意見交換することができた。特に私が再確認できたことは、「優れた人は、相手や対象になる人や組織の側がどうしてほしいかを、常に考えて行動する」点である。自営業の私は、気が付かないうちに、振舞う姿勢が自事業所本位に傾いているかも知れない。自分自身を振り返って心したい大切な部分だ。

漫然と仕事を続けている人たちと中身の薄い談話をするより、お金や時間を掛けても、普段なかなか会えない人たちと中身の濃い話を展開するほうが、あとに残る充実感ははるかに大きい。

さて、今回の東京行きは定休日(水曜日)をはさんで二泊したので、11日にも他のところへ足を延ばした。これについては、別の機会に稿を改めて書きたいと思っている。

2019年12月15日 (日)

片付け下手の断捨離(6)-世界の歴史等の書籍いろいろ

前回より続く)

私の興味・関心は日本史・中国史にとどまらない。少年時より、広く世界各地の歴史・文化・宗教について学びたく思い、半世紀の間、さまざまな概説書や史伝・史論、文学作品、さらに政治・経済関係などの書籍を買い集めてきた。

シリーズものであったり、ア‐ラ‐カルトであったり、古代から現代まで、アジア・アフリカ・欧米(ヨーロッパや北米)・中南米、そしてオセアニアまで含め、各地に関連する書物群が書庫を満たしている。自分が学生時代にカトリックへ入信したこともあり、比率ではヨーロッパのキリスト教圏関係の割合が多い。

ラテン語、アラビア語、サンスクリット語、あるいはユダヤ語などは、古典中国語(漢文)と違い、読解できないので、原典はさすがに置いていないが、古典(歴史・文学)の訳本はいろいろ入手して読む機会があり、書棚の一角を占めている状態だ。

Sekaishi

書店で実際に手に取ってめくった上で、自分が「ぁ、これ手元に置いておきたい」と思ったら(お財布と相談しながら)買っていたので、古いものはすでに絶版になっている書籍もある。30代以降は近現代の政治史が増えてきたが、このところ、ネットでいろいろ調べられるようになってきたこともあり、新たな購入はまれになった。

とは言え、貯まっている書籍の整理をどうするかは、一つの大きな課題となる。

すぐに手離しても良いのは、時代遅れになっている書籍。ヨーロッパ中心史観を踏まえた史論とか、最新の研究がなされる前の年代前提に記載されている古代の概説書とか。それ以外は、それぞれの分野や主題に関する優れものが多いので、断捨離には悩むところだ。

ただ、いずれ何年か先には、事務所に置いてある介護・保健・医療・福祉関係の書籍を、自宅に移さなければならなくなるだろう。それに備えて、自宅に保存しておいても意味が薄いものから、順次お払い箱にしていこうと考えている。

さて、年末年始も間近なので、「断捨離」の話はいったん打ち止めにして、2月あたりから再開したい。

2019年12月 9日 (月)

片付け下手の断捨離(5)-日本史関係の書籍

前回より続く)

歴史全般、と言いながら、日本国民として生まれ育ち、この国に住んでいる以上、日本史(国史)に関連する書籍を多数所蔵していることは、言うまでもない。

特に、中世以降の時代に係る、おもに名家の系譜などに関する書物・典籍や、各種事典類など(画像)は、自宅で一通りの調べ物ができるほどの蔵書がそろっている。また、個別の主題に関する史論や、個人の史伝も、相当な分量になる。

全国にわたるものが多いが、地方史に関する書籍もかなり収集している。多いのは上杉家/米沢藩、伊達家/仙台藩、毛利家/長州藩、島津家/薩摩藩、佐竹家/秋田藩など。これらのうちの一部は、それぞれ現地まで出向いて入手している。各地へは旅行と抱き合わせで、調べ物にも赴いているのだ。

Kokushi

かれこれ合計すると、書庫三つ分ぐらいになるので、今後どう整理するのかは大きな課題だ。

まず、事典類や典籍類は古いものでも安易に捨てられない。手離したら最後、市や県の図書館まで出向いても、同じものが閲覧できないこともある。自宅にこれだけのものがそろっていること自体が、一つの大きな価値なのだ。

とすれば、整理するのは史論や史伝類からなのだが、これもなかなか捨て難いので、あまり簡単に断捨離とはいかない。処分するとしたら、単なる読み物の類か、時代に合わなくなった古い史論・史伝ということになろう。ただし、自分がどこまで本気になって書庫を整理できるか...

どうやら、このジャンルの書籍は、自分が動けなくなるまで保存することになりそうだ。

次回へ続く)

2019年12月 4日 (水)

片付け下手の断捨離(4)-ヴェルディ歌劇のCD・DVD

前回より続く)

音楽や舞台芸術の分野に限らないが、天はときどき意図したように、対照的なライバルを同時に世に登場させる。同じ1813年生まれのヴェルディとワーグナーも、その好例だ。

私がヴェルディの歌劇に接し始めたのは、ワーグナーよりはちょっと遅いが、それでも中学生のときには両親に頼んで、『アイーダ』『椿姫』のLPレコードを手に入れた。この二つは頻繁に、歌詞カードを見ながら当時のプレーヤーで聴いていたので、いまでも字幕なしの映像で楽しめるほど、細かい部分の台詞まで大枠は頭に入っている。

その後はあまりヴェルディに関心を持たなかったが、30代半ばころから、ワーグナー一辺倒もいかがかと思い、少しずつヴェルディのCDやLDの収集を増やし始めた。最近はワーグナー同様、CS放送からBDに録画することも多い。

Verdi

ヴェルディは何と言っても作品数がたいへん多く、ヴェルディ自身により後日改訂されたものの前・後を合わせて一つと数えても、歌劇の数は全部で26に及ぶ。私が好きな順に挙げると、『ドン‐カルロス』『シモン‐ボッカネグラ』『ファルスタッフ』『トロヴァトーレ』『運命の力』といったところである。意外にも幼少時から聴いている二作はベスト5に含まれていないのだ(笑)。

先般、イタリアではヴェルディ生誕200周年を機に、「トゥット‐ヴェルディ」なる企画が持たれ、全26歌劇および『レクイエム』の27作品が相次いで上演されて、それらのDVDが販売された。日本でもCSのクラシカ‐ジャパンで放映されたので、その期間だけ(笑)同チャンネルを契約、全部録画して保管してある。

こんな具合であるが、あまり貯めてもケースに眠っているだけのものが出てきてしまう。そこで、自分で一応のルールを定めて、「同一作品が5つを超え」たら、古いもの、またはあまり魅力がない歌唱や演出のものから順次処分することにした。いま、収納ケースからCDはあらかた無くなり、ほとんどBDとDVDだけになっている。

最近は前衛的な演出が増えたが、ヴェルディ作品の粋は主役級の歌手、特にバリトンの歌唱である。私は保存するときに、バリトンの歌唱の出来具合を一つの判断基準にしているので、演出の巧拙はそれほど重視しない。それでも、なるべく各作品に最低一つはオーソドックスな演出のものを残して、個性的な演出のものと比較しながら、それぞれの良さを楽しみたいと思っているのである。

次回へ続く)

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