「山形のほうへ車が、やぁ!まがった」「米沢には、用ねえだわ...」
【史料好きの倉庫(6)】
今回は「山形県の主要大名」の解説である。
何度か来県。米沢へは市立図書館の上杉家関係資料の閲覧を兼ねて行ったり、いまは亡き母に同伴して市内を散策したり、合わせて4回ほど訪問した。他にも山形をはじめ、鶴岡、松山、新庄、天童、上山と、江戸期の城下町はおおむね、それぞれ一度は観光している。
山形県は置賜、庄内などいくつかの地域に分かれているため、史料もそれぞれの地元に分散している。戦国期から村山、最上地方を支配した大大名の最上家は、江戸前期に解体されてしまい、服属していた諸家が離散したことにより、家史の追跡が難しくなっている面は否めない。私は行ったことがないが、県の図書館より山形大学に多くの史料が所蔵されている。また、米沢藩の一門・諸士の系譜は「上杉文庫」所蔵の史料や『上杉家御年譜』でたどることができる(画像は私が所蔵する同藩関係の書籍)。
◆最上家=羽州探題
奥州探題大崎家から分かれ、出羽の探題職を世襲した家。戦国期に入ると探題の威権も有名無実となったが、義光が周囲の諸大名と抗争しつつ、山形城を拠点に勢力を確立し、関が原の戦で徳川方に立ったため57万石に大増封された。しかし、中世期の支配形態を引きずった結果、1622年、義俊のときに重臣たちが反目する内紛のため改易されてしまう。末尾に1613年頃の重臣配置を掲げたが、一万石以上の支城主が14~15人もおり、いわば諸侯連合の状態だったのだ。近世大名に脱皮できなかった家の悲劇である。
◆米沢藩=上杉家
越後国主であった上杉輝虎(謙信)の跡を継いだ景勝が、豊臣政権下で会津120万石に栄転。ところが関が原の戦後処理で米沢30万石に大減封され、さらに1664年には藩主急死の際に継嗣がいなかったことから、綱憲以降は15万石に減封された。再三の縮小を経て藩は深刻な財政難に陥ったが、治憲(鷹山)が曲折を経ながらも再建に成功しており、明治維新まで継続した名家の一つとなった。分家の米沢新田藩・上杉家は実質的に本家からの蔵米支給であったため、当主名と官位のみを掲げた。重臣では初期の家老・直江兼続(新潟県のページ参照)の死亡を最後に、1万石以上を領知する者は存在しなかった。
◆山形藩
鳥居家以降の藩主を掲げる。松平(結城)家や堀田家のように、転封のため同じ家が複数回藩主になった場合には、「前期」「後期」等と区分した。また水野家のように明治に入ってから他地へ転じた藩主については、最終封地の箇所で廃藩後の官職や爵位を記載した。
他藩・他県の場合も同様な扱いとした。
◆庄内藩=酒井家
徳川「四天王」の一であり、酒井忠勝(老中・小浜藩主とは別人)が1622年に入封してから、ずっと庄内に定着した。譜代大名中の大家であり、支藩として松山(松嶺)藩が存在したが、重臣は石高が多い者でも2,000石程度にとどまった。
◆村山郡内 本多領
事典類では「村山藩」と称する場合が多いが、この藩は横須賀藩主(静岡県のページ参照)であった本多利長が、不行跡のために配流されて、村山郡内の1万石のみをいわば「堪忍分」として与えられたものである。左遷大名の極小藩だったが、次の本多助芳(信濃飯山藩)へつなげるために項目を立てた。
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