「北の大地は寒いです...」「ほっか!いどう...しましょうか(^^;」
【史料好きの倉庫(1)】
一応完成したHPのコンテンツ、「主要大名」の一覧。逐次、校正を加えながら、ダジャレのタイトルに乗せて紹介していきたい。
初回は「北海道(蝦夷地)の主要大名」の解説である。
「日本」の一部になるまでには、長い時間がかかった蝦夷地≒北海道。実際に私が函館から松前、上ノ国まで旅をしたのは、ずっと昔のこと。自宅で『エゾの歴史』(海保嶺夫、1996講談社選書メチエ。下の画像)をはじめ2~3の書籍を読みながら、調べた部分が多い。アイヌ民族共同体の歴代首長の名前などが判明していたら掲載しようかとも思ったのだが、残念ながらコシャマインとかハシタインとかチコモタインとか、近世のシャクシャインとかオニビシとか、一部の著名な指導者が断片的に知られている程度なので、「大名」に数えなかった。

◆蠣崎家→松前藩
蝦夷地の大名と言えば松前藩だが、同藩(松前家)が蝦夷地全域の支配権を認められたのは、近世に入る時期である。中世には安東家(秋田県のページ参照)が宗主権を持っていた。戦国時代に松前家の前身である蠣崎家が領主として支配を拡大し、江戸期に入って大名格の交替寄合、後に大名になったものである。松前家の伝統的な系図では若狭出身の「武田庶流」に入れているが、実際には田名部一族かとも言われ、出自ははっきりしない。江戸後期の松前章広のとき、一時的に関東や南東北へ領知を移され、後に蝦夷地へ復帰し、幕末まで領地の一部変更はあったが、明治維新まで続いた。本稿では蠣崎家時代から通し番号を付けてある。
◆有珠郡支配 伊達家
◆空知郡→当別支配 伊達家
◆幌別郡支配 片倉家
この三家は仙台藩の一門・重臣であり、戊辰戦争の敗北によって所領を失い、家臣たちを食べさせていくことができなくなったので、明治政府に志願して北海道開拓に着手した。1871年には「所領」としての支配は終了したが、旧藩士たちが引き続きそれぞれの土地で開拓に従事しながら、現在に至る地域、自治体を築き上げている。
◆静内郡支配 稲田家
もと徳島藩家老。淡路洲本城代だったが、幕末の騒動のため藩と修復困難な状態になったことが原因で、明治政府のもと兵庫県貫属とされ、上記の三家同様、北海道開拓に従事した。
このように、47都道府県のページを一つずつ解説していく。なお、次回(青森県)からは、作表するとき特に留意した一部の家や藩だけについてコメントする。割愛した分についてはご容赦されたい m(_ _)m
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