「秋田縦貫鉄道、あ...きた!」「角館まで雪ん中突っ走る、かくごだで!」
【史料好きの倉庫(5)】
今回は「秋田県の主要大名」の解説である。
過去、同県には三回訪れている。秋田市には旅行で二度宿泊(それぞれ2~3泊した)、そこから角館、横手、能代、由利本荘などへ足を延ばした。直近では7年前の2月、積雪の北秋田市から介護保険「給付適正化」の講師として招かれ、市内の介護支援専門員を対象に講義をしたことがある。タイトルのダジャレはその実体験から思い付いたものだ(^^;
また、画像もその講義の中で使用したもの。ケアマネジャーと介護サービスとを別々の組織が担う「第三者機関主義」について説明する際に、秋田藩が一か所の要地周辺に二家の重臣を並立配置して、相互に「モニタリング」させた史実を引用したスライドである。
秋田県関係では、戦国期までに歴史の舞台から消えた大名家の系譜に、解明されていない部分が少なくない。一部の中世大名家や秋田藩については、県の公文書館に系譜が多く所蔵されている。ただし、藩士の系図集がまとまった形で編纂されたわけではないので、重臣でも系図が残っていない家もある。
◆安東→秋田家
後世、安倍氏の後裔を称していたが、実際には鎌倉期に蝦夷地一帯を管領していた安藤家の系統である。下国系と湊系とに分かれ、後者が戦国秋田家となって両系を統一した。近世の三春藩(福島県のページ参照)につながる。
◆戸沢家
◆小野寺家
この二家のように、伝えられる系譜に問題があっても、新たな史料でも発見されない限り、真相はヴェールに包まれてしまうことも少なくない。ひとまず歴代表は掲げたが、私が備考欄に疑義をコメントしたことからもご賢察の通り、史実の上での正確性を保証するものでは全くないことをご了解の上で、参照されたい。
◆六郷家→本庄藩
戦国期には仙北郡六郷の領主。政乗一代で常陸府中→出羽本庄へと転じた。旧領復帰ではないが、広い意味での羽後地域、現在の秋田県内への復帰であり、そのまま明治維新まで存続したため、例外的に通し番号を付けた。
◆秋田藩=佐竹家
常陸(茨城県のページ参照)の大大名であり、諸大名の中でも屈指の古い家柄であった。関が原の戦後、石田三成寄りの中立であったことから懲罰的に久保田城へ転封され、江戸期には現在の秋田県の大部分を統治して、明治維新まで継続した大藩である。
◆角館所預 佐竹家
◆佐竹(東)家
◆湯沢所預 佐竹家
◆大館城所預 佐竹家
いわゆる佐竹四家。角館佐竹は「北家」、湯沢佐竹は「南家」、大館佐竹は「小場家」と称される。東家だけは所預(ところあずかり)ではなかったが、藩政初期には増田に在城していたこと、他の三家と比較して一家のみ載せないのは妥当でないと判断したことから、四家とも当主名を掲載した。万石待遇とは、各家が一万石級の供連(ともづれ)など戦国期以来の格式を保っていたことが、藩内のみで通用していたものだが、秋田藩が戊辰戦争で新政府側に参戦して功があったため、四家はいずれも明治政府から一万石以上格を追認されて、男爵を授けられている。
◆矢島藩=生駒家
讃岐一国を四代にわたって領知した生駒家は、高俊のとき御家騒動のため領国を没収され、配流の形で矢島に1万石を与えられた。次の高清の代からは分知により8,000石となったため、幕末までずっと交替寄合であった。生駒親敬が戊辰戦争で新政府側として戦ったため、戦後15,200石に高直しされ、いわば滑り込みで大名に列したものである。したがって、江戸期は大名でなかったのだが、初代と最後の当主が大名であるため、間をつなぐ意味で歴代表を掲げた。
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