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2020年2月26日 (水)

「栃木の相手...と、ちぎりますか?」「宇都宮で想い人を、撃つのみや!」

【史料好きの倉庫(9)】

今回は、「栃木県(下野)の主要大名」の解説である。

過去、三回しか訪れたことがない。一回目は学生時代、まだ洗礼を受けていない時期に、教会の合宿に参加して那須に宿泊、信徒の皆さんからいろいろとご教示をいただき、受洗に至った貴重な機会だった。二回目は30代前半、日光まで職員旅行。三回目も30代前半、東北へ向かう途中で宇都宮に立ち寄り、二時間程度散策した。あとは新幹線での素通りばかりで、他の城下町へも行ったことはない。

栃木県をかつて下野(しもつけ)の国と称したのは、毛野(けぬ)の国を二つに分けて、栃木県側を下毛野(しもつけぬ)と呼んでいたのが、転訛したものだ。 那須地方の諸大名・豪族が変転しながら戦国期を抜けて生き残り、それぞれ小藩や交替寄合として江戸期に存続しているので、系譜を地元で調べることができる。宇都宮家や小山家は水戸藩士となったので、正式な系譜は『水府系纂(茨城県のページ参照)』等に収録されている。他の戦国大名諸家や江戸期の諸藩の系譜史料は、県文書館(未見)や県立図書館に散在するが、個別に調査する必要がある。

◆小山家
鎌倉期から南北朝期にかけての下野守護。14世紀末に小山若犬丸が鎌倉公方に討滅され、その後は結城家から泰朝が入って復興したものの、勢力は減退して下野の一大名となり、戦国末に至って豊臣政権により所領を没収された。

◆宇都宮家
下野の中心部を支配し、屋形号を称しているので、世襲の守護家であったかのように誤解されているが、南北朝期のわずかな一時期、守護に任じられたに過ぎない。室町期には大勢力であったものの、戦国期に入ると守護代の芳賀家や被官の壬生家らの勢力争いにより、統制力を欠くことが多く、豊臣政権による内紛への介入を機に、改易されてしまった。

◆那須家
那須与一(源平合戦に登場する弓の名人)の家。那須一党の主家であり、子孫は上庄那須家と下庄那須家とに分かれ、後者が家を統一したが、戦国期には家臣・大田原家の策謀に翻弄され、豊臣秀吉の小田原攻めに伺候しなかったため没落した。江戸期に入って大名に返り咲くが、養子相続の不手際が二度も発生し、最終的には小禄の交替寄合として存続を許されている。

◆大関家→黒羽藩
鎌倉期から「那須七騎」の一家として一党の一角を担っており、戦国期の大関高増以降は大田原家の血統になったが、豊臣政権により本領を安堵され、江戸期にはそのまま黒羽藩として明治維新まで存続した。初代から通し番号を付けた。

◆大田原家→大田原藩
鎌倉期から「那須七騎」の一家として一党の一角を担っていたが、戦国期の資清・縄清(つなきよ)のとき勢力を拡大、子弟で大関家や福原家を乗っ取り、主家の那須家をも圧倒する勢力を築いた。豊臣政権により本領を安堵され、江戸期にはそのまま大田原藩として明治維新まで存続した。初代から通し番号を付けた。

◆足利(小弓公方)家→喜連川藩
足利義明は古河公方・足利高基の弟であり、房総の諸豪族の支援を受けて独立し、兄に対抗して小弓公方を称するが、北条氏綱に敗死して中絶した。義明の孫娘である島子は下野喜連川の領主・塩谷惟久の妻となったが、小田原の陣に際して夫が城を捨て逃亡してしまったので、豊臣秀吉の側室となり、喜連川を化粧料として秀吉からもらい受け、実家の弟・国朝に相続させることができた。国朝、のち弟の頼氏が古河公方本家の氏姫と結婚したので、両者が統一されて古河公方を継承する「喜連川公方家」が誕生したのである。江戸期に入っても徳川家の全き臣下ではなく、客分扱いとして特例による存続が認められ、5,000石ながら10万石並の格式を保っていた。

◆烏山藩
上述の那須家を含め、何度か藩主家の交替があったが、1725年に大久保家(忠為流。九代将軍・徳川家重の母の家系と同祖)が入封して定着した。宇都宮一族で栃木県内に返り咲いた唯一の大名家(旗本には何軒かあるが)である。なお、旧藩主家の当主・大久保忠俊先生(医師)は、ご尊父の代から浜松に在住されている。

◆茂木藩
◆佐野藩
江戸期の諸藩(特に家門・譜代諸藩や外様の中小藩)は所領を遠隔地に分散して与えられていることが多い。そのため、茂木藩主細川家は1643年以前-1871年の間、常陸矢田部を居所とし、また佐野藩主堀田家は1698年-1787年の間、近江堅田を居所としている。このような場合には、実際に陣屋が置かれていた側の都道府県で歴代表を参照できるように、表記を統一し、双方にリンクを貼ってつなげた。

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