「宮城のお...みやぎぇ...は、いくつ?」「仙台で購入したのは、千だい!」
【史料好きの倉庫(4)】
今回は、「宮城県の主要大名」の解説である。
最初に訪問したのは修学旅行のときで、仙台に三泊して周辺を観光した。その後、用事や旅行で数回来県。白石・登米・亘理・涌谷などの地方都市にも足を延ばした。
宮城県関係では、仙台藩の『伊達世臣家譜(正・続)』に藩士家の歴代当主や伊達家との関わりが略述されており、特に伊達家の「一門」は「御客大名」とも称され、江戸期になって領地こそ移転させられたものの、藩内の要地を封邑として統治していたので、戦国期以前からの系譜をたどることができる。他方、戦国期までに終焉を迎えた諸家については、不分明な点も少なくない。
◆大崎家=奥州探題
室町時代、一時期の例外を除き、陸奥国には守護が置かれなかった。そのため、管領・斯波家の庶流である大崎家が探題に任命され、奥州を統括する役割を果たした。現実の探題職は伊達家や南部家の勢力拡大により形骸化し、戦国期には一大名の立場を超えるものではなく、豊臣秀吉の仕置により歴史を終えた。
◆葛西家
宮城県の戦国大名の系譜をたどる上で、一番の難物はこの葛西家である。十種以上ある葛西の諸系図は、大きく盛岡系と仙台系とに分かれ、鎌倉・室町期の当主名はほとんど別人の名前ばかりが続いている。登米寺池系と石巻系との対立、伊達家の介入、豊臣秀吉の仕置による宗家の滅亡などが、混乱を招いたおもな理由であろう。本稿では、はじめ両系譜を一本化させて歴代表を記載したが、無理があると判断し、両系それぞれの継承を推定しながら、ひとまず現在の形に歴代表を改訂した。
◆国分家
平氏からいつの間にか藤原氏に入れ替わっているが、南北朝期を境に交替したとも推定され、その後の系譜も錯綜している。本稿では、はじめ平姓系図をもとに一系として歴代表を記載したが、無理があると判断し、二つに分けた上で、戦国期の藤原氏国分家については、より現実的な当主の在任を推定しながら、ひとまず現在の形に歴代表を改訂した。
◆木村家
豊臣秀吉の取り立て大名。奥州仕置に失敗して改易され、その後は豊後国内に封じられているので(関が原の戦で失脚)、最終封地は大分県であるが、地名未詳であることから宮城県のページで取り扱った。
◆伊達家→仙台藩
鎌倉期の信達(信夫郡・伊達郡)時代に始まり、領土の拡大、縮小、変更を経ながらも、途切れ目なく明治維新まで継続した大家(藩)である。そのため、通し番号は信達時代から一貫させ、かつ政宗までは福島県のページにも重複させて掲載した。
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