「茨城出身でも、威張らん気?」「水戸では、みと...もないことしません」
【史料好きの倉庫(8)】
今回は「茨城県(常総)の主要大名」の解説である。
学生時代に加入していた研究会の合宿で、五浦温泉(いまの北茨城市)を訪れたのが最初であるが、そのあと2014年までの間に訪県したのは一度(30年ほど前)だけである。直近では2015年の4月と5月に研修講師としてお招きいただき、お邪魔する機会を得た。城下町では水戸(画像)しか行ったことがないので、一生のうちにもう一つぐらい訪問できるといいなと思っている。
茨城県は「常総(市ではなく広域の名称)」と称される通り、常陸国と下総国北部とで構成されている(ただし、下総国全体=千葉県北部や埼玉県・東京都の東辺まで含む=を合わせて「常総」と呼称する場合もある。ここでは千葉県=房総=と対比して茨城県を「常総」と称する)。中世の各地域には中央(幕府・京都)とつながりのある大名豪族も少なくなかったので、一般に良く知られている同時代史料でも活動状況が把握できる。他方、少なからぬ大名豪族は江戸期に入り、佐竹家や結城家(越前松平家)に随従して転出しているため、家譜に関する史料が秋田県や福井県に残されている家も相当数存在する。水戸藩士の系譜は、彰考館に所蔵されている『水府系纂』に詳しく、中山・山野辺・鈴木をはじめとする家老の系譜はもちろん、介さん(佐々家)や格さん(安積家)も収録されている。県立歴史館(未訪問)は近世以降の史料が中心。
◆佐竹家=常陸守護
平安朝末期からの名門だが、常陸守護に任じられたのは南北朝期以降である。関ヶ原の戦後、秋田へ転封されるまでの歴代表を掲載。
◆常陸大掾(ひたちのだいじょう)家
「大掾」は国司の三等官に当たる官名である。常陸に土着した家祖の平維幹以来、この官に任じられる者が多く、やがて律令制が崩壊すると、世襲の官名→家名となった。1590年、佐竹家に攻撃され滅びるまで、歴代当主がいずれも、形式上は常陸大掾を名乗った。
◆結城家
下総北部の大勢力であったが、結城持朝が結城合戦で敗北したことにより一時滅亡。成朝が再興して戦国期を生き抜いた。晴朝は徳川家康の二男・秀康を養子にしたが、秀康は関が原の戦後越前に栄転した。晴朝は秀康の五男・直基に結城家の系譜・祭祀を継承させることができたものの、越前(福井)松平家の家臣団が再編成されたことにより、家中の構成は全く戦国期から変質してしまっている。
◆江戸家
水戸を居城として、佐竹家に従属あるいは離反(独立)しながら、戦国末まで存続した有力大名。当初の脱稿時に欠落していたので、校正後に補った。
◆水戸藩
徳川御三家の一つ。はじめ徳川家康の五男・武田信吉が封じられ、穴山家の系図を継いで武田の宗家を自任するが、若死にして後嗣がいなかった。その後は名義だけの藩主だった徳川頼宣を経て、弟の徳川頼房が藩主に封じられたため、武田の遺臣たちも頼房に仕え、その他、関東や東海の豪族等が重臣に採用され、家臣団の中軸を形成した。なお、光圀と斉昭とは没後、明治新政府から従一位・権大納言を追贈されているが、生前の「勤皇の功績」を賞されたものである。
◆宍戸藩
松平家は水戸徳川家の支藩であった。幕末、松平頼徳は宗藩・水戸の内紛鎮定に失敗して切腹させられた。そのため藩は中絶したが、父の松平頼位が明治新政府から復家を許された。
◆松岡藩/手綱藩
中山家は水戸藩のいわゆる「附家老」であり、江戸後期には常陸松岡に居所を置いたが、事実上、松岡城と称され、城主格に準じる立場であった。大名に列せられたのは明治に入ってからである(尾張藩や紀伊藩の附家老も同じ)。
◆助川海防城主 山野辺家
山野辺家は水戸藩の家老。助川海防城は幕末に設置された戦時用の城郭であり、山野辺家の城主時代は28年間にとどまったので、当主名・官位のみを掲げた。
◆志筑藩=本堂家
本堂家は戦国期には出羽本堂(いまは秋田県)の領主であり、関が原の戦後に常陸志筑へ転封、代々交替寄合であった。明治に入って新政府から高直しされ、大名に列したので、江戸期は当主名・官位のみを掲げた。
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