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2020年3月20日 (金)

「東京に転居する、ときよぉ(^^*」「江戸に来れば、えぇど!」

【史料好きの倉庫(13)】

今回は「東京都の主要大名」の解説である。

学生時代、5年間(大学4年、社会福祉の学校1年)都の住民であった。はじめの2年は世田谷区三宿(画像左の建物の場所にかつて存在した学生用宿舎)、あとの3年は豊島区雑司ヶ谷である。卒業後は最低でも年二回、多いときには年数回出向いている。泊まり掛けで行くこともしばしばだ。

東京都は埼玉県同様、関東武士団の拠点であったが、中世の氏族の多くは北条家に敵対するか吸収されるか、その関わりの中で存続してきた。そのため、北条家の滅亡に伴って大部分は解体されてしまい、各地の史料は断片的にしか残されていない場合が多い。徳川家の直轄領となった江戸周辺に、独立した大名はほとんど存在しなかった。江戸中期に徳川宗家から御三卿が分出し、それらの家譜は続群書類従完成会がまとめた『徳川諸家系譜』に掲載されている。江戸に在府した高家や上級旗本の系譜は、『寛政重修諸家譜』で参照することができ、中には東条吉良家のように中世から存続した家もある。東京で史料の調べ物をするのならば、何と言っても国立国会図書館が最適で、東京都に限らず広く全国の大名・豪族等の系譜を閲覧できる。

20140727mishuku

◆豊島家
桓武平氏秩父一党の在庁官人。鎌倉期には有力御家人の一であり、室町期にも勢力を保ったが、戦国期に入る直前の豊島泰経を最後に、惣領家の動向は知られなくなった。江戸期に旗本となった豊島家は惣領家の後裔を称するが、途中のつながりが同時代史料により確認できないので、記載しなかった。

◆江戸家
桓武平氏秩父一党。南北朝~室町期に惣領家の活動が知られる。その後、傍系の木田見家が北条家に従属して存続し、江戸期にはそのまま徳川家に仕えて喜多見と改称したが、将軍・徳川綱吉の側衆となった喜多見重政が大名になった後に、怠慢を咎められて改易されてしまった。

◆吉良(東条)家
「吉良」と言えばまず三河の吉良(西条)家が挙げられるが、こちらの東条吉良家も同じ足利義氏を祖とする。吉良貞家から三代にわたって奥州探題を務め、頼氏以降は武蔵世田谷の城主であった。江戸期には門地の高さから高家として遇され、幕末まで存続した。

◆徳川(田安・一橋・清水)家
すなわち御三卿である。
当主は江戸城内に居住して、まとまった所領を知行していなかったが、諸省の卿に任官し、将軍位の継承権を有していた。一橋家からは家斉・慶喜と二人の将軍を出している。田安家と一橋家は明治初年の短期間であるが、藩として認められたので、歴代表を掲載した。清水家は当主が他家へ転出するなど、しばしば継承者を欠いて中絶しているため、当主名と官位のみを掲げた。

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