「千葉が、い...ちば...ん走りやすい!」「房総で暴走はダメよ(^^;」
【史料好きの倉庫(12)】
今回は「千葉県(房総)の主要大名」の解説である。
残念なことに、この県だけは近世の城下町へ一度も行ったことがない。中世千葉家の本拠から門前町に化した千葉市へは過去二回ほど訪れているが、東京にいた学生時代から数えても、県内へ出向いた記憶は合わせて数回程度だ。
千葉県は「房総」と通称される。中世の諸大名がおおむね戦国末までに滅びてしまったため、千葉家や里見家を含めて、当主継承の経緯の一部が不明瞭である氏族が多く、異同の多い系譜史料を参照して史実を割り出す作業が必要になる。一括して調べるのならば、県文書館より県立図書館のほうが良い(むかし私が行ったときには西部図書館に歴史関係のおもな蔵書があったが、いまは東部図書館へ移動?しているようなので、要確認!)。近世の諸大名はほとんどが譜代藩であるため、藩主各氏の系譜は『寛政重修諸家譜』等に詳しい。
◆千葉家=下総守護
平安朝時代からの在庁官人の家。鎌倉後期に下総と肥前とに分かれ、宗家は代々下総守護職を継承したが、戦国期に滅びた。傍系の馬加/岩橋系が取って替わり、事実上の千葉宗家となって戦国末に至り、北条家と運命をともにして終焉を迎えた。
◆原家
千葉家庶流。宗家の系統が入れ替わっても、重臣の立場で勢力を維持、北条家の傘下に入って領域を支配したが、胤義は北条家と運命をともにして家領を失った(自害?)。
息子の胤信は徳川家康に仕えて駿府城付きの近習となったが、駿府の女官おたあジュリアらの勧めでキリシタンに入信、出奔するも逮捕されて両足の腱を切断され、駿府から追放された後に(おそらく信徒たちの支援を受けて移動し)、江戸のハンセン病院で働いていた。1623年、福者ガルベス神父、福者アンジェリス神父、福者シモン遠甫修道士らとともに逮捕され、12月4日に札ノ辻で火刑にされ、殉教の栄冠に輝いた。2008年、ローマ教皇ベネディクト16世から列福され「福者(beatus)」の称号を贈られている。
◆里見家
後代の小説『南総里見八犬伝』で知られる。俗説では三浦半島から安房へ渡った里見義実が初代とされているが、義実・成義の二代は実在不明であり、現実の歴史に登場するのは義通からである。義弘のとき上総も制圧して二国の主となったが、義康のとき豊臣政権によって安房一国に縮小され、次の忠義が伯耆へ配流されて里見家は解体された。
◆正木家
里見家の被官でありながら、独立性の強い大名でもあった。三浦家の末裔と称するが仮託であろう。宗家は里見家に制圧されて一門化し、時茂のとき里見忠義とともに伯耆へ配流された。他方、勝浦の正木分家は里見・北条の間を変転し、頼忠の娘の万が徳川家康の側室となって頼宣・頼房を生んだため、三浦に改称した為春が紀伊藩主になった頼宣に随従して貴志城へ移転、家は藩の五家年寄の一として明治まで存続している。
◆舟戸藩
本多正重が舟戸を領知していた時期には、まだ「一万石以上が大名、未満が旗本」の明確な線引き(1635年)が行われておらず、正重没後に幼少の正貫が8,000石に減封されても、すぐに「旗本に降格」したわけではない。そのため、正貫・正直の一万石未満の時期を含め「藩主」として扱い、歴代表を掲載した。
◆船形藩=平岡家
平岡道弘は幕末に大名となったが、幕府の終焉に伴い領地を返上し、駿府藩の重臣に転身している。そのため、明治に入ってから他の藩主のように華族に列せられてはいない。
◆鶴舞藩=井上家 ~ 金ヶ崎藩/桜井藩=滝脇家
これらの7藩はいずれも遠江・駿河の諸藩(静岡県のページ参照)であったが、1868年に徳川宗家が駿府に再興されたことにより、房総へ転封されて廃藩置県を迎えた。
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