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2020年5月 6日 (水)

新型コロナ(7)-情報を取り入れるときに心掛けることは?

前回より続く)

これまで述べてきた負の連鎖→「病気」「不安」「差別」を断ち切るために、大切なことがいくつか挙げられる。一つずつ提示していこう。

今回は「情報の取り入れかた」である。情報が偏ったり不正確だったりすると、自分の知識・知見が誤った方向へ誘導される。それが望ましくない言動の原因ともなる。

私たちは発信者自身と知り合いで直接伝えられるレアケースを除き、さまざまな媒体を通して情報を取得している。この新型コロナウイルスに関しても、すでに各方面から溢れるほどさまざまな情報が、玉石相混じって私たちの周囲を飛び交っている。

これらの情報を得るに当たって、私が心掛けていることがいくつかある。

(1)疑う
いきなり「疑う」のは意外に思われるかも知れないが、まず大切なのは、それが実在する論者の論評なのかどうか疑ってみることだ。オールドメディアかネットかにかかわらず、虚構(フェイク)もあちこちで出回っているからだ。
また、たとえ実在しても、こんな例がある。一か月ほど前、それなりの水準である経済誌・経営誌の中に、正体不明の論者による扇動的な内容の論評を掲載しているものがあった。もっともらしく自己の見解を主張していながら、その実は複数の他人の論評を切り貼りして、他者(おもにコロナ対策を推進している側)を攻撃している内容であった。執筆者の名前が(結婚等で改姓した場合は別として)、検索しても当該誌以外では全く引っかからない、すなわち、どこの誰なのか特定できない場合、注意が必要だ。 
逆に私は、匿名の論者の見解として紹介されているものでも、明らかに現場を知る人でないと語れない内容が含まれている場合には、信憑性があると判断して取り入れることがある。先日某誌で見かけた、医療現場を統括している医師(病院に電話が殺到するのを回避するために匿名で登場していた)などはその好例である。

(2)背景を調べる
発信者が特定できたら、次はその人物の背景を調べてみる。ネット検索で何でも調べられる時代なのだから、これまでの活動歴や発信歴を知ることは重要である。どのような立場から論評しているのかの参考になる。その人が過去に発信したもの(あまり古すぎると、スタンスが変わってきている場合があるので要注意!)を閲覧して、人物像の概観を捉える。
先日、この事態を契機に都道府県知事の権限を強化せよと主張している論評に接した。私自身の考え方にも近いが、経歴を調べてみると、過去、政権与党側の会議に参画して、道州制を推進してきた側の人であった。我田引水をしていないか、念入りに読み解いてみた。また、投資家の見解は、自分の経済活動が有利になるように世論を誘導しようとしている場合があるので、注意が必要だ。
友人・知人が引用した論評の発信者について調べていくと、最悪、全く「人」の尊厳に対する敬意に欠ける発言を繰り返している人物も存在する。私の場合、その類の人物によるパフォーマンスを、原則的には顧みないことにしている。批判する相手の人たちに敬意を払えない人間の論評に敬意を払う必要はないからだ。

(3)文脈や流れを確認する
背景を把握できたら、次はその論評がどのような文脈の中で発信され、どのような流れの中で論じられているのかを確認する。表題がセンセーショナルな表現になっているもの、元エントリーの一部だけ切り取られているものなどは、論評全体を俯瞰しないと、論者の意図が明らかにならない。新型コロナの恐怖を煽っているような表題でありながら、結構冷静に事態を分析している内容のものも見かけたが、これは表題を付けた人(本人なのか誰なのか...)の問題であろう。
なるべく全文を読み、前述の(2)を頭に置きながら、論拠や判断根拠は正しい分析に基づいているのか、慎重に読み解く必要がある。

Jouhou

(4)分別・整理する
文脈や流れを確認できたら、次はその論評全体に再度目を通し、内容について分別・整理する。
多くの市民は無意識のうちに、自分にとって快い情報だけを取り込む傾向がある。特にいまのような時期に、自分自身の不安にストンとはまり込む論調に接すると、無批判に信じてしまい、脊髄反射的な言動に結び付けてしまう恐れがある。たとえ私が日頃から尊敬、共感している論者であっても、その論評ではおかしなこと、間違ったことを主張しているかも知れない。逆に私が日頃から嫌悪、批判している論者であっても、その論評では正論を主張しているかも知れない。
自分が全面賛成なのか、部分的に賛成なのか、基本的に反対なのか、また、どの立場を取るにしても、その根拠は何なのかをはっきりさせる。私は全面的に、または大枠で賛同する論評については、ブログ(ココログ)やSNS(Facebook)を使い、シェアするなどして多くの人たちに広く紹介し、拡散することもある。

(5)賛同できる見解を咀嚼して行動様式を定める
いまの時期、新型コロナにどう対峙するか、どう共存するか。一人ひとりが模索している。誰かの論評を見聞きして「あぁ、〇〇さん良いこと言ってるね」だけでは、自分の中に取り入れたと言い難い。「〇〇さんのこの見解に基づき、自分はきょうからこの点を意識して行動しよう」と、自らの振る舞いかたを決めていこう。

〈まとめ〉
新型コロナについては、まだ登場して半年にも満たないだけに、オールドメディアにしてもネットにしても、さまざまな立場からの見解が入り乱れているのが現状だ。よほどアンテナを高くしていないと、不適切な情報に踊らされ、望ましい社会の姿から乖離した思考へ誘導されてしまう。それが「排除」や「差別」に結び付く原因になるのだ。

立場はそれぞれ異なっても、自らの良識に基づいて、情報を取捨選択したいものである。

次回へ続く)

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