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2020年7月 5日 (日)

新型コロナ(12)-施策(これまでの)をどう評価するか?

前回より続く)

まず、新型コロナウイルスとは関係ありませんが、
このたびの熊本県周辺の豪雨で亡くなられた方々をお悼みするとともに、球磨川流域をはじめとする、被災された住民の方々に、心からお見舞いを申し上げます。
簡単な言葉で表せるものではないことは十分承知していますが、一日も早い生活の復旧を願わずにはいられません。

さて、本題に戻って。

いったん個人の問題から目を転じて、国の政策・施策について私見を述べてみたい。他国の例も引き合いに出す必要があるかも知れないが、私自身が各国の施策について深い知見を持っているものではなく、また、基本的に安易な国際比較には大きな意味がないと考えていることを、あらかじめお断りしておく。

政策全体を眺める前に、まずは新型コロナウイルスの感染が始まった後の、個別の施策について論じてみよう。

これまで大きな話題となったのは、大型クルーズ船「ダイヤモンド‐プリンセス」への対応、公立学校への一斉休校要請、布マスク配布、緊急事態宣言、国民生活への支援策などだ。

(1)「ダイヤモンド‐プリンセス」への対応
英国船籍、米国企業が経営している豪華客船。2月1日に感染者の乗船が判明し、3日に横浜港に帰港。そのまま船全体が長期的な検疫体制に突入し、乗客・乗員を合わせて3,700人余が船内にとどまることを余儀なくされた。706人の感染者、うち4人の死亡者が出ながらも、神奈川県等の医療機関の協力により、3月末までに事態は終息し、同船は3月25日に出航した。
この対応については米国や英国のメディアから批判が寄せられたが、ウイルス自体の感染メカニズムも十分に判明していない時期に、日本の厚生労働省が一手に担い対応したものである以上、批判の多くは失当であろう。当の米国や英国からはほとんど医療的な救援を受けなかった中で、日本の対応は試行錯誤しながらも、可能な範囲の対策を施したと評価することができる。何よりも、ここでの経験がこの後の国内感染予防対策に生かされたことは、一つの成果であったと言えよう。途中で一部の関係者による見解の齟齬が見られた場面はあったが、個人的に採点するならば90点。

(2)一斉休校要請
いまから振り返ると、「無用の策」だったと見る向きが強い。しかし、これは後出しジャンケンだと言わざるを得ない。2月末時点での最大の課題は、ドイツなどに比べて感染対応できる専用ベッド数が大幅に少ない日本で、いかに医療崩壊を最小限に食い止めるかであった。このとき、いまだ都道府県をまたいだ人の移動は一定程度行われており、生活様式も多くは蔓延以前の状態であった。そのため、大人に比べて多動であり、かつ感染症に関する理解に乏しい児童たちが、学校での勉学や活動のさなかにクラスターを発生させて感染爆発を起こし、それまで準備された医療体制では対応し切れなくなる恐れは、十分にあったのだ。ただし、そのための一斉休校であった趣旨が十分に浸透していなかったことは遺憾であるが。
その後、このウイルスの性質上、児童たちは(一型糖尿病などの基礎疾患や一部の難病などを抱える子を除き)総じて感染しても無症状または軽症に終わることが多いことが判明し、広く知られるようになった。いまの時点では適切な対策を採りながら、学校のスケジュールを平常通り動かすことが妥当であろう。当時の対応に限っては75点。

(3)布マスク配布
これは多くの人から「愚策」と評されている。私の見解は前々回のエントリーを参照されたい。いまなお介護現場に「第二弾」として布マスクを配布しようとしている見当違いまで含めると、私の評価は厳しいようだが35点としておく。

(4)緊急事態宣言
まず、2月28日の北海道を皮切りに、都道府県単位でいくつかの自治体が独自の緊急事態宣言等を発出した。これは感染拡大が続くことを憂慮して、域内の住民に不要不急の外出自粛や、一部業種の営業自粛を要請したものである。その後、4月7日には政府が8都道府県に緊急事態宣言を発令し、4月16日にはそれを全国に広げた。そして5月25日、感染の拡大に歯止めがかかった時点で、政府は宣言を解除し、6月19日にはこれまで制限を要請していた都道府県境を越える人の移動を緩和した。
これで感染拡大がいったん収まったことにより、私たちは停滞していた経済を「新しい生活様式」に沿ってどう回していくか、ある種の「塩梅(あんばい)」ないし「緩急」を身に着けることができたと考えられる。過度の自粛も望ましくなければ、全く旧式のままの社会生活再開も望ましくないことを、国民が体得できる期間となった。また、その間に新型コロナの正体、怖れなければならない面もあれば、一種の特殊なカゼ程度に受け止めて十分な面もあることが次第に判明し、首都圏等で医療崩壊を脱したことも相まって、余裕を持って対策を講じられるようになったことは大きい。
今後の予測については稿を改めて述べたいが、昨今になって東京や一部地域で再び多くの感染者が判明しているとは言え、その多くは若年層であり、重症者や死者が増えたものではない。将来はともかく、当面は再度緊急事態宣言を出す可能性は低い。これは4~6月に「時間稼ぎ」ができたことが大きいと見ている。一連の流れを採点すると、やや甘いが85点か。

(5)特別定額給付金・持続化給付金・家賃支援給付金などの支援策
私たち日々の生活を送る市民にとって、最大の関心ごとである。次回の政策総論でも分析してみたい。
総じて、各方面の利害調整に手間がかかり、政府の決定までに時間がかかり過ぎたことや、委託先の団体の性格に疑義があることが、批判の対象となっている。しかし、「あそこの国はもっと充実している」とされている他国の支援策を見ても、多くの国の場合、そのすべてが報じられている通り迅速に実施されているものでもなく、日本の支援策が劣悪だというものでもない。
とは言え、「のちの千金より、いまの一飯」がほしい人たちにとっては、後手後手感は免れない。また、さまざまな属性の人たちに対し、十分にカバーできていない面も課題として残る。反面、公的支援策ばかりに頼らない、個人や企業の自助努力も求められるであろう。60点としておく。
なお、本日現在の支援策については、首相官邸の該当ページを参照されたい。

そして、次には政策全体を振り返ってみよう。

次回へ続く)

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