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2020年7月19日 (日)

祝!東海将棋界70年の宿願達成☆

7月16日、藤井聡太七段(きょう18歳の誕生日/愛知県瀬戸市)が、ヒューリック杯棋聖戦(産経新聞社主催)第四局に勝ち、渡辺明棋聖(38)を3勝1敗で破り、初のタイトルを獲得した(獲得時点では17歳。史上最年少)。

この「快挙」、簡単な言葉ではとても表せない歴史の重みがある。

1950(昭和25)年、三重県出身で東海将棋界の重鎮であった板谷四郎(1913-95)は、将棋界がこれまでの「名人」に加え、「九段(当時は最高位が八段)」「王将」の三タイトル制になったばかりの時期、「九段戦」の決勝まで進みながら、三番勝負では当時昇竜の勢いだった大山康晴(1923-92)に二連敗して、涙を飲んだ。

板谷は引退後、1959年に名古屋の将棋道場を開き、東海地区での棋士育成を開始する。何人もの弟子を育てたが、実子の板谷進氏が一門の中心的存在となり、愛知・三重・岐阜・静岡県の将棋界を牽引していった。

ところが、進氏はタイトル挑戦に手が届かないまま、1988年、47歳で急逝してしまう(追贈・九段)。

進氏の没後、弟子の杉本昌隆氏(現在51歳・八段)が1990年にプロ棋士(四段)に昇格を果たし、名古屋に在住しながら、弱小な東海将棋界の灯を絶やさずに守り続けてきた。

その杉本八段の弟子が藤井青年。板谷四郎から見れば、曽孫(ひまご)弟子に当たる。「東海地方にタイトルを」は、70年前の「無念の敗退」以来の悲願であった。杉本八段は棋聖戦第四局の控室に入った際に、板谷進氏の遺影を携えていたという。そして藤井七段がついに宿願を達成!

藤井新棋聖、杉本八段をはじめ、東海将棋界を長く支えてこられたすべての関係者に、心からお祝いを申し上げたい。

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私自身は将棋連盟とつながりがあったり、道場に通っていたりしたわけではないが、学生時代の1981年に一度だけ、中原誠・十六世名人の全盛期に、浜松で開催された王位戦(中原-大山戦)を観戦に行ったことがある。そのときに解説されていたのが板谷進氏であり、聴衆の一人としてではあるが、氏と一言二言交わしたことを覚えている。景品(画像)もいただいて帰った。東海将棋界とわずかながらご縁があったことになる。

愛知県やその周辺の出身であっても、多くの棋士が利便さを求めて首都圏や関西に移住してしまう。そんな中にあって、東海を拠点に活動する板谷→杉本一門は、とても貴重な存在である。藤井棋聖の活躍が追い風になり、杉本八段への入門を希望する親子が急増していると聞き、東海の将棋ファンの一人としてはたいへん嬉しい。

ただし、どんな業界でも地域レベルで盛り上げるためには、一人の活躍では限界があろう。名古屋将棋会館の建設まで期待する声があるようだが、そのためには東海から藤井棋聖に続く若手の棋士たちが輩出して、続々と棋戦に参入していくことが求められる。杉本一門を中心に、将来の棋界を担う若者たちが切磋琢磨しながら向上していく環境が整えば好いのだが。

また、藤井棋聖自身も、いまだ発展途上の人である。進行中の王位戦も木村一基王位(47)に二勝したとは言え、番勝負は全部が終わってみなければわからない。このところ大豪・渡辺二冠や強豪・永瀬拓矢二冠(27)に対しては相性が好いが、過去四戦して勝ったことがない第一人者の豊島将之竜王・名人(30)や、同期でプロ四段に昇格した苦手の大橋貴洸六段(27)などの壁も立ちはだかる。対局過密状態でありながら、さらに強みを増して、棋界制覇へ向け着実に歩みを進めていってほしいものだ。

「AI超え」と称される頭脳を持つ藤井棋聖が、いよいよ緻密さを増していく将棋ソフトとどう共存しながら、人間の叡智やひらめきの素晴らしさを証明していくかも、大きな課題になりそうだ。

世界の盤上遊戯の中で、日本独自の発展を遂げた将棋。藤井棋聖の快進撃に伴い、日本を代表する文化の一つとして、広く市民の間に普及することを望みたい。

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