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2021年1月

2021年1月30日 (土)

新型コロナ(14)-私たちに問われているもの

日本で新型コロナウイルスの蔓延が始まって、はや一年になる(日本国民で初めての陽性者が報告されたのが昨年1月28日)。

私たちは、さまざまな不自由や困難と向き合いながら生活することを余儀なくされてきた。そして、このコロナ禍の中で、私たちは多くの課題に直面している。

その課題のうち最大のものは、次の二つだと私は考えている。

一つは「人の尊厳」。

もう一つは「人間の尊厳」。

この二つの意味には重なる部分もあるが、切り分けて捉えている。

前者は、一人ひとりの「人」が尊重されつつ、日々を生きられることの大切さ。

後者は、その「人」と「人」とが、社会の中で関係性を保ちながら、望ましく生活できることの大切さ。

私たちの人生に欠かせない車の両輪だ。

コロナ禍で、多くの人たちが当たり前のように享受してきたこの二つの尊厳が脅かされる現実を、私たちは目の当たりにした。

「人の尊厳」の軽視。巣籠もりに起因するDVの増加、感染者への誹謗中傷、医療従事者への誹謗中傷、いわゆる「マスク警察」「自粛警察」「時短警察」等の誤った正義感に基づく行為、葬祭の過剰な感染予防体制(家族の死に目に会えない、お世話になった親戚の葬儀に参列できないなど)、等々...

「人間の尊厳」の軽視。帰省(やむを得ずに)する学生や里帰り出産する妊産婦への非難、高齢者施設での面会禁止(代替の方法も工夫してもらえない場合など)、想像性の欠如に基づく行為(軽率な飲み会やBBQなど)、蔓延のリスクを無視する自己主張(飛行機内でのマスク着用拒否など)、品物が本当に必要な(無いと生活できない)人たちを脅かす異常な買い占め、在住外国人への理不尽な制約(母国へ戻れない技能実習生、入管から仮放免されても就労できない難民申請者など)、血眼になって煽動するメディアの視聴率稼ぎ、政治家や官僚による他人事モードの空虚な発信、等々...

これらの行為が報じられるたびに、悲しくなる。

日本ではこんな状況だが、国によっては民族・宗教や貧困・飢餓などの問題が大きく、さらに深刻さを増しているところもあるだろう。

読者の多くは、J.スウィフト(1667-1745)の「ガリヴァー旅行記」を読んだことがあるだろう。その最終章「フウイヌム国渡航記」に登場する「ヤフー」なる類人猿は、人間の退化した姿であり、汚物を投げ付けたり、貴重な石を奪い合ったり、あたかも人間が本能のままに振舞ったらこうなるのだと言わんばかりに描写されている。先に掲げた「人の尊厳」や「人間の尊厳」を傷付ける言葉や行為は、この「ヤフー」を想起させる。換言すれば、言動の主やそれが飛び交う原因を作り出した人たちは、自分たち自身の「人の尊厳」「人間の尊厳」を貶めているのと変わらない。

これまで抑制されていた人間の負の側面が、コロナ禍を機に表面化してしまったのだろうか?

私たちはそうあってはならないのだ。これらを反面教師として、「人の尊厳」「人間の尊厳」の大切さをいま一度見直し、その二つを守るためにどう発言し、振る舞い、活動しなければならないのかを、いまこそ模索していかなければならない。

地球規模で起こった災厄に違いないが、その災厄がもたらした試練は、私たちに対し、「人類はどうあるべきか」と問い掛けている。

この大きな命題に応えられたとき、私たちの輝かしい未来に向けての再出発が始まるであろう。

2021年1月20日 (水)

年鑑を参照しながらの便覧作り

私の趣味の中で、意外と知られていないのが、「世界各国の歴代君主・政権担当者の一覧表」の作成である。

いわゆる歴史書にとってみれば、単なる「付表」の類に過ぎないのだが、私にとっては「時間つぶし」として長年続いているのだ。当初は中学生になったころ。世界主要国の皇帝とか国王とか大統領とかに就任した人たちの歴代表を、一冊のノートにまとめるところから始めているのだから、もう半世紀近くになる。

当時は図書館の事典類を検索しながら地道に作っていたが、現代の世界各国の政権担当者の確認に関しては、高校生になってから便利なツールに巡り合うことができた。それは共同通信社が毎年発刊している「世界年鑑」である。

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母校(浜松北高校)の近くにある書店で、18歳のときから毎年取り寄せ続けているので、すでに40年以上。もちろん、これだけではなく、かつては新聞記事を地道に検索しながら補足してまとめていた。最近はインターネットの情報が充実しているので、そちらを参照することが多いが、それでも国ごとの最近の政治的な潮流をたどるのには、この年鑑を参照するのがいちばん簡便に理解しやすい。何と言ってもドライ‐アイを患っている私にとって、PCを離れ紙媒体の工具書を閲覧する時間は、両眼を少し休める機会にもなっている。

便覧の中身もだんだん本格化して、直近のものは2015年1月作成、前近代編が二冊、現代編が四冊の計六冊と、結構な大部になった。前者ではマイナーな王朝の君主もなるべく掲載して充実を期し、後者では世界全体を四分割して(アジア、西アジア・アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ・オセアニア)、大国や地域大国に関しては元首や政府首班以外の主要ポスト(外交・財務・国防など)の歴代についても掲げている。

仕事の合間に国際情勢を俯瞰してみるのは、私にとってちょっとした息抜きにもなっている。クッキングとはまた別の意味で、今後も長く続けたい趣味の一つだ。

最新版の完成はおそらく2021年末。でき上がった暁には画像アップする予定。

2021年1月15日 (金)

報酬引き上げを求める資格があるのか?

1月15日は亡き父の「生誕記念99周年(^^#」。現実の父は80歳で世を去ったので、そのあとは単に私にとってのアニバーサリーである。クリスマスから遠くないこともあり、改めて特別な料理などを用意して祝うことはないが、かつて1月15日が固定された「成人の日」だった(いまは移動祝日)こともあり、忘れずに思い出すよう努めている。

その父は、晩年に認知症を患いつつ、介護サービスには拒否的であった。母の介護疲れを見かねた私が頼み込んで、ようやく通所介護を利用するようになり、短期入所生活介護も何とか開始できる段取りを取った直後に他界した。自分からサービスの利用控えをしてしまい、必要最低限の利用にとどまった形だが、介護保険料で積んでいた分を、サービスがより必要な市内の他の利用者に回すことができたとも言える。いつも来客に気前よく飲食物などを分けてあげることだけが美点だった(笑)父には、ふさわしい終末だったかも知れない。

さて、介護給付費分科会では2021年3月の介護報酬改定の大枠が固まった。厚生労働省と財務省とが折衝した結果、個別のサービスはともかく、全体として0.7%の引き上げが見込まれている。1万円だったものが1万70円になるわけだから、「微増」と言うべきか。

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これに対して、学識経験者からも介護現場からも、さまざまな論評が発せられている。国の財政基盤を考慮すれば、コロナ禍の中で引き下げられなかっただけでも十分な成果であるとする意見。逆にコロナ禍のため各事業者が大きな負担増を強いられており、この程度の微増では現場を去る人が増え、人手不足に拍車がかかるとする意見。いずれの論者も根拠に基づいて述べておられるので、その得失について私はあえて評定しない。

ただし、居宅介護支援は延々と収支差率が赤字であるため、「介護報酬をもっと引き上げろ」との議論が絶えない。特に介護支援専門員(=ケアマネジャー。このエントリーでは制度上の介護支援専門員を意味しているので、その呼称を使う)が1~2人であり、利用者数も少ない(たとえば私の事業所のような)ところは、満足な給与を出せば利益が出ないのが現実である。これに対して、現場の介護支援専門員からは、さらなる報酬引き上げを求める声も多く、他方で学識経験者や経営コンサルからは「(特定事業所加算を取るなど)大規模化せよ」との論が優勢になっているが、これについては後日、別稿で論じることにする。

今回は、「もっと引き上げろ!」と言う介護支援専門員たちについて、...

「あなたたち全員に、その資格があるのか?」

...これが本題だ。

・利用者を強く説得して(併設の)自社サービスを(必要最低限でなく)多めに利用してもらうように誘導した。

・給付管理を発生されるために利用者に頼んで、必要性がほとんど無い福祉用具を一品だけレンタルしてもらったり、通所へ月一回だけ行ってもらったりした。

・交通事故などの第三者行為で要介護状態になった(他の疾患等との合わせ技でなった場合を除く)利用者のために、通常通りに要介護認定を申請して、サービスの利用開始の運びにした。

たとえ善意から出た行動であっても、こんな経験のある介護支援専門員がいたら、はっきり申し上げたい。

「それ、モラルハザードだよね?」

保険の不適正給付に加担した人には、保険の公定価格である介護報酬を引き上げろと主張する資格はない。

さらに...

...「モラルハザード」は「保険詐欺」の意味で使われることが多いが、本来は社会保険に限定されない広い意味を持つ。「当事者の一方が自分の側だけから把握できる情報を意図的に歪曲したり、加入者が給付母体の存在を頼みにして意図的な権利の濫用をしたりする行動によって、適正な経済的関係が崩れること」の総称がモラルハザードなのである。

したがって、生保の不適正受給に加担したり(必要な利用者にはもちろん受給を支援するのが当然。ここでは客観的に、隠し資産があったり、経済的に余裕がある親族が扶助不能を偽装したりする場合を指す)、市区町村の独自サービスを受給するために事実と乖離する報告をしたり(基礎自治体側が許容範囲を甘くしているのなら話は別だが)することも、モラルハザードに含まれる。

あくまでも合法的に、公共財のサービスを我田引水の形で利用する、いわばフリーライダー(ただ乗り)の行為(例:タクシー代わりに救急車を呼んだなど)であれば、私も利用者側の選択を容認したことはある。もちろん道義的にお勧めできない旨を説いた上で、それでも利用者や主介護者から申請する、活用すると言われたら、私が勝手に代位して押しとどめる権利はないのだから。

しかし、モラルハザードは明らかにフリーライダーの行為とは一線を画している。「本来受けられない給付を、故意に事実を歪曲するなどして受給する」行為だ。反社会的行為と何ら変わるものではない。

それに参画した介護支援専門員が、なぜ介護保険の公定価格である報酬引き上げを求めるのか? 泥棒が警察に盗むためのお金をくださいと言っているのと同じであることを、わかっていないのか? 「いや、普段はまっとうな市民で、ときどき出来心で泥棒をするだけなので...」と言い訳するならば、ふざけるな!と言い返したい。

介護保険財政を食いつぶしているのは、あなたやあなたの利用者たちだ。

こんな話をすると、「馬鹿正直だねぇ」と言われるかも知れないが、みんなが正直に仕事をしていないから、各地で不正請求が摘発されるのではないのか? 介護支援専門員の風上にも置けない奴が偉そうに専門職を名乗り、その一部は人前で滔々と講義まで垂れている。馬鹿正直に仕事しているわれわれの足を引っ張るんじゃないよ!

私は過去19年の間、多くの利用者さんたちから(死去、転地、施設入所等以外の事情で)解約されている。その解約理由の大半は、私が利用者さんやキーパーソン(≒主介護者)さんのモラルハザード、またはそれに近付く行為を制止しようとしたので、煙たがられてしまったためだ。これは私の経歴の中で、最も誇るべきことの一つだと思っている。

発足当初は「介護保険の弁護士」とまで称され、期待された介護支援専門員。プロフェッショナルの矜持を忘れないでほしいものである。

2021年1月 9日 (土)

教会で祈ること

クリスマスや新年。例年と様相を異にする社会情勢の中での年末年始となったが、みなさんはどのように過ごされただろうか?

私は普段通りに教会(カトリック浜松教会)へ行き、神に祈りを捧げた。12月25日(金)10時から「主の降誕/日中のミサ」、1月1日(金)10時から「神の母聖マリアの祝日」。どちらも前夜から複数回にわたってミサが開祭され、会衆(参列者)同士の距離を確保する人数制限も設けられ、マスク着用や名簿への連絡先記入が義務付けられていた。

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すでに新型コロナウイルスが蔓延して一年近く、当初は司祭と教会委員会の方々のご苦心により、ミサの形式を試行錯誤しながら実施されていたが、いまは毎日曜日(「主日のミサ」)を中心に、祭儀の一連の手順や方式が定着している。せっかく教会まで来ながら、ミサの時間帯によっては満席で聖堂に入れず、帰宅して家で祈るか、または次のミサを(たとえば9:30のミサに入れないと10:45のミサまで)待つ人も出てしまっているが、感染予防対策の観点からは、いたしかたないであろう。

私たちにとって大切なのは「心の糧」である。福音書に記述され、二千年余の間に受け継がれてきたイエスの「みことば」を司祭の口を通して聴くことにより、日々の暮らしへの活力をいただく。

もちろん、信仰は自分自身の真心から発するものであるから、家で一人、一家族だけで祈っても構わないのだが、カトリック教会の場合は、教団の結び付きを古来重んじてきた伝統がある。それはコロナ禍にあっても変わらない。現に70歳以上の信徒は、ミサへの参列義務は免除されているが、それでも熱心な高齢者は、進行を同じくする友たちの顔を見て、(物理的な距離を取りながらも)お互いの近況を語り合うことにより、精神面の栄養を得ている。

そのような状況も踏まえて、私自身は9月以降、毎月一回はミサに参列することにした。

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実際、神の母聖マリアの祝日=元日には、古くからの信徒が相当数参列していたので、私も久しぶりに会う何人かの方々と交歓することができた。いまのところ、浜松市内や県西部の教会(全部で5か所)でクラスターが発生したとの報もなく、まずは平穏な中での「分かち合い」ができている。

しかし、世の中の課題は新型コロナ対策だけではない。この日は世界中のカトリック信者が心を合わせて平和を祈る日でもある。そして、祈りは始まりに過ぎない。現実の社会では、戦争、暴力、飢餓、貧困、疫病(コロナ以外にもさまざまだ)のために、命を失う子どもたちの数が何と多いことか。私たちは日本国内のみならず、海外の次世代に対しても責任を負っている。一人ひとりの力は微小なものかも知れないが、たとえば食物ロスを減らす、フェアトレードに参画する、現地で活動する人たちに金銭面の支援をするなど、わずかでも良いので、自分にできることから始めていくことは大切だ。何もしなければ何も変わらない。人々が社会正義のため動き出してこそ、神の大いなる力を寄り頼むことができるのだから。

そのようなことを年末年始に思い巡らしていた。

教会へなかなか足を運ばない不信心な私ではあるが、今後も祈りとささやかな実践とを欠かさないようにしたい。

2021年1月 4日 (月)

作る楽しみ

私の調理は「一応合格点」程度の水準なので、もっぱら個人的な趣味程度であるが、ときどき自作して楽しんでいる。

日常、週4回程度はフライパンを使っているものの、冷蔵庫&冷凍庫整理が多い。食材を選んで時間を掛けるのは週1~2回、定休日の夕食が中心だ。普段は連休を取らないので、何日かセットでメニューを組み立てられるのは、年末年始しかない。

通常、主婦(夫)のみなさんはおせち料理を年末に作っておいて、正月は手抜きをする。もともと亡き母はそのパターンだったので、以前、正月用に食材を注文していた中華料理のディナーを何品か、連日がんばって作ってくれたが、加齢に伴って負担が大きくなるに伴い、あまり喜んでいなかった。そこで私がバトンタッチされて年始の料理当番になったのだが、何年もしないうちに母が要介護状態になったので、母には苦労をかけてしまったなぁ、と反省している。

とは言え、一人暮らしになってみると話は別だ。この12月末から1月の年頭に掛けても、例によって「作る楽しみ」を満喫した。

12月27日(日)は、クリスマスに食べられなかったガーリックチキン、大好物の定番である。パスタ(ジェノヴェーゼ)は市販のソースで手抜き。何年か前に一度だけ作ったことがあるが、時間を掛けた割にはイマイチだったので挫折した(笑)。

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12月28日(月)は仕事だったので冷蔵庫&冷凍庫整理&納豆ご飯で済ませる。

12月29日(火)から冬休み。この日はブラジル料理「フェイジョアーダ」に初挑戦! キドニービーンズ(店でははじめ「赤インゲン豆」と聞いて怪訝な顔をされた(^^;)の水煮缶をベースに、玉ねぎと粗挽きソーセージとやや厚切りベーコンを入れて作成。初心者にしてはまずまずの出来だったので、これからもときどき作ってみたい。

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12月30日(水)はお昼過ぎから事務所へ出掛け、帰り路に丸一魚店から刺身のテイクアウト。主食は市販のチャーハンの素だったが、おつまみに味噌田楽を自作。

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12月31日(木)。昨年はなぜか食中りしてしまった(-_-;)ので、そのテツを踏まないようにしっかり火を通して、ミラノ風チキンカツを賞味。主食はトースト。一年の締めのディナー。

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1月1日(金)は神の母聖マリアの祝日である。午前中は教会へ行き、昼食は寿司をテイクアウトした。おせち料理は注文せず、スーパーで栗きんとんとか伊達巻とかワカサギとか黒豆とかをテキトーに購入して、何日かで消費する予定。年末から寒波に襲われたので、夕食はアツアツのマッシュポテトグラタン。毎年一回はどこかでこれを作っているが、じゃがいもをつぶすのと焦げ付いた皿を洗うのとに、結構な時間と労力とがかかるので、来年はどうしようかなと考えているところ。

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1月2日(土)は午前中に事務所へ出掛け、たまっているFAXを整理。夕食は「ニューノーマル」の自粛モードを象徴する一品、「巣籠もり卵」\(^^)/! ベーコンをしっかり並べてたんぱく質も補給。主食はトースト。

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1月3日(日)は自宅の敷地内から一歩も出なかったが、この日に外出しないのはもう何年も前から通例になっている。家でのんびり過ごしたあと、夕食はエビフライを揚げ、ニンジンのシリシリに初挑戦した。油の使い方があまり上手ではないので、揚げ物は買ってきたほうが楽かも...。沖縄料理(シリシリ)のほうはなかなか美味しくできたので、次からは調味料の配合を工夫して、自分流の味を出してみたい。主食はまたトースト。正月から4月上旬にかけては朝が餅食なので、夕食はときどきパン食が続くのだ。

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こんな具合の自作ディナーで年末年始を過ごし、本日から仕事始めである。

読者のみなさん、今年もよろしくお願いします☆

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