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2021年2月 9日 (火)

ジュスト高山右近を尊敬していた父

2月9日。父が2002年に80歳で他界してから満19年。もうそんなに経つのかと、在りし日のことを懐かしく想い起こしている。

一昨日、7日は福者ジュスト高山右近(長房・重友/1552?~1615.02.03。画像は教会の祈りのカードに印刷された、三牧樺ず子氏による右近の肖像画)の列福式から、ちょうど4年になる。自分も一か月ぶりに教会へ足を運び、四百年前に日本から追放されてフィリピンで客死(殉教者と認定)した、右近の生きざまを思い起こしながら、ミサに与った。

Justo-takayama-ukon

実は父の霊名が「ジュスト(ユストとも発音する。もとはラテン語で「正義の人」の意味)」なのである。

父は代々仏教の家の生まれであり、若いころはその宗派の典籍を買っていろいろ読んでいた。50代になってからは新興宗教に転向し、そちらの勉強を熱心にしていた。一つの教えに熱中すると他の宗教を軽蔑する性癖があり、そのいささか偏った宗教観に辟易したこともあったが、父本人の意思である以上、他界したときには希望する宗教のやりかたで葬祭をしてやっても良いと考えていた。

ところが70代の終わりに、そろそろ先のことを決めておかないと思い、父に尋ねたところ、意外な答えだった。

「お前が信じている教会のやりかたでいいよ」

ある意味、宗教遍歴を重ねてきた父が、何がきっかけだったのかわからないが、思いがけずカトリックの考え方に心を寄せていたらしい。

そして、それと前後する時期に父が、「高山右近を尊敬している」と言っていたのだ。

その後、2001年の秋から父の認知症が進行して、母の負担が増大したので、通所介護を利用するようになったが、身体面では大きな疾患も機能低下もなく生活していた。2002年の2月に入ると、たいへん弱気の言葉を吐いたことがあり、生きる力が無くなったのかなぁ、と悲しくなったことはあったが、亡くなる前日までは病気らしい病気も無く過ごしていた。

9日の朝、母が起こしても目を覚まさず、これは危篤状態だとすぐに察知。しかし私はあいにく、すぐにキャンセルできない仕事を抱えていたため、母に後を頼んで出掛け、戻ったときにはすでに息をしていなかった。主治医が診療の合間に駆け付けてくださり、死亡診断。さて、あとはどうするか?

何しろ父は、「教会で葬儀をしてほしい」「高山右近を尊敬する」の二つしか言い遺していないのだから、他に選択の余地はない。霊名「ジュスト」で臨終洗礼を行い、あとで小林神父様(当時の浜松教会主任司祭)に追認していただいた。葬儀ミサも11日、小林師の司式で、無事に終えることができた。

父は欠点の多い人で、とても右近を手本に生きてきたとは言い難いところがあるが、それでも「義の人」右近の生涯の歩みを、何かの本を読んで知ったことで、それを心に刻み、信仰者の模範的な姿として敬慕していたのであろう。

このような父とのつながりがあったために、右近が福者に列せられたことは、私個人としても大きな喜びなのである。

さらに、カトリック教会がいつか右近を聖人の列に加えてくださり、私たちがこれまで以上に彼を崇敬し、その取り次ぎを願うことができるように、祈りを続けたい。

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