あれから三年
3月8日の朝。しとしとと降り続く雨が、本格的な春の訪れを露払いしている。ちょうど三年前の同じ日に亡き母を葬送したときも、こんな天候であった。
帰天してもう三年にもなるんだなぁ、と思い返しつつ、在りし日の母の姿を、改めて頭の中に浮かべてみる。
夢の中に母が登場したのは二回だけ。
はじめの一回は葬送から数日後、存命のときとは反対側(祭壇がある側)を向いて腰掛けていたので、「ぁ、もうこの世での罪を償って、神の国に召されたんだ」と納得したものだ。
もう一回は私の59歳の誕生日(一昨年の10月)。私と一緒に何かを待ってくれていた。それが何だったかはわからない。来たるべき時代(たとえばコロナ禍のような)に備えなさいよ、との教えだったかも知れない。
母は聖マリア(上の画像はカトリック浜松教会所蔵のマリア像)がイエス様を慈しみ育てたことを範と仰ぎ(本人の霊名も「マリア」)、私がいくつになっても「良き母」として振舞ってくれた。母の生きざまから学ぶことは多く、いまでも私の日ごろの過ごしかたには、母から吸収したスタイルが多く根付いている。
私が20歳前後のとき、母はよくこんなことを言っていた。
「友達や仲間でも、お金を貸してくれと言ってきたら、もうそこで縁を切りなさいよ」
60歳になる現在まで、私が大きな事件やトラブルに巻き込まれずに過ごしてこられたのは、この言葉の賜物だと言えよう。
他にも心に残る遺訓がいくつかあるので、いまだに何か迷ったときには、「母だったらどう行動しただろうか?」と考えながら判断することもしばしばだ。
最近は墓参に行く機会も減ってしまったが、父の帰天記念日(2/9)直後にシンプルな花を活けてきた。また遠からず墓前へ出向いて、これからの生活の構想など、両親に報告してこようかと思っている。
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