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2021年7月 1日 (木)

「鳥取砂丘で、とっ...トリックアート?」「伯耆行く前に、箒で放棄しろよ(^^;」

【史料好きの倉庫(31)】

今回は「鳥取県(因伯)の主要大名」の解説である。

1995年に一度だけ訪れているが、鳥取市へは行かず、米子と倉吉との城下町を散策した。これ以外には、電車で素通りしたことはあるが、下車してはいない。

戦国期を通じて、強力な大名が登場せず、同時代史料以外に目ぼしい典籍が残されていない。鳥取藩池田家に関する史料は、同家から県博物館(訪れたことはない)に寄贈されており、修復途上のため原本を閲覧できるものは多くないが、着座=家老級の重臣の系譜であれば、明治から大正にかけて編纂された『鳥取藩史』にまとめて記載されている。

◆南条家
東伯耆の豪族。山名家の被官から、尼子→(失領して流浪)→毛利→織田と、帰属先を次々と変えて戦国期を生き残り、南条元続は豊臣時代に羽衣石を居城として6万石を領知した。しかし元忠は関が原のとき石田方に与して改易、大坂城に入るも、冬の陣の際に徳川方に内応を試み、露見して切腹させられた。

◆鳥取藩
1632年から池田(相模守)家が32万5千石で入封し、因幡一国と大山領を除く伯耆国を統治。初代の池田光仲は徳川家康の外曽孫に当たり、松平の称号を与えられて準家門の格式であった。

◆鹿奴藩
◆若桜藩
江戸初期には両所とも大名が存在したが、1632年から鳥取藩池田家の所領となる。池田家には東館新田藩・西館新田藩と称される分家大名二軒が存在したが、いずれも鹿奴・若桜と直接の関係は持たなかった。そのため1868年に両家がそれぞれ鹿奴藩・若桜藩を自称するも、明治政府から正式な呼称として認められず、1870年には本家に吸収されて廃藩となった。

◆米子領
◆倉吉領
いずれも伯耆国内の城地であり、1632年から鳥取藩領となる。城主の荒尾家は尾張知多郡の豪族であり、荒尾成房は池田輝政の六重臣の一人となって、二男(池田光仲の父)忠継の附家老になった。成利・嵩就兄弟は光仲に随従して因伯へ移転、それぞれ米子城・倉吉城(幕府からは一国一城令の例外として認められた)を預かり、鳥取藩の家老を世襲する一方、各自の城では「自分手政治(事実上の領主としての自治)」を許され、両家とも明治に至った。

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