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2021年9月

2021年9月30日 (木)

こんな植物でも...

昨29日、業者さんに来てもらい、自宅敷地内の樹木をいくつか伐採してもらった。毎年、9月前半に草刈りをしてもらっていたのだが、今年はときどき、除草剤散布や草取りを精出してやっておいたので、それほど荒れ屋敷になってはいなかった。そこで、懸案だった伐採をまとめて依頼したのだ。

今回切って片付けてもらった草木の中でも特筆すべきなのは、中庭の額紫陽花(ガクアジサイ)である。

Gakuajisai

むかし、亡き父が趣味の一つとして、中庭にいろいろと草木を植えていた。父の加齢に連れて次第に手入れできなくなり、一つ、また一つと枯れて、雑草に埋もれてしまったが、この額紫陽花だけは力強く、孤高の雄姿を保っていた。

亡き母は特段に庭いじりもしなかったが、毎夏、敷地に彩りを添えるこの花を愛でていて、時期になると美しく咲くのを喜んでいた。2017年に寝たきりになったあと、その夏には介護事業所の職員に伴われて庭へ出向き、爽やかな花の姿を見て楽しんだ。

その母が2018年春に他界。

額紫陽花はその後も咲き続け、母の三年の喪が明けた今年の3月を待っていたかのように、急速に力を失っていき、枯死してしまった。「役目を終えました」と言っているかのように。

こんな植物でも、主(あるじ)に忠実だったんだなぁ、と、少しく感動している。

2021年9月22日 (水)

アイウエオ順が好い

幼稚園から高校生のホームルームまで、クラスの出席番号は常に「アイウエオ順」だった。私の名字は冒頭「あ」の次が「わ」なので、同じく「あ」で始まる同級生が何人か前におり、二番目から五番目の辺りで変動してきた。

若い番号だったから、「前の席」になることも多かったが、逆に幼少時からそれが当たり前になっていたので、特に抵抗もなく慣れっこになってしまった。

社会人になってからは、あまり「アイウエオ順」を意識することもなく過ごしてきた。宮仕えのときも名簿の並びは所属部署の順番によるものであったし、開業してからは職能を代表して会議に参加することも増えたが、所属団体や役職で順番が決まったので、それを反映した席次にそのまま順応すれば良いだけの話であった。

ところが、県のとある公的な円卓会議で、20名以上のメンバーのうち、私の席が議長の二つ隣になったことがあった。私が代表する団体がその会議に参画したのは、遅いほうから一、二番目であったから、議長から最も遠い席が妥当だと思っていたのだが、この会議に関しては「アイウエオ順」だと説明された。議長の両隣は古参の団体役員(お名前が「あ」の前半で始まる方)と県会議員(お名前が「や」行の方)だったので、なおさら座りが悪かった。

しかし、団体間の格や地位に固執するのでなければ、「アイウエオ順(またはアルファベット順)」の並びが最も使い勝手の好い配列に違いない。「年齢順」も物議を醸すし、「団体が参画した順」だと団体同士の力関係の格差がある場合(あとから参画したほうが有力団体のような場合)は空気が微妙であり、「列席が古い順」だと、同じ団体から以前の在任者が再任され出戻った場合はどうするのかなど、解釈が難しい点が残る。「アイウエオ順」をあらかじめ示されてあれば、その会議に古くから参画している団体の代表者が「あともの」に対して、「あいつらよりウチの団体のほうが、むかしからこの件に協力しているのに」と怒ることもない。何回かその会議への出席を重ねるうちに、いまさらながら便利な面に気が付いた形だ。

そこで、私自身、複数の対等の人たちに宛て、連名にしてFAXやメールなどを送るときには、この順番を明記するようになった。

(例)
足利 義昭 様
織田 信長 様
徳川 家康 様
豊臣 秀吉 様
(アイウエオ順)

これならば、メールを受信した豊臣さんから「徳川君って、ン年前にはオレの部下だったんだぞ!」などと苦情を言われたり、不快感を持たれたりすることもない。これに文句をつけるのは、自分のバカさ加減をさらけ出すのと同じだから。
ただし、送信する現在の時点で同じ組織の上位-下位の関係にある場合は、(内容にもよるが)順番に気を遣わなければならないが。

逆に、他の複数の人たちと連名でFAXやメールを送るとき、こちら側の名前はこんな具合に記載する。

(例)
大久保 利通
木戸 孝允
西郷 隆盛
(以上、アイウエオ順)
粟倉 敏貴

自分の名前だけ末位にしているのだ。

最近、この書法が私の流儀になっている。読者のみなさんも参考にされたい。

2021年9月15日 (水)

開業して20年

2001年9月15日、静岡県から居宅介護支援事業所の指定を受けて、本日で20年になります。

開業ケアマネジャーとして、細々とであるが仕事を続けてくことができました。これまで支えてくださった多くの方々に、心から感謝いたします。

記念企画として、オンラインでミニ講話と飲み会を開催しました。平日の夜なので、人数は前後合わせて14名様と少数でしたが、ご参集くださいました方々、ありがとうございました。

20210915202

みなさん、今後ともよろしくお願いいたします。

2021年9月 8日 (水)

エラい人たちは特別扱いなのだ!

天才バカボンのパパ風に。

 

(ここから)

あははは\(^o^)/

緊急事態宣言出ているけど、あちらでもこちらでも宴会なのだ。

国民には飲んで騒ぐなと言っているけど、自分らは遅くまでやっている店を探して、深夜までバカ騒ぎするのだ。

政治家さんも宴会なのだ。大事な会議だと言えばいいのだ。

厚生労働省のお役人さんも宴会なのだ。自分たちは医療や介護の現場にいないから、人にうつさないのだ。

地方公務員さんも宴会なのだ。自治体の自粛要請も違う部署だからよく知らなかったのだ。

テレビ局も五輪の打ち上げの宴会なのだ。ハメ外したついでに、非常階段も踏み外したのだ。

「宴会やってええんかい?」なんて言うのは野暮なのだ。赤信号はみんなで渡るのだ。

国民に叱られても、謝ってしまえば終わりなのだ。

みんなお給料減らされたけど、そのうち元に戻るのだ。

何年か経ったら忘れられてしまうのだ。

これでいいのだ!***\(^^)/***

(ここまで)

 

本当に「これでいいのか?」

筆者は一概に「飲んで楽しむこと」が悪いとは思わない。問題は別のところにあるのではないだろうか?

2021年9月 4日 (土)

謝罪しない高齢者

私の仕事はケアマネジャーなので、居宅介護支援・予防支援の利用者=顧客のほとんどは、高齢者の方々である。いま公益事業として浜松市の要介護認定調査員を受託しているが、調査でお邪魔する対象者の方々も同様である。

ときどき、利用者や対象者の方の、社会的地位が高い場合がある。地域の○○業界の指導者だった方など。総じて、その方々は礼儀正しく温厚である。横柄な方に出くわすこともあるが、ごく一握りであり、ほとんどの方は「地位が人を作る」との表現にふさわしく、私のような「若造(笑)」にも丁寧に応接してくださる。

ただし、〔あくまでも私の経験上であるが、〕この類型の方々の多くは、なかなか自論や自分の流儀を曲げない。「ルールは守るが、好きなようにやらせてくれ」である。中には「不適切な用語」を日常的に発する方もあり、訪問して辟易することも少なくない(なお、本日現在の利用者さんの中には、気になるほどの方はおられない)。

それが自分の家族や周囲にとどまっているのであれば問題ないのだが、世の中には往々にして、逸脱した言動を公開する人たちが登場することは、皆さん周知の通りだ。

困ったことに、「全国区」のエラい高齢者の中にも、そんな人たちがいる。

以下、二つの事例。

DHC会長の吉田嘉明氏(80)。以前から在日コリアンや朝鮮半島系日本人(日本国籍を取得した人たち)への攻撃的な言動が目立ったが、昨年11月に自社ホームページに掲げたメッセージ中で、対立する会社が起用するタレントの多くが在日コリアンであると指摘した(←指摘すること自体は、事実誤認がなければ決して間違った発言ではないが、氏からの具体的な判断根拠の説明は確認できていない)。加えて、その会社に対して、在日コリアンの人たちを貶める差別用語を使用した。これに対して多方面から抗議の声が上がり、当初だんまりを決め込んでいたDHCは、関係者に対し部分的かつ非公式に謝罪したと伝えられるが、吉田氏本人からはいまだ公的に何の謝罪もなされていない。

評論家の麻生千晶氏(83)。もともと、人を容姿で評する傾向があることが他の論者から指摘されていたが、今年6月、J-Castニュースのコラム内で、野球解説者(もと選手)の容貌が嫌いだった(←好き嫌い自体は本人の自由であり、それだけで終わっていればそれまでだった)ことを述べた文脈の中で、麻生氏が同解説者を「イケメンでない」「醜い」と思っているとしか受け取りようのない侮辱的な表現をした。それを読んだ相手の解説者は自身のインスタグラムで露骨に不快感を表明して抗議し、良識ある多くのネット民も、論評の中で人の容姿を論(あげつら)う態度を強く批判した。この事態を受けたJ-Castは同解説者に対して謝罪し、当該コラム自体を終了したが、麻生氏本人からはいまだに同解説者に対して何の謝罪もされていない。

この二例はいずれも本日現在で私が獲得した情報に基づいて記載した。誤認や追加情報があれば修正するので、お教えいただけるとありがたい。また、このお二人の過去の業績を否定したり誹謗中傷したりする意図は全くないことをお断りしておく。

さて、両者に共通しているのは、「言いっ放し」である。自分の個人的な感情や意見はあるだろうし、他者を傷付けないのであれば、それを公開しても差し支えないであろう。ところが、そこに差別用語や侮辱的表現が加わると、特定の集団や個人を傷付けるものになるのだ。であれば、社会のルールとしては当然、本人が公的に謝罪するのが妥当であろう。

ところが、地位が高くなると、簡単にそれができなくなる。そこに加齢に伴う思考の硬化が加わるとなおさらだ。

かくして、「老害」と呼ばれる状態が発生する。この用語自体、私はあまり使いたくはない。単に「柔軟な思考に欠ける」振る舞いをするのは、個人差こそあれ、誰しも高齢になると経験するものであり、それだけでは決して「老害」には当たらない。しかし、他者を傷付け、それを客観的に指摘されても、非を認めて謝罪することができないのであれば、これは「老害」とされてもいたしかたないであろう。

私自身は(市内の弱小職能団体の代表を務めたレベルだから...)全く地位の高い人ではないので、たぶん20年後に80代になっても、こうはならないだろう(笑)と安心しているが、それでもブログやFacebookで、気が付かないうちに逸脱表現をしてしまっていたら、早めにご指摘いただきたいと願っている。

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