私の仕事はケアマネジャーなので、居宅介護支援・予防支援の利用者=顧客のほとんどは、高齢者の方々である。いま公益事業として浜松市の要介護認定調査員を受託しているが、調査でお邪魔する対象者の方々も同様である。
ときどき、利用者や対象者の方の、社会的地位が高い場合がある。地域の○○業界の指導者だった方など。総じて、その方々は礼儀正しく温厚である。横柄な方に出くわすこともあるが、ごく一握りであり、ほとんどの方は「地位が人を作る」との表現にふさわしく、私のような「若造(笑)」にも丁寧に応接してくださる。
ただし、〔あくまでも私の経験上であるが、〕この類型の方々の多くは、なかなか自論や自分の流儀を曲げない。「ルールは守るが、好きなようにやらせてくれ」である。中には「不適切な用語」を日常的に発する方もあり、訪問して辟易することも少なくない(なお、本日現在の利用者さんの中には、気になるほどの方はおられない)。
それが自分の家族や周囲にとどまっているのであれば問題ないのだが、世の中には往々にして、逸脱した言動を公開する人たちが登場することは、皆さん周知の通りだ。
困ったことに、「全国区」のエラい高齢者の中にも、そんな人たちがいる。
以下、二つの事例。
DHC会長の吉田嘉明氏(80)。以前から在日コリアンや朝鮮半島系日本人(日本国籍を取得した人たち)への攻撃的な言動が目立ったが、昨年11月に自社ホームページに掲げたメッセージ中で、対立する会社が起用するタレントの多くが在日コリアンであると指摘した(←指摘すること自体は、事実誤認がなければ決して間違った発言ではないが、氏からの具体的な判断根拠の説明は確認できていない)。加えて、その会社に対して、在日コリアンの人たちを貶める差別用語を使用した。これに対して多方面から抗議の声が上がり、当初だんまりを決め込んでいたDHCは、関係者に対し部分的かつ非公式に謝罪したと伝えられるが、吉田氏本人からはいまだ公的に何の謝罪もなされていない。
評論家の麻生千晶氏(83)。もともと、人を容姿で評する傾向があることが他の論者から指摘されていたが、今年6月、J-Castニュースのコラム内で、野球解説者(もと選手)の容貌が嫌いだった(←好き嫌い自体は本人の自由であり、それだけで終わっていればそれまでだった)ことを述べた文脈の中で、麻生氏が同解説者を「イケメンでない」「醜い」と思っているとしか受け取りようのない侮辱的な表現をした。それを読んだ相手の解説者は自身のインスタグラムで露骨に不快感を表明して抗議し、良識ある多くのネット民も、論評の中で人の容姿を論(あげつら)う態度を強く批判した。この事態を受けたJ-Castは同解説者に対して謝罪し、当該コラム自体を終了したが、麻生氏本人からはいまだに同解説者に対して何の謝罪もされていない。
この二例はいずれも本日現在で私が獲得した情報に基づいて記載した。誤認や追加情報があれば修正するので、お教えいただけるとありがたい。また、このお二人の過去の業績を否定したり誹謗中傷したりする意図は全くないことをお断りしておく。
さて、両者に共通しているのは、「言いっ放し」である。自分の個人的な感情や意見はあるだろうし、他者を傷付けないのであれば、それを公開しても差し支えないであろう。ところが、そこに差別用語や侮辱的表現が加わると、特定の集団や個人を傷付けるものになるのだ。であれば、社会のルールとしては当然、本人が公的に謝罪するのが妥当であろう。
ところが、地位が高くなると、簡単にそれができなくなる。そこに加齢に伴う思考の硬化が加わるとなおさらだ。
かくして、「老害」と呼ばれる状態が発生する。この用語自体、私はあまり使いたくはない。単に「柔軟な思考に欠ける」振る舞いをするのは、個人差こそあれ、誰しも高齢になると経験するものであり、それだけでは決して「老害」には当たらない。しかし、他者を傷付け、それを客観的に指摘されても、非を認めて謝罪することができないのであれば、これは「老害」とされてもいたしかたないであろう。
私自身は(市内の弱小職能団体の代表を務めたレベルだから...)全く地位の高い人ではないので、たぶん20年後に80代になっても、こうはならないだろう(笑)と安心しているが、それでもブログやFacebookで、気が付かないうちに逸脱表現をしてしまっていたら、早めにご指摘いただきたいと願っている。
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