« こんな植物でも... | トップページ | 「香川県の池は、蚊が湧かん?」「多度津まで、たどっ...て調べろ」 »

2021年10月 3日 (日)

「徳島で商売して、得しま(^^」「阿波でアワてると損するぞ!」

【史料好きの倉庫(36)】

今回は「徳島県(阿波)の主要大名」の解説である。

47都道府県のうち、最後に到達したのがこの県だ。1999年に兵庫県から高速バスに乗り、鳴門海峡を渡って、初めてJR徳島駅前に降り立ったとき、「全県制覇したぞ!」と感動したものだ。そのときは徳島城、大歩危と祖谷渓(画像右)、那賀川の平島公方墓所(画像左)などを観光した。数年後に所属団体の用事で同県を再訪している。

戦国期の阿波の豪族は、三好家の滅亡に前後して姿を消してしまい、地元に残る同時代史料を参照して系譜をたどるのが一般的であるが、多くは詳細が知られていない。蜂須賀家時代の史料は徳島大学(未訪問)に所蔵されている家臣成立書並系図がある。刊行された『徳島藩士譜』でも参照できるが、こちらは重臣も含め各家の歴代当主のみを記載した簡略なものである。

1999tokushima

◆三好家
戦国期「下剋上」の代表選手とされる一族。もとは鎌倉期に阿波守護であった小笠原家の庶流であり、室町期には細川家(阿波屋形)の守護代であった。三好長輝(之長)以来中央の政局に関与し、長慶は摂津・河内を拠点として細川政権に取って替わり、畿内の実権を掌握したが、家臣・松永久秀の台頭を許し、次代の義継に至って滅亡した。他方、阿波では長慶の弟である義賢が、守護・細川持隆を自殺させて勝瑞城の主となり、国政を執ったが、長治のとき細川真之(持隆の子)・長宗我部元親の攻撃を受けて滅ぼされた。

◆一宮家
三好家の同族であり、南北朝期から阿波一宮大宮司の名跡を継承し、武家と社家とを兼ねている。戦国期には三好家の傘下にあったが、一宮成祐のとき長宗我部元親に与して本領を安堵され、のち織田家に内応したため、元親に咎められ切腹させられた。子孫は蜂須賀家の時代に大宮司に再任し、名字を小笠原に改めて存続している。

◆赤松家(住吉領)
播磨守護であった赤松家の当主・則房が1585年に阿波住吉1万石に封じられたが、阿波一国の主・蜂須賀家の客分的な地位だったこともあり、統治の実態は未詳。則英は関が原の戦で石田方に味方し、戦後は自殺して廃絶した。

◆徳島藩=蜂須賀家
豊臣政権の参謀として知られる蜂須賀正勝(小六)の家系。蜂須賀家政が阿波一国を領知して渭津に居城を置き、関が原の際には石田方の毛利輝元軍に進駐を許したため、剃髪して隠居した。至鎮は徳川方に参戦していたので、戦後に所領を安堵され、大坂の陣の功により淡路を加増されて、二国256,940石の主となった。光隆のとき城の名を徳島と改称し、明治まで続いて廃藩置県を迎えたが、事実上の藩主の血統は、江戸中期から松平(高松)→佐竹→徳川(将軍家)と変転している。

« こんな植物でも... | トップページ | 「香川県の池は、蚊が湧かん?」「多度津まで、たどっ...て調べろ」 »

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« こんな植物でも... | トップページ | 「香川県の池は、蚊が湧かん?」「多度津まで、たどっ...て調べろ」 »

フォト
無料ブログはココログ
2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

他のアカウント