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2021年12月

2021年12月30日 (木)

みなさん、今年もありがとうございました。

ドタバタの2021年が、幕を閉じようとしている。

政治では内閣が一年で交替。経済は回復の兆しを見せながら足踏み。文化・スポーツ面では市民の活動が制約され、若者たちの発信が抑えつけられる一方で、五輪やパラリンピックは無観客の異様な姿で強行される矛盾を露呈。そして何よりもコロナ禍が続き、いまだに多くの人々が(もはや弱毒化して、普通のカゼと大差ないのだが、それにもかかわらず)、神経をピリピリさせており、これに対する政治判断が後手に回り、必要性の薄い隔離が機械的に行われている状況。

繰り返すようだが、私が何よりも憂慮しているのは、この二年間、人の尊厳や人間の尊厳が劣後にされかねない状況が続いていることだ。一口にコロナ禍と言っても、当初の蔓延時期、デルタ株の時期、オミクロン株の現在と、フェイズは次々と変化している。私たちの認識が二年前から進歩していないとすれば、(誤解を恐れずに言うが)それは人間としての退化が始まっていることにほかならない。

介護業界では、国による制度の見直し・報酬改定に伴い、根拠に基づいた「科学的介護」が推進されている。また、居宅介護支援の方式・書式に対しても厚生労働省からツッコミが入っているが、私がかねてから懸念している通り、ケアマネジメントが「がんじがらめ」に縛られる傾向が強まっている。5年ぶりに主任介護支援専門員の更新研修(必修)を受講してみても、それを感じた。真のケアマネジメントの姿から、どんどん遠ざかっていないだろうか?

個人(自分の事業)としては、居宅支援の要介護の利用者さんたちに、この半年間で医療機関長期入院や介護施設入所が相次いだことにより、「顧客数」が20→13と急減し、財政的にはいささか厳しい状態に陥っている。本業では予防支援(複数の地域包括支援センターより受託)7名に加え、公益事業として要介護認定調査も月8件ほど引き続き受任しているので、何とか事業所は存続している(^^; 他方で、「オンライン文章作成講座」を開講するなど、新たな挑戦も始めた。ある意味、仕事の転換期に入っている可能性もあるので、あまり一喜一憂せずに、自分のポテンシャルを信じて、いまできることを地道に続けていきたい。

2022年はどのような年になるのだろうか?

一年間、支えてくださった方々に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

2021年12月26日 (日)

ヴェルディ歌劇の面白さ(18)

例年の通り、10月から年末にかけ、購入または録画したヴェルディのDVDやBDを鑑賞している。

昨年のエントリーでも記述したが、ヴェルディの歌劇の中で展開されるドラマは、現代社会が抱える多様な問題に通じるものがあり、一つひとつの作品が訴えかける主題は重い。

鑑賞するのは月に5~6作品。前期までの作品はセレクト、中期(「リゴレット」から「ドン‐カルロス」まで)以降はすべての作品を、作曲された順に視聴している。今年は比較的古い演出のものを中心に並べてみた。とは言っても、2000年前後からあとのものがほとんどだ。

中でも好きなのは「シモン‐ボッカネグラ」2007年ボローニャ(テアトロ‐コムナーレ)版である。

Simonboccanegra

ミケーレ‐マリオッティが指揮した歌劇の代表作の一つ。演出はジョルジョ‐ガッリオーネ。歌手はロベルト‐フロンターリ、ジャコモ‐プレスティア、カルメン‐ジャンナッタージォ、ジュゼッペ‐ジパーリ、マルコ‐フラトーニャと、イタリア人キャストを中心に実力派が揃っている。重厚で聴き応えのある名演と言って良い。

このほか、「運命の力」2008年版ヴィーン版ではサルヴァトーレ‐リチートラ、「オテロ」は2012年メトロポリタン版ではヨハン‐ボータと、若くして世を去った名テノールたちの雄姿を眺めつつ、彼らの早過ぎる死を悼みたい。事故や病気に遭わなかったら、まだまだ活躍できたのに...と残念な思いだ。

コロナ禍や個人の経済的な事情もあるが、身体面からも、東京や名古屋などの劇場まで往復した上、長く同じ姿勢を保って鑑賞するのは、次第に厳しくなりつつある。もちろん、機会があれば実際の舞台へ足を運びたいとは思っているが、当面は自宅でのヴェルディ三昧になりそうである。

2021年12月17日 (金)

どうやら高血圧に

筆者は10月に満61歳を迎えて、間もなく二か月になる。これまで同様、仕事にも勤しんでおり、個人的にも大きな変化のない一人暮らしを続けている。

しかし、最近になって気になることが生じた。

血圧が高いのだ。

これまで数年間、下(拡張期血圧)はおおむね70~80台、冬は90台とやや高めだったが、上(収縮期血圧)は120~139と境界値付近で推移してきた。

ところが、この秋の半ばごろからは、上が140台のことが増えている。暖かい部屋から寒い部屋へ移動したあと測定すると、150を超すことがあり、ヒートショックのリスクも考え併せると、そろそろ危険水域に差し掛かっていると感じている。

原因はいろいろ考えられる。

まず、仕事の現況。居宅介護支援の運営基準やケアプランの様式が変わったことにより、不慣れな書類をいくつも準備しなければならなくなった。それに加えて法定の主任介護支援専門員更新研修の受講(4~5年に一回必修。いまはオンラインで9日間)があるため、気持ちの余裕がなくなっている。これが第一の理由であろう。原因を取り除くためには、研修が終了し(年明けに残り2日)、必要書類の準備を終えるまで待つしかないかも知れない。

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次には、アルコールや塩分を好む傾向。飲酒は毎日ワインを1/3本程度なので、気持ちの安定のため当分はやめない予定(^^; 減塩には気を遣わなければならないので、少なくとも朝食のスープ(毎日)や、昼食のラーメンのスープ(週2~3回)、夕食にときどき味わう味噌汁(月2~3回)のスープなどは、飲む量を控え目にしていく。自宅と事務所に画像の紙を貼って、なるべく「満足する一歩手前」で自制するように心掛けたい。

最後に、加齢。こればかりは不可抗力である。血管の弾力性が失われてしまうのだから。

食生活を改善するため、これまでもときどき食べていた降圧効果のある食物、ほうれん草、バナナ、納豆、イワシなどを、意識して鋭意摂取していくつもりだ。

注意を促してくれる家族もいない身なので、後悔しないように努めようと思う。

2021年12月 8日 (水)

新型コロナ(15)-新変異株に「うろたえるな!」

新型コロナウイルスが世界に蔓延してから、間もなく二年になる。

その間、私たちは社会生活の中で、数々の制約を強いられてきた。マスク着用、「不要不急」の外出制限、多人数での飲食の制限、イベントでの参加者同士の距離確保や声出し禁止、等々。

感染症を引き起こすウイルスである以上、国や自治体が市民社会を守るために、予防策を講じなければならないことは当然だ。その一環として各所で上記の対策が励行されることに、私は反対するものではない。

他方、以前のエントリーで述べた通り、その感染予防策が個人、組織、地域、共同体(地方、国)のいずれのレベルでも、過剰な段階に至ったことにより、本来守られるべきである「人の尊厳」「人間の尊厳」が危機に瀕することになった。

もちろん、私自身も新型コロナウイルスに感染したくないし、自分が媒体になって他の人(特に「顧客」である高齢者)に感染させたくない。そのために可能な予防策は日々実践しているつもりだ。現在でも私は、利用者や介護者を前にしたとき、店舗へ入ったときなどには必ずマスクを着用するし、(経済的事情もあるが...)二年近くにわたり会食にも参加していない。

しかし、この状況が世間一般の自然なルールと化していることには、大いなる違和感を覚える。

政府は東京五輪やパラリンピックを強行する政治的決断を下しながら、相次ぐ第三波、第四波、第五派に対して緊急事態宣言や蔓延等防止措置を延々と発出し続けた。その間に新型コロナのいわば主力を占めていた「デルタ株」が、おそらく弱毒化や自壊作用を引き起こし、10月以降は散発的なクラスター等の発生を除き、日本国内での感染拡大が下火になっている。

ならば、この期間に現行の「二類感染症(結核・SARS・MERSなどのレベル)」から「五類感染症(ウイルス性肝炎・新型以外のインフルエンザなどのレベル)」に変更すべきではなかったか? 

そうすることによって保健所の膨大な負担(これまで、他部署・民間の保健師や、同等の力量を持つ看護協会所属の看護師までが駆り出されてきた)をいったん終結させ、かかりつけ医の裁量によって入院、隔離等の対応を判断できることになれば、自治体の負担は大幅に減り、その力を感染対策の他の部分に振り分けることができるはずだ。むしろ病床逼迫を来たさないための対策は、そのほうが効果的に推進できるかも知れない。

また、私たちも「人間らしい」社会活動を取り戻すことができる。たとえば、高齢者施設において、人権侵害とも思える家族の面会制約なども、厚生労働省や自治体が「縛り」の高札を降ろすことにより、施設長の裁量で、コロナ禍以前に近い形に戻すことができる(あえて非人間的な制約を続ける施設は、社会的に批判を受け、利用希望者が減る)。

現実には、二類→五類に反対する人たち(個人、組織)がいることを、もちろん私も承知している。純粋に科学的見解から反対している人たちもいれば、利権を手離したくない人たちもいるだろう。逆に、あまりにも感染症を軽視し、認識不足から安易な制約解除を推進する人たちも、残念ながら存在する。

これらを総合的に判断して大所高所から決断するのが、政治の役割なのだ。

子どもたちが一緒に遊ぶこともできず、健全に成長できない社会や、仕事を失ったり心を病んだりして自殺する若者が増える社会は、望ましい姿なのだろうか? この状況でさらに一年、二年と経過すれば、日本経済は立ち直ることができなくなり、日本の市民社会は取り返しのつかないところまで破壊されてしまうかも知れない。

それは単に国内の問題にとどまらない。日本に(表向きはともかく、内実は)敵対的な他の国にとって、思う壺ではないか?

このほど「オミクロン株」が蔓延しつつあるが、確かに感染力が強いとは言え、重症化しにくいとの情報も示されつつある(今後、評価が変わってくるかも知れないので、念のため)。これを恐れていては何も進まないことは確かだ。ウイルスはそもそも変異するものなのだから、世界の各地で今後も次から次へと、新たな変異株が生まれるであろう。

日本国民、とりわけ政治家の皆さんは、この新しい変異株に「うろたえるな!」

私たちは冷静にその実態を分析しつつ、正しく恐れるべきだ。そして五年後、十年後、二十年後の日本の姿を見据えた、最も望ましい選択をすべきであると、私は訴えたい。

2021年12月 4日 (土)

ようやく開講して思ったこと

以前のエントリーで、おもに介護従事者を対象にした「オンライン文章作成講座」を予告したが、あれこれと用事が重なったことにより、準備に時間が掛かってしまい、ようやく開講にこぎつけた。

全五講(各一時間、質疑応答時間もあり。受講料は一講につき1,500円)。11~12月に掛けて第一巡目を実施し、そのあと約一年余りの間に、何巡かローテーションで回していく。日本語の基本が短期間に大きく変わるものではないので、おおむね同じ話を何回も繰り返すことになる。詳細は私のHPをご覧いただきたい。開講情報は逐次更新していくつもりだ。

まだ申込者はお二人。そのうちお一人は第二巡目以降を希望されているので、第一巡目はいまのところお一人だけである。11月29日の第五講、そのお一人の方とマンツーマン状態で、記念すべき最初の講話をした。ちなみにこの方は、2011年の自費出版冊子「作文教室」を購入してくださって以来の知人であり、2018年に私のほうがお住まいの県まで出向いて、初対面を果たしている。4~5月にオンラインで準備講話を実践した際にもご協力いただいた。感謝!☆

文章作成講座とは言え、一般向けの「国語教室」ではなく、介護従事者向けにいろいろな方が開講されている「記録方法の指導」でもない。私たちの業界ではいまだ類例の少ない「産業日本語」の講義である。足元には私たちが守るべき職業倫理である「利用者本位」の底流があり、その上に立って私たちの大切な言語である日本語をどう理解し、どう活用するべきかを論じているものだ。

私自身はこれまで、書き言葉のみならず、話し言葉についても語る機会をいただき、多くのケアマネジャーや介護職員の前で、顧客である利用者やそれを支える介護者を尊重すべきことを力説してきた。これは、すでに折に触れて何度も述べた通り、私の若い時代の恥ずかしい行為(当時勤務していた施設の複数の利用者さんに対する、虐待に類する言動や侮蔑する言動)への痛切な反省を踏まえている。下の画像はこれらの講話の根幹部分と称するべきスライドである。

20170822shimada

そして、一人ひとりの職員が利用者に向き合う姿勢は、会話(口のきき方)にとどまらず、文章にも表れる。顧客である利用者や介護者に対する深いリスペクトが窺える文章は、おのずから品格を備えていることが多い。

もちろん、どれほど人間の尊厳を重んじる立派な介護従事者であっても、国語の力は意識して修得しなければ上達しない。日頃から「書くこと」「綴ること」をいとわずに、学習→実践→学習→実践を繰り返してこそ、その意図するところが読み手にしっかり伝わる、良い文章の書き手になることができる。

日頃から向上心をお持ちで、国語力を身に着けたい介護関係者の方は、ぜひ私の「オンライン文章作成講座」をご聴講いただきたい。

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