「40年積み上げた信用を、5分で全部失いますか?」
最近、メディアを賑わせている記事の中には、相変わらず殺人事件や傷害事件が多く見受けられる。
まず、無差別の殺人事件が少なからず発生している。
いわゆる「劇場型犯罪」「拡大自殺」やその模倣犯罪などのため、理不尽に命を絶たれる人が跡を絶たない。まだまだ人生でやりたいことがたくさんあったのに、それが永久に不可能になり、突然生涯を終えさせられた人たちの無念を思うと、他人事とも思えず、悲しみに堪えない。
それらの犯人(今回のエントリーでは、犯罪の経過が明々白々であることを前提に、この呼称で統一する)の年代はさまざまだ。10代後半から80代までどの年代を取っても、一握りではあるが、この種の殺人事件を起こしてしまう人がいる。コロナ禍による閉塞感が影響していると評する論者もおり、無関係とは言わないが、コロナ禍以前からこの種の犯罪はしばしば見受けられている。「孤立」「引きこもり」「長年にわたる無職」だった犯人が相当数いることも確かだが、それにステレオタイプ化してはいけない。
もっとも、失うものが「ない」「たいへん少ない」人が犯人になってしまう場合が多いことも、これまた現実である。その意味では「信用」「名誉」「地位」などは、この種の破滅型・自暴自棄型の犯罪への抑止力になっているのかも知れない。
他方、無差別ではなく、誰かからの「何かのアクション」を受けて、短絡的に人を殺したり、人に暴力を振るったり威嚇したりする事件も、しばしば報道されている。他車の行為に腹を立てたことによる「あおり運転」もその好例だ。第三者から見ると、些細なトラブルが原因で、相手を殺したり傷付けたりする犯人の精神状態が、理解し難いかも知れない。
しかし、「立腹して相手に攻撃(反撃)したくなる」情動は、多くの人の心に発生するものなのだ。特に加齢に伴い、アドレナリンの分泌に影響される易怒性をコントロールするのが困難になると、予期しない暴発をしてしまって後悔することになるのだ。「高齢者は角が取れて丸くなる」は一面の真実を表しているのかも知れないが、不測のアクシデントやインシデントにより、それと相反する行為への動機付けが突発することも、日常茶飯事だと思っていたほうが良い。
私自身もときどき、他者からの些細なインパクトに立腹して、この情動を覚えることがある。そんなときには、自分自身に対して、こう問いかけることにしている。
「40年積み上げた信用を、5分で全部失いますか?」
幸いにも、この自己暗示?が奏効して、メディアに報じられる事件を起こさずに済んでいる日々である。
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