あれから20年
父が80歳で世を去ったのは、2002年2月9日。きょうは帰天20周年に当たる。
そのとき、私は父を看取ることができなかった。
朝、二階で寝ていた私が起きて階下へ行くと、いきなり深刻な顔をした母が私に声を掛けた。父が全身に汗をかいている様子で、母がいくら声を掛けても起きてこないのだ。
父は数か月前から認知症が進んでおり、母の介護負担が増えつつあった。近くの通所介護を見学した後、ひとまず週一回から利用を始め、短期入所生活介護も併せて利用するつもりで予約していたが、身体面では大きな衰えはなく、家の内外を普通に立ち居、移動していた。
しかし、この朝の7日ほど前、父が私と会話していて、たいへん力ない応答をしたことがあった。そのとき私は、「もう生きる気力を無くしてしまったのかなぁ」と直感した。この前兆があったので、当日朝の急変を迎えて、「もしかしたら...」と悟ったことを覚えている。
あいにく、午前中には外せない用事が入っていた。朝食を済ませた後、母の友人が応援に来てくれたので、二人にあとを頼んで、ひとまず出掛けて用を済ませた。
お昼前に帰宅したのだが、すでに父は天に召され、かかりつけ医が来宅してくれて、死亡診断も終わっていた。母の友人に感謝して帰ってもらった後、本人の意思にのっとって急場の「臨終洗礼(帰天直後は有効)」を行い、尊敬していた高山右近と同じ霊名「ジュスト」を追贈して、教会で葬儀を執り行ってもらう運びにした。かかりつけ医の診療所から看護師が来宅して「死後の処置」を済ませてくれた。
そのあと、10日に自宅での通夜、11日に教会での葬儀ミサと、それぞれ百名を超える列席者への応接で、何とも多忙な三日間であったことを、いまでも鮮明に記憶している。自分にとって初めての経験だったが、介護施設に勤務して、過去に類似した体験をしているので、それが役に立ったことは確かだ。
きょうは、父が好きだった海産物をよく行商に来てくれた「丸一魚店」から何品かテイクアウト。一人でささやかながら20年を記念して、父を偲んでみた。うちが三十数年(昭和の終わりから)買い物をしていたこの魚店も、今月末で閉店するという。時代は移ろうものであろう。
これからは、自分自身の健康管理に努めながら、父の年齢を超えることを目標にして、日々の仕事や家事に勤しみたいと思っている。
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