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2022年8月

2022年8月21日 (日)

甚だしいメディアの劣化

7月19日、フィギュアスケートの羽生結弦選手(27/ソチ五輪およびピョンチャン五輪の男子シングル金メダリスト)が会見を開き、自身の今後の進路について表明した。

私はこの会見をあとで断片的に見聞きしたに過ぎない(全部は視ていない)が、「引退ではない。高校野球からプロ野球へ進むのを引退と言わないのと同じ」「プロのアスリートとしてスケートを続けていく」の言葉に、

「ああ、ついに羽生選手はエリジブルから外れるんだな」と、何の疑問もなく了解したものだ。

この「エリジブル(=eligible。競技選手として適格である者の意)」はISU(国際スケート連盟)のシステムなので、一般の人たちにとってわかりにくいことは事実だ。私はスケート靴を履いたことさえ全くないが、荒川静香氏(40/トリーノ五輪の女子シングル金メダリスト)の活躍以来、多少はスケートについて知識を得ていたので、羽生選手が会見で述べた言葉の意味はすぐに理解できた。スケートにおける「プロ転向」はもちろん「引退」とは異なる。同選手は何も難しいことを語っているわけではない。

ところが、一部メディアがこの会見に噛み付いたのだ。「『引退ではない』の発言は意味不明」「ファンにわかりやすい説明を」などなど...

それらの記事を読んで、「何を抜かしてるんだよ!」と思った。これらの(一部かも知れないが)メディアで仕事をする記者やデスクの勉強不足は噴飯ものでしかない。わからなければ自分で調べて整理してから、読者が理解できるように解説するのが、自分たちの職務であろう。…と言うより、事前のスクープ(これはこれで問題だが...)によって「プロ転向」が予測できたのだから、先に調べてから会見へ行くべきではないのか? それがメディアとしての「プロの仕事」であるはず。

選手側の表明内容に責任があるかのような言い方は、小学生が家に帰って「こんなわかりにくい宿題を出す先生が悪い」と駄々をこねているレベルであり、天下に恥をさらしているようなものだ。偉大なチャンピオンに対して礼を失すること甚だしい。

罵倒ばかりしていてもしかたがないので、記事(要点)の模範例を作ってみた。以下の通り。

「『羽生選手が競技生活に別れ』。

フィギュアスケートで二度の五輪金メダルに輝いた羽生結弦選手が会見を開き、国際スケート連盟の競技選手(エリジブル)の登録を終了して、今後はアイスショーで演技するプロスケーターの道を歩むことを発表しました」

このように書けば、記載された意味は明々白々であろう。その上で必要ならば、「エリジブル」について囲みまたは注記で解説すれば良いだけの話だ。

スポーツにしても(将棋のような)頭脳競技にしても、いや、私たち介護業界を含め、あらゆる分野の業界にはそれぞれ特有のシステムがある。各メディアにはそれぞれ担当部署があるはずだ。自分が配属された以上、まずは勉強すべきである。それが「お客様(読者)」に対する義務であろう。

その努力をせずに報道しようとする姿勢を見聞きすると、メディアの劣化としか言いようがない。今回は羽生選手の会見がわからないとゴタゴタ言っていた一部メディアを例として掲げたが、最近は他のメディアも多くは、また別のところで同様な手抜きをしている状況だ。小学生レベルの記事しか書けないのであれば、読者が離れていくのは火を見るよりも明らか。また、それはその業界で働く人たちに対しても非礼なのである。

自社の「商品」の劣化を食い止めることが、多くのメディアにとっても課題と言えそうだ。

2022年8月13日 (土)

時代小説の虚実

私が愛読している本のうちに、佐伯泰英氏の『居眠り磐音・江戸双紙』シリーズがある。過去、NHK木曜時代劇でも『陽炎の辻』としてシリーズ化された。改作版が文春文庫から刊行されているが、私は双葉文庫の旧版のほうを全51巻揃えて所蔵しており、時折、好きな部分を読み返している。

この作品には、主人公である直心影流「尚武館」を運営する剣術家・坂崎磐音(架空の人物)の敵役の中心人物として、老中・遠江相良(静岡県牧之原市)藩主の田沼意次(1719-88)と若年寄の意知(1749-84)の父子が登場する。術策を弄して尚武館を破滅させようと企む二人は、権力に驕って国政を壟断する悪役として表現されている。実在の田沼父子はかつて喧伝された賄賂政治の代表格ではなく、むしろ開明政治家の代表であったことが、研究者によって明らかにされつつあるので、あくまでも小説の中の田沼父子ということになるのであろう。

ところで、この小説の第40~43巻で「鈴木清兵衛(すずき せいべえ)」なる人物が登場する。田沼父子に抱えられて「江戸起倒流」の剣道場を経営し、門弟三千人の隆盛を誇っていた。そして、尚武館や磐音に近い人たちに対し、繰り返し卑劣な攻撃(背後から忍び寄って突き殺すとか、毒矢を射かけるとか)を仕掛けるが、道場に乗り込んできた磐音との勝負に完敗し、武名が地に堕ちてしまう。この恥辱を逆恨みして身を隠した清兵衛は、最後の第51巻で再び登場し、またも卑劣な手段で磐音を殺そうとするが、逆に磐音に斬られて死ぬ。

さて、史実の鈴木清兵衛 邦教(くにたか。1722-90)は幕臣(蔵米100俵+月俸5口)であり、幕府の鉄炮箪笥奉行や西の丸裏門番頭を歴任した旗本なのだが、その姿はこの小説とは全く異なる。何よりも、清兵衛は「柔術家」であり、剣術家ではない(もちろん武士である以上、何らかの形で剣術は身に着けただろうが、それを業としていたわけではない)。

それどころか、「起倒流」は柔術の主流の位置にあり、後世の講道館柔道にもつながる大きな流れの中心だったのである。何代にもわたる伝統的な柔術を、師である滝野遊軒(貞高)から継承したのが鈴木清兵衛であり、弟弟子の竹中鉄之助であった(嘉納治五郎は竹中の孫弟子に当たる)。

「柔道(いまの柔道とは少し異なるが)」の名称を唱えた清兵衛は、多くの門弟を抱え、老中・松平定信をはじめ、高位の弟子何人かにも教えていた。単に身体の鍛錬のみならず、人の上に立つ武士としての道、健全な精神を目指した柔術指導をしていた。当時にあって尊敬される武術家の一人であったと言えよう。

したがって、清兵衛が剣術の勝負において卑劣な振る舞いをした『居眠り磐音』の記述は、全くの虚構以外の何物でもない。

田沼父子ほど名前が知られていないので、柔道や柔術に関心の薄い人は、小説に登場する見下げ果てた人物が実在の鈴木清兵衛だと信じてしまうかも知れない。これでは良くないと思ったので、事実を記載しておく。

(仮にも柔道史上で一時代を代表する人物である以上、佐伯氏も小説を書く際に少し配慮したほうが良かったのではないかと、個人的には感じている。故人には人格権が存在しないのだから、小説で何を書いても名誉毀損にならないと考えているのであれば、少し違うのではないか)

清兵衛について詳しく知りたい人は、ネットで史料の所在も検索できるので、時間を作って調べてみることをお勧めしたい。

2022年8月 8日 (月)

安倍氏銃撃の背景にあったもの

一か月前の7月8日、安倍晋三・元総理が奈良県で参院選の応援演説中に、後方から銃撃されて67歳の生涯を閉じた。

個人的には、安倍氏の全方位外交政策や、現実を踏まえた防衛政策を高く評価する一方、社会保障政策に関しては批判したい点が多くあった。ただ、いまはそれらを総括して、国政に大きな業績を残した政治家であったと評価したい。そして、その早過ぎる死去に哀悼の意を表する。

さて、この銃撃については、百花繚乱と表現すべきさまざまな論評が入り乱れている。山上徹容疑者が何をどのように供述したのか、あくまでも捜査当局→メディアを通した情報しか伝わっていない。これらの情報がどの程度、事件の全容を映し出しているのか、いまだ不明瞭な部分が少なくない。

「(容疑者の)母親が旧・統一教会にのめり込んで多額の献金を続け、家庭が崩壊した。そこで同教会の代表者を殺害しようと機会を狙ったが、近付くことができず、代わりに同教会と関係が深いと信じた安倍元総理を標的にした」。これが一般的に知られている事件の動機である。この通りだったのか、それとも私たちがいまだ知らない情報が隠されているのか、判然としない。

ただ、この情報の通りだったとしても、なぜ同教会と緊密な政治家の代表者が安倍氏だったのかが理解できない。安倍氏が同教会の関連団体に祝辞を送ったのは事実であり、側近の中に信者(と考えられる人)がいたことも現実だ。とは言っても、集票力への期待から、いくつかの宗教団体にエールを送ったり選挙の際に頭を下げたりするのは、安倍氏に限らず多くの政治家に共通する。何よりも安倍政権を含む歴代の自民党政権は、別の大きな宗教団体を支持基盤とする政党と久しく連立を組んでいる。

安倍氏が通常以上に同教会と親しかったかのような報道がなされているが、これは銃撃という結果から「こうだったに違いない」とほじくり出した、いわば後付けの情報であり、信頼に乏しい内容も少なくない。おもに左派の論者は、安倍氏の祖父であった故・岸信介が「国際勝共連合」と組む目的で同教会に接近したことを挙げているが、そもそも個人の「出自」を引き合いにすること自体をヒステリックに拒否する左派が、敵対する人の場合は「祖父の行状」を持ち出して孫を批判するとしたら、これは二重基準も甚だしい。

しかし、実際に事件は起きた。それではなぜ安倍氏が標的になったのか? 容疑者の立場に立ってみると、母親に向けられていた怒りが、「母の人生を狂わせた」同教会への怒りに変容し、さらにその教会トップを「殺せなかった」ことから、何かの形で「復讐」を果たさなければ、心の平安を保てない状態になっていたものと推測される。精神科医の片田珠美氏は、容疑者の「怒りの置き換え」が生じたと指摘している。

その「置き換わった」対象が安倍氏になった大きな原因は、いわゆる「アベ脳」に代表されるような「刷り込み」(←個人や団体に向けて意図的に行う「洗脳」とは異なる)の結果ではないかと、筆者は推測している。何か社会問題が起きると、いとも短絡的に「これもアベが悪い!」と結び付けていたメディアの煽りは、目に余るものがあった。政権が退陣したことによりこの煽りは沈静化したものの、8年にわたって、一部の国民の脳には「アベ=悪」と刷り込まれていた。その一人が山上容疑者ではなかっただろうか?

今後、新たな事実が判明して、筆者の推測が誤りであったことが証明されるかも知れない。しかし、たとえそうなったとしても、理性的な批判の範囲を越えた憎悪を拡散することによって生じる「刷り込み」は、時として人を殺すものであることを、私たちは肝に銘じておくべきであろう。

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