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2022年11月

2022年11月27日 (日)

「鹿児島の人は、過誤しませんね」「薩摩じゃ、札、間...違えないから」

【史料好きの倉庫(46)】

今回は「鹿児島県(薩隅)の主要大名」の解説である。

過去、二回訪県した。1990年にはおもに鹿児島市を観光。1992年には熊本県側から入り、北薩の大口、宮之城、入来を回って鹿児島に宿泊、霧島高原を経由して宮崎県へ移動した。

島津一族をはじめとする中世以来の大名・豪族に関する史料は、鹿児島の尚古集成館や県立図書館で集中的に調べられるのに加え、県内各地の自治体で保管されているものも少なくない。県内(薩摩・大隅、また日向の一部を含む)での移動はあったものの、古い歴史を持つ大名・重臣の多くは、『三州諸家系図纂(1968)』に収録されているので、参照すると便利である。

Kagoshimaken

◆島津家→薩摩藩
島津家は中世から明治まで670年にわたり、薩摩の統治者として続いているが、その本宗家は「惣領家→総州家(鎌倉期から南北朝期)」→「奥州家(南北朝期から戦国期)」→「相州家→薩摩藩主島津家(戦国期以降)」と変転している。二度にわたって庶家が勢力を拡大して、宗家に取って替わっているが、系図上は途切れ目なく承継されているのだ。また、戦国~江戸初期の島津義弘、幕末~明治期の島津久光は、実質的に主君として振る舞った時期があったとは言え、いずれも正式な当主(藩主)には就位していないことにも要注意。

◆島津(薩州)家
島津庶流。代々「薩摩守」を名乗るが、薩摩守護職の惣領家とは別の家であり、室町期に一家を立てた。島津実久は加世田を居城として相州家に対抗したが、義虎のとき島津貴久に降伏し、出水を領知した。忠辰は背任のため1592年に所領を没収され、家系は途絶えた。

◆伊集院家
島津庶流であり、鎌倉中期に成立、室町期に大和守家が分出して島津相州家の被官となった。大和守三代目の伊集院忠朗のとき、主家の相州家が島津主流となり、忠倉は島津貴久・義久の重臣の要となって転戦した。忠棟は豊臣秀吉の政略によって優遇され、島津領内で庄内(宮崎県都城市)8万石の大封を領知するが、当主の義久や守護代の義弘から警戒され、1599年に誅殺された。忠真は島津家に反乱を起こすも和睦、頴娃→帖佐の領主にされたが、1602年に至って島津家久により滅ぼされた。

◆肝付家
大隅国肝属郡に拠った豪族。平安後期から高山(こうやま)を拠点とし、鎌倉期に所領を拡大した。肝付兼久は島津家に対抗して独立を保ち、兼興は郡の周辺を一円支配して大隅第一の勢力を築いた。兼続のときに最盛期を迎えるが、その後は衰退し、子孫は1580年に高山から阿多へ左遷、1600年に改易された(後年、わずか100石で復家)。

◆禰寝家→小松家
大隅国禰寝院の豪族。南北朝期から戦国期に至るまで、富田を居城として、周囲の諸大名と合従連衡をしながら勢力を維持し、禰寝重長のとき島津家に服属した。重張のとき1595年、文禄の所替により薩摩吉利へ転封され、3000石余を領知した。江戸期には島津一族から養子が入ってその血統が続く。幕末の小松清廉は明治維新の功労者となった。

◆入来院家
薩摩入来院の豪族であり、もとは鎌倉御家人の渋谷一族である。室町~戦国期には清色を居城として、有力国人として勢力を保った。入来院重嗣は1570年に島津家から清色の領有を認められ、重時は1595年、文禄の所替により大隅湯之尾へ移り住んだ。重高の1613年に入来へ復帰することがかない、3900余を領知した。

◆種子島家
大隅国種子島の豪族。鎌倉期に名越家の被官から自立、室町期までに南島一帯に勢力を拡大した。戦国期には赤尾木を居城とし、種子島恵時のとき島津家に服属した。時堯のとき1543年、ポルトガル人により鉄砲が伝えられたため、国産に成功して日本全国に普及させた。久時のとき1595年、文禄の所替により薩摩知覧へ転封、1599年に種子島へ復帰し、11000石余を知行した。

2022年11月 6日 (日)

秋の味覚

私は一人暮らしであるが、仕事で日中は家を留守にすることが多いため、いまは生ものの購入や贈答品のやりとりをほとんどしていない。受け取るまでに日数が掛かってしまうと、急いで消費しなければならない。加えて、いただきものの場合にはお返しをしなければならず、業務の繁忙期には、送る時間や手間も半端ではない。

そんな中でも、丹波篠山市のM氏(60代後半、男性)が経営する農園の黒枝豆は、毎年10月中旬に来るのを心待ちにしている。氏はもともと同市の公務員として保健福祉部門の管理者であり、この農園は市内の引きこもりの人たちを支援するため、氏が授産事業として始めたものだ。その活動に共感して応援する立場から、購入を続けている。

今年は他の物価の例に漏れず、以前より値上げしていたが、承知の上で購入を申し込み、私の在宅日到着指定で発送してもらった。煮豆を作る時間が取れないので、えびと一緒にした炒め物(画像)、鶏むね肉のアーリォ‐オリォ‐ペペロンチーノ、豆チャーハンなどにして、美味しくいただいた。

Omame

肉厚の食感がたまらない。例年、このお豆を食べなければ10月を越せない(笑)。

また、M氏の好意で、サーピス品の「丹波栗」を同封してくださったので、水に漬けたあと、チルド室に二週間ほど置いて糖度を上げてから賞味した。

Kuri

さて、この豆や栗を、昵懇にしているK教授(70代、女性)のところへ持参してお裾分けしたところ、K氏夫妻は自家栽培している柿やピーマンをくださった。生の柿を賞味したのは記憶にないほどの以前、旅行先で食べて以来のことである。

Kaki

今年は思いがけず、普段は縁が薄い秋の味覚をいろいろと楽しむことができた。こんな年もあっていいだろうなと思う。

それにしても、これらの「不測のいただきもの」があっても、ネットには美味しい食べ方がいろいろと掲載されており、資料に事欠かない。良い時代になったものだ。

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