コンフロンテーション
不慣れな概念にも一度接したら、それを吸収し、やがては自家薬籠中のものとしていきたい。そんな姿勢で38年間、仕事や社会活動を続けてきた。
私たち介護支援専門員や社会福祉士は、コンセンサス(一致、合意)を大切にする。クライアント(利用者)の意向を尊重し、アドヴォカシー(代弁)機能を働かせ、本人に寄り添った支援計画を立て、協働するチームを構成する機関・事業所などの人たちと課題を共有しながら、支援方針についての合意を形成する。介護・福祉の現場で調整役を担う専門職として、望ましい姿には違いない。
ところが、この原則に忠実過ぎることが、かえってクライアントにとって最善の支援にならない場合があるのだ。たとえば過剰なサービス利用が心身の機能低下を来たし、クライアントの自立を妨げる場合など。
そのような場合にはコンセンサスの前に「コンフロンテーション」の技法を駆使しなければならない。辞書を引くと「対立」とあるが、支援過程の議論の中で用いるのであれば、「対置すること」「直面させること」と理解するのが適切と思われる。クライアント側の意向とは異なる自分の見解をテーブルの上に持ち出して、クライアント側と向き合うことを意味する。
この場合、支援者は支援計画を法制度の枠にはめ込む役割を演じるわけではないので、対置する見解はノーマティヴ(規範にのっとった)である必要はない。むしろ規範から外れた柔軟な発想を持たないと、コンフロンテーションはうまく機能しない。クライアント側が「杓子定規」「がんじがらめ」と認識してしまうと、直面すること自体に不快感を覚えることになるからだ。
また、コンフロンテーションの過程で大切なのは、「両者の真ん中辺りで妥協すること」ではない。期日を決めて支援計画を仕上げなければならないのならば、どこかで「落とし所」を探る努力はしなければならないが、それは「中間点」とは限らない。「クライアントにとって最善の着地点」を見付けなければならない。
そう考えると、コンフロンテーションの技法を使いこなすには結構な力量を要する。私自身、日頃からこの技法を活用しているが、最終的に好結果を招いた事例ばかりではない。クライアント側の不満を招き、解約に至ったことも複数回経験している。
とは言え、利用者の要望を無批判でケアプランにしてしまい、厚労省や学識経験者たちから「御用聞きケアマネ」「言いなりケアマネ」と貶められる三流(?)の介護支援専門員たちが、コンフロンテーションの術(すべ)を弁えていないことは明らかだ。
私の周囲を見回しても、介護支援専門員や社会福祉士の中に、この概念を知らない人が多過ぎる。専門職能教育の場で、コンセンサスとコンフロンテーションとをしっかり学ぶ機会に乏しいのは、嘆かわしいことであろう。
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