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2020年8月23日 (日)

いま、将棋界が面白い!

むかし、銀行勤務のしがない勤め人だった父は、将棋のルールを覚えたころの私のために、支店で古くなって処分する新聞の将棋(棋譜)欄を切り抜いて、持ち帰ってくれた。家を建てた1970年の初め(私は小学4年生になるころだった)から、数年間は続いたと記憶している。

将棋界に関心を持ち始めたのはそれ以来だ。実際に他人と指した経験は乏しく、現代風に表現すれば「観る将」である。しかし、日本の伝統文化について言えば、スポーツなら大相撲のファンであっても、実際に自ら相撲を取る人は少ないだろうし、演劇なら歌舞伎のファンであっても、実際に自ら歌舞伎を演じる人はほとんどいないだろう。盤上遊戯の将棋で同様なスタイルがあっても、何ら差し支えない。

そして、本格的なネット社会の到来により、かつては見ることができなかったタイトル戦の対局風景も、Abema TVなどの手段で視聴することが可能だ。すでにエントリーした通り、私はむかし浜松で開催された大番解説会に一度だけ出向いたことがあったが、いまやスポーツや演劇と同じく、一流どころのパフォーマンスを中継で楽しむことができるようになった。かつてはタイトル戦終了後に新聞で棋譜を見ていた「観る将」にとっては、劇的な変化を遂げた半世紀なのである。

その「五十年来の観る将」の個人的な感想。

1970年は大山康晴(1923-92。なお棋士は故人か存命中かにかかわらず、敬称略。以下同)の全盛期で、五冠すべてを独占しており、その牙城を誰が崩すのかが注目の的であったが、まもなく中原誠(1947-)が大山から二冠を奪い、新時代の到来を思わせた。その後はタイトルが増えたこともあり、中原、米長邦雄(1943-2012)、谷川浩司(1962-)がタイトルの過半を同時に保持するが、全タイトル制覇には至らなかった。羽生善治(1970-)が1995年に七冠すべてを制覇したのは、実に大山以来の偉業だったのだ。

70年当時の観戦記では、大豪(本来の用字は「大剛」)、強豪などの表現が使われていた。

・大豪 → 大山、升田幸三(1918-91)、また中原は70年代半ばから大豪と呼ばれる。

・強豪 → 二上達也(1932-2016)、山田道美(1933-70)、加藤一二三(1940-)、内藤国雄(1939-)、のち米長など数名が加わる。

タイトルを何か取れると「強豪」、一時代を築けば「大豪」と称されたようだ。観戦記者によっても表現が異なっていたから、明確な定義も何も存在しないことを、誤解なきようにお断りしておく。

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しかし、これを半世紀後の現代にそのまま当てはめるわけにいかない。タイトルの数も八冠に増えて、多くのタイトルを兼位し続けるのが難しくなった反面、羽生一強時代の終焉(2016年前半)により、中堅・若手棋士がタイトルを獲得する機会は増え、一回だけ手が届いて翌期には失冠した棋士も数多く存在する。50年前に比べ、「大豪」の定義は少し甘く(広めに)、「強豪」の定義は少し厳しく(狭めに)規定しても良いだろう。

そこで、全く私の主観であるが、2016年度以降を基準に、「タイトルを三冠以上同時に、かつ二冠以上を継続的に保持した」棋士を大豪、「タイトルを複数同時に保持した」か、または「タイトルを(一度でも)防衛できた」かの、いずれかを満たした棋士を強豪とした場合、以下のようになる。

・大豪 → 羽生、★渡辺明(名人・棋王・王将。1984-)。

・強豪 → 久保利明(1975-)、佐藤天彦(1988-)、★豊島将之(竜王。1990-)、★永瀬拓矢(叡王・王座。1992-)、★藤井聡太(王位・棋聖。2002-)

そして、★印を付けた四人が現タイトルホルダーであるから、俗に「四強時代」とも称されるゆえんだ。もちろん、四強以外の若手や、羽生を筆頭とするベテランの実力者も、黙って見ているわけではない。四者の一角を崩し、タイトル戦線に食い込んでいくことを虎視眈々と狙っている。とは言え、八人の棋士がタイトルを分け合うほど分散した、2017~18年の大乱立時代と比較すれば、少しく「統合」されて、「雄峰並び立つ」時期に差し掛かった感がある。

いま最も注目されている「最年少二冠・最年少八段」の藤井が、一つ、また一つとタイトルを増やしていくのか? それとも、渡辺をはじめとする先輩棋士たちが厚い壁になるのか? しばらくの間は、将棋界から目が離せない。

2020年7月19日 (日)

祝!東海将棋界70年の宿願達成☆

7月16日、藤井聡太七段(きょう18歳の誕生日/愛知県瀬戸市)が、ヒューリック杯棋聖戦(産経新聞社主催)第四局に勝ち、渡辺明棋聖(38)を3勝1敗で破り、初のタイトルを獲得した(獲得時点では17歳。史上最年少)。

この「快挙」、簡単な言葉ではとても表せない歴史の重みがある。

1950(昭和25)年、三重県出身で東海将棋界の重鎮であった板谷四郎(1913-95)は、将棋界がこれまでの「名人」に加え、「九段(当時は最高位が八段)」「王将」の三タイトル制になったばかりの時期、「九段戦」の決勝まで進みながら、三番勝負では当時昇竜の勢いだった大山康晴(1923-92)に二連敗して、涙を飲んだ。

板谷は引退後、1959年に名古屋の将棋道場を開き、東海地区での棋士育成を開始する。何人もの弟子を育てたが、実子の板谷進氏が一門の中心的存在となり、愛知・三重・岐阜・静岡県の将棋界を牽引していった。

ところが、進氏はタイトル挑戦に手が届かないまま、1988年、47歳で急逝してしまう(追贈・九段)。

進氏の没後、弟子の杉本昌隆氏(現在51歳・八段)が1990年にプロ棋士(四段)に昇格を果たし、名古屋に在住しながら、弱小な東海将棋界の灯を絶やさずに守り続けてきた。

その杉本八段の弟子が藤井青年。板谷四郎から見れば、曽孫(ひまご)弟子に当たる。「東海地方にタイトルを」は、70年前の「無念の敗退」以来の悲願であった。杉本八段は棋聖戦第四局の控室に入った際に、板谷進氏の遺影を携えていたという。そして藤井七段がついに宿願を達成!

藤井新棋聖、杉本八段をはじめ、東海将棋界を長く支えてこられたすべての関係者に、心からお祝いを申し上げたい。

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私自身は将棋連盟とつながりがあったり、道場に通っていたりしたわけではないが、学生時代の1981年に一度だけ、中原誠・十六世名人の全盛期に、浜松で開催された王位戦(中原-大山戦)を観戦に行ったことがある。そのときに解説されていたのが板谷進氏であり、聴衆の一人としてではあるが、氏と一言二言交わしたことを覚えている。景品(画像)もいただいて帰った。東海将棋界とわずかながらご縁があったことになる。

愛知県やその周辺の出身であっても、多くの棋士が利便さを求めて首都圏や関西に移住してしまう。そんな中にあって、東海を拠点に活動する板谷→杉本一門は、とても貴重な存在である。藤井棋聖の活躍が追い風になり、杉本八段への入門を希望する親子が急増していると聞き、東海の将棋ファンの一人としてはたいへん嬉しい。

ただし、どんな業界でも地域レベルで盛り上げるためには、一人の活躍では限界があろう。名古屋将棋会館の建設まで期待する声があるようだが、そのためには東海から藤井棋聖に続く若手の棋士たちが輩出して、続々と棋戦に参入していくことが求められる。杉本一門を中心に、将来の棋界を担う若者たちが切磋琢磨しながら向上していく環境が整えば好いのだが。

また、藤井棋聖自身も、いまだ発展途上の人である。進行中の王位戦も木村一基王位(47)に二勝したとは言え、番勝負は全部が終わってみなければわからない。このところ大豪・渡辺二冠や強豪・永瀬拓矢二冠(27)に対しては相性が好いが、過去四戦して勝ったことがない第一人者の豊島将之竜王・名人(30)や、同期でプロ四段に昇格した苦手の大橋貴洸六段(27)などの壁も立ちはだかる。対局過密状態でありながら、さらに強みを増して、棋界制覇へ向け着実に歩みを進めていってほしいものだ。

「AI超え」と称される頭脳を持つ藤井棋聖が、いよいよ緻密さを増していく将棋ソフトとどう共存しながら、人間の叡智やひらめきの素晴らしさを証明していくかも、大きな課題になりそうだ。

世界の盤上遊戯の中で、日本独自の発展を遂げた将棋。藤井棋聖の快進撃に伴い、日本を代表する文化の一つとして、広く市民の間に普及することを望みたい。

2020年7月 8日 (水)

新型コロナ(13)-政策はどうあるべきか?

前回より続く)

世論調査では現内閣の支持率が下がっている(調査の主体によってバラツキがあるので、数字は掲げない)。調査方法によって特定の結果が出やすい問題はあるものの、概して新型コロナ対策以前よりも、現在のほうがかなり低落していることは間違いない。

そして興味深いのは、政権与党(自由民主党・公明党)の支持率が下がっているのにもかかわらず、野党の多く(立憲民主党・国民民主党・共産党)は支持率があまり上がらず、むしろ時期的には結構下がっている政党もあることだ。このところ明確な支持率上昇を見せているのは一党(日本維新の会)ぐらいか。大阪府知事が目に見える活躍をしていることが影響していると思われるが。

内閣支持率や各政党の支持率は、新型コロナウイルス対策だけで決まるものではない。他にさまざまな要因が考えられる。とは言え、この2月以降の社会情勢を考えると、新型コロナウイルス対策への評価が大きな比重を占めるのは間違いないと言えよう。

さて、内閣や政権与党の支持率が下がったことは、その政策が大きく誤っていたことを意味するものではない。内閣や政党が「こうする」「こうしたい」ことと、市民が「いま、こうしてほしい」こととの乖離が大きければ、適切な政策であっても支持されないこともあるし、望ましくない政策であっても支持されることがある。野党が提案した政策の場合もまたしかり。

つまり、政策に対する評価は、前後の大きな流れを踏まえた長期的な視点でなされなければならないのだ。

その視点から眺めた場合、現政権の政策は、こと新型コロナに関する限り、大きな過ちがあったとは考えられない。確かに世界的な感染症のパンデミックは、過去にも例があったが、新型コロナは従来の感染症とはかなり性格を異にする未知のウイルスであるだけに、難しい対応を迫られた。最善かどうかは評価が分かれるところだが、少なくとも第一波の感染拡大を封じ込めることには成功し、医療崩壊や介護崩壊(地域的には見受けられたが)を最小限に食い止めることができた。

政策を批判する権利は、国民が当然持っている権利だ。しかし、非常事態に批判ばかりしていた人たちは、果たして建設的な行為をしたと言えるだろうか? 一部の野党系と見なされる個人や団体は、普段から「選挙で選ばれた人たちが責任を持つべき」と主張しているのにもかかわらず、これまでのエントリーでも触れた通り、「発注者」である「被選議員により選出された総理の内閣」でなく、「受注者(マスク製造企業、持続化給付金の取り扱い団体など)」を叩きに行っているのだ(押し掛ける、電話で詰問するなど)。その行為が作業を遅らせているとしたら、全く自己矛盾しているではないか。事態が落ち着いてから、事業のあり方を総括して批判するのが筋ではないか。

私自身は政策について、細部の反省点はいろいろと存在するものの、大枠で妥当だったと考えている。

難しいのは今後の経済回復である。国民全体を覆っている生活水準の低下、失業の増大、投資の減退をどう建て直していくのか? 観光再建による「Go to キャンペーン」なども、しばらくは「焼け石に水」であろうし、新型コロナの第二波・第三波にも留意する必要がある。

多くの国民は、一気に経済を「V字」回復をさせたいと願っているであろう。しかし、今回の日本の場合には、傷付いた個体が無理をせずに、待ちの姿勢でじっと体力を涵養する、「レ型」の回復を図るほうが望ましい。その間に政府が国内各産業の建て直しと並行して、国民生活のセイフティネットとなり得る十分な福利厚生策を打ち出せるかが大きな課題になる。この機会に国の無駄遣いを徹底的に洗い出すことも大切であろう。

国際競争力を落とさないことも求められる。経済に限らず、外交や防衛にも力を割いて日本の存在感を高める必要がある。今回の新型コロナを奇貨として、中国や北朝鮮をはじめ、いくつかの国が軍事力拡大路線を進もうとしている。日本は米国やオーストラリア等の近隣国との適切な連携を保ちながら、国民の安全を確保していくことが必須である。

東京五輪が一年遅れで無事開催されるのかも、政策の成否を占う一つのポイントになろう。もちろん、そのためには新型コロナを封じ込めるための国際協調が絶対条件だ。米国がWHOから脱退するとなれば、新型コロナ「火元」の中国とは別の意味で、日本が果たすべき役割は重要さを増す。

現政権が低空飛行と言われながらも、持ち前の柔軟さで難局を乗り切っていくことに、また、各野党もそれぞれ旧弊から脱して、国の再建のため政権与党に必要な協力をしながら、積極的な対案を繰り出していくことに、期待したい。

2020年7月 5日 (日)

新型コロナ(12)-施策(これまでの)をどう評価するか?

前回より続く)

まず、新型コロナウイルスとは関係ありませんが、
このたびの熊本県周辺の豪雨で亡くなられた方々をお悼みするとともに、球磨川流域をはじめとする、被災された住民の方々に、心からお見舞いを申し上げます。
簡単な言葉で表せるものではないことは十分承知していますが、一日も早い生活の復旧を願わずにはいられません。

さて、本題に戻って。

いったん個人の問題から目を転じて、国の政策・施策について私見を述べてみたい。他国の例も引き合いに出す必要があるかも知れないが、私自身が各国の施策について深い知見を持っているものではなく、また、基本的に安易な国際比較には大きな意味がないと考えていることを、あらかじめお断りしておく。

政策全体を眺める前に、まずは新型コロナウイルスの感染が始まった後の、個別の施策について論じてみよう。

これまで大きな話題となったのは、大型クルーズ船「ダイヤモンド‐プリンセス」への対応、公立学校への一斉休校要請、布マスク配布、緊急事態宣言、国民生活への支援策などだ。

(1)「ダイヤモンド‐プリンセス」への対応
英国船籍、米国企業が経営している豪華客船。2月1日に感染者の乗船が判明し、3日に横浜港に帰港。そのまま船全体が長期的な検疫体制に突入し、乗客・乗員を合わせて3,700人余が船内にとどまることを余儀なくされた。706人の感染者、うち4人の死亡者が出ながらも、神奈川県等の医療機関の協力により、3月末までに事態は終息し、同船は3月25日に出航した。
この対応については米国や英国のメディアから批判が寄せられたが、ウイルス自体の感染メカニズムも十分に判明していない時期に、日本の厚生労働省が一手に担い対応したものである以上、批判の多くは失当であろう。当の米国や英国からはほとんど医療的な救援を受けなかった中で、日本の対応は試行錯誤しながらも、可能な範囲の対策を施したと評価することができる。何よりも、ここでの経験がこの後の国内感染予防対策に生かされたことは、一つの成果であったと言えよう。途中で一部の関係者による見解の齟齬が見られた場面はあったが、個人的に採点するならば90点。

(2)一斉休校要請
いまから振り返ると、「無用の策」だったと見る向きが強い。しかし、これは後出しジャンケンだと言わざるを得ない。2月末時点での最大の課題は、ドイツなどに比べて感染対応できる専用ベッド数が大幅に少ない日本で、いかに医療崩壊を最小限に食い止めるかであった。このとき、いまだ都道府県をまたいだ人の移動は一定程度行われており、生活様式も多くは蔓延以前の状態であった。そのため、大人に比べて多動であり、かつ感染症に関する理解に乏しい児童たちが、学校での勉学や活動のさなかにクラスターを発生させて感染爆発を起こし、それまで準備された医療体制では対応し切れなくなる恐れは、十分にあったのだ。ただし、そのための一斉休校であった趣旨が十分に浸透していなかったことは遺憾であるが。
その後、このウイルスの性質上、児童たちは(一型糖尿病などの基礎疾患や一部の難病などを抱える子を除き)総じて感染しても無症状または軽症に終わることが多いことが判明し、広く知られるようになった。いまの時点では適切な対策を採りながら、学校のスケジュールを平常通り動かすことが妥当であろう。当時の対応に限っては75点。

(3)布マスク配布
これは多くの人から「愚策」と評されている。私の見解は前々回のエントリーを参照されたい。いまなお介護現場に「第二弾」として布マスクを配布しようとしている見当違いまで含めると、私の評価は厳しいようだが35点としておく。

(4)緊急事態宣言
まず、2月28日の北海道を皮切りに、都道府県単位でいくつかの自治体が独自の緊急事態宣言等を発出した。これは感染拡大が続くことを憂慮して、域内の住民に不要不急の外出自粛や、一部業種の営業自粛を要請したものである。その後、4月7日には政府が8都道府県に緊急事態宣言を発令し、4月16日にはそれを全国に広げた。そして5月25日、感染の拡大に歯止めがかかった時点で、政府は宣言を解除し、6月19日にはこれまで制限を要請していた都道府県境を越える人の移動を緩和した。
これで感染拡大がいったん収まったことにより、私たちは停滞していた経済を「新しい生活様式」に沿ってどう回していくか、ある種の「塩梅(あんばい)」ないし「緩急」を身に着けることができたと考えられる。過度の自粛も望ましくなければ、全く旧式のままの社会生活再開も望ましくないことを、国民が体得できる期間となった。また、その間に新型コロナの正体、怖れなければならない面もあれば、一種の特殊なカゼ程度に受け止めて十分な面もあることが次第に判明し、首都圏等で医療崩壊を脱したことも相まって、余裕を持って対策を講じられるようになったことは大きい。
今後の予測については稿を改めて述べたいが、昨今になって東京や一部地域で再び多くの感染者が判明しているとは言え、その多くは若年層であり、重症者や死者が増えたものではない。将来はともかく、当面は再度緊急事態宣言を出す可能性は低い。これは4~6月に「時間稼ぎ」ができたことが大きいと見ている。一連の流れを採点すると、やや甘いが85点か。

(5)特別定額給付金・持続化給付金・家賃支援給付金などの支援策
私たち日々の生活を送る市民にとって、最大の関心ごとである。次回の政策総論でも分析してみたい。
総じて、各方面の利害調整に手間がかかり、政府の決定までに時間がかかり過ぎたことや、委託先の団体の性格に疑義があることが、批判の対象となっている。しかし、「あそこの国はもっと充実している」とされている他国の支援策を見ても、多くの国の場合、そのすべてが報じられている通り迅速に実施されているものでもなく、日本の支援策が劣悪だというものでもない。
とは言え、「のちの千金より、いまの一飯」がほしい人たちにとっては、後手後手感は免れない。また、さまざまな属性の人たちに対し、十分にカバーできていない面も課題として残る。反面、公的支援策ばかりに頼らない、個人や企業の自助努力も求められるであろう。60点としておく。
なお、本日現在の支援策については、首相官邸の該当ページを参照されたい。

そして、次には政策全体を振り返ってみよう。

次回へ続く)

2020年6月21日 (日)

新型コロナ(11)-英語の能力はなぜ必要か?

前回より続く)

ちょっと横道に逸れる(一応、関連する話ではある)。

お恥ずかしいが、私の英語の能力はあまり高くない。

「読む」→ 文章の全体を斜め読みにして、概括的に何を言っているのか把握するだけでも、キーになる単語が読解できないことがときどきあるため、辞書を何回か引いて頼りにする(画像は中学生時代から何度も買い換えながら愛用している研究者の英和辞典。他社の辞書やネットの辞書も併用している)。ましてや正確に意味を理解したり、仮訳したりするときには、短い文章でも辞書を繰り返し参照しつつ、一文一文を正しく呑み込めているのか、結構な時間を掛けて確認していかなければならない。

「書く」→ まずは一応、知っている単語だけでまとめてみる。そのあと辞書を引きながら、「この意味ならこちらの語のほうが良い」「このフレーズだと別の表現に受け取られてしまうかも」などと推敲しながら、相当な時間を掛けてようやく一段落を作る。それが何段落にも及ぶ場合には、趣旨が首尾一貫していることを振り返りながら整理する必要があるので、四苦八苦しながら、A4程度の文章を一日仕事でやっとまとめる(それでも、おそらく何か所か表現の不具合が残っている)レベルだ。

「話す」→ ブロークン、そしてしばしば単語が出て来ずに、途中で言葉が詰まるのが日常である。そんなときには逆に、私が何を言いたいか、相手が察してフォローしてくれることも少なくないので、コミュニケーションを取るときにはいつも恐縮している。せいぜい、駅や路上で場所を聞かれたときの道案内程度なら何とか可能か。

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私の従妹(私より4歳若い)は東京で社会人学生として栄養学を(大学院で)修めながら、学術論文の英文翻訳をしている。欧州などへもトラブルなく旅行できるレベルだ。また、彼女の弟(私より6歳若い)はロサンゼルスで大手旅行会社の現地法人の役員を務めている。米国の会計士の資格も持ち、同地で問題なく専門的な業務がこなせる英語能力だ。この従妹や従弟に比べると、私の英語能力はだいぶランクが低い...(-_-;)

普段はヘタクソでも、必要に迫られればそんなことも言っていられない。もう十数年前のことだが、お世話になっていたNPO団体の人(米国在住の日本人)と話していて、「『蓼食う虫は好きずき』って英語でどう言うんですかね? "One kind of insect eats TADE(「たで」)because he likes..."(???)でしょうか...」と意味不明のデタラメ英語でごまかしていた。しかし、それから一か月ばかり後に、とある会食の席で英語圏の人から、「あなたは鶏肉に赤ワインの組み合わせが好きだと言うが、白ワインのほうが合うのではないか?」と英語で聞かれたとき、思わず、"There is no accounting for tastes !"と口を突いて言葉が出た。「窮すれば通ず」の見本みたいな話であるが(^皿^;)

さて、今回の新型コロナウイルスに関連して整理してみると、英語を「話す」力は(クルーズ船に対応した人たちのような特殊な場合は別として、ほとんどの場合)当面使わないだろうが、「読む」力を備えておくことは重要であり、状況によって「書く」力も必要になる。

そもそも、新型コロナに関する情報収集は、国際的な協調のもとに取り組む必要がある。WHO(=世界保健機関)も情勢に応じて見解をアップデートしているから、節目節目での発表内容は見逃せない。英文を「読む」、いや、それ以上に「読み取る」力が不可欠なのである。誰かが日本語訳した内容であっても、それが適切な文脈で理解されているのかを検証しなければ、自分自身の行動が適切さを欠いてしまうからだ。前回のエントリーで言及した布マスクの材質の有効性に関する文言などがその好例だ。

また、新型コロナ対策に関連して、海外論文などで検証された成果に対し、詳細を問い合わせたり、内容の的確性を議論したりするときには、英語で文章を「書く」力がなければならない。私自身はとても医学上の専門用語を使いこなして質問や批評を書き送ることは無理であるし、同様な日本国民は多いと思うが、SNSやブログで誰かがそれをしてくれているのであれば、しっかり評価して感謝するべきであろう。

文献によっては中国語、フランス語その他の言語のものもあるだろうが、英語でのやり取りが主流である国際社会においては、一つの事象を理解するために、私たちの英語の能力が求められることになるのだ。

四十年以上前、私が少年のころには、中学生になってようやく英語のイロハ、"This is a pen." などの文を読み書きするところから勉強を始めていた。その後、自分自身に子どもや孫がいないので、詳しいことは知らず誤認しているかも知れないが、英語教育の開始時期は次第に低年齢化して、少なくとも、いまは小学校高学年、それどころか低学年(三年生?)から準備段階の教育を始めている(塾などでもっと早くから英語を学ぶ子どもたちの話題も聞いている)。

 

〔ところで、全く別の話だが、
マラーラ‐ユースフザイーさん(22/母語はパシュトゥー語)やグレタ‐トゥーンベリさん(17/母語はスウェーデン語)は、いずれも15歳で国際舞台に登場したとき以来、称賛の声とともに、批判のみならず攻撃・誹謗中傷も雨あられのように受けてきた。興味深いのは、日本のネットでマラーラさんやグレタさんを非難・罵倒・揶揄する人たちは、(あくまでも私が個人的に見聞きする範囲では)おもに右派・保守派の、私よりずいぶん若い(=私より早くから英語教育を受けているはずの
)男性が多数を占めており、かつ複数のソースから推測する限り、そのうち大部分の人は日本語でしかコメントしていないようだ。
批判することは自由であり、当然の権利だが、日本語で外野から好き勝手なことを言うのは見苦しい光景にしか映らない。何を言っているのか相手方にもその支持者たちの多くにも伝わらない(笑)。
マラーラさんもグレタさんも、母語でないのにもかかわらず、15歳のときにはすでに基本的な英語能力を備えているのだ。彼女らや支持者たちの活動に反対する自分の見解が、正しいと信じているのならば、堂々と英語で批判し、公開討論の場に参加したらどうだろうか?〕

 

いろいろと述べてきたが、以下「まとめ」。

「グローバリゼーション」が叫ばれてから久しい。人によって得手不得手はあるにしても、齢を重ねて頭脳が固くならないうちに必要な能力を身に着けていかなければ、自分自身が損をするだけだ。

今回の事態のような国際協調が必要とされる事案の発生を契機に、若い人たちには実用的な英語能力の必要性を再認識していただきたいと思う。日本の十代から三十代辺りまでのみなさんが、「読み」「書き」「会話」をバランス良く習得して、国際舞台でしっかり活用できることを願っている。もし私にもできることがあれば、及ばずながらお手伝いしたい。

次回へ続く)

2020年6月10日 (水)

新型コロナ(10)-マスクをめぐる騒動は何が問題だったのか?

前回より続く)

さて、消毒液の次は「マスク問題」である。

新型コロナウイルスの爆発的拡大に伴い、まず中国でマスクの需要が急増した。そのため日本からも一部の自治体などが中国へマスクを送り供給を支援した。ところが日本でも感染が拡大し、それに伴い多くの国民が予防の目的で不織布マスクを買い求め、全国的に品薄の状態が起こった。中国での生産に頼っていた製造業者も多かったので、容易に輸入できなくなってしまったのだ。さらに転売目的の人たちが買い占めたことにより、その状態に拍車を掛けた(本日現在、マスクの転売で利益を得ることは禁止されている)。

私自身もドラッグストアやコンビニで買い物をするたびにマスクの棚へ立ち寄ったが、3月には30回程度足を運んでようやく品物に当たる程度の確率だった。全国的に同様な状況であった。

そこで、政府では急遽、布マスクを買い上げて配付することを決定、業者に発注して調達できた分から配付を始めた。厚生労働省から、介護・福祉事業所や介護サービス利用者の分は4月上旬に配付され、妊産婦向けのマスクも配付されたが、一般家庭の分(世帯ごと2枚)はいまだに配付途中である。

なお、居宅介護サービスの利用者さんの分は、ケアマネジャーから配付するように丸投げされたため(重複を避ける意味では妥当かも知れないが、感染拡大防止のため利用者を居宅訪問しなくても差し支えないとの特例通知が出ている中で、布マスクは個別に配付しろというのもおかしな話だ。仮に郵送するとしても、もしケアマネジャーが感染していて潜伏期間だったら、利用者宅にマスクが届く時点ではまだ外装にウイルスが付着している可能性があるのだから)、私も4月中~下旬に居宅訪問しながら配って回った。

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この布マスク配付策は多くの人から「愚策」と評されている。確かに3月下旬時点でのマスク不足を解消するために打ち出されたのにもかかわらず、6月になってもいまだ配付が完了していない。すでに不織布マスクが品薄状態を脱し(価格はかつての10倍近くまで上がってはいるが)、入手するのが難しくない状態だ。遅過ぎるのは間違いない。しかし、全体像を総合して、本当に愚策なのだろうか?

四つの点から分析してみたい。

(1)趣旨をしっかりPRしたのか?
この点では一言で言えば「失格」である。政府広報があまりにも拙劣であったため、布マスク配付のポイントが多くの国民に伝わらずに終わった。経済産業省筋から非公式に「こういう趣旨なんだ」との情報が流れ、また、自治体広報の専門家・佐久間智之氏などが、独自に作成した説明図を開示されている。私もこれらを参考にして、上の画像の左側にある文章を作成し、利用者さんに配付する際に添付した(郵送費用は当初の見込み金額の数字になっているが、圧縮後には配付時に修正説明した)。このように、広報面では失敗だったとしか表現しようがない。

(2)有効な材質だったのか?
このマスク配付策が打ち出された前後、WHOが1月29日に「布マスクはいかなる状況でも推奨されない」と発表したことを受けて、なぜ効果のないものを配付するのかと批判した人たちがいる。その
WHOのドキュメント(1/29)はこれだ。中の一文、"
Cloth masks are not recommended under any circumstance." を上記のように訳すること自体は正しいだろう。しかし、これはあくまでも「医療用マスク(medical masks, procedure masks, etc.)」について述べたドキュメントの末尾に書かれているものだ。この一文を引き合いに出して、「家庭用布マスク」の配付を批判するのはおかしい。
前者はおもに、医療・介護等の従事者が媒体になって、院内感染や在宅患者(利用者)間の感染を引き起こしてしまわないためのもので、後者はおもに、一般の人が、もし知らないうちに無症状の感染者になっていると、出先で他人に飛沫感染させてしまうことがあるため、それを防ぐためのものだ。用途や目的が異なれば、物品の精度も当然異なる。
布マスクは網目が粗いため、ウイルスが容易に通過してしまうと思われがちだが、ウイルスはまっすぐ飛ぶのではなく、不規則な「ブラウン運動」をしながら移動する。したがって、すでに感染している人がいわば「攻撃力を弱める」目的であれば、布マスクも役に立つのである(それが国民に伝わらなかったのは、上記(1)広報の問題なのだが...)。

(3)使える品質だったのか?
顔の大きさにもよるが、標準的な大人の顔ではやや小さめだ。洗うと縮む(→鼻にしっかり掛からないので、クシャミの飛沫を防ぐ効果が失われる)ことを計算に入れれば、何回も洗って使えるとは言い難い。上記の通り「自分が他人に感染させる力を弱める」のであれば、3回が限度か。
また、妊産婦向けに配付されたマスクの一部に、虫などの異物が混入されていたため、政府が回収して検品をしす一幕があった。いくつかの受託業者のうち、どこが粗雑な仕事をしたのかわからないが、受け取る側には視覚障害者などもいることを考えると、非常時だからこそ、品質を落とさないように丁寧な仕事をしてもらわないと困るのだ。
他方、政権反対派筋から一斉蜂起のように「うちにも」「こちらにも」と不良品が続々と報告されたのには、不自然な感を免れない。また、一部の「市民団体」などは厚労省の担当部局ではなく、製造業者に直接電話するなどして苦情を突き付け、中には会社まで押し掛けた団体まである。直接の責任は発注した側にあるのだから、この行為はあの「リアリティ番組制作側に対してではなく、出演者を直接非難攻撃する」人たちの行為と何ら変わりはない。それが業者を萎縮させてしまい、作業工程のさらなる遅延を招いたとしたら重大な問題だ。今後は良識ある振る舞いを求めたい。
とは言え、多くの市民に合った品質の布マスクが速やかに配付されたとは言い難いので、残念な顛末であったと表現すべきか。

(4)経済的な効果はあったのか?
政府による布マスクの発注自体が、国内の不織布マスク業者を医療用マスク増産へ方向転換させ、買い占めていた流通の中間事業者に販売を促し、それにより品薄状態の解消がもたらされたことは現実だ。国全体のレベルで考えれば、配付に要した税金に見合う経済効果はあったと見なすべきであろう。
また、4月~5月前半にかけては、中国が(火元であるのにもかかわらず)マスクをはじめとする感染予防用の医療用品を、世界各国へ売り付け、その見返りに政治的、経済的なアドバンテージを得る戦術を採っていた。他国はいざ知らず、日本に対してこの戦術が奏効しなかったのは、上記の政策により早期に不織布マスクや医療用マスクの流通が回復したことが大きい。
併せて、他の医療用品も含め、中国にある工場に頼っていた状況が改善され、国内工場での生産が多様な企業により試みられている。このあと大切なのは、せっかく手掛けた国内生産が不採算により消えてしまわないように、政府や国民がしっかり支えていくことであろう。

これらを総合的に評価して、政府のマスク関連施策は、厳しいようだが「35点」と採点しておこう。今後の改善への期待も込めて。

最近になって不織布マスクが値崩れしているとは言え、あまり廉価な輸入品(おもに中国製)には劣悪な品質のものが少なくないので、信頼できる取扱店を経由して入手することが大切である。日本衛生材料工業連合会の正式なマークが印字されている品物が推奨品だ(ニセモノのマークもあるようなので、ご用心を)。

私も今回、個人的に地元のドラッグストアで買うマスクは別として、仕事で使う不織布マスクの入手は、30年以上お付き合いしている三か所の医療関連事業者に限っている。マスクや消毒液が品薄で困っていた時期、私(≒当事業所)に対して「長年の顧客だから...」物品を融通してくれたのも、その三か所だ。ありがたい話である。(6/17追記。第二波が到来して利用者さん=顧客や、そのご家族に感染者が出ることも想定して、医療用マスクも別途購入した)

各自治体でも独自に不織布マスクを確保し、医療・介護等の事業所に配付している。当地でも浜松市(寄贈品から)や静岡県より、各事業所に対して不織布マスクの支給があった。

また、世帯ごとに配付された布マスクのほうだが、「無用の品」と思っている方も、不足して困っている人たち(基礎疾患を抱えた子どもたち、路上生活の人たちなど)に譲渡するとか、第二波や第三波に備えて保管しておくとか、それぞれの活用方法があるだろう。

なお、時間がある方は、現時点でのWHOのドキュメント(6/5)も参照されたい。報道ではWHOがマスクを広範に活用するように「指針を大幅修正した」とされているが、斜め読みする限り、従来の見解に「新たな知見を加えて再整理した」と理解するほうが良い。P.5には保健・介護従事者、P.7には一般公衆についての、「どんな状況ではどんなマスクが推奨されるか」をまとめた表が掲載されているので、便利である。

いまは熱中症予防のため、夏用マスクの入手が課題になっていることは、すでに皆さんがご存知の通りだ。身近なマスクをめぐる状況は、刻一刻と変化している。アンテナを高くして、感染予防に留意したいものだ。

そして、いつかはマスクの使用が必要最低限の場面で済むようになることを願いたい。

次回へ続く)

2020年5月31日 (日)

新型コロナ(9)-消毒用品は何を選ぶべきか?

前回より続く)

ここまで、市民の行動経済学的な側面など、社会活動のありかたを中心に述べてきたが、今回は私たちの日常的な課題である「消毒」の話へ筆を進めてみたい。

新型コロナウイルスへの化学的な対策については、厚生労働省と経済産業省とが中心になって普及に取り組んでいるが、何しろ登場して半年に満たないウイルスであるから、いまだ十分に知られていない面が大きく、検証され尽くしているわけではない。それを承知で、現時点(5月30日)では何が判明しているのか、まとめてみよう。

以下は基本的に、NITE(=製品評価技術基盤機構)や北里研究所などの発表内容を踏まえている。

◆アルコール(エタノール)

北里研究所のプレスリリース(4/17)にも掲載されているが、50%以上のエタノールにウイルス不活化(失活・無力化)効果がある(最適濃度は70%前後)ことは、すでにご存知の通りである。エタノール消毒液(ジェルを含め)はすぐに揮発するので、硬質面の消毒にはもちろん、手指消毒にも活用できる。一時期たいへん品薄であったが、最近は化粧品や酒(画像は地元・磐田の酒造メーカーのもの)などでも濃度50%以上のエタノール製品が販売されているので、品質表示や流通経路などを確認した上、信頼できる製品を入手するのが良い。ただし、引火する、粘膜や傷口に塗ってしまうと炎症や急性中毒になる恐れがある、樹脂やゴムの素材には適していないなどの、アルコールの特性はしっかり押さえておこう。

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私自身は、幸い都市部に自営の事務所を構え、自宅から行き来している関係上、比較的入荷しそうな時期を狙って買い物に行くことができるので、当面必要なアルコール消毒液は入手した。また、除菌用のアルコール入りウェットティッシュも(こちらは消毒用ではなく、ウイルスを「拭き取る」に過ぎないので、効果を過信してはいけないが...)相当量を確保してある。ただし、今後も品薄が続くことに備え、早目の買い足しを心掛けたい。

◆次亜塩素酸ナトリウム

従来の各種研究で検証されてきた通り、0.05%~0.1%の次亜塩素酸ナトリウムにはウイルス不活化効果がある。PH値が高く皮膚のタンパク質を溶かしてしまうので、手指消毒には使えない。モノを消毒する際には必ずゴム手袋を使用し、消毒後に水拭きするのが望ましい。身近なキッチンハイターが代表的な次亜塩素酸ナトリウムなので、これを適切に希釈して消毒に使えば効果的である。

私自身は、母の遺産(生前に買いだめしていた...)のハイター(生協)を、おもに「おしぼり」の消毒に使っている。ズルい人間なので、硬質面については、いつも触った直後に決まって手を洗う箇所の消毒のみに限って使い、水拭きをサボッている。古い家具だからいいものの、劣化の恐れもありお勧めはできない。念のため(^^;

◆界面活性剤

石けんには界面活性剤が含まれており、手洗いによりウイルスを除去できる(洗い流せる)知識は、インフルエンザ対策としてもすでに普及している。新型コロナに関しても、漠然と界面活性剤が有効であるとされていたが、単なる除菌にとどまらず消毒/不活化させる効果については、検証の途上であった。そして、NITEによる検証試験の結果が公表されたのが5月22日と5月29日である。後者は前者のあと追加された物質を含む直近のリストだ。直鎖アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム(0.1%以上)、アルキルグリコシド(0.1%以上)、アルキルアミンオキシド(0.05%以上)、ポリオキシエチレンアルキルエーテル(0.2%以上)と言われても、なかなかピンとこないが、具体的な商品名はこちらのリストを参照。なお、22日のリストについては、化粧品研究・開発者(環境学修士)の「かずのすけ」(=西一総/にし かずさ)氏が、動画(5/27)でわかりやすく解説されている。

私自身は、ここに含まれていないが、台所用中性洗剤は「キュキュット」、洗濯洗剤は「アタック(粉末)」を長く愛用してきた。今後は同じ花王の商品でも、有効成分が確実に含まれているものを使用する方向で考えている。また、母が買い置きしてあった「マジックリン」が少し残っているので、そちらも消毒に有効活用したい。

◆第4級アンモニウム塩

経産省はなぜか別建てしていたが、これも界面活性剤に含まれるので、上記NITEのリストを参照されたい。29日の時点で具体的には、塩化ベンザルコニウム(0.05%以上)、塩化ベンゼトニウム(0.05%以上)、塩化ジアルキルジメチルアンモニウム(0.01%以上)の三種が有効性を検証されている。

私自身は、むかし勤務していた法人で「ハイアミン」とか「オスバン」とかを使用していた縁で、ベンザルコニウム化合物にはなじみがあり、上記のマジックリンなどにも含まれていることを確認した。ただ、ベンザルコニウム化合物となると、個人的には消毒用の商品よりも、除菌用ウェットティッシュをアルコールの品と併用しているので、秋の終わりごろからは肌荒れ(皮脂欠乏症もある)回避のため、少し多めに備蓄しておこうかと計画している。

◆次亜塩素酸水

問題はこれ。NITEでは29日の時点で「有効性は確認されない」、また「噴霧は控えてほしい」と発表した。NHKなどのニュースで視聴された方も多いだろう。元記事を確認したところ、こちらのファクトシートに詳細が記載されていた。
誤解を招かないように整理すれば、
(1)「次亜塩素酸水は失格ではなく、濃度を上げれば有効性が確認されるかも知れないので検証を続ける」
(2)「次亜塩素酸水の噴霧が各所で行われているようなので注意喚起したが、他の物質も含めて噴霧(直接人に向けて噴射するのみならず、空間への霧化なども含めて)自体が、新型コロナ対策としては推奨されない」
...ということだ。後者についてはWHOのドキュメントを部分引用しているので、疑わしく思われる方はドキュメントの原文(英語)を参照されたい。P.3の右段途中から、P.4の左上段にかけての箇所("Spraying disinfectants and other no-touch methods")である。NITEも上記ファクトシートの中で、「薬機法に抵触していないか?」「安全性の基準の解釈が違うのではないか?」「動物実験は鼻と口と両方でやったのか?」などの問題を提起している。いま出回っているすべての商品が不適切というわけではないと思われるが、医療・介護・福祉施設などで「空間除菌」を実施している、しようとしているところは、疾患を抱える利用者も居住あるいは滞在しているだけに、慎重の上にも慎重な判断・対応を求められる(状況次第で中止もあり得る)。商品に関する精査が必要であり、無条件で推奨する方策では決してない。

...ならば、環境を清潔に保つためにどんな方策を推奨するんだ? と問われるかも知れないが、まずは時間と手間がかかっても、基本的な作業をしっかり実践していくのが最善であると、私は考えている。介護・福祉事業者の場合ならば、たとえば日本プライマリ‐ケア連合学会が発行した対応の手引きに示された換気、消毒、湿式清掃など-P.35参照-の手順だ。医療機関や保育所などはまた状況が異なるので、それぞれの関連団体が発行している業種向けのものがあると思われるが、確認していない。
すぐに次亜塩素酸水を使用したくなる気持ちは理解できるが、いまは「待機」。そして、いずれ検証が進み、「この条件下であれば、噴霧や霧化の新型コロナ不活化に対する効果が明らかに認められ、かつ安全面からも推奨される」となった時点で、有効に活用したらどうだろうか?

なお、次亜塩素酸水の基本的な性質について、一般向けにわかりやすく説明されたものとしては、上記「かずのすけ」氏の動画(5/13)があるので、必見である。また、少し前になるが、医師の友利新氏が、次亜塩素酸水は自己責任で使用すべきことや、空間除菌について正しく理解すべきことについて、動画(4/28)で言及されているので、こちらも参照されたい。

私自身は、一時期アルコールが品薄であったことから、次亜塩素酸水のスプレーを自宅で使用していたが、いまはやめている。

【まとめ】

新型コロナウイルスの消毒方法については、刻一刻と新しい知見が公開され、日進月歩していると言って良い。明日にはどこかで、これまでの常識を覆すような発表がなされるかも知れない。

私たちは自分や家族や親しい人の、また医療・介護・福祉の現場であれば利用者・患者も含めた関係する人たちの、健康を守ることを第一に考え、常に頭の中をアップデートしていくことを怠ってはならない。それがウィズ‐コロナ、アフター‐コロナの時代まで見据えて、私たちが生き抜いていくために肝要なのである。

※〔6/6追記〕NITEでは、6月4日付でQ&Aが更新されているので、そちらも参照されたい。特に次亜塩素酸水については、今後の展開次第で変わっていく可能性もあるため、随時確認されたほうが良いと思われる。本日時点での私の個人的見解は、上の文章で述べた通り、「いったん待機して、事業者側が『所定の条件下で効果や安全性についての検証を確実に済ませている』ことを確認した後に活用したほうが無難」に変わりはないので、念のため。なお学校や保育所については当面中止したほうが望ましいと考えているが、これは改めてエントリーを建てて述べたいと思う。

次回へ続く)

2020年5月17日 (日)

新型コロナ(8)-「想像力」をどう働かせるか?

前回より続く)

他人の行動に腹を立てても、建設的ではない(ただし、そのような行動を誘発する精神的風土については分析したほうが良い。これは後日、別稿で触れる)ので、まずは自分が望ましい行動をするためには、どうしたら良いかを先に考えよう。

前回述べた、的確な情報を取得することは大切だが、それだけでは十分ではない。

これから先へ向けて「想像力」を働かせることも、人間にとって大事なことだ。

将棋や囲碁でおなじみの「次の一手」である。棋士たちは「次の一手」を指す(打つ)前に考えることは、目先に映る魅力的な(=すぐ戦況を好転させそうな)一手を「とりあえずこう指す(打つ)」ではない。「最終的にこの一局で勝つ」ことである。「勝つ」ために必要な「次の一手」は、損な一手、我慢の一手、無策に映る(当面は)一手になるかも知れない。しかし、棋士にとってはそれでも構わない。勝つことが目的なのだから。

それでは、以下に掲げる三つの類型の人たちが打っている「次の一手」はどうだろうか?。

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△「買いだめ志向」の人。ワイドショーなどでトイレットペーパーが品薄だと聞き、自宅のストックが不安になる。そこで頭に浮かぶ「次の一手」は、なるべく多く買い置こうと考え、朝からドラッグストアに並び開店と同時に入って、トイレットペーパーを購入することだ。そうすることにより安心できる。

→ *しかし、そのために店に並べば、その行列の前後や近くに万一感染者がいた場合、自分が感染するかも知れない。個数制限の設定をめぐって、店員との間に気まずいやりとりを起こすかも知れない。その光景を知人が見ていて、知らないところで自分への陰口が広がるかも知れない。家族が買いだめに反対している場合、家庭内の空気が悪くなるかも知れない。もし品薄情報がデマだったら、笑われるかも知れない。トイレットペーパーを買いだめすると、家があまり広くなければ保管場所に苦慮するかも知れない。

△「自粛期間中に観光したい」人。非常事態宣言(国の緊急事態宣言や各都道府県独自の宣言を総称する)が出されていると、せっかくの連休中に「家に居ろ」と要請されてしまう。もともと電車や飛行機の予約を取っていたのだから、休みがあるのに行かないのはもったいないと思う。そこで頭に浮かぶ「次の一手」は、自粛疲れを回避するため、精神衛生を兼ねて予定通り観光することである。

→*しかし、そのために交通機関を利用すると、他の乗客から感染するかも知れない。目指す土地へ行っても、目ぼしい観光地はみな閉鎖されていて、楽しめないかも知れない。地元の人から白い目で見られるかもしれない。当地の美味しい料理店も大部分は休業中なので、つまらない旅行に終わるかも知れない。万一自分が感染していて潜伏期間だったら、地元の店で何か一品買っただけでも、その店を介して別の人の感染が判明したとき、ネットで個人を特定されて非難されるかも知れない。肩身の狭い思いをするかも知れない。

△「地域を守るために、感染を広げかねない人を排除したい(=いわゆる『自粛警察』などの)」人。自分や家族は感染したくない。また、地域に住む基礎疾患を抱えている人や高齢者にも(自分や家族に及ぶと困るから)感染させたくない。そこで頭に浮かぶ「次の一手」は、陽性者が出た医療機関の職員とか、物流で首都圏と行き来している運転手とかを、なるべく地域の他の人たちから隔離するように叫んだり、他県ナンバーの車を見つけたら出て行くよう要求したりして、地域全体を感染から守ることだ。

→*しかし、相手の生活もあるのだから、自分の勝手な思いで要請しても、意見が噛み合わないかも知れない。逆に本物の警察を呼ばれるかも知れない。相手の名前をネットに開示するなどしてしまうと、人権侵害だと受け取られ、法的手段に出られて自分が敗訴した場合、かえって大きな損害を被るかも知れない。また、ネット上で自分のほうが名前を開示され、非難されるかも知れない。結果的に双方が深い心の傷を負うかも知れない。

以上の三例。それぞれ「→*」のところに想像力が及べば、△の行為に踏み切らず、思いとどまることができる。おそらく、ほとんどの良識ある人はそうしているだろう。

SNSでも「落ち着いて行動しよう」と呼び掛ける人たちもいる。友人・知人からの声に耳を傾けることも大切だ。

いま安心したり、好い気分になったり、正義感に浸ったりすることができても、将来、自分が後悔する羽目になる。それほど逸脱した行動ではなくても、自分の次の一手は、結果的にリスクを高め、自分が損失を被る行為にならないだろうか? 一つ一つの行動において、常に「先を読む」力も必要だ。

そこまで思いを致して、よく考えてから、どう行動するかを決めたいものである。

(※画像の局面は将棋史に残る名場面の一つ。1979年の第37期名人戦第四局。一勝二敗と苦しい展開だった先手の中原誠第16世名人が、後手の故・米長邦雄永世棋聖に対し、ここで「5七銀」の一手を繰り出して破った場面。結果、このシリーズは中原氏の名人位防衛で終わる)

次回へ続く)

2020年5月 6日 (水)

新型コロナ(7)-情報を取り入れるときに心掛けることは?

前回より続く)

これまで述べてきた負の連鎖→「病気」「不安」「差別」を断ち切るために、大切なことがいくつか挙げられる。一つずつ提示していこう。

今回は「情報の取り入れかた」である。情報が偏ったり不正確だったりすると、自分の知識・知見が誤った方向へ誘導される。それが望ましくない言動の原因ともなる。

私たちは発信者自身と知り合いで直接伝えられるレアケースを除き、さまざまな媒体を通して情報を取得している。この新型コロナウイルスに関しても、すでに各方面から溢れるほどさまざまな情報が、玉石相混じって私たちの周囲を飛び交っている。

これらの情報を得るに当たって、私が心掛けていることがいくつかある。

(1)疑う
いきなり「疑う」のは意外に思われるかも知れないが、まず大切なのは、それが実在する論者の論評なのかどうか疑ってみることだ。オールドメディアかネットかにかかわらず、虚構(フェイク)もあちこちで出回っているからだ。
また、たとえ実在しても、こんな例がある。一か月ほど前、それなりの水準である経済誌・経営誌の中に、正体不明の論者による扇動的な内容の論評を掲載しているものがあった。もっともらしく自己の見解を主張していながら、その実は複数の他人の論評を切り貼りして、他者(おもにコロナ対策を推進している側)を攻撃している内容であった。執筆者の名前が(結婚等で改姓した場合は別として)、検索しても当該誌以外では全く引っかからない、すなわち、どこの誰なのか特定できない場合、注意が必要だ。 
逆に私は、匿名の論者の見解として紹介されているものでも、明らかに現場を知る人でないと語れない内容が含まれている場合には、信憑性があると判断して取り入れることがある。先日某誌で見かけた、医療現場を統括している医師(病院に電話が殺到するのを回避するために匿名で登場していた)などはその好例である。

(2)背景を調べる
発信者が特定できたら、次はその人物の背景を調べてみる。ネット検索で何でも調べられる時代なのだから、これまでの活動歴や発信歴を知ることは重要である。どのような立場から論評しているのかの参考になる。その人が過去に発信したもの(あまり古すぎると、スタンスが変わってきている場合があるので要注意!)を閲覧して、人物像の概観を捉える。
先日、この事態を契機に都道府県知事の権限を強化せよと主張している論評に接した。私自身の考え方にも近いが、経歴を調べてみると、過去、政権与党側の会議に参画して、道州制を推進してきた側の人であった。我田引水をしていないか、念入りに読み解いてみた。また、投資家の見解は、自分の経済活動が有利になるように世論を誘導しようとしている場合があるので、注意が必要だ。
友人・知人が引用した論評の発信者について調べていくと、最悪、全く「人」の尊厳に対する敬意に欠ける発言を繰り返している人物も存在する。私の場合、その類の人物によるパフォーマンスを、原則的には顧みないことにしている。批判する相手の人たちに敬意を払えない人間の論評に敬意を払う必要はないからだ。

(3)文脈や流れを確認する
背景を把握できたら、次はその論評がどのような文脈の中で発信され、どのような流れの中で論じられているのかを確認する。表題がセンセーショナルな表現になっているもの、元エントリーの一部だけ切り取られているものなどは、論評全体を俯瞰しないと、論者の意図が明らかにならない。新型コロナの恐怖を煽っているような表題でありながら、結構冷静に事態を分析している内容のものも見かけたが、これは表題を付けた人(本人なのか誰なのか...)の問題であろう。
なるべく全文を読み、前述の(2)を頭に置きながら、論拠や判断根拠は正しい分析に基づいているのか、慎重に読み解く必要がある。

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(4)分別・整理する
文脈や流れを確認できたら、次はその論評全体に再度目を通し、内容について分別・整理する。
多くの市民は無意識のうちに、自分にとって快い情報だけを取り込む傾向がある。特にいまのような時期に、自分自身の不安にストンとはまり込む論調に接すると、無批判に信じてしまい、脊髄反射的な言動に結び付けてしまう恐れがある。たとえ私が日頃から尊敬、共感している論者であっても、その論評ではおかしなこと、間違ったことを主張しているかも知れない。逆に私が日頃から嫌悪、批判している論者であっても、その論評では正論を主張しているかも知れない。
自分が全面賛成なのか、部分的に賛成なのか、基本的に反対なのか、また、どの立場を取るにしても、その根拠は何なのかをはっきりさせる。私は全面的に、または大枠で賛同する論評については、ブログ(ココログ)やSNS(Facebook)を使い、シェアするなどして多くの人たちに広く紹介し、拡散することもある。

(5)賛同できる見解を咀嚼して行動様式を定める
いまの時期、新型コロナにどう対峙するか、どう共存するか。一人ひとりが模索している。誰かの論評を見聞きして「あぁ、〇〇さん良いこと言ってるね」だけでは、自分の中に取り入れたと言い難い。「〇〇さんのこの見解に基づき、自分はきょうからこの点を意識して行動しよう」と、自らの振る舞いかたを決めていこう。

〈まとめ〉
新型コロナについては、まだ登場して半年にも満たないだけに、オールドメディアにしてもネットにしても、さまざまな立場からの見解が入り乱れているのが現状だ。よほどアンテナを高くしていないと、不適切な情報に踊らされ、望ましい社会の姿から乖離した思考へ誘導されてしまう。それが「排除」や「差別」に結び付く原因になるのだ。

立場はそれぞれ異なっても、自らの良識に基づいて、情報を取捨選択したいものである。

次回へ続く)

2020年5月 3日 (日)

新型コロナ(6)-「排除」「差別」はなぜ起きるのか?

前回より続く)

さて、人々の「不安」に乗じて、心の中に悪魔が入り込む。その誘惑に脳内を毒された人たちは、類型こそ違え、一つの方向性を持った行動に出る。

感染者やその同じ属性を持つ人たちを「排除」する言動である。

この「排除」は、互いを尊重した上での「適切な隔離」とは似て非なるものだ。非科学的な判断に基づく不寛容な言動、さらに、内容によっては、逸脱した言動を指す。

それはごく自然に、前々回で日本赤十字社が示した「三つの感染症はつながっている」の三番目、「差別」に直結する恐ろしさがある。

前提として、この新型コロナウイルスの特性がある。あくまでも特殊な「風邪の一種」であるのにもかかわらず、多くの人からはそう理解されていない。感染しても無症状、あるいは軽症(医療用語の「軽症」ではなく、一般人の認識としての「軽症」)の人が多いことは、むしろインフルエンザなど他のいくつかのウイルスによる肺炎のほうが危険だとの見方もある。しかし、ひとたび牙を剥くと全身の機能に総攻撃を掛ける性質があり、重症化した場合には従前通りの社会復帰が困難なレベルまで進んでしまうことが、相当以上の可能性で起きる。かつ、致死率は他の肺炎ほど高くないのに、若い人も含めて急速な増悪(-数時間前には普通に話していたのに、呼吸困難に陥るような-)により死亡する可能性がある。そして感染力が強いことから、家族に看取られずに死ぬことになる。これも過酷である。

専用の治療薬やワクチン、あるいは新たな技術を駆使した予防策が開発されれば、この状況も緩和されると思われるが、まだそうなっていない以上、このウイルスを的確に理解していても、多くの人にとって怖い存在なのだ。過度に恐れていたらなおさらである。そして、メディアがその過度の恐れを誘発している面は小さくない(岡江久美子氏の死去に関する報道など)。

その「恐れ」ゆえに、感染した人や、感染を助長しそうな人に対する差別や偏見が誕生する。

後者に該当するのは、医師や看護師などの医療従事者(特に、感染が報告された医療機関に関連している人)、介護従事者、保育などの福祉従事者、量販店やドラッグストアの店員、運送会社の配達員、清掃会社のゴミ収集員、などなど。自身が感染しておらず、十分な予防策を講じていても、周囲の人々からいわば「バイキン扱い」されてしまっている事例が、少なからず報告されている。

さらに、差別はこれらの人たちの家族にまで及んでいる。感染が報告された医療機関に勤務する看護師(当人の検査結果は陰性)の子どもが、保育を拒否された件。物流に従事して遠距離輸送しているトラックの運転手の子どもが、小学校の入学式に不参加を強いられた件。これらの事例を見聞きするたびに、どうしようもなく悲しくなる。

ここに掲げた人たちは、「エッセンシャルワーカー」と称される、社会を維持するためになくてはならない人たちだ。本来ならば、最大級の敬意を払われてしかるべきであろう。

保育所の施設長は、「お母さんの職場ではたいへんなご苦労でしたね。お子さんの健康管理に十分注意して登園させてください」と言えなかったのか? 小学校の校長は、「お父さんのお仕事で社会を支えてくれてありがとう。お子さんの健康管理に十分注意して入学式に来させてください」と言えなかったのか?

組織の責任者として守るべきものがあることは百も承知だが、この人たちの対応は明らかに過剰防衛であり、人間性に欠陥があると断ぜざるを得ない。部下の職員や他の児童の保護者に不安が広がるようならば、「正しく恐れる」べきことをしっかり指導、説明するのも、現場責任者の役割ではないか。

自分たちや自分たちの家族が、もし排除され、差別された場合はどう思うのか?...に関する想像力が欠如している。ここまで恐れるほど感染力が強いウイルスならば、いずれ将来その可能性もあることを、頭ではわかっているのだろうが、「心」で感じようとしない。感染を広げそうな人たちに対し、何かしら迷惑なもの...という非科学的な思いが先走ってしまい、科学的根拠に基づいた判断を思考の外へ押し出している。

おそらく、全国的に同様なことが起きていて、報じられなかった事案も多く存在するであろう。

それでは、新型コロナウイルスを、科学的根拠に基づいて「正しく恐れる」ためには、何が大切なのだろうか?

次回へ続く)

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