このたび、JASRAC(日本音楽著作権協会)の職員が「主婦」として、Y社(本社は当地・浜松)が経営する銀座の音楽教室に二年近く「潜入」して受講していた事案が、話題になっている。
Y社をはじめとする「音楽教室を守る会」が、教室での楽曲演奏にまで著作権使用料を徴収するのはおかしいとして、JASRACと裁判で係争している中、この「主婦」はヴァイオリン講師の模範演奏について、「講師が伴奏に合わせて弾く様子は、まるでコンサートを聞いているかのように美しく聞こえた」と証言し、JASRAC側の主張を裏付けたのだ。
この事案をめぐって、あたかも「JASRAC→悪」「音楽教室→正義」であるかのような議論が支配的になっている。
JASRACに対する批判は、多くの論者から寄せられている。著作権料の徴収対象がカラオケ店やBGMを流す店などにも拡大し、また、徴収した著作権料をクリエイターに払わない場合もある(例:短い小節なら作詞者に配分しない、雅楽の演奏にも徴収した、etc.)と報じられており、これが「権利を守る」正当な行為に相当するのか、疑問を持つ人たちも少なくない。中には誇大な報道もあり得るので、実態が報道の通りなのか不明瞭ではあるが、JASRAC自体が大きな利権を得ていることは否定できないであろう。
その流れに沿って、今回のJASRAC職員の「潜入」も、教室側との信頼関係を踏みにじるスパイ行為であると評する論者が圧倒的に多い。
しかし、これはちょっと違うのではないだろうか。
まず、楽曲を用いて収益を得る場合は、作詞家や作曲家に対して正当な対価を支払う義務がある。これは作詞家や作曲家の権利を守るためには大切なことである。こちらもいま話題になっている過去の海賊版サイト「漫画村」が、いかに漫画家や出版社の正当な権利を侵害してきたかを考えれば、クリエイターの著作権が守られなければならないことは自明である。
JASRACが作詞家や作曲家に代わって管理している楽曲であれば、当然ながら楽曲の有償使用者は、JASRACに著作権使用料を支払う義務がある。作詞家や作曲家がJASRACの取り分を除いた適切な配分を受けているかどうかは、JASRACと作詞家や作曲家との問題であり、楽曲の使用者が介入すべきものではない。
次に、カラオケ店やBGMを流す店はともかく、音楽教室までが「楽曲の有償使用者」に該当するかの点である。
今回、多くの教室経営主体が「音楽教室を守る会」を結成、協働して裁判を起こしているが、Y社(...を含めた一部の音楽教室。以下、音楽教室「Y」という)は、他の大手や街中のところどころにある中小零細の音楽教室(以下、音楽教室「T」という)とは、性質がかなり異なることが判明している。
音楽教室「T」では、穏当に音楽文化を一般の人たちに伝えて、その対価を得ることが営業活動である。その後、そこで学んだ若い人が演奏家として育つための橋渡し程度はするかも知れないが、それ以上の営業活動に踏み込むことは通常はない。
他方、音楽教室「Y」では、自社で契約する演奏家をプロフェッショナルとして活動させ、メディアでの仕事に結び付けている。しかもY社の場合、伴奏システムまで自社側で用意しているので、ある程度の技術を持つ受講者が本気で習得に臨み、一定の過程を経れば、比較的容易に「演奏家」レベルまで到達する。この繰り返しによってY社側で「使える」プロ演奏家が(レベルはともかく)増加していく。これでは、単なる「音楽教室」ではなく、「稼げる演奏家の養成所」と見なされても、しかたがないのではなかろうか。
すなわち、Y社はコングロマリットとして総合的な音楽ビジネスを展開しており、音楽教室もその一環だと考えられるのだ。したがって、「講師が伴奏に合わせて弾く様子は、まるでコンサートを聞いているかのように美しく聞こえた」と証言した「潜入」職員の感覚は正常であり、JASRAC側の意を呈して虚構の「コンサート」を作り上げたとは言い難い。
長く浜松のため貢献している大企業なので、悪くは言いたくないのだが、残念ながら、先日、知人の演奏家(決して作曲者=JASRAC側に近い人=ではない)から耳にした話も、上記の判断を裏付けている。
だから、ここで「JASRACは悪だ」「音楽教室は正義だ」と決めつけた論評をしてしまうと、私がかねてから日本人の思考形態の特徴だと見なしている「二分割思考」の弊害に陥ってしまう。
この事案については、「ただの音楽教室(音楽教室「T」型)なのか? それとも、楽曲を有償使用したビジネス(音楽教室「Y」型)なのか?」の実態から判断して、著作権使用料徴収の是非を問うべきだと愚考する。裁判所にはこの点を賢察しつつ、判決を出してほしいと思う。
日本の音楽文化を守るためには、係争中の事案はともかく、今後、JASRACの幹部を含めた有識者や各方面の関係者が顔を合わせる場を増やし、議論を深めてほしい。クリエイターの権利をどう守り、他方で楽曲の有償、無償での使用の形態を法律や社会通念でどう定義し、線引きをするのか、利害関係者が対立を超え、知恵を出し合って、望ましい音楽文化のありかたを語り合い、方向付けていってほしいと願っている。
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