旅行・地域

2017年4月 5日 (水)

自治体附属機関等の委員会に出席して(2)

公的な会議に出席しての感想。

二回目は、地域の距離感覚の話である。

合併後の浜松市は、日本全国の基礎自治体で二番目(一位は岐阜県高山市)に、政令市に限れば一番広い。その面積は、日本の都道府県で最も狭い香川県(1,876㎢)に近い広さ(1,558㎢)であり、香川県を少しスリムにして向きを変えると浜松市の形になるようなイメージである(下の画像は浜松市公式HP所掲)。

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さて、市の本庁では、その距離感をどの程度理解しているのだろうか? いくつかの会議に出てみた限りでは、はなはだ心もとない。

たとえば、在宅医療連携支援センターが中区に開設される、あるいは、医療と介護の連携に関する企画が市の福祉交流センターで開催される。その場所へ天竜区の水窪や佐久間から出向くとなると、道路の混み具合にもよるが、二時間は見ておいたほうが良い。先に掲げた香川県の例で言えば、西端の観音寺市から県都の高松市中心部へ行くぐらいの感覚だろうか。

一つの市の中でも、移動するのにこれだけの距離があり、時間がかかる。会議・研修・イベントなど、すべて「中心部」で開催されるものに対して、「周縁部(語弊はあるが、一応この言葉を使う)」の関係者はどのような眼で眺めているのだろうか。そのあたりを的確に把握した上で、関係者は周縁部の住民からも身近に感じられる施策の展開に勤しまないと、効果的な企画が推進できない。

静岡県の会議にしても同じことだ。旧国名では「遠江」「駿河」「伊豆」の三か国が当県に相当する。しかし、県都の静岡市の中心市街地で午前10時に会議や研修がある場合、浜松の水窪や佐久間からは、車で行くとしても朝7時には出発しないと確実に到着できないであろう。交通費の支給は公共の交通機関が原則だと言われて、真面目に電車を使えば、朝6時ころの飯田線でいったん愛知県の豊橋まで出て、そこから新幹線で向かわないと間に合わない。伊豆半島の南端から静岡市へ行く場合も、似たり寄ったりではないかと推察する。

だからこそ、より身近な単位として県内8つの「圏域」なるものがあり、その圏域の中で何をしていくべきなのか、時間をかけて議論を熟成させることが必要になる。ところがこの「圏域」単位の会議には多くの団体の代表者が顔を合わせるので、限られた時間の中では、往々にしてそれぞれ形式的に意見を開陳するだけの場になってしまい、実質的な施策に関する討議がほとんどなされないまま、最終的には県当局任せになってしまう場合が多い。

そして、現実にどの部分にいくらお金が使われるかは、会議の中で出た要望などとはあまり関係なく、県当局と関連する団体や勢力の駆け引きで決められていくことが多いのだ。せいぜい会議で出た話の中から、施策の具体的な中身に多少反映されるポイントがある程度である。地方の現場でがんばっている人たちから見れば、「結局、よくわからないうちに県の中央で決められてしまうんでしょ?」ということになる。周縁部の市民団体や専門職団体の代表格の人たちだけは、そこに多少参画しているが、その他大勢にとっては遠い向こうの話であるかのような状況になっている。

それと同様な感覚で、県都で何か県民啓発のためのイベントが開催されても、周縁部に住むほとんどの人たちにとって、わざわざ出かけようとする気には全くならないことが多いのだ。

これではいけない。浜松市にしても静岡県にしても、境域の隅々まで浜松市であり、静岡県である。行政に携わる人たちが周縁部の距離感を常に意識して仕事をし、業界団体や職能団体も、すべての境域を代表している意識を持って意見を発出しないと、市勢、県勢全体に悪影響が広がってしまう恐れがある。

浜松市介護支援専門員連絡協議会では、今回の役員改選において、天竜区の北部、長野県と境界を接する地帯を管轄している地域包括支援センターの管理者を、副会長の一人に選出した。大合併以降、諸事情で実現しなかった最北端からの三役選出である。これを機会に、周縁部で働くケアマネジャーや介護業界職員の実態をより重点的に把握することができ、困難にさらされている地域の課題解決の一助にしていくことができれば、それに越したことはない。

いかに交通が発達し、ICTによる情報網が発達しても、縮められない物理的な距離感覚について、私たちは決して軽視してはならないであろう。

2016年4月 8日 (金)

私の海外旅行歴

最近は全く海外旅行へ出かけていないが、私にも過去四回の海外渡航歴がある。

一回目は1983年、中国。大学で指導を受けていた教授のサークルによる企画であり、さらにその教授の師匠である大先生夫妻が代表となっていた20人ほどのグループに拡大させての、もっぱら史跡巡りの旅であった。上海から入り、蘇州、泰安を経て泰山に上り、曲阜の孔子ゆかりの廟堂を見学。さらに再度南下して、江南では南唐国の皇帝陵を巡り、南京で旅の終わりとなった。泰安あたりの村落都市では、現在とは比較にならないほどドメスティックな当時の中国人たちが、私たち外国からの旅行者を珍しいものでも見るように観察していたのが印象的だった。10日間。

二回目は1985年、インド。これは全くの一人旅である。カルカッタから入って近代インド以来の人間のるつぼ状態を経験し、そこから長躯デリーへ移動。西行してラージプート時代の史跡が残るジャイプル、チットールガル、ウダイプルを観光し、アグラでタージ‐マハルを見学、再度デリーに入って中世以来のいくつかの史跡を巡った。旅行中、一再ならずタクシーにつきまとわれ、かなりの金額をぼられてしまったが、それも楽しい旅の思い出である。17日間。

三回目は1988年、米国。職場の研修旅行であった。上司と同僚と3人での渡米。ニュー‐ヨークから入り、前半はワシントンDC、フィラデルフィアなどのナーシングホームを見学する真面目な行程。後半はニュー‐ヨークやボストン市内を観光、バッファロー経由でカナダ側に入国し、ナイアガラの滝を眺め、ニュー‐ヨークに戻った。ユダヤ教徒のためのホーム見学など、こんな機会でもなければなかなか思い立ってもすぐ行くこともできない、貴重な見聞であった。11日間。


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四回目は2001年、南西ヨーロッパである。これも一人旅であるが、おもな目的はカトリック教会への巡礼であった。折しも復活祭に続く時期で、どの国の人たちも活き活きとした表情だったのが印象的だ。

イタリアでは、まずローマで念願のヴァティカン巡礼を果たした後、数日かけてラテラーノ、サンタ‐マリア‐マッジョーレなどの大きな聖堂で祈りを捧げた。ピサの斜塔を見学し、フィレンツェに出向いてドゥオーモを中心とする花の都を満喫。ジェノヴァでは坂の多い街に意外さを感じながら、本場のパスタ‐ジェノヴェーゼを賞味して、西へ。

フランスではプロヴァンスのニース経由で、中世の教皇庁が残るアヴィニョンに数日滞在してお祭り気分を楽しみ、そこからニームやオランジュの古代劇場などの遺跡を見学。ボルドーへ移動してアキテーヌ地方の優しい風景を眺めながら、シャトーのワインで乾杯。

スペインではバスク文化の色濃いパンプローナに足を停めた後、ブルゴスやトレードに入って中世の旧都に思いを馳せた。マドリードを素通り同然にしてセビーリャへ駆け抜け、アンダルシアの香り高い文化に接しながら、信仰厚い人たちが担ぐパソ(聖マリア像を乗せた御輿)を見られる幸運に恵まれた。そこからコルドーバ、さらにグラナーダへ赴き、シエラ‐ネバダを望みながら世にも美しいアルハンブラ宮殿の魅力を心ゆくまで堪能した。最後はマドリードに戻り、森厳なエル‐エスコリアル修道院(上の画像)でハプスブルク朝時代の歴史の重みに触れることができた。最終日にはマドリードのカテドラルで祈りを捧げて、これから始まる新たな仕事への決意を新たにした。実に28日間にわたる旅であった。

それから15年。いま世界の各地で治安が悪化していることを考えると、その前にさまざまな文明の姿を自分の目で見てくることができた私は幸せなのかも知れない。だが他方で、飢餓や貧困、戦乱や暴力に苦しんでいる人たちが数多いことには心を痛める。確かニースに滞在したとき、一歩裏路地に入ると、ホームレスと思しき人たちが路上に寝泊まりしていたのを覚えている。繁栄するリゾート地の影の部分だったのだ。

異なる思想や文化や境遇を持つ人たちが、寛容の心で共生しながら、ともに豊かな生活を送ることができるように、改めて祈りを捧げたい。

2015年10月18日 (日)

秋、旅の季節...

ここ数年、地球温暖化の影響が大きく、天候不順が珍しくない。特に「春らしい春」や「秋らしい秋」の日が少なくなり、「異様に暑い」「異様に寒い」日が増えているようだ。降水の際の豪雨が多くなり、直前のエントリーでも触れた町など、日本各地で被害をもたらしているのも心配である。昔ながらの日本らしい気候が、大幅に変容しつつある。

まだ気候が比較的安定していた時代、40代前半の頃まで、私は一人で日本の各地を旅行するのが好きであった。多くは二泊三日から四泊五日の旅程であり、日本の47都道府県全部に、少なくとも一回は足を踏み入れている。特に9月後半から11月前半は行楽日和になることが多く、途中で少し雨に降られても、それもまた一つの旅の風情として、楽しむことができた。

関心が強かったのは、東北の内陸から西側、北陸の東半、山陽、南九州などで、これらの地域にはそれぞれ何度も旅行している。城(跡)や城下町の歴史を味わい、キリシタンにゆかりのある史跡で先達の苦難を思い、豊かな自然の彩りを眺めながら、地元名産の食べ物を味わうのが楽しみであった。

自分の足で城に登り、街並みを巡り、移動は鉄道とバスが基本であったが、接続が悪い土地もあるので、出発前に時刻表を確認して行程を組み、原則としてそれに従って行動した。土産物は最終日の前日に買うことが多かった。

夜は、おいしいお酒を飲めるレストランをあらかじめ調べておき、ゆっくり時間を掛けて、心ゆくまで郷土料理を満喫した。場所によっては、カウンターで土地の人たちとしゃべりながら時を過ごすこともあった。夕食を済ませると、宿に落ち着き、持ち込んだ本を寝転がって読んだ。その土地に関係する歴史ものが多く、自宅であまり目を通す時間がなかった本を、好い機会とばかり読みふけったものだ。

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この絵は知人の画家・中村晴信さん(現在は京都在住)が十数年前に初めて個展を開かれたとき、購入した作品「帰り路」である。私がしばしば旅先でその日の行程を終え、夕日を受けながら宿に向かっていたときの風景と重なっており、大切に所蔵している絵画である。

最近、別に旅行が嫌いになったわけではないのだが、静岡県外まで出かける機会が大幅に減っている。母の体調変動があるため、二泊以上は家を空けられないのも大きい。この秋も、もっぱら自宅と事務所との往復、事務所と静岡市内(所属・関係団体)との往復が多いので、あまり変わり映えのない風景ばかり目にしている毎日だ。旅行の予定は入っておらず、県外へ行く予定は名古屋ぐらいか。

とはいえ、今後も機会があれば、自分の流儀でまだ見たことのない土地の歴史や自然を楽しみに出かけたい。もちろん、旅行ということではなく、研修の講師などに呼んでいただければ、母の見守りも人に依頼するなどして、極力(一泊二日以内なら)ご要望に応じたいと考えている。この場合はもちろん仕事であるから、旅行のほうは付けたりであるが、そのような機会に他の土地の人情に触れるのも、また一つの醍醐味だと思っている。

★お知らせ

10月7日に発刊されました私の著書『これでいいのか?日本の介護-あなた自身が社会を変える』につきまして、出版社から取次会社を経由する配本システム上の事情により、特にネット書店での取り扱いが大幅に遅れ、ネット注文を希望された方々にご不便や混乱をおかけしていますことについては、恐縮千万に存じております。
本日現在、セブンネット、エルパカ、楽天、アマゾン等の大手のネット書店では、すでに注文を受け付けてくださっています。一時的に在庫切れになっていても、もちろん出版社には在庫がありますので、ご注文を入れてくださって構いません。ネット書店でも一般書店でも、日数はかかってしまいますが、基本的にお手元に届くはずですので、よろしくお願い申し上げます。
全国の都道府県庁所在地近くにお住まい、またはお仕事をお持ちの方は、庁舎のすぐ近くに官報販売所がありますので、いまなら手に取って内容を見てからお買い求めいただける可能性が強いと思います(そもそも官報販売所で取り扱ってくれること自体が、本書の信用度を示していることをご理解ください。そのため、不穏当な表現の手直しなど、原稿の手入れは何か所もしていますが・・・)。

2015年4月29日 (水)

平将門に魅せられて

日本史上の英雄と言えば、皆さんはまず誰を思い浮かべるだろうか?

私も何人かの名前が挙がる。もちろん、単に戦が強かった武将が英雄だというわけではない。民意に沿って民衆のために働いた人が英雄だと考えている。

古代史で一人選ぶとしたら、やはり平将門(?-940)であろう。下総国北西部を本拠地とする豪族であり、常陸国にも勢力を広げていた。朝廷を牛耳って荘園支配を広げる藤原氏一門と、そこから派遣される国司による収奪に抵抗、常陸国府を占領して在地地主による政権を樹立、いまの茨城県を独立国として、関東一円に勢力を及ぼした。しかし、武家政権をどう運営していくかのグランド‐デザインを欠いたまま、支配が空洞化、朝廷に協調する藤原秀郷や平貞盛らの襲撃を受け、建国三か月後に戦死して、政権は崩壊した。

時代が変わり、民意を代表する方法も異なるとは言え、既成勢力の人たちが自らの権益を守るために、社会保障が大きく後退させられているいまこそ、将門のような志を持った人物が求められているのではないだろうか?

そんな思いが強くなっていた時期に、昨年愛知県でお会いした、「いばらき福祉研究会(おもに県央地域を中心とした有志の業界団体)」会長の小林和広さんから、同会の総会記念講演で話をしてほしいとのご依頼をいただき、将門の国・茨城県まで足を延ばしてきた。

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テーマは「口のきき方で介護を変える!」。利用者本位のために、介護・福祉職員の話し方はどうあるべきかとの内容であった。オーソドックスな技術論よりも興味深いテーマだったらしく、約100人の方々が聴講してくださった。単なる話し言葉だけにとどまらず、なるべく広い意味での、顧客である利用者や家族に対する心構えを説いたつもりである。あとで振り返ると、ややまとまりが悪かった部分もあったが、大枠で私が述べたい趣旨は、みなさんに理解していただけたかと思う。

また、同会では小著も多数ご購入くださったので、この場を借りて厚くお礼を申し上げたい。さらに、小林さんをはじめ有志の方々が、決して他人事ではなかった東日本大震災の被災地復興事業にも協力を続けておられるのには、頭が下がる思いである。

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終了後の懇親会。小林さん(写真上・サングラス姿のマスターの右)をはじめ、同じく昨年お会いしているサ高住事業所長の桐原さん(写真下・左)、特養中間管理職の片岡さん(写真上・右端)、さらに、片道二時間もかけて群馬県から車で駆け付けてくださった、小規模多機能経営者の髙橋さん(写真上の女性)などを交え、日頃の疲れを癒す楽しい食事会となった。

翌日は水戸市内を散策。弘道館(写真)→水戸城大手門→彰考館跡と、藩政時代の史跡を巡る。水戸学の広がりが日本人のメンタリティに大きなインパクトを与え、今日まで少なからぬ影響を及ぼしていることから考えると、ある意味で水戸は「日本の中心地」と言えるのかも知れない。

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また、彰考館跡には安積覚(かく。=澹泊。1656-1738)の像があった。同じく史館総裁であった佐々介三郎(=宗淳。1640-98)とともに、藩主・徳川光圀に近侍した人物。もちろん、この二人が格さん・助さんのモデルである。二人ともいまなら「学識経験者」であり、チャンバラが強かったわけではない。

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お昼はご当地の「水戸藩ラーメン」を食べて、帰りの電車に乗った。

今回の茨城県行きは、自分の方向性を考える一つの機縁になったような気がする。小さな一人の人間に、何ほどのこともできないことは承知しているものの、それぞれの地方で地道な努力を続けている介護・福祉業界の人たちのためにお役に立つものであれば、たとえ小さな一石でも投じ続けたいと思った。

2012年6月 3日 (日)

天守がある城は・・・

 日本の城郭で、天守が存在する城はあまり多くありません。

 これまで、現存天守がある十二城すべてに、一回は登閣し、周囲の城下町を巡って旅をしてきました。

 ・弘前城(青森県)

 ・丸岡城(福井県)

 ・松本城(長野県)

 ・犬山城(愛知県)

 ・彦根城(滋賀県)

 ・姫路城(兵庫県)

 ・松江城(島根県)

 ・備中松山=高梁城(岡山県)

 ・丸亀城(香川県)

 ・松山城(愛媛県)

 ・宇和島城(愛媛県)

 ・高知城(高知県)

 このほかに、木造で復元された天守があり、

 ・掛川城(静岡県)

 ・白石城(宮城県)

の二城へは訪問したのですが、2004年に復元された

 ・大洲城(愛媛県)

へは、まだ行ったことがありません。

 仕事の関係で、なかなか休暇が取れませんが、愛媛県には学生のとき以来、旅行もしていませんので、時間が取れたらゆっくり周遊してみたいと思っています。

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