日記・コラム・つぶやき

2017年5月30日 (火)

朝ラーメンの体験

ここ数か月、母の介護を抱えたことで、生活にさまざまな制約が生じている。

しかし、私の生活すべてが不自由になったわけではない。逆説的であるが、いまの状況になったことにより、かえって自由になった面もあるのだ。

その一つが「朝ラーメン(略称・朝ラー)」である。

これまで、母が私の朝食の準備も手伝ってくれており、それが母の一つの役割として、決まり仕事になっていた。そのため、朝早く母を置いて出掛けるのは忍びなく、朝食をどこかの店に立ち寄って、とは簡単にいかない状況であった。

しかし、いまは母がショートステイを利用して家に居ない日があるため、その間に限っては朝ラーが可能になったのだ。

静岡県では、藤枝市を中心とする志太地区で、大正以来の伝統的な朝ラーの文化がある。当初は朝が早い茶業や漁業従事者の需要に応じたものであったが、他業種の人々の間にも好んで食べる習慣が広がり、地元の志太系ラーメンのみならず、多様なラーメンを提供する20以上の店が味を競っている。

そして、後進地域であった浜松でも、いまは市内で4店舗が朝ラーを営業。そのうち2店が、私の自宅から事務所までの間の路線沿いなのだ。

これに挑戦しない法もないと思い、朝食抜きで出かけてみた。

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まずは、西区の西山町にある「みちの」。北海道(旭川)系の店。浜松で最初に朝ラーを始めた店らしい。

ここは週休二日で、他の五日は朝から夜まで営業しているようだ。日中入ったことは何回かあるが、朝は初めて。味噌ラーメンを注文。癖が強くないマイルドな味噌味なので、一部のラーメン通よりも一般の客向けである。朝ラーにはこんなパターンが好いのかも。ご飯の代わりにラーを味噌汁で食べている感触に近く、朝の空きっ腹にはとても優しい。他のメニューも出してくれるので、次回は別の一品を試してみたい。

次は別の日に、中区の富塚町にある「七星」。和歌山系の店。ここも日中は何回か入ったことがある。

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朝ラーのメニューは煮干しと塩との二択。以前からこの店で煮干しを始めたことを聞いていたが、日中のメニューには含まれていないことを残念に思っていたので、躊躇なく煮干しを注文。

和歌山流の豚骨醤油に煮干しを利かせたスープが、硬めの細麺と実に好くマッチングしている。浜松では他でなかなか食べられない味なので、とても美味しい! 平日で、少し遅めの八時半頃だったため、客は私一人だったが、早い時間には結構出入りがあると聞いている。

考えてみれば、これまでも宿泊してホテルの建物内に朝食できる場所が無いとき、近くの店に入ってモーニングを済ませることもときどきあったわけだ。朝ラーはそれの変則的なパターンだと思えば、抵抗なく入店できる。

金額だけから言えば、自宅で何か作って朝を済ませるほうが(私の場合はいつもパンと玉子スープ)安上がりだが、気分を変えたいときなど、たまには朝ラーにすると効果的な場合もある。そんな良さが市民の間に少しずつでも浸透して、来客が増えれば、店側にとっても採算が合い、苦労して朝早く出張る甲斐もあるだろう。

私から言うと、他の二店は遠方でもあり、おそらく体験する機会はないと思うので、今後ときどきは寄らせてもらうであろう上記の二店で、朝ラーを長く続けてほしい気持ちがある。先方から頼まれたわけではないのだが、PRの一環にもなればと、エントリーしてみた次第である。

2017年5月22日 (月)

プロフェッショナルとは?

プロフェッショナル≒専門職とは何か?

ソーシャルワーカー8年、その後はケアマネジャー16年。私自身の職歴を踏まえて、どのような人を指してプロフェッショナル(プロ)と言うのか、考えてみる。なるべく多くの職種や業種に共通するものを掲げてみたい。

・しかるべき期間の学習や訓練に裏打ちされた共通基盤を、同じ職種の人たちの間で共有しているのがプロ。

・自分の能力を可能な限り最大限に発揮しながら、クライエント=顧客・受益者にとって最善の仕事をするように努めるのがプロ。

・常に職業倫理を踏まえ、行動規範に則って仕事をするのがプロ。

・アサーション(自分自身も大切にしながら、クライエントも尊重すること)が自然にできるのがプロ。

・アカウンタビリティ=説明責任を果たすことができるのがプロ。

・他の職種や業種の人と、適切な距離を保った専門的な連携・協働ができるのがプロ。

・コンセンサス(合意)とコンフロンテーション(対置)とを組み合わせ、また使い分けられるのがプロ。

・表面を観察しただけで、ある程度奥深くまで洞察できるのがプロ。

・報酬に見合う、もしくはそれ以上の仕事をするのがプロ。

・利潤を求めながらも、公益を忘れないのがプロ。

・一般の人やアマチュアを見下さないのがプロ。

・少々コンディションが悪くても、乗り越えるのがプロ。

思い付くままに挙げてみた。読者のみなさんのうち、自分のいまの仕事がプロであると認識している方の中でも、上記十二ほどの項目の中で当てはまらない項目があまり多い方は、自分に不向きであると諦めて、他の仕事を選ぶべきかも知れない。

2017年4月30日 (日)

当家の介護状況・続報

先に、1月下旬から自分の母親(90)が要介護状態になったことを述べたが、その後の経過を報告していなかった。

結論から言えば、いま何とか仕事と介護との両立ができている状況である。

3月8日に至って、「要介護3」の結果が出た。これは織り込み済みであった...と言うより、一次判定の項目をシミュレーションソフトに入れてみたら「要介護4」だったが、認定調査項目のうち、○を付けるべき番号が重いほうか軽いほうかどちらとも言えないボーダーラインの部分で、来宅した調査員が重いほうに付けて特記事項に付記した項目がいくつか存在したので、おそらく下方修正されると踏んでいたのだ。

したがって、実際に利用していた介護サービスは、要介護3の限度額までは達せずに、少し内輪で収まる分量だったのである。

加えて、母がADL(=日常生活動作)の回復途上であるため、不要なサービスは削減する方向で調整を進めた。本人が独力でポータブルトイレを使用できるようになり、一人で家に居られる時間が長くなったので、私が週五日間フルに働いても、おおむね母の介護が可能な体制を整えることができるようになった。

いま、母が利用している介護サービスのメニューは、以下の通りである。

訪問看護; W医療法人。母の主治医がよく利用しており、浜松市で長く療養型病床群や老人保健施設を経営し、定評がある。地理的な制約もあり、看護師さんは比較的年輩の人が多いが、母にとっては若い看護師さんよりも合っているようだ。1月末の時点では摂食不良を受け、悪化していた複合的疾患の看護が主であったため、毎週一回依頼していたが、いまは疾患のほうが軽快し、測定・観察とリハビリ指導が主になり、ショートステイとの絡みもあるので、月2~3回、および緊急時利用となっている。

福祉用具貸与・購入; Y株式会社。静岡市に本拠があり、全国展開している大手で、365日稼働しているのが最大の利点。1月末時点では看取り騒動のさ中だったため、当座の自立支援ベッドをレンタルした上で、ポータブルトイレを購入。危機を脱した時点で、保険適用の特殊寝台と褥瘡予防マットに切り替え、移動の便宜のため車いすをレンタルした。本人の回復に伴い、褥瘡予防マットをやめてベッドの付属品マットレスに切り替えた。

ホームヘルプ; A株式会社。浜松市に本拠があり、昔は「看護婦・家政婦紹介所」であった。市とその周辺地域に展開するローカルな企業であるが、社長は国の審議会等に参加したこともあり、意欲的な取り組みで知られている。同社の本拠地が自宅から遠くないので、人員の確保を信頼してケアを依頼。母のADLが低下していたときには、私が不在の日に午前、昼過ぎ、夕刻と3回入ってもらっていた。母の状態安定に伴い、昼過ぎの時間を少し早めてもらい、午前の部を終了、いまは一日2回が原則である。昼過ぎには昼食の準備と摂食・移動の見守り、口腔ケア、夕刻には水分補給と清拭や排泄の後始末等をしてもらっている。

ショートステイ; S社会福祉法人。浜松市の老舗施設で、私が33年前の学生時代、泊まりを兼ねて丸2日間実習させてもらった施設である(いまは区画整理による建て替えで、当時の建物は残っていない)。母が利用させてもらうことになったのも、何かのご縁であろう。母も最初は利用に抵抗があったようだが、次第に慣れて満足度も高いので、5日間×月2回を原則として、所用があるときや休息したいときに依頼している。

このような組み合わせで、介護サービスの力を借りながら、母にはなるべく家で過ごさせてやろうと思っている。本人がそう希望している以上、自分自身が可能な限り、それに沿ってやるのが最善だと考えている。

そして、これらの提供体制が整ったことにより、私の居宅介護支援業務も本来の形に復しており、新規ケアマネジメントの受任も再開している。また、ご要望があれば研修や企画の講師として県内外へ出講することも可能になっているので、ご検討されたい。こんどは従前からのいくつかのテーマに加えて、「ケアマネジャーやサービス提供者が見落としがちな介護者の心理」のテーマでも講話ができるので(笑)。

※ 母の親戚や友人の方がこのエントリーをご覧になっても、私に無断で母を訪問することは絶対にしないでください。自宅には「有限会社ジョアン」の書庫等があるため、ホームセキュリティを操作させてあります。したがって、私の不在中、不用意に敷地内に入った方は、映像に撮られたり通報されたりする可能性があります。また、母自身も気疲れする性分なので、会いたい方を選別しています。なにとぞご理解ください。

2017年4月 8日 (土)

自治体附属機関等の委員会に出席して(3)

公的な会議に出席しての感想。

三回目は、都市計画のありかたの話である。

これは、静岡県政にも当てはまらないわけではないが、おもに政令市たる浜松市の当局に投げ掛けたい(特定の管理職等を意識した記述ではないので、誤解なきようにお読みいただきたい)。

まず、当然の話であるが、介護分野に関する施策はそれだけで独立しているわけではない。保健・医療・福祉の関連施策とはもちろんであるが、たとえば経済・産業とか、教育とか、交通とか、内容次第では文化・芸術に関する施策とも連動して展開されるものである。

したがって、都市計画全般の中で、いま委員会で審議している政策がどのような位置にあるのか、他の関連施策とどう連動し合うのか、行政担当者は自らが知っているだけではなく、各委員にそれを知らしめる必要がある。特に専門職団体を代表する委員は、特定分野に関する深い専門性を持っていても、その外側については良く知らない人も少なくないので、なおさらである。

しかし、浜松市の介護関係の委員会は、実に縦割りである印象が強い。これまで出席した複数の会議で、市政の全体像の中における当該部門の位置付けと、他分野の施策との関連性とが、広角的に示された記憶は皆無に等しい。

行政の部門責任者が、委員会に対してそれを示す機会を逸しても、総合的な都市計画はしっかり進めているのであれば、文句を付ける筋合いはないのだが、どうもそういうわけでもないようだ。

過去の話であるが、市当局が実際、他県から都市計画の専門家を招聘して、市の外郭団体のトップに座ってもらったことがあった。ところが、せっかくこの人が実力を発揮しようにも、市内のさまざまな既成勢力のバランス‐オヴ‐パワーに妨げられてしまったため、市が抱える課題に対して根本的にメスを入れることができないまま、消化不良で浜松を去って行った(本人に近い信頼筋からの伝聞)。これでは宝の持ち腐れとしか言いようがない。

その後も、忌憚なく言えば、都市計画のほころびが随所に見られる。

一例を掲げよう。

東区の中田町・市野町・天王町・原島町の辺りは、郊外型の大型ショッピングセンターが林立する、巨大消費地域である。この地区では時間帯によって、信号のある交差点から100メートルそこそこしかない次の交差点に達するまでに、長ければ10分も要することがある。

天竜区の春野町や龍山町の幹線道路を10分も走れば、100メートルどころか、7~8キロメートルは移動できる計算だ。

すなわち、中田など四町の周辺にある福祉サービスや医療機関をオブジェクトにする場合、通所・通院にしても訪問系サービスにしても、同じ距離を車で走行するのに、春野や龍山の数十倍の時間を要することを想定しないと、的確な見積もりができない。

また、当然であるが、これは福祉・介護サービスの人手不足にも深刻な影響をもたらす。この地区を通り抜けるのに費やす時間を計算に入れると、職員の通勤圏の地図が大きく変質するのだ。たとえ自分が就職・転職したい事業所が距離的に近くても、通勤に際して無駄な時間が著しくかかるのであれば、躊躇してしまうかも知れない。

この地区の交通量が介護関連サービスに及ぼしているマイナスの影響をどう緩和し、解決に導くのか。これは当然のことながら保健・医療・福祉分野だけの課題ではない。市当局は交通政策や商業政策を含めた、都市計画総体の中で適時に検討を重ね、より効果的な対策を速やかに打ち出していかなければならないはずだ。

そのような効果的な対策が、少なくとも私が出席する介護関係の会議では過去示されたことがなく、また、示されたとの話を聞いたことがない。この東区の交通問題はあくまでも一例に過ぎないのだが、他の分野の課題についても同様、介護関係の会議でめったに提示されない状況であることを、出席した当該委員から聴き取っている。

市当局のしかるべき地位にある人たちが、このような課題への対処をなおざりにして、自分の守備範囲の施策だけの遂行に終始しているのであれば、統合された市政の実現には程遠い。もちろん、各部門を一つの市政として統合する最終的な責任は市長に帰せられるであろうが、市長一人ですべての仕事ができるわけではない。各部門の責任者が市長を補佐し、議会で民主的に出された意見を反映させながら、横断的な施策の実現を目指して連携しなければならないのだが、これまでの経過から見る限り、浜松市の行政幹部職員には、その責任に対する認識が薄い人が多いようだ。

やるべきことをやらなくても、テキトーな時期が来れば栄転したり他の部署へ異動したりする。そして、確かに自分の担当部署の中ではそれなりの実績を残したとしても、統合された市政に関しては「何もしなかった」という無能無策の実績だけ残すのならば、市民不在の行政の推進者であったことを、自ら証明するようなものであろう。意識の高い公務員であれば、ご当人たちにとっても遺憾千万な話だと思うのだが、どうだろうか?

浜松市の将来のために、私はこの現状を憂えるのである。

2017年3月19日 (日)

「忘れ去られる権利」を乱用するな!

ICT技術の飛躍的な発展により、インターネットは私たちにとって身近なものとなったため、社会は大幅に利便性を増した。

そして、逆に私たちにとって不便、不具合なことも起こってきた。

ずっと昔の犯罪歴や愚行歴がネットにさらされてしまうのも、その一つである。昨年、閣僚を務めた北陸出身の政治家をめぐって、過去の愚行が話題となったが、職業や知名度にかかわらず、誰の前歴を誰でも調べることができる世の中なのだから、「前歴」をめぐるさまざまなトラブルが頻発している。

そして、前歴を「忘れ去られる権利」についての訴訟まで起こされる時代となった。ネットの検索エンジンに犯罪や愚行の前歴がさらされてしまっている人が、すでにその類のこととは縁を切って平穏に仕事をしている場合、「〇十年前にこんなことが・・・」といった手かせ足かせに縛られたくないのは、人の情として自然である。その犯罪や愚行の社会的影響の重大性にもよるだろうが、「いい加減にしてほしい」と、検索エンジンからの消去を求めるのは、決して身勝手な行為だとは思わない。

また、自分と反対意見である人の不利を図るべく、現在の活動とは関係の無い、あるいは関係の薄い昔の事実を「ほじくり出して」、その人を叩く人間が増えているのも事実だ。もちろん、これは褒められない行為である。暴露される側にとっては迷惑千万であろう。

しかし、その犯罪や愚行をいわば「踏み台」にして、現在の地位を築いている場合は、話が別ではないか。

私は20代、介護職員として宮仕えしていたころ、当時の利用者に対して、今日のスケールで見れば間違いなく「アビューズ(≧虐待)」に相当する行為を何度もしていた。自著では「恥ずかしい行為」とだけ記載してボカしているが、講義などで関係する話題に触れる際には、過去に自分が、「虐待に相当する」劣悪介護をしていた事実や、それに対する「申し訳なかった」との反省があってこそ、いまの自分があることも、包み隠さずに述べている。

当然のことだ。マイナーであっても、「介護」の分野で論陣を張る以上、過去の過ちは避けて通れない。昔の私を知っている人から「お前がエラそうに何を言っているんだ?」と嘲笑されないためにも、話題がそこに及んだ際には、ためらわずに告白するようにしている。

したがって、地位や知名度の高い人が、「クサいものにはフタ」をしているとしたら、これは看過できない。その一例を掲げよう。

当県では名が知られたヘイワ活動家(護憲派)Aさんがいる。環境保護でも活躍した人であり、県内各地で講演をして回っている人物だ。お住まいの市や性別を挙げると特定されてしまうので、伏せておこう。

このAさんが過去、大麻常習者の人たちと一緒にヘイワ活動や環境保護活動をしていた事実は、意外と知られていない。と言うか、ご本人がそれについて全く語っていないし、Aさんに近い人は何人か知っているが、その人たちからもAさんと大麻の関係話が出てきた形跡がない。Aさんの話を聞いて「感銘した」人のブログなどを見ていても大麻の話は出てこないし、検索エンジンからも全くあぶり出せない。

その大麻関係の人たちがいまどうなっているか、私は消息を聞かない。しかし、あくまでも私の主観に過ぎないとは言え、どう過小に見積もっても、Aさんがこの大麻関係のネットワークを「活用」して活動の場を広げていったのは現実である。つまり、Aさんの活動歴は、大麻常習者の人たちを「踏み台」にしていると考えられるのだが、Aさんはこの前歴をキレイにリセットしてしまい、自分の活動の「光」の部分だけを滔々と述べて、聴衆の喝采を受けている(と聞いている)。

このAさんは「真の住民運動と似て非なる「プロ市民」の運動」に登場した人物とも密接な関係にある。二人は「同志」と表現して良いかも知れない。その「プロ市民」がどんな人物だったかは、エントリーを参照いただきたいが、何となく似ているように感じるのは、私だけだろうか。

私は個人的には防衛力強化論者なので、護憲(9条)論者のAさんの話を聞きに行くことはないだろうが、もし私が護憲論者であっても、Aさんがこの姿勢を変えない限り、私は信用できない。当然である。私自身がAさんの活動に協力しても、何かキズが付けば、切り捨てられる可能性が強いのだから。

「忘れ去られる権利」を行使するのは良いが、乱用してはならない。これは一人ひとりの品性の問題なのかも知れないが、乱用することは心ある人たちからの信用を失うことになることを、地位や知名度の高い人たちは肝に銘じるべきであろう。

2016年10月30日 (日)

ワインを楽しむ

私はグルメや食通と言われる者ではないのだが、ディナーでは結構いろいろな料理の味覚を楽しむほうである。自分で一品、二品と作ることもあれば、外食で済ます場合もある。家で食べる日には、お惣菜を買ってきたり、冷凍食品をレンジで温めて済ますこともある。

そして、車で外食に行った場合を除き、飲み物はたいてい赤ワインだ。自宅で食事するときには、数百円のワインを三日かけて飲んでいる。だいたい一日250mlの割合である。

特別な時期だけは少しお金を掛けるが、それでも最高4,000円程度、たいていは2,000円前後である。もともと高級仕様の人間では全くないので(笑)、そのレベルのワインでも十分楽しめるのだ。

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組み合わせはフランスもの、それもボルドーが必ず1本(上の画像左はモンペラ)、あとはイタリアもの(上の画像中央右はバローロ)とスペインもの(上の画像中央左はエントレスェーロ)をそれぞれ1本ずつが定番。気分次第でもう1本ボルドーか何かを追加する(上の画像右はシャトー‐ラローク)。自分の誕生日と復活祭は恒例で、他の機会も含めて年に3~4回程度だ。

それ以外の普通の日は、スーパー等で購入した安ワインで済ませている。「たしなむ」とは言えないかも知れない。もともと私は先天的なアレルギー性鼻炎がある上に、嗅覚の低下があり、鼻腔全体で香りを満喫することが難しいのだ。それでもワインの味を「楽しむ」ことはできる。どちらかと言えば、甘みが抑制された、重いタイプのワインが好きである。口の中でゆっくり転がしながら喉に落とす快さは何とも言い難い。

若いときには、カトリック教会や市民活動団体の仲間と何時間もかけて食事しながら、一瓶ぐらいは空けてしまったこともあったが、いまは飲んでも6~7割程度(500ml前後)。それも三時間ぐらいかければとの条件付きである。

香りを十分味わえない代わりに、視覚で楽しもうとして、同じく安ワインでもちょっと凝ってみることもある。キャップシールやラベルの色を、同じ色でない同系色でまとめてみたり、白と黒とでコントラストにしてみたり・・・。

下の画像は、白と黒を交えた、ブルー系の同系色で並べてみた。

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実はこれ、左からフランス、アルゼンチン、イタリア、南アフリカ、オーストラリア、つまりG20参加国のワインなのだ。日本の地方都市でも一軒の酒屋さんでこれだけの手頃なワインが難なく手に入るのは、便利な話である。ただし、EUを除く19か国のワインがそろうことはあり得ない。厳格なイスラーム法による禁酒を定めているサウーディ‐アラビア産のワインは、たぶん存在しないだろうから...(^^;

宗教はともかく、世界には飲酒を楽しむどころではなく、戦乱、紛争、飢餓にさらされている人々も数え切れないほど多い。かつて日本にもそういう時代があった。現代の私たちが平穏な生活の中で、ゆったりとワインを楽しむことができる幸せのありがたさを、しっかり噛みしめることも大切であろう。

2016年8月17日 (水)

開業15年、明日へ!

私が2001年8月17日に「ジョアン」の看板を掲げて相談受付を開始(居宅介護支援事業者指定は9月15日)してから、きょうで満15年になる。

「開業→独立・中立型ケアマネジャー」15年の歩みを支えてくださった、また声援を送ってくださった全国の方々に、心からお礼を申し上げたい。

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上の画像は開業当初のころ。夏でも長袖を着ていた日があった(行先での空調対策)のは確かだが、スラックスから判断すると、少し後の秋ごろの写真だった可能性もある。

これまでの経過は「30年の思い(1) (2) (3) (4)」につづっておいたので、繰り返さないが、前人未踏と言うべき道をここまで歩んでくることができたのは、私が所属しているいろいろなネットワークの力が大きい。いま自分が所属している集団を、この機会に列挙してみよう。各団体では特段のお世話になった何人かの方がいらっしゃるが、個人名は省略させていただくことを了解されたい。

1.カトリック教会

1984年に関口教会(東京カテドラル)で洗礼を受けてから、信仰は私の精神的な基盤である。1985年に三方原教会(浜松市)、1994年に浜松教会へ信徒としての籍を移している。

2.多文化共生に携わる市民活動団体

1989年に「外国人労働者と共に生きる会・浜松」=「へるすの会」のメンバーとなり、アジア・南米をはじめとする移住労働者の問題に取り組んだ(いまは発展的に解消)。1996年には「へるすの会」の活動の一環として浜松の医師・歯科医師・中小企業経営者・外国人支援ボランティアなどの有志と協働して、おもに保険未加入の外国人市民を対象とした無料検診会の開催に参画、1997年から同志とともに市民活動団体・浜松外国人医療援助会(MAF Hamamatsu)の創設・運営に携わった。この団体は2011年に第一生命(株)主催の第63回保健文化賞を受賞している。ここで中核的な立場にあった医師をはじめ、ボランティア仲間の何人もの先生が、私に居宅介護支援の利用者を紹介してくださっている。

3.社会福祉士会

1992年に社会福祉士の資格取得。直後に県士会に入会。2006~11年、静岡県社会福祉士会第三者評価事業部のコーディネート担当として、同会の公益事業である福祉サービス第三者評価事業に参画し、2013年まで評価調査者を務め、私の貴重な副業でもあった。その後は事情があり退任し、いまは一会員となっており、またソーシャルワーカーに関する自分の見解と相違することから、認定社会福祉士資格は取得しない意向である。

4.浜松NPOネットワークセンター

1998年、行政の情報公開を求める市民たちが中心になって結成した「浜松NPOネットワークセンター(N-Pocket)」の会員となる。2000年には同法人での「宿借り」を承認していただき、居宅介護支援事業を開設、全面的にバックアップしていただいた。2003年に有限会社を設立した後に事務所と法人格を離れるが、その後も団体正会員の立場で、同法人スタッフからの介護相談等の依頼は原則として対応、受任している。

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上の画像は宿借りした開業当時の事務所内部。まだデスクマットもテーブルクロスも用意していなかった(^^;

5.介護支援専門員協会と当地の介護業界仲間

1999年、浜松市が招集した「介護支援専門員代表者会議」の委員としてケアマネジャーの意思決定に参画し、2000年に浜松市介護支援専門員連絡協議会が設立されると役員に就任。2005年、静岡県の介護支援専門員研修指導者の一人に加えられ、現任研修や実務研修の演習指導を手伝い、研修の実施主体が静岡県介護支援専門員連絡協議会(現・静岡県介護支援専門員協会)へ移った後も、そのまま指導者として留任している。2009年から静岡県介護支援専門員協会の役員として、県内外の団体や有識者等との連絡調整に当たっている。法定研修・自主研修で講師・指導者として登壇、また県内各地区の団体から講義のご依頼を受け、出向いたこともあった。また地域では地元の地域包括支援センターが在宅介護支援センター時代から断続的に利用者の紹介をしてくださっており、あえて積極的営業をやらないスタイルの私にとってはたいへん助かっている。

6.独立型ケアマネジャーの仲間

2002年、日本でも稀少な独立型の同志と連絡を取り合い、翌年には独立・中立型介護支援専門員全国協議会を設立、中心メンバーの一人として活動し、厚生労働省にも政策提言を届ける。その後、同会が活動停滞状態に陥ったため、2012年には退会した。2013にFacebookにアカウント登録して、同様な独立型のケアマネジャーたちと交流を深め、情報交換を続けている。より近く「同業者」と呼べる方々の活躍は、自分自身の振り返りと励みになっている。

7.冊子購入者の方々

2011年、会社が赤字続きで倒産の危機に陥ったとき、苦し紛れに『ケアマネジャー・介護・福祉職員のための作文教室(基礎編・応用編)』の冊子を自費で発行したことがあった。とある方がお薦めの一品としてブログで紹介してくださったのをはじめ、複数の方からネットで紹介いただいたことが奏効し、財政危機をしのぐことができた。このとき冊子を購入してくださった方々のうち、いまもネットを介してつながっている方が何十人かおられる(一部の方からは講師としてお招きいただいている)。

8.「リアル」の仲間

2013年、Facebookでつながった旧知の方々とのご縁で仲間入りした。ずっと以前からブログの読者同士としてつながっていた業界仲間たちが、「○○リアル」と称して各地に集まって懇親を深めている。茨城(←講師としてお招きいただいた)・愛知・長野・神奈川・千葉・群馬・福島、また九州の方も参加しており、メンバーの分布は結構広い。ヘビースモーカーが多いので、喉の不具合がある私としては、何人かの方と個別にお会いするのを別として、ふだんはネット上でのお付き合いが主流。

9.関西アホ仲間

2013年、Facebook上のお付き合いの中、某黒幕からラーメンを愛する同好の士のグループに入会させられてしまった。その関西支部がこれだ(親団体が秘密のグループなので、やむを得ず「関西アホ仲間」と仮称している)。京都府丹後地区(←講師としてお招きいただいた)・兵庫県・大阪府・和歌山県・奈良県のメンバーが中心。私も遠路いとわず年一回程度は参加し、代表から「お前アホや」と言われている。

10.アローチャート研究会

2014年、数年前に研究開発されたケアマネジャーの論理的思考のためのツール「アローチャート」を学ぶ機会を得た。浜松でも関心のある人たちと一緒に自主勉強会「矢万図(やまと)浜松」を発足させ、その年に開かれた第一回の学会にも参加して創設者の方や先達の方々とも交流、研究会の一員として普及に協力している。

このような多くのネットワークに支えられて、いまの私がある。

同じように独立型の事業形態を採りながら、一匹狼のごとく超然としているケアマネジャーもあるようだが、そのスタイルでは業界での意思疎通以前に、利用者にとって最善のケアマネジメントができると思われない。

これからも多くの人たちとの良い関係を大切にしながら、さらに16年、17年と先をめざし、自分の流儀で仕事を続けていきたい。

2016年7月15日 (金)

人と会い、人と語り・・・(4)

自分の信仰がカトリックで、介護業界に身を置いている私としては、どうしてもこの二つのどちらかの属性を共有する人と同席することが多くなるのは、自然の勢いである。しかし、このところ少し状況が変化した。

4月24日に岐阜でお会いした伊東亜樹(つぐき)さんは、5年前に私が自費出版した『作文教室』の冊子をご購入くださった方だが、Facebookで(そもそも私のリクエスト押し間違いから)友達になってくださるまで、私の頭からお名前が全く欠落していた。正直に言うと、6年前に伊東さんは同じ法人の高齢者部門でお仕事をされており、冊子購入のときの振込通知にあったお名前の字面から、私のほうはてっきり女性のお名前だと勘違いしていた(汗)という、お粗末な話なのである。

いまは法人内で昇任されて、青少年のための児童養護施設で施設長をされている(お齢は三十代後半の)伊東さんと、岐阜でお会いすることになり、昼食は岐阜駅前の「麺や六三六(本拠地は神戸)」をご案内いただいた。煮干し・昆布・野菜が混じり合ったスープが実に美味しい!

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ご勤務先の社会福祉法人愛燦会は、高齢者・障害者・児童の福祉各部門にわたる事業所を経営しており、木曽川をはさむ濃尾平野の東西、岐阜県から愛知県へとまたがっている。名古屋の郊外地域を巻き込む立地であるため、今後も各部門で利用者のニーズの増加や多様化が見込まれ、人材活用が急務になっている。

伊東さんからお聞きした話の中で注目されるのは、同法人の社会的役割と人材育成とをマッチングさせようとする試みである。一つはいわゆる18歳問題を解決するため、養護施設を巣立つ青年たちのうち希望者に、同法人内で就労するチャンスを提供しようというものだ。たとえ将来他業種へ転身するとしても、高齢者や障害者の事業所で働いた経験があれば、さまざまな形で役に立つのだから、私が提唱する「部分的介護就労」の考え方とも重なるものがある。

もう一つは、外国人研修生・技能実習生の活用である。この制度は拙著『これでいいのか?日本の介護』にも触れた通り、安価な労働力を確保するための方便に悪用されてしまっているので、私は旧来のまま運用されるのであれば廃止してほしい制度だと考えている。しかし伊東さんの法人では、むしろ研修生や技能実習生のために適正な労働環境を用意することで、将来的な介護労働力として活用する可能性を模索する方向である。この制度が介護分野にも適用されるのと同時に、抜本的な改善がなされることが条件になるとは言え、同法人の選択は一つの見識であろう。

「介護の場に人が欲しい」ことを先に考えてしまうと、壁にぶつかってしまう。逆に「働きたい人が不当な搾取を受けず、安心して労働できる場を用意する」ことから入るのは、いわば発想の転換である。一時的に苦しい場面があっても、同法人が長期計画で人材育成に取り組むのであれば、未来は明るい。伊東さんのような中間管理職の層が厚く、異部門同士の横の連携が円滑にできれば、それが可能になる。

私にとっても大いに学びになった対談であり、伊東さんには貴重な出会いにお礼を申し上げたい。

それから二か月余り。

7月3日には名古屋駅近くで、国内システム開発会社で仕事をされているシステムエンジニア、辻保行さんとラーメンをご一緒する機会を得た。辻さんは市川澤路さん(歌舞伎)のご友人であり、ラー友の団体(名称は開示できないが、あの「関西アホ仲間」の親団体になる^^;)を通して知り合った方だ。私も昔、短期間であるが千種区に住んだことがあり、中村区には母の実家もあるので、地下鉄東山線つながりでFacebook友達になっていただいた。

昼食は名駅から少し西へ歩いた「にぼしらーめん88」。ここは濃厚魚介とんこつ系の煮干しスープで、六三六とは違った旨味が何とも言えない。また来たい味である。

20160703niboshi88

辻さん(四十代前半)は金沢のご出身で、名古屋には過去に一度、今回は数年前から赴任されている。本当のラーメン通で、他にも東山線沿線のラー店をいくつか紹介してくださった。私もこんど名古屋へ行ったときには、順番に食べ歩こうと目論んでいる。

さて、異業種の方と語ることは、私たちの業界の常識を見直す機会にもなる。辻さんはご自身のお仕事について気さくに話してくださったが、具体的な仕事内容を語るときには決して顧客を特定されるような表現をされず、逆に顧客を推定される語りのときには決して具体的に立ち入った仕事内容には言及されなかった。

セキュリティに関わるお仕事なのだから、守秘義務が厳格なのは当然であるが、本来、どの業界でもそうあるべきなのだ。しかし残念ながら、介護従事者の口の軽さはこれと対照的な、嘆かわしいレベルなのである(これも拙著で触れた)。

また、辻さんは顧客から急な要請があれば、夜間でも駆け付けなければならない。しかるべき技術を持った方が、そのようなハードな時間配分の仕事をされるのだから、当然対価もそれに見合ったものとなる。私たちの業界で、夜間緊急対応の訪問看護師の報酬が高く、日中の決められた勤務だけの介護職員が低報酬なのも、こう考えると納得できるであろう(もちろん、いまの水準のままで良いと言っているのではないが)。辻さんご自身も、オーバーワークや部下のトラブルへの対応などが影響するのか、ときどき体調を崩されると聞いている。

人気の業種・職種は、積み上げられた技術・知見に基づいて確実な仕事をこなす職能や、決して楽ではない労働環境と表裏一体なのだ。介護業界の職員も、他業種の厳しさを覗いてみることは大いに必要であろう。

このたびは異なる業界の視点から、職業人のあり方についてのご教示をいただく得難い機会となった。辻さんには感謝の念を表させていただく。

最近は、私自身が遠方へ出向く機会が著しく減っているので、このような形で機会を捉えて、近県の人たちと交流を深めることが大切だと考えている。

自分だけの殻に閉じ籠っていては、何も生まれない。また、ネットでのやりとりはどうしても限界がある。現実に人と会って、人と語ることで、その人柄に触れ、自分自身の糧にすること、換言すれば生涯学習の一場面とさせてもらうことを、私は志向したい。

2016年6月18日 (土)

若きリーダーのみなさんへ

SNSやブログだけの話ではないのだが、いま介護業界で活躍されている、20代後半から40代前半ぐらいまでの、全国的に著名なリーダーの方々に、50代半ばのオッサンからちょっと苦言を。

決して私の加齢や知名度の低さなどから来る劣等感を背景にモノを言っているつもりではなく、リーダーシップを取る方々や、そのムーヴメントの将来を真摯に懸念した意見だ。ほんの数分だけを割いて、一回でもお読みいただければ幸いである。

(1)どのリーダーも同様だとは言わないが、多くの人に類似した傾向が見られる。自分の「テリトリー」の中に入ってきた人とは、懇意なコミュニケーションを取る一方で、その中に入れない人とは距離を置く傾向である。

活動の初期にはむしろ当然であり、まずはコアになるメンバーと緊密な信頼関係を築くのが常道であろう。問題は、活動が軌道に乗り、メジャーになっても、リーダーがこのような行動傾向を続けることにある。テリトリーの内外とは、面識の有無や年代を問わず、自分が仕切る活動の枠に(草創期から、理念が周囲に知られ、広まっていく時期に)参加した度合いで、区分しているようだ。

しかし、これが続くと、内輪だけで盛り上がってしまうような活動になってしまう恐れがある。譜代大名と外様大名ではないが、活動組織の中軸になる人は、リーダーに近い人たちに限られてしまい、距離がある(「距離を置く」ではない。「距離が縮まらない」のである)人たちに取っては、なかなか活動の中軸部分に参画する機会を得られない。

(2)理解度や意識の問題がある。

法人や事業所がその活動組織を全面的にバックアップするのでない限り、活動に参加する人たちは、それぞれ個人の責任において参加することになる。しかし所属先における経営者・上司・同僚の活動への理解度は均一ではない。理解度が低ければ、活動に参加した職員が職場の中で浮き上がってしまうことにもなり、苦しい立場に追い込まれてしまう。

そういう人たちから苦渋を訴えられた場合、私も安易に「辞めれば?」と言ってしまうことがないわけでもない。しかし、辞めたらそこの法人・事業所が開明的な職員を一人失うだけで、その職場は逆に悪い方向へ向かうかも知れない。せっかく職員が職場を(利用者のために)良いものにしようと努力しているのだから、経営者・上司・同僚にも、活動組織側の人間から働きかけて、「○○さんはどのような目的で自分たちの活動に参加しているのか」を伝え、理解してもらう機会が欲しいのだが、現実的には中軸メンバーにも体力の制約があり、そこまでできない場合が多い。もちろんそれはリーダー一人の責任ではない。

しかし、それをしないまま、リーダー一人がメジャーな存在になって名前が売れてしまえば、意識の低い経営者・上司・同僚たちは、ますますその活動を理解しようとする機縁から遠ざかってしまう。仮に何かの機会があってリーダーの講演を聞いても、「ああ、良い話を聞いたけれど、どうせ有名な人の理想論だね。うちではそんなわけにいかないし・・・」となる。正確に言えばそれは法人や事業者の変容能力の問題なのだが、当事者にはその自覚がない。

だからと言って(不祥事でも起こらない限り)その能力の乏しい法人や事業者を退場させる権限は誰も持っていないのだから、利用者の不幸を招かないためには、とにかく変えていくための働きかけが求められる。すでに輝かしいスターになったリーダーには、現実的に個別の職場に働きかけることは困難である。裾野を広げて協力する人たちを確保していかないと、末端では活動が空転する場面が増えるであろう。

(3)活動に参加できるかどうかを左右する要因は、意識の高低だけではない。環境も大事な要因となる。

たとえば私には兄弟姉妹がなく、母親を私が一人で看なければならない。だから、複数の活動組織のリーダーとコンタクトを取ることはできても、多くの場合、その活動に参画することは困難である。結局、リーダーのテリトリーの「外」になってしまう。若いリーダーから見るとそんな私は、50代半ばという年齢も勘案すると、積極的に情報交換する意味が薄い人間に映るであろう。

しかし、おそらく私の前後の年代で、介護離職を余儀なくされた元介護・福祉職員は、さらにそれが困難で、情報からも取り残されがちになっているだろう。リーダーが私のことを(決して意識していないにせよ)情報交換に値しない人間だと位置付けることは、介護離職した元職員たちを嗤うことにつながることを認識してほしいのだ。このような元職員たちの中には、一つきっかけがあれば、物理的に動くことは無理でも、活動の有力な支えになってくれる場合があるのに、リーダーがその可能性を自ら閉ざすのは、望ましいことではあるまい。

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(4)かつて介護・福祉業界で、最先端の旗手として活躍した人が、その後はアクティブな活動に乏しく、自分の取り巻きたちに囲まれた快い環境に満足しているのを見かけることも少なくない。過去の栄光にすがっているかのように見えるその姿には、哀れみを禁じ得ない。

中には現場から卒業してしまい、エラい学識経験者の地位を得たら、その安定した地位に安住している方もある。悪い例では、自分が業界の「エスタブリッシュト指導者」になってしまうと(それは時として自画自賛、ナルシズムに過ぎないこともあるのだが)、特権を持つ偉大な人物であるかのように錯覚し、自分(たち)だけは〇〇が許されるといった二重基準の振舞いをすることもある。

ヘソマガリの私には、この種の人たちが余計に、知名度とは裏腹な虚しさを抱える、哀れな小者に映るのだ。

以上、いろいろ述べてきたことを総括してみる。

いま、若いリーダーは全盛期で、何をやっても自分が主役、自分がメジャーであるかも知れないが、くれぐれも裸の王様(女王様)にならないように、自らを振り返っていただきたい。

高い丘の上の、隠れもなく輝く塔であるだけではなく、多くの仲間たちと一緒に咲き誇る小さな花の一つでもあってほしいのだ。

一回完結の忠言のつもりである。ご不快ならスルーしてくださって構わない。

2016年5月 5日 (木)

浜松のラーメン店(3)

ここ数か月、市内のいろいろな方面で新たなラーメン店を食べ歩くなど、少し見聞を広げた形だが、自分の中でのベスト‐テンがおおむね固まった。

全くの独断と偏見なので、異論・反論がいっぱい寄せられるかも知れないが、まずは以下に掲げてみよう。

1.「だるま」の濃厚鶏白湯。事務所から近く、歩いても20分。他にもいくつかの店で鶏白湯や鶏そばを食べてみたが、結局はここがイチ押しの評価。魚介類をじっくり煮込んだトロミのあるスープが絶妙で、麺は(硬さが選べる!)バリカタぐらいがちょうど好く合っている。鶏のあぶりチャーシューも味わいがあり、すっかりリピーターになってしまった。なお、味とは関係ないが、店主のご幼少のときの写真が他の店(→五味八珍)で見られるのも面白い。

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2.「蔵前家」の豚骨醤油。細江町の南端にあって事務所からは遠いので、休日に行くのだが、行列に並ぶことが多い。横浜家系の正統派を自任している店で、太麺の湯切りは平ザルで丁寧に。鶏油の加減は絶妙で、しかも食べ終わる頃には普通の豚骨醤油ぐらいになるため、くど過ぎない食感。店主や従業員の掛け声が抑制されているので、落ち着いて食事ができるところも、好印象。

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3.「まいど」の煮干しブラック。柳通りのラーメン激戦区から東へ行くと、少し外れたところにこの店が存在。ブラックのスープや低加水麺の美味しさはもちろんだが、煮干しの強さが出過ぎておらず、総体としてバランスの取れた醤油味を作り出している。

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4.「細麺三太」の醤油(醤油豚骨)。有楽街のラーメン激戦区にあるが、このスープに細麺が実に好く合っているので、周辺でも一番人気。昼食時には若者たちが絶えず出入りする店だ。

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5.「おえかき」のふわまる塩。浜北区と天竜区との境目辺りにあるが、太麺の歯応え、泡立ちスープのフワフワ感、大切りのメンマなどは、また来たいと思わせる味覚。私にとってはやや遠いのが難。

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6.「はやたろう」の黒旨(黒豚骨)。信州駒ヶ根出身の店主が浜松で起業したベンチャー。「白旨」と並ぶ人気商品で、コラーゲンが豊かな味だ。

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7.「土蔵(どら)」のやみつき醤油(前出)

8.「ワンタン軒」のワンタン麺(前出)

9.「来々軒」の伊賀忍玉(=豚骨醤油)。自宅から近いので、日曜日にときどき食べに行っている。

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10.「錦華楼」のごまみそ(=担々麺。前出)

惜しくも?次点になったのが、「天日地鶏」の塩ラーメン、「一番星」の五目塩、「浜田山」の魚介豚骨、「一凛」のしょうゆラーメン、「みちの」の味噌バターコーン、「五味八珍」のつけめん(+浜松餃子)あたりであろう。いくつも出てきてしまったが、まあどれも「同列11位」ということでご勘弁を...(^^;

浜松に本拠を置かないチェーン店やフランチャイズ店は含まれていない。いわば地元浜松のラーメンだけを自分流にランキングしたものだ。三河の丸源、袋井のめん虎や破天荒なども含めれば、「地元の味」はもっと広がるのかも知れないが。

もちろん、名前を聞いていてもなかなか入る機会のない店など、浜松でも未体験の店がたくさんある。読者のほうから「ここが好いよ!」というお薦めの店があったら、ぜひ教えていただきたい。

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