日記・コラム・つぶやき

2022年2月 9日 (水)

あれから20年

父が80歳で世を去ったのは、2002年2月9日。きょうは帰天20周年に当たる。

そのとき、私は父を看取ることができなかった。

朝、二階で寝ていた私が起きて階下へ行くと、いきなり深刻な顔をした母が私に声を掛けた。父が全身に汗をかいている様子で、母がいくら声を掛けても起きてこないのだ。

父は数か月前から認知症が進んでおり、母の介護負担が増えつつあった。近くの通所介護を見学した後、ひとまず週一回から利用を始め、短期入所生活介護も併せて利用するつもりで予約していたが、身体面では大きな衰えはなく、家の内外を普通に立ち居、移動していた。

しかし、この朝の7日ほど前、父が私と会話していて、たいへん力ない応答をしたことがあった。そのとき私は、「もう生きる気力を無くしてしまったのかなぁ」と直感した。この前兆があったので、当日朝の急変を迎えて、「もしかしたら...」と悟ったことを覚えている。

あいにく、午前中には外せない用事が入っていた。朝食を済ませた後、母の友人が応援に来てくれたので、二人にあとを頼んで、ひとまず出掛けて用を済ませた。

お昼前に帰宅したのだが、すでに父は天に召され、かかりつけ医が来宅してくれて、死亡診断も終わっていた。母の友人に感謝して帰ってもらった後、本人の意思にのっとって急場の「臨終洗礼(帰天直後は有効)」を行い、尊敬していた高山右近と同じ霊名「ジュスト」を追贈して、教会で葬儀を執り行ってもらう運びにした。かかりつけ医の診療所から看護師が来宅して「死後の処置」を済ませてくれた。

そのあと、10日に自宅での通夜、11日に教会での葬儀ミサと、それぞれ百名を超える列席者への応接で、何とも多忙な三日間であったことを、いまでも鮮明に記憶している。自分にとって初めての経験だったが、介護施設に勤務して、過去に類似した体験をしているので、それが役に立ったことは確かだ。

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きょうは、父が好きだった海産物をよく行商に来てくれた「丸一魚店」から何品かテイクアウト。一人でささやかながら20年を記念して、父を偲んでみた。うちが三十数年(昭和の終わりから)買い物をしていたこの魚店も、今月末で閉店するという。時代は移ろうものであろう。

これからは、自分自身の健康管理に努めながら、父の年齢を超えることを目標にして、日々の仕事や家事に勤しみたいと思っている。

2022年1月 9日 (日)

「段階的に撤退」

遅くなりましたが、読者のみなさまに新年のごあいさつを申し上げます。

さて、このエントリーの題名だが、仕事の話ではない。

これまで、お世話になった人や友人などに対し、年賀状に代わる年末年始のごあいさつを、クリスマスカード(ハガキ)の形で出していた。かつて開業したばかりのころ、多いときには100人を超えていたが、次第に絞り込むようになり、いまはひとケタにまで減った。

前回(2020年末~21年始)はクリスマスの直前に、自分の現況プロフィルを添えて、4人の方だけに宛ててごあいさつのハガキを送っている。

今回はクリスマスを越して年明けになっても、どうしようかと迷っていた。インターネットが格段に普及したので、従兄弟姉妹たちへのあいさつもメッセンジャーで済ませているのに加え、この年末は結構多忙だったので、紙媒体による時候のあいさつを作成する作業を、いささか面倒に感じていたところがある。

しかし、実際にはそのうち3人の方から年賀状をいただき(いただかなかった1人の方は、むかしの恩師で高齢者)、こちらからも出さないと先方が心配するかも知れないな、何しろ自分もそろそろ安否確認される年齢に差し掛かっているから...(笑)、と気にするようになった。

20220101smaria

そこで、神の母聖マリアの祝日(1月1日)のミサに参列したときの画像を組み込んで、一応年賀状らしいハガキを作成。ご無沙汰へのお詫びを兼ねて、昨日、4人の方へ宛てて送ったところだ。

約20年の間に、送る相手が100人超→4人となったのは、いわば「段階的撤退」であるが、最終的にゼロになるまでは、慣習として続けていこうか、と思った次第である。やめてしまうのは簡単だから。

2021年12月30日 (木)

みなさん、今年もありがとうございました。

ドタバタの2021年が、幕を閉じようとしている。

政治では内閣が一年で交替。経済は回復の兆しを見せながら足踏み。文化・スポーツ面では市民の活動が制約され、若者たちの発信が抑えつけられる一方で、五輪やパラリンピックは無観客の異様な姿で強行される矛盾を露呈。そして何よりもコロナ禍が続き、いまだに多くの人々が(もはや弱毒化して、普通のカゼと大差ないのだが、それにもかかわらず)、神経をピリピリさせており、これに対する政治判断が後手に回り、必要性の薄い隔離が機械的に行われている状況。

繰り返すようだが、私が何よりも憂慮しているのは、この二年間、人の尊厳や人間の尊厳が劣後にされかねない状況が続いていることだ。一口にコロナ禍と言っても、当初の蔓延時期、デルタ株の時期、オミクロン株の現在と、フェイズは次々と変化している。私たちの認識が二年前から進歩していないとすれば、(誤解を恐れずに言うが)それは人間としての退化が始まっていることにほかならない。

介護業界では、国による制度の見直し・報酬改定に伴い、根拠に基づいた「科学的介護」が推進されている。また、居宅介護支援の方式・書式に対しても厚生労働省からツッコミが入っているが、私がかねてから懸念している通り、ケアマネジメントが「がんじがらめ」に縛られる傾向が強まっている。5年ぶりに主任介護支援専門員の更新研修(必修)を受講してみても、それを感じた。真のケアマネジメントの姿から、どんどん遠ざかっていないだろうか?

個人(自分の事業)としては、居宅支援の要介護の利用者さんたちに、この半年間で医療機関長期入院や介護施設入所が相次いだことにより、「顧客数」が20→13と急減し、財政的にはいささか厳しい状態に陥っている。本業では予防支援(複数の地域包括支援センターより受託)7名に加え、公益事業として要介護認定調査も月8件ほど引き続き受任しているので、何とか事業所は存続している(^^; 他方で、「オンライン文章作成講座」を開講するなど、新たな挑戦も始めた。ある意味、仕事の転換期に入っている可能性もあるので、あまり一喜一憂せずに、自分のポテンシャルを信じて、いまできることを地道に続けていきたい。

2022年はどのような年になるのだろうか?

一年間、支えてくださった方々に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

2021年12月17日 (金)

どうやら高血圧に

筆者は10月に満61歳を迎えて、間もなく二か月になる。これまで同様、仕事にも勤しんでおり、個人的にも大きな変化のない一人暮らしを続けている。

しかし、最近になって気になることが生じた。

血圧が高いのだ。

これまで数年間、下(拡張期血圧)はおおむね70~80台、冬は90台とやや高めだったが、上(収縮期血圧)は120~139と境界値付近で推移してきた。

ところが、この秋の半ばごろからは、上が140台のことが増えている。暖かい部屋から寒い部屋へ移動したあと測定すると、150を超すことがあり、ヒートショックのリスクも考え併せると、そろそろ危険水域に差し掛かっていると感じている。

原因はいろいろ考えられる。

まず、仕事の現況。居宅介護支援の運営基準やケアプランの様式が変わったことにより、不慣れな書類をいくつも準備しなければならなくなった。それに加えて法定の主任介護支援専門員更新研修の受講(4~5年に一回必修。いまはオンラインで9日間)があるため、気持ちの余裕がなくなっている。これが第一の理由であろう。原因を取り除くためには、研修が終了し(年明けに残り2日)、必要書類の準備を終えるまで待つしかないかも知れない。

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次には、アルコールや塩分を好む傾向。飲酒は毎日ワインを1/3本程度なので、気持ちの安定のため当分はやめない予定(^^; 減塩には気を遣わなければならないので、少なくとも朝食のスープ(毎日)や、昼食のラーメンのスープ(週2~3回)、夕食にときどき味わう味噌汁(月2~3回)のスープなどは、飲む量を控え目にしていく。自宅と事務所に画像の紙を貼って、なるべく「満足する一歩手前」で自制するように心掛けたい。

最後に、加齢。こればかりは不可抗力である。血管の弾力性が失われてしまうのだから。

食生活を改善するため、これまでもときどき食べていた降圧効果のある食物、ほうれん草、バナナ、納豆、イワシなどを、意識して鋭意摂取していくつもりだ。

注意を促してくれる家族もいない身なので、後悔しないように努めようと思う。

2021年9月30日 (木)

こんな植物でも...

昨29日、業者さんに来てもらい、自宅敷地内の樹木をいくつか伐採してもらった。毎年、9月前半に草刈りをしてもらっていたのだが、今年はときどき、除草剤散布や草取りを精出してやっておいたので、それほど荒れ屋敷になってはいなかった。そこで、懸案だった伐採をまとめて依頼したのだ。

今回切って片付けてもらった草木の中でも特筆すべきなのは、中庭の額紫陽花(ガクアジサイ)である。

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むかし、亡き父が趣味の一つとして、中庭にいろいろと草木を植えていた。父の加齢に連れて次第に手入れできなくなり、一つ、また一つと枯れて、雑草に埋もれてしまったが、この額紫陽花だけは力強く、孤高の雄姿を保っていた。

亡き母は特段に庭いじりもしなかったが、毎夏、敷地に彩りを添えるこの花を愛でていて、時期になると美しく咲くのを喜んでいた。2017年に寝たきりになったあと、その夏には介護事業所の職員に伴われて庭へ出向き、爽やかな花の姿を見て楽しんだ。

その母が2018年春に他界。

額紫陽花はその後も咲き続け、母の三年の喪が明けた今年の3月を待っていたかのように、急速に力を失っていき、枯死してしまった。「役目を終えました」と言っているかのように。

こんな植物でも、主(あるじ)に忠実だったんだなぁ、と、少しく感動している。

2021年9月22日 (水)

アイウエオ順が好い

幼稚園から高校生のホームルームまで、クラスの出席番号は常に「アイウエオ順」だった。私の名字は冒頭「あ」の次が「わ」なので、同じく「あ」で始まる同級生が何人か前におり、二番目から五番目の辺りで変動してきた。

若い番号だったから、「前の席」になることも多かったが、逆に幼少時からそれが当たり前になっていたので、特に抵抗もなく慣れっこになってしまった。

社会人になってからは、あまり「アイウエオ順」を意識することもなく過ごしてきた。宮仕えのときも名簿の並びは所属部署の順番によるものであったし、開業してからは職能を代表して会議に参加することも増えたが、所属団体や役職で順番が決まったので、それを反映した席次にそのまま順応すれば良いだけの話であった。

ところが、県のとある公的な円卓会議で、20名以上のメンバーのうち、私の席が議長の二つ隣になったことがあった。私が代表する団体がその会議に参画したのは、遅いほうから一、二番目であったから、議長から最も遠い席が妥当だと思っていたのだが、この会議に関しては「アイウエオ順」だと説明された。議長の両隣は古参の団体役員(お名前が「あ」の前半で始まる方)と県会議員(お名前が「や」行の方)だったので、なおさら座りが悪かった。

しかし、団体間の格や地位に固執するのでなければ、「アイウエオ順(またはアルファベット順)」の並びが最も使い勝手の好い配列に違いない。「年齢順」も物議を醸すし、「団体が参画した順」だと団体同士の力関係の格差がある場合(あとから参画したほうが有力団体のような場合)は空気が微妙であり、「列席が古い順」だと、同じ団体から以前の在任者が再任され出戻った場合はどうするのかなど、解釈が難しい点が残る。「アイウエオ順」をあらかじめ示されてあれば、その会議に古くから参画している団体の代表者が「あともの」に対して、「あいつらよりウチの団体のほうが、むかしからこの件に協力しているのに」と怒ることもない。何回かその会議への出席を重ねるうちに、いまさらながら便利な面に気が付いた形だ。

そこで、私自身、複数の対等の人たちに宛て、連名にしてFAXやメールなどを送るときには、この順番を明記するようになった。

(例)
足利 義昭 様
織田 信長 様
徳川 家康 様
豊臣 秀吉 様
(アイウエオ順)

これならば、メールを受信した豊臣さんから「徳川君って、ン年前にはオレの部下だったんだぞ!」などと苦情を言われたり、不快感を持たれたりすることもない。これに文句をつけるのは、自分のバカさ加減をさらけ出すのと同じだから。
ただし、送信する現在の時点で同じ組織の上位-下位の関係にある場合は、(内容にもよるが)順番に気を遣わなければならないが。

逆に、他の複数の人たちと連名でFAXやメールを送るとき、こちら側の名前はこんな具合に記載する。

(例)
大久保 利通
木戸 孝允
西郷 隆盛
(以上、アイウエオ順)
粟倉 敏貴

自分の名前だけ末位にしているのだ。

最近、この書法が私の流儀になっている。読者のみなさんも参考にされたい。

2021年6月 8日 (火)

数字の「6」を嫌う理由

人間、誰しも、脳裏に焼き付いている幼少時の風景があるものだ。

私が幼稚園に入園して間もない4歳のとき、6月の初め、麻疹(はしか)に罹って熱を出したので、かかりつけ医でペニシリンを注射してもらったところ、全身に薬疹が出てしまった。両親はそのときまで、私が薬物アレルギーであることに気が付かなかったのだ。

熱は次第に退いたが、薬疹はなかなか治まらなかった。私が醜くなった自分の顔を見たくないと泣きじゃくったので、母が鏡台に布を掛けてくれた。幼稚園へ行くのが嫌で、月末まで20日余り休んでしまった。

それ以来、6月が嫌いになり、さらには「6」が最も嫌いな数字になった。

最近は新幹線で空席があると「6A」や「6E」に座ったり、訪問先で脱いだ靴をわざわざ靴箱の六番目に入れたり、何とか克服しようと努力しているのだが、心に染み着いた嫌悪感はなかなか拭い去ることができないものだ。

表計算でも空白が六段生じると、わざわざ一段加えるか削るかして、「6」を回避している。

ただでさえ、6月は梅雨のため気持ちが晴れない日が多い月である。そこに加えて、私の場合は幼少時のネガティヴな体験が影を落として、一層この月が嫌いになってしまった。

このところ、入院したり入所したりする利用者さんが多く、対応に追われている。これも「6月」の相性の悪さがもたらしているのかな? などと考えてしまう。

とは言うものの、特効の解決方法が見つかるわけでもない。これはこれで自分が背負ってしまったものなのだから、上手に付き合いながら人生を過ごしていくしかないか、と割り切ることにしよう。

2021年6月 4日 (金)

月イチ(?)の「頭の体操」

60歳になると、記銘力や判断力の低下を免れない。

そこで私が実践しているのが、月に一回程度、ディナーのとき未体験のメニューに挑戦することである。

一人暮らしなので、大量に作っても残ってしまう。なので、ディナーはテイクアウトや市販のレトルト食品で済ますことも多い。週のうち半分ぐらいはそんな感じだ。

しかし、一通りの調理器具は備えてあるため、二日に一日程度は、何か一品料理を作ってみたくなる。特に、月一回程度であっても、これまで体験していないメニューに挑戦している。不慣れだと時間こそ掛かるが、頭の体操も兼ねているので、一石二鳥である。もちろん、脳内に手順を完璧に刻み付けるのは少々難しく、二回目、三回目と数を重ねても、レシピで確認しながら調理することが多いが...

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これは復活祭を機に試みたトルティーヤ(スペイン風オムレツ)。じゃがいも+ブロッコリー+しいたけが好みだ。

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これは時間に余裕があるとき、少し手間を掛けて作ったカッチャトーラ(イタリア風煮込み)。鶏肉と玉ねぎは定番だが、ニンジンの代わりに白インゲン豆を入れても好いかも知れない。

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これはシンプルな小松菜+油揚げ(中華風炒め物)。ごま油をしっかり利かせるのがポイント。

ま、素人なのでこんな具合だが、とにかく「美味しければ好い☆」と思っているので、最近はヒマさえあれば「今月は何に挑戦しようか?」と、いつも頭の中で考えている。

2021年3月27日 (土)

国際的な声価を得ること

大坂なおみ選手(23/女子テニス)が昇竜の勢いだ。

全米、ついで全豪も二度目の優勝を果たした。途中で苦戦しながらも連勝街道を驀進中(本日現在22連勝)であり、少なくともハードコートでは向かうところ敵なしの強者である。

しかし、同選手が評価を確立しつつあるのは、単に試合で勝ち続けているからだけではない。他の選手が簡単に真似できない資質と力量とを持っているからだ。

具体的には、

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・若くして王者の風格を備えている。無闇に奇策を弄せず、相手選手を正面から堂々と受けて立つ。

・自分を客体視して修正する能力がある。2019年に世界ランキング1位になったあと、メンタルの弱さもありスランプに陥ったが、それを直視して徐々に克服していった。

・勝ちを簡単に譲らない二枚腰である。有力な相手選手が大坂選手に「善戦しても最終的には敗れる」ことが続くと、対戦する前から「難攻不落の堅城」と映ってしまう。

・競技界を変容させるほどのインパクトを与える力がある。米国で白人の警察官に黒人の被疑者が殺害される事件があり、それを契機に全米で差別に抗議する運動が高まったが、大坂選手は全米オープンの7試合すべてにおいて、過去同様に犠牲となった黒人たち一人ひとりの名前を記したマスクを着用した。「スポーツに政治を持ち込むな!」との批判に動じず、「これは人権問題」との主張を貫き、観戦した多くの人々に感銘を与えた。真に一流であるプレイヤーは、他方で優れたパフォーマーとして振る舞うことができる。

・未達成のタイトル獲得や記録樹立への期待感がある。何と言っても23歳。まだまだ伸びしろをいっぱい持っている。全英や全仏などコートの質が異なる舞台でのプレーは、今後の課題でもあるが、大坂選手ならば遠からず制覇できるのでは、と希望的に予測するファンは多いであろう。「これからどこまで強くなるのか...」

これらの要素が重なり合って、魅力満点のスーパーヒロインを作り上げているのだ。大坂選手はいまや、米国在住のアスリートの中でも最高水準の一人として、人々から高く評価されており、国際的にも声価が高い。

さて、野球界にもスーパースターが存在し、日本や米国で広く知られているのはご存知の通りだ。

大谷翔平選手(26/MLB)。言わずと知れたロサンゼルス‐エンジェルス所属の投手兼打者である。

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ただ、大坂選手と比較した場合、大谷選手はいまだその地位を十分に確立したとは言い難い。度重なる右肘の故障のため、投手としては十分に成功を収めておらず、一流の打者としての活躍にとどまっていることがブレーキとなっている。

しかし、それがすべてではない。大谷選手には全米を巻き込むほどのインパクトがいま一つであることも確かだ。欲を言えば、野球界全体を変容させるパワーがほしい。大坂選手のように社会問題を前面に押し出すことだけが方法ではない。競技の枠内で圧倒的なパフォーマンスを成し遂げる形もある。「二刀流(two-way player)」だけでもMLBで前例のない登録選手であり、それを試合で発揮できるだけで日米野球界の至宝だと言って良い。今期のオープン戦で肩を慣らし、飛躍のシーズンにしてほしいものだ。

テニスと野球とを比較した場合、個人競技とチーム競技、世界的競技と特定の国々で盛んな競技との違いは確かにあるだろうが、大谷選手は日本や米国のみならず、さらに多くの野球を愛する人たちや、その枠を超えた社会の各方面から、称賛を浴びられるポテンシャルを持っていると、個人的には思っている。

また、大谷選手がデサントやアシックスの製品を身に着けてメディアに露出する行動は、スポンサーへの配慮が窺える。大坂選手も先日の全豪優勝インタヴューでは、右肩からジャージを外し、日清食品・ナイキ・ワークデイなどのロゴをカメラの前にさらしていた。自分にお金を払ってくれる企業に対してしっかりと敬意を払っているのだ。これもまた超一流アスリートの品格であろう。

両選手に限らず、真に実力のあるアスリートやプレーヤーは、惜しみなくその力を発揮して国際的な声価を得てほしいと、心から願っている。

(※イラストはグラパックジャパンの使用権フリーのものを拝借しました)

2021年3月 8日 (月)

あれから三年

3月8日の朝。しとしとと降り続く雨が、本格的な春の訪れを露払いしている。ちょうど三年前の同じ日に亡き母を葬送したときも、こんな天候であった。

帰天してもう三年にもなるんだなぁ、と思い返しつつ、在りし日の母の姿を、改めて頭の中に浮かべてみる。

夢の中に母が登場したのは二回だけ。

はじめの一回は葬送から数日後、存命のときとは反対側(祭壇がある側)を向いて腰掛けていたので、「ぁ、もうこの世での罪を償って、神の国に召されたんだ」と納得したものだ。

もう一回は私の59歳の誕生日(一昨年の10月)。私と一緒に何かを待ってくれていた。それが何だったかはわからない。来たるべき時代(たとえばコロナ禍のような)に備えなさいよ、との教えだったかも知れない。

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母は聖マリア(上の画像はカトリック浜松教会所蔵のマリア像)がイエス様を慈しみ育てたことを範と仰ぎ(本人の霊名も「マリア」)、私がいくつになっても「良き母」として振舞ってくれた。母の生きざまから学ぶことは多く、いまでも私の日ごろの過ごしかたには、母から吸収したスタイルが多く根付いている。

私が20歳前後のとき、母はよくこんなことを言っていた。

「友達や仲間でも、お金を貸してくれと言ってきたら、もうそこで縁を切りなさいよ」

60歳になる現在まで、私が大きな事件やトラブルに巻き込まれずに過ごしてこられたのは、この言葉の賜物だと言えよう。

他にも心に残る遺訓がいくつかあるので、いまだに何か迷ったときには、「母だったらどう行動しただろうか?」と考えながら判断することもしばしばだ。

最近は墓参に行く機会も減ってしまったが、父の帰天記念日(2/9)直後にシンプルな花を活けてきた。また遠からず墓前へ出向いて、これからの生活の構想など、両親に報告してこようかと思っている。

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