日記・コラム・つぶやき

2019年12月 9日 (月)

片付け下手の断捨離(5)-日本史関係の書籍

前回より続く)

歴史全般、と言いながら、日本国民として生まれ育ち、この国に住んでいる以上、日本史(国史)に関連する書籍を多数所蔵していることは、言うまでもない。

特に、中世以降の時代に係る、おもに名家の系譜などに関する書物・典籍や、各種事典類など(画像)は、自宅で一通りの調べ物ができるほどの蔵書がそろっている。また、個別の主題に関する史論や、個人の史伝も、相当な分量になる。

全国にわたるものが多いが、地方史に関する書籍もかなり収集している。多いのは上杉家/米沢藩、伊達家/仙台藩、毛利家/長州藩、島津家/薩摩藩、佐竹家/秋田藩など。これらのうちの一部は、それぞれ現地まで出向いて入手している。各地へは旅行と抱き合わせで、調べ物にも赴いているのだ。

Kokushi

かれこれ合計すると、書庫三つ分ぐらいになるので、今後どう整理するのかは大きな課題だ。

まず、事典類や典籍類は古いものでも安易に捨てられない。手離したら最後、市や県の図書館まで出向いても、同じものが閲覧できないこともある。自宅にこれだけのものがそろっていること自体が、一つの大きな価値なのだ。

とすれば、整理するのは史論や史伝類からなのだが、これもなかなか捨て難いので、あまり簡単に断捨離とはいかない。処分するとしたら、単なる読み物の類か、時代に合わなくなった古い史論・史伝ということになろう。ただし、自分がどこまで本気になって書庫を整理できるか...

どうやら、このジャンルの書籍は、自分が動けなくなるまで保存することになりそうだ。

2019年12月 4日 (水)

片付け下手の断捨離(4)-ヴェルディ歌劇のCD・DVD

前回より続く)

音楽や舞台芸術の分野に限らないが、天はときどき意図したように、対照的なライバルを同時に世に登場させる。同じ1813年生まれのヴェルディとワーグナーも、その好例だ。

私がヴェルディの歌劇に接し始めたのは、ワーグナーよりはちょっと遅いが、それでも中学生のときには両親に頼んで、『アイーダ』『椿姫』のLPレコードを手に入れた。この二つは頻繁に、歌詞カードを見ながら当時のプレーヤーで聴いていたので、いまでも字幕なしの映像で楽しめるほど、細かい部分の台詞まで大枠は頭に入っている。

その後はあまりヴェルディに関心を持たなかったが、30代半ばころから、ワーグナー一辺倒もいかがかと思い、少しずつヴェルディのCDやLDの収集を増やし始めた。最近はワーグナー同様、CS放送からBDに録画することも多い。

Verdi

ヴェルディは何と言っても作品数がたいへん多く、ヴェルディ自身により後日改訂されたものの前・後を合わせて一つと数えても、歌劇の数は全部で26に及ぶ。私が好きな順に挙げると、『ドン‐カルロス』『シモン‐ボッカネグラ』『ファルスタッフ』『トロヴァトーレ』『運命の力』といったところである。意外にも幼少時から聴いている二作はベスト5に含まれていないのだ(笑)。

先般、イタリアではヴェルディ生誕200周年を機に、「トゥット‐ヴェルディ」なる企画が持たれ、全26歌劇および『レクイエム』の27作品が相次いで上演されて、それらのDVDが販売された。日本でもCSのクラシカ‐ジャパンで放映されたので、その期間だけ(笑)同チャンネルを契約、全部録画して保管してある。

こんな具合であるが、あまり貯めてもケースに眠っているだけのものが出てきてしまう。そこで、自分で一応のルールを定めて、「同一作品が5つを超え」たら、古いもの、またはあまり魅力がない歌唱や演出のものから順次処分することにした。いま、収納ケースからCDはあらかた無くなり、ほとんどBDとDVDだけになっている。

最近は前衛的な演出が増えたが、ヴェルディ作品の粋は主役級の歌手、特にバリトンの歌唱である。私は保存するときに、バリトンの歌唱の出来具合を一つの判断基準にしているので、演出の巧拙はそれほど重視しない。それでも、なるべく各作品に最低一つはオーソドックスな演出のものを残して、個性的な演出のものと比較しながら、それぞれの良さを楽しみたいと思っているのである。

次回へ続く)

2019年11月27日 (水)

片付け下手の断捨離(3)-ワーグナー楽劇のCD・DVD

前回より続く)

幼少時からクラシック音楽を愛好していた私は、おとぎ話の延長線のような形でワーグナーの楽劇を知り、両親にねだって『タンホイザー』や『ローエングリン』のLPレコードを買ってもらった。

成人してから、自分でCDやLD(レーザーディスク)を選んで、『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』など、いろいろと購入するようになった(画像)。DVD主流の時代になると、LDからダビングして移行したり(画質は落ちてしまったが...)、CS放送から録画したりと、結構な分量のものが自宅の棚や箱の中に格納されている。このところ、新たな録画はBD(ブルーレイ)を使うのが原則になった。

Wagner

ワーグナーと言えば、多くの演出家は作品の舞台になった古代や中世の「物語」をそのまま描くのではなく、ワーグナーの本来の意図を推察しながら、いろいろと自己流に読み替えて、再構成していく(具象的と言うより、どちらかと言えば抽象的な)演出が主流になっている。中には奇をてらって意図がわかりにくくなってしまった演出もある。逆に最近はBDやCSの映像では、オーソドックスな物語通りの演出がほとんど見られなくなってしまった。

そのため、古い録画であっても、オーソドックスに近い演出のものを一つだけは残しておきたいので、断捨離には頭を悩ますところである。手元不如意で、実際に劇場まで足を運ぶことが減ったこともあり、自宅で楽しめるものは取っておきたい気持ちもある。

結局、BD・DVDのケース4箱に収まる分は保管して、あふれたら「ま、無くてもいいか」と思ったものから処分しているが、いつかは古いCDやDVDも少しずつ手放さなければならなくなるだろう。

次回へ続く)

2019年11月20日 (水)

片付け下手の断捨離(2)-中国史関連書籍

前回より続く)

幼少のころから世界史に興味を持っていた私であるが、小学5・6年生から中学生になる時期、特に中国古代史に強い関心を持ち、十代のうちに、『史記』に始まって『隋書』あたりまでの「正史」を、斜め読みながら通読した。ちなみに、大学では東洋史学専修課程に進み、卒業論文の主題は6世紀の陳王朝であった。

そのため、「断捨離」がいちばん難しいのが、この中国史関連書籍である。

まず、上記の「正史」。手元にあるのは中華書局から発刊された膨大な分量のものであり、「二十四史」のうち『漢書』から『明史』まで、および『清史稿』が、いくつかの書棚や箱に分散、収納してある。いまでも「えぇっと、○○書の△△伝は...」といった感じで、しばしば引っ張り出して参照している。これらは私がいつか自分の家に居られなくなるときまでは、おそらく手放せないであろう。

『史記』と『資治通鑑』、および史論、訳本、事典類は、一つの書庫にまとめてある(画像)。「断捨離」をするのであれば、こちらの書庫が先ということになる。

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たとえば、「アジア歴史事典」は第一巻の発刊が1959年と、すでに60年を過ぎている。その間に新しい研究がどんどん進み、いまやこの事典の記述は全く時代遅れとなった。また、インターネットの普及により、歴史用語などの専門的知識を手軽に閲覧できる時代にもなっている。

また、史書類は原漢文で読めば良いのだから、訳本を重宝して残しておいても、あまり意味がない(逆に小説類は原文を四苦八苦して読むよりも、「名訳」で読んだほうが面白いので、あえて訳本だけしか買わなかった)。

処分するとしたら、まずこの辺りから始めることになりそうだ。放置しておいても埃が溜まるだけなので、早目に整理を進めたい。

次回へ続く)

2019年11月13日 (水)

片付け下手の断捨離(1)-50代の終わりに

最近、ときどき耳にするのが、「断捨離は40歳から」との勧めである。40を過ぎたら必要なものを「集める」一方で、不要なものをどんどん「捨てる」決断をして、年齢が進むにつれて段階的に「捨てる」ほうを増やしていく意味に受け取っている。

既婚者、未婚者など、ステータスによっても異なるとは思うが、大量の「モノ」を高齢になって持ち続けていても、お荷物になるだけであることは確かだ。

私も40代から少しずつ「断捨離」は始めていたが、職能団体の役職にあったなどの事情もあり、なかなか思い切って「捨てる」ことが難しかった。そのため、本格的な「断捨離」モードに入ったのは、ここ3~4年のことである。

どの種別の品目にも言えることだが、「まだ使えるかも」と思っていると、簡単に処分する気になれず、結局使わないまま所持していることも少なくない。正直、飲食物以外は、無駄なものが相当家の中に置いてあることは確かだ。整理すればスッキリするのだが、時間的な余裕がないと「いずれまた」になってしまう。

また、昨年母が死去したこともあり、その遺品整理も遅々として進まない状況で、自分の「断捨離」が後回しになってしまっていた。

しかし、さすがに60歳まで一年を切ったので、このままではいけないと思い、意識して断捨離を進めるようにした。

では具体的にはどうするのか?

私流の「断捨離」を、種別ごと何回かに分けて記述してみたい。

次回へ続く)

2019年11月 6日 (水)

行き付けの店

仕事でもプライバシーでも、「長年のお付き合い」は大切にしたいものだ。

特に日用品や食品などの買い物については、誰しも「行き付けの店」があるだろう。買うものの種別にもよるが、食べ物は一度気に入ると、同じ店で続けて購入したり外食したりすることが多いのではないか。長く信用している店ならば、何よりも安心感が先に立つ。

私にもそんな店がいくつかある。持ち帰りの店のうちで、特に長く続いているのが「丸一魚店」である。地理的にはここよりも自宅に近い魚店もあるが、この店で買うのには理由がある。

それは、亡き母が30年以上にわたって、ここで海産物の食品を買っていたからだ。

もともと、いまの大店主の息子さん(当時の若店主)が、毎週木曜日、私の自宅付近まで行商に来るようになったのが、お付き合いの始まりである。その後、不運にも息子さんは若くして亡くなり、あとを承けて親戚の男性が店を手伝いながら、行商を担当してくれるようになった。母は木曜日になると、決まって行商の車のところまで行って、何品か買っていた。私が好きなものもいくつかあり、次第に「馴染みの味」になっていった次第だ。

そのうち、店の人も車を回して私の家の前まで来てくれるようになった。しかし、母が寝たきりになり歩いて出られなくなると、木曜日は私自身の営業日なので、行商のときに買うことができなくなってしまった。そこで、私が月二回程度、母がショートステイから帰宅するのを迎え入れる日に、この店(自宅と事務所の中間にある)まで立ち寄って何品か購入し、母と自分が好きなものを買ってきていた。

母が他界した後、購入するのは自分の定休日である水曜日、それも月一回程度に減ってしまった。家計の制約もあり、やむを得ないところ。それでもこの店は良質な海産物を市場で入手してくれるので、立ち寄れる日を心待ちにしている。水曜日は市場が休みだが、ハッピーマンデーの週は開場日なので、なるべくその週に合わせて予約購入している。

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画像は4月のもの。カツオの土佐造りとヒラメの刺身。

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こちらも4月。浜名湖のエビと富山湾のホタルイカ。太平洋側と日本海側との名産を一度に味わえる幸せ。

産物は時期によって品目も違ってくる。いま、ちょうどカツオが終了したところで、きょうはメバチマグロの刺身を手に入れることができた。一年を通してときどき購入するのはタラ、サケなど。前者はソテー、後者はクリーム煮にして食べることが多い。冬は牡蠣が美味しい季節だ。これからカキフライやアヒージョを作るのが楽しみになる。

いま、この丸一魚店は高齢の大店主夫妻と中高年の娘さん夫妻とで経営している。もとサラリーマンだった娘婿さんが転身して何年にもなるので、後継としてすっかり定着した様子が窺える。

海産物も漁場の異変によって、これまで通りに獲れないものも出てくるだろうが、自分が行き来できる限り、これからもこの同じ店で、信頼できる品質のものを長く購入し続けたいものである。

2019年10月16日 (水)

備えあれば

台風19号では、各地を見舞った記録的な豪雨により、東日本で数多くの河川が氾濫し、甚大な被害をもたらした。被害に遭われた地域の方々には、心からお見舞いを申し上げるとともに、一日も早く平穏な生活に戻れるようにお祈りしたい。私自身、日常の仕事や家事をこなすのに精一杯なので、何も応援できそうもないが、何らかの形で義援の意思を表すことができればと思っている。

浜松では幸いに、台風の進路西側であったためか、大きな被害がなかった。とは言え、当初は暴風雨による停電も予想されたので、遅ればせながら非常食などを買い求めた(画像は地元浜松の企業、三立製菓のカンパン)。

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浜松は昨年9月の台風による停電を経験しているだけに、市民の出足は結構早く、襲来前日の午前中には、スーパーのパン売り場には菓子類しか残っていない状態だった。

普段、私の自宅にある食糧は、停電のときでも食べられるものは1.5~2日分ぐらいだ。本来なら最低3日分は蓄えておくべきである。今回は台風だったので、事前の予測ができたが、地震の場合はあまり予知機能も働かないので、待ったなしであろう。さらに、激甚災害になれば、3日分程度では到底足りなくなることも明らかである。ストーブ用の灯油は毎年買い換えているが、そのストーブ自体が長年使用していないので、役に立つかどうか心もとない。カセットコンロぐらいは購入しておいたほうが良いと、改めて痛感する。

お恥ずかしい話だが、「備えあれば憂いなし」の「あれば」が已然形(いぜんけい)であることに、やっと気が付いた。未然形なら「備えあらば」になるが、あくまでも「備えあれば」である。「準備しておくことによって、心配がなくなる」のだ。

今後は心して、来たるべき災害に対し、怠りなく備えておきたいと思う。

2019年8月28日 (水)

自分自身と向き合うこと

8月は税務署に決算を提出する作業が多忙だったため(税理士を依頼するほどの余裕はない)、仕事が遅れがちになった。それでも顧客=利用者さんに対して、必要最低限の責任は果たしているつもりである。

国が定めた運営基準も基本的には守っているつもりだ(ケアレスミスが発見されることが無いとは言えないが)。特に昨年4月から新たに居宅介護支援の運営基準に加えられた(守らないと減算)、利用者がサービス事業所を選択することに関する規定、「複数箇所から選べる権利」「位置付けた理由をケアマネジャーに説明させる権利」の二つは、契約書にもしっかりうたってある。

もっとも、この二点は私が居宅介護支援を開業したときから、当たり前のように利用者さんや介護者さんに話してきたことである。なので、昨冬以降受任した5名の利用者さん(およびその介護者さん)に対しては、契約書をお渡しして「確認しておいてくださいね」としか言っていない。何しろその5名の方々は、「家族で3人目」「一族で5人目」「家族で2人目」「しばらく休止後に再開」「何年か休止後に再開」なのだから、くどくどと説明するほうが失礼に当たる。二番目と五番目の方のキーパーソンなどは、上記の両者についての説明責任を私がしっかり果たしているからとの理由で、わざわざ選んでくださったほどだから。

さて、そんな中の17日、開業18周年を迎えた。一人親方のケアマネジャーとしては、ほとんど前人未踏かと思う。

いまの私の仕事は、居宅介護支援(現在、利用者さんは21名)、予防支援(現在、受託している方は4名)、要介護認定調査(現在、受託件数は月10名)である。母を介護していた時期に法定研修の講師から引退し、任意研修の講師としてもほとんど呼ばれることがなくなったが、それでも、これだけの仕事をこなすのにはかなりの労力を要する。

他方、何年か前に宣言した通り、私の今後のスタンスは、若い人たちをバックアップしていくことだと考えている。それは研修などで教えることではなく、業界のさまざまな分野で今後輝いてほしい人たちのために、活躍の場を用意してあげることを意味している。しかし、そのための企画や交流の場を継続的に持ちたいと思いながら、なかなか実現していない。いささか目の前の仕事に追われて、大切なことが先送りになっている感がないわけでもない。

ただ、自分自身、業界でメジャーな人間でも何でもないのだから、できることにはおのずから限界があることは確かだ。

加えて、これまで何度か述べてきた通り、静岡県の介護業界は外へ向けて開かれていない感が否めない。関東とも関西とも距離がある中で、果たして何ができるのか?

無理な背伸びは禁物。それは自分が主役になりたい場合でも、若い人たちを主役にして「名脇役」になりたい場合でも、変わることはない。自分自身と向き合って、この業界で34年間、一人親方のケアマネジャーとして働いてきた者の立場で、これから何ができるのか。加齢とともに健康管理もこれまで以上に重要になってくる。

年に4回ほどしか購入しない、それなりの水準のワインを楽しみながら、まずは一歩一歩足元を踏みしめて進んでいこうと、改めて実感した。

以下の画像は、今回の「開業節(?)」のワインである。順番に、アダージョ‐デゼッサール、エントレスエーロ、ロッソ‐ディ‐モンタルチーノ、シニャルグ。

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19年目には、身の丈に合った役割を着実にこなしていくことを目指します(^^*

2019年8月21日 (水)

叔父の一周忌に思ったこと

残暑厳しい日であったが、去る17日、母の実家の菩提寺である名古屋市中村区岩塚の「遍慶寺(へんきょうじ。真宗)」にて、昨年8月末に他界した叔父(母の弟)の一周忌が営まれた。

叔父は波乱万丈の生涯を送ったようだが、晩年に活動した地域は福島県だったので、葬儀は郡山で行った。しかし、本人の生前の意向を受け、晩年のパートナー(プライバシーも仕事も共にしていた)が、実家での供養を希望したので、実家を守っている叔母夫妻や従妹夫妻が協力して、岩塚で法要が営まれることになった。昨年の「三十五日」はあいにく台風のため参列できなかったが、幸い今回は問題なく出向くことができた。

法要では叔父の幼馴染であった先代住職(現住職の父)が、「浄土三部経」を三つとも完全版で読み上げ、そのあと列席者一同で「正信偈」を誦経した。なお、私自身はカトリック信徒だが、ずっと以前から所属教区の司教より「他宗教の葬祭に参列した場合は、亡くなった人が喜ぶやりかたでお祈りしてあげなさい」と許容範囲が示されていたので、誰の葬祭に出た場合にも支障なく、そこの宗派の方式通りのお経やお祈りを唱えている。このたびも叔父の安息を祈るために唱和させてもらった。

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法要のあと従妹のマンションに場所を移し、気の置けない親戚同士でお弁当を食べながら歓談してきた。

この遍慶寺、実は戦国時代の岩塚城の跡地にある。斯波氏一族であった吉田家が三代にわたり居城としたが、江戸期には廃城となり、その後にこのお寺が建てられたものだ。

先代住職・現住職が、江戸期から代々寺に伝わる過去の永代供養帳を見せてくれた。母の旧姓「高橋(正しくは髙𣘺)」を姓とする人たちが何人も名を連ねている。高橋氏はこの地でそれなりの一族だったらしい。母の実家は尾張藩の軽輩の家系だったと聞いているが、それは広い尾張国の中でのこと、ローカルな地域では敬意をもって扱われていたのであろう。これまで、あまり母の家系について省みることがなかったのだが、今後は機会があれば、少しは高橋氏の歴史でも調べてみようかと思っている。

母のルーツ、そして自分自身のルーツにも触れることができた、貴重な名古屋行きであった。

2019年8月14日 (水)

人格権をめぐる問題

騒動の渦中にある「あいちトリエンナーレ2019」。

「表現の不自由展・その後」の展示されたいくつかの作品が、果たして「アート」の名に値するのか? 政治的プロパガンダではないのか? との議論が沸騰し、この企画が中止された。

その展示物の中に、昭和天皇の写真を焼き、その灰を踏みつぶす映像があったことが指摘されている。これに関して「人の写真を焼く行為」の是非が論じられており、企画の芸術監督である津田大介氏をネット上で批判する人たちの中には、「それなら逆に津田氏の写真を焼いてやれ!」などと主張する人たちも出てきている。

しかし、そう主張する人たちの頭の中では、どうも「人格権」の理解に混乱があるようだ。

「人格権」については、故人と生存している人とに分けて論じなければならない。

まず、故人には基本的に「人格権」は存在しない。

それでは、故人に対して何をしても名誉毀損にならないのかというと、決してそうではない。刑法230条の2によれば、虚偽の事実をもって故人の名誉を毀損した場合には、刑事事案になる可能性があることが示されている。

したがって、故人が実際に行った事実や、故人に責任がある事実をもとに、その人物の写真を焼く映像を公開しても、刑事的には何ら問題にならない。昭和天皇が「大日本帝国」の元首(当時)であり、戦争遂行の最高責任者であったことは、紛れもない事実だ(現実には昭和天皇が軍部の暴走を止められるほどの権力を持っていなかったと、私は考えているが、それはひとまず措く)。展示した側が昭和天皇を批判してこの作品を出品した行為を「表現の自由」だとする主張は、法律的に言えば正論だ。

とある宗教団体の指導者が、故人の「霊言」と称して多くの著名人の言葉を一方的に述べているが、これも虚偽の事実に基づかない限り、子孫など血縁者が名誉毀損の訴訟を起こしても、勝てる見込みはない(なお、この宗教指導者は、生存している人に関しても一方的に「霊言」を述べているが、こちらは「〇〇さんの守護霊」としているので、本人の名誉を毀損したことにはならない)。

他方、生存している人には「人格権」がある。

もちろん、私が自分が保存していた写真を整理する意味で、友人や知人が写っている写真を焼いても、当人がわかる場面において当人を貶める目的で焼くのでない限り、それは名誉毀損に当たらない。

しかし、もし私が特定の知人△△氏に対し非難攻撃しつつ、「△△は怪しからん奴だから、お前の写真を焼いてやる」と宣言して、写真を焼く画像をブログやSNSなどに公開したら、たとえその「怪しからん」行為が事実であっても、それは明らかな人格権の侵害であり、名誉毀損だと見なされる。

それは、民法709条により、△△氏に精神的苦痛を与えたことを理由に、損害賠償を求められる可能性があるのだ。

なので、津田氏を非難攻撃する人たちも、氏の写真を焼いて公開する類の愚行は、やめたほうが良い。

ことほどさように、生存している人に比べると、故人の名誉を守る法的な規制は限定的なのである。「何でもあり」になってしまうのは、やむを得ない面もあろう。

 

ただし、昭和天皇には、本人を直接知っている子や孫が生存している。その人たちのうち誰かが、先制攻撃をかけるかのように津田氏を批判した事実は、世に知られる限りではなかったと理解している(傍系の、たとえば「竹田宮の子孫」などは含まれていないが)。また、今回のような展示をされた場合、皇室以外の女系子孫たちであっても、品位の問題があり(そのため「降嫁」の際に多額の「一時金」を受け取っているのだから)、逆に津田氏らの行為を批判することが事実上困難であることは言うまでもない。ある意味、両手を縛られたままで殴られたのに等しい。

したがって、私は津田氏を含め、昭和天皇の写真を焼いて灰を踏む画像を作って出展した人たちに対して問いたい。

「人を傷つける行為がそんなに楽しいか?」

人間として、自分の胸に手を当てて、熟慮再考してもらいたいものだ。

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