日記・コラム・つぶやき

2024年5月12日 (日)

母の日に当たって

きょうは5月の第二日曜日なので、母の日に当たる。

私の母が91歳で帰天したのは2018年3月5日。先々月に6周年(仏教でいう七回忌)を迎えた。

自分自身がずっと未婚で生活してきたことから、「母」と言えば亡き母が唯一の存在になっている。帰天後6年経ってもその存在感は大きい。いまの自宅を手に入れることができたのも、母が懸命に節約して資金を貯めてくれたからこそであるし、何よりも私が出掛けている間、家の留守を預ってくれていたことが、安心して仕事ができる大きな支えであった。

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晩年には家事の多くを私が担うようになり、さらに要介護の状態にもなったので自分がケアプランを作成したが、実質的には画像の縫いぐるみのように、私が母の背中に乗っかって生きてきたんだなぁ、と強く実感する。

帰天した後も、母が遺してくれた年金を頼りに車を購入し、家の門扉も取り替えることができた。母がいなかったら現在の仕事も生活も維持していくのが困難だったことは確かである。

その意味で、改めて母には心からの感謝を捧げたい。

さて、自分自身は子育ても孫育てもしていないが、これから先の老後、誰かのお世話にならなければならないことは確かである。兄弟姉妹がおらず、いとこたちも他県に住んでいるから、何か起きたときに最低限の対応程度は頼めるとしても、全面的に後始末をしてもらうことが難しい。

そこで、自分がしてこなかったことへの一つの償いとして、地域の児童支援に協力できないか、検討してみたいと思う。そのような中で、家や土地の行く末を託すことができる人が現れるかも知れない。

父親にはなれなかったが、何か役に立つものを後世へ残したいものである。

2024年4月17日 (水)

少年少女をいじめてそんなに楽しいのか?

もう十年以上も前のこと。ネットで検索していたら、いくつかの自治体に「児童虐待マニュアル」なる文書が存在することが判明し、失笑したことがある。

もちろん、これらは「児童虐待防止マニュアル」を誤って省略してしまったものだろうから、当該自治体が「地元の憎たらしいガキをボコボコにしてやろう」と意図したものでは全くない。

しかし、複数の場で心ない大人たちが、ネットのコメント欄で十五歳ぐらいの児童を叩いているのを見ると、ホンモノの「児童虐待マニュアル」が存在するのだろうか? と疑いたくなる。

かつて「不登校ユーチューバー」として知られた「ゆたぼん」君が、先日、高校を受験して不合格だったことを公表した。

「ゆたぼん」君と言えば、不登校時代は父親の教育方針に合わせてパフォーマンスをしている感が強く、ユーチューブの動画に対してアンチは多かった。確かに、小学校の卒業証書を破り捨てる動画などは、私自身も好きではないが、父親と行動を共にすることが多かったので、その影響も強かったと推察される。その後、父親と距離を置くことを宣言して、Xなどで主体的な発信を始めたことにより、世間からの好感度が増した。今回の不合格について、当人は落胆するも次は高卒認定試験を目指すとしている。

ネットでの反応は、多くは好意的なコメントであり(父親に対してはみな批判的だが)、これを貴重な経験として成長してほしい、という方向性の意見が主流であったが、少数ながら彼を誹謗中傷するコメントがあった。特に私が記憶している、彼を世間の見せしめであるかのように評したコメント(例;「好き勝手なことをしていたから失敗する。みんなが反面教師にする好例だ」)などは常軌を逸している。彼は十五歳の少年であり、多感な年代だ。せっかく新たな気持ちで体勢を立て直そうとしている矢先に、攻撃的なコメント(彼の将来を思って冷静に評した厳しいコメントとは異なる)を投げ付ければ、再起を志す当人の心を傷付けるだけだ。「ゆたぼん」君が登場するだけで叩きたくてうずうずしている大人がいるとしたら、その人のほうがずっと幼稚であろう。

別の例も掲げる。

囲碁の小学生棋士としてデビューして、一躍令名を挙げた仲邑菫三段が、より囲碁に集中できる環境を求めて、日本棋界を離れ、韓国棋界に身を投じて棋戦に出場することになった。小学生時代に韓国へ行き来して囲碁を学んでいた時期があるとは言え、十五歳で外国のプロに交じって切磋琢磨するのは、たいへん重い決断であると言っていい。

この決断に対して、コメントの大部分は仲邑三段を応援するものだったが、一部からケチが付いた。彼女を嘲笑したり揶揄したりするコメントが散見されたのだ。その多くは、国際的な囲碁棋界のことを知りもしないのに、特定の国が絡むだけで攻撃したくなる人ではないかと思われる。中には読むに堪えない表現のコメント(例;「韓国行って整形やってこい」)もあったと記憶している。その言葉を投げ付けられる相手が、十五歳の多感な少女であることを理解しているのだろうか?

二つの例を挙げたが、どちらも未成熟な児童に対する「いじめ」としか言いようがない。私自身は子育ても孫育てもした経験がないが、これらの「言葉の暴力」の横行を目にすると、自分の身内が攻撃されたかのように、とても悲しい。

これほど少子化が深刻になっているのにもかかわらず、醜い「児童虐待」がネット上で平然と行われる状態は、日本のネット社会の民度をそのまま表している。これから成長していく少年少女たちに対して、私たちは日頃から、〔節度を保った厳しさを交えつつ、〕温かい目で見守っていきたいものだ。

(※文中、私の記憶として述べたコメントの文章は大意であり、一言一句そのままだったかは確認していませんので、お断りしておきます)

2024年3月31日 (日)

人はリスクと隣り合わせで生きていく

先日来、三人の利用者さんが独居生活を始めた。一人は50代前半(複合障害)、一人は60代後半(慢性疾患)。一人は70代後半(アルコール依存症)。いずれも「一人暮らしをしたい」思いは強かったが、障害があるなどの理由で、現実には独居が難しいと見られていた。

このような利用者さんを支えるのがケアマネジャーの役目であるから、機会を逃さず在宅生活を始めることは大いに歓迎する。

ただ、残念なことに、三人とも計画を立ててから実際に独居生活を迎えるまで、かなりの時間が掛かった。それぞれ、家族や周囲の関係者(全部ではない)が「リスクが多く無理があるのでは」と「待った」を掛けたためだ。

特に二番目の60代後半の方。慢性疾患の病院に長期入院していたが、10月を最初として実に4回の試験外泊を繰り返して、2月末にようやく退院となった。それさえも私が段取りを整えて強く要請した結果である(しなければさらに先送りになっていた)。その間の四か月、病院側は収入が入るからいいが、ケアマネジャーには一円も入らない。タダ働きなのだ。

確かに、実際に退院してみると、訪問介護、訪問看護や通所リハビリの支援がなければ生活できない。また、途中で下肢の状態が悪化して不測の事態が生じるなど、相当なリスクを抱えながらの生活であることは間違いない。

しかし、もともと人間はリスクと隣り合わせで生きていくものである。それを回避したいあまり、「何かあったらどうするんだ」の思考に陥ってしまい、一歩を踏み出せないまま延引を続けるのは、私の方針に合わない。

もちろん、利用者さん自身が「石橋を叩いて渡る」ことは最大限尊重するべきであるし、また、ケアマネジャーの専門的な知見から明らかに「これは危険だ」と予測される方向へ舵を切るべきではない。だが、「何かあったら...」で止まっていると、何ごとも始められないことも確かである。

話は変わるが、大相撲春場所の事案。優勝争いでトップを走っていた尊富士関が、14日目の敗戦で右足首靱帯を損傷した。救急車で病院に運ばれ、翌日は休場かと言われ騒然となった。しかし同力士は負傷の状態で出場を敢行し、千秋楽で豪ノ山関を降して見事に110年ぶりの新入幕優勝を飾った。

いわば乾坤一擲の大勝負を賭けたのだが、これにも一部の論者からケチが付いた。「美談じゃないよ。強行出場してもし右足の負傷が悪化して、(横綱)照ノ富士みたいに(ケガばかりで土俵を務められなく)なったらどうするの?」などと。しかし、弟弟子(高校の後輩でもある)の尊富士関に「お前ならできる!」と背中を押したのは、当の横綱なのだ。本人が兄弟子や師匠とよくよく協議して決断したことには、心からの称賛あるのみ。批判は全くの筋違いだ。そして、この一番で日本中を沸かせた尊富士関が、春巡業はしっかり休場するとのこと。しっかり療養するためにこれも大切である。

「何かあったらどうする?」と偉そうに述べる論者は、人生を賭けた大きな選択などした経験もないのであろう。23年前に、破滅覚悟(笑)で当時は類例のない「ケアマネジャー単独開業」に踏み切った私から見れば、この類の議論には失笑しかない。

「事勿れ主義」が行き過ぎると、時として人権侵害にもつながる。いまだに新型コロナの蔓延を恐れて、利用者と家族との面会制限を延々と続けている介護福祉施設などが好例だ。私たちはこのような状況を改善すべく、働き掛けていかなければならない。他方、コロナ禍以前と同様に利用者と家族との自由往来を認め、何か起きたときには自分が責任を持つことを明言している施設長に対しては、心からの敬意を表したい。

最初の話題に戻って。独居を敢行する利用者さんを後押しするのは、支援者側にとって「何かあったら可能な限り私〔たち〕がサポートしますよ!」との意思表明でもある。当然ながら、後押しする行為に伴う責任も了解済みということだ。その覚悟を持たない専門職は、軽蔑にしか値しない。

人はリスクと隣り合わせで生きていく。私たちは「人生」の意味を今一度考え直そうではないか。

2024年1月 8日 (月)

抗えない自然の力

元日の夕方に発生した能登半島地震は、文字通り日本中を震撼させる災害となった。

何しろ当地・浜松でもグラッと揺れて(震度3)、一瞬「屋外へ逃げるべきか?」と迷ったぐらいだから、現地の当事者である石川県周辺の方々の驚愕と混乱は、たいへんなものであっただろう。

この地震で多くの家屋が倒壊したことなどにより、多数の死傷者が出た。特に、正月休みで実家に帰省していていて(中には例年は帰らないのに、十数年ぶりに帰っていた人もある)、不運にもこの震災に巻き込まれた人が少なくない。まだまだ充実した社会生活を送ることができたはずの若い人たちが、人生半ばで終幕を強いられてしまった。亡くなった人たちの無念の思いも、遺された家族の悲嘆も、言葉では言い表せない大きなものがあろう。

また、避難所に身を寄せている人たちの多くが、物資が充足されていない中で、当面の健康・衛生管理や今後の生活に大きな不安を抱えて、気持ちが安まる暇(いとま)もないと察する。

人智を尽くしても、自然の力には抗えない。日常から備えることによりある程度の減災はできても、完全に被害を無くすことは将来にわたっておそらく不可能である。

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かつてシー‐シェパードの代表、ポール‐ワトソン(Paul F. D. Watson)は、2011年の東日本大震災の直後に、"Tsunami"のタイトルで、このような詩を公開した。

Neptune’s voice rolled like thunder thru the sky (海神の声は空をつんざく雷鳴のように巻き起こり)
Angrily he smote the deep seabed floor     (彼は怒って深い海底を打った)
From the shore echoed mankind’s mournful cry (岸から人々の悲鳴がこだまする中で)
…The sea rose up  and struck fast for the shore (...その海は盛り上がり、岸を目がけて襲い掛かった)

From out of the East with the rising sun    (東の果てから昇る太陽とともに現れる)
The seas fearful wrath burst upon the land   (海の恐るべき憤怒は陸地を引き裂く)
With little time to prepare or to run      (備えたり逃げたりする余裕もなく)
Against a power no human can stand     (自然の力の前には誰も立っていることができない)

(筆者訳)

ワトソンは環境テロリストとも称されており、私が嫌いな活動家ではあるが、この詩は脚韻もしっかり踏んでおり、読み手にも趣旨が明確に理解できる良作だと思う(当時、英語力の乏しい一部のネット民から、あたかも彼が大震災を「天罰」だと言っているかのように非難されたが、もちろん誤解だ)。

今回の能登半島地震についても、「ああしておけば」「こうしておけば」と悔やむ人たちも多いだろうが、たとえ備えがあっても、それを超える大きな力が加われば、被災を免れないのが現実である。すでに起きたことを振り返りながら、私たちは一歩一歩前へ進んでいくしかない。私自身は直接支援活動に参加できる立場ではないので、事態が流動しているいまの時点で、何かを提案したり論評したり、また政府や自治体の対応を批判することは控えたい。

ただただ、被災された方々の心の平安をお祈りする。

四つのプレートの境目にある日本。来るべき東南海(南海トラフ)地震へ向けて、少しでも被害を減らすために、私たちは何をすれば良いのか? これから市民レベルで、そして全国民レベルで、議論を深めていこう。

2023年12月30日 (土)

十九年ぶりの引っ越し(2)

前回より続く)

去る12月28日、これまでの事務所からすべての物品を搬出して、無事に退去することができた。

古い机やテーブルなど、もはや使用に耐えない品を廃棄する一方、スチール書庫は自宅の新事務所でもそのまま活用するため、知人の業者に搬送を依頼した。

引っ越し作業から退去に至るまで、一連の作業に伴う経費は、たまたま買い替えた車やシュレッダーなどを別にすれば、関係者のご協力のおかげで最小限に食い止めることができた。搬送業者さんや家主さんのご厚意を身に沁みてありがたく感じている。

開業四年目から入居した旧事務所はJR浜松駅から徒歩10分、バスや電車を利用するに当たって交通至便の場所にあり、地域資源も豊富で、不便さを感じることがなかった。ここを拠点にして十九年の間、多くの利用者さんに本業であるケアマネジメントを提供するとともに、役職や研修講師などを仰せつかって県内各地や日本全国各地を駆け回り、社会に役立つ充実した職業人生を送ることができたと自負している。

去って行く当日、長い十九年を振り返って、過ぎ去った多くのことを思い起こし、まさに感無量であった。

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さて、こちらは自宅の書斎を改装した新事務所(浜松市中央区湖東町)の画像である。左が南、右が北。手前に相談机がある東側から撮影したものだ(ど真ん中に殺虫剤が写っている。田舎には必需品(^^;)。

いまだ物品の搬入直後で雑然としており、これから日数を掛けて、「○○はどの箱に入れたっけ?」などと混乱しながら、少しずつ整理していくことになるだろう。

これからは「自宅開業」になるから、公私の線引きをこれまで以上にしっかりとする必要がある。営業曜日や時間はこれまでと変わりないので、同じペースで仕事をしていくつもりではあるが...

しばらく経過してから、移転後に変化した業務展開の長所や短所をまとめてみたい。

2023年11月24日 (金)

十九年ぶりの引っ越し(1)

筆者が2001年に居宅介護支援事業を開業してから、はじめの三年は(特活)浜松NPOネットワークセンター(中区砂山町)の一角に間借りして事務所を開き、四年目に有限会社を立ち上げて現在の事務所(中区北寺島町。マンションの一部屋)へ移った。2004年9月のことである。

それから十九年、ずっとこの事務所で仕事をさせてもらうことで、さまざまな可能性にチャレンジすることができた。開業当初は地域のいち弱小ケアマネジャーに過ぎなかったが、さまざまなご縁をいただき、市や県での役職を依頼され、マイナーながら全国区にもなることができた。

その思い出深い事務所を、この年末限りで引き払い、年明けからは自宅開業になる。

移転するおもな理由は、母(2018年帰天)の介護を機に活動の幅が縮小し、それに伴って収入が減少したことである。自分自身も複数の疾患を抱えていることから、60代を迎えるに当たり、半ば引退モードに差し掛かっている。もちろん、次回の主任介護支援専門員更新研修は受講するつもりであるから、まだまだ六年やそこらは業務を続ける予定であるが、「可能な範囲で細々と仕事を続けていく」モードに入っていることは否めない。事務所家賃を払い続けるのが厳しい現実もある。

そこで来年1月1日の「浜松市の行政区割変更」を機に、「中央区湖東町」の自宅へ事務所機能を引き揚げることにした。

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まず買い替えたのが車である。これまではマツダのデミオ(グリーンメタリック)だったが、9月にスズキのアルト(ベージュメタリック)を購入。軽に乗り換えたことで、燃費がグッと節約でき、これまで乗り入れが難しかった一部利用者さんの敷地にも、容易に入ることができるようになった。

次に名刺と封筒の印刷。年末になると大手企業などから「中央区」の名刺発注が集中するであろうから、先手を打って新たな名刺を準備。

他方で、モノの整理も必要になる。自宅に書庫などを運び込むため、スペースを空けなければいけないので、時間を見付けて作業を始めている。

その中でにあって、使える道具の活用を考えることは大事である。事務机はむかし自分が中高生時代に使用していたデスクを再利用しようと、これまでの部屋から新たな事務所へ運び込んだ。

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ここまでは序の口なので、これから本格的な作業をこなしていかなければならない。ペース配分に留意して、自分の体調とも相談しながら、段階的に引っ越し作業を進めていこうと思う。

次回へ続く)

2023年10月30日 (月)

63歳になって考えること

一昨日、63回目の誕生日を迎えた。

歳を重ねるのがあまり嬉しくない人もいるようだが、筆者は一つの節目として大切にしている。63年間、大きな病気にかからなかったので、健康な身体に産んでくれた両親に感謝したい。恒例の持ち帰り寿司(「すし兵衛」)を味わいながら、これからの人生について、思いを巡らしている。

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何しろ一人暮らしなので、家族が存在する人に比べて危機管理が一層重要である。未婚の私にはパートナーや子どもがおらず、兄弟姉妹がいないので、甥や姪もいない。父方の親戚は疎遠で頼りにならず、母方の親戚はいちばん近い人でも名古屋の従妹(私より4歳若い)である。他に従兄弟姉妹はいるが、いざ自分が疾病に罹ったり事故に遭ったりしたとき、すぐに助けてくれる人がいないので、当面は市内の知人に可能な支援を頼るしかない。そう考えて、日頃から健康や安全には最大限の注意を払っている。
加えて、不測の事態が起きた後、継続的に対応してくれる人(親族が無理ならば専門職)を探しておくことも必要になろう。これまでは自分が支援する側だったが、支援される側に回った場合のことも想定しておかなければならない。もし要介護者になった場合、全国的な介護人材不足は当地も例外ではないので、もちろん不安はあるが、これまでの知見を頼りに早めの対策を心掛けるとしよう。

仕事の上では、この年末にいまの事務所を引き払い、自宅開業の形に変更する。正直なところ、加齢により働きが悪くなり、収入が減ってきたので(笑)、経費を節約するのが目的だ。一つの大きな節目。時間も労力も費用もバカにならないが、まだまだ現役ケアマネジャーとして仕事を続けていきたいので、まずは無事に事務所を移転させることが、当面の目標となる。
制度改定がいま協議されている方向に進めば、来春(6月?)から居宅介護支援事業所を運営する法人が介護予防支援も直接受任できる(現制度では地域包括支援センターからの受託)見込みなので、会社の定款を変更して、新たな枠組みに対応することが求められよう。

公私ともに結構、やらなければならないことは多い。心身ともにまだまだ落ち込む暇(いとま)もない、と言ったところか(笑)。

物価高などの影響は小さくないが、いまのところ燃費の節約など(軽自動車に買い替えた)、何とか乗り切る方策はある。
趣味もコロナ禍を機に、史跡めぐりの旅行や劇場での歌劇鑑賞をほとんどしなくなり、もっぱら書誌・画像での歴史探訪やBD/DVD鑑賞に転換した。自己流のクッキングを続けており、将棋の「観る将」も楽しみの一つになっている。
自分の間尺に合う生活をしながら、満足度の高い一年を過ごしたいものだ。

2023年8月19日 (土)

「席次」を軽視するなかれ!

かつて、筆者が自分の所属する職能団体の役員(代表者の次席。序列二位)をしていた時期、こんなハプニングがあった。

別の職能団体(創立百年と歴史が古く、政治力も大きい団体)からの提案で、両団体の役員が対面して協議をすることになり、当団体から四名(一名は非役員)が出向いた。会議室ではいわゆる対面式で、先に先方団体の役員五名が片側を占め、代表者が真ん中(奥から三番目)に座っていた。ところが、当団体があとから入って行ったとき、先頭を歩いていた代表者が、四席のいちばん奥に座ろうとした。私はすぐ気付いて、代表者に奥から二番目に座るように促し、私が一番奥に着席して事なきを得た。この場合、第一席の人同士が正面から向き合う形になるために、先方団体は奥から(4)(2)(1)(3)(5)、当団体は奥から(2)(1)(3)(4)が正しい座り方なのだ。やりとりの最中、先方の代表者が「団体として未熟だなぁ」と言わんばかりに笑みを浮かべていたのを覚えている(両代表はきわめて近しい協働関係にあったので、もちろんこの一件だけで信頼を損ねたことでは全くない。念のため)。

「席次」に関する最低限の知識を備えていないと、相手側の失笑を受けることになりかねない。

登壇して画像を撮ったりメディアに相対したりする場合、真ん中が第一席だが、和式と洋式(事実上の国際式)とでは、左右の上下が異なる。

日本の伝統である和式の席次は、最上位者の左(向かって右)が第二位、右(向かって左)が第三位、以下、左第四位、右第五位と続く。

一方、洋式の席次を踏まえた国際式の席次では、左右が逆になる。最上位者の右(向かって左)が第二位、左(向かって右)が第三位となる。

さて、しばらく前に日大で行われた、アメリカンフットボール部員の不祥事に関する会見で、「席次」が話題になっている。経済ジャーナリストの磯山友幸氏が、会見の席次を踏まえて、林真理子氏がお飾り理事長であると評したのだ。

この会見では、向かって右手から三人が登壇し、そのときには林理事長が先頭だった。ここまでは問題ない。ところが、林氏はそのまま奥(向かって左)に着席し、真ん中に酒井健夫学長、手前(向かって右)に澤田康広副学長が座った。あらかじめ職名と氏名が記載された紙が席に貼ってあったので、日大側が決めた席次であることは明らかだ。

メディアに向き合っていわば「ひな壇」に並ぶのであるから、ドメスティックな色彩が強い(あくまでも筆者の個人的な評価であるが...)日大であることを考えれば、磯山氏が理解している通り、和式の席次によって、序列が(1)酒井氏(2)澤田氏(3)林氏の順だと受け取られてもしかたがない。

磯山氏の指摘に対し、異論も唱えられている。学長は教学に最高責任を持つ立場であるから、実質的に理事長と同等であるので、今回は主として説明する立場である以上、真ん中に座るのは問題ないとの見解だ。

しかし、これはおかしい。それならば大学側がそのように説明すべきである。何の説明もないまま理事長が「向かって左端」に座っている場面を見せられれば、マナーを心得ている誰もが「学長が理事長より上座なのか?」との疑問を持つ。法人としての会見である以上、「法人の代表者」が最上席に座るのが社会通念である。たとえ会見の大部分で酒井氏が受け答えすることを想定していたとしても、あくまでも真ん中に着席するのは林氏であるべきだろう。もし「現実的な力関係」を反映した並びをあえて演出したとすれば、日大組織の実体を露呈してしまったことになる。

形式偏重の面倒な議論だと思う読者がおられるかも知れないが、「席次」はゆるがせにできない問題なのだ。上座・下座をめぐる手配が適切さを欠くと、亀裂や重大な誤解が生まれることも少なくない。

の事例に限らず、私たちはニュースで見聞きする事案などに敏感になり、他者から指弾を受けない整然とした組織活動を心掛けたいものである。

2023年8月12日 (土)

自作チャーハンの楽しみ

好きな料理は?と尋ねられたら、鶏肉(もも肉・むね肉)料理やエビ料理の一品になるだろうか。定休日である日曜日や水曜日のディナーとして、下ごしらえに時間を掛けながら調理する。食材の品目が多いと、準備にはもちろん、食後の食器洗いにも手間が掛かるので、面倒に思うこともあるが、それも計算に入れながら一連の工程をこなしている。

他方、ラーメン(昼食)やカレー(夕食)、またパスタソース(同)は、市販の品で済ませている。自作すると結構な質量の工夫が要るので、袋麺(乾・生)やレトルトのカレーのほうが手っ取り早い。

さて、定休日にご飯を炊いて(一合半)、三日で食べ終えているが、最終日には所定の保温時間(30時間)を過ぎている(48時間)ので、中らないために「火を加えなければ」となる。

そこで、火曜日や金曜日の夕食は、チャーハンにすることが多い。

基本は中華調味料(「創味シャンタンDX」)に、自然塩少々、減塩の醤油をちょっとだけ加えて、合わせ調味料を作る。具材はミックスビーンズが多く、他に枝豆、マッシュルーム、キクラゲなど。ただし二種類同時に使用することはない。薬味に刻みネギ、香味代わりに炒りゴマを加えるのが習慣になった。

しかし、ときどきは変わった一品を作ってみたいこともある。

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これは高菜チャーハン。パックの漬物を活用。オリーブオイルに自然塩のみ。赤唐辛子を入れると味が引き立つ。

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こちらは鮭チャーハン。ビン詰めの「あらほぐし」だが減塩バージョンで。中華調味料を小さじ半量程度にして食塩相当量の合計を抑制した。

前述のように具材を次々と入れ替えれば、同じチャーハンは月に一回程度になるので、飽きることもない。

美味しく食べられる喜びを噛み締めながら、その日の一品を味わいたいものである。

2023年8月 5日 (土)

身の丈に合った運転を

現代社会に車は欠かせない。

いま、筆者がプライバシーでもビジネスでも使っている一台は、緑のデミオ(マツダ)だ(画像)。2014年に購入して9年。自分の愛車として四台目になる。

これまで、夜間でも視認してもらいやすいように、比較的明るい色の車を選んできた。

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さて、この10月から新しい車に買い換える予定である。薄い灰色のアルト(スズキ)。いまの車ほど目立たないが、深夜の時間に走ることはほとんどなくなった。また筆者には家族もいないので、仕事で出向いた先で駐停車しやすいように、軽に乗り換えることにした。

自分の年齢から考えると、よほどの事態が起きない限り、この五台目が最後になるのではないか。やがて普及するであろう自動運転車も魅力的だが、オペレーションの全体像を呑み込むのも厳しくなるから、自分には縁がないかも知れない。むしろ次の一台で公私ともに身の丈に合った運転をしながら、70代後半まで安全に操作することができれば、それに越したことはない。仕事から引退したら距離はグンと減るので、長持ちさせられれば好いなぁ、と思う。

事故を起こさないこと、事故に巻き込まれないことを願いつつ、先の計画を立て始めている。

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