このところ、テレビやインターネットなどの新旧メディアを賑わせている話題がある。
一年延期された東京五輪の組織委員会理事会の席で、会長であった森喜朗氏が、「女性蔑視」と受け止められる発言をしたことが報じられ、国内外から多くの批判を浴びた。その後、紆余曲折はあったもの、結果として会長職を辞任するに至った。
その発言の全文はすでに複数のメディアで公開されている。一例としてスポニチの該当記事にリンクを貼っておく。言葉の意味や文脈が不明確な面も見受けられ、明白に意図して女性を蔑視した発言なのかは何とも判断できないが、いくつかのキーワードに氏の正直な意識が反映されていることが看取される。全体を総合すると、ジェンダーに関して明らかな「時代遅れの感覚」を背景にしていることは否めない。
この事案に関する個別のポイントを整理すると、
・発言中の「恥」「困る」「わきまえる」等のキーワードに差別的な意味があったのか? 特に「わきまえる」は「身の程をわきまえる」ではなく、「時間配分を考慮して趣旨を短くまとめる」の意味にも解釈できるが、実際の意図はどちらだったのか?
・全文がなぜ速やかに報じられなかったのか? メディアの側に「意図的な切り取り」はなかったのか?
・従前、森氏が自ら運営に携わる組織で女性役職者の増加に努めてきた実績もある。組織委では深い意味もなく、いわばエピソードとして語ったとも想定されるが、公的な立場の人が言って良いことかどうか、「舌尖で千転」したのか(自分の実績を台無しにしかねない言葉を軽率に発してしまう、資質の問題があるのではないか)?
・「女性の役職者が増えると会議が長くなる」はエビデンスを踏まえた発言か? また反発した側もエビデンスを踏まえて反論したのだろうか(ちなみに、森氏の発言を否定する研究例としては、ブリガム‐ヤング大とプリンストン大との共同調査結果が存在する。他にもあると思われるが)?
・その場で、または散会した後にでも、森氏に指摘したりたしなめたりする人が、役職者の中にいなかったのか? 組織委は普段どのような雰囲気の中で運営されていたのか?
・批判が巻き起こった後、「謝罪して撤回すれば問題ない」判断は適切だったのか? この発言が国際的に報じられた場合、いかなる受け止められ方をするのか、氏や組織委は想像力を働かせることはできなかったのか?
・世界から注目されている中、森氏が辞任表明した後の後継候補を、なぜ「密室」で決めようとしたのか? それ自体が時代遅れ、あるいはドメスティックだとの認識は、関係者の頭の中になかったのか?
・「老害」の言葉の適否はひとまず措いて(これも高齢者差別用語だとの見かたもあるが)、社会的地位のある高齢の人が、自分のポストを簡単に捨てられないのは、日本全国に共通する現象である。その実態をどう評価し、対策をどう準備するべきなのか?
・日本国民の中に、森氏(の発言に窺える背景)と同様なジェンダーの感覚を持ちながら日々を過ごしてきた人(おもに高齢男性、一部は女性も)が、相当な割合で存在することは現実である。その人たちの人生の歩みを肯定的に捉えつつ、どう意識改革をしていくのか?
まずはこの辺りが論点かと考えられる。暇な人間ではなく、評論を業とする者でもないので、私がそれぞれの項目について、あえて意見を細かく陳述することはしない。各自で考察の材料にしていただきたい。
さて、東京五輪に関して、私はかつて自著本の中で以下の通り言及した。
「賢明な読者の皆さんは、2020年・東京五輪のメインスタジアムとなる新国立競技場建設計画の決定にあたり、本章(注;第7章)で述べてきた『日本』的原理の悪い面のほとんどが凝縮されていることに、気付いたことであろう」(『口のきき方で介護を変える!』P.164~165)
この本は2015(平成27)年10月に上梓しているから、5年余り前のことだ。あのときの競技場にまつわるゴタゴタは、まさに「日本特有の現象」を帯びた組織委関係者(個人・団体を含め)の体質に由来すると、私は考えていた。そして5年の時を経ても、その体質が変革されないまま、ここでまた同様な問題が起きてしまった。
その「第7章」で述べたことを相関図にまとめたものが下の画像である。これらの思考形態や行動様式が負の連鎖を構成しており、私たちの社会の行く末に暗い影を落としていることを分析して、市民意識の変容を促したものだ。詳しく知りたい方は、同書をお読みいただきたい。
さて、いまの菅総理とも重なる面があるが、森氏もかつて小渕政権において与党幹事長、いわば屋台骨を支える「番頭」の役割を担っていた。総理になったのは前任者が急病で倒れたからだ。実は前述の「日本的な」がとりわけ鮮明に出現するのは、このパターンなのである。これが森氏のリーダーシップのスタイルとなり、現在まで「続いてしまった」と見てよいだろう。
「経営者型権力」「番頭型権力」の用語がある(ずっと以前から社会科学や人文科学に関する複数の研究者により用いられてきた)。前者のスタイル、特に足利義教・織田信長・徳川綱吉・徳川家重・大久保利通などに代表される独裁的な手法となると、後者の人たちは到底それを採用することができない(安倍前総理であっても、この5人に比べるとかなりマイルドだった)。また、独裁者は多くの「日本人」から嫌われる。義教・信長・利通のように「消され」たり、綱吉(「暴君」とされた)や家重(「バカ殿」とされた)のように貶められて低く評価されたりで、いいことがない(笑)。
後者のスタイルを採るリーダーは、「和」を尊重して組織を運営する。周囲がそれに「都合良く」合わせるスタイルが、これまでの「日本的な」組織運営に適している。政治・経済から社会の個別分野まで、中央から地方まで、いわゆる「護送船団式」が肌に合っている個人や団体が多いのだ。良し悪しはともかく、日本はその原理によって動かされてきた。
しかし、画像の図にある通り、「和」は他のさまざまな要素とつながっている。森氏の発言や五輪組織委、その周辺の人たちの意識や体質が、なぜ今回の騒動を招いたのか? それは私が解説するよりも、みなさんがこの図を眺めながら、それぞれの頭で考えていただきたい。いみじくも右下に「儒教」の一要素として、「男尊女卑」も掲げてある(笑)。
(なお、森氏は自分の思想が儒教に基づいていると明瞭に意識してはいなかったと思われるので、念のため)
そして、今回の事案を契機に、単に個人や組織の問題にとどまらず、日本社会を根強く「支配」している上記の構図そのものを変えていく必要があると、私は考えている。
(次回へ続く)
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