ケアマネジメント

2021年1月15日 (金)

報酬引き上げを求める資格があるのか?

1月15日は亡き父の「生誕記念99周年(^^#」。現実の父は80歳で世を去ったので、そのあとは単に私にとってのアニバーサリーである。クリスマスから遠くないこともあり、改めて特別な料理などを用意して祝うことはないが、かつて1月15日が固定された「成人の日」だった(いまは移動祝日)こともあり、忘れずに思い出すよう努めている。

その父は、晩年に認知症を患いつつ、介護サービスには拒否的であった。母の介護疲れを見かねた私が頼み込んで、ようやく通所介護を利用するようになり、短期入所生活介護も何とか開始できる段取りを取った直後に他界した。自分からサービスの利用控えをしてしまい、必要最低限の利用にとどまった形だが、介護保険料で積んでいた分を、サービスがより必要な市内の他の利用者に回すことができたとも言える。いつも来客に気前よく飲食物などを分けてあげることだけが美点だった(笑)父には、ふさわしい終末だったかも知れない。

さて、介護給付費分科会では2021年3月の介護報酬改定の大枠が固まった。厚生労働省と財務省とが折衝した結果、個別のサービスはともかく、全体として0.7%の引き上げが見込まれている。1万円だったものが1万70円になるわけだから、「微増」と言うべきか。

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これに対して、学識経験者からも介護現場からも、さまざまな論評が発せられている。国の財政基盤を考慮すれば、コロナ禍の中で引き下げられなかっただけでも十分な成果であるとする意見。逆にコロナ禍のため各事業者が大きな負担増を強いられており、この程度の微増では現場を去る人が増え、人手不足に拍車がかかるとする意見。いずれの論者も根拠に基づいて述べておられるので、その得失について私はあえて評定しない。

ただし、居宅介護支援は延々と収支差率が赤字であるため、「介護報酬をもっと引き上げろ」との議論が絶えない。特に介護支援専門員(=ケアマネジャー。このエントリーでは制度上の介護支援専門員を意味しているので、その呼称を使う)が1~2人であり、利用者数も少ない(たとえば私の事業所のような)ところは、満足な給与を出せば利益が出ないのが現実である。これに対して、現場の介護支援専門員からは、さらなる報酬引き上げを求める声も多く、他方で学識経験者や経営コンサルからは「(特定事業所加算を取るなど)大規模化せよ」との論が優勢になっているが、これについては後日、別稿で論じることにする。

今回は、「もっと引き上げろ!」と言う介護支援専門員たちについて、...

「あなたたち全員に、その資格があるのか?」

...これが本題だ。

・利用者を強く説得して(併設の)自社サービスを(必要最低限でなく)多めに利用してもらうように誘導した。

・給付管理を発生されるために利用者に頼んで、必要性がほとんど無い福祉用具を一品だけレンタルしてもらったり、通所へ月一回だけ行ってもらったりした。

・交通事故などの第三者行為で要介護状態になった(他の疾患等との合わせ技でなった場合を除く)利用者のために、通常通りに要介護認定を申請して、サービスの利用開始の運びにした。

たとえ善意から出た行動であっても、こんな経験のある介護支援専門員がいたら、はっきり申し上げたい。

「それ、モラルハザードだよね?」

保険の不適正給付に加担した人には、保険の公定価格である介護報酬を引き上げろと主張する資格はない。

さらに...

...「モラルハザード」は「保険詐欺」の意味で使われることが多いが、本来は社会保険に限定されない広い意味を持つ。「当事者の一方が自分の側だけから把握できる情報を意図的に歪曲したり、加入者が給付母体の存在を頼みにして意図的な権利の濫用をしたりする行動によって、適正な経済的関係が崩れること」の総称がモラルハザードなのである。

したがって、生保の不適正受給に加担したり(必要な利用者にはもちろん受給を支援するのが当然。ここでは客観的に、隠し資産があったり、経済的に余裕がある親族が扶助不能を偽装したりする場合を指す)、市区町村の独自サービスを受給するために事実と乖離する報告をしたり(基礎自治体側が許容範囲を甘くしているのなら話は別だが)することも、モラルハザードに含まれる。

あくまでも合法的に、公共財のサービスを我田引水の形で利用する、いわばフリーライダー(ただ乗り)の行為(例:タクシー代わりに救急車を呼んだなど)であれば、私も利用者側の選択を容認したことはある。もちろん道義的にお勧めできない旨を説いた上で、それでも利用者や主介護者から申請する、活用すると言われたら、私が勝手に代位して押しとどめる権利はないのだから。

しかし、モラルハザードは明らかにフリーライダーの行為とは一線を画している。「本来受けられない給付を、故意に事実を歪曲するなどして受給する」行為だ。反社会的行為と何ら変わるものではない。

それに参画した介護支援専門員が、なぜ介護保険の公定価格である報酬引き上げを求めるのか? 泥棒が警察に盗むためのお金をくださいと言っているのと同じであることを、わかっていないのか? 「いや、普段はまっとうな市民で、ときどき出来心で泥棒をするだけなので...」と言い訳するならば、ふざけるな!と言い返したい。

介護保険財政を食いつぶしているのは、あなたやあなたの利用者たちだ。

こんな話をすると、「馬鹿正直だねぇ」と言われるかも知れないが、みんなが正直に仕事をしていないから、各地で不正請求が摘発されるのではないのか? 介護支援専門員の風上にも置けない奴が偉そうに専門職を名乗り、その一部は人前で滔々と講義まで垂れている。馬鹿正直に仕事しているわれわれの足を引っ張るんじゃないよ!

私は過去19年の間、多くの利用者さんたちから(死去、転地、施設入所等以外の事情で)解約されている。その解約理由の大半は、私が利用者さんやキーパーソン(≒主介護者)さんのモラルハザード、またはそれに近付く行為を制止しようとしたので、煙たがられてしまったためだ。これは私の経歴の中で、最も誇るべきことの一つだと思っている。

発足当初は「介護保険の弁護士」とまで称され、期待された介護支援専門員。プロフェッショナルの矜持を忘れないでほしいものである。

2020年12月31日 (木)

どんなに若く未熟な駆け出しのスタッフに対しても、丁寧な言葉で話しましょう

2020年はコロナ禍に明け暮れた年となったが、私は可能な限り感染予防に心掛けながら、一年を通して、目の前の課題に向き合い、粛々と仕事を続けてきた。

日頃から心掛けているのは、「口先だけの人」にならないこと。「有言実行」が自分の目標である。この一年を振り返ると、気持ちはあっても実践したとは言い難いこともあれば、目指した通りに実践できたこともあった。

その中でも特に実践の完成度が高いと自画自賛しているのは、「タメ口をなるべく使わず、丁寧に話すこと」。

こう言うと、人生の先輩である利用者さん(大部分が高齢者)に対してのことだと思われるかも知れない。しかし、「顧客に対してタメ口をきかず敬語を使う」ことは、言われなくてもできて当然だ(画像の拙著でも節を立てて説いている)。むしろ、できていない人や事業所のほうが恥じ入る話であろう。ここで私が言いたいのはそれではない。

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「丁寧に話すべき」相手は、職場や業界の後輩たちなのだ。

私はケアマネジャーだが、一人親方の自営業であるから、連携を取り合う相手はすべて「他法人の職員」である。中には私から見れば経歴・実績が比較にならないほど経験が浅い、30年以上後輩の職員との間で報告・連絡・相談し合うのはよくあることだ。その際に、相手が応接もたどたどしく、なかなか意図が伝わらなかったとしても、タメ口で押しかぶせるような話し方はしていないつもりである。なぜなら、私自身、20代から30代前半のときには、その相手のレベルだったのだから。

そこで、自分が若く未熟な駆け出しのスタッフだった時期を思い出してほしい。経験を積んでいる業界の先輩たちとの間で報告・連絡・相談を繰り返していて、気持ち良く仕事ができたのはどんな場合だろうか? ほとんどの人にとって、それは相手が丁寧な言葉で応接してくれ、自分や自法人の立場を理解してくれ、対等な立場で尊重してくれた場合ではなかったか?

また、同じ法人の職場内でも言葉遣いは重要だ。しばしば、新人職員は上司や先輩の態度を見て学ぶ。横柄で、高圧的な、マウントを取るような上司や先輩が多ければ、それを学んだ部下や後輩は、次には利用者に対して横柄で、高圧的な、マウントを取る態度を示すようになるのだ。もちろん、他法人の職員を相手にするのと違い、上司や先輩が部下や後輩にタメ口で話すこと自体は、日常的でも差し支えないが、相手に対する敬意を込めて会話することは大事である。

さらに、外国人職員(技能実習生も含む)への影響は大きい。かつて製造業や建設業でも、外国人が安価な労働力として使い捨て状態にされている職場で、彼ら、彼女らが身に着けてしまった日本語の多くは、上司や先輩が吐いた暴言や罵詈雑言なのである。介護業界でも指導する日本人職員の資質次第で、同様なことが起きるであろう。逆に彼ら、彼女らが、洗練された言葉や相手に敬意を払う言葉を多く聞いていれば、それらの言葉をしっかり習得して、日本語の美点を理解してくれるに違いない。

近年、常に話題とされているネット上の誹謗中傷、何の躊躇もなく飛び交っている「人を傷付ける言葉」が、心ある人たちの目には、どれほど醜いものに映っているか。それは「丁寧な言葉」とは対極にある存在である。

逆に、敬意を込めた丁寧な言葉は、受け取る人のみならず、発する人の心も豊かにしてくれるのだ。

言葉は生き物であるから、時代に応じて変わっていくことを、もちろん私は否定しない。しかし、日本語の歴史の中で長きにわたって大切にされてきたものを、私たちは受け継いでいかなければならない。豊富な語彙の随所に見受けられる丁寧語や丁寧な言い回しは、私たちの伝統の中で育まれてきた、掛け替えのない文化の所産なのだから。

寒波に包まれた大晦日、みなさんにその大切さを訴え、理解していただきたく願っている。

暖かい言葉に包まれた2021年を過ごしましょう☆

良いお年をお迎えください!

2020年12月 6日 (日)

どのような過程で自分を選んでもらったのか?

介護部門で数々の執筆をされているジャーナリスト、藤ヶ谷明子さんから、7年ほど前に「ケアマネジャー評価表」なるものをいただいた。かの(現場の実態を反映しているとはとても言えない(-_-;))「情報公表」の項目とは違い、市民側の視点で作られた簡便な評価表なので、いまでも毎年、自己評価に活用している。

その中に「初回訪問時、なぜ自分(自事業所)が選ばれたのか(地域包括からの紹介、ネット、自治体の一覧表etc)を確認しているか」との項目がある。正確に表現すれば、「初回訪問時、『どのような過程で自分(自事業所)を選んでもらったのか?』を確認しているか」となる。

今年もこの項目は4段階評価の「4」を付け、「いつもインテーク時に聴取している」と記載した。

さて、記載しているうちに、最近は「ご紹介(行政・医療機関・介護事業所などの関係機関からの)」の利用者さんより、「ご指名」の利用者さんが増えたなあ、と気が付いたので、数字を比較して整理してみようと思い立った。

どこで線を引くかが難しいところだが、あいまいにしてはいけないので、

・利用者さんやキーパーソンさんが「こういう希望に該当する居宅介護支援事業所は無いですか?」と関係機関等に相談し、当該機関から第一候補として私に連絡が入った。
・「ご指名」を受けてお邪魔している方の親族に当たる方の予防支援を、地域包括支援センターから委託された。
→この場合は、たとえ事実上の一択であっても、「ご紹介」に含める。

・親戚や友人から「ここのケアマネさんがいいよ」と勧められ、利用者さんやキーパーソンさんが私に連絡してきた。
・かつてご家族の誰か、または(施設入所前などに)当のご本人の担当介護支援専門員であったご縁から、利用者さんやキーパーソンさんから改めて私に連絡してきた。
→これらの場合は、たとえ起源をたどれば関係機関からの紹介であっても、「ご指名」に含める。

このルールに基づいて計算したところ、以下の結果になった。

◆2002年12月(当時の上限件数50名に達した時点。ただし、給付管理が発生していない方が2~5名程度あった)

・ご紹介 40名
・ご指名 10名 → 20%
   *そのうち、認定調査(当時は新規申請分の委託もあった)終了後に、「あなたがやってくれるか?」と当所へ居宅介護支援を依頼してきた方が6名なので、
   *純粋な意味での「ご指名」は4名 → 8%

◆2020年12月(居宅支援・予防支援合わせて25名。ただし、給付管理が発生していない方が3名)

・ご紹介 12名
・ご指名 13名 → 52%!

これまでのエントリーで述べてきた通り、私は2014年ころから、亡き母が支援や介護(2017~18)を必要とする状態になったことを契機に積極的な営業をせず、母の他界後には自分自身の加齢も考慮し、結果的に仕事量や範囲を縮小している。それでも、いまの利用者さんの過半数が「ご指名」なのはたいへん嬉しい事実である。

つまり、私がもっと若かったり、家庭介護を抱えていなかったりしたら、一人でいまの二倍近くの仕事をこなしていただろうから、関係機関からのお情けに頼らない「士業士」として、順調に生業が成り立っていたわけだ(人を雇わず一人で食べていく分には、であるが...)。特定事業所加算を取得して三人以上で居宅介護支援事業所を形成しなくても、一人親方で自立した営業が可能なのである。「個」としてのケアマネジャー(≧介護支援専門員)はそうあるべきだと思う。開業当時に自分が希求した「腕一本でメシを食っていける」形態を、一応達成したことになる。

もちろん、これは介護報酬の動向にも左右される。今後この「士業士」の形態を目指す若いケアマネジャーの方々は、保険外の仕事をどんどん開拓していくことが望ましい。これは以前から唱えている通りだ。私の年代で、地域の職能団体の役員まで務めていると、なかなかそこまでする余力がなかったが...

さて、長い間には、逆に利用者さん側から(施設入所や転地などではない理由で)解約されたこともしばしばある。しかし、過去に解約された利用者さんは、必ずしも「ご紹介」の方ばかりではない。「ご指名」の方でも、「いったんはあなたを選んだけれど、やはり他のところにする」となった方が何名かいる。私の業務スタイルでは仕事の進め方にパーソナルな側面が比較的強く反映されることは否めず、利用者さん側の「好き嫌い」や相性の悪さが顕在化すると、長期的に継続できなくなったこともあった。これもまた、「士業士」型だからこそ、しばしば起こり得る現象だと割り切っている(居宅介護支援事業所内の担当者変更ができないから)。

また、当然のことながら、私自身、「ご紹介」だろうが「ご指名」だろうが、どの利用者さんも「お客様」として大切にする気持ちに変わりはない。細かいことだが、利用者さん宛に封書を送るときには84円の記念切手を使うことが多い。その際に「選んでもらった過程」など関係なく、お一人ごとのお好きな図柄を推測し、気を遣いながら貼っている(ハズレがあるかもf(^_^;))。

ところで、このエントリーには、勤務(「宮仕え」)の介護支援専門員たちを過小評価する意図は決してない。独立型と勤務型とが、車の両輪のごとくお互いに高め合っていくことが理想であろう。そのためには勤務型の介護支援専門員にも一層の自覚が求められる。力量が未達なまま漫然と働き続け、資質向上への意欲も薄く、母体法人や事業所に依存して給与や賞与をもらっているようでは、半人前だなぁと見なされてもしかたがない。

どのような立場のケアマネジャーであれ、自分の力で顧客の信頼を勝ち得ていく「プロフェッショナル」の誇りを持って仕事をしたいものだ。

2020年11月 8日 (日)

片付け下手の断捨離(8)-個人情報が含まれているもの

60歳が近付いたころから、自宅に集積してあった不要なものを処分する作業を続けている。

その工程で相当量発見されたのが、個人情報や個別事業所の情報が含まれた書類だ。

指定居宅介護支援事業者としての範囲内で実践した業務については、保存期間が二年間と定められている。たとえば利用者Aさんが施設へ入所して居宅介護支援が終了した場合、その日から二年を過ぎたら所定の方法で破棄している。これは事業所の責任者として常にチェックしながら滞りなく実施しており、問題が生じているものではない。

しかし、私は「社会福祉士事務所」の看板も掲げており、これまで有償、無償でいくつかの活動に関与してきた。その過程で、自宅にかなりの分量の個人情報や個別事業所の情報が集まり、明確な処分方法が定められていないまま、積み置いてしまっていた。たとえばMAF=浜松外国人医療援助会の受診者情報(画像は当時の報告書-なお、こちらには個人情報は非掲載)や、静岡県社会福祉士会第三者評価事業の対象候補事業者名情報や、参加していた活動団体メンバーの住所や電話番号が記載されている書類である。

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本来ならば、明瞭な規定がなくても、専門職の倫理綱領に照らして、適切な時期までに処分しなければならなかったのであるが、私の怠慢のため放置してしまっていた。汗顔の至りであり、お恥ずかしい限りだ。

先日来、これらの書類をすべてシュレッダーにかけて破棄した。今後もまだ出てくるかも知れないが、もちろん、見付け次第同様に処理するつもりである。

処分過程で自分の歩みを振り返りながら、結構いろいろなことに携わってきたんだなぁ、と感慨深い。MAFでは保健師さん、薬剤師さん、理学療法士さんと組んで、外国人無料検診会の...「会場総合案内(!)」をしたこともあった。他に適切な配属部署がなかったので(笑)。それこそ介護のケアチームが一つ作れそうな専門職がそろった組み合わせだったが...(^^;

いちケアマネジャーとして単線で仕事に没頭してきた人生ではなく、さまざまな活動に参画できたことが、結果的に本職のケアマネジメントをより豊かなものにしてくれたのではないかと、勝手に評価している。

年齢こそ高くなったが、今後も何か自分の力を役立てることができる機会があれば、前向きに考えていきたい。

2020年11月 3日 (火)

おかしな論評に惑わされるな!

すでに何回か自ら開示している通り、まことにお恥ずかしいことだが、私は20代の未熟な(←これは言い訳にならない)時期、勤務していた施設に入居する複数の利用者さんに対し、いまならば「虐待」「アビューズ(=不適切な応接。行政用語の「虐待」より広い範囲で捉えた呼称)」に相当する行為を何度もした。

もちろん、すでに他界された対象者の方々に心の中で謝罪しても、いまさらその罪が消えるわけではない。しかし、それらの過去の行為への深刻な悔恨を踏まえ、後進の介護従事者に向かい、「決して虐待をしてはならない! 可能な限りアビューズをしてはならない!」と説くことは、許されるであろうし、むしろ、むかし愚かな行為をした先輩として、しなければならないことであろう。

これを私たちの日常生活に当てはめてみれば当然のことだ。たとえば、一人暮らしの高齢者の居宅に、電気工事や水道工事の修理工とか、金融機関の営業社員とか、弁当・食材の宅配の販売員とかが入ってきて、仕事をしたついでにその「顧客」である高齢者をぶん殴ったとしたら、到底それは正常な振る舞いではない(ごくまれに、その類の被害がネット等で伝えられることはあるが...)。暴行がバレた後に、「俺、仕事のストレスがたまってたんだ」と述懐したとしても、それで犯した行為が酌量される話ではない。まともな社会人であればそんな行為はしない。施設や事業所や訪問先における介護従事者による「虐待」は、異常な光景でしかない。もともと介護の仕事に不向きな性格の人間が業界に紛れ込んでいたのだ。

ところが、この「異常」があたかも「日常」であるかのように断じる人たちがいる。大きく分けると三種類ある。

第一は、介護業界に関する知識や理解が不十分であるため、介護施設や高齢者施設の多くで、密室の中、しばしば虐待が行われていると誤認してしまう人たち。私たち業界人から見ればこれは「浅見」に違いないのだが、悪意なくそう思い込んでしまう人たちが一定数いることは、現実として受け止める必要があるだろう。関係者が努力して、これらの人たちに正しい知見を持ってもらい、考え方を修正してもらうため努める必要がある。

第二は、何らかの経過で思考に偏りが生じ、介護業界が巨大な悪だと信じ込んでしまっている人たち。その多くは精神疾患を抱えている。原因となっている脳の状態そのものを治療させないと、業界非難をやめさせることは難しい。

そして第三は、自分(著書とか講演とか動画とか...)を売り込むために、介護業界があたかもトンデモ業界であるかのような発信を続け、介護従事者たちを叩き続ける人たちである。「人を傷つけて稼ぐ」類型に入る人たちだと言えよう。

この三番目の人たちの振る舞いは恥ずべき行為だ。まっとうな介護従事者にとっては大迷惑でしかない。

よく考えていただきたい。上記の例であれば、修理工はあちこちの家で暴力を振るうとか、営業社員や販売員はしばしば訪問中に顧客を殴っているとか、私が語ったとしても、誰が信じるだろうか? 私の自宅をそれらの目的で訪れた人たちは、みな礼儀正しい人ばかりだ。ここでは比喩としてこれらの職種を挙げたが、現実にはよほどのおかしな人物でない限り、社会通念から逸脱した振る舞いをしないことは、説明するまでもない。

介護業界では日常的に虐待が行われているかに語る論評のおかしさは、それと同じことなのだ。

ほとんどの介護従事者は、質の高低にバラツキがあったとしても、利用者には施設で、事業所で、訪問先の居宅で、より良い日々を過ごしてもらうため精励している。力及ばず、工夫が足りず、理想に程遠い水準の介護にとどまることはあるかも知れないが、意図的に利用者を傷つけることは通常やらない。それが職業倫理である。「密室だから見えない」→「だから介護従事者は利用者に対して好き勝手な行為をしている」は我田引水の飛躍にほかならず、荒唐無稽も甚だしい。

それがまかり通るのならば、「著作のある人」「講演活動をする人」「動画を発信する人」たちは、結構さまざまな場面で人を傷つけていることになるが、もちろんそれは一部の人たちの不適切な行為であり、総体としては間違いであることは言うまでもない。

しかし悲しいことに、このテの煽り論評をする知名度の高い人たちには、それぞれ結構な「信者」がいるのである。舌鋒が鋭く刺激的であるほど、理解力や判断力に乏しい人たちを惹き付けてしまう。それが上記第一、第二の類型の人たちを増産し、さらなる「介護従事者性悪説」へと結び付いていく。

それらの著名な発信者たちは、将来、自分自身が介護を受ける立場になったときに、何を思うのだろうか?

みなさんには、この種の人たちが発するおかしな論評に接しても決して惑わされないために、自らの頭で情報を分析する能力を培っていただきたい。

2020年10月 7日 (水)

通所系・短期入所系サービスの特例加算に物申す

新型コロナウイルスの感染拡大防止をめぐって、医療機関に限らず、介護サービス事業所も対応に追われてきたことは、多くの市民がご存知だと思う。

そのような中、厚生労働省から6月1日付で、事業所の対応を適切に評価する観点から特例の加算を設けるとして、「新型コロナウイルス感染症に係る介護サービス事業所の人員基準等の臨時的な取扱いについて(第12報)」なるものが発出された(以下、単に「第12報」と称する。後出の略称「第13報」-6月15日発出-も本来のタイトルは同じ)。

本ブログには介護業界以外の読者もおられるので、詳細な内容は省略するが、おもな部分の概要は以下の通りである。

・通所系サービス(通所介護・地域密着型通所介護・認知症通所介護/デイサービス、通所リハビリ/デイケア)については、定められた日数を上限に、利用者が実際に滞在利用した時間に二時間を増した保険点数を算定できる。

・短期入所系サービス(短期入所生活介護・短期入所療養介護/ショートステイ)については、定められた日数を上限に、通常のケアプランに基づく利用であっても、緊急短期入所受入加算を算定できる。

・利用者負担(一割から三割)が発生する。

・介護支援専門員(ケアマネジャー)と連携し、利用者から事前の同意を得る必要がある。

さて、これはいわゆる「箱物」事業所のうち、利用者の出入りが頻繁にある通所系と短期入所系のサービスについて評価したものであり、方向性自体はおかしなものではない。

しかし、現実の運用においてはさまざまな問題が起きている。

(1)介護支援専門員にとっては業務が増加している。
「第13報」では、「当該取扱いを適用する場合には、居宅サービス計画(標準様式第6表、第7表等)に係るサービス内容やサービスコード等の記載の見直しが必要となるが、これらについては、サービス提供後に行っても差し支えない。」となっている。そのため、介護支援専門員は「サービス利用票・提供票(第6表)」と「同上、別表(第7表)」とを利用実績(特例加算の算定を含む)の数字に合わせて再作成しなければならない。たとえ当該月の予定として表を発行するときに特例加算をすでに組み込んでおいたとしても、事情により利用回数が予定より(減った場合はともかく)増えて、特例加算の回数も増えた場合には、再発行は必須となる。介護支援専門員は実績確定後には速やかに利用者を訪問し追認してもらう必要がある(郵送+電話だと、どの部分の算定がどう変わっているのか理解するのが困難な利用者やキーパーソンも少なくない。持参して説明してさえも毎回「何これ?」などと聞き返される場合もある)が、これは感染拡大予防のため居宅訪問を電話等での状態確認に替えられるとした以前の通知と、全く相反するものでしかない。私自身も居宅訪問の頻度は増えている。

なぜ「介護支援専門員は給付管理を的確に行えば、第6表と第7表の見直しや再作成をしなくても良い」とならなかったのか? その根っこには介護支援専門員(ひいては介護業界全体)に対する厚労省の「不信のモデル」が尾を引いているのではないかと、私は感じている。詳しくは拙著『これでいいのか?日本の介護』に述べたので、ここでは触れない。

(2)利用していない部分のサービスに対する利用者負担が延々と発生する
この加算は利用者の負担が発生するのに加え、その終期が定められていない。新型コロナウイルスの影響で収入が減っている家庭が多い状況で、たとえ月々数十円から数百円であっても、それは新たな負担となる。ましてや、保険対象限度額を超過してサービス利用している一割負担の利用者にとっては、点数の十倍以上の金額を負担しなければならないことになる(たとえ同意してもらっても、はみ出した月に限って事業者側が配慮して加算を取らない裁量は認められているが、その月は国保連のほうへ介護報酬を請求する際にも加算を算定しないことになってしまうから)。すでに事業者に対しては介護慰労金(コロナ禍で苦労した職員対象)やかかり増し経費支援金など、都道府県による緊急包括支援も実施されており、利用者から延々と負担を求める大義は薄れている。

(3)臨時の取り扱いが続くことは、制度の仕組みから望ましくない。
この加算はあくまでも、一時的な特例であり、速やかに正規の報酬改定がなされるべきである。来年3月に介護報酬改定があるため、厚生労働省としてはそこで整理するつもりなのであろうが、これまでも介護報酬は三年ごとにすべてが変わるのではなく、途中での変更が加えられたことは何度か起きている。今回も5月から議論されていたのであれば、社保審の介護給付費分科会に諮った上で、10月から通所系と短期入所系に関して、部分改定する余裕はあったはずだ。臨時の取り扱いとなった経過が不明瞭である。

(4)同意しなくても不利益な扱いを受けないはずであるが、実際には事業所からその点についての丁寧な説明がなく、むしろ不本意ながら同意せざるを得ない状況に追い込まれている場合がある。
これには特殊な地域性である(独占・寡占など)とか、介護支援専門員がサービス事業所と同じ法人に所属しているとか、さまざまな要因が考えられるが、利用者側がそこのサービスを受け続けないと不利な立場にある場合、事実上は対等な立場での同意になっていないことが想定される。不当な事例に対しては行政が介入すべきなのは当然であるが、利用者側から事業所に対してものを言いにくい状況である事例は、全国的に少なからぬ地域で発生していることが、SNSなどにより報告されている。
私の利用者さんでの中には、事業所から半ば強要されたなどの明らかな不当事例は見当たらないが、それでも行き先に友人が多い方などの中には、ご自分だけ不同意でも何がしかの差別的な扱いが生じないか、懸念している方もおられることが窺えた。逆に、地縁関係が薄く、通所は一つの地域資源だと割り切っているキーパーソンさんには、最初から同意されなかった方もあった。
同意・不同意をめぐって受益者側を当惑させる加算が好ましいものだとは言えない。

結論から言えば、この加算自体を一時的なものとして評価するが、すでに(地域差はあるものの)多くの事業所で一通りの感染予防対策が確立している現状では、早々に終了させるのが望ましい。

とは言っても、現実にはこのまま来年の3月まで続くであろうことが予測される。

そこで、いったん同意したが、もうこの辺りで終了したい方(利用者さんやキーパーソンさん=利用者の意思を当面代位されている方)のために、こんな参考書式を作成した。各自の自己責任で、日本全国のどなたがお使いになっても差し支えない。気に入らない表現があれば、ご自身で加工してくださって全く構わない。口頭では言いにくいがこんな書面があれば事業所へ通告しやすい場合など、活用してくだされば幸いである。

また、あなたやあなたのご家族の担当介護支援専門員(ケアマネジャー)が、この「途中でも同意を終了できる」権利について、全く話題にもしない人であれば、そもそも権利擁護の基本を身に着けていないと考えられるので、早々に見限って他の介護支援専門員に乗り換えたほうが良いことを、ご忠告しておく。

2020年7月29日 (水)

エンドユーザーの利益は?(2)

2020年版「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる「骨太の方針」が政府から発表された。

斜め読みしかしていないが、大枠の方向性は一通り理解した(つもりだ)。

Facebookを見ていると、保健・医療・介護・福祉分野に関連して、心ある業界仲間たちの多くが着目しているのは、「介護分野へのAIの活用」と「医師による社会的処方」の二か所のようだ(どちらも32頁)。

前者は、「感染症の下、介護・障害福祉分野の人手不足に対応するとともに、対面以外の手段をできる限り活用する観点から、生産性向上に重点的に取り組む。ケアプランへのAI活用を推進するとともに、介護ロボット等の導入について、効果検証によるエビデンスを踏まえ、次期介護報酬改定で人員配置の見直しも含め後押しすることを検討する。介護予防サービス等におけるリモート活用、文書の簡素化・標準化・ICT化の取組を加速させる。医療・介護分野のデータのデジタル化と国際標準化を着実に推進する。」と記載されている。業界仲間の間では、対人サービスである介護やケアマネジメントの中に、AIをどう活用していくか、本当に人材不足解消につながるのかなどが、おもな論点になっている。

後者は、「かかりつけ医等が患者の社会生活面の課題にも目を向け、地域社会における様々な支援へとつなげる取組についてモデル事業を実施する。」と記載されている。こちらは、ソーシャルワークやケアマネジメントの中ですでに実践されてきた「生活モデル」と、医師の「医療モデル」に基づいた「社会的処方」とがマッチングするのか、適切に役割分担できるのかが、おもな論点である。

さて、この二つの部分について、別の視点から眺めてみたい。

「エンドユーザーの利益は守られるのか?」

まずAI・ロボットの活用について。開発・販売する業者にとってみれば、直接的な顧客になるのは介護事業所であり、そこに勤務する職員である。したがって、AIを活用したICT機器やロボットは、介護職員やケアマネジャーが効果的に活用することによって、人が担うべき業務を省力化できるものでなければならないのは、言うまでもない。
しかし、その機器やロボットによって介護、支援される対象は、高齢者や障害者などの要介護者なのだ。機器やロボットの「エンドユーザー」に該当する受益者となるのは、その要介護者の人たちにほかならない。もし開発・販売する業者が、介護職員やケアマネジャーにとって使いやすい面だけに力を入れても、その製品によって介護される人、その製品によってアレンジされたケアプランによりサービスを位置付けられる人にとって、使い心地の悪いものであれば、「仏作って魂入れず」になる。かつて拙著で紹介した株式会社Abaなどの、例外的な一部の企業を除けば、その懸念は相当以上に大きい。

それから社会的処方について。医師が患者の社会生活面の課題に目を向けることは大いに結構であり、推奨してほしい。
しかし、そこに診療報酬が付与された場合、しばしばソーシャルワークやケアマネジメントにおける生活モデルと齟齬する場合が生じる。常に後者のほうが良質だと言うつもりはないが、「餅は餅屋」の言葉に象徴される通り、それぞれの職種にふさわしい役割が存在するはずだ。医療の「エンドユーザー」は患者である。社会生活全体を広い視野で眺められる優れた「家庭医」的な医師も存在する一方、多忙で5分程度しか診療時間が確保できず、患者を医学的な面でしか理解できない専門医等の医師も存在する。エンドユーザーの利益を鑑みれば、社会学的な要素を加味した診断の不得意な医師が「社会的処方」をすることにより、患者側の混乱を招く事態になってほしくないのが、正直なところである。

このように、この二つの施策は原案のまま生硬に推進するのではなく、本旨に沿った運用が順調になされるのかどうか、モデル事業の時点でエンドユーザーの声を十分に採り入れながら、前へ進めていくべきだ。

他の施策も含め、一つ一つの施策がそれぞれ、「直接利用するユーザー」だけではなく、「エンドユーザー」のほうをしっかり向いているのか? を吟味していくことにより、その適切さの度合いを測る尺度が見えてくると思う。

「布マスク配付(第二弾以降)」や「Go to キャンペーン」が不評なのは、施策がどこかの誰かのほうを向いているからにほかならない。もちろん、現実には繊維産業や観光産業など、関連する産業側の事情も存在するだろうし、それらの業界への保護策も重要な国家的な課題であるだろうから、理想通りにはいかないことは承知している。しかし、多くのエンドユーザーたちが抱く気持ちからあまりにも外れ、供給側に連なる特定の集団を利する結果になってしまえば、国民からの風当たりが強くなるのは当然だ。政局に当たる人たちには、誰のための施策なのか、三思しながら日々の政務に精励していただきたい。

国民の一人として、それを心から願っている。

2019年12月18日 (水)

人と会い、人と語り(8)

中高年(むかしなら、すでに「初老」と呼ばれていた年齢だが...)の私としては、これから自分の交流範囲が縮小しないように、そろそろ心掛けないといけない時期だ。

特に、母の介護を契機にいろいろな役職から退いたこともあり、気軽に語り合える地元の業界仲間も減少している。

しかし、良い時代になったもので、ブログやSNSを媒体として、日本全国の業界内外の仲間とのお付き合いがとても容易になった。〇〇県の△△さんが直近に何をしていたか、お互いに知り合うことが可能になっているのだ。私が20代のころには、物理的な距離感が大きいことが交流を妨げていたが、いまは離れていても身近に感じるのは、ネットの恩恵であろう。

そんなわけで、今年も自分の開業18周年を口実に、来られる方に来ていただき、飲み会をしようと心組んでいたが、自分の都合で結構時期が遅くなってしまった。11月23日(土)勤労感謝の日に、お互いの労苦へのねぎらいを兼ねて開催。

20191123nomikai

お集まりくださった方々は2県6名。三年前(午後の企画とセット)は14都府県62名、二年前は5道県11名、昨年は4県8名だったので、次第に矮小化(?)しつつある(笑)。ご参集くださった方々には心から感謝の意を申し述べたい。

鈴木さん(長上苑。右から三人目)、中山さん(トーケイモータース。左端)は四年連続。久保田さん(聖隷クリストファー大。左から三人目)、平田さん(シリアヴィラ・パトリ。右奥)は三回目である。それぞれ、本ブログに過去複数回ご登場願っている。

初のご参加はお二人。小池美枝子さん(右から二人目)は名古屋市でケアマネジャーをされており、スペイン語を生かして外国人支援にも携わっておられる方。大貫芳夫さん(右端)は生活クラブ生協の配達を担当され、市民活動団体とも協働されている方だ。お二人とも視野がお広くご見識の高い方であり、私はFacebook等の場で学ばせていただいている。

今回は初対面の方同士に意外なつながりがあったことが判明するなど、インティミットで佳い時間を持つことができた。

仕事も活動も異なる人たちが集って、お互いを尊重しながら意見交換をするのは素晴らしいことであり、今後もこの種の「自前企画」は、時期を見ながら続けていきたいと考えている。

さて、すでに読者の方々にはご存知の通り、私はときどき首都圏や関西へ出掛けて行く。浜松に居るだけでは生活が単調になるため、刺激を求めて業界内外の若い方々と交歓したい気持ちがあるからだ。

この冬にも、12月10日(火)、東京まで泊り掛けで「出張」してきた。

20191210shinjuku

画像のお二人は、用心棒稼業の怪しい方々ではない。左の方はアームレスリング、右の方は空手を身に着けておられるので、まぁ格闘家と言えないことはないが、「趣味・特技」ぐらいかな?(^^;

以前のエントリー、「人と会い、人と語り」の(2)に登場された練馬(ご出身は石垣島)の「ミッキーさん」=奥平幹也さん(左)と、(6)に登場された沖縄の「カルロスさん」=玉城竜一さん(右)である。

ちょうどカルロスさんが認知症指導者研修のため在京されていたので、それなら双方にとって旧知のミッキーさんと席をご一緒しましょうか! とお誘いして、お二人にご快諾いただいた。「暗い酒場の片隅(?)」状態だが、ミッキーさんがご存知のリーズナブルな店で会食。

カルロスさんが参加されている研修成果を今後どう活用するか、ミッキーさんが取り組まれている人材育成の課題と展望はどんな状況か、首里城再建や沖縄の現況をどう見るか、などがおもな話題になった。

二時間程度の間に、それぞれのお立場からの、たいへん有益な情報をいただき、意見交換することができた。特に私が再確認できたことは、「優れた人は、相手や対象になる人や組織の側がどうしてほしいかを、常に考えて行動する」点である。自営業の私は、気が付かないうちに、振舞う姿勢が自事業所本位に傾いているかも知れない。自分自身を振り返って心したい大切な部分だ。

漫然と仕事を続けている人たちと中身の薄い談話をするより、お金や時間を掛けても、普段なかなか会えない人たちと中身の濃い話を展開するほうが、あとに残る充実感ははるかに大きい。

さて、今回の東京行きは定休日(水曜日)をはさんで二泊したので、11日にも他のところへ足を延ばした。これについては、別の機会に稿を改めて書きたいと思っている。

2019年10月30日 (水)

英訳すると...

私の会社や事業所の名称「ジョアン(João)」は、ポルトガル語である。

しかし、私がポルトガル語を読み書きしたり話したりできるわけではない。もともと私の霊名=洗礼名が「ヨハネ」なので、これはその訳語である。四世紀前のキリシタン時代、来日した宣教師(特にイエズス会)はポルトガル人が多かったので、その宣教師たちから洗礼を受けて「ヨハネ」の霊名を与えられた信徒は、多くが「ジョアン」を名乗った。漢字の当て字では「如庵」となり(他にもあるが、この字がいちばん多い)、私のペンネームでもある。

それでは、私の会社・事業所の名前を英訳するとどうなるのか? 「Joan」は間違いである。カタカナの「ジョアン」をそのままローマ字にされたら困るのだ。固有名詞「ヨハネ」の意味なのだから、英語では「ジョン=John」である。「居宅介護支援事業所ジョアン」は、「Care-management office John」が正しい。

さらに、フランス語なら「ジャン=Jean」、ドイツ語なら「ヨーハン=Johann」、スペイン語なら「フアン=Juan」である。介護業界広しといえども、言語によって社名・事業所名の発音が違ってくるところは、ほとんど類例がないのではないだろうか。

この事業所名「John」を使って、実際に英語圏の団体宛に書簡を送ったことがある。全国の独立・中立型の居宅介護支援事業所が、弱小ながら団体を作っていた当時、米国で同様な団体があることを知り、今後の連携を打診する手紙を書いたのである。

草稿を浜松在住の米国人に見せてチェックしてもらったところ、いくつも手直しが入った。特にそのうち二か所は、私の原稿のままだと、異なる意味に解釈される恐れがあったので、指摘してもらったことでたいへん助かった。おかげで先方団体からも、こちらの団体宛に丁重な返信をもらうことができ、面目を施した形だ。もとの文章のおかしさに気が付かずにそのまま送付していたら、結構怪しい連中だと思われてしまった可能性があった。

さて、話は変わるが、2009年当時に日本の総理であったH氏が、「共和主義」に基づく「共和党」なる政党の結成を目指していると報じられている。

どうもH氏の言うところの「共和主義」は本来の意味から大きく逸脱しているように感じられるが、ここではそれについて評するものではない。注目したいのは、「共和党」を英訳するとどうなるのか? である。

「共和党」をフツーに英訳すると「Republican Party」となる。すなわち、共和主義(本来の意味の)=repubicanismを掲げる政党の意味になる。

republicanismの解釈は、国の政体によって異なる。現に共和制(大統領制など)を採っている国の場合には、共和国成立時に理想として掲げられた代議制を尊重する政治思想を指す場合が多い。したがって、傾向としては中道右派・保守派の人たちの政党が「共和党」を名乗るのが一般的だ。

しかし、君主制を採っている国の場合、republicanismと言えば通常、君主制を廃止して共和制へ移行することを目指す政治思想の意味になってしまうのである。

つまり、H氏が「共和党」の名称を堅持したまま政治勢力を結集した場合、諸外国からは、「この人たちは日本の天皇を廃止して、大統領制等へ移行する目標を持っているのだ」と受け取られる可能性が強い。党の中枢部の意思がどうあろうが、このまま英訳する限り、一般的には君主制廃止を掲げる政党だと理解される場面が多くなることが予想される。

H氏が本当は何を意図しているのか、現時点ではよくわからない面があるが、氏の「共和党」構想に賛同する人がいたら、将来「私は共和党の支持者です」と言った自分の言葉が何かの機会に英訳されたとき、「天皇制廃止」論者だと解釈される可能性があることを、あらかじめ頭に入れておいたほうが良いだろう。

2019年10月23日 (水)

勘違いしてはいけない

いま、国の審議会や委員会で協議されていることの一つに、居宅介護支援費に利用者負担を導入することの是非がある。

これまで、居宅介護支援の介護報酬は、10割すべてが保険財政から賄われ、介護支援専門員の仕事である「相談援助、連絡調整」そして成果物としての「ケアプラン」作成については、利用者の家計に負担を掛けることなく実施されてきた。

財務省は国の財政難を理由に、これまで発生していなかった居宅介護支援費の利用者負担(1割~3割)を徴収しようと図り、厚生労働省にその実現を迫っている。

実際に利用者負担が課された場合、その金額はいくらになるのか? あくまでも浜松の場合の計算であるが、七級地であるため、私のような加算を取らない一般の事業所であれば、要介護1・2の利用者が月額1,080円、要介護3~5の利用者が月額1,402円となる。これは一割負担の場合だ。二割負担であればこの二倍、要介護1・2の利用者が月額2,159円、要介護3~5の利用者が月額2,804円。さらに三割負担であればこの三倍、要介護1・2の利用者は月額3,238円、要介護3~5の利用者が月額4,206円となる。これに特定事業所の加算が加わった場合には、さらに月額309円から515円の増額になる。

自己負担導入への反対意見を聴いていると、(1)市民の立場からすれば、少ない年金で細々と食べている人たちにとっては、たとえ一割負担であったとしても、決して小さい金額ではないので、これは改悪にほかならないとの論が中心になる。

また、(2)介護支援専門員の立場から見ると、この利用者負担の導入は、業務量を増やすことになる。私自身、一人親方で介護支援専門員も経営者も事務員も用務員も兼ねているので、利用者・家族から自己負担分を徴収する作業は、すべて自分でやらなければならない。介護報酬が上がらない限り、持ち出しが増えるだけの事態になり、歓迎する話ではない。

また、(3)居宅介護支援事業所とは別に、併設の在宅介護サービスを利用してほしいサービス事業者(介護福祉施設、老健、サ高住など)が、無料で自己作成支援を行う部門を設け、囲い込みケアプランの作成を助長することも懸念される。このような動きは、市民団体等に所属して真に自己作成を続けている利用者・家族への評価を貶め、自己作成の廃止に結び付く恐れもある。

また、(4)自己負担が導入されれば、専門性の劣るケアマネジャーが、利用者・家族の「料金を払っているんだ」との声に屈して、「御用聞き」「言いなり」レベルのケアプランを作成してしまう可能性がある。

他方、自己負担導入への賛成意見がある。業界の識者の中からは、(5)相談支援や連絡調整、その成果物としてのケアプランにもお金がかかることを、受益者側である利用者・家族に理解してもらうのが望ましいので、自己負担を導入すべきだとの見解がある。

また、財源論とは別に、(6)国民負担率の現状に鑑み、市民の自助・互助を推進する立場から、公助・共助による十割現物給付に依存するのではなく、介護事故が発生した当事者の市民に、しかるべき負担を求めるべきだとの考え方もある。「保険料を払っているが、保険を利用しなくても済んでいる」人たちの理解を得るように努めるべきだとの主張は、一つの見識であろう。

さて、私自身はいまの時点では、「国と関係団体等との何らかの取引材料にされない限り」との条件で、将来的な居宅介護支援の自己負担導入に対して、明確に賛成も反対もしていない。強いて言えば上記(2)の問題があるので、目先のことだけ見れば、自己負担が導入されないほうが楽ではあるが...(^^;

どうも、介護支援専門員たちによる本件に関する議論を見聞きしていると、賛成派も反対派も「どちらでもない」派も、一部の良識ある論者(私と交流のあるフェイスブック友達など)を除き、何か勘違いしている人が多いように感じるのだ。

そもそも、保険給付は利用者に対して給付されるものである。居宅介護支援事業者は、利用者から料金をもらい、その料金のうち定められた要件を満たした部分を保険が補填する。ただし、損保の交通事故補償同様、利用者の一時的な出費を避けるための「現物給付」のシステムがあるために、事実上は国保連から介護報酬として受領している。これはあくまでも保険のシステムの問題であり、形式上は前述の通りだ。

したがって、自己負担があろうがなかろうが、私の場合であれば、要介護1~2の「利用者さんから」毎月10,791円、要介護3~5の「利用者さんから」毎月14,018円の対価をいただいているはずなのだ。その重みを常に意識しながら仕事しなければならないのだ。

つまり、ケアプランの目標期間(半年とか一年とか)を平均して、月ごとに測った場合、月平均で上記の対価に見合わない仕事しかしていないのであれば、それは介護支援専門員として失格なのである。顧客からお金をもらって仕事をする以上、その顧客の最善を図るのが当然ではないか。

それが社会保険の常識なのだが、そこを勘違いしている介護支援専門員には、大切なものが見えてこない。「お客様、タダでケアプランを作成しますよ(←つまり、この理解自体が間違い)」から「お客様、これからはケアプランの料金を何千円負担していただきますよ」になるのか? そうなったら利用者や自分たち介護支援専門員にどんな影響があるのか? といった、現場のやり取りに問題が矮小化されてしまう。

自己負担してもらう金額がゼロ割だろうが一割だろうが二割だろうが三割だろうが、自分たちの持つ専門性にのっとって、利用者から「この報酬に値する」と評価してもらえる仕事をすることが、肝心なのである。

その覚悟や心掛けを持たない介護支援専門員(現場仕事をしていない管理職等の有資格者も含める)は、この事案について語る資格がない、とさえ思う。

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