ケアマネジメント

2019年10月30日 (水)

英訳すると...

私の会社や事業所の名称「ジョアン(João)」は、ポルトガル語である。

しかし、私がポルトガル語を読み書きしたり話したりできるわけではない。もともと私の霊名=洗礼名が「ヨハネ」なので、これはその訳語である。四世紀前のキリシタン時代、来日した宣教師(特にイエズス会)はポルトガル人が多かったので、その宣教師たちから洗礼を受けて「ヨハネ」の霊名を与えられた信徒は、多くが「ジョアン」を名乗った。漢字の当て字では「如庵」となり(他にもあるが、この字がいちばん多い)、私のペンネームでもある。

それでは、私の会社・事業所の名前を英訳するとどうなるのか? 「Joan」は間違いである。カタカナの「ジョアン」をそのままローマ字にされたら困るのだ。固有名詞「ヨハネ」の意味なのだから、英語では「ジョン=John」である。「居宅介護支援事業所ジョアン」は、「Care-management office John」が正しい。

さらに、フランス語なら「ジャン=Jean」、ドイツ語なら「ヨーハン=Johann」、スペイン語なら「フアン=Juan」である。介護業界広しといえども、言語によって社名・事業所名の発音が違ってくるところは、ほとんど類例がないのではないだろうか。

この事業所名「John」を使って、実際に英語圏の団体宛に書簡を送ったことがある。全国の独立・中立型の居宅介護支援事業所が、弱小ながら団体を作っていた当時、米国で同様な団体があることを知り、今後の連携を打診する手紙を書いたのである。

草稿を浜松在住の米国人に見せてチェックしてもらったところ、いくつも手直しが入った。特にそのうち二か所は、私の原稿のままだと、異なる意味に解釈される恐れがあったので、指摘してもらったことでたいへん助かった。おかげで先方団体からも、こちらの団体宛に丁重な返信をもらうことができ、面目を施した形だ。もとの文章のおかしさに気が付かずにそのまま送付していたら、結構怪しい連中だと思われてしまった可能性があった。

さて、話は変わるが、2009年当時に日本の総理であったH氏が、「共和主義」に基づく「共和党」なる政党の結成を目指していると報じられている。

どうもH氏の言うところの「共和主義」は本来の意味から大きく逸脱しているように感じられるが、ここではそれについて評するものではない。注目したいのは、「共和党」を英訳するとどうなるのか? である。

「共和党」をフツーに英訳すると「Republican Party」となる。すなわち、共和主義(本来の意味の)=repubicanismを掲げる政党の意味になる。

republicanismの解釈は、国の政体によって異なる。現に共和制(大統領制など)を採っている国の場合には、共和国成立時に理想として掲げられた代議制を尊重する政治思想を指す場合が多い。したがって、傾向としては中道右派・保守派の人たちの政党が「共和党」を名乗るのが一般的だ。

しかし、君主制を採っている国の場合、republicanismと言えば通常、君主制を廃止して共和制へ移行することを目指す政治思想の意味になってしまうのである。

つまり、H氏が「共和党」の名称を堅持したまま政治勢力を結集した場合、諸外国からは、「この人たちは日本の天皇を廃止して、大統領制等へ移行する目標を持っているのだ」と受け取られる可能性が強い。党の中枢部の意思がどうあろうが、このまま英訳する限り、一般的には君主制廃止を掲げる政党だと理解される場面が多くなることが予想される。

H氏が本当は何を意図しているのか、現時点ではよくわからない面があるが、氏の「共和党」構想に賛同する人がいたら、将来「私は共和党の支持者です」と言った自分の言葉が何かの機会に英訳されたとき、「天皇制廃止」論者だと解釈される可能性があることを、あらかじめ頭に入れておいたほうが良いだろう。

2019年10月23日 (水)

勘違いしてはいけない

いま、国の審議会や委員会で協議されていることの一つに、居宅介護支援費に利用者負担を導入することの是非がある。

これまで、居宅介護支援の介護報酬は、10割すべてが保険財政から賄われ、介護支援専門員の仕事である「相談援助、連絡調整」そして成果物としての「ケアプラン」作成については、利用者の家計に負担を掛けることなく実施されてきた。

財務省は国の財政難を理由に、これまで発生していなかった居宅介護支援費の利用者負担(1割~3割)を徴収しようと図り、厚生労働省にその実現を迫っている。

実際に利用者負担が課された場合、その金額はいくらになるのか? あくまでも浜松の場合の計算であるが、七級地であるため、私のような加算を取らない一般の事業所であれば、要介護1・2の利用者が月額1,080円、要介護3~5の利用者が月額1,402円となる。これは一割負担の場合だ。二割負担であればこの二倍、要介護1・2の利用者が月額2,159円、要介護3~5の利用者が月額2,804円。さらに三割負担であればこの三倍、要介護1・2の利用者は月額3,238円、要介護3~5の利用者が月額4,206円となる。これに特定事業所の加算が加わった場合には、さらに月額309円から515円の増額になる。

自己負担導入への反対意見を聴いていると、(1)市民の立場からすれば、少ない年金で細々と食べている人たちにとっては、たとえ一割負担であったとしても、決して小さい金額ではないので、これは改悪にほかならないとの論が中心になる。

また、(2)介護支援専門員の立場から見ると、この利用者負担の導入は、業務量を増やすことになる。私自身、一人親方で介護支援専門員も経営者も事務員も用務員も兼ねているので、利用者・家族から自己負担分を徴収する作業は、すべて自分でやらなければならない。介護報酬が上がらない限り、持ち出しが増えるだけの事態になり、歓迎する話ではない。

また、(3)居宅介護支援事業所とは別に、併設の在宅介護サービスを利用してほしいサービス事業者(介護福祉施設、老健、サ高住など)が、無料で自己作成支援を行う部門を設け、囲い込みケアプランの作成を助長することも懸念される。このような動きは、市民団体等に所属して真に自己作成を続けている利用者・家族への評価を貶め、自己作成の廃止に結び付く恐れもある。

また、(4)自己負担が導入されれば、専門性の劣るケアマネジャーが、利用者・家族の「料金を払っているんだ」との声に屈して、「御用聞き」「言いなり」レベルのケアプランを作成してしまう可能性がある。

他方、自己負担導入への賛成意見がある。業界の識者の中からは、(5)相談支援や連絡調整、その成果物としてのケアプランにもお金がかかることを、受益者側である利用者・家族に理解してもらうのが望ましいので、自己負担を導入すべきだとの見解がある。

また、財源論とは別に、(6)国民負担率の現状に鑑み、市民の自助・互助を推進する立場から、公助・共助による十割現物給付に依存するのではなく、介護事故が発生した当事者の市民に、しかるべき負担を求めるべきだとの考え方もある。「保険料を払っているが、保険を利用しなくても済んでいる」人たちの理解を得るように努めるべきだとの主張は、一つの見識であろう。

さて、私自身はいまの時点では、「国と関係団体等との何らかの取引材料にされない限り」との条件で、将来的な居宅介護支援の自己負担導入に対して、明確に賛成も反対もしていない。強いて言えば上記(2)の問題があるので、目先のことだけ見れば、自己負担が導入されないほうが楽ではあるが...(^^;

どうも、介護支援専門員たちによる本件に関する議論を見聞きしていると、賛成派も反対派も「どちらでもない」派も、一部の良識ある論者(私と交流のあるフェイスブック友達など)を除き、何か勘違いしている人が多いように感じるのだ。

そもそも、保険給付は利用者に対して給付されるものである。居宅介護支援事業者は、利用者から料金をもらい、その料金のうち定められた要件を満たした部分を保険が補填する。ただし、損保の交通事故補償同様、利用者の一時的な出費を避けるための「現物給付」のシステムがあるために、事実上は国保連から介護報酬として受領している。これはあくまでも保険のシステムの問題であり、形式上は前述の通りだ。

したがって、自己負担があろうがなかろうが、私の場合であれば、要介護1~2の「利用者さんから」毎月10,791円、要介護3~5の「利用者さんから」毎月14,018円の対価をいただいているはずなのだ。その重みを常に意識しながら仕事しなければならないのだ。

つまり、ケアプランの目標期間(半年とか一年とか)を平均して、月ごとに測った場合、月平均で上記の対価に見合わない仕事しかしていないのであれば、それは介護支援専門員として失格なのである。顧客からお金をもらって仕事をする以上、その顧客の最善を図るのが当然ではないか。

それが社会保険の常識なのだが、そこを勘違いしている介護支援専門員には、大切なものが見えてこない。「お客様、タダでケアプランを作成しますよ(←つまり、この理解自体が間違い)」から「お客様、これからはケアプランの料金を何千円負担していただきますよ」になるのか? そうなったら利用者や自分たち介護支援専門員にどんな影響があるのか? といった、現場のやり取りに問題が矮小化されてしまう。

自己負担してもらう金額がゼロ割だろうが一割だろうが二割だろうが三割だろうが、自分たちの持つ専門性にのっとって、利用者から「この報酬に値する」と評価してもらえる仕事をすることが、肝心なのである。

その覚悟や心掛けを持たない介護支援専門員(現場仕事をしていない管理職等の有資格者も含める)は、この事案について語る資格がない、とさえ思う。

2019年9月10日 (火)

人と会い、人と語り...(7)

先週はエントリーを一回お休みしたが、実は4日(水)に東京まで日帰りで往復してきた。

護保険の2024年報酬改定(2021年の誤りではない。その三年後の診療報酬とのダブル改定のことだ)に向けて、私たちが利用者本位の仕事を続けていくために何をすれば良いのか? 浜松に居すくんでいても実のある情報は入ってこない。まずは、しかるべき人たちに会って話を聞こうと思い、以前から注目していながら対面する機会がなかったお二人の方にアポを取って、語り合う時間を作っていただいた。

お一人は、鐵(てつ)宏之さん。私より21歳ぐらいお若い。埼玉県新座市で独立型居宅介護支援を開業、一人親方として仕事を始められて一年半になる。今回は池袋までお出向きいただいて、昼食を共にしながら語り合うことができた。

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自ら「変態ケアマネジャー」と称されているが、他県にもしばしば出向いて活躍されている実力派ケアマネジャーのお一人。居宅介護支援の本業以外に、法定研修の講師、県内外の業界・職能研修の講師(「生活支援記録法」が中心)などご多忙である。

この辺りまでは、十年前ぐらいの私とよく似ている営業形態なのだが、鐵さんはこれらに加えて「産業ケアマネジャー」として企業の介護離職対策への参画を始めておられる。私自身はケアマネジャーの一つの可能性として示していたものの、母の介護などの制約もあって踏み切れなかった。鐵さんが先駆けてモデルケースになっていくことを願いたい。今後、実力派のケアマネジャーの方々には、ぜひ携わってほしい分野である。

これからの時代、AIをケアプランに導入していく趨勢にあること、他方、それによって「サービスありき」になってしまってはならないことについても、私とおおむね同意見であった。鐵さんは同じく変態仲間であるアローチャート研究会・石田英一郎さん(府中市)らの勉強会にも参加されており、利用者さんそれぞれの正直な思いを汲み取るためにも、一人ひとりに寄り添って生活課題を抽出していく、ケアマネジャーの思考過程の重要性を強く意識されている。介護支援専門員の国家資格化についても、実践が伴わなければ意味が薄いとのお考えだ。

いま政策サイドで議論されているケアプランの自己負担導入については、利用者負担を回避したい人たちを狙い撃ちにした、大手組織等のヒモ付き「自己作成代行事業者」が暗躍する可能性を予測されている。利用者(市民)本位の視点から、望ましい選択を妨げる「囲い込み」的な利益誘導を憂慮されているのだ。

初対面なのにもかかわらず、職能団体等に関する見方も率直に露出して語ってくださった。総じて、鐵さんの姿勢には賛同できる部分が多い。「同志」と言って差し支えないだろう。

昼食を済ませて鐵さんと別れ、新宿経由で西荻窪駅まで向かう。もうお一人の方と会うのが目的だ。

その人は、佐藤弘幸さん。私より18歳ぐらいお若い方である。東京都杉並区で5年前から通所介護「空の花」を経営されている。

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訪問美容サービスのFC事務局を担うようになった後、ミライ塾・奥平幹也さん(練馬区)と知り合ったことから介護の世界に踏み込む契機を得られたとのこと。その後、杉並区高井戸で通所介護を開設、いまは区内の宮前に移り、サービスを継続されている。

私が宮前にお邪魔したのは15:20頃で、ティータイムのあとのレクの時間だったが、ティータイムが終わっていない(食事介助が必要な)利用者さんもおられ、スタッフの方が急がずその方のペースに合わせて介助されていた。レクではリーダーの方の言葉遣いが丁寧であり(原則として敬語で、ときにはあえて親しみのこもった言葉を使うことはあったが)、参加されている利用者さんがご自分の体験談など、あまり良くなかった思い出も含め、しっかりとご自身を表出されていた。15分ぐらい見学させていただいた後、佐藤さんご本人が登場。

通所介護運営の傍ら、「ポテンシャル介護プロジェクト」として家庭介護支援にも携わっておられる佐藤さんは、ご自分が運営される事業に関わる人々の「心を満たす」ことを理念として、利用者さん、その家族、事業所で働く職員(および家族)、ケアマネジャーと、優先順位を付けずに、皆を人として大切にしたいと希望されている。

そのために、「空の花・宮前」では利用者さんの真の生活課題を把握し、一人ひとりの利用者さんとともに、段階的に「自立」後の目標までを設定し、それを実現させるべくスタッフが支えている。巷に少なくない「老稚園」や「リハビリのためのリハビリ」とは全く異なる姿だ。職員に対する「やりがい搾取」もない。その方式によって毎月のように劇的な改善を見せる方が出ているので、このように事業所とケアマネジャーとが互いに理解し合い、利用者各々の自立支援へ向けて協働する望ましい姿が、全国に広がってほしいと願っている、と佐藤さんは語っておられた。

ともに運営に参画されている「音楽の花束」後藤京子さん(イベントプロデューサー・ピアニスト)をはじめ、良き仲間に恵まれているのは、佐藤さんたちの事業の展望を明るいものにしている。将来を見越して、現状にとどまらない新しい事業展開の方針についても、常にアイディアを出し合っておられるとのこと。その一部分を話してくださったが、未公開だとのことなのでここでは触れない。

このような好循環によって、能力ややる気のあるスタッフが集まり、真のリハビリを受けたい利用者さんが集まるのであれば、これに過ぎることはない。佐藤さんの熱い思いと理念が空回りせず、実践に裏付けられていることに、共感と敬意とを抱いた。

私が感じた鐵さん・佐藤さんのお二人の共通点は、「人」の尊厳を何よりも大切にされていること、良き業界仲間たちと実り多い結び付きを築いておられること、何年も先を読んで時代を生き抜く覚悟をお持ちであること、そして、自分や自組織が社会のための「公器」であると認識されていて、道から逸れないこと、...などなど。

若い方々から学ぶべき点は大きい。漫然と年功や地位を重ね、時代に流されるだけで大事なものが見えていない業界の古者たちに、鐵さんや佐藤さんの爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ。

私の唯一の取り柄は、このお二人のような地理的にも年齢的にも離れている方々と、(相手の迷惑を省みず(^^;)気軽に会いに行って、ざっくばらんに語り合えることかも知れない。

2019年8月28日 (水)

自分自身と向き合うこと

8月は税務署に決算を提出する作業が多忙だったため(税理士を依頼するほどの余裕はない)、仕事が遅れがちになった。それでも顧客=利用者さんに対して、必要最低限の責任は果たしているつもりである。

国が定めた運営基準も基本的には守っているつもりだ(ケアレスミスが発見されることが無いとは言えないが)。特に昨年4月から新たに居宅介護支援の運営基準に加えられた(守らないと減算)、利用者がサービス事業所を選択することに関する規定、「複数箇所から選べる権利」「位置付けた理由をケアマネジャーに説明させる権利」の二つは、契約書にもしっかりうたってある。

もっとも、この二点は私が居宅介護支援を開業したときから、当たり前のように利用者さんや介護者さんに話してきたことである。なので、昨冬以降受任した5名の利用者さん(およびその介護者さん)に対しては、契約書をお渡しして「確認しておいてくださいね」としか言っていない。何しろその5名の方々は、「家族で3人目」「一族で5人目」「家族で2人目」「しばらく休止後に再開」「何年か休止後に再開」なのだから、くどくどと説明するほうが失礼に当たる。二番目と五番目の方のキーパーソンなどは、上記の両者についての説明責任を私がしっかり果たしているからとの理由で、わざわざ選んでくださったほどだから。

さて、そんな中の17日、開業18周年を迎えた。一人親方のケアマネジャーとしては、ほとんど前人未踏かと思う。

いまの私の仕事は、居宅介護支援(現在、利用者さんは21名)、予防支援(現在、受託している方は4名)、要介護認定調査(現在、受託件数は月10名)である。母を介護していた時期に法定研修の講師から引退し、任意研修の講師としてもほとんど呼ばれることがなくなったが、それでも、これだけの仕事をこなすのにはかなりの労力を要する。

他方、何年か前に宣言した通り、私の今後のスタンスは、若い人たちをバックアップしていくことだと考えている。それは研修などで教えることではなく、業界のさまざまな分野で今後輝いてほしい人たちのために、活躍の場を用意してあげることを意味している。しかし、そのための企画や交流の場を継続的に持ちたいと思いながら、なかなか実現していない。いささか目の前の仕事に追われて、大切なことが先送りになっている感がないわけでもない。

ただ、自分自身、業界でメジャーな人間でも何でもないのだから、できることにはおのずから限界があることは確かだ。

加えて、これまで何度か述べてきた通り、静岡県の介護業界は外へ向けて開かれていない感が否めない。関東とも関西とも距離がある中で、果たして何ができるのか?

無理な背伸びは禁物。それは自分が主役になりたい場合でも、若い人たちを主役にして「名脇役」になりたい場合でも、変わることはない。自分自身と向き合って、この業界で34年間、一人親方のケアマネジャーとして働いてきた者の立場で、これから何ができるのか。加齢とともに健康管理もこれまで以上に重要になってくる。

年に4回ほどしか購入しない、それなりの水準のワインを楽しみながら、まずは一歩一歩足元を踏みしめて進んでいこうと、改めて実感した。

以下の画像は、今回の「開業節(?)」のワインである。順番に、アダージョ‐デゼッサール、エントレスエーロ、ロッソ‐ディ‐モンタルチーノ、シニャルグ。

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19年目には、身の丈に合った役割を着実にこなしていくことを目指します(^^*

2019年6月26日 (水)

冷静に読み解くべき報告書

最近、以下の二つの報告書が話題になっている。

(1)金融庁が公表した金融審議会「市場ワーキング・グループ報告書 高齢社会における資産形成・管理」

(2)財務省が公表した財政制度等審議会「令和時代の財政の在り方に関する建議」

この両者に関して報道された内容が、人々を騒がせているのだ。

特に(1)は、「夫65歳、妻60歳の夫婦世帯では、30年間に公的年金以外の資産が2000万円必要」との試算だけがクローズアップされ、それを野党が意図的に政治問題化させ、与党は不器用な火消しに追われるといった、ドタバタ政治劇の混乱を招いている。

また、(2)の中にあった年金関係の数字が抹消されたことも、一部の市民から問題視されている。加えて、私たちの介護業界では、(2)のうちケアマネジャーなどの介護業界に関する内容が、安かろう悪かろうを推進し、良質な事業者をツブしかねない愚策だと非難されている。

そこで、〔自分の専門外の分野については十分に理解できていないことは承知の上で〕両者の全体に目を通してみた。

まず(1)であるが、読んでみたところ、報道されている話とは全く異質の印象を受けた。

これは、「余裕のある中高年世代に対する資産運用の勧奨」と、それに対する「金融機関向けの手引書」なのだ。だから、まだ導入部に過ぎない「人口動態等」の箇所で、勇み足よろしく米国の「プルーデント‐インベスタールール」を紹介している(P.8)。「この段階で早々とこんなコラム出すなよ!」と失笑してしまった。

つまり、「年金」の話題は、「資産運用」と「金融機関用手引」を引き出すための糸口に過ぎないのであり、そもそも主題ではない。もちろん、年金に関する試算にはそれだけの根拠があるのだろうが、そもそも一定以上の富裕層が志向する生活水準を前提にしたものであるから、私たち庶民には縁の薄い話(笑)なのだ。

したがって、この数字をネタにして一部野党が攻撃したのは事実「煽り」と言って差し支えないし、与党が報告書を「受け取らなかった」のも拙策だ。いや、受け取らないなら受け取らないでよかった。「ワーキンググループの段階の報告書なので、受理しなかった」と躱せば良かったのだ。受け取らないのにその内容についてあれこれ応酬しているから、かえって話がややこしくなってしまった。

続いて、(2)である。こちらは国政に占める比重は(1)よりもズンと重い。審議会による「建議」の形を採っているが、これが財務省の「意思」だと考えて良い。

まず、財政再建に向けて、オランダの財務大臣室に掲げてあったギリシア神話の絵まで紹介して、危機を警告している(P.9、資料Ⅰ-6-1)。オランダの場合、欧州債務危機の波及を受けての経済回復が緩やかであること、EUとの協調と移民対策との兼ね合いが長期にわたる重要課題であること、中小政党の政策の摺り合わせで連立政権が成立していること、などなど、日本とは国情の違いが大きいので、わざわざ引き合いに出すのはどうかと思うが、ま、それはひとまず措いておこう。

次に、社会保障に関する部分。私が着目したのは、薬局業務のうち、薬剤師の業務を対物業務から対人業務へシフトさせていくとした点である(P.19)。おそらくこの先には、AIの活用による薬剤師業務の省力化、ICT化も見越した見解であろう。ケアマネジメントにおいてもAIの活用が期待されているが、専門性を有する人間でなければできない部分をどう評価していくのか? それを調剤業務の報酬にどう反映させていくのか? 隣接する私たちの業界から見ても興味深い。

そして、上に述べた、介護業界の心ある論者たちから、愚策だとボロクソに叩かれている点。介護サービス価格の透明性向上・競争推進のために(P.23)、ケアマネジャーが複数の事業所のサービス内容と利用者負担額、つまり支払うお金を比較して紹介することで、より良いサービスがより安価に提供される仕組みのために働くべきとされている(資料Ⅱ-1-44)。これはまさしく現場を理解しない暴論であり、いまの時点で他業種に比較しても、職員に満足な給与さえ払えない介護報酬≒公定価格なのである。ここからさらに割り引きすることを期待するのは無理難題でしかない。ましてやケアマネジャーは必要な利用者に対して必要なサービス(たとえ利用者負担が多くなっても)を調整するのが役割であり、価格引き下げの片棒を担ぐものでは全くない。失礼千万である。この点に関しては、愚策だとの見解に全く同感である。業界から有能な人材が去っていく結果しか招かないことは、火を見るより明らかだ。

それから、年金に関連する部分。上記(1)の報告書をめぐる騒動を受け、マクロ経済スライドに関する部分の書き換えが行われたのは事実である(P.26)。しかし、他方で政府が推し進めてきた在職老齢年金制度の廃止(によって、働いて多くの収入があっても年金額を減らされないことになる高齢者の就労意欲を促進するのが目的)については、将来の年金受給者の給付水準の低下にも言及し、高所得者に対するクローバックの可能性にまで踏み込んで提議しており(P.29)、決して現実を軽視したものではない。この課題については、短絡的に反応するのではなく、国民皆が真剣に考えなければならないのではないだろうか。

あまり多岐にわたるので、私自身が該博な知識を持たない部分も多いが、他にも二点ほど気になった部分がある。

一つは、文教・科学技術の項目に関して、大学における研究環境の閉鎖性、硬直性が指摘され、日本の研究人材の国際流動性や国際共著論文数が主要先進諸国の中で劣っていることへの指摘である(P.46)。私たちの業界では、(専門職能団体が中心になってまとめているので)学術研究とはいささか趣を異にするのかも知れないが、先年、国のシンクタンクが事業として『適切なケアマネジメント手法の策定に向けた調査研究事業報告書(2018)』を編纂している。ここで言及されたケアマネジメントの「標準化」なる代物を謹んで拝見し(笑)、国際的なケアマネジメントの潮流であるナラティヴ‐ベイズド‐アプローチが著しく軽視された(としか言いようがない)作品を目の当たりにした私にとっては、実にうなづける指摘だなあと納得してしまった。
他の学問分野についてはよくわからないが、同様な傾向が顕著であるとしたら、日本人研究者のドメスティックな欠点を露呈しているものであり、英語力の不足などのさまざまな要因があろう。今後、業界を超えて克服していかなければならない。

もう一つは、社会資本整備の項目に関して、PPP/PFIの民活導入について論じ、そこでコンセッション方式の事例拡大を推進すべきとする方向性である(P.56)。コンセッション方式導入を勧奨する以上、従来型PFIであるとか、DBO方式であるとか、他の手法と比較した長所・短所について、当該社会資本の受益者が十分に理解した上で採否を決定していくのが筋であろう。私の見落としでなければ、今回の建議ではこの比較が明瞭に示されていない(資料Ⅱ-4-19)。規制緩和と連動した行政責任の縮小だけでは、市民生活に混乱を招く恐れが大きい。経営主体が外資系企業であればなおさらのことである。財政再建を錦の御旗にする財務省は推進に意欲満々なのかも知れないが、悔いを千載に残すことになってほしくないものだ。

以上、ざっと読んだ限りの感想である。賛成論も異論・反論も大いに歓迎する。ただし、必ず全体に目を通してからお願いしたい。

2019年4月30日 (火)

ケアマネジャーは「恩知らず」「義理知らず」になれ!

私が一切の介護事業所や医療機関と併設・提携しない、一人親方のケアマネジャーとして開業してから17年半。もとは「囲い込み反対」の動機から、この営業形態を採ったのだが、ときどき次のような誤解を受けることがある(過去、複数の関係者から直接・間接に寄せられた)。

それは、「いくら独立型だと言っても、親しい事業所、近い関係にある事業所は存在するだろうから、それらの事業所に利用者さんを紹介する率は高いんでしょ? だったら偏っていることに変わりはないのでは?」との疑問だ。

まず、人が主観を持っている以上、たとえば剛体のような、絶対的な公正中立は存在しない。いくら努力しても、なにがしかの偏りが発生することは免れない。利用者のニーズに対して数ある選択肢の中から、最適ではないところを選択することが、ときどき起こり得るのは現実だ。そうこうしているうちに気が付いてみれば、決して意図的ではないにせよ、結果として特定の事業所に紹介率が偏ってしまう可能性は存在する。

しかし、その偏りが、昵懇な事業所、あるいは利害関係が共通する事業所に対する偏りなのかどうかは、また別の問題である。

そもそも、私の場合は、親しい事業所や近い関係にある事業所を優先して利用者さんに紹介することは決してない。むしろ、私は結構「恩知らず」「義理知らず」の部類に入る人間なのだ。

たとえば、

・訪問介護を利用したくて介護者が訪問介護事業所に連絡を取ったので、その事業所は私に居宅介護支援を依頼してきたのだが、その紹介元に対し、「お宅ではこの方のご要望に対応するのが難しいと思いますので...」と言って断り、別の事業所を位置付けた。

・通院先医療機関から利用者さんの紹介。介護者からはそこの訪問リハビリを利用したい話があったので、まずは主治医の指示であるから訪問リハビリを開始。しかし、何か月もしないうちに、利用者さんの状態がかなり変化したので、ご本人や介護者に助言して、医療機関ごと利用を終了。他の医療機関と、また別法人の訪問看護とに切り替えてしまった。

・住宅改修を希望する介護者さんが、過去お付き合いのあった工務店や建築設計事務所の名前を二、三羅列。ところが、その中に私の親戚筋が経営する事業所が含まれていたので、速攻で介護者さんに対して「ダメ出し」! その理由は、およそバリアフリーからはほど遠い(他の面ではとても優良なのだが...)仕事をする人であることがわかっていたから。

これが私のスタイルである。当の利用者さんの紹介元や、身内でさえ(言葉は悪いが)「蹴飛ばす」ことをしているのだ。同様なやり方で、利用者さんのニーズに合わない事業者さんを断ったり変更したり、数え切れないほど事例を重ねてきた。

おそらく、多くのケアマネジャーが躊躇する行動だとは思う。しかし、だからと言って、必要なことを理解していながら断行しないのであれば、それはケアマネジャーの職業倫理に鑑みて、大きな問題である。

もとより、相手方が良識をわきまえた事業者であるのなら、礼を尽くして断れば、趣旨を理解してくれるものである。一方的にサービス提供を断って相手の担当者を立腹させることがないように、事情を説明して了解を求める努力は必要だ。それもまたケアマネジャーの専門性であるはず。ミスマッチを回避するためのアクションであれば、長期的には相手方の利益にもなろう。ならば、お互いにとって「win-win」にほかならないのではないか。

その証拠に、私が「蹴飛ばした(笑)」いくつかの事業所は、その後も私に利用者さんを紹介してくれている。ありがたいことだ。

もちろん、このあたりは地域性や事業所のスタンス、経営者の考え方など、いくつかの問題も関係するだろう。一回のアクションがお互いの関係を悪くしてしまい、修復が困難になる可能性もある。しかし、それを恐れていては、ケアマネジャーがすべき仕事は成り立たない。

独立開業でなく、併設型であっても同様だ。自法人や自事業所と親しい事業所、近い関係にある事業所に対しても、偏らない姿勢が求められる。上司や先輩からの圧力があっても、跳ね返すだけの専門性を備えたいものだ。

ケアマネジャーのみなさん! 自分の信念で「恩知らず」「義理知らず」になろうではないか。

2019年2月26日 (火)

人と会い、人と語り...(6)

「これはすごい!!!」

...と、掛け値無しに表現できる企画を、このたび体感できた。

22日(金)にライブハウス・神戸チキンジョージで開催されたイベント「Babe 40th Anniversary-生きるために必要な10のこと」。

実はこれ、介護業界の一リーダーの個人的な「40歳の誕生祝い」だった。そこに全国から、業界の「顔」と言うべき人たちが集結した。

主役の「Babe」とは西宮市の幸地伸哉さん(クローバルウォーク社長)。拙著『これでいいのか?日本の介護』第12章にも登場し、関西では草の根で業界の「人の輪」を広げている立役者の一人。三年前の私の開業15周年にも駆け付けてくださったので、お開きの三本締めをお願いした方である。

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その幸地さんが40歳になる日にこの企画を組むと聞いたので、頼まれなくても押し掛けるつもりでいたところ、氏から、トークセッションをいくつか考えており、その一つ「伝える」の章に登壇してほしいとの依頼があったので、快諾して出掛けて行った。

まだ開幕一時間以上、16時ごろ会場に到着すると、すでに怪しい人たちが...

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本ブログに何度も登場したジョージさん@ライフデザインクリエイターふらっと(京丹後)と、会うのは二度目のジャスティスさん@介拓社(和歌山)。他にもライブに登場する人たちをはじめ、幸地さんの親しい仲間たちが準備に駆け回っていた。そのうち福岡勢、神奈川勢、和歌山勢などが続々と到着。「おひけえなすって!」と仁義のやりとりに追われる。

そして17時半に開幕。トークのテーマごとに、幸地さんのよくわからない?(笑)語りの動画披露。そしてセッションごとに4~5人が登壇して、それぞれの思いを語る。MCは久々成さん@プラスワン(大阪)、彼自身がトークに加わった際には、まるこさん@Kakeru(京都)が代役を。

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ライブが入っていよいよ佳境に。まずは「No Name」。づかさん@Lixis(東京)、Shanさん@アロ研(東京)、大平さん@ケアクラフトマン(鹿児島県長島町)、そして久々成さんのカルテット。介護業界では各方面を代表すると言って差し支えない、知名度の高い方たちだ。特にShanさんのドラムは圧巻。

さらに、トークをはさんで沖縄民謡。当日結成してリハ5分の速成コンビ。唄を披露したのは龍カルロスさん@比謝川の里(沖縄県中頭郡)、サンシンは関西でプロのアーティストとして活動されているKudekenさん。カルロスさんの美声も十分にゼニが取れるレベルだ。

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長年のブログが圧倒的な支持を誇るmasaさん@あかい花(登別)。幸地さん、フッキーさん@ソーシャルネット雅(和歌山)とのトリオで。masaさんの渋い声も年季が入っていて流石である。

後半に入って、トークは「伝える」のコーナーになり、私もmasaさんやカルロスさん、正木さん@な~る編集室(西宮)、大関さん@Dasuケア(犬山)たちと一緒に登壇。一応マジメに話していたつもりだが、せっかくの機会にコラボした仲間の画像をと思い、大関さんの隣でブレイク。ところがその場面をジャスティスさんがしっかり盗撮(笑)。

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締めは幸地さんがかつて結成していたバンド「Red Rock Ear Sicks」のリバイバル。これがまたシビれる演奏で、会場を興奮の渦に巻き込む。

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終演は22時過ぎ。実に6時間近くにわたる、メチャ楽しいイベントであった。

そのあとは介護業界を中心に、遠方から集まった仲間が十数人で二次会。みなさんは朝の3時まで飲んでいたようだが、私は翌日の仕事もあったので、1時ころには早々に失礼させてもらった。

あえてHNや通称で表現したが、登場した多くの方は業界で隠れもないビッグネームである。そんな連中が北海道から沖縄まで、謝金もないのに手弁当で集まるトンデモ企画。これを現実の形にした幸地さんの人間的魅力には脱帽だ。

また、当然だが、介護業界に限らず、幸地さんの親友や同級生など、異業種の方も少なからず参加していたので、私たちの見識が広がったことも一つの収穫であろう。

この機会に、私も多くの人たちとつながることができた。SNSでは知り合っていても会うのは初めての方が4人、全く初めて名刺交換した方が13人。特に、背中合わせの席も何かのご縁だと思ってあいさつした方が、川内さん@となりのかいご(伊勢原)。介護離職防止のコンサルタントで、激辛ラーメンの愛好家(笑)。知り合っておくと、何かの企画でコラボできるかもと、構想は広がるのだ。

一日に17人もの方と初対面をして、しかも、どなたに関しても、どこで何をされている方なのかが頭に残っていることは、私にとって全く珍しい。

とにかく、人生でも何年に一回あるかないかの、すばらしい体験であった。

幸地さん、40歳おめでとう!!! 心からお祝いしています☆ さらに輝かしい40代にしてください。

2019年2月 5日 (火)

「聞くは一時の恥」

拙著『口のきき方で介護を変える!(2013厚有出版)』の第6章第4節では、このタイトルの言葉を取り上げた。「わからなければ尋ねる」心構えを説いたものである。これは介護業界に限らず、どの業界にも当てはまる話だ。

このほど、偶然ではあるが、国史の分野で格好の事例を発見したので、参考までにご紹介しておこう。

なお、この事例は、専門領域を深く掘り下げると、それに対する自負からしばしば起こりがちなことを示したものなので、当該人物を貶めるものではけっしてないことを、お断りしておく。

M氏なる方がいる。すでにご高齢の方であり、私自身は残念ながらお会いしてご指導を受けたことがない。このM氏は、中世・近世の島津家・薩摩藩史に関する第一人者である。

そのM氏が『島津継豊と瑞仙院(1983)』なる論考を出している。薩摩藩主・島津継豊が長州藩主・毛利吉元の娘であった瑞仙院を妻に迎えてから、彼女が若くして死去するまでの経緯を記し、そこから島津家の婚姻政策について詳細に論じたものである。

さて、この論考の中で、たいへん気になる箇所がある。

M氏によると、「『追録(引用者注;『薩摩旧記雑録・追録』のこと)には、吉元の娘には『吉元令嬢』『御前様』『瑞仙院』という院号があるのみで、名前の記述がない」とあり、論考の中では、名前が省かれた背景事情として、継豊の再婚相手が徳川将軍家の養女・竹姫であったこと、島津家が特定の大名と婚姻を重ねるのを避けたことなどを挙げ、瑞仙院との婚姻が比較的軽く小規模な形に扱われてしまった。そのため、この時点では後世の薩長同盟につながる動きは見られない、と結んでいる。

この結論自体には何ら異存はない。M氏の見解に全面的に同意する。

では、何が問題なのか?

M氏は島津家側の記録だけを閲覧した結果、瑞仙院の名がわからないので記載していない。

しかし、この人の名ははっきりしている。「皆姫」である。おそらく「ともひめ」、ひょっとしたら「みなひめ」か、あるいは他の読み方かも知れないが、いずれにせよ、長州毛利家側の記録では、この女性の名は明々白々である。

つまり、M氏は島津家側の記録しか調べておらず、かつ〔自分の専門外である〕毛利家側の資料には当たっていないことが明らかなのだ。

いま、Wikipediaなどのネット事典を検索して、「皆姫」の名が普通に出てくるところを見ると、これは該博な碩学の誰かが編集に参加したのであろうと思われるかも知れないが、そうではない。実は瑞仙院が「皆姫」であることを私が見た史料は、『近世防長諸家系図綜覧(1966マツノ書店)』であり、これは一般の歴史好きの人が普通に入手できた本(いまはおそらく絶版)なのだ。そのレベルの史料に瑞仙院の本名が載っているのである。したがって、M氏ほどの一流の研究者が調べられなかったことはあり得ない。

もし、M氏が「私は専門外だから」と、謙虚に知人の毛利家・長州藩研究者に尋ねて、瑞仙院の名を確認しておけば、このようなことにはならなかったであろう。その辺りの経過については、ご本人に聞いてみなければわからないことは確かだが、結果としては、論考の主人公の一人である「皆姫」の名が記載されないままになってしまった。きわめて不自然な隔靴掻痒の論考になってしまったことは否めない

このM氏ほどの方であっても、「聞くは一時の恥」とはいかなかったのだ。

井沢元彦氏によると、M氏に限らず歴史学者には、専門外の知見を、その分野の専門家に尋ねようとしない人が多いようだ。上述した通り、自分の専門分野に関する該博さへの自負が影響しているのであろう。

これは史学だけではなく、どの業界でも起こっている問題である。私たちの保健・医療・福祉・介護業界もまた同様なのだ。「聞くは一時の恥」との認識を欠いた専門職が少なからずいて、横断的な連携ができないままに課題が残されてしまうのは、日本人の通弊なのかも知れない。

2018年11月18日 (日)

機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない!

浜松やその周辺地域、静岡県西部の介護・福祉業界仲間には、歴史的な風土にも影響される、一つの特性が見られるようだ。

一言で言えば、多くの若手・中堅の業界人が「居座って動かない」のである。

誤解を招くかもしれないので補足するが、彼ら・彼女らは、自分が所属する職能団体や業界団体の研修会や大会など、いわばお定まりの枠の中の集まりであれば、普通に参加して他の都道府県の業界人たちと交流してくる。

しかし残念ながら、そこから先への広がりがない。

昨年のエントリーで、県西部のことを「大きな田舎」だと評したことがあった。いまでもその現実は変わっていない。なぜこの表現を使ったかと言うと、政令市の浜松が多様性のモデル地域であり、さまざまな種別の団体や活動が共存しているので、浜松近傍の業界人たちの多くは、他地域の人たちと意欲的に交流しなくても、自分たちで情報を充足できると錯覚してしまう状況になっているからだ。インターネットが普及してからは、なおさらその感がある。制度や政策の変転についても、坐したままで「そんなこと、私もわかっている」となってしまうのであろう。

これは見当違いも甚だしい。

クールな情報のパッケ-ジを受動的に受信して、「わかっている」と思っているだけであり、その変転にまつわる各々のコンテンツの生々しい諸相について、各地の現場での現実はどうなっているのか?といったホットな情報は、能動的に求めていかないと把握できないのだ。浜松近傍の業界人たちはそこに気が付いているのだろうか?

むろん、各人がそれぞれ、他地域の業界仲間に全く知り合いがいないわけではないのだから、そのような人たちと互いに意見交換する機会はあるだろう。だが、気心の知れた同窓生などであればともかく、研修会や大会で知己になっただけの人同士が、多くは本音を語ることもない。それは自分の側も同様なのではないか。このレベルの交流から得られる情報は、勢い、点を線で結ぶレベルのものばかりになってしまう。

それでは、点と線でなく、「面」や「体」をなしている、より重厚な情報を獲得するにはどうしたら良いのか?

そんな情報が黙っていても向こうから来てくれると思っていたら大間違いだ。

獲得するおもな方法は二つ。

一つは、自分が稀少価値のある情報や技術を持っていること。

私の場合は、一人親方のケアマネジャーとして、独立開業の形態を続けてきた実績がある。また、マイナーな分野ではあるが、介護業界における「産業日本語」の分野で著書も出している。誰もが欲しがる情報を持っているわけではないが、稀少価値の存在としての私と情報や知識を分かち合いたい人も、業界の一部には存在する。そのような方々が礼をもってアクセスしてくれば、私も答礼しながら、仲間としてお付き合いをしていく。やりとりが多くなれば、手持ちの開示しづらい事情や、先取りして実践されている状況などの情報も共有できるようになる。

もし、あなたが業界人であれば、自分はそのような情報や技術を持っているのか、自己評価してみると良い。いくら大きな法人や組織に所属していても、自分自身が情報や技術を持ち合わせていないのに、坐したままで他人の情報や技術をもらえるわけがない。

もう一つは、自分の側が相手のフィールドに出向くこと。

私が各地の業界仲間と気軽に行き来できるのは、長年の間にときどき、全国のさまざまな仲間がいる場所に臆面もなく顔を出して、いろいろな人と図々しく名刺交換してきたからである。どんなに収入が乏しくても、衣食住を削ってこれには投資を惜しまなかった。最初は独立型のケアマネジャーやそれに共感する人たちの集まる場が多かったが、次第に限定しないようになり、いまは業界を超えて、ラーメン道などでつながった異業種の方と会うこともしている。

働き盛りの業界人には、確かにそれぞれの事情もあろう。職場で自分が不在になると業務がうまく回転しない、家庭で育児などの役割分担に制約されて遠出できない、などなど。

しかし、各地で注目されている仲間と出会う「機会」が、あなたの事情に合わせていつまでも待ってくれることは絶対にない。これだけは確実だ。あなたが逃した機会は、すでに別の誰かが獲得して活用しているかも知れない。

特に東北、首都圏、関西、中国地方、九州などの業界では、一部の人たちが始めた先進的な試みに、共感する他地域の人たちが呼応してネットワークを形作っていくなど、さまざまな交歓の輪ができている。その一端に入ると入らないとでは、先々の情報量や先進性に大きな差が出ることもある。こちらから動かない限り、「大きな田舎」浜松へは東西いずれからも、この種のうねりが直接的に波及する可能性が少ないからだ。

こう考えると、自分自身の工夫で時間をこじ開け、費用をひねり出してでも、インフォーマルな業界仲間が集まる場へ出向いて、立体的な情報交換を心掛けるべきであろう。その意義は十分にあるし、しないことによる損失も大きい。自分自身が職場で(経営者、被用者の別なく)輝くためには、大切なステップなのだ。

「その気持ちはあるが、きっかけがつかめない」と言う人には、厳しいようだが、「自分で探せ!」と苦言を呈したい。私自身、いまでこそFacebookのお付き合いが主軸になっているが、まだSNSなど無かったころには、各種の掲示板で同志や話せる相手を探し回り、電話やメールでズケズケと連絡を取って、交流範囲を広げていったのだから。

いまはSNSがあるだけ恵まれた時代だと言えよう。Facebookが嫌いならば、他のSNSでも何でも良い。自分の間尺に合った交流手段はいくらでも転がっている。

居座って動かず、地域に閉じこもっているだけで、機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない。

浜松近傍の若手・中堅の業界人よ! 一歩踏み出す勇気を!

2018年10月17日 (水)

1分なら遅れても良い???

私が「プロフェッショナルの心構え」を本格的に学び始めたのは、開業する前年、39歳のときだ。

 

こう言うと、「なら、それまではアマチュアの感覚だったの?」と思われるかも知れないが、もちろん、それ以前も職業人としての自負はあった。しかし、勤務先では「プロの心構え」の類を体系的に教わる機会に乏しく、また残念なことに、上司や先輩の多くが、プロの資質に欠ける面を少なからず持っていたことも影響して、「こうでなければプロではない」条件をあまり意識することはなかった。

 

そのため、開業して何年かのうちに、利用者さんや介護者さんに叱られ、恥をかきながら、「プロの心構え」を曲がりなりにも身に着けることになった。私を叱責してくださった方々のおかげで、いまでは逆に、後進を指導する場で、私のほうが「プロの心構え」を説く機会をいただいている。

 

そして、大切な心構えの一つが、時間厳守の姿勢である。

 

ケアマネジャーの場合は、おもに月例の居宅訪問や、サービス担当者会議への出席(私は駐車場所も無い小さな事務所しか持っていないので、いつも利用者さんのお宅や他事業所に場所を借りている)の際に、定刻を守るように心掛けることである。

 

昨日訪問した利用者Aさんの介護者Bさんから、こんな話があった。

 

「Aも私も、自分で会社を経営してきました。〔二人の業種は異なるが、〕どちらも時間を守らないと信用を失う仕事だったため、いつも十分な余裕を持って行動していました。なので、あなたやあなたの紹介するサービス事業者さんには、決めた時間をしっかり守っていただきたい」

 

このAさん・Bさんとは二年近いお付き合いだが、利用当初のころからそう言われていた。約束しておきながら若干遅刻して、謝罪しなかった事業者に対しては、容赦なく苦情が浴びせられた。

 

私自身、過去、別の利用者さんの介護者さんから、苦情を言われたことがある。「自分は仕事を持っているから、定時で動いている。遅れる場合は必ず事前に連絡してほしい」。ちなみに、そのとき遅刻したのは、定刻からわずかに1分。

 

あとに仕事や所用を控えている人にとっては、1分でも遅れてこられると迷惑なのだ。私が来宅したときに要するおよその時間を測った上で、次の行動予定を入れる。当然ながら、後ろへずれてしまうと、あとの時間設定が厳しくなる。「1分ぐらいなら遅れても良い」などという論理は、相手次第では通用しないのである。

 

Aさん・Bさんのように、遅刻に対して不快感を示す利用者さん(または介護者さん)は、常に3~4名はおられるので、遅れる可能性がある場合には必ず事前にお断りして了解を得ることにしている。もちろん、それ以外の方も含めて、すべての利用者さんに対し、交通事情などのやむを得ない理由により1分でも遅刻した場合には、必ず「少々遅くなりまして申し訳ありませんでした」と陳謝している。例外として、定刻より早過ぎると困ると言われている場合に限っては、逆に意識して定刻ちょうど、または若干遅れて訪問することはあるが。

 

業種によっては、時間があまり厳密でなく、ゆるいところもあるだろう。しかし、それらの業種では、「○時□分ピッタリ」を守らなくても、お客≒受益者を待たせることがない業務内容である場合が多い。

 

裏を返せば、日時を定めて居宅訪問し、またはサービス担当者会議等に出席するケアマネジャーの多くが、「1分程度なら遅れても良い」と思っているのであれば、市民からも「利用者を待たせて負い目を感じない程度の職業」としか評価してもらえず、報酬や社会的地位が上がることは望めないであろう。

 

それは、『これでいいのか? 日本の介護』P.63~65に記述した、利用者さんにタメ口を利くケアマネジャーや、業務上の秘密を守らないケアマネジャーと同レベルだと言っても良い。

 

「お客さんを1分でも待たせるのは恥ずかしいことだ」と思うケアマネジャーが、増えてほしいものである。

 

 

 

 

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