社会問題

2021年1月15日 (金)

報酬引き上げを求める資格があるのか?

1月15日は亡き父の「生誕記念99周年(^^#」。現実の父は80歳で世を去ったので、そのあとは単に私にとってのアニバーサリーである。クリスマスから遠くないこともあり、改めて特別な料理などを用意して祝うことはないが、かつて1月15日が固定された「成人の日」だった(いまは移動祝日)こともあり、忘れずに思い出すよう努めている。

その父は、晩年に認知症を患いつつ、介護サービスには拒否的であった。母の介護疲れを見かねた私が頼み込んで、ようやく通所介護を利用するようになり、短期入所生活介護も何とか開始できる段取りを取った直後に他界した。自分からサービスの利用控えをしてしまい、必要最低限の利用にとどまった形だが、介護保険料で積んでいた分を、サービスがより必要な市内の他の利用者に回すことができたとも言える。いつも来客に気前よく飲食物などを分けてあげることだけが美点だった(笑)父には、ふさわしい終末だったかも知れない。

さて、介護給付費分科会では2021年3月の介護報酬改定の大枠が固まった。厚生労働省と財務省とが折衝した結果、個別のサービスはともかく、全体として0.7%の引き上げが見込まれている。1万円だったものが1万70円になるわけだから、「微増」と言うべきか。

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これに対して、学識経験者からも介護現場からも、さまざまな論評が発せられている。国の財政基盤を考慮すれば、コロナ禍の中で引き下げられなかっただけでも十分な成果であるとする意見。逆にコロナ禍のため各事業者が大きな負担増を強いられており、この程度の微増では現場を去る人が増え、人手不足に拍車がかかるとする意見。いずれの論者も根拠に基づいて述べておられるので、その得失について私はあえて評定しない。

ただし、居宅介護支援は延々と収支差率が赤字であるため、「介護報酬をもっと引き上げろ」との議論が絶えない。特に介護支援専門員(=ケアマネジャー。このエントリーでは制度上の介護支援専門員を意味しているので、その呼称を使う)が1~2人であり、利用者数も少ない(たとえば私の事業所のような)ところは、満足な給与を出せば利益が出ないのが現実である。これに対して、現場の介護支援専門員からは、さらなる報酬引き上げを求める声も多く、他方で学識経験者や経営コンサルからは「(特定事業所加算を取るなど)大規模化せよ」との論が優勢になっているが、これについては後日、別稿で論じることにする。

今回は、「もっと引き上げろ!」と言う介護支援専門員たちについて、...

「あなたたち全員に、その資格があるのか?」

...これが本題だ。

・利用者を強く説得して(併設の)自社サービスを(必要最低限でなく)多めに利用してもらうように誘導した。

・給付管理を発生されるために利用者に頼んで、必要性がほとんど無い福祉用具を一品だけレンタルしてもらったり、通所へ月一回だけ行ってもらったりした。

・交通事故などの第三者行為で要介護状態になった(他の疾患等との合わせ技でなった場合を除く)利用者のために、通常通りに要介護認定を申請して、サービスの利用開始の運びにした。

たとえ善意から出た行動であっても、こんな経験のある介護支援専門員がいたら、はっきり申し上げたい。

「それ、モラルハザードだよね?」

保険の不適正給付に加担した人には、保険の公定価格である介護報酬を引き上げろと主張する資格はない。

さらに...

...「モラルハザード」は「保険詐欺」の意味で使われることが多いが、本来は社会保険に限定されない広い意味を持つ。「当事者の一方が自分の側だけから把握できる情報を意図的に歪曲したり、加入者が給付母体の存在を頼みにして意図的な権利の濫用をしたりする行動によって、適正な経済的関係が崩れること」の総称がモラルハザードなのである。

したがって、生保の不適正受給に加担したり(必要な利用者にはもちろん受給を支援するのが当然。ここでは客観的に、隠し資産があったり、経済的に余裕がある親族が扶助不能を偽装したりする場合を指す)、市区町村の独自サービスを受給するために事実と乖離する報告をしたり(基礎自治体側が許容範囲を甘くしているのなら話は別だが)することも、モラルハザードに含まれる。

あくまでも合法的に、公共財のサービスを我田引水の形で利用する、いわばフリーライダー(ただ乗り)の行為(例:タクシー代わりに救急車を呼んだなど)であれば、私も利用者側の選択を容認したことはある。もちろん道義的にお勧めできない旨を説いた上で、それでも利用者や主介護者から申請する、活用すると言われたら、私が勝手に代位して押しとどめる権利はないのだから。

しかし、モラルハザードは明らかにフリーライダーの行為とは一線を画している。「本来受けられない給付を、故意に事実を歪曲するなどして受給する」行為だ。反社会的行為と何ら変わるものではない。

それに参画した介護支援専門員が、なぜ介護保険の公定価格である報酬引き上げを求めるのか? 泥棒が警察に盗むためのお金をくださいと言っているのと同じであることを、わかっていないのか? 「いや、普段はまっとうな市民で、ときどき出来心で泥棒をするだけなので...」と言い訳するならば、ふざけるな!と言い返したい。

介護保険財政を食いつぶしているのは、あなたやあなたの利用者たちだ。

こんな話をすると、「馬鹿正直だねぇ」と言われるかも知れないが、みんなが正直に仕事をしていないから、各地で不正請求が摘発されるのではないのか? 介護支援専門員の風上にも置けない奴が偉そうに専門職を名乗り、その一部は人前で滔々と講義まで垂れている。馬鹿正直に仕事しているわれわれの足を引っ張るんじゃないよ!

私は過去19年の間、多くの利用者さんたちから(死去、転地、施設入所等以外の事情で)解約されている。その解約理由の大半は、私が利用者さんやキーパーソン(≒主介護者)さんのモラルハザード、またはそれに近付く行為を制止しようとしたので、煙たがられてしまったためだ。これは私の経歴の中で、最も誇るべきことの一つだと思っている。

発足当初は「介護保険の弁護士」とまで称され、期待された介護支援専門員。プロフェッショナルの矜持を忘れないでほしいものである。

2021年1月 9日 (土)

教会で祈ること

クリスマスや新年。例年と様相を異にする社会情勢の中での年末年始となったが、みなさんはどのように過ごされただろうか?

私は普段通りに教会(カトリック浜松教会)へ行き、神に祈りを捧げた。12月25日(金)10時から「主の降誕/日中のミサ」、1月1日(金)10時から「神の母聖マリアの祝日」。どちらも前夜から複数回にわたってミサが開祭され、会衆(参列者)同士の距離を確保する人数制限も設けられ、マスク着用や名簿への連絡先記入が義務付けられていた。

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すでに新型コロナウイルスが蔓延して一年近く、当初は司祭と教会委員会の方々のご苦心により、ミサの形式を試行錯誤しながら実施されていたが、いまは毎日曜日(「主日のミサ」)を中心に、祭儀の一連の手順や方式が定着している。せっかく教会まで来ながら、ミサの時間帯によっては満席で聖堂に入れず、帰宅して家で祈るか、または次のミサを(たとえば9:30のミサに入れないと10:45のミサまで)待つ人も出てしまっているが、感染予防対策の観点からは、いたしかたないであろう。

私たちにとって大切なのは「心の糧」である。福音書に記述され、二千年余の間に受け継がれてきたイエスの「みことば」を司祭の口を通して聴くことにより、日々の暮らしへの活力をいただく。

もちろん、信仰は自分自身の真心から発するものであるから、家で一人、一家族だけで祈っても構わないのだが、カトリック教会の場合は、教団の結び付きを古来重んじてきた伝統がある。それはコロナ禍にあっても変わらない。現に70歳以上の信徒は、ミサへの参列義務は免除されているが、それでも熱心な高齢者は、進行を同じくする友たちの顔を見て、(物理的な距離を取りながらも)お互いの近況を語り合うことにより、精神面の栄養を得ている。

そのような状況も踏まえて、私自身は9月以降、毎月一回はミサに参列することにした。

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実際、神の母聖マリアの祝日=元日には、古くからの信徒が相当数参列していたので、私も久しぶりに会う何人かの方々と交歓することができた。いまのところ、浜松市内や県西部の教会(全部で5か所)でクラスターが発生したとの報もなく、まずは平穏な中での「分かち合い」ができている。

しかし、世の中の課題は新型コロナ対策だけではない。この日は世界中のカトリック信者が心を合わせて平和を祈る日でもある。そして、祈りは始まりに過ぎない。現実の社会では、戦争、暴力、飢餓、貧困、疫病(コロナ以外にもさまざまだ)のために、命を失う子どもたちの数が何と多いことか。私たちは日本国内のみならず、海外の次世代に対しても責任を負っている。一人ひとりの力は微小なものかも知れないが、たとえば食物ロスを減らす、フェアトレードに参画する、現地で活動する人たちに金銭面の支援をするなど、わずかでも良いので、自分にできることから始めていくことは大切だ。何もしなければ何も変わらない。人々が社会正義のため動き出してこそ、神の大いなる力を寄り頼むことができるのだから。

そのようなことを年末年始に思い巡らしていた。

教会へなかなか足を運ばない不信心な私ではあるが、今後も祈りとささやかな実践とを欠かさないようにしたい。

2020年11月 8日 (日)

片付け下手の断捨離(8)-個人情報が含まれているもの

60歳が近付いたころから、自宅に集積してあった不要なものを処分する作業を続けている。

その工程で相当量発見されたのが、個人情報や個別事業所の情報が含まれた書類だ。

指定居宅介護支援事業者としての範囲内で実践した業務については、保存期間が二年間と定められている。たとえば利用者Aさんが施設へ入所して居宅介護支援が終了した場合、その日から二年を過ぎたら所定の方法で破棄している。これは事業所の責任者として常にチェックしながら滞りなく実施しており、問題が生じているものではない。

しかし、私は「社会福祉士事務所」の看板も掲げており、これまで有償、無償でいくつかの活動に関与してきた。その過程で、自宅にかなりの分量の個人情報や個別事業所の情報が集まり、明確な処分方法が定められていないまま、積み置いてしまっていた。たとえばMAF=浜松外国人医療援助会の受診者情報(画像は当時の報告書-なお、こちらには個人情報は非掲載)や、静岡県社会福祉士会第三者評価事業の対象候補事業者名情報や、参加していた活動団体メンバーの住所や電話番号が記載されている書類である。

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本来ならば、明瞭な規定がなくても、専門職の倫理綱領に照らして、適切な時期までに処分しなければならなかったのであるが、私の怠慢のため放置してしまっていた。汗顔の至りであり、お恥ずかしい限りだ。

先日来、これらの書類をすべてシュレッダーにかけて破棄した。今後もまだ出てくるかも知れないが、もちろん、見付け次第同様に処理するつもりである。

処分過程で自分の歩みを振り返りながら、結構いろいろなことに携わってきたんだなぁ、と感慨深い。MAFでは保健師さん、薬剤師さん、理学療法士さんと組んで、外国人無料検診会の...「会場総合案内(!)」をしたこともあった。他に適切な配属部署がなかったので(笑)。それこそ介護のケアチームが一つ作れそうな専門職がそろった組み合わせだったが...(^^;

いちケアマネジャーとして単線で仕事に没頭してきた人生ではなく、さまざまな活動に参画できたことが、結果的に本職のケアマネジメントをより豊かなものにしてくれたのではないかと、勝手に評価している。

年齢こそ高くなったが、今後も何か自分の力を役立てることができる機会があれば、前向きに考えていきたい。

2020年10月11日 (日)

ネット民たちは何を標的にしたいのか?

もし、ネット上で、

「ある50代半ばの未婚男性が、80代後半の母親に洗濯も調理もしてもらっている」

との情報が、前段も後段もなく単独で流れたとしよう。

すると、かなりの割合の人が、ネガティヴな人物像、いわゆる「子供部屋おじさん」を想定してしまうだろう。

ところが、この文章に続いて、

「この男性は、地域の介護業界ではケアマネジャーの指導的立場にあり、研修講師なども務め、著書もある。自分の母親にはリハビリの視点から、できる限り家での役割を担うように仕向けている」

と、説明が続いたらどうだろうか?

おそらく、最初の単品の文章だけの場合とは、印象が大きく異なってくるに違いない。

実はこの男性、数年前の私自身のことである。私と二人暮らしだった母(2018年3月に他界)は、2017年初頭に「準寝たきり」になるまで、段階的に縮小しながらも、「主婦」の意識が強く、相当部分の家事をこなしていた。母のADL低下予防にもなり、私も助かっていたので、一石二鳥だった。

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とは言え、私は著名人のように仕事や家庭の状況が知られているわけではない。したがって、もし何かの機会に、冒頭に掲げた紹介文(?)だけが独り歩きして、そこにコメントを書き込む欄が設けられていたら、「50過ぎても母親に依存かよ!」「コイツ自立してねえよな!」「お母さんもこんな息子を持つと苦労するねぇ!」等々、揶揄・嘲笑を絡めたコメントが相次いだであろうと想像される。

去る9月29日、両親と弟(46)と同居する神戸市のアルバイトの54歳男性が、母親にしてもらっている洗濯をめぐって弟とケンカになり、見かねた母親が警察に通報、男性が傷害で逮捕される事件があった(神戸新聞の記事)。昨日現在、続報は伝えられていない。

さっそくこれを引用した記事紹介サイトやまとめサイトなどにコメントが殺到している。もちろん、暴力沙汰がいけないことは当然だが、それを批判するだけにとどまらないコメントが多数見られた。大半はこの男性が(および弟も)自立していないことに対する、揶揄・嘲笑を絡めた内容なのである。

私の率直な疑問は「このネット民たちは何を標的にしたいのか?」である。

男性についても弟についても、生活歴、職歴、疾患歴、そして何よりも、これまでの家族関係などの情報が全く伝えられていない。この状況で、適切な批判ができるはずがない。

すなわち、コメントした人たちの多くは、匿名をいいことに「憂さ晴らし」をしているとしか思えない。誤解を恐れずに言えば、世の中にはこんな「劣る」人間がいるんだ、と差別的に嗤い、その揶揄・嘲笑を公開の場に書き込むことによって、自分はこんなヤツよりもずっと立派だ、と言いたい、主張したいのだろう。

しかし、情報がわからないのだから、それは全く的外れの発言である可能性もある。たとえば男性はアルバイトを掛け持ちするなどして結構な稼ぎがあり、地域でも紳士として尊敬されている人なのかも知れない。弟は何かの重大な精神疾患等を抱えて、療養中なのかも知れない。母親が警察に通報したのはケンカが常習的だったからではなく、むしろ意外な展開に恐怖を感じたからなのかも知れない。もちろん、これは推測の一つの極端な例に過ぎないが、登場人物のすべてにあらゆる可能性があり、それが判明しないことには、批評できるものではない。

コメントの中には少数だが、いわゆる8050問題の一類型である可能性や、家族ソーシャルワークの対象である可能性について言及したものがあった。こういう慎重なコメントをする人たちは登場人物を軽々しくステレオタイプ化しない。

さて、「差別的」「揶揄・嘲笑」のコメントは、「誹謗中傷」と紙一重である。と言うより、男性の実名が報道されていたら、内容によっては正当な批判に該当しない、誹謗中傷に相当するものも存在する(仮に男性が本当に「子供部屋おじさん」だったとしても、批判は暴力沙汰に関する内容にとどまるべきであり、誹謗中傷して良い理由にはならない)。

つまり、状況がわからないまま第三者を標的にしてネットで「憂さ晴らし」をすれば、それは民事事案、書き込んだ内容によっては刑事事案にもなり得るのだ。

最近、これを逆手に取った新手の炎上商法が登場している。資金力のある発信者がブログやSNSや動画のエントリーをわざわざ炎上させ、弁護士に依頼して誹謗中傷に当たるコメントの発信者の特定に持ち込み、賠償させるビジネスだ。ネット誹謗中傷への法規制強化が進めば、このテのビジネスを展開する人間が増えてくることが予測される。おそらく、この連中の「カモ」にされるのは、「憂さ晴らし」パターンの中で特に過激な言葉を使う人たちとなろう。

標的を明確化した上で正当な批判をするのであれば、このような商法に引っ掛かることもない。逆に、知的体力に欠け、情報や背景もわからないのにコメントを書き込む人たちは、あとでたいへんな「負債」を払わせられることになる。

まさに、冒頭に記した「ある50代半ばの...」の文章だけを読んで、「さあ、子供部屋おじさんの登場だ!」とばかり叩き始める人たちは、すでに危険地帯に足を踏み込んでいると考えて差し支えない。

私たちは、実名だろうが匿名だろうが、状況をしっかり把握して、的確な論評や批判を展開するように心掛けたいものだ。

2020年8月 9日 (日)

「平和」をどう考えるか?

私たち日本のカトリック教会の信者は、8月6日から15日までの十日間を「平和旬間」と呼ぶ。

例年ならば、このうちのどこかの日に教会へ行き、ミサに参列して祈りを捧げる。しかし、今年は新型コロナウイルスの影響により、大聖堂に入れる人数に制限が設けられた。当然、本日や次の日曜日・16日には、来場する信徒も多いと思うので、行くのを見合わせ、月の後半に出向こうと考えている。

きょう8月9日は、75年前、長崎に原爆が投下された日である。まずは当時の犠牲者の方々に、深い哀悼の意を捧げたい。

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さて、私たちは「世界平和」をどう実現するのか?...と言ってしまうと、主題が広くなり過ぎるので、ここは一点に絞って考えてみよう。

「核兵器を廃絶すれば(そんなに簡単に実現できるとは思えないが、もしできた場合は)世界は平和へ向かうのか?」

実は、必ずしもそうとは言い切れないのだ。以下にその理由を列挙してみる。

第一に、国際的な監視システムの確立が難しいことである。

核兵器の廃絶とは、すべての核保有国(米国・英国・フランス・中国・ロシア・インド・パキスタン・北朝鮮・イスラエル)が核兵器を廃棄し、かつ核開発能力を持つ国(日本・ドイツやイランを含めたいくつかの国)が開発のために使用可能な設備を廃棄することだ。これが実現できれば「核兵器の廃絶」となる。核兵器禁止条約はもちろんここを目指している。

しかし、仮にこれが本当に実現したとしても、平和へ向かうとは考えられない。なぜなら、その状態を維持していくためには、途方もなく緻密な国際監視体制が必要になるからだ。当然、「旧」核保有国は、いざ自国の安全保障上必要な事態が起これば、再度核開発を始める可能性があるのだ。

もし、A国が核の再開発を始めたとしよう。いまの情報社会であるから、当然、敵対するB国にはその情報が伝わる。B国は以前核兵器を持っていたとしても、いまは廃棄している。A国が核兵器を再保有してからでは、自国の安全保障に重大な問題を来たす。したがって、A国が再保有しないうちに攻撃しようということになる。国際監視体制により国連軍がA国を攻撃することは、たいへん考えにくい(いまの五大国拒否権がある限り無理である)。したがって、B国はA国を通常兵器で攻撃する。それにA国は対抗して戦争が起きる。他のすべての国がB国側に立てば、すぐに戦争は終わるかも知れないが、そうはならない。A国側もあらかじめ味方になってくれる大国を確保しておくであろう。となれば、世界の大国の多くがそれぞれの側に立って参戦する事態になりかねず、そのまま第三次世界大戦が勃発する可能性は小さくない。

第二に、核兵器が世界から本当に消えた場合、核以外の兵器で比較優位に立つ国の暴走が起きやすくなることだ。

上記のような「核保有」レベルの諸大国を直接巻き込まなければ、地域大国を目指す国が核以外の兵器で対立する国を攻撃する可能性は、現在より大きくなる。西欧や北米などを除き、世界の各地では現在でも「小競り合い」が起きているが、核廃絶後には、それを超えたレベルの戦争が各地で勃発する危険性は、高まると予測せざるを得ない。また、「旧」核保有国が、核の再開発をチラつかせて、通常兵器での戦争を仕掛けやすくなることも軽視できない。

これ以外にもあると思われるが、この二つがおもに私が「核廃絶がかえって悪い結果を生むかも知れない」と予測する理由だ。

もちろん、広島や長崎の被爆者や、その心を受け継ぐ人々に、冷水を浴びせる意図はない。私自身、現在の暫定的な効果はともかく、長期的には決して核兵器の抑止力を良いものだと考えているわけではないので、誤解なきよう願いたい。冷静に分析すると、核廃絶だけに邁進するのが良策とは言い難いのだ。

私自身、クリスチャンとして、いずれはキリストが勝利し、戦争のない地球が実現することを信じている。それは遠い先のことであると言わざるを得ない。少なくとも、私がこの世に生きているうちには無理である。

これは人類永遠の課題であろう。

2020年7月22日 (水)

勇気ある撤退はできないのか?

リニア新幹線をめぐる「騒動」。

静岡県内を通過する部分のトンネル工事に関して、着工の目処が立たない状態が続いている。川勝平太知事が、大井川の流量減少問題が解決されていないことを理由に、川底の下を通るトンネル掘削の着工許可を出していないからだ(なお、天竜川や富士川については、リニア新幹線が橋の上を通る計画なので、トンネルの問題は生じない)。

JR東海や他県民、特に愛知県の多くの人たちが、この現状を「静岡県民・県知事が、自県の利益にならない(駅ができない)ことを不満に思い、リニア計画の円滑な進捗を妨げている」と受け取っているようだが、もちろんこれは間違いである。

大井川水系流域の10基礎自治体は、水の恵みを農業、工業など広く地域の産業に活用している。トンネル掘削作業中に川の流量が減少すれば、ただでさえ「水枯れ」問題に悩まされてきた流域の自治体は、さらに打撃を受ける可能性がある。したがって、減った水の全量が戻ってくる保証がなければ、掘削工事を容認できないのだ。JR東海からそれに関して、流域の住民を納得させられる科学的な説明が十分になされていないので、不安を増幅させることになった。

川勝知事が「勝手に掘るな」と言ったことから、あたかも相手方にケンカを売っている印象を受けた人があるかも知れないが、これも間違い。JR東海の社長が流域自治体市民の神経を逆撫でするような発言をしたり、愛知県知事が川勝知事との面会を拒絶したりと、誤解を恐れずに言えば、推進する側の「不遜な」言動が、問題をこじらせる要因になったのである。あえて表現すれば、川勝知事は「売られたケンカを買う羽目になった」側になろう。

国交省の専門家会議でも、静岡県から出席した学識意見者の報告によれば、流域への影響評価については、いまだ方向性が一致していないことか明らかだ。にもかかわらず、JR東海側が計画を遮二無二進捗させようとする姿勢を変えないのだから、知事が「乱暴」と表現するのもうなづける。もちろん、県民や県知事の側も、疑いの余地がない科学的根拠に基づいた手段により、流量の回復が保証されるのであれば、耳を傾けなければならないのは当然であるが、いまはそれ以前の「静岡県民の生活が尊重されているのか?」の問題であると言わざるを得ない。

そして、推進する側の論者たちは、静岡県民や県知事が「静岡に『のぞみ』が停車しないことに不満を募らせていた」「富士山静岡空港に駅を作らせてもらえなかったことを恨んだ」ので、嫌がらせに計画を妨害しているかのように論評している。バカも休み休み言えと言いたい。それは問題のすり替えに他ならない。流域住民は現実に平穏な生活を妨げられる恐れがあるから、反対や不安を訴えているのだ。外野から誹謗中傷するのであれば、実際に住んでみれば良い。

それらの論者の側にこそ問題が大ありだ。県民を貶めているおもな論者の何人かを検索して洗ってみたが、みな穏当とは思えない利権や利益とつながっている。中には過去、善良な人を死に追い込んだ経歴のある人間までいる。ジャーナリストの旧悪を穴ぐり立てるのは本意ではないが、過去の行為を恥じることなく相変わらず他者を非難攻撃しているのであれば、さかのぼって問題視せざるを得ない。

ところで、流域10基礎自治体の首長すべてが一枚岩ではない。計画自体に絶対的に反対している人もあれば、「建設しても良いが説明責任を果たせ」と主張している人もある。川勝知事はこれらのさまざまな意見を集約して、JR東海や国土交通省と交渉し、専門者会議で流域住民を納得させられる明確な根拠を示し、責任を持って方向性を出してほしいと要請している。

これは工事期間だけの問題で、リニア新幹線が完成してしまえば良いかと言えば、そういうわけでもない。上流の貯水機能の低下や、重金属等の下流への流出への懸念も生じる。JR東海には静岡県民に対し、これらの事象の予測可能性についての説明責任も当然求められる。

ところで、私も現時点で、リニア新幹線計画を全否定→ダメ出しする意図はないが、これほど問題が複雑化している計画なのだから、一つの選択肢として、「勇気ある撤退」はできないのだろうか?

愛知県の人たちの多くは、この計画に賛同したいのかも知れないが、東京-名古屋が日帰りで往復できることになれば、用事で出向いた際の宿泊や外食の機会も減ることを考えると、一概に所期の経済的効果が上げられるとも思われない。山梨県・長野県・岐阜県についても、駅を設置した町とその他の地域との間に落差が生じ、加えて設置した町の交通も大して利便にならない(東京や名古屋とはすぐに往復できても、県都や他の観光地までの距離は埋まらないなど)ことも予想される。

また、長大なトンネル通過中に大きな地震が発生して停車した際に、乗客がどのように車外へ脱出できるのか? これについても人々を納得させる案は示されていないと理解している。

実際に開通したとき、世の中がどうなっているのか? 多くの国民の利用に耐え得るのか? リニア新幹線ができた後の新たな課題や負の成果も予測しながら、再度アセスメントすることが求められているのではないだろうか。

「すでに膨大なお金を掛けたから、先へ進むしかない」のであれば、それは75年前、連合国との戦争にどんどん深入りしてしまった旧帝国軍部と同様な思考であり、結果として大きな破綻を招くことが懸念されるのである。

2020年7月 8日 (水)

新型コロナ(13)-政策はどうあるべきか?

前回より続く)

世論調査では現内閣の支持率が下がっている(調査の主体によってバラツキがあるので、数字は掲げない)。調査方法によって特定の結果が出やすい問題はあるものの、概して新型コロナ対策以前よりも、現在のほうがかなり低落していることは間違いない。

そして興味深いのは、政権与党(自由民主党・公明党)の支持率が下がっているのにもかかわらず、野党の多く(立憲民主党・国民民主党・共産党)は支持率があまり上がらず、むしろ時期的には結構下がっている政党もあることだ。このところ明確な支持率上昇を見せているのは一党(日本維新の会)ぐらいか。大阪府知事が目に見える活躍をしていることが影響していると思われるが。

内閣支持率や各政党の支持率は、新型コロナウイルス対策だけで決まるものではない。他にさまざまな要因が考えられる。とは言え、この2月以降の社会情勢を考えると、新型コロナウイルス対策への評価が大きな比重を占めるのは間違いないと言えよう。

さて、内閣や政権与党の支持率が下がったことは、その政策が大きく誤っていたことを意味するものではない。内閣や政党が「こうする」「こうしたい」ことと、市民が「いま、こうしてほしい」こととの乖離が大きければ、適切な政策であっても支持されないこともあるし、望ましくない政策であっても支持されることがある。野党が提案した政策の場合もまたしかり。

つまり、政策に対する評価は、前後の大きな流れを踏まえた長期的な視点でなされなければならないのだ。

その視点から眺めた場合、現政権の政策は、こと新型コロナに関する限り、大きな過ちがあったとは考えられない。確かに世界的な感染症のパンデミックは、過去にも例があったが、新型コロナは従来の感染症とはかなり性格を異にする未知のウイルスであるだけに、難しい対応を迫られた。最善かどうかは評価が分かれるところだが、少なくとも第一波の感染拡大を封じ込めることには成功し、医療崩壊や介護崩壊(地域的には見受けられたが)を最小限に食い止めることができた。

政策を批判する権利は、国民が当然持っている権利だ。しかし、非常事態に批判ばかりしていた人たちは、果たして建設的な行為をしたと言えるだろうか? 一部の野党系と見なされる個人や団体は、普段から「選挙で選ばれた人たちが責任を持つべき」と主張しているのにもかかわらず、これまでのエントリーでも触れた通り、「発注者」である「被選議員により選出された総理の内閣」でなく、「受注者(マスク製造企業、持続化給付金の取り扱い団体など)」を叩きに行っているのだ(押し掛ける、電話で詰問するなど)。その行為が作業を遅らせているとしたら、全く自己矛盾しているではないか。事態が落ち着いてから、事業のあり方を総括して批判するのが筋ではないか。

私自身は政策について、細部の反省点はいろいろと存在するものの、大枠で妥当だったと考えている。

難しいのは今後の経済回復である。国民全体を覆っている生活水準の低下、失業の増大、投資の減退をどう建て直していくのか? 観光再建による「Go to キャンペーン」なども、しばらくは「焼け石に水」であろうし、新型コロナの第二波・第三波にも留意する必要がある。

多くの国民は、一気に経済を「V字」回復をさせたいと願っているであろう。しかし、今回の日本の場合には、傷付いた個体が無理をせずに、待ちの姿勢でじっと体力を涵養する、「レ型」の回復を図るほうが望ましい。その間に政府が国内各産業の建て直しと並行して、国民生活のセイフティネットとなり得る十分な福利厚生策を打ち出せるかが大きな課題になる。この機会に国の無駄遣いを徹底的に洗い出すことも大切であろう。

国際競争力を落とさないことも求められる。経済に限らず、外交や防衛にも力を割いて日本の存在感を高める必要がある。今回の新型コロナを奇貨として、中国や北朝鮮をはじめ、いくつかの国が軍事力拡大路線を進もうとしている。日本は米国やオーストラリア等の近隣国との適切な連携を保ちながら、国民の安全を確保していくことが必須である。

東京五輪が一年遅れで無事開催されるのかも、政策の成否を占う一つのポイントになろう。もちろん、そのためには新型コロナを封じ込めるための国際協調が絶対条件だ。米国がWHOから脱退するとなれば、新型コロナ「火元」の中国とは別の意味で、日本が果たすべき役割は重要さを増す。

現政権が低空飛行と言われながらも、持ち前の柔軟さで難局を乗り切っていくことに、また、各野党もそれぞれ旧弊から脱して、国の再建のため政権与党に必要な協力をしながら、積極的な対案を繰り出していくことに、期待したい。

2020年7月 5日 (日)

新型コロナ(12)-施策(これまでの)をどう評価するか?

前回より続く)

まず、新型コロナウイルスとは関係ありませんが、
このたびの熊本県周辺の豪雨で亡くなられた方々をお悼みするとともに、球磨川流域をはじめとする、被災された住民の方々に、心からお見舞いを申し上げます。
簡単な言葉で表せるものではないことは十分承知していますが、一日も早い生活の復旧を願わずにはいられません。

さて、本題に戻って。

いったん個人の問題から目を転じて、国の政策・施策について私見を述べてみたい。他国の例も引き合いに出す必要があるかも知れないが、私自身が各国の施策について深い知見を持っているものではなく、また、基本的に安易な国際比較には大きな意味がないと考えていることを、あらかじめお断りしておく。

政策全体を眺める前に、まずは新型コロナウイルスの感染が始まった後の、個別の施策について論じてみよう。

これまで大きな話題となったのは、大型クルーズ船「ダイヤモンド‐プリンセス」への対応、公立学校への一斉休校要請、布マスク配布、緊急事態宣言、国民生活への支援策などだ。

(1)「ダイヤモンド‐プリンセス」への対応
英国船籍、米国企業が経営している豪華客船。2月1日に感染者の乗船が判明し、3日に横浜港に帰港。そのまま船全体が長期的な検疫体制に突入し、乗客・乗員を合わせて3,700人余が船内にとどまることを余儀なくされた。706人の感染者、うち4人の死亡者が出ながらも、神奈川県等の医療機関の協力により、3月末までに事態は終息し、同船は3月25日に出航した。
この対応については米国や英国のメディアから批判が寄せられたが、ウイルス自体の感染メカニズムも十分に判明していない時期に、日本の厚生労働省が一手に担い対応したものである以上、批判の多くは失当であろう。当の米国や英国からはほとんど医療的な救援を受けなかった中で、日本の対応は試行錯誤しながらも、可能な範囲の対策を施したと評価することができる。何よりも、ここでの経験がこの後の国内感染予防対策に生かされたことは、一つの成果であったと言えよう。途中で一部の関係者による見解の齟齬が見られた場面はあったが、個人的に採点するならば90点。

(2)一斉休校要請
いまから振り返ると、「無用の策」だったと見る向きが強い。しかし、これは後出しジャンケンだと言わざるを得ない。2月末時点での最大の課題は、ドイツなどに比べて感染対応できる専用ベッド数が大幅に少ない日本で、いかに医療崩壊を最小限に食い止めるかであった。このとき、いまだ都道府県をまたいだ人の移動は一定程度行われており、生活様式も多くは蔓延以前の状態であった。そのため、大人に比べて多動であり、かつ感染症に関する理解に乏しい児童たちが、学校での勉学や活動のさなかにクラスターを発生させて感染爆発を起こし、それまで準備された医療体制では対応し切れなくなる恐れは、十分にあったのだ。ただし、そのための一斉休校であった趣旨が十分に浸透していなかったことは遺憾であるが。
その後、このウイルスの性質上、児童たちは(一型糖尿病などの基礎疾患や一部の難病などを抱える子を除き)総じて感染しても無症状または軽症に終わることが多いことが判明し、広く知られるようになった。いまの時点では適切な対策を採りながら、学校のスケジュールを平常通り動かすことが妥当であろう。当時の対応に限っては75点。

(3)布マスク配布
これは多くの人から「愚策」と評されている。私の見解は前々回のエントリーを参照されたい。いまなお介護現場に「第二弾」として布マスクを配布しようとしている見当違いまで含めると、私の評価は厳しいようだが35点としておく。

(4)緊急事態宣言
まず、2月28日の北海道を皮切りに、都道府県単位でいくつかの自治体が独自の緊急事態宣言等を発出した。これは感染拡大が続くことを憂慮して、域内の住民に不要不急の外出自粛や、一部業種の営業自粛を要請したものである。その後、4月7日には政府が8都道府県に緊急事態宣言を発令し、4月16日にはそれを全国に広げた。そして5月25日、感染の拡大に歯止めがかかった時点で、政府は宣言を解除し、6月19日にはこれまで制限を要請していた都道府県境を越える人の移動を緩和した。
これで感染拡大がいったん収まったことにより、私たちは停滞していた経済を「新しい生活様式」に沿ってどう回していくか、ある種の「塩梅(あんばい)」ないし「緩急」を身に着けることができたと考えられる。過度の自粛も望ましくなければ、全く旧式のままの社会生活再開も望ましくないことを、国民が体得できる期間となった。また、その間に新型コロナの正体、怖れなければならない面もあれば、一種の特殊なカゼ程度に受け止めて十分な面もあることが次第に判明し、首都圏等で医療崩壊を脱したことも相まって、余裕を持って対策を講じられるようになったことは大きい。
今後の予測については稿を改めて述べたいが、昨今になって東京や一部地域で再び多くの感染者が判明しているとは言え、その多くは若年層であり、重症者や死者が増えたものではない。将来はともかく、当面は再度緊急事態宣言を出す可能性は低い。これは4~6月に「時間稼ぎ」ができたことが大きいと見ている。一連の流れを採点すると、やや甘いが85点か。

(5)特別定額給付金・持続化給付金・家賃支援給付金などの支援策
私たち日々の生活を送る市民にとって、最大の関心ごとである。次回の政策総論でも分析してみたい。
総じて、各方面の利害調整に手間がかかり、政府の決定までに時間がかかり過ぎたことや、委託先の団体の性格に疑義があることが、批判の対象となっている。しかし、「あそこの国はもっと充実している」とされている他国の支援策を見ても、多くの国の場合、そのすべてが報じられている通り迅速に実施されているものでもなく、日本の支援策が劣悪だというものでもない。
とは言え、「のちの千金より、いまの一飯」がほしい人たちにとっては、後手後手感は免れない。また、さまざまな属性の人たちに対し、十分にカバーできていない面も課題として残る。反面、公的支援策ばかりに頼らない、個人や企業の自助努力も求められるであろう。60点としておく。
なお、本日現在の支援策については、首相官邸の該当ページを参照されたい。

そして、次には政策全体を振り返ってみよう。

次回へ続く)

2020年6月21日 (日)

新型コロナ(11)-英語の能力はなぜ必要か?

前回より続く)

ちょっと横道に逸れる(一応、関連する話ではある)。

お恥ずかしいが、私の英語の能力はあまり高くない。

「読む」→ 文章の全体を斜め読みにして、概括的に何を言っているのか把握するだけでも、キーになる単語が読解できないことがときどきあるため、辞書を何回か引いて頼りにする(画像は中学生時代から何度も買い換えながら愛用している研究者の英和辞典。他社の辞書やネットの辞書も併用している)。ましてや正確に意味を理解したり、仮訳したりするときには、短い文章でも辞書を繰り返し参照しつつ、一文一文を正しく呑み込めているのか、結構な時間を掛けて確認していかなければならない。

「書く」→ まずは一応、知っている単語だけでまとめてみる。そのあと辞書を引きながら、「この意味ならこちらの語のほうが良い」「このフレーズだと別の表現に受け取られてしまうかも」などと推敲しながら、相当な時間を掛けてようやく一段落を作る。それが何段落にも及ぶ場合には、趣旨が首尾一貫していることを振り返りながら整理する必要があるので、四苦八苦しながら、A4程度の文章を一日仕事でやっとまとめる(それでも、おそらく何か所か表現の不具合が残っている)レベルだ。

「話す」→ ブロークン、そしてしばしば単語が出て来ずに、途中で言葉が詰まるのが日常である。そんなときには逆に、私が何を言いたいか、相手が察してフォローしてくれることも少なくないので、コミュニケーションを取るときにはいつも恐縮している。せいぜい、駅や路上で場所を聞かれたときの道案内程度なら何とか可能か。

20200620ejdictionary

私の従妹(私より4歳若い)は東京で社会人学生として栄養学を(大学院で)修めながら、学術論文の英文翻訳をしている。欧州などへもトラブルなく旅行できるレベルだ。また、彼女の弟(私より6歳若い)はロサンゼルスで大手旅行会社の現地法人の役員を務めている。米国の会計士の資格も持ち、同地で問題なく専門的な業務がこなせる英語能力だ。この従妹や従弟に比べると、私の英語能力はだいぶランクが低い...(-_-;)

普段はヘタクソでも、必要に迫られればそんなことも言っていられない。もう十数年前のことだが、お世話になっていたNPO団体の人(米国在住の日本人)と話していて、「『蓼食う虫は好きずき』って英語でどう言うんですかね? "One kind of insect eats TADE(「たで」)because he likes..."(???)でしょうか...」と意味不明のデタラメ英語でごまかしていた。しかし、それから一か月ばかり後に、とある会食の席で英語圏の人から、「あなたは鶏肉に赤ワインの組み合わせが好きだと言うが、白ワインのほうが合うのではないか?」と英語で聞かれたとき、思わず、"There is no accounting for tastes !"と口を突いて言葉が出た。「窮すれば通ず」の見本みたいな話であるが(^皿^;)

さて、今回の新型コロナウイルスに関連して整理してみると、英語を「話す」力は(クルーズ船に対応した人たちのような特殊な場合は別として、ほとんどの場合)当面使わないだろうが、「読む」力を備えておくことは重要であり、状況によって「書く」力も必要になる。

そもそも、新型コロナに関する情報収集は、国際的な協調のもとに取り組む必要がある。WHO(=世界保健機関)も情勢に応じて見解をアップデートしているから、節目節目での発表内容は見逃せない。英文を「読む」、いや、それ以上に「読み取る」力が不可欠なのである。誰かが日本語訳した内容であっても、それが適切な文脈で理解されているのかを検証しなければ、自分自身の行動が適切さを欠いてしまうからだ。前回のエントリーで言及した布マスクの材質の有効性に関する文言などがその好例だ。

また、新型コロナ対策に関連して、海外論文などで検証された成果に対し、詳細を問い合わせたり、内容の的確性を議論したりするときには、英語で文章を「書く」力がなければならない。私自身はとても医学上の専門用語を使いこなして質問や批評を書き送ることは無理であるし、同様な日本国民は多いと思うが、SNSやブログで誰かがそれをしてくれているのであれば、しっかり評価して感謝するべきであろう。

文献によっては中国語、フランス語その他の言語のものもあるだろうが、英語でのやり取りが主流である国際社会においては、一つの事象を理解するために、私たちの英語の能力が求められることになるのだ。

四十年以上前、私が少年のころには、中学生になってようやく英語のイロハ、"This is a pen." などの文を読み書きするところから勉強を始めていた。その後、自分自身に子どもや孫がいないので、詳しいことは知らず誤認しているかも知れないが、英語教育の開始時期は次第に低年齢化して、少なくとも、いまは小学校高学年、それどころか低学年(三年生?)から準備段階の教育を始めている(塾などでもっと早くから英語を学ぶ子どもたちの話題も聞いている)。

 

〔ところで、全く別の話だが、
マラーラ‐ユースフザイーさん(22/母語はパシュトゥー語)やグレタ‐トゥーンベリさん(17/母語はスウェーデン語)は、いずれも15歳で国際舞台に登場したとき以来、称賛の声とともに、批判のみならず攻撃・誹謗中傷も雨あられのように受けてきた。興味深いのは、日本のネットでマラーラさんやグレタさんを非難・罵倒・揶揄する人たちは、(あくまでも私が個人的に見聞きする範囲では)おもに右派・保守派の、私よりずいぶん若い(=私より早くから英語教育を受けているはずの
)男性が多数を占めており、かつ複数のソースから推測する限り、そのうち大部分の人は日本語でしかコメントしていないようだ。
批判することは自由であり、当然の権利だが、日本語で外野から好き勝手なことを言うのは見苦しい光景にしか映らない。何を言っているのか相手方にもその支持者たちの多くにも伝わらない(笑)。
マラーラさんもグレタさんも、母語でないのにもかかわらず、15歳のときにはすでに基本的な英語能力を備えているのだ。彼女らや支持者たちの活動に反対する自分の見解が、正しいと信じているのならば、堂々と英語で批判し、公開討論の場に参加したらどうだろうか?〕

 

いろいろと述べてきたが、以下「まとめ」。

「グローバリゼーション」が叫ばれてから久しい。人によって得手不得手はあるにしても、齢を重ねて頭脳が固くならないうちに必要な能力を身に着けていかなければ、自分自身が損をするだけだ。

今回の事態のような国際協調が必要とされる事案の発生を契機に、若い人たちには実用的な英語能力の必要性を再認識していただきたいと思う。日本の十代から三十代辺りまでのみなさんが、「読み」「書き」「会話」をバランス良く習得して、国際舞台でしっかり活用できることを願っている。もし私にもできることがあれば、及ばずながらお手伝いしたい。

次回へ続く)

2020年6月10日 (水)

新型コロナ(10)-マスクをめぐる騒動は何が問題だったのか?

前回より続く)

さて、消毒液の次は「マスク問題」である。

新型コロナウイルスの爆発的拡大に伴い、まず中国でマスクの需要が急増した。そのため日本からも一部の自治体などが中国へマスクを送り供給を支援した。ところが日本でも感染が拡大し、それに伴い多くの国民が予防の目的で不織布マスクを買い求め、全国的に品薄の状態が起こった。中国での生産に頼っていた製造業者も多かったので、容易に輸入できなくなってしまったのだ。さらに転売目的の人たちが買い占めたことにより、その状態に拍車を掛けた(本日現在、マスクの転売で利益を得ることは禁止されている)。

私自身もドラッグストアやコンビニで買い物をするたびにマスクの棚へ立ち寄ったが、3月には30回程度足を運んでようやく品物に当たる程度の確率だった。全国的に同様な状況であった。

そこで、政府では急遽、布マスクを買い上げて配付することを決定、業者に発注して調達できた分から配付を始めた。厚生労働省から、介護・福祉事業所や介護サービス利用者の分は4月上旬に配付され、妊産婦向けのマスクも配付されたが、一般家庭の分(世帯ごと2枚)はいまだに配付途中である。

なお、居宅介護サービスの利用者さんの分は、ケアマネジャーから配付するように丸投げされたため(重複を避ける意味では妥当かも知れないが、感染拡大防止のため利用者を居宅訪問しなくても差し支えないとの特例通知が出ている中で、布マスクは個別に配付しろというのもおかしな話だ。仮に郵送するとしても、もしケアマネジャーが感染していて潜伏期間だったら、利用者宅にマスクが届く時点ではまだ外装にウイルスが付着している可能性があるのだから)、私も4月中~下旬に居宅訪問しながら配って回った。

20200417masks

この布マスク配付策は多くの人から「愚策」と評されている。確かに3月下旬時点でのマスク不足を解消するために打ち出されたのにもかかわらず、6月になってもいまだ配付が完了していない。すでに不織布マスクが品薄状態を脱し(価格はかつての10倍近くまで上がってはいるが)、入手するのが難しくない状態だ。遅過ぎるのは間違いない。しかし、全体像を総合して、本当に愚策なのだろうか?

四つの点から分析してみたい。

(1)趣旨をしっかりPRしたのか?
この点では一言で言えば「失格」である。政府広報があまりにも拙劣であったため、布マスク配付のポイントが多くの国民に伝わらずに終わった。経済産業省筋から非公式に「こういう趣旨なんだ」との情報が流れ、また、自治体広報の専門家・佐久間智之氏などが、独自に作成した説明図を開示されている。私もこれらを参考にして、上の画像の左側にある文章を作成し、利用者さんに配付する際に添付した(郵送費用は当初の見込み金額の数字になっているが、圧縮後には配付時に修正説明した)。このように、広報面では失敗だったとしか表現しようがない。

(2)有効な材質だったのか?
このマスク配付策が打ち出された前後、WHOが1月29日に「布マスクはいかなる状況でも推奨されない」と発表したことを受けて、なぜ効果のないものを配付するのかと批判した人たちがいる。その
WHOのドキュメント(1/29)はこれだ。中の一文、"
Cloth masks are not recommended under any circumstance." を上記のように訳すること自体は正しいだろう。しかし、これはあくまでも「医療用マスク(medical masks, procedure masks, etc.)」について述べたドキュメントの末尾に書かれているものだ。この一文を引き合いに出して、「家庭用布マスク」の配付を批判するのはおかしい。
前者はおもに、医療・介護等の従事者が媒体になって、院内感染や在宅患者(利用者)間の感染を引き起こしてしまわないためのもので、後者はおもに、一般の人が、もし知らないうちに無症状の感染者になっていると、出先で他人に飛沫感染させてしまうことがあるため、それを防ぐためのものだ。用途や目的が異なれば、物品の精度も当然異なる。
布マスクは網目が粗いため、ウイルスが容易に通過してしまうと思われがちだが、ウイルスはまっすぐ飛ぶのではなく、不規則な「ブラウン運動」をしながら移動する。したがって、すでに感染している人がいわば「攻撃力を弱める」目的であれば、布マスクも役に立つのである(それが国民に伝わらなかったのは、上記(1)広報の問題なのだが...)。

(3)使える品質だったのか?
顔の大きさにもよるが、標準的な大人の顔ではやや小さめだ。洗うと縮む(→鼻にしっかり掛からないので、クシャミの飛沫を防ぐ効果が失われる)ことを計算に入れれば、何回も洗って使えるとは言い難い。上記の通り「自分が他人に感染させる力を弱める」のであれば、3回が限度か。
また、妊産婦向けに配付されたマスクの一部に、虫などの異物が混入されていたため、政府が回収して検品をしす一幕があった。いくつかの受託業者のうち、どこが粗雑な仕事をしたのかわからないが、受け取る側には視覚障害者などもいることを考えると、非常時だからこそ、品質を落とさないように丁寧な仕事をしてもらわないと困るのだ。
他方、政権反対派筋から一斉蜂起のように「うちにも」「こちらにも」と不良品が続々と報告されたのには、不自然な感を免れない。また、一部の「市民団体」などは厚労省の担当部局ではなく、製造業者に直接電話するなどして苦情を突き付け、中には会社まで押し掛けた団体まである。直接の責任は発注した側にあるのだから、この行為はあの「リアリティ番組制作側に対してではなく、出演者を直接非難攻撃する」人たちの行為と何ら変わりはない。それが業者を萎縮させてしまい、作業工程のさらなる遅延を招いたとしたら重大な問題だ。今後は良識ある振る舞いを求めたい。
とは言え、多くの市民に合った品質の布マスクが速やかに配付されたとは言い難いので、残念な顛末であったと表現すべきか。

(4)経済的な効果はあったのか?
政府による布マスクの発注自体が、国内の不織布マスク業者を医療用マスク増産へ方向転換させ、買い占めていた流通の中間事業者に販売を促し、それにより品薄状態の解消がもたらされたことは現実だ。国全体のレベルで考えれば、配付に要した税金に見合う経済効果はあったと見なすべきであろう。
また、4月~5月前半にかけては、中国が(火元であるのにもかかわらず)マスクをはじめとする感染予防用の医療用品を、世界各国へ売り付け、その見返りに政治的、経済的なアドバンテージを得る戦術を採っていた。他国はいざ知らず、日本に対してこの戦術が奏効しなかったのは、上記の政策により早期に不織布マスクや医療用マスクの流通が回復したことが大きい。
併せて、他の医療用品も含め、中国にある工場に頼っていた状況が改善され、国内工場での生産が多様な企業により試みられている。このあと大切なのは、せっかく手掛けた国内生産が不採算により消えてしまわないように、政府や国民がしっかり支えていくことであろう。

これらを総合的に評価して、政府のマスク関連施策は、厳しいようだが「35点」と採点しておこう。今後の改善への期待も込めて。

最近になって不織布マスクが値崩れしているとは言え、あまり廉価な輸入品(おもに中国製)には劣悪な品質のものが少なくないので、信頼できる取扱店を経由して入手することが大切である。日本衛生材料工業連合会の正式なマークが印字されている品物が推奨品だ(ニセモノのマークもあるようなので、ご用心を)。

私も今回、個人的に地元のドラッグストアで買うマスクは別として、仕事で使う不織布マスクの入手は、30年以上お付き合いしている三か所の医療関連事業者に限っている。マスクや消毒液が品薄で困っていた時期、私(≒当事業所)に対して「長年の顧客だから...」物品を融通してくれたのも、その三か所だ。ありがたい話である。(6/17追記。第二波が到来して利用者さん=顧客や、そのご家族に感染者が出ることも想定して、医療用マスクも別途購入した)

各自治体でも独自に不織布マスクを確保し、医療・介護等の事業所に配付している。当地でも浜松市(寄贈品から)や静岡県より、各事業所に対して不織布マスクの支給があった。

また、世帯ごとに配付された布マスクのほうだが、「無用の品」と思っている方も、不足して困っている人たち(基礎疾患を抱えた子どもたち、路上生活の人たちなど)に譲渡するとか、第二波や第三波に備えて保管しておくとか、それぞれの活用方法があるだろう。

なお、時間がある方は、現時点でのWHOのドキュメント(6/5)も参照されたい。報道ではWHOがマスクを広範に活用するように「指針を大幅修正した」とされているが、斜め読みする限り、従来の見解に「新たな知見を加えて再整理した」と理解するほうが良い。P.5には保健・介護従事者、P.7には一般公衆についての、「どんな状況ではどんなマスクが推奨されるか」をまとめた表が掲載されているので、便利である。

いまは熱中症予防のため、夏用マスクの入手が課題になっていることは、すでに皆さんがご存知の通りだ。身近なマスクをめぐる状況は、刻一刻と変化している。アンテナを高くして、感染予防に留意したいものだ。

そして、いつかはマスクの使用が必要最低限の場面で済むようになることを願いたい。

次回へ続く)

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