社会問題

2019年4月16日 (火)

つくられた「バカ殿様」

三年前の開業15周年記念講演で予告し、過去のエントリーでも少し垣間見せたのだが、かねてから私は、江戸幕府の九代将軍・徳川家重の評伝を執筆したいと思っていた。

家重の優れた業績については、すでに甲斐素直氏(法学者)がHPで、井沢元彦氏(作家)が著書で、それぞれ持論を展開されているので、ご関心のある方は参照されたい。

このような名誉回復の動きが顕著であるのにもかかわらず、いまだに多くの日本人が家重の名前さえほとんど知らないでいるのが現実である。そして、名を知っている人も多くは、脳性麻痺による構音障害があった将軍としか認識していない。史伝でも小説でも、暗愚な君主とされていることが少なくないのが現実だ。少し古いが、1995(平成7)年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』でも、中村梅雀演じる家重は、不肖で酒浸りの身勝手な跡継ぎとして描かれており、一言で表現すれば「バカ殿様」であった。

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家重が酒好きだったことは事実であるが、彼がなぜ大酒したのか? 私は、そこに家重なりの理由があったと考えている。決して政治に嫌気が差して酒に溺れた類の話ではない。むしろ家重がきわめてクールな政治的人間であったからこそ、パフォーマンスの一つとしての「酒好き」があったと理解している。

このあたりは、いずれこのブログの中で取り上げることになるだろう。

家重は、(1)先代君主・吉宗の政策が不評だったので、大幅に軌道修正した。(2)門閥・保守派の抵抗を抑えて、既得権益の牙城を崩した。(3)米穀経済に依存する税制から大転換して、直間比率を逆転させようとした。(4)ヨーロッパ先進諸国と比較しても遜色のない、近代的な施策を推進した。...etc.

これらの面から、きわめて高い評価に値する、日本史上屈指の明君であると、私は考えている。

この仮説にしたがって、私は甲斐氏や井沢氏の論考を尊重しながら、家重に関する単一のまとまった書を世に出すことを企図するものである。

いずれは自費出版も予定しており、結構な分量になることが予測される。そのため、通常のブログ更新-最近はもっぱら火曜日であるが-の際に記事を掲載すると、別の主題を取り上げる暇がない。

そこで、火曜日には他の主題についてエントリーして、どこか別の曜日で、家重に関するエントリーを連載するようにしたい。

ただし、いきなり家重に踏み込むのではなく、まずは前置きから入りたいと思う。期待されている読者には、隔靴掻痒の感が否めないだろうとは予想されるが、ものごとは順序立てて進めたいのが私の性分である。なにとぞご寛容な心で、気長に読み続けていただけると幸いである。

(※画像はパブリック‐ドメインのものを借用しました)

2019年3月26日 (火)

ダメなコンサルの見分けかた

経営コンサルタント(以下、「コンサル」という)なる職業がある。

私が身を置く介護業界でも、昨今の制度改正...と言うよりむしろ改悪による、事業経営の厳しさを受けて、コンサルに対する注目度は高まっているようだ。

ところで、これは(ケアマネジャーも含め)どの職種にも言えることだが、コンサルも資質・能力の落差が大きい。

残念なことに、私が過去、仕事上で出くわしたコンサルは、いずれも能力に問題ありと言い切って差し支えない人物であった。宮仕えのときから現在に至るまで、コンサルを名乗る何人かの人物とさまざまな形で接触する機会があったが、「これはダメだな」「このテの人とご縁を持ちたくない」と感じた人ばかりだったと記憶している。早い話が、コンサルとしては用無しの人だ。

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むろん、そのレベルの人ばかりではなく、優れたコンサルも数多く存在する。実力十分であるコンサルの方に出会えた法人や事業所は、好いご縁によって良い仕事ができる可能性が強い。幸せであろう。

しかし、玉石混淆の中から見分けるのは、なかなか難しい。

そこで、あなたが事業経営者や事業所管理者の立場にあり、組織を代表してコンサルを依頼することになった場合に、ご参考にしていただける、ダメなコンサルの見分けかたを伝授しよう(^^)v

(1)財布のヒモをゆるめないコンサル

「ケチ」と同義語ではない。節約して効果的にお金を使う、良い意味での「ケチ」はむしろ評価されるべき。ここでは、「初期投資をしない」意味に取ってほしい。
まずは、あなたが自分の会社や事業所で作った製品(なければ、著書でも自作のアイディアでも何でも良い)をコンサルに売ってみよう。ちゃんと自分がお金を出して入手した上で、その価値について論評するのが有能なコンサル。〔モノによって、すぐ買えるもの、購入しにくいものの差異はあるにせよ、〕その商品を端(はな)から買う気がないコンサルは、「おたくの組織に関心を持っていません」と言っているのに等しい。本気度を疑うに十分だ。

(2)組織の内部に入って観察しないコンサル

コンサル選びで失敗する最大の原因は、たいてい「組織を外からしか見てくれない」ところにある。いつもスーツ姿で改まって来社・来所するのではなく、社員や職員と同じように地味な、またはラフな服装で事業所の中に入り込み、時間をかけて人の動きを観察しながら、課題の核心を抽出し、アセスメント(事前評価)するぐらいは、仕事の入口では当たり前だ。その姿勢に欠けているコンサルに頼るのは、あとで時間やお金の無駄遣いになる公算が大きい。

(3)働く人に敬意を払わないコンサル

まず、ステータス差別。たとえば会社の清掃員があいさつしても、あいさつを返さない人はレッドカード。それから、年代や性別による差別。たとえば20代の女性社員を軽く扱って「若い女の子」などと表現する年輩の人(おもに男性コンサル)などがこれに相当する。自分たちの世代の、それも特に男性に対する過剰な自負の意識を持っていれば、ニュートラルに社員・職員を観察することなどできない。
組織は働く人の集合体である以上、属性に関係なく、それを構成する全員が主役。一人ひとりの「人」を尊重しないコンサルに、組織に対して的確に助言できる資質があるはずはない。裏を返せば、そのコンサル本人のほうが、自分自身が見下しているレベル程度の価値しか持たない人間なのだと、アイロニカルに評価したほうが良いだろう。

(4)その事業の利用客を最優先に考えるコンサル

これは意外かも知れない。だが、利用客・顧客(≦その組織から見たステイクホルダー)満足度の向上は、その組織側の人間が考えることなのだ。コンサルの出番ではない。
コンサルが利用客最優先の指導・助言をしたらどうなるか? 利用客の要望を極大化させた理想論が先行して、働く人たちに無理を強いることも出てくるだろう。そうなれば職場に対する不満も増えて、サービスの質が低下する。
コンサルの仕事は、働く人がその職場で働きやすいように仕向けることによって、働く人が余裕を持って利用客を尊重できる環境を作ることだ。ここを間違えているコンサルの指導・助言は、ピント外れになってしまう恐れが強いので、要注意である。

(5)地位の高い人物、著名な人物や団体との関係をチラつかせるコンサル

このテの話は、いわば「虚仮(コケ)脅かし」の類であり、実際には名前が出ている人や団体と有機的なつながりを持たない空虚な関係であることが多い。自分の存在を大きく見せたいがために、そんな話ばかりするのだ。ホンモノの大物コンサルから、そんな話はめったに出てこない。虎の威を借りなくても、おのずと品格や力量を備えているのだから。

以上、おもな点を掲げてみた。他にもあるのだが、それは機会を改めて。

このように整理してみると、この5条件、たとえば(2)(3)(5)は「ダメな主任ケアマネジャー」とも共通するし、コンサルに限った話ではない。人として、専門家として信頼に値するのかどうかは、業種や職種を超えて共通する面が多いようにも思われる。

ま、とにかく、こんな時代だ。あなたやあなたの組織が三流・四流のコンサルにダマされて、お金をドブに捨てる羽目にならないことを願う。

2019年3月12日 (火)

人に向き合う仕事で、「身の危険」は当たり前だ!

千葉県野田市で、小学四年生の女の子が、父親からの度重なる暴力により命を落とす、痛ましい事件があった。

この事件で最も大きな問題とされているのが、市の教育委員会の対応である。

学校では「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」との但し書きのあるアンケートを、子どもたちに配付した。女の子はその言葉に勇気を得て、「お父さんにぼう力を受けています」と記入して提出した。

ところが、怒鳴り込んできた父親の威圧的な態度に恐れをなした市教委の担当者は、このアンケートを見せてしまった。これを見た父親がどれだけ激昂して暴力がエスカレートしたことか。想像できないほうがおかしい。

その言い訳が笑える。

「父親から、訴訟を起こすなどと威圧的な態度を取られて恐怖を覚えた」(要旨)

はあっ???

バカバカしくて相手にする気にならない気分だ。過激な逸脱行為に対する応接も心得ていなかったのか? 市教委はそんなときの対応マニュアルも用意していなかったのか? マニュアルがあったとしたら、担当者はその手順に目を通してさえいなかったのか?

行政機関として粛々とことを進めたのにもかかわらず、相手の言動が犯罪に該当するレベルまで至ったのならば、警察に通報すれば良いだけの話だ。悩むことはない。

この市教委の対応に擁護論もあることを、私は百も承知だ。各教委にスクールロイヤーなどの法律専門家を設置すべしと。原則論だけ振りかざせば、それは確かにその通りかも知れない。

だが、その要請に対応できる弁護士がどれだけ確保できるのか? 教育関係に特化した分野に該博な弁護士が、そんなにたくさん存在するのか?

そもそも教育委員会は行政の公的機関なのだ。なのに自治体の顧問弁護士(すべての自治体が顧問弁護士と契約しているわけではないが...)とは別に、さらに法律の専門家を頼みましょう、なんてことになったら、どれだけ手厚い話になるのか?

そんなことを言っていたら、民間はどうなるのか? 顧問弁護士など依頼できる余裕がない零細事業所に対して、行政は危険な仕事をどんどん割り当ててくる。教育のみならず、介護、福祉、どの業界でも、それが現実だ。

私は「人と向き合う」仕事に従事する立場として、開業する前も、開業してからも、身の危険を感じたことは何度もあった。刃物を振り回した人、「俺は何人殺すかわからんぞ」と周囲を脅かしていた人、私の側に全く責がない事案について延々と非難攻撃を繰り返す人などを相手に、修羅場も経験してきた。中には介護者がそんな人物だと知りながら、行政がわざわざ私に振ってきた利用者さんの事案もあった。

しかし、私はこれまでのところ、このような逸脱行為に関して警察に相談したことはない(現在進行中で、弁護士の先生に相談するつもりの事案が一件ある。と言っても民事事案だ)。誰に相談しようが、自分自身が向き合わなければならないのだから、いよいよ急迫するまでは自助努力で解決を探ろうとしてきた。

プロフェッショナルならそうあるべきなのだ。良い意味で公権力と協働するのは大切だが、安易に公権力に依存してはいけない。

 

人に向き合う仕事をする以上、「身の危険」は当たり前だ。日本は法治国家である以上、私たちは法律に守られている。過激な逸脱行為をやめない相手に対しては毅然とした態度で応酬し、自分の力で解決の道を探るべきなのだ。それでも抑止できない場合は個人、個々の機関の対応能力を超えているのだから、そこではじめて警察に相談したり、状況次第で弁護士に法律的な対応を依頼したりすれば良い。

野田市教委の担当者は、公の場に身を置く者としての矜持もなく、生徒との約束を破り、彼女を死に至らしめる最大の原因を作った。信頼していた教育者に裏切られた女の子の絶望は、いかほどのものだっただろうか?

しかし、この担当者ばかりではないだろう。行政職などの公的機関で、安定した地位にあぐらをかいていて、いざ不測の事態が起こると、「身の危険」の回避に汲々とする自称プロフェッショナル=専門職は、地域や業種を問わず、少なからぬ数で存在する。

その水準の振る舞いしかできない恥知らずは、プロフェッショナルなどやめてしまえ!!!

2019年2月12日 (火)

食物を大切にしない文化は、やがて滅びる(2)

最近、「バイトテロ」「バカッター」などと称される「アルバイト従業員による愚行」のネット投稿事件が相次いでいる。

チェーンやフランチャイズに勤務する若者たちが、商品であるはずの食物や食物に関連した道具を、常軌を逸するほど不適切に扱う「悪ふざけ動画」が、次々とネットに投稿、拡散されているのだ。

氷(食品の保存用)を床に投げつけ、調理器具を股間に当てる「すき家」の従業員。

魚をゴミ箱に捨て、拾い上げてまな板に乗せる「くら寿司」の従業員。

おでんの「しらたき」を箸でつかんでほおばり、すぐ床に吐き出す「セブン‐イレブン」の従業員。

ペットボトルを袋に入れる前に、飲み口を自分の舌でなめる「ファミリーマート」の従業員。

まだ捜査中で特定されていないが、「ビッグエコー」の厨房で食材を床に擦り付けてから調理する動画を投稿した人物も、従業員である可能性が強いであろう。

これらの愚行には共通点がある。

一つの論点は、仕事に対する真摯な姿勢の欠落である。

勤務先の、いや、それ以上に社会のルールを踏み外すリスクよりも、「悪ふざけの動画を見てもらう」満足感のほうが上回っていることだ。よく考えずに、浅はかな思い付きから軽率な行為に走り、あとで解雇され、それどころか勤務先から損害賠償まで請求される可能性が出てきたときに、初めて後悔することになる。

たとえ2~3人で冗談を言い合っているうちにエスカレートしたとしても、相互に自制し合うのが人間の理性である。そもそも「仕事」の傍らで悪ふざけをすることは言語道断であり、社会人としての資質が欠けていると断じないわけにはいかない。彼らが社会人として仕事に就く前には、厳しくかつ懇ろな再教育が必要であろう(お恥ずかしい話だが、私がいまの業界で働き始めた駆け出しのころに、これに近いレベルの愚行があったことは、正直に告白しておこう。当時のことなので、ネット投稿などはしなかったが...)。

ところで、これらの愚行の背景には、もう一つの見逃してはならない論点が存在する。

それは以前のエントリーでも指摘した「食物を大切にしない文化」である。

愚行を犯した連中のうち多くが生まれたのは、1990年代後半であろうか。三十代以上の方は、その少し前、1993年に起こった米騒動について、記憶しておられる方も少なくないのではないか。

この年、日本国内で米が冷夏のため大幅な不作となり、政府はタイに要請してインディカ米を緊急輸入した。タイでは日本の窮地に支援しようと、国の備蓄米まで含めて最大限の量を輸出した。そのためタイ国内では一時的に米不足を招き、貧困層の飢餓まで発生している。

ところが、タイの人々にそこまでの犠牲を強いて輸入した側の日本の人々はどうだったのか? 何と、このインディカ米が食感に合わないとして、廃棄したり、家畜の飼料にしたりしたのである。そのため、当然のことながらタイの人々から強い批判を浴び、外交上の支障にまで及んだ。

背景事情はいろいろあろう。「美味しく感じなかった(むかしの南京米の食感だった)」「食生活のスタイルを転換できなかった(カレーやピラフを取り入れるなどの変更ができなかった)」「インディカ米に適合する調理器具、調理方法が浸透していなかった(日本の炊飯器では上手に炊きにくかった)」「農政が愚劣だった(日本の米とインディカ米とをブレンドするバカバカしい指導をした)」「国レベルの意思疎通が不十分だった(タイ側が日本人の食感に合う高級米を輸出してくれなかった)」、などなど...

しかし、あえて言おう。「理屈は取り餅と同じ」。つまり、くっつけたいところにくっつくのだ。上記のどれ一つ取り上げても、食べ物として口に入るインディカ米を粗末に扱って良い正当な理由にはならない。現実に日本では米が大幅に足りなかったのだ。それでも米を食べたいのであれば、入手できるものを食べるしかない。

あえて言えば「ブレンド」だけは全くの愚策だったが、そもそも多くの日本国民がタイの農民たちの労働に感謝して、輸入したインディカ米をありがたく消費していれば、農政当局もブレンドなどというバカな方策を生み出す必要もなかった。

なのでこの年、私は〔自宅では、米農家だった父方の従姉が、父が実家に居た大昔から毎年、「家族分」として配分してくれていた米を、母が炊いてくれて食べることができたので〕、一食でも多くインディカ米を消費しようと、外食のたびにインディカ米の加工品を食べまくった。わずかな一人の食事であっても、せっかくタイの人たちから提供されたものである以上、大切にいただきたかったから。

しかし、当時の職場や地域など私の周囲の人たちを見渡しても、大部分は日本米を何とか入手しようと躍起になっており、インディカ米は排除する対象としてしか見なしていなかった。

つまり、「バカッター」「バイトテロ」の若者たち〔の大部分〕が生まれる前から、日本人の大半は食物を大切にしてこなかったと表現することもできる。極論かも知れないが。

むろん、この一事だけで民族文化すべてを評するべきではない。しかし、上述のような市民が大半を占める社会の中で生まれ育った若者の世代に対して、食物を大切にすることを求めるほうが、そもそも無理難題なのだ。

少なくとも、1993年にインディカ米を粗末にした人間は、この二つ目の論点に関して「バカッター」「バイトテロ」の連中を非難する資格はない。自ら食物に向き合う姿勢を省みてほしい。考え方を改めなければならないのは、あなた自身であることを肝に銘じるべきである。

2018年12月 5日 (水)

教育機能の欠如

12月に入り、忘年会シーズンたけなわである。

 

ところで、私は宮仕えしていたとき(合計15年余)、最初の2~3年を除いて、その後は職場の忘年会に出るのがあまり好きではなかった。

 

「なぜだろう?」とことさらに問い返したこともなかったのだが、いまになって思い返してみると、単なる職場内親睦のための「息抜き」「浮かれ騒ぎ」に終始してしまっていたことが、大きな理由だった。

 

たとえば、同じ時期に出ていた社会福祉士会の忘年会では、杯を傾けながら、福祉業界におけるさまざまな分野での、クライエントへのアプローチの違いや苦労したエピソードなどを語り合い、視野を広げることができた。また、外国人労働者支援団体(ボランティア)の忘年会では、楽しく食事するためのマナーを分かち合うところから、文化、宗教、思想など多岐にわたるまで、熱く意見を交わすことができた。

 

残念なことに、旧勤務先の忘年会には、その類の収穫がなかった。せっかく他社からゲストを呼んでも、そのゲストとの「間」の取り方(「親しき中にも礼儀あり」)を教わるわけでもなく、歌や隠し芸や世間話・噂話が主流になっていた感が強い。

 

介護支援の技術にしても、ビジネスに臨む姿勢にしても、何かを一からしっかり指導・伝授してもらった記憶があまり残っていないことを考えると、全体として、職場の教育機能が乏しかった印象である(あくまでも私が在職していた当時の状況であることを、お断りしておく)。それが忘年会の様相にも影響していた。

 

同様な職場は、業界を問わず各方面に散見される。建設業をはじめとして、人手不足を嘆く事業所が多いが、教育機能が欠如しているために人が集まらない、定着しないことを理解していない事業所が少なくない。

 

若手に魅力のある職場では、実際に優れた上司(中間管理職)や先輩社員がいて、部下や後輩に対する教育機能が充実している。そこで育った若手がやがて中堅になって、こんどは後進に対して優れた指導をしていく、好ましい連鎖が続く。

 

そのような事業体では、「人」を大切にする。坂本光司氏(経営学者)は、企業が一番大切にすべき対象は「社員とその家族」だと述べているが、至言である。

 

メディアにときどき取り上げられる秋山利輝氏が率いる横浜の秋山木工。全寮制で5年間ストイックな生活を強いる「現代の丁稚制度」を続けているため、ブラック企業だとも評されているようだ。しかし関連情報を調べた限り、職人から丁稚へ、兄(姉)弟子から弟(妹)弟子へ、一つひとつ念入りに木工の技術を伝達しながら、ものづくりの精神をしっかり継承させる方式が確立しているとのことだ。秋山氏の方針で、同社の丁稚は年二回しか帰省できない代わりに、家族との手紙のやり取りは頻繁にしているとのこと。厳しい「修業」に耐えられずに脱落してしまう若者も多いようだし、時代にそぐわない面もあるかも知れないが、教育機能自体はたいへん充実した事業体だと言えよう。

 

これほどではないにしても、現場ではプロフェッショナルとしてあるべき姿、技術や心構えをしっかり伝授していくことが大切である。「上司や先輩も忙しいんだから、自分で見て覚えろ」では、本当に現場で使える社員(職員)が育たない。

 

介護業界に話を戻すと、これから地域で望まれる施設や事業所にしていくためには、現場での教育機能の充実が必須条件だ。株式会社、社会福祉法人、医療法人、NPOなどの種別を問わず、この機能を持たない事業体には、先細りの運命しか待っていないであろう。

 

市民にとってみれば、そのようなところで劣悪な介護を受けるよりは、早くツブれてくれて、優良法人に合併してもらったほうが、幸いだとも言える。

 

教育機能の欠如は、経営者にとっても死活問題だと認識してほしい。

2018年6月21日 (木)

AIとケアマネジメント(3)

前回より続く)

さて、私が最も好きな炭水化物系(主食系)食品は「のり茶漬け」である。

これは少年時から一貫して変わっていない。

しかし、このことを公開するのは全く初めてである。亡くなった母以外の人には、これまで一度も「のり茶漬けが一番好きだ」と言及したことはないし、HPやブログやFBに画像を載せたこともない。せいぜい、のり茶漬けのメーカーの商品情報を、過去数回クリックして閲覧した程度だ。

おそらく、私と昵懇な人たちを含め、ほとんどの知人が私のことをラーメン大好き人間だと認識しているのではないか。私がブログやFBに掲載する画像はラーメンが圧倒的に多く、他にはパスタ、カレー(+ライスまたはナン)、パン(お惣菜タイプ)、チャーハン、つけめんなどがある。

FBや@NiftyやGoogleなどは、当然だがICTを駆使して私のエントリーやコメントから個人情報を収集している。しかしながら私のエントリーなどの中に「のり茶漬け」のキーワードが圧倒的に少なければ、それはラーメン、パスタ、カレーなどに比べてマイナーな情報としてしか扱われない。そのため、私に対して開示される広告は、ラーメン関係を中心に、運営会社が私の関心を引きそうだと見なしているものが多い。「のり茶漬け」に関する広告を見ることは全くと言っていいほど、ない。

しかし、「IoT」の普及によって、生活の中のさまざまなグッズがネットでつながることになると、状況は変わってくる。

たとえば私が食品庫からのり茶漬けの素を取り出す、食器入れから大きめの茶碗を取り出す、炊飯ジャーからご飯を盛る、ポットからお湯を注ぐなどの一連の動作が、週に3~4回行われることがデータとして記録されれば、私がブログやFBなどで言及していなくても、私が「のり茶漬け」を好んで食べる事実がクラウドに蓄積されてデータ化され、かなりの精度で、「ジョン‐トラブッたはのり茶漬けが大好物だ」と結論付けられるであろう。

このような個人の行動を最先端のICTによってクラウドに何千人分、何万人分と集積すれば、AIが人の日常生活行動を読み取るためのビッグデータとなる。進化するAIは、このデータをもとに私の食生活プランのベースになる部分を割り出して、サンプルを示すことができるであろう。さらにそこに対して、いくつかのバリエーションを加えることも可能になると考えられる。

他方、AIでは絶対に踏み込み切れないであろう部分も存在する。たとえば理屈抜きに、「いま死んでもいいから○○系のラーメン食いてぇ!」と思ったときに、私の心を読んで、スジュールや機動力、健康状態などをすべて総合した上で、私の欲望を優先させ、のり茶漬けの合間に的確な頻度でラーメンを割り付けることは、AIには困難であろう。

これが、私のことをよく知っている「食生活プランナー」の達人であれば、私の顔色や習性を敏感に読み取って、「週何回ののり茶漬け、昼食は月1回は△△屋、月1回は◇◇屋のラーメン、ただしインターバルは□□日以上置いて...」みたいな割り付けをして、それに基づいたアドバイスができるかも知れない。体調による変動にも臨機応変に修正できる能力が期待される。

また、すべての人がIoTの便利な生活を実現する金銭的な余裕があるわけではなく、余裕があってもすべての人がそれを望むわけではない。防犯などに活用できるメリットは確かに大きいが、他方で生活全体を監視されるのと同じことになるから、大衆が全面的にIoTを導入する動機には、何らかの抑制がかかることが予測される。

とすれば、ビッグデータが存在したとしても、そこからAIが人の生活に関するすべてを統御することは現実的に不可能であると考えて良い。

当然であるが、生活全般を側面的に支援すべきケアマネジメントも、AIによって全面的に取って代わられることはないことになる。

この課題は実に深い。政府が推進しているSociety5.0の動向を注視しながら、機会を改めて論じてみたい。

2018年6月13日 (水)

AIとケアマネジメント(2)

前回より続く)

したがって、私たちケアマネジャーや介護職員が新たな時代を生き抜くためには、これらの用語を整理して使い分け、立ち向かっていかなければならないのだが、現実にはそれができていない。

たとえば、一昨年10月に開催された政府の未来投資会議の席で、日本介護支援専門員協会の役員が「ケアマネジメントの全面ICT化には憂慮する」との意見を提出した。

この事案の資料に目を通したとき、全面ICT化に大賛成である私は、正直、「おいおい、大丈夫か?」と思ったものだ。「全面ICT化」とは、「(最先端の)情報通信技術を全面的にケアマネジメントへ取り入れる」の意味である。これからの世代のケアマネジャーが、日進月歩する情報通信技術を駆使できなくてどうするのか?

あくまでも私の推測であるが、この役員の意図するところは、おそらく「情報通信技術の進化に乗じて職能の本質的な部分が軽視され、人工知能がすべてを統御する行き過ぎた状況になることを憂慮する」であろう。それならば、私の見解と大きな隔たりはない。

しかし、そう言いたいのであれば、ここでの意見は「ケアマネジメントにおいて、全面ICT化を進めることには賛同するが、全面的にAIを導入することには憂慮する」でなければならない。私も含め、介護支援専門員は先端技術の専門家ではないのだから、個人としては混同したり言い間違えたりすることもあろう。しかし、一昨年の事案は、政府の公式な会議に、日本の介護支援専門員を代表する団体が公式な見解として資料を提出して発言したものなのだ。自分たちが専門用語を理解できているのか、しっかり調べてから提示すべきではないだろうか。このような場で「知ったかぶり」をしてしまうと、団体の指導部が恥をかくことになりかねない。

私の主張は「全面ICT化は大いに結構。それを推進することにより全面的にAIに取って代わられる程度の仕事しかしてこなかった人は、ケアマネジャーを名乗る資格がない」である。いろいろな場に臨んで、自分ではその趣旨で話しているつもりだ。わかりにくかったのであれば私の説明が不足していた面があるかも知れないが、他方で、聴き手側の「調べて理解する力」も求められるであろう。

この「ケアマネジメントの全面ICT化推進」と「ケアマネジメントへの全面的なAI導入不可=絶対に人間でなければできない仕事が相当部分残される」とは表裏一体であると、私は考えているが、この両者を関連付けるキーワードが「ビッグデータ」である。

ビッグデータ(big data)とは、計算機において一般的なソフトウェアにより扱える容量を超えたデータの呼称である。単にデータの量が大きいだけではなく、データの種類がバラエティに富んでいることや、データが置かれる時間や空間によって変化していくことが、ビッグデータの特徴として挙げられるであろう。

それでは、ビッグデータが私たちの仕事において具体的にどのような形で存在し、ICT化やAIの導入にどう絡むのだろうか? 次稿では予測される実例を挙げて論じてみよう。

次回に続く)

2018年6月11日 (月)

AIとケアマネジメント(1)

昨10日、静岡市で特定非営利活動法人・静岡県介護支援専門員協会の年次総会があり、会長からの推薦により、議長を務めさせていただいた。

そのあと、全体研修会となり、私のダジャレ友達(?)である菊地雅洋さん(北海道介護福祉道場あかい花)が、『平成30年度介護報酬改定大解剖~医療・介護大連携時代に求められるケアマネとは~』と題して、二時間半にわたって熱気あふれる講演をしてくださった。

菊地さんは昨年8月に別の講演のため浜松を来訪されており、そのときには私の開業16周年にも立ち寄ってくださっている。7年前の県協会、昨年の三島を合わせると、当県ご訪問は四回目になるようだ。来場者は250人と、7年前に比べると半数程度だったが、わかりやすい分析と予測、ケアマネジャーへの強力なエールとに、聴き惚れていた人たちが多かった。心に響く講演だったので、会員の一人として菊地さんには心から感謝申し上げたい。

そのあと、会場を駅南のホテルに移して懇親会。すでに役員を退いたのにもかかわらず、総会議長を務めた「お駄賃(?)」なのか何かわからないが、事務局が私も混ぜてくれたので、正副会長や自主事業委員とご一緒にビュフェ‐パーティーに参加させていただいた。菊地さんから見ると半数以上が初対面だったかと思うが、予想外に盛り上がって話に花が咲いていた。

20180610century

さて、菊地さんの講演内容にはコンテンツが盛りだくさんであったが、氏が触れておられた内容の中から、おそらく時間の関係であまり詳述されなかった課題を一つだけ取り上げて、何回かに分け私流に論じてみたい。

それは、「AIとケアマネジメントの関係は、今後どうなるのか?」である。

まず、多くのケアマネジャーや介護職員の間では、関連する用語が混乱していると思われるので、以下に整理しよう。

・AI(artificial intelligence)→人工知能。人間の知的能力を計算機上で再現するための技術やシステムの総称

・ICT(information and communication technology)→情報通信技術。計算機関連技術(IT)をさらに進展させた用語で、その技術を人と人、人とモノとの「通信・伝達」分野へ広く応用していくことを含んだ概念

・IoT(internet of things)→モノのインターネット。日常生活で用いられるあらゆるモノがインターネットに接続されて統御される仕組み

ただ「AIが来る」などと心配しているだけでは何も始まらない。このAI、ICT、IoTがそれぞれ私たちの仕事であるケアマネジメントにどう影響するのか、冷静に整理してみる必要があるだろう。

これらの用語に代表される社会は、すでに現実のものになりつつあるからである。

次回へ続く)

2018年5月 5日 (土)

関連する法令改正にご注意!

一つの業界で長くプロフェッショナルとして仕事をしていると、その業界の分野に関連する制度や政策の動向には(人によって得意不得意な部門はあるにせよ)精通していく。当たり前だ(でなければ、その人の能力に問題がある)。

しかし、どの業界も他の分野と少なからず関連しているのだから、必要に応じて周縁の分野に関する制度や政策についても知っておかないと、誤りや損失を招く恐れがある。私たちの介護分野に関しても、また然りである。

たとえば、2012(平成24)年7月から、住民基本台帳法が改正され、介護保険の適用対象となる外国人が、それまでの「日本滞在一年以上」から「日本滞在三か月超」となった。これは介護保険関連の制度改定ではほとんど注目されておらず、外国人集住地域の一つである当・浜松市でも前年度末の事業者説明会では市当局から言及されなかったので、私(当時、市の介護支援専門員連絡組織の代表だった)が市当局へ要請して、市内の介護支援専門員が集まる機会に行政説明をしてもらっている。

さて、介護関連の職能団体、業界団体、サービス事業所運営団体の中には、特定非営利活動法人、いわゆるNPO法人で事業を運営しているところも少なくない。実は今般、このNPOに関わる改正点があるのだ。

2016(平成28)年6月、特定非営利活動促進法が改正され、NPO法人の資産総額変更登記が不要になった代わりに、貸借対照表の公告が義務付けられることになった。これは今年=2018(平成30)年10月1日より施行される。

したがって、法人の定款中、公告の方法(多くのNPO法人では終わり近くの条文)に、「官報に掲載して行う」ことが明記されている(複数の方法併記であっても、官報掲載が含まれている)場合には、毎事業年度、貸借対照表の公告を官報に掲載しなければならない。もともと自治体や関連団体が提供してきたNPO法人定款例の記載がそうだったので、それをなぞって定款を作成したところは、みな同様な記載になった。ただし、これは法改正以前、法人の解散などの特別な場合にのみ公告することを想定したものである。

もし、貸借対照表の公告を官報に掲載すると、通常はどう縮小しても二枠(一枠は1段6分の1=2.9cm×6.1cm)以上を要する。そのため、毎事業年度これを行うとすれば、毎年72,978円以上の出費となる。

先日、私が所属している某職能団体の事務方がこれに気付いていなかったことを、事務方と電話で話していて偶然把握した。そこで、理事会に諮った上で、来月の定時総会において定款を変更したらどうか?と意見を出しておいた。7万円超は決して少ない金額ではない。改正が事前にわかっていたのにもかかわらず、ケアレスミスで出費を強いられたとしたら、大きな損失だ(直前に所轄庁から提出を求められ、あわてて臨時の「委任状総会」を開くとしても、ハガキ代や人件費などでそれ以上の出費になってしまう)。事前に回避できたのは幸いであった。

そこで、介護業界関係の職能団体、業界団体、サービス事業所運営団体などのNPO法人の中に、定款で公告方法を「官報掲載」と定めておられるところがあったら、定時または臨時総会などの機会に定款を変更されることをお勧めしたい。特にサービス事業所の多くは、日夜苦労して節約に努めながら厳しい運営をされているところがほとんどであろう。ゴールデンウィークを過ぎてから定時総会を予定されている法人も多いと推測するので、定款変更議案の作成がそれに間に合うことを願っている。

変更の具体例は内閣府NPOホームページに示されているので、参照されたい。
https://www.npo-homepage.go.jp/uploads/201702-kaisei-bs-koukoku-ex.pdf

2018年4月 5日 (木)

介護離職についての考察(7)

母が死去して一か月。各所への支払いがいったん終了し、相談した司法書士の指導を受けて、(たいした額ではないが)相続手続きのための書類を集めているところである。

他方、本業のほうはどうなっているかと言えば、昨年の春から夏にかけて、(推定)6人前後の利用者さんを確保し損なったため、冬に入ってからの逝去や施設入所やらで、利用者さんの数が大幅に落ち込んでしまった。

介護者としての拘束から解き放たれたので、失地回復に努めなければならないと思っている。私がもう少し若ければ、全く新しい仕事をベンチャー的に起こす可能性が開かれているかも知れないが、いまとなっては体力的な制約もあり、難しい。次世代の人たちには「こんな道もある」と背中を押してあげながらも、自分自身はおもに従来の業務の延長線上で仕事を続けることになろうかと思う。

さて、私は幸い自営業であったから、「介護離職しなくて済んだ」のである。

それでは、平均的な収入でつつましく生活していたところで「介護離職を余儀なくされた」中高年の独り者(性別にかかわらず)が、私同様、要介護3程度になった親を一年以上介護した場合はどうなるのだろうか。

まず、退職に際して雇用保険の失業給付は受けられる場合が多いが、当然のことながら職に就いていたときと同程度の収入は無くなる。加えて、介護サービスを導入しないと一人で介護を続けるのは厳しいので、サービスの種別にもよるが、これまでかかっていた衣食住の生活費に加えて、サービス事業者に支払うお金が必要になる。親が年金をもらっていても、そこから相当額の支払いが生じ、生計に影響するところが大きい。

そして、親の介護が終了した後は、よほど売り手市場になるような知見や技術を持っていない限り、すぐに再就職するのは難しい。年齢やキャリアの中断が障害になってしまうのである。介護が長引けば長引くほど、再就職は厳しさを増す。

これまでもいくつかのエントリーで述べてきたが、日本ではまだまだ、介護離職しないための仕組みが不十分である。それは企業側にも言えることであるし、介護サービス側にも言えることである。後者に関しては特にハコモノ作りが優先し、人の確保が追い付かないため、離職せずに「休業」や「業務縮小」に止めたい人たちのニーズに全て応えることができない。したがって、どうしても一定程度の介護離職者が発生せざるを得ない。

よほど余裕のある家庭ならともかく、多くはひとたび介護離職してしまうと親の年金に頼らざるを得ず、その親が死亡するとたちまち生計が苦しくなってしまうのだ。配偶者などの家族がいる場合と異なり、独りでは食費や光熱費のスケールメリットが無いことも、大きく影響する。

こう考えると、ときにメディアの紙面に登場する「年金詐取」も、それ自体は確かに犯罪に違いないが、理解できないわけではない。親の年金受給権者死亡届提出を意図的に怠り、不正に年金を受け続けてしまう独身の中高年がときどき問題になるのは、現実の生活苦が目の前に横たわっているからにほかならない。これまでともに生活していた親が「いない」という現実を受け止められない人さえいるのだ。私自身が体感して、その人たちの気持ちを痛いほどよく理解できた。

介護支援専門員や介護サービス職員などの従事者にとっても、決して無縁な話ではないのだから、重く受け止めてほしい。

すでに各方面でソーシャル‐アクションを始めている人たちはいるが、当事者の切実な声が政策に反映されるように、全国レベルでも地方レベルでも、業界仲間が力を合わせて地道に訴え続けていくことが求められるであろう。

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