介護

2018年9月18日 (火)

プロフェッショナルはどうあるべきか?

私の事業所の開業記念日は三つある(^^;

8月17日 看板「ジョアン」を掲げた日(17年前)

9月15日 居宅介護支援事業所ジョアンの指定を受けた日(同上。浜松NPOネットワークセンターに宿借りさせていただき開業した)

10月1日 有限会社ジョアンで仕事を始めた日(14年前)

どの日も私にとって大切な日だ。

一昨年の10月1日に15周年記念企画(ご参加は午後・夜間合わせて14都府県66名)を開催し、昨年の8月17日には16周年の交流会=二時間だけの飲み会(ご参加は5道県13名)を持った。今年は9月15日が土曜日に当たるので、4~5名でも集まっていただければ嬉しいなと思いながら、図々しく「開業17周年...を口実に飲もう会」を呼びかけてみた。

41831238_2246070638956578_253296649

結果、4県8名の方々が参加してくださった。在宅複合型施設・長上苑の施設長で、県ケアマネ協会の副会長でもいらっしゃる鈴木さん、北区でケアマネジャーをされている中川さん、西区で中古セニアカー販売業をされている中山さん、民間保険会社でお仕事をされている元介護支援専門員の松下さん、聖隷クリストファー大助産師専攻科教授の久保田君枝さん、神奈川県秦野市で協働型の独立居宅を運営されている松田智之さん、愛知県豊川市で介護事業の経営に携わっておられる平田節雄さん、奈良県在住で介護事業所の環境整備のため各地を回って指導しておられる山下総司(そうし)さんが、この二時間の飲み会のために集合してくださった。特に鈴木さん、中山さん、松田さんは三年連続のご参加となる。

それぞれお仕事の分野や活動されている地域が異なり、介護業界内外にわたる広い範囲になるが、どなたも周囲からの信頼が厚い方であり、とても心強い仲間だ。

まずは自己紹介から始まったが、主題になったのはもっぱら、介護に関連する専門職≒プロフェッショナルのあるべき姿である。今回は、利用者本位、現場業務の改善、人手不足、介護職の意識、医療連携、職員教育等々、「自分たちは何を基盤に仕事をすべきか?」を強く打ち出したミーティングになった。特に、看護師が介護現場の中で福祉系職員とどのように協働していくのかに関して、久保田さん、平田さん、松田さんが三者三様の立場で持論を述べ、そこに他のメンバーの意見が絡んで、実に興味深い展開となった。

また、介護職の今後のありかたについて、少し異なる業界で働く松下さんや、少し離れた立場の中山さんからの見方は、とても貴重であり、参考になった。

締めは山下さんのご見解。私たちが飲食したあとテーブルをわざわざ消毒するわけでもないし、私たちは決まって三時におやつを食べるわけではない。なのに全利用者に対してそうするのが当たり前になってしまっている施設が少なくない。業務のルーティーンに捉われて大切なものを忘れてしまっていないか? という投げ掛け。まさに、介護に携わるすべての人が振り返るべきことであろう。重みのあるお話であった。

41990734_2246134445616864_665405489

今回はやや広めながら、全員で一つのテーブルを囲みながらの会食であったため、お互いの顔が見えるインティミットな議論ができたことは、一つの大きな成果だと言えよう。勝手な推測だが、参加したメンバーの多くにとって、学び、持ち帰ったものは少なくなかったと思われる。

所用で早々に帰られた方もいたため、全員ではないが、お開きのあと集合写真(画像)も撮ってもらった。残念ながら、この日は「記念クーポン」を用意していなかったので、後日、みなさんに些少なりとも何か差し上げようかと考えている。

自分としては満足度大の飲み会。今後も業界内外の仲間がそれぞれの仕事に勤しむ中、私たちの常識が社会の非常識になってしまわないためにも、ときどきはこのような分かち合いの場を持ちたいものだ。

2018年8月19日 (日)

18年目、進むべき道は?

一昨日(2018年8月17日)をもって、当所「ジョアン」は開業満17周年を迎えた。

これほど長く、一人親方としてケアマネジャーを務めてこられたのは、日頃から私の仕事のスタイルを理解してくださっている多くの方々のご支援のたまものである。この場を借りて、心からお礼申し上げたい。

ところで、17年にわたって続けてこられたのには、いくつかの要因がある。

まず、何よりも、私自身が健康でいられたこと。入院するような大病にもかからなければ、不慮の事故などに巻き込まれることもなかった。むろん、自分の健康管理だけで可能なわけではなく、私が幸運に恵まれたことにもよる。「運も実力のうち」の一形態なのかも知れない。

次に、ケアマネジャーの仕事の性格である。意外に思われるかも知れないが、ケアマネジャーは報酬(公定価格)こそ低いものの、他の士業士に比べると、経済的には安定した職種なのだ。歯科医師の先生とか司法書士さんとか税理士さんとか、確かに社会的な地位はケアマネジャーより格上であり、士業士として仕事をした対価はケアマネジャーよりはるかに高いのかも知れないが、当月の仕事がそのまま次月も継続するわけではないから、かなりの数の顧客を確保しておかないと、月々の安定した収入を得るのは厳しいのも現実だ。その点、ケアプランの数に応じて、介護報酬として毎月一定程度の収入が見込めるケアマネジャーの仕事は、それなりに安定していると言うことができる。

それから、地理的な条件。私の自宅は浜松市内でも中心部から北西寄りの郊外であるが、この地域の風土は保守的、誤解を恐れずに言えば新たな試みに対し「冷淡」であって、一人親方のケアマネジャーに仕事を頼むより、大きな施設や病院を頼って併設の居宅介護支援に「いろいろとお願いします」になってしまう住民が多い。そのため、私は最初から自宅開業では早晩ツブれると読み、浜松駅南に事務所を持つことにした。この計算が当たったことは、長期的な戦略の上で大きかった。駐車場所のない利用者さん宅へ、駅からバスに乗って出向くことができるのも利点である。

そして、周囲からの支援。特に最初の三年間、法人格を含め宿借りさせていただいた「特定非営利活動法人 浜松NPOネットワークセンター」さんと、有限会社に移行した四年目以降、格安価格で事務所を貸してくださったのに加え、折に触れ便宜を図ってくださった「カゼェルBIG」さんとの、ご両所には感謝の言葉もないほどだ。

Michi

最後に、自分自身の基本姿勢である。一人親方のケアマネジャーに対する関係者の評価はさまざまであるが、私自身がその世評に右顧左眄せず、利用者さん本位の仕事をする姿勢を貫いてきたことが、上記ご両所を含め、医療関係者や介護・福祉関係者から共感、信頼をいただき、利用者さんのご紹介や講演等のご依頼に結び付いたと考えている。もし私が自分の営利を最優先にして独善的な姿勢を取っていれば、最初は期待していた人たちからも見捨てられてしまったであろう。

さて、18年目に入ったわけであるが、これから進むべき自分の「道」はどこにあるのか?

年齢的な制約もあるが、もちろん、単純に引退モードへ入ることを考えているわけではない。自分自身の可能性を低く見積もってはいないのだから(笑)。

一年前に打ち出した「零細独立型居宅の連合形成」は一つの方向である。最近開業した地域のケアマネジャーたちと名刺交換する機会も得た。仮にその方向を目指すとしても、自分が「個」のケアマネジャーとしてどうあるべきかとの課題は常に付いて回る。

制度の変転も影響するため、簡単に予測できない面もあるが、これまでの路線をしっかり「継続」しながら、新たな道を切り拓いていくことができるのか?

いわば手探りの一年になるかも知れないが、目標を見失わないように日々の仕事に勤しみたいと思っている。

2018年8月12日 (日)

なんとか業績回復(^^;

私の事業所の収益は、先月分に至って、ようやく昨年2月の水準(倒産せずに何とか事業所を存続できるレベル)に戻った。実に17か月ぶりの業績回復である。

亡き母の介護が本格的に始まったのが昨年の1月末。このときの利用者さんの数(給付管理数)が22名であった。それから5月までは新規利用者さんの受け入れをすべて中止。その後も自分自身の時間や行動範囲の制約から、遠方の方や、「申請中」でも要支援になる可能性が強い方は、受任をお断りせざるを得なかった。そのため、母が帰天した3月5日の時点では、利用者さんが13名まで減少してしまう(病院への長期入院や施設入所などによる)。私自身は母の状態に大きな変化がない限り、自宅で介護していくつもりだったから、この状態があと一年続いていたら、仕事の継続自体が難しかったかも知れない。

天の配剤か、母本人が私のことを心配して人生を上手に締め括ってくれたのか。それはともかく、3月8日の葬送を終えたあとは、自分の時間を自由に使えることになった。

ちょうど年度末でもあったので、浜松市の介護保険課へ出かけて、介護認定審査会委員か、介護認定調査員のいずれかを受任できないか相談してみた。

審査会委員であれば、あらかじめ送られた資料に目を通して、自分の空いている時間に「予習」すればよく、月2回の会議で合わせて4万円(?)は安定収入になる。しかし、市の介護支援専門員連絡協議会が推薦母体になっていないため、私の場合なら静岡県社会福祉士会から推薦してもらうことになるが、2019年2月の委嘱だとのこと。県社会福祉士会には最近ご無沙汰してしまっているので、私を被推薦リストに入れてくれるかどうかわからない。また、入れてくれたとしても、実質的に審査会の仕事が入るのは一年先になってしまうので、「待てない」のが本音だ。

調査員のほうは、開業当初には結構な件数を受けていた。しかし、16年前に父が危篤状態だったとき、一件調査の予定が迫っていたので、すでにキャンセルできる状態ではなく、母に父を託して出かけたが、帰宅したら父はすでに息を引き取っており、看取ってやることができなかった。そのトラウマが残ってしまい、ほどなく調査から手を引いてしまったため、2009年の項目大改定後の調査員研修を受けていない。

Img_0400

それでも、母を看取ることができたことによりトラウマから解放されたので、市の担当者に調査員数の現状を聞いてみると、慢性的に不足状態を免れないとの回答。であれば、受けるとしたらこちらのほうだなと思い、5月の新任研修を受け直して調査員を受任することになった。

市からの調査委託は、6月は2件と少なかったが、7月は10件、8月は9件となっている。慣れてこれば調査自体も50~70分程度で済ませ、特記事項の記載にもそれほど多くの時間を割かないので、それなりの収入にはなる。

利用者さん(居宅介護支援)の数も、知人や地域包括支援センターからの紹介、他事業所の職員退職に伴う一部の利用者さんの引き継ぎなどにより、8月は20名(給付管理数。月末時点での予定)まで増えた。認定調査と合わせると、ひとまず17か月前の水準には戻したことになる。

こう考えると、自営業のメリットは大きい。私ぐらいの年齢の独身者(性別にかかわらず)が勤務先を退職してしまうと、介護していた親が死去した場合、年金も入らなくなってしまうから、再就職しない限り、収入の道が途絶えてしまう。しかし、特別な技術などを持ち合わせていない限り、中高年の職探しはなかなか厳しいのが現実だ。人手不足状態のため雇ってくれる会社があっても、こんどは勤務条件が結構キツい場合も多い。

自分の場合、曲がりなりにも長く健康を維持して、自営業を続けてきたことが幸いしたと思っている。

さて、先月、母の未支給年金が入った。しばしば口癖のように、「私のお金で美味しいワイン買って飲みなさいよ」と言ってくれた母の意向に沿って、楽しませてもらうとしよう(^^*

2018年7月30日 (月)

多職種協働には二種類ある

ケアマネジメントの標準化とか、ケアマネジャーの資質向上とかいった言葉が、私たちの周りを迷走しているようだ。それも、ケアマネジャーたちがおもに医療関係の人たちから、いわば宿題を突き付けられ、それをこなすために必死になっているのが現実だ。

個人的に言わせてもらえば、これはあまり芳しくない。医療の下支えをするのがケアマネジャーの職能ではないからである。

介護保険制度の開始に伴い、制度上の「介護支援専門員」として位置付けられたケアマネジャーにとって、本来果たすべき役割は、これまで縦割りになっていた保健・医療・福祉を横断的に結び付け、一人ひとりの利用者の生活課題に即して、必要なサービスを調整することであったはずである。

そのためには、ケアマネジャーが現在の高齢者・障害者医療を概観し、どの分野で何が行われているかを知っていなければならないのは当然である。しかし、それはケアマネジャーが医療知識を詰め込むべきだという意味ではない。

むしろ、一つの分野だけに該博にならなくても、保健・医療・福祉の各分野に対して均等に理解を深め、横断的な連携を図ることがケアマネジャーの役割であろう。すなわち、多職種協働=IPW(inter-professional work)である。

ところで、このIPWは大きく分けて二種類の形態を採ることをご存知だろうか?

一般的なIPWでは、ケアマネジャーとか、医師とか、地域包括支援センターとか、その他の事業所・機関などが、利用者や介護者からの相談を受け、利用者の生活課題に沿った介護サービス等のサービスを紹介する。こうして揃った各種別のサービスを横断する形で、ケアマネジャーがケアプランを作成し、それぞれのサービスに従事する担当者が生活課題達成のために協働することができるように、サービス担当者会議等の機会を設けて連絡調整を行う。これを仮にIPW「A」としよう。

しかし、割合はたいへん少ないものの、もう一つの形のIPWが存在する。こちらを仮にIPW「B」としておく。

このIPW「B」に該当するのは、おもに、利用者や介護者が企業経営者や士業士などの場合である。それぞれが社会奉仕団体(ロータリー、ライオンズ、ソロプチミストetc.)等の場で同業他社や異業種の企業経営者等とのネットワークを作っているから、この中からIPWが生まれるのである。すなわち、利用者や介護者が自ら、「医療なら〇〇病院の理事長に」「住宅改修なら△△株式会社の社長に」といったやりかたで、サービスを選択していく。いわば社長同士の信頼関係を踏まえた「利用者・介護者による選択権」が最大限に行使されるのだ。

この形態の場合には、ケアマネジャーにとっての課題がいくつか生じる。

まず、居宅介護支援事業所がたとえば地域包括支援センター等からの紹介で選任された場合、ケアマネジャーが初回訪問したときにはすでにサービス利用が内定しており、アセスメントが後回しになってしまうことがある。ここでケアマネジャー側から白紙に戻すような提案は、利用者や介護者の顔をつぶすことにもなりかねないので、よほどのミスマッチでない限り、なかなか切り出しにくい。

次に、相手側経営者の「顔」でサービスを選ぶのだから、利用者の生活課題からノーマティヴに判断すれば、最善の選択でなくなる可能性も少なくない。ケアマネジャーの目で見て、「確かにそこでも良いのだが、こちらのほうがさらに相応しいのでは?」と思われるサービスがあっても、候補から外さざるを得ないことも起こる。

それから、何のためにそのサービスを選ぶのか、長期目標や短期目標に相当する選択の趣旨が不明瞭になることがあり、特に依頼された「理事長」「社長」がその認識に薄いと、部下の担当者に対して説明ができていないから、ケアマネジャーがあとからケアプランの整合のために苦慮することもあるだろう。

最後に、これが最大の問題なのだが、IPW「B」の構造になっているのにもかかわらず、ケアマネジャーがIPW「A」のつもりで臨んでしまうと、適切なケアマネジメントができないことだ。利用者や介護者にとってみれば、自分を中心に「○○理事長」「△△社長」が介護に関わる「仲間」であり、そこに(それも末席あたりに)ケアマネジャーが加わっている認識である。特に被用者である介護支援専門員ならば、たとえば〇〇理事長の部下である担当者Cさん、△△社長の部下である担当者Dさんなどと同列になるのだから、ある意味、当然の認識なのだ。

したがって、ケアマネジャーがCさんやDさんとサービス担当者会議を行ったり、電話やFAXで連絡調整したりする際には、常に利用者または介護者が、「○○理事長」や「△△社長」らとどんな関係性を持っているかを意識していないと、思わぬ失敗をしたり、気が付かないままに利用者にとっての最善から外れてしまったりする可能性がある。

利用者や介護者が企業経営者や士業士でなくても、サービス選択上のキーパーソンである主治医や成年後見人の考え方によっては、このIPW「B」構造のバリエーションが出現することがあるので、注意が必要だ。

そして、IPW「A」であろうがIPW「B」であろうが、利用者・介護者をめぐる関係性をソシオメトリックに把握し、利用者の望ましい生活へ向けての的確な連絡調整を粛々と実践していく。これがプロフェッショナルのあるべき姿である。

残念なことに、職場や地域のケアマネジャーを指導・助言する役割である「主任介護支援専門員」の中にも、このIPW「B」の形態について理解している人が乏しい。これは今後のケアマネジャーの職能にとって、大きな課題の一つになるであろう。

2018年6月25日 (月)

人と会い、人と語り...(5)

前回より続く)

巡礼を終えて向かったのは博多(福岡市内)。小倉からは静岡-浜松ぐらいの距離がある。定刻の11時半には5分ぐらい遅れてしまった(電車の博多着が5分遅れたため)が、待ち合わせ場所の「博多だるま総本店」に無事到着。

20180617hakatadaruma

ここで、本ブログに何度も登場してくださったジョージさん(=稲岡錠二さん。京丹後市)たちと合流。地元業界の重鎮・飯山明美さんや、長崎県から来着した諫早ドラッカーズの会、森芳正(もりよし まさし)さんや平川真さんたちの、ケアマネジャーのみなさんと一緒に、本場の博多とんこつラーメンを味わう。

そして、ホテルニューオータニ博多内にあるカフェレストラン「グリーンハウス」に集合。この日の企画「聞きたかとばってん!アンタなんしょ~と」に、遠く浜松から参戦した次第である。

20180617nanshooto

これはジョージさんが発起人になったもので、中堅・若手のケアマネジャーや介護職員が語り合うための場を作ったものだ。地元博多の髙﨑(たかざき)慎介さんや大関純平さんをはじめ、太宰府市の廣田弘樹(ひろき)さん、久留米市の岡田ヒロ子さん、林田亜紀さんらが参加された。それぞれ自分が何者なのかをプレゼンしながら、仕事や活動の現況、今後の展望などを語り合った(飯山さんは所用のため中座された)。

業界では厳しい環境の中にあって、中堅や若手のメンバーはよりよい仕事をしていくため、職場の外へ出て仲間づくりをする機会を求めている。日本中でアクティヴな中堅の業界人たちにより、このような場を作る試みが意欲的に展開されているが、ジョージさんは前のご勤務先を退職された後、地域の人たちの生活を支える「ライフデザインクリエーター」の職能を立ち上げ、全国各地の仲間と交流しつつ、人と人との輪を広げていく活動を続けておられる。

イベントは13時半から16時半までの三時間だったが、あっという間に過ぎてしまった。名残り惜しかったがお開きとなる。飯山さんや髙﨑さんたちがこれを受けて次の面白い企画を打ち出しそうな雰囲気だったので、楽しみである(残念ながら私は参加できそうもないが...)。

夕方から暗くなる時分まで、福岡城址や博多の街を散策。中洲まで来たあたりで結構歩き疲れたので、地下鉄で博多駅へ向かう。

駅2階の「めん街道」で、歌舞伎役者のG-sawaさん(HN)と待ち合わせ、行列の具合を勘案して「長浜ナンバーワン」で遅めの夕食。

20180617nagahamano1

G-sawaさんと会うのは三回目だ。歌舞伎の演目は一か月単位なので、氏も6月中は博多で出演されている。上位の役者さんに従ってお仕事をもらう形なので(休演すると一か月失業することになってしまうから)、旅行などもままならないし、介護業界とは違うご苦労があろう。そのような中で、役者さん方は古い演目を墨守するだけでなく、観客に歌舞伎の魅力を味わってもらうために、協働してイノベーションや創造に取り組んでおられる。私たちの業界でも見習うべき点は少なくない。

互いの仕事やプライベートの話をしながら、ラーメンのほうは替え玉まで注文した(博多は一杯目の麺が少なめで替え玉を追加するパターンが多いようだ)。ジョージさんがすでに帰途に就かれたため、「キリシタン三人衆」が実現しなかったのは残念だが、それはまたの機会に。ちなみに、ジョージさんからG-sawaさんへと託された丹後の「塩」をしっかりお渡ししている(私もいただいた)。信徒にとって「塩」は特別な意味を持つものだから...(^^*

翌18日朝、小倉のホテルを出ようとした矢先、大阪北部地震の影響で新幹線が運転見合わせになってしまったので、岡山あたりでもう一泊することも覚悟して、行けるところまで行こうと、普通列車で東進した。途中、宮島を通る路線は亡き母と一緒に旅行した(2003年)ところなので、15年前を懐かしく思い出した。新幹線ならスルーしていたのだから、これも何かの巡り合わせだったのかも知れない。

広島の少し手前で運転再開の報を受け、広島から新幹線に乗り換える。新大阪の手前で入線の順送りを待たなければならなかったので、かなり遅延したが、そのあとは順調に走行して、浜松に無事帰着した。当初は15時頃の予定だったのが、19時過ぎの浜松着となった。新幹線のありがたさを実感したものである。地震の影響はなお大きい。被災した方々には心からお見舞いを申し上げたい。

この三日間の旅は、巡礼が主目的ではあったが、私にとっていろいろな意味で実りのあるものであった。

2018年5月30日 (水)

誰のための建物なのか?

お名前は伏せておくが、Facebookで友達になっている、お一人の演劇関係者の方から、新装した名古屋の「御園座」の建物について、不満に感じているとのコメントがあった。問題はいくつもあるようなのだが、その中で特に気になったのは、「クロークもコインロッカーもない」点である。

この方は演者の側として御園座に来られているから、ひょっとしたらクロークやロッカーに代わるものが何かあって、観客には周知されているのをご存知ないのかも...と思い、御園座に関するブログなどを検索してみた。すると、数件のレビュー記事の中に、事実クロークもロッカーもないことが報告されており、そのうち二つには、「不便に思って劇場に尋ねたところ、荷物を置いておくだけの(→そこに人はいるが責任を持たない)場所ならある」との趣旨が書かれていた。また一つのレビューには、「座席と前の座席との間がやや広めなので、冬期にはコートなどの荷物を、座席まで持ち込むしかないらしい」との要旨が書かれてあった。

これは、受益者本位の建物だとは到底言えない。そもそも演劇場のエンドユーザーは演者ではなく観客である。もちろん、そこで仕事をする演者にとって使いやすい劇場であるに越したことはないが、まずは観客がなるべく寛いで音楽や演劇を楽しめるのが良い劇場である。足元のスペースが多少広くても、重い荷物やコート・ジャンパーでゴテゴテした状態の中にあって、どうして寛げるだろうか? しばしば観劇や音楽鑑賞などをしている人であれば、誰にもわかる話だ。

ましてや、私に情報を提供してくださった演劇関係者の方によると、新しい御園座は演者側から見ても使いにくい点が多々あって、共演者の方々から不満が噴出しているそうである。

しかし、偉い建築家の先生には、このような問題点がわからない(わかっていながら、一時債務超過に陥った会社側の事情により、お金をかけての最善策を採れなかった部分もあったかも知れないが...)。いや、そういう言い方をすると語弊がある。建築家は建築の専門家なのだから、演劇のエンドユーザーである「観客」や、サービス提供者である「演者」としての場数を積んでいなければ、そちら側から眺めた感覚はなかなか身に着かない。

そこで、建物を建設するに当たっては、経営する当事者と、設計する人、作る人、サービスを提供する人、使う人といったステイクホルダーとを結び付ける役割が求められるのである。いわば、システム‐プロデューサー(この言葉も矮小化した転義で用いられることが増えたが、ここではより広い守備範囲で機動的に働く人を念頭に置いた、狭義の語法で使用する)の出番となるわけだ。

したがって、御園座のように課題を多く残す建物ができてしまったのは、有能なシステム‐プロデューサーの不在が想定される(あるいは能力はあっても十分な権限を与えられていなかった可能性もある)。

私もいずれは、オペラやコンサートで御園座を訪れる機会があると思うので、これから観客や演者のみなさんの意見を聴いてもらいながら、可能であれば一つずつでも設備を改善してほしいものである。

さて、同様なことは、私たちの介護業界でも起こり得る。

現政権の施策が「ハコモノ推進」から転換されていない以上、さまざまな種類の介護施設が引き続き建設(新築、増築、改築)されていくであろう。特別養護老人ホームや老人保健施設、グループホームのような従来型の施設はもとより、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅、介護医療院などは、今後まだまだ増えていくことが見込まれる。

その際、大切なのは「誰のための建物なのか?」である。エンドユーザーはあくまでも入居する利用者である。そして、利用者に対して、より望ましいサービスを提供するためには、働く職員にとっても使いやすい建物である必要があろう。

しかし、現実には「法人経営側=当事者がどんな建物を作りたいか?」が優先されてしまうことが多い。これは「誰のための建物なのか?」と同じではない。一致する部分もあれば、乖離する部分もある。後者を調整するためのシステム‐プロデューサーが必要になる。その役割を欠いたまま建設プロジェクトを進めると、御園座のようなことになってしまう。

幹部職員が現場で日常の仕事をしながら、新しい建物の企画を兼務するのは、いまの業界事情から言えば厳しい。人を外注し、専心して当たらせるのが効果的だ。実際には、システム‐プロデューサーとして働ける人の候補は、業界に少なくないと思う。法人側が少しの費用を惜しんで、埋もれている人材を活用しないのはもったいない話だ。たとえば実力派として鳴らしたケアマネジャーで、いま本業の仕事をしていない人の中にも、この任に堪える人は結構存在する。

裏を返せば、有能なケアマネジャーは制度上の「介護支援専門員」としての仕事ができなくなっても、システム‐プロデューサーとして活躍する道が開かれていることになる。エンドユーザーをはじめ各々のステイクホルダーにとって、真に望ましい設備を整えた建物を作ることで、限られた「材」を無駄にしないためにも、その役割の重要度は大きい。

また、筆者の知人には、以前紹介した相模原の岡さんのように、建築業界から介護業界、さらに高齢者の建物に関するお仕事に転職された方もある。このような経歴の方もまさにシステム‐プロデューサーにふさわしいであろう。

今後の業界再編成では、このような転身も一つのスタイルとして期待したいものだ。

※今回のエントリーから、HNを「じょあん」から「ジョン‐トラブッた」に変更しました。
これまで同様、お暇なときにご笑覧くださいませ(^^*

2018年5月 5日 (土)

関連する法令改正にご注意!

一つの業界で長くプロフェッショナルとして仕事をしていると、その業界の分野に関連する制度や政策の動向には(人によって得意不得意な部門はあるにせよ)精通していく。当たり前だ(でなければ、その人の能力に問題がある)。

しかし、どの業界も他の分野と少なからず関連しているのだから、必要に応じて周縁の分野に関する制度や政策についても知っておかないと、誤りや損失を招く恐れがある。私たちの介護分野に関しても、また然りである。

たとえば、2012(平成24)年7月から、住民基本台帳法が改正され、介護保険の適用対象となる外国人が、それまでの「日本滞在一年以上」から「日本滞在三か月超」となった。これは介護保険関連の制度改定ではほとんど注目されておらず、外国人集住地域の一つである当・浜松市でも前年度末の事業者説明会では市当局から言及されなかったので、私(当時、市の介護支援専門員連絡組織の代表だった)が市当局へ要請して、市内の介護支援専門員が集まる機会に行政説明をしてもらっている。

さて、介護関連の職能団体、業界団体、サービス事業所運営団体の中には、特定非営利活動法人、いわゆるNPO法人で事業を運営しているところも少なくない。実は今般、このNPOに関わる改正点があるのだ。

2016(平成28)年6月、特定非営利活動促進法が改正され、NPO法人の資産総額変更登記が不要になった代わりに、貸借対照表の公告が義務付けられることになった。これは今年=2018(平成30)年10月1日より施行される。

したがって、法人の定款中、公告の方法(多くのNPO法人では終わり近くの条文)に、「官報に掲載して行う」ことが明記されている(複数の方法併記であっても、官報掲載が含まれている)場合には、毎事業年度、貸借対照表の公告を官報に掲載しなければならない。もともと自治体や関連団体が提供してきたNPO法人定款例の記載がそうだったので、それをなぞって定款を作成したところは、みな同様な記載になった。ただし、これは法改正以前、法人の解散などの特別な場合にのみ公告することを想定したものである。

もし、貸借対照表の公告を官報に掲載すると、通常はどう縮小しても二枠(一枠は1段6分の1=2.9cm×6.1cm)以上を要する。そのため、毎事業年度これを行うとすれば、毎年72,978円以上の出費となる。

先日、私が所属している某職能団体の事務方がこれに気付いていなかったことを、事務方と電話で話していて偶然把握した。そこで、理事会に諮った上で、来月の定時総会において定款を変更したらどうか?と意見を出しておいた。7万円超は決して少ない金額ではない。改正が事前にわかっていたのにもかかわらず、ケアレスミスで出費を強いられたとしたら、大きな損失だ(直前に所轄庁から提出を求められ、あわてて臨時の「委任状総会」を開くとしても、ハガキ代や人件費などでそれ以上の出費になってしまう)。事前に回避できたのは幸いであった。

そこで、介護業界関係の職能団体、業界団体、サービス事業所運営団体などのNPO法人の中に、定款で公告方法を「官報掲載」と定めておられるところがあったら、定時または臨時総会などの機会に定款を変更されることをお勧めしたい。特にサービス事業所の多くは、日夜苦労して節約に努めながら厳しい運営をされているところがほとんどであろう。ゴールデンウィークを過ぎてから定時総会を予定されている法人も多いと推測するので、定款変更議案の作成がそれに間に合うことを願っている。

変更の具体例は内閣府NPOホームページに示されているので、参照されたい。
https://www.npo-homepage.go.jp/uploads/201702-kaisei-bs-koukoku-ex.pdf

2018年4月30日 (月)

「利用者が主役」

しばらく喪中モードだったが、すでに本業の居宅介護支援≦ケアマネジメントは、おおむね本来のペースに戻っている。

この間、研修や企画の講師を受任するのは自粛していたが、自分の知見を各地の介護関連業界のみなさんに伝える役割を引き続き果たしていくために、ご依頼による出講を再開することにした。再開の時期は6月以降になるが、予約はすでに受け付けを始めている。本業のほうに差し支えない時期を協議させていただくことになる。

さて、一年余の介護経験も経た結果、演題に新たなレパートリーが加わった。

★ 食生活と介護 → そもそも「食べる」ことを介護の中でどう位置付けるのか? 母の場合、自分自身の場合を振り返りながら、実体験を踏まえてお話しすることが可能である。口腔保健や栄養の分野にも踏み込んで、ケアマネジャーや介護職員が関連職種とどう連携すべきなのかを、体系的に整理して解説する。乞うご期待!

★ 利用者側から見た良いサービス、悪いサービス → これも実体験から。実際に介護者の立場になってみて、支援者側が良かれと思って提案することは、受益者側である利用者・介護者から見て本当にそうなのか? 自分自身がこの温度差を明瞭に体感できる機会を得た。それをお伝えして、介護従事者のみなさんにとっての「気付き」にしていただけるであろう。

また、これまで各地でお話ししてきた主題でも、もちろん講義・講演可能である。

◆ 文章作成; 相手に伝わる文章を書く力

◆ コミュニケーション; 話し言葉の適切な使い方、接遇、マナー etc.

◆ ケアマネジメント/相談援助/多職種協働/介護従事者の職業倫理; 具体的にはご希望に応じた内容で。他の主題も含め、私の力量で可能な範囲のご依頼はお引き受けしたい。

そして、どの主題になろうが、私の基本姿勢は一貫している。それは「利用者が主役」である。

Keikakiroku

このスライドは『文章作成』に関する研修講義で使用したもの。生活者である利用者があってこそ、私たちケアマネジャーや介護職員の仕事がある。私たちの役割は側面的に支えることであり、主役を張ることではない。この基本を頭で理解していても、実際の振る舞いがそこからかけ離れてしまっている介護従事者がいかに多いことか。

業界の多くの職員に良い仕事をしてもらうためにも、この基本をくどいほど繰り返し説いていくことが、私たちベテラン業界人に課された使命だと考えている。

ところで、話は変わるが、たとえば私に対し、歴史分野に関連する話(と言っても、近現代史の評価が分かれる話ではなく、いまの私たちの思考や行動にも影響を及ぼしている古来の考え方やシステム論が中心だが...)をさせたい向きがあれば、そんなご要望にもお応えしたい。総じて介護関連分野以外のどの内容であっても、「こんなテーマでしゃべってくれない?」などのご希望があれば、遠慮なく相談してくださればと思う。もちろん、私自身が無理な分野については、よりふさわしい方をご紹介することになるだろうが。

これまでは母の介護に制約されていたため、日帰りまたは一泊での出講だったが、今後は(時期は選ばせていただくが)二泊を要する地域へも出向くことが可能になった。宿泊費はご負担いただくが、現地観光案内にご協力くださるのであれば、一部を按分できる場合もあるので、そのあたりはご相談次第だ。

とにかく、必要とされるところへは、地域を選ばずに出掛けるつもりなので、ぜひご検討いただければ幸いである。

2018年4月 5日 (木)

介護離職についての考察(7)

母が死去して一か月。各所への支払いがいったん終了し、相談した司法書士の指導を受けて、(たいした額ではないが)相続手続きのための書類を集めているところである。

他方、本業のほうはどうなっているかと言えば、昨年の春から夏にかけて、(推定)6人前後の利用者さんを確保し損なったため、冬に入ってからの逝去や施設入所やらで、利用者さんの数が大幅に落ち込んでしまった。

介護者としての拘束から解き放たれたので、失地回復に努めなければならないと思っている。私がもう少し若ければ、全く新しい仕事をベンチャー的に起こす可能性が開かれているかも知れないが、いまとなっては体力的な制約もあり、難しい。次世代の人たちには「こんな道もある」と背中を押してあげながらも、自分自身はおもに従来の業務の延長線上で仕事を続けることになろうかと思う。

さて、私は幸い自営業であったから、「介護離職しなくて済んだ」のである。

それでは、平均的な収入でつつましく生活していたところで「介護離職を余儀なくされた」中高年の独り者(性別にかかわらず)が、私同様、要介護3程度になった親を一年以上介護した場合はどうなるのだろうか。

まず、退職に際して雇用保険の失業給付は受けられる場合が多いが、当然のことながら職に就いていたときと同程度の収入は無くなる。加えて、介護サービスを導入しないと一人で介護を続けるのは厳しいので、サービスの種別にもよるが、これまでかかっていた衣食住の生活費に加えて、サービス事業者に支払うお金が必要になる。親が年金をもらっていても、そこから相当額の支払いが生じ、生計に影響するところが大きい。

そして、親の介護が終了した後は、よほど売り手市場になるような知見や技術を持っていない限り、すぐに再就職するのは難しい。年齢やキャリアの中断が障害になってしまうのである。介護が長引けば長引くほど、再就職は厳しさを増す。

これまでもいくつかのエントリーで述べてきたが、日本ではまだまだ、介護離職しないための仕組みが不十分である。それは企業側にも言えることであるし、介護サービス側にも言えることである。後者に関しては特にハコモノ作りが優先し、人の確保が追い付かないため、離職せずに「休業」や「業務縮小」に止めたい人たちのニーズに全て応えることができない。したがって、どうしても一定程度の介護離職者が発生せざるを得ない。

よほど余裕のある家庭ならともかく、多くはひとたび介護離職してしまうと親の年金に頼らざるを得ず、その親が死亡するとたちまち生計が苦しくなってしまうのだ。配偶者などの家族がいる場合と異なり、独りでは食費や光熱費のスケールメリットが無いことも、大きく影響する。

こう考えると、ときにメディアの紙面に登場する「年金詐取」も、それ自体は確かに犯罪に違いないが、理解できないわけではない。親の年金受給権者死亡届提出を意図的に怠り、不正に年金を受け続けてしまう独身の中高年がときどき問題になるのは、現実の生活苦が目の前に横たわっているからにほかならない。これまでともに生活していた親が「いない」という現実を受け止められない人さえいるのだ。私自身が体感して、その人たちの気持ちを痛いほどよく理解できた。

介護支援専門員や介護サービス職員などの従事者にとっても、決して無縁な話ではないのだから、重く受け止めてほしい。

すでに各方面でソーシャル‐アクションを始めている人たちはいるが、当事者の切実な声が政策に反映されるように、全国レベルでも地方レベルでも、業界仲間が力を合わせて地道に訴え続けていくことが求められるであろう。

2018年3月24日 (土)

人生の締め括りかた

いま、母が帰天したあとの事後整理を、必要なことから少しずつ進めている。昨日、年金受給権者死亡届を提出し、ひとまず第一段階が終わったところである。これから相続や預金の整理、また並行して会葬お礼や納骨の準備にかかることになる。

これまでの経過を振り返ると、母が前日に急変してから丸一日も経たないうちに死去していて、かつ、おおむね私一人で葬送の段取りをした割には、われながらスムーズに対応できた。

5日の朝、母の死亡診断がなされてから、すぐに教会の担当者Sさんと連絡を取り、氏の案内に従って教会が契約している葬儀社H社へ直接電話、まず病院から自宅への遺体搬送を依頼すると同時に、とりいそぎ8日の斎場の予約を取った。再度Sさんへ電話して神父様に問い合わせていただき、通夜と葬儀ミサ・告別式の開始時刻を決定、どの程度の人数に連絡するのかも(会場の割付に影響するので)おおむね内定させた。病棟で母のエンジェル‐ケアをしてもらい、H社の柩送の車が到着するまでの間に、母の実家(名古屋)の叔母夫妻、従妹(叔母の娘)への連絡、利用予定だった各介護サービス(5か所)へのキャンセルとお礼の電話もすべて完了した。

この間、一時間強。前日の母の様子から心の準備がある程度できていたとは言え、自分でも信じられないほど冷静で迅速な手順を踏んだと思う。

私自身が介護業界に居ることも、速やかに段取りできた要因ではあるが、何よりも、母自身が事前意思によって、連絡する範囲や葬儀のスタイルを決めてあったことが大きい。

16年前、父を葬送した際には、教会との連絡も、葬儀社の手配も、参列者への応接も、何かと後手後手に回って、弥縫的なフォローに追われ、手伝ってくれた親戚まで巻き込んで迷惑を掛けてしまった。そのことへの反省もあり、今回は可能なところから準備をしていたのは正解であった。昨年の1月、母の著しい体調不良で終末も予測されたとき、いくつかの点について本人の意思を確認しておいたことも幸いした。

母には、葬儀社は教会と連絡が取りやすいH社へ依頼することを、あらかじめ伝えてあった。また、母本人が近親者以外への連絡を望まなかったので、新聞掲載や自治会などへの通知はせず、親戚以外からのお花料やお供えも辞退して、簡素に執り行うことで合意していた。教会の信者の中では、聖歌隊などの典礼奉仕者の方々は別として、母と昵懇だった3名ほどの方(前のエントリーに登場したKさん・Sさん・Wさん)だけに声掛けすることについても、本人の了解を得ておいた。

事前に確認していなかったことだが、あえて母の気持ちを汲み取って、私の独断で行ったのは二点だけ。

一つは遺体の湯かんと化粧。母は2011年からベル麻痺を患い、顔面がやや歪んでしまったことを苦にしていた。息を引き取ってからは麻痺が消え、左右対称の端正な顔に戻ったので、最後は綺麗に化粧してもらって旅立たせようと思い、H社と契約している専門のメイクサービスを依頼した。質素な葬送の中、思いを込めてここだけはお金をかけている。私も所在を知らなかった母の着物と長襦袢とを、名古屋の叔母が箪笥の中から探し出してくれたので、化粧のときそれを着せてもらった。

もう一つは、葬送のあと、母が昨年まで食べ物などのやりとりをしていた数名の近所の方に電話して、弔問に来てもらったことである。母の口から名前が出なかったので葬儀の連絡はしなかったが、直後のお知らせだけはしておくのが、礼節を大切にした母の気持ちに沿うと判断したからだ。

このように、百点満点ではなかったかも知れないが、母の意思を全面的に尊重した葬送ができたので、ひとまず安堵している次第である。

一般的に「終活」と称されるが、「人生の締め括り方」は百人百様だ。個人差はあるものの、一定の年齢に達したら、自分の流儀を家族や親しい人に伝えておくことも大切であろう。不慮の事故や事件による死去の場合はともかく、通常の場合は事前に自らの意思を示しておくことで、葬送を執り行う遺族もあまり迷わずにいろいろな手配ができ、滞りなく厳粛に本人の旅立ちを送ることができるのだ。

生前の振る舞いや業績と、人生の締め括りの上手さとは、また別の話であろうと強く感じている。

より以前の記事一覧

フォト
無料ブログはココログ
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31