介護

2021年12月 8日 (水)

新型コロナ(15)-新変異株に「うろたえるな!」

新型コロナウイルスが世界に蔓延してから、間もなく二年になる。

その間、私たちは社会生活の中で、数々の制約を強いられてきた。マスク着用、「不要不急」の外出制限、多人数での飲食の制限、イベントでの参加者同士の距離確保や声出し禁止、等々。

感染症を引き起こすウイルスである以上、国や自治体が市民社会を守るために、予防策を講じなければならないことは当然だ。その一環として各所で上記の対策が励行されることに、私は反対するものではない。

他方、以前のエントリーで述べた通り、その感染予防策が個人、組織、地域、共同体(地方、国)のいずれのレベルでも、過剰な段階に至ったことにより、本来守られるべきである「人の尊厳」「人間の尊厳」が危機に瀕することになった。

もちろん、私自身も新型コロナウイルスに感染したくないし、自分が媒体になって他の人(特に「顧客」である高齢者)に感染させたくない。そのために可能な予防策は日々実践しているつもりだ。現在でも私は、利用者や介護者を前にしたとき、店舗へ入ったときなどには必ずマスクを着用するし、(経済的事情もあるが...)二年近くにわたり会食にも参加していない。

しかし、この状況が世間一般の自然なルールと化していることには、大いなる違和感を覚える。

政府は東京五輪やパラリンピックを強行する政治的決断を下しながら、相次ぐ第三波、第四波、第五派に対して緊急事態宣言や蔓延等防止措置を延々と発出し続けた。その間に新型コロナのいわば主力を占めていた「デルタ株」が、おそらく弱毒化や自壊作用を引き起こし、10月以降は散発的なクラスター等の発生を除き、日本国内での感染拡大が下火になっている。

ならば、この期間に現行の「二類感染症(結核・SARS・MERSなどのレベル)」から「五類感染症(ウイルス性肝炎・新型以外のインフルエンザなどのレベル)」に変更すべきではなかったか? 

そうすることによって保健所の膨大な負担(これまで、他部署・民間の保健師や、同等の力量を持つ看護協会所属の看護師までが駆り出されてきた)をいったん終結させ、かかりつけ医の裁量によって入院、隔離等の対応を判断できることになれば、自治体の負担は大幅に減り、その力を感染対策の他の部分に振り分けることができるはずだ。むしろ病床逼迫を来たさないための対策は、そのほうが効果的に推進できるかも知れない。

また、私たちも「人間らしい」社会活動を取り戻すことができる。たとえば、高齢者施設において、人権侵害とも思える家族の面会制約なども、厚生労働省や自治体が「縛り」の高札を降ろすことにより、施設長の裁量で、コロナ禍以前に近い形に戻すことができる(あえて非人間的な制約を続ける施設は、社会的に批判を受け、利用希望者が減る)。

現実には、二類→五類に反対する人たち(個人、組織)がいることを、もちろん私も承知している。純粋に科学的見解から反対している人たちもいれば、利権を手離したくない人たちもいるだろう。逆に、あまりにも感染症を軽視し、認識不足から安易な制約解除を推進する人たちも、残念ながら存在する。

これらを総合的に判断して大所高所から決断するのが、政治の役割なのだ。

子どもたちが一緒に遊ぶこともできず、健全に成長できない社会や、仕事を失ったり心を病んだりして自殺する若者が増える社会は、望ましい姿なのだろうか? この状況でさらに一年、二年と経過すれば、日本経済は立ち直ることができなくなり、日本の市民社会は取り返しのつかないところまで破壊されてしまうかも知れない。

それは単に国内の問題にとどまらない。日本に(表向きはともかく、内実は)敵対的な他の国にとって、思う壺ではないか?

このほど「オミクロン株」が蔓延しつつあるが、確かに感染力が強いとは言え、重症化しにくいとの情報も示されつつある(今後、評価が変わってくるかも知れないので、念のため)。これを恐れていては何も進まないことは確かだ。ウイルスはそもそも変異するものなのだから、世界の各地で今後も次から次へと、新たな変異株が生まれるであろう。

日本国民、とりわけ政治家の皆さんは、この新しい変異株に「うろたえるな!」

私たちは冷静にその実態を分析しつつ、正しく恐れるべきだ。そして五年後、十年後、二十年後の日本の姿を見据えた、最も望ましい選択をすべきであると、私は訴えたい。

2021年12月 4日 (土)

ようやく開講して思ったこと

以前のエントリーで、おもに介護従事者を対象にした「オンライン文章作成講座」を予告したが、あれこれと用事が重なったことにより、準備に時間が掛かってしまい、ようやく開講にこぎつけた。

全五講(各一時間、質疑応答時間もあり。受講料は一講につき1,500円)。11~12月に掛けて第一巡目を実施し、そのあと約一年余りの間に、何巡かローテーションで回していく。日本語の基本が短期間に大きく変わるものではないので、おおむね同じ話を何回も繰り返すことになる。詳細は私のHPをご覧いただきたい。開講情報は逐次更新していくつもりだ。

まだ申込者はお二人。そのうちお一人は第二巡目以降を希望されているので、第一巡目はいまのところお一人だけである。11月29日の第五講、そのお一人の方とマンツーマン状態で、記念すべき最初の講話をした。ちなみにこの方は、2011年の自費出版冊子「作文教室」を購入してくださって以来の知人であり、2018年に私のほうがお住まいの県まで出向いて、初対面を果たしている。4~5月にオンラインで準備講話を実践した際にもご協力いただいた。感謝!☆

文章作成講座とは言え、一般向けの「国語教室」ではなく、介護従事者向けにいろいろな方が開講されている「記録方法の指導」でもない。私たちの業界ではいまだ類例の少ない「産業日本語」の講義である。足元には私たちが守るべき職業倫理である「利用者本位」の底流があり、その上に立って私たちの大切な言語である日本語をどう理解し、どう活用するべきかを論じているものだ。

私自身はこれまで、書き言葉のみならず、話し言葉についても語る機会をいただき、多くのケアマネジャーや介護職員の前で、顧客である利用者やそれを支える介護者を尊重すべきことを力説してきた。これは、すでに折に触れて何度も述べた通り、私の若い時代の恥ずかしい行為(当時勤務していた施設の複数の利用者さんに対する、虐待に類する言動や侮蔑する言動)への痛切な反省を踏まえている。下の画像はこれらの講話の根幹部分と称するべきスライドである。

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そして、一人ひとりの職員が利用者に向き合う姿勢は、会話(口のきき方)にとどまらず、文章にも表れる。顧客である利用者や介護者に対する深いリスペクトが窺える文章は、おのずから品格を備えていることが多い。

もちろん、どれほど人間の尊厳を重んじる立派な介護従事者であっても、国語の力は意識して修得しなければ上達しない。日頃から「書くこと」「綴ること」をいとわずに、学習→実践→学習→実践を繰り返してこそ、その意図するところが読み手にしっかり伝わる、良い文章の書き手になることができる。

日頃から向上心をお持ちで、国語力を身に着けたい介護関係者の方は、ぜひ私の「オンライン文章作成講座」をご聴講いただきたい。

2021年6月24日 (木)

現場が疲弊する介護の施策

この4月からの介護報酬改定が一段落した。

改定に伴う一連の作業も、三年ごとの「セレモニー」として定着した感があるが、今回の改定はこれまでの改定と比較して、いささか異なるものがあった。改定の全体像や将来的な方向性などについては、すでにメジャーな論者の方々がさまざまな角度から論説を出しているので、私の出る幕ではない。

ただ、私自身、現場の介護支援専門員として、いろいろと思うところはある。細部には触れずに、今回の改定の大枠から看取される傾向だけを列記してみよう。

(1)繁文縟礼。各サービスの加算がいよいよ複雑になり、算定要件を満たそうとすればそのために多くの労力を割かなければならないことになっている。ケアマネジャーや介護従事者が「がんじがらめ」にされてしまう。

(2)給付側のための「自立支援」。限られた財政の中で施策を運用しなければならないことは重々承知しているが、利用者や介護者の自助努力を迫る内容は、介護保険発足当時の理念であったはずの「介護の社会化」にも逆行している。

(3)現場労働者への敬意の欠如。対価(←介護報酬)の問題だけではない。「不信のモデル(←性悪説)」「やりがい搾取」をいつまで続けるのか? と言いたくなるほど、専門性への軽視が目立っている。確かに業界や職能側の課題も大きいが、まずはこれまでの労苦に対する制度上「応分の評価」があり、それを受けて当事者がさらなる資質向上に努める好循環の確立が理想であろう。

(4)生硬なICT化。「署名・捺印」の省略一つ取っても、電磁的署名を取得する必要が生じるなど、ハードルは結構高い。本来、拙著『これでいいのか?日本の介護』でも述べたように、現場を熟知したシステムプロデューサーが適切にサポートしながら、それぞれの職場に適したICT化が推進されるのが望ましい。しかし現場はとてもその段階に到達していない。厚労省が推進する「科学的介護」に関連するシステムを構築していこうにも、いまだ道遠しと言わざるを得ない。

そして、これら全体を一言で表現すれば、「現場を疲弊させる施策」と評することができるだろう。

このうち、(1)(2)(3)については、また稿を改めて論じたいので、ここでは(4)について述べてみたい。

「生硬なICT化」により現場がいささか疲弊しても、エンドユーザーである利用者(介護者を含む)に利益をもたらすものであれば、まだマシなのだが、そうもならない。下に掲げた画像は、私が10年前に静岡県介護支援専門員協会の全体研修のパネリストとして披露したものだ。

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つまり、給付システムは独占・寡占を事とする企業体には大きな利益をもたらす反面、利用者にとっては決して(期待するほど)有益なものにならないと言いたかったのだが、まさに時を経た現在、この状況がさらに顕著になっている。

加えて、政府から受託されてシステムの設備を提供する企業・団体は、市場を独占できた以上、技術の精度向上や革新を停滞させたほうが利益を得られる現実がある。消極的なサボタージュ(原義は「妨害工作」の意)だとも位置付けられる(10年前に壇上からそう述べた)

まさに初手からつまづいた「LIFE」は、ここで予言した通りのありさまだ。もう一つ、新型コロナウイルス接触者アプリ「COCOA」も昨年、同様な醜態を晒している。

ここに来て、ようやく国が現場本位のICT化へ向け舵を切ってきたらしい(笑)ケアマネジメントの方式についても、またしかり。

かつて、独立・中立型のケアマネジャー連絡組織が存在したとき、厚生労働省に対し、アセスメント方式を統合し、さらにケアプラン作成方式を統合することを提案した。このコンヴァージェンス(収斂)が実現すれば、郵送やFAXなどの紙媒体によるケアプラン・サービス提供票の送受信から、所定の書式を用いたネットによる送受信へ転換し、ケアマネジャー・サービス事業者側担当者の大幅な業務の節減に至ると考えたからだ。

ところが、折衝に当たった会員は、厚生労働省から「それは無理」だと言われた。その理由は、「M社」と「N社」とのせめぎ合いが存在し、どちらかの方式をベースにしたコンヴァージェンスは困難だとのことだった。「寡占」を前提にしたとしか受け取れないこの反応には、私も少なからず落胆したものだ。

この「M社」と「N社」、どちらも防衛産業部門に参入し、仲良くどちらもサイバー攻撃を受けた(笑)ことでも知られる。最近はFA-IT統合の推進で共闘しているようだが。そして「M社」のほうは太陽光発電で利権を獲得し、その後は中国企業に押されて撤退する羽目になったことは、私たちの記憶に新しい。では「N社」は? かの「入退室の顔認証事案」で、某デジタル大臣が「脅す」「干す」と言いたくなるほど、官庁の利権構造に深く食い込んでいたことが、はしなくも暴露された(この発言自体は、代わり得る選択肢を大臣が恣意的に示したと見なされるので、それはそれで批判されて当然ではあるが...)。大きな企業体による「独占」「寡占」が、本来市民が享受すべき利益を蚕食する害悪は根深い。

厚労省のICT化推進において、同様な愚が繰り返されるとしたら、介護業界の将来は暗いものにしかならないことを、心から危惧している。

2021年6月15日 (火)

まもなく開講☆

ここ三年ばかり、研修の場でケアマネジャーや介護職員を指導する仕事から遠ざかってきた。

母の死去(2018年3月5日)を契機に、Facebookの業界仲間たちは、「喪中」の私が研修どころではないと踏んだらしい。もちろん、オファーが途絶えたのは、私自身が新企画のPRを何もしてこなかったことが最大の原因だ。メジャーな講師であれば、喪中だろうが続々とお呼びが掛かる。私のようなマイナーな講師はそうもいかない。宣伝らしいアクションをしない状況が続けば、「引退モード」と受け取られてしまうのは、いたしかたないことであろう。

そのうちにコロナ禍のため、集合研修の開催自体が難しくなり、いよいよ出講する機会はなくなってしまった。

代わって登場したのが、Zoomを活用したオンライン研修である。実は、私はこちらの流れにも乗ることができなかった。ドライ‐アイの症状が強かったため、PC画面を長時間凝視するのが厳しかったのである。

とは言え、転機は訪れるもので、季節の影響もあり、ドライ‐アイもようやく改善した。そんな中、かつての知人から、その方が在住する離島の介護職員の文章作成能力がイマイチなので、オンライン研修の講師をして欲しいとの希望があった。すでに5月9日、第一講を実施、来月には第二講が予定されている。

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さて、こんな体験を経て、自前でも講座を持つことができそうになったので、当方主催で「オンライン文章作成講座」を開始することにした。

現時点での構想は、1時間×4~5講、または30分×6~7講で、前者は一回1,500円、後者は一回1,000円程度を見込んでいる。各講の内容は、

・「ムダな語句を削ろう」

・「読み手が悩まないようにしよう」

・「情景が目の前に浮かぶ文章を作ろう」

・「間違えやすい言い回しや用語に気を付けよう」

・「助さん格さん-助詞・助動詞と『格』を使いこなそう」

などなど。

衛星放送のごとく、同じ資料を用いて各講をそれぞれ数回ずつ、一年かけてローテーションする。聴き逃した方は「再放送(?)」のところでまた受講していただけば良い。全体のサイクルが終了した後、最終的に聴講された講義の数だけ料金を支払っていただければ、振込手数料も一回だけで済む。

大勢の人たちが受講するとも思えないが、FBを中心として、本当に国語を学びたい人たちだけの集まりになっても、それはそれでいいのではないか。単なる「記録の書き方」ではなく、国文法から説き起こして、受講者が自分の文章をスッキリさせるための糧にしてもらうわけだから。

また、上記の離島同様、集合研修に代わるオンライン研修会の開催も歓迎する。その場合は一時間15,000円、二時間30,000円(税込み)で受任している。この場合は、参加者のレポートや記録などを、文法的に問題がないか個別に添削してあげる(別料金。A4一枚1,000円)こともできる。メジャーな講師に比べるとかなり格安なので、以前の集合研修同様、遠慮なくお申し込みされたい。

自前の講座は、いま準備期間。開催日程が決まったら、稿を改めてお知らせします。

2021年3月11日 (木)

忘れてはならないこと

東日本大震災が起きてから、きょうで十年になる。

あの日、私は事務所で仮眠していたが、グラリと揺れる体感で飛び起きた。直後には震源地は近くのどこかだと思っていたが、ネットの情報を見ていくうちに、東北だとわかって驚いた。そして次々と情報が入り、福島県方面で甚大な被害が起きていることを知り、たいへんなことが起きたことを実感した。日本全国への影響は必至だと思い、私たち他地域の者も、これから先、無事に生活を続けられるのか、不安が先に立ったことを覚えている。

この震災では、福島県浜通りに住んでいた私の叔父(母の弟)も住処を失い、その後は中通りの災害公設住宅に入った(2018年秋に他界)。

私自身は2014年になってようやく、現地へ赴く機会を得て、業界仲間の佐々木香織さん(相馬市)に案内していただいた(こちらのエントリー参照)。復興作業が進められている一方、災害の爪痕が生々しく残る浜通りを見学しながら、自然の営みの大きさと、その中で生き抜いている人たちの力強さとを、深く心に刻んだものだ(画像は2019年に佐々木さんからいただいた書状)。

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なお、佐々木さんは、ご勤務先の訪問介護事業所が諸事情により事業終了となったので、新たな働き場所を求め、転職されている。人も環境も、時とともに移ろっていく。

十年の時を経て、福島・宮城・茨城・岩手県の復興はいまだ道半ばである。その後に水害や再度の地震も発生し、原発の廃炉問題など、複雑に入り組んだ数多くの困難が地域に重くのしかかっている。

そして2021年。昨年来のコロナ禍は日本社会にも大きな課題をいくつも投げ掛けた。それはあたかも、「日本のみなさん、この十年、あなたたちは何を学んだのですか?」と私たちに問いかけ、十年の間に克服できなかったものを改めて浮き彫りにしたごとくである。かゆいところに手が届かない政策に始まり、差別、風評、誹謗中傷などの人を傷付ける行為に至るまで、十年前から一歩も進化していない振る舞いをする人たちが、いかに多いことか...

最も大切な「人の尊厳」「人間の尊厳」。それを守るために、私たちの社会の姿はどうあるべきなのか? この命題を解決し、達成する責任は、残された私たちの肩にかかっている。そのことを決して忘れてはならない。

十年を節目に、いまの世を生きる私たちが果たすべき役割について、黙想してみたい。

2021年1月15日 (金)

報酬引き上げを求める資格があるのか?

1月15日は亡き父の「生誕記念99周年(^^#」。現実の父は80歳で世を去ったので、そのあとは単に私にとってのアニバーサリーである。クリスマスから遠くないこともあり、改めて特別な料理などを用意して祝うことはないが、かつて1月15日が固定された「成人の日」だった(いまは移動祝日)こともあり、忘れずに思い出すよう努めている。

その父は、晩年に認知症を患いつつ、介護サービスには拒否的であった。母の介護疲れを見かねた私が頼み込んで、ようやく通所介護を利用するようになり、短期入所生活介護も何とか開始できる段取りを取った直後に他界した。自分からサービスの利用控えをしてしまい、必要最低限の利用にとどまった形だが、介護保険料で積んでいた分を、サービスがより必要な市内の他の利用者に回すことができたとも言える。いつも来客に気前よく飲食物などを分けてあげることだけが美点だった(笑)父には、ふさわしい終末だったかも知れない。

さて、介護給付費分科会では2021年3月の介護報酬改定の大枠が固まった。厚生労働省と財務省とが折衝した結果、個別のサービスはともかく、全体として0.7%の引き上げが見込まれている。1万円だったものが1万70円になるわけだから、「微増」と言うべきか。

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これに対して、学識経験者からも介護現場からも、さまざまな論評が発せられている。国の財政基盤を考慮すれば、コロナ禍の中で引き下げられなかっただけでも十分な成果であるとする意見。逆にコロナ禍のため各事業者が大きな負担増を強いられており、この程度の微増では現場を去る人が増え、人手不足に拍車がかかるとする意見。いずれの論者も根拠に基づいて述べておられるので、その得失について私はあえて評定しない。

ただし、居宅介護支援は延々と収支差率が赤字であるため、「介護報酬をもっと引き上げろ」との議論が絶えない。特に介護支援専門員(=ケアマネジャー。このエントリーでは制度上の介護支援専門員を意味しているので、その呼称を使う)が1~2人であり、利用者数も少ない(たとえば私の事業所のような)ところは、満足な給与を出せば利益が出ないのが現実である。これに対して、現場の介護支援専門員からは、さらなる報酬引き上げを求める声も多く、他方で学識経験者や経営コンサルからは「(特定事業所加算を取るなど)大規模化せよ」との論が優勢になっているが、これについては後日、別稿で論じることにする。

今回は、「もっと引き上げろ!」と言う介護支援専門員たちについて、...

「あなたたち全員に、その資格があるのか?」

...これが本題だ。

・利用者を強く説得して(併設の)自社サービスを(必要最低限でなく)多めに利用してもらうように誘導した。

・給付管理を発生されるために利用者に頼んで、必要性がほとんど無い福祉用具を一品だけレンタルしてもらったり、通所へ月一回だけ行ってもらったりした。

・交通事故などの第三者行為で要介護状態になった(他の疾患等との合わせ技でなった場合を除く)利用者のために、通常通りに要介護認定を申請して、サービスの利用開始の運びにした。

たとえ善意から出た行動であっても、こんな経験のある介護支援専門員がいたら、はっきり申し上げたい。

「それ、モラルハザードだよね?」

保険の不適正給付に加担した人には、保険の公定価格である介護報酬を引き上げろと主張する資格はない。

さらに...

...「モラルハザード」は「保険詐欺」の意味で使われることが多いが、本来は社会保険に限定されない広い意味を持つ。「当事者の一方が自分の側だけから把握できる情報を意図的に歪曲したり、加入者が給付母体の存在を頼みにして意図的な権利の濫用をしたりする行動によって、適正な経済的関係が崩れること」の総称がモラルハザードなのである。

したがって、生保の不適正受給に加担したり(必要な利用者にはもちろん受給を支援するのが当然。ここでは客観的に、隠し資産があったり、経済的に余裕がある親族が扶助不能を偽装したりする場合を指す)、市区町村の独自サービスを受給するために事実と乖離する報告をしたり(基礎自治体側が許容範囲を甘くしているのなら話は別だが)することも、モラルハザードに含まれる。

あくまでも合法的に、公共財のサービスを我田引水の形で利用する、いわばフリーライダー(ただ乗り)の行為(例:タクシー代わりに救急車を呼んだなど)であれば、私も利用者側の選択を容認したことはある。もちろん道義的にお勧めできない旨を説いた上で、それでも利用者や主介護者から申請する、活用すると言われたら、私が勝手に代位して押しとどめる権利はないのだから。

しかし、モラルハザードは明らかにフリーライダーの行為とは一線を画している。「本来受けられない給付を、故意に事実を歪曲するなどして受給する」行為だ。反社会的行為と何ら変わるものではない。

それに参画した介護支援専門員が、なぜ介護保険の公定価格である報酬引き上げを求めるのか? 泥棒が警察に盗むためのお金をくださいと言っているのと同じであることを、わかっていないのか? 「いや、普段はまっとうな市民で、ときどき出来心で泥棒をするだけなので...」と言い訳するならば、ふざけるな!と言い返したい。

介護保険財政を食いつぶしているのは、あなたやあなたの利用者たちだ。

こんな話をすると、「馬鹿正直だねぇ」と言われるかも知れないが、みんなが正直に仕事をしていないから、各地で不正請求が摘発されるのではないのか? 介護支援専門員の風上にも置けない奴が偉そうに専門職を名乗り、その一部は人前で滔々と講義まで垂れている。馬鹿正直に仕事しているわれわれの足を引っ張るんじゃないよ!

私は過去19年の間、多くの利用者さんたちから(死去、転地、施設入所等以外の事情で)解約されている。その解約理由の大半は、私が利用者さんやキーパーソン(≒主介護者)さんのモラルハザード、またはそれに近付く行為を制止しようとしたので、煙たがられてしまったためだ。これは私の経歴の中で、最も誇るべきことの一つだと思っている。

発足当初は「介護保険の弁護士」とまで称され、期待された介護支援専門員。プロフェッショナルの矜持を忘れないでほしいものである。

2020年12月31日 (木)

どんなに若く未熟な駆け出しのスタッフに対しても、丁寧な言葉で話しましょう

2020年はコロナ禍に明け暮れた年となったが、私は可能な限り感染予防に心掛けながら、一年を通して、目の前の課題に向き合い、粛々と仕事を続けてきた。

日頃から心掛けているのは、「口先だけの人」にならないこと。「有言実行」が自分の目標である。この一年を振り返ると、気持ちはあっても実践したとは言い難いこともあれば、目指した通りに実践できたこともあった。

その中でも特に実践の完成度が高いと自画自賛しているのは、「タメ口をなるべく使わず、丁寧に話すこと」。

こう言うと、人生の先輩である利用者さん(大部分が高齢者)に対してのことだと思われるかも知れない。しかし、「顧客に対してタメ口をきかず敬語を使う」ことは、言われなくてもできて当然だ(画像の拙著でも節を立てて説いている)。むしろ、できていない人や事業所のほうが恥じ入る話であろう。ここで私が言いたいのはそれではない。

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「丁寧に話すべき」相手は、職場や業界の後輩たちなのだ。

私はケアマネジャーだが、一人親方の自営業であるから、連携を取り合う相手はすべて「他法人の職員」である。中には私から見れば経歴・実績が比較にならないほど経験が浅い、30年以上後輩の職員との間で報告・連絡・相談し合うのはよくあることだ。その際に、相手が応接もたどたどしく、なかなか意図が伝わらなかったとしても、タメ口で押しかぶせるような話し方はしていないつもりである。なぜなら、私自身、20代から30代前半のときには、その相手のレベルだったのだから。

そこで、自分が若く未熟な駆け出しのスタッフだった時期を思い出してほしい。経験を積んでいる業界の先輩たちとの間で報告・連絡・相談を繰り返していて、気持ち良く仕事ができたのはどんな場合だろうか? ほとんどの人にとって、それは相手が丁寧な言葉で応接してくれ、自分や自法人の立場を理解してくれ、対等な立場で尊重してくれた場合ではなかったか?

また、同じ法人の職場内でも言葉遣いは重要だ。しばしば、新人職員は上司や先輩の態度を見て学ぶ。横柄で、高圧的な、マウントを取るような上司や先輩が多ければ、それを学んだ部下や後輩は、次には利用者に対して横柄で、高圧的な、マウントを取る態度を示すようになるのだ。もちろん、他法人の職員を相手にするのと違い、上司や先輩が部下や後輩にタメ口で話すこと自体は、日常的でも差し支えないが、相手に対する敬意を込めて会話することは大事である。

さらに、外国人職員(技能実習生も含む)への影響は大きい。かつて製造業や建設業でも、外国人が安価な労働力として使い捨て状態にされている職場で、彼ら、彼女らが身に着けてしまった日本語の多くは、上司や先輩が吐いた暴言や罵詈雑言なのである。介護業界でも指導する日本人職員の資質次第で、同様なことが起きるであろう。逆に彼ら、彼女らが、洗練された言葉や相手に敬意を払う言葉を多く聞いていれば、それらの言葉をしっかり習得して、日本語の美点を理解してくれるに違いない。

近年、常に話題とされているネット上の誹謗中傷、何の躊躇もなく飛び交っている「人を傷付ける言葉」が、心ある人たちの目には、どれほど醜いものに映っているか。それは「丁寧な言葉」とは対極にある存在である。

逆に、敬意を込めた丁寧な言葉は、受け取る人のみならず、発する人の心も豊かにしてくれるのだ。

言葉は生き物であるから、時代に応じて変わっていくことを、もちろん私は否定しない。しかし、日本語の歴史の中で長きにわたって大切にされてきたものを、私たちは受け継いでいかなければならない。豊富な語彙の随所に見受けられる丁寧語や丁寧な言い回しは、私たちの伝統の中で育まれてきた、掛け替えのない文化の所産なのだから。

寒波に包まれた大晦日、みなさんにその大切さを訴え、理解していただきたく願っている。

暖かい言葉に包まれた2021年を過ごしましょう☆

良いお年をお迎えください!

2020年11月 8日 (日)

片付け下手の断捨離(8)-個人情報が含まれているもの

60歳が近付いたころから、自宅に集積してあった不要なものを処分する作業を続けている。

その工程で相当量発見されたのが、個人情報や個別事業所の情報が含まれた書類だ。

指定居宅介護支援事業者としての範囲内で実践した業務については、保存期間が二年間と定められている。たとえば利用者Aさんが施設へ入所して居宅介護支援が終了した場合、その日から二年を過ぎたら所定の方法で破棄している。これは事業所の責任者として常にチェックしながら滞りなく実施しており、問題が生じているものではない。

しかし、私は「社会福祉士事務所」の看板も掲げており、これまで有償、無償でいくつかの活動に関与してきた。その過程で、自宅にかなりの分量の個人情報や個別事業所の情報が集まり、明確な処分方法が定められていないまま、積み置いてしまっていた。たとえばMAF=浜松外国人医療援助会の受診者情報(画像は当時の報告書-なお、こちらには個人情報は非掲載)や、静岡県社会福祉士会第三者評価事業の対象候補事業者名情報や、参加していた活動団体メンバーの住所や電話番号が記載されている書類である。

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本来ならば、明瞭な規定がなくても、専門職の倫理綱領に照らして、適切な時期までに処分しなければならなかったのであるが、私の怠慢のため放置してしまっていた。汗顔の至りであり、お恥ずかしい限りだ。

先日来、これらの書類をすべてシュレッダーにかけて破棄した。今後もまだ出てくるかも知れないが、もちろん、見付け次第同様に処理するつもりである。

処分過程で自分の歩みを振り返りながら、結構いろいろなことに携わってきたんだなぁ、と感慨深い。MAFでは保健師さん、薬剤師さん、理学療法士さんと組んで、外国人無料検診会の...「会場総合案内(!)」をしたこともあった。他に適切な配属部署がなかったので(笑)。それこそ介護のケアチームが一つ作れそうな専門職がそろった組み合わせだったが...(^^;

いちケアマネジャーとして単線で仕事に没頭してきた人生ではなく、さまざまな活動に参画できたことが、結果的に本職のケアマネジメントをより豊かなものにしてくれたのではないかと、勝手に評価している。

年齢こそ高くなったが、今後も何か自分の力を役立てることができる機会があれば、前向きに考えていきたい。

2020年11月 3日 (火)

おかしな論評に惑わされるな!

すでに何回か自ら開示している通り、まことにお恥ずかしいことだが、私は20代の未熟な(←これは言い訳にならない)時期、勤務していた施設に入居する複数の利用者さんに対し、いまならば「虐待」「アビューズ(=不適切な応接。行政用語の「虐待」より広い範囲で捉えた呼称)」に相当する行為を何度もした。

もちろん、すでに他界された対象者の方々に心の中で謝罪しても、いまさらその罪が消えるわけではない。しかし、それらの過去の行為への深刻な悔恨を踏まえ、後進の介護従事者に向かい、「決して虐待をしてはならない! 可能な限りアビューズをしてはならない!」と説くことは、許されるであろうし、むしろ、むかし愚かな行為をした先輩として、しなければならないことであろう。

これを私たちの日常生活に当てはめてみれば当然のことだ。たとえば、一人暮らしの高齢者の居宅に、電気工事や水道工事の修理工とか、金融機関の営業社員とか、弁当・食材の宅配の販売員とかが入ってきて、仕事をしたついでにその「顧客」である高齢者をぶん殴ったとしたら、到底それは正常な振る舞いではない(ごくまれに、その類の被害がネット等で伝えられることはあるが...)。暴行がバレた後に、「俺、仕事のストレスがたまってたんだ」と述懐したとしても、それで犯した行為が酌量される話ではない。まともな社会人であればそんな行為はしない。施設や事業所や訪問先における介護従事者による「虐待」は、異常な光景でしかない。もともと介護の仕事に不向きな性格の人間が業界に紛れ込んでいたのだ。

ところが、この「異常」があたかも「日常」であるかのように断じる人たちがいる。大きく分けると三種類ある。

第一は、介護業界に関する知識や理解が不十分であるため、介護施設や高齢者施設の多くで、密室の中、しばしば虐待が行われていると誤認してしまう人たち。私たち業界人から見ればこれは「浅見」に違いないのだが、悪意なくそう思い込んでしまう人たちが一定数いることは、現実として受け止める必要があるだろう。関係者が努力して、これらの人たちに正しい知見を持ってもらい、考え方を修正してもらうため努める必要がある。

第二は、何らかの経過で思考に偏りが生じ、介護業界が巨大な悪だと信じ込んでしまっている人たち。その多くは精神疾患を抱えている。原因となっている脳の状態そのものを治療させないと、業界非難をやめさせることは難しい。

そして第三は、自分(著書とか講演とか動画とか...)を売り込むために、介護業界があたかもトンデモ業界であるかのような発信を続け、介護従事者たちを叩き続ける人たちである。「人を傷つけて稼ぐ」類型に入る人たちだと言えよう。

この三番目の人たちの振る舞いは恥ずべき行為だ。まっとうな介護従事者にとっては大迷惑でしかない。

よく考えていただきたい。上記の例であれば、修理工はあちこちの家で暴力を振るうとか、営業社員や販売員はしばしば訪問中に顧客を殴っているとか、私が語ったとしても、誰が信じるだろうか? 私の自宅をそれらの目的で訪れた人たちは、みな礼儀正しい人ばかりだ。ここでは比喩としてこれらの職種を挙げたが、現実にはよほどのおかしな人物でない限り、社会通念から逸脱した振る舞いをしないことは、説明するまでもない。

介護業界では日常的に虐待が行われているかに語る論評のおかしさは、それと同じことなのだ。

ほとんどの介護従事者は、質の高低にバラツキがあったとしても、利用者には施設で、事業所で、訪問先の居宅で、より良い日々を過ごしてもらうため精励している。力及ばず、工夫が足りず、理想に程遠い水準の介護にとどまることはあるかも知れないが、意図的に利用者を傷つけることは通常やらない。それが職業倫理である。「密室だから見えない」→「だから介護従事者は利用者に対して好き勝手な行為をしている」は我田引水の飛躍にほかならず、荒唐無稽も甚だしい。

それがまかり通るのならば、「著作のある人」「講演活動をする人」「動画を発信する人」たちは、結構さまざまな場面で人を傷つけていることになるが、もちろんそれは一部の人たちの不適切な行為であり、総体としては間違いであることは言うまでもない。

しかし悲しいことに、このテの煽り論評をする知名度の高い人たちには、それぞれ結構な「信者」がいるのである。舌鋒が鋭く刺激的であるほど、理解力や判断力に乏しい人たちを惹き付けてしまう。それが上記第一、第二の類型の人たちを増産し、さらなる「介護従事者性悪説」へと結び付いていく。

それらの著名な発信者たちは、将来、自分自身が介護を受ける立場になったときに、何を思うのだろうか?

みなさんには、この種の人たちが発するおかしな論評に接しても決して惑わされないために、自らの頭で情報を分析する能力を培っていただきたい。

2020年10月 7日 (水)

通所系・短期入所系サービスの特例加算に物申す

新型コロナウイルスの感染拡大防止をめぐって、医療機関に限らず、介護サービス事業所も対応に追われてきたことは、多くの市民がご存知だと思う。

そのような中、厚生労働省から6月1日付で、事業所の対応を適切に評価する観点から特例の加算を設けるとして、「新型コロナウイルス感染症に係る介護サービス事業所の人員基準等の臨時的な取扱いについて(第12報)」なるものが発出された(以下、単に「第12報」と称する。後出の略称「第13報」-6月15日発出-も本来のタイトルは同じ)。

本ブログには介護業界以外の読者もおられるので、詳細な内容は省略するが、おもな部分の概要は以下の通りである。

・通所系サービス(通所介護・地域密着型通所介護・認知症通所介護/デイサービス、通所リハビリ/デイケア)については、定められた日数を上限に、利用者が実際に滞在利用した時間に二時間を増した保険点数を算定できる。

・短期入所系サービス(短期入所生活介護・短期入所療養介護/ショートステイ)については、定められた日数を上限に、通常のケアプランに基づく利用であっても、緊急短期入所受入加算を算定できる。

・利用者負担(一割から三割)が発生する。

・介護支援専門員(ケアマネジャー)と連携し、利用者から事前の同意を得る必要がある。

さて、これはいわゆる「箱物」事業所のうち、利用者の出入りが頻繁にある通所系と短期入所系のサービスについて評価したものであり、方向性自体はおかしなものではない。

しかし、現実の運用においてはさまざまな問題が起きている。

(1)介護支援専門員にとっては業務が増加している。
「第13報」では、「当該取扱いを適用する場合には、居宅サービス計画(標準様式第6表、第7表等)に係るサービス内容やサービスコード等の記載の見直しが必要となるが、これらについては、サービス提供後に行っても差し支えない。」となっている。そのため、介護支援専門員は「サービス利用票・提供票(第6表)」と「同上、別表(第7表)」とを利用実績(特例加算の算定を含む)の数字に合わせて再作成しなければならない。たとえ当該月の予定として表を発行するときに特例加算をすでに組み込んでおいたとしても、事情により利用回数が予定より(減った場合はともかく)増えて、特例加算の回数も増えた場合には、再発行は必須となる。介護支援専門員は実績確定後には速やかに利用者を訪問し追認してもらう必要がある(郵送+電話だと、どの部分の算定がどう変わっているのか理解するのが困難な利用者やキーパーソンも少なくない。持参して説明してさえも毎回「何これ?」などと聞き返される場合もある)が、これは感染拡大予防のため居宅訪問を電話等での状態確認に替えられるとした以前の通知と、全く相反するものでしかない。私自身も居宅訪問の頻度は増えている。

なぜ「介護支援専門員は給付管理を的確に行えば、第6表と第7表の見直しや再作成をしなくても良い」とならなかったのか? その根っこには介護支援専門員(ひいては介護業界全体)に対する厚労省の「不信のモデル」が尾を引いているのではないかと、私は感じている。詳しくは拙著『これでいいのか?日本の介護』に述べたので、ここでは触れない。

(2)利用していない部分のサービスに対する利用者負担が延々と発生する
この加算は利用者の負担が発生するのに加え、その終期が定められていない。新型コロナウイルスの影響で収入が減っている家庭が多い状況で、たとえ月々数十円から数百円であっても、それは新たな負担となる。ましてや、保険対象限度額を超過してサービス利用している一割負担の利用者にとっては、点数の十倍以上の金額を負担しなければならないことになる(たとえ同意してもらっても、はみ出した月に限って事業者側が配慮して加算を取らない裁量は認められているが、その月は国保連のほうへ介護報酬を請求する際にも加算を算定しないことになってしまうから)。すでに事業者に対しては介護慰労金(コロナ禍で苦労した職員対象)やかかり増し経費支援金など、都道府県による緊急包括支援も実施されており、利用者から延々と負担を求める大義は薄れている。

(3)臨時の取り扱いが続くことは、制度の仕組みから望ましくない。
この加算はあくまでも、一時的な特例であり、速やかに正規の報酬改定がなされるべきである。来年3月に介護報酬改定があるため、厚生労働省としてはそこで整理するつもりなのであろうが、これまでも介護報酬は三年ごとにすべてが変わるのではなく、途中での変更が加えられたことは何度か起きている。今回も5月から議論されていたのであれば、社保審の介護給付費分科会に諮った上で、10月から通所系と短期入所系に関して、部分改定する余裕はあったはずだ。臨時の取り扱いとなった経過が不明瞭である。

(4)同意しなくても不利益な扱いを受けないはずであるが、実際には事業所からその点についての丁寧な説明がなく、むしろ不本意ながら同意せざるを得ない状況に追い込まれている場合がある。
これには特殊な地域性である(独占・寡占など)とか、介護支援専門員がサービス事業所と同じ法人に所属しているとか、さまざまな要因が考えられるが、利用者側がそこのサービスを受け続けないと不利な立場にある場合、事実上は対等な立場での同意になっていないことが想定される。不当な事例に対しては行政が介入すべきなのは当然であるが、利用者側から事業所に対してものを言いにくい状況である事例は、全国的に少なからぬ地域で発生していることが、SNSなどにより報告されている。
私の利用者さんでの中には、事業所から半ば強要されたなどの明らかな不当事例は見当たらないが、それでも行き先に友人が多い方などの中には、ご自分だけ不同意でも何がしかの差別的な扱いが生じないか、懸念している方もおられることが窺えた。逆に、地縁関係が薄く、通所は一つの地域資源だと割り切っているキーパーソンさんには、最初から同意されなかった方もあった。
同意・不同意をめぐって受益者側を当惑させる加算が好ましいものだとは言えない。

結論から言えば、この加算自体を一時的なものとして評価するが、すでに(地域差はあるものの)多くの事業所で一通りの感染予防対策が確立している現状では、早々に終了させるのが望ましい。

とは言っても、現実にはこのまま来年の3月まで続くであろうことが予測される。

そこで、いったん同意したが、もうこの辺りで終了したい方(利用者さんやキーパーソンさん=利用者の意思を当面代位されている方)のために、こんな参考書式を作成した。各自の自己責任で、日本全国のどなたがお使いになっても差し支えない。気に入らない表現があれば、ご自身で加工してくださって全く構わない。口頭では言いにくいがこんな書面があれば事業所へ通告しやすい場合など、活用してくだされば幸いである。

また、あなたやあなたのご家族の担当介護支援専門員(ケアマネジャー)が、この「途中でも同意を終了できる」権利について、全く話題にもしない人であれば、そもそも権利擁護の基本を身に着けていないと考えられるので、早々に見限って他の介護支援専門員に乗り換えたほうが良いことを、ご忠告しておく。

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