介護

2020年11月 8日 (日)

片付け下手の断捨離(8)-個人情報が含まれているもの

60歳が近付いたころから、自宅に集積してあった不要なものを処分する作業を続けている。

その工程で相当量発見されたのが、個人情報や個別事業所の情報が含まれた書類だ。

指定居宅介護支援事業者としての範囲内で実践した業務については、保存期間が二年間と定められている。たとえば利用者Aさんが施設へ入所して居宅介護支援が終了した場合、その日から二年を過ぎたら所定の方法で破棄している。これは事業所の責任者として常にチェックしながら滞りなく実施しており、問題が生じているものではない。

しかし、私は「社会福祉士事務所」の看板も掲げており、これまで有償、無償でいくつかの活動に関与してきた。その過程で、自宅にかなりの分量の個人情報や個別事業所の情報が集まり、明確な処分方法が定められていないまま、積み置いてしまっていた。たとえばMAF=浜松外国人医療援助会の受診者情報(画像は当時の報告書-なお、こちらには個人情報は非掲載)や、静岡県社会福祉士会第三者評価事業の対象候補事業者名情報や、参加していた活動団体メンバーの住所や電話番号が記載されている書類である。

Maf

本来ならば、明瞭な規定がなくても、専門職の倫理綱領に照らして、適切な時期までに処分しなければならなかったのであるが、私の怠慢のため放置してしまっていた。汗顔の至りであり、お恥ずかしい限りだ。

先日来、これらの書類をすべてシュレッダーにかけて破棄した。今後もまだ出てくるかも知れないが、もちろん、見付け次第同様に処理するつもりである。

処分過程で自分の歩みを振り返りながら、結構いろいろなことに携わってきたんだなぁ、と感慨深い。MAFでは保健師さん、薬剤師さん、理学療法士さんと組んで、外国人無料検診会の...「会場総合案内(!)」をしたこともあった。他に適切な配属部署がなかったので(笑)。それこそ介護のケアチームが一つ作れそうな専門職がそろった組み合わせだったが...(^^;

いちケアマネジャーとして単線で仕事に没頭してきた人生ではなく、さまざまな活動に参画できたことが、結果的に本職のケアマネジメントをより豊かなものにしてくれたのではないかと、勝手に評価している。

年齢こそ高くなったが、今後も何か自分の力を役立てることができる機会があれば、前向きに考えていきたい。

2020年11月 3日 (火)

おかしな論評に惑わされるな!

すでに何回か自ら開示している通り、まことにお恥ずかしいことだが、私は20代の未熟な(←これは言い訳にならない)時期、勤務していた施設に入居する複数の利用者さんに対し、いまならば「虐待」「アビューズ(=不適切な応接。行政用語の「虐待」より広い範囲で捉えた呼称)」に相当する行為を何度もした。

もちろん、すでに他界された対象者の方々に心の中で謝罪しても、いまさらその罪が消えるわけではない。しかし、それらの過去の行為への深刻な悔恨を踏まえ、後進の介護従事者に向かい、「決して虐待をしてはならない! 可能な限りアビューズをしてはならない!」と説くことは、許されるであろうし、むしろ、むかし愚かな行為をした先輩として、しなければならないことであろう。

これを私たちの日常生活に当てはめてみれば当然のことだ。たとえば、一人暮らしの高齢者の居宅に、電気工事や水道工事の職人とか、金融機関の営業員とかが入ってきて、仕事をしたついでにその「顧客」である高齢者をぶん殴ったとしたら、到底それは正常な振る舞いではない(ごくまれに、その類の被害がネット等で伝えられることはあるが...)。暴行がバレた後に、「俺、仕事のストレスがたまってたんだ」と述懐したとしても、それで犯した行為が酌量される話ではない。まともな社会人であればそんな行為はしない。施設や事業所や訪問先における介護従事者による「虐待」は、異常な光景でしかない。もともと介護の仕事に不向きな性格の人間が業界に紛れ込んでいたのだ。

ところが、この「異常」があたかも「日常」であるかのように断じる人たちがいる。大きく分けると三種類ある。

第一は、介護業界に関する知識や理解が不十分であるため、介護施設や高齢者施設の多くで、密室の中、しばしば虐待が行われていると誤認してしまう人たち。私たち業界人から見ればこれは「浅見」に違いないのだが、悪意なくそう思い込んでしまう人たちが一定数いることは、現実として受け止める必要があるだろう。関係者が努力して、これらの人たちに正しい知見を持ってもらい、考え方を修正してもらうため努める必要がある。

第二は、何らかの経過で思考に偏りが生じ、介護業界が巨大な悪だと信じ込んでしまっている人たち。その多くは精神疾患を抱えている。原因となっている脳の状態そのものを治療させないと、業界非難をやめさせることは難しい。

そして第三は、自分(著書とか講演とか動画とか...)を売り込むために、介護業界があたかもトンデモ業界であるかのような発信を続け、介護従事者たちを叩き続ける人たちである。「人を傷つけて稼ぐ」類型に入る人たちだと言えよう。

この三番目の人たちの振る舞いは恥ずべき行為だ。まっとうな介護従事者にとっては大迷惑でしかない。

よく考えていただきたい。上記の例であれば、電気工事や水道工事の職人はあちこちの家で暴力を振るうとか、金融機関の営業員はしばしば訪問中に顧客を殴っているとか、私が語ったとしても、誰が信じるだろうか? 介護業界では日常的に虐待が行われているかのような論評は、それと同じことなのだ。

ほとんどの介護従事者は、質の高低にバラツキがあったとしても、利用者には施設で、事業所で、訪問先の居宅で、より良い日々を過ごしてもらうため精励している。力及ばず、工夫が足りず、理想に程遠い水準の介護にとどまることはあるかも知れないが、意図的に利用者を傷つけることは通常やらない。それが職業倫理である。「密室だから見えない」→「だから介護従事者は利用者に対して好き勝手な行為をしている」は我田引水の飛躍にほかならず、荒唐無稽も甚だしい。

それがまかり通るのならば、「著作のある人」「講演活動をする人」「動画を発信する人」たちは、結構さまざまな場面で人を傷つけていることになるが、もちろんそれは一部の人たちの不適切な行為であり、総体としては間違いであることは言うまでもない。

しかし悲しいことに、このテの煽り論評をする知名度の高い人たちには、それぞれ結構な「信者」がいるのである。舌鋒が鋭く刺激的であるほど、理解力や判断力に乏しい人たちを惹き付けてしまう。それが上記第一、第二の類型の人たちを増産し、さらなる「介護従事者性悪説」へと結び付いていく。

それらの著名な発信者たちは、将来、自分自身が介護を受ける立場になったときに、何を思うのだろうか?

みなさんには、この種の人たちが発するおかしな論評に接しても決して惑わされないために、自らの頭で情報を分析する能力を培っていただきたい。

2020年10月 7日 (水)

通所系・短期入所系サービスの特例加算に物申す

新型コロナウイルスの感染拡大防止をめぐって、医療機関に限らず、介護サービス事業所も対応に追われてきたことは、多くの市民がご存知だと思う。

そのような中、厚生労働省から6月1日付で、事業所の対応を適切に評価する観点から特例の加算を設けるとして、「新型コロナウイルス感染症に係る介護サービス事業所の人員基準等の臨時的な取扱いについて(第12報)」なるものが発出された(以下、単に「第12報」と称する。後出の略称「第13報」-6月15日発出-も本来のタイトルは同じ)。

本ブログには介護業界以外の読者もおられるので、詳細な内容は省略するが、おもな部分の概要は以下の通りである。

・通所系サービス(通所介護・地域密着型通所介護・認知症通所介護/デイサービス、通所リハビリ/デイケア)については、定められた日数を上限に、利用者が実際に滞在利用した時間に二時間を増した保険点数を算定できる。

・短期入所系サービス(短期入所生活介護・短期入所療養介護/ショートステイ)については、定められた日数を上限に、通常のケアプランに基づく利用であっても、緊急短期入所受入加算を算定できる。

・利用者負担(一割から三割)が発生する。

・介護支援専門員(ケアマネジャー)と連携し、利用者から事前の同意を得る必要がある。

さて、これはいわゆる「箱物」事業所のうち、利用者の出入りが頻繁にある通所系と短期入所系のサービスについて評価したものであり、方向性自体はおかしなものではない。

しかし、現実の運用においてはさまざまな問題が起きている。

(1)介護支援専門員にとっては業務が増加している。
「第13報」では、「当該取扱いを適用する場合には、居宅サービス計画(標準様式第6表、第7表等)に係るサービス内容やサービスコード等の記載の見直しが必要となるが、これらについては、サービス提供後に行っても差し支えない。」となっている。そのため、介護支援専門員は「サービス利用票・提供票(第6表)」と「同上、別表(第7表)」とを利用実績(特例加算の算定を含む)の数字に合わせて再作成しなければならない。たとえ当該月の予定として表を発行するときに特例加算をすでに組み込んでおいたとしても、事情により利用回数が予定より(減った場合はともかく)増えて、特例加算の回数も増えた場合には、再発行は必須となる。介護支援専門員は実績確定後には速やかに利用者を訪問し追認してもらう必要がある(郵送+電話だと、どの部分の算定がどう変わっているのか理解するのが困難な利用者やキーパーソンも少なくない。持参して説明してさえも毎回「何これ?」などと聞き返される場合もある)が、これは感染拡大予防のため居宅訪問を電話等での状態確認に替えられるとした以前の通知と、全く相反するものでしかない。私自身も居宅訪問の頻度は増えている。

なぜ「介護支援専門員は給付管理を的確に行えば、第6表と第7表の見直しや再作成をしなくても良い」とならなかったのか? その根っこには介護支援専門員(ひいては介護業界全体)に対する厚労省の「不信のモデル」が尾を引いているのではないかと、私は感じている。詳しくは拙著『これでいいのか?日本の介護』に述べたので、ここでは触れない。

(2)利用していない部分のサービスに対する利用者負担が延々と発生する
この加算は利用者の負担が発生するのに加え、その終期が定められていない。新型コロナウイルスの影響で収入が減っている家庭が多い状況で、たとえ月々数十円から数百円であっても、それは新たな負担となる。ましてや、保険対象限度額を超過してサービス利用している一割負担の利用者にとっては、点数の十倍以上の金額を負担しなければならないことになる(たとえ同意してもらっても、はみ出した月に限って事業者側が配慮して加算を取らない裁量は認められているが、その月は国保連のほうへ介護報酬を請求する際にも加算を算定しないことになってしまうから)。すでに事業者に対しては介護慰労金(コロナ禍で苦労した職員対象)やかかり増し経費支援金など、都道府県による緊急包括支援も実施されており、利用者から延々と負担を求める大義は薄れている。

(3)臨時の取り扱いが続くことは、制度の仕組みから望ましくない。
この加算はあくまでも、一時的な特例であり、速やかに正規の報酬改定がなされるべきである。来年3月に介護報酬改定があるため、厚生労働省としてはそこで整理するつもりなのであろうが、これまでも介護報酬は三年ごとにすべてが変わるのではなく、途中での変更が加えられたことは何度か起きている。今回も5月から議論されていたのであれば、社保審の介護給付費分科会に諮った上で、10月から通所系と短期入所系に関して、部分改定する余裕はあったはずだ。臨時の取り扱いとなった経過が不明瞭である。

(4)同意しなくても不利益な扱いを受けないはずであるが、実際には事業所からその点についての丁寧な説明がなく、むしろ不本意ながら同意せざるを得ない状況に追い込まれている場合がある。
これには特殊な地域性である(独占・寡占など)とか、介護支援専門員がサービス事業所と同じ法人に所属しているとか、さまざまな要因が考えられるが、利用者側がそこのサービスを受け続けないと不利な立場にある場合、事実上は対等な立場での同意になっていないことが想定される。不当な事例に対しては行政が介入すべきなのは当然であるが、利用者側から事業所に対してものを言いにくい状況である事例は、全国的に少なからぬ地域で発生していることが、SNSなどにより報告されている。
私の利用者さんでの中には、事業所から半ば強要されたなどの明らかな不当事例は見当たらないが、それでも行き先に友人が多い方などの中には、ご自分だけ不同意でも何がしかの差別的な扱いが生じないか、懸念している方もおられることが窺えた。逆に、地縁関係が薄く、通所は一つの地域資源だと割り切っているキーパーソンさんには、最初から同意されなかった方もあった。
同意・不同意をめぐって受益者側を当惑させる加算が好ましいものだとは言えない。

結論から言えば、この加算自体を一時的なものとして評価するが、すでに(地域差はあるものの)多くの事業所で一通りの感染予防対策が確立している現状では、早々に終了させるのが望ましい。

とは言っても、現実にはこのまま来年の3月まで続くであろうことが予測される。

そこで、いったん同意したが、もうこの辺りで終了したい方(利用者さんやキーパーソンさん=利用者の意思を当面代位されている方)のために、こんな参考書式を作成した。各自の自己責任で、日本全国のどなたがお使いになっても差し支えない。気に入らない表現があれば、ご自身で加工してくださって全く構わない。口頭では言いにくいがこんな書面があれば事業所へ通告しやすい場合など、活用してくだされば幸いである。

また、あなたやあなたのご家族の担当介護支援専門員(ケアマネジャー)が、この「途中でも同意を終了できる」権利について、全く話題にもしない人であれば、そもそも権利擁護の基本を身に着けていないと考えられるので、早々に見限って他の介護支援専門員に乗り換えたほうが良いことを、ご忠告しておく。

2020年7月29日 (水)

エンドユーザーの利益は?(2)

2020年版「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる「骨太の方針」が政府から発表された。

斜め読みしかしていないが、大枠の方向性は一通り理解した(つもりだ)。

Facebookを見ていると、保健・医療・介護・福祉分野に関連して、心ある業界仲間たちの多くが着目しているのは、「介護分野へのAIの活用」と「医師による社会的処方」の二か所のようだ(どちらも32頁)。

前者は、「感染症の下、介護・障害福祉分野の人手不足に対応するとともに、対面以外の手段をできる限り活用する観点から、生産性向上に重点的に取り組む。ケアプランへのAI活用を推進するとともに、介護ロボット等の導入について、効果検証によるエビデンスを踏まえ、次期介護報酬改定で人員配置の見直しも含め後押しすることを検討する。介護予防サービス等におけるリモート活用、文書の簡素化・標準化・ICT化の取組を加速させる。医療・介護分野のデータのデジタル化と国際標準化を着実に推進する。」と記載されている。業界仲間の間では、対人サービスである介護やケアマネジメントの中に、AIをどう活用していくか、本当に人材不足解消につながるのかなどが、おもな論点になっている。

後者は、「かかりつけ医等が患者の社会生活面の課題にも目を向け、地域社会における様々な支援へとつなげる取組についてモデル事業を実施する。」と記載されている。こちらは、ソーシャルワークやケアマネジメントの中ですでに実践されてきた「生活モデル」と、医師の「医療モデル」に基づいた「社会的処方」とがマッチングするのか、適切に役割分担できるのかが、おもな論点である。

さて、この二つの部分について、別の視点から眺めてみたい。

「エンドユーザーの利益は守られるのか?」

まずAI・ロボットの活用について。開発・販売する業者にとってみれば、直接的な顧客になるのは介護事業所であり、そこに勤務する職員である。したがって、AIを活用したICT機器やロボットは、介護職員やケアマネジャーが効果的に活用することによって、人が担うべき業務を省力化できるものでなければならないのは、言うまでもない。
しかし、その機器やロボットによって介護、支援される対象は、高齢者や障害者などの要介護者なのだ。機器やロボットの「エンドユーザー」に該当する受益者となるのは、その要介護者の人たちにほかならない。もし開発・販売する業者が、介護職員やケアマネジャーにとって使いやすい面だけに力を入れても、その製品によって介護される人、その製品によってアレンジされたケアプランによりサービスを位置付けられる人にとって、使い心地の悪いものであれば、「仏作って魂入れず」になる。かつて拙著で紹介した株式会社Abaなどの、例外的な一部の企業を除けば、その懸念は相当以上に大きい。

それから社会的処方について。医師が患者の社会生活面の課題に目を向けることは大いに結構であり、推奨してほしい。
しかし、そこに診療報酬が付与された場合、しばしばソーシャルワークやケアマネジメントにおける生活モデルと齟齬する場合が生じる。常に後者のほうが良質だと言うつもりはないが、「餅は餅屋」の言葉に象徴される通り、それぞれの職種にふさわしい役割が存在するはずだ。医療の「エンドユーザー」は患者である。社会生活全体を広い視野で眺められる優れた「家庭医」的な医師も存在する一方、多忙で5分程度しか診療時間が確保できず、患者を医学的な面でしか理解できない専門医等の医師も存在する。エンドユーザーの利益を鑑みれば、社会学的な要素を加味した診断の不得意な医師が「社会的処方」をすることにより、患者側の混乱を招く事態になってほしくないのが、正直なところである。

このように、この二つの施策は原案のまま生硬に推進するのではなく、本旨に沿った運用が順調になされるのかどうか、モデル事業の時点でエンドユーザーの声を十分に採り入れながら、前へ進めていくべきだ。

他の施策も含め、一つ一つの施策がそれぞれ、「直接利用するユーザー」だけではなく、「エンドユーザー」のほうをしっかり向いているのか? を吟味していくことにより、その適切さの度合いを測る尺度が見えてくると思う。

「布マスク配付(第二弾以降)」や「Go to キャンペーン」が不評なのは、施策がどこかの誰かのほうを向いているからにほかならない。もちろん、現実には繊維産業や観光産業など、関連する産業側の事情も存在するだろうし、それらの業界への保護策も重要な国家的な課題であるだろうから、理想通りにはいかないことは承知している。しかし、多くのエンドユーザーたちが抱く気持ちからあまりにも外れ、供給側に連なる特定の集団を利する結果になってしまえば、国民からの風当たりが強くなるのは当然だ。政局に当たる人たちには、誰のための施策なのか、三思しながら日々の政務に精励していただきたい。

国民の一人として、それを心から願っている。

2019年12月18日 (水)

人と会い、人と語り(8)

中高年(むかしなら、すでに「初老」と呼ばれていた年齢だが...)の私としては、これから自分の交流範囲が縮小しないように、そろそろ心掛けないといけない時期だ。

特に、母の介護を契機にいろいろな役職から退いたこともあり、気軽に語り合える地元の業界仲間も減少している。

しかし、良い時代になったもので、ブログやSNSを媒体として、日本全国の業界内外の仲間とのお付き合いがとても容易になった。〇〇県の△△さんが直近に何をしていたか、お互いに知り合うことが可能になっているのだ。私が20代のころには、物理的な距離感が大きいことが交流を妨げていたが、いまは離れていても身近に感じるのは、ネットの恩恵であろう。

そんなわけで、今年も自分の開業18周年を口実に、来られる方に来ていただき、飲み会をしようと心組んでいたが、自分の都合で結構時期が遅くなってしまった。11月23日(土)勤労感謝の日に、お互いの労苦へのねぎらいを兼ねて開催。

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お集まりくださった方々は2県6名。三年前(午後の企画とセット)は14都府県62名、二年前は5道県11名、昨年は4県8名だったので、次第に矮小化(?)しつつある(笑)。ご参集くださった方々には心から感謝の意を申し述べたい。

鈴木さん(長上苑。右から三人目)、中山さん(トーケイモータース。左端)は四年連続。久保田さん(聖隷クリストファー大。左から三人目)、平田さん(シリアヴィラ・パトリ。右奥)は三回目である。それぞれ、本ブログに過去複数回ご登場願っている。

初のご参加はお二人。小池美枝子さん(右から二人目)は名古屋市でケアマネジャーをされており、スペイン語を生かして外国人支援にも携わっておられる方。大貫芳夫さん(右端)は生活クラブ生協の配達を担当され、市民活動団体とも協働されている方だ。お二人とも視野がお広くご見識の高い方であり、私はFacebook等の場で学ばせていただいている。

今回は初対面の方同士に意外なつながりがあったことが判明するなど、インティミットで佳い時間を持つことができた。

仕事も活動も異なる人たちが集って、お互いを尊重しながら意見交換をするのは素晴らしいことであり、今後もこの種の「自前企画」は、時期を見ながら続けていきたいと考えている。

さて、すでに読者の方々にはご存知の通り、私はときどき首都圏や関西へ出掛けて行く。浜松に居るだけでは生活が単調になるため、刺激を求めて業界内外の若い方々と交歓したい気持ちがあるからだ。

この冬にも、12月10日(火)、東京まで泊り掛けで「出張」してきた。

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画像のお二人は、用心棒稼業の怪しい方々ではない。左の方はアームレスリング、右の方は空手を身に着けておられるので、まぁ格闘家と言えないことはないが、「趣味・特技」ぐらいかな?(^^;

以前のエントリー、「人と会い、人と語り」の(2)に登場された練馬(ご出身は石垣島)の「ミッキーさん」=奥平幹也さん(左)と、(6)に登場された沖縄の「カルロスさん」=玉城竜一さん(右)である。

ちょうどカルロスさんが認知症指導者研修のため在京されていたので、それなら双方にとって旧知のミッキーさんと席をご一緒しましょうか! とお誘いして、お二人にご快諾いただいた。「暗い酒場の片隅(?)」状態だが、ミッキーさんがご存知のリーズナブルな店で会食。

カルロスさんが参加されている研修成果を今後どう活用するか、ミッキーさんが取り組まれている人材育成の課題と展望はどんな状況か、首里城再建や沖縄の現況をどう見るか、などがおもな話題になった。

二時間程度の間に、それぞれのお立場からの、たいへん有益な情報をいただき、意見交換することができた。特に私が再確認できたことは、「優れた人は、相手や対象になる人や組織の側がどうしてほしいかを、常に考えて行動する」点である。自営業の私は、気が付かないうちに、振舞う姿勢が自事業所本位に傾いているかも知れない。自分自身を振り返って心したい大切な部分だ。

漫然と仕事を続けている人たちと中身の薄い談話をするより、お金や時間を掛けても、普段なかなか会えない人たちと中身の濃い話を展開するほうが、あとに残る充実感ははるかに大きい。

さて、今回の東京行きは定休日(水曜日)をはさんで二泊したので、11日にも他のところへ足を延ばした。これについては、別の機会に稿を改めて書きたいと思っている。

2019年10月23日 (水)

勘違いしてはいけない

いま、国の審議会や委員会で協議されていることの一つに、居宅介護支援費に利用者負担を導入することの是非がある。

これまで、居宅介護支援の介護報酬は、10割すべてが保険財政から賄われ、介護支援専門員の仕事である「相談援助、連絡調整」そして成果物としての「ケアプラン」作成については、利用者の家計に負担を掛けることなく実施されてきた。

財務省は国の財政難を理由に、これまで発生していなかった居宅介護支援費の利用者負担(1割~3割)を徴収しようと図り、厚生労働省にその実現を迫っている。

実際に利用者負担が課された場合、その金額はいくらになるのか? あくまでも浜松の場合の計算であるが、七級地であるため、私のような加算を取らない一般の事業所であれば、要介護1・2の利用者が月額1,080円、要介護3~5の利用者が月額1,402円となる。これは一割負担の場合だ。二割負担であればこの二倍、要介護1・2の利用者が月額2,159円、要介護3~5の利用者が月額2,804円。さらに三割負担であればこの三倍、要介護1・2の利用者は月額3,238円、要介護3~5の利用者が月額4,206円となる。これに特定事業所の加算が加わった場合には、さらに月額309円から515円の増額になる。

自己負担導入への反対意見を聴いていると、(1)市民の立場からすれば、少ない年金で細々と食べている人たちにとっては、たとえ一割負担であったとしても、決して小さい金額ではないので、これは改悪にほかならないとの論が中心になる。

また、(2)介護支援専門員の立場から見ると、この利用者負担の導入は、業務量を増やすことになる。私自身、一人親方で介護支援専門員も経営者も事務員も用務員も兼ねているので、利用者・家族から自己負担分を徴収する作業は、すべて自分でやらなければならない。介護報酬が上がらない限り、持ち出しが増えるだけの事態になり、歓迎する話ではない。

また、(3)居宅介護支援事業所とは別に、併設の在宅介護サービスを利用してほしいサービス事業者(介護福祉施設、老健、サ高住など)が、無料で自己作成支援を行う部門を設け、囲い込みケアプランの作成を助長することも懸念される。このような動きは、市民団体等に所属して真に自己作成を続けている利用者・家族への評価を貶め、自己作成の廃止に結び付く恐れもある。

また、(4)自己負担が導入されれば、専門性の劣るケアマネジャーが、利用者・家族の「料金を払っているんだ」との声に屈して、「御用聞き」「言いなり」レベルのケアプランを作成してしまう可能性がある。

他方、自己負担導入への賛成意見がある。業界の識者の中からは、(5)相談支援や連絡調整、その成果物としてのケアプランにもお金がかかることを、受益者側である利用者・家族に理解してもらうのが望ましいので、自己負担を導入すべきだとの見解がある。

また、財源論とは別に、(6)国民負担率の現状に鑑み、市民の自助・互助を推進する立場から、公助・共助による十割現物給付に依存するのではなく、介護事故が発生した当事者の市民に、しかるべき負担を求めるべきだとの考え方もある。「保険料を払っているが、保険を利用しなくても済んでいる」人たちの理解を得るように努めるべきだとの主張は、一つの見識であろう。

さて、私自身はいまの時点では、「国と関係団体等との何らかの取引材料にされない限り」との条件で、将来的な居宅介護支援の自己負担導入に対して、明確に賛成も反対もしていない。強いて言えば上記(2)の問題があるので、目先のことだけ見れば、自己負担が導入されないほうが楽ではあるが...(^^;

どうも、介護支援専門員たちによる本件に関する議論を見聞きしていると、賛成派も反対派も「どちらでもない」派も、一部の良識ある論者(私と交流のあるフェイスブック友達など)を除き、何か勘違いしている人が多いように感じるのだ。

そもそも、保険給付は利用者に対して給付されるものである。居宅介護支援事業者は、利用者から料金をもらい、その料金のうち定められた要件を満たした部分を保険が補填する。ただし、損保の交通事故補償同様、利用者の一時的な出費を避けるための「現物給付」のシステムがあるために、事実上は国保連から介護報酬として受領している。これはあくまでも保険のシステムの問題であり、形式上は前述の通りだ。

したがって、自己負担があろうがなかろうが、私の場合であれば、要介護1~2の「利用者さんから」毎月10,791円、要介護3~5の「利用者さんから」毎月14,018円の対価をいただいているはずなのだ。その重みを常に意識しながら仕事しなければならないのだ。

つまり、ケアプランの目標期間(半年とか一年とか)を平均して、月ごとに測った場合、月平均で上記の対価に見合わない仕事しかしていないのであれば、それは介護支援専門員として失格なのである。顧客からお金をもらって仕事をする以上、その顧客の最善を図るのが当然ではないか。

それが社会保険の常識なのだが、そこを勘違いしている介護支援専門員には、大切なものが見えてこない。「お客様、タダでケアプランを作成しますよ(←つまり、この理解自体が間違い)」から「お客様、これからはケアプランの料金を何千円負担していただきますよ」になるのか? そうなったら利用者や自分たち介護支援専門員にどんな影響があるのか? といった、現場のやり取りに問題が矮小化されてしまう。

自己負担してもらう金額がゼロ割だろうが一割だろうが二割だろうが三割だろうが、自分たちの持つ専門性にのっとって、利用者から「この報酬に値する」と評価してもらえる仕事をすることが、肝心なのである。

その覚悟や心掛けを持たない介護支援専門員(現場仕事をしていない管理職等の有資格者も含める)は、この事案について語る資格がない、とさえ思う。

2019年9月10日 (火)

人と会い、人と語り...(7)

先週はエントリーを一回お休みしたが、実は4日(水)に東京まで日帰りで往復してきた。

護保険の2024年報酬改定(2021年の誤りではない。その三年後の診療報酬とのダブル改定のことだ)に向けて、私たちが利用者本位の仕事を続けていくために何をすれば良いのか? 浜松に居すくんでいても実のある情報は入ってこない。まずは、しかるべき人たちに会って話を聞こうと思い、以前から注目していながら対面する機会がなかったお二人の方にアポを取って、語り合う時間を作っていただいた。

お一人は、鐵(てつ)宏之さん。私より21歳ぐらいお若い。埼玉県新座市で独立型居宅介護支援を開業、一人親方として仕事を始められて一年半になる。今回は池袋までお出向きいただいて、昼食を共にしながら語り合うことができた。

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自ら「変態ケアマネジャー」と称されているが、他県にもしばしば出向いて活躍されている実力派ケアマネジャーのお一人。居宅介護支援の本業以外に、法定研修の講師、県内外の業界・職能研修の講師(「生活支援記録法」が中心)などご多忙である。

この辺りまでは、十年前ぐらいの私とよく似ている営業形態なのだが、鐵さんはこれらに加えて「産業ケアマネジャー」として企業の介護離職対策への参画を始めておられる。私自身はケアマネジャーの一つの可能性として示していたものの、母の介護などの制約もあって踏み切れなかった。鐵さんが先駆けてモデルケースになっていくことを願いたい。今後、実力派のケアマネジャーの方々には、ぜひ携わってほしい分野である。

これからの時代、AIをケアプランに導入していく趨勢にあること、他方、それによって「サービスありき」になってしまってはならないことについても、私とおおむね同意見であった。鐵さんは同じく変態仲間であるアローチャート研究会・石田英一郎さん(府中市)らの勉強会にも参加されており、利用者さんそれぞれの正直な思いを汲み取るためにも、一人ひとりに寄り添って生活課題を抽出していく、ケアマネジャーの思考過程の重要性を強く意識されている。介護支援専門員の国家資格化についても、実践が伴わなければ意味が薄いとのお考えだ。

いま政策サイドで議論されているケアプランの自己負担導入については、利用者負担を回避したい人たちを狙い撃ちにした、大手組織等のヒモ付き「自己作成代行事業者」が暗躍する可能性を予測されている。利用者(市民)本位の視点から、望ましい選択を妨げる「囲い込み」的な利益誘導を憂慮されているのだ。

初対面なのにもかかわらず、職能団体等に関する見方も率直に露出して語ってくださった。総じて、鐵さんの姿勢には賛同できる部分が多い。「同志」と言って差し支えないだろう。

昼食を済ませて鐵さんと別れ、新宿経由で西荻窪駅まで向かう。もうお一人の方と会うのが目的だ。

その人は、佐藤弘幸さん。私より18歳ぐらいお若い方である。東京都杉並区で5年前から通所介護「空の花」を経営されている。

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訪問美容サービスのFC事務局を担うようになった後、ミライ塾・奥平幹也さん(練馬区)と知り合ったことから介護の世界に踏み込む契機を得られたとのこと。その後、杉並区高井戸で通所介護を開設、いまは区内の宮前に移り、サービスを継続されている。

私が宮前にお邪魔したのは15:20頃で、ティータイムのあとのレクの時間だったが、ティータイムが終わっていない(食事介助が必要な)利用者さんもおられ、スタッフの方が急がずその方のペースに合わせて介助されていた。レクではリーダーの方の言葉遣いが丁寧であり(原則として敬語で、ときにはあえて親しみのこもった言葉を使うことはあったが)、参加されている利用者さんがご自分の体験談など、あまり良くなかった思い出も含め、しっかりとご自身を表出されていた。15分ぐらい見学させていただいた後、佐藤さんご本人が登場。

通所介護運営の傍ら、「ポテンシャル介護プロジェクト」として家庭介護支援にも携わっておられる佐藤さんは、ご自分が運営される事業に関わる人々の「心を満たす」ことを理念として、利用者さん、その家族、事業所で働く職員(および家族)、ケアマネジャーと、優先順位を付けずに、皆を人として大切にしたいと希望されている。

そのために、「空の花・宮前」では利用者さんの真の生活課題を把握し、一人ひとりの利用者さんとともに、段階的に「自立」後の目標までを設定し、それを実現させるべくスタッフが支えている。巷に少なくない「老稚園」や「リハビリのためのリハビリ」とは全く異なる姿だ。職員に対する「やりがい搾取」もない。その方式によって毎月のように劇的な改善を見せる方が出ているので、このように事業所とケアマネジャーとが互いに理解し合い、利用者各々の自立支援へ向けて協働する望ましい姿が、全国に広がってほしいと願っている、と佐藤さんは語っておられた。

ともに運営に参画されている「音楽の花束」後藤京子さん(イベントプロデューサー・ピアニスト)をはじめ、良き仲間に恵まれているのは、佐藤さんたちの事業の展望を明るいものにしている。将来を見越して、現状にとどまらない新しい事業展開の方針についても、常にアイディアを出し合っておられるとのこと。その一部分を話してくださったが、未公開だとのことなのでここでは触れない。

このような好循環によって、能力ややる気のあるスタッフが集まり、真のリハビリを受けたい利用者さんが集まるのであれば、これに過ぎることはない。佐藤さんの熱い思いと理念が空回りせず、実践に裏付けられていることに、共感と敬意とを抱いた。

私が感じた鐵さん・佐藤さんのお二人の共通点は、「人」の尊厳を何よりも大切にされていること、良き業界仲間たちと実り多い結び付きを築いておられること、何年も先を読んで時代を生き抜く覚悟をお持ちであること、そして、自分や自組織が社会のための「公器」であると認識されていて、道から逸れないこと、...などなど。

若い方々から学ぶべき点は大きい。漫然と年功や地位を重ね、時代に流されるだけで大事なものが見えていない業界の古者たちに、鐵さんや佐藤さんの爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ。

私の唯一の取り柄は、このお二人のような地理的にも年齢的にも離れている方々と、(相手の迷惑を省みず(^^;)気軽に会いに行って、ざっくばらんに語り合えることかも知れない。

2019年7月10日 (水)

音楽の著作権をどう考えるべきか

このたび、JASRAC(日本音楽著作権協会)の職員が「主婦」として、Y社(本社は当地・浜松)が経営する銀座の音楽教室に二年近く「潜入」して受講していた事案が、話題になっている。

Y社をはじめとする「音楽教室を守る会」が、教室での楽曲演奏にまで著作権使用料を徴収するのはおかしいとして、JASRACと裁判で係争している中、この「主婦」はヴァイオリン講師の模範演奏について、「講師が伴奏に合わせて弾く様子は、まるでコンサートを聞いているかのように美しく聞こえた」と証言し、JASRAC側の主張を裏付けたのだ。

この事案をめぐって、あたかも「JASRAC→悪」「音楽教室→正義」であるかのような議論が支配的になっている。

JASRACに対する批判は、多くの論者から寄せられている。著作権料の徴収対象がカラオケ店やBGMを流す店などにも拡大し、また、徴収した著作権料をクリエイターに払わない場合もある(例:短い小節なら作詞者に配分しない、雅楽の演奏にも徴収した、etc.)と報じられており、これが「権利を守る」正当な行為に相当するのか、疑問を持つ人たちも少なくない。中には誇大な報道もあり得るので、実態が報道の通りなのか不明瞭ではあるが、JASRAC自体が大きな利権を得ていることは否定できないであろう。

その流れに沿って、今回のJASRAC職員の「潜入」も、教室側との信頼関係を踏みにじるスパイ行為であると評する論者が圧倒的に多い。

しかし、これはちょっと違うのではないだろうか。

まず、楽曲を用いて収益を得る場合は、作詞家や作曲家に対して正当な対価を支払う義務がある。これは作詞家や作曲家の権利を守るためには大切なことである。こちらもいま話題になっている過去の海賊版サイト「漫画村」が、いかに漫画家や出版社の正当な権利を侵害してきたかを考えれば、クリエイターの著作権が守られなければならないことは自明である。

JASRACが作詞家や作曲家に代わって管理している楽曲であれば、当然ながら楽曲の有償使用者は、JASRACに著作権使用料を支払う義務がある。作詞家や作曲家がJASRACの取り分を除いた適切な配分を受けているかどうかは、JASRACと作詞家や作曲家との問題であり、楽曲の使用者が介入すべきものではない。

次に、カラオケ店やBGMを流す店はともかく、音楽教室までが「楽曲の有償使用者」に該当するかの点である。

今回、多くの教室経営主体が「音楽教室を守る会」を結成、協働して裁判を起こしているが、Y社(...を含めた一部の音楽教室。以下、音楽教室「Y」という)は、他の大手や街中のところどころにある中小零細の音楽教室(以下、音楽教室「T」という)とは、性質がかなり異なることが判明している。

音楽教室「T」では、穏当に音楽文化を一般の人たちに伝えて、その対価を得ることが営業活動である。その後、そこで学んだ若い人が演奏家として育つための橋渡し程度はするかも知れないが、それ以上の営業活動に踏み込むことは通常はない。

他方、音楽教室「Y」では、自社で契約する演奏家をプロフェッショナルとして活動させ、メディアでの仕事に結び付けている。しかもY社の場合、伴奏システムまで自社側で用意しているので、ある程度の技術を持つ受講者が本気で習得に臨み、一定の過程を経れば、比較的容易に「演奏家」レベルまで到達する。この繰り返しによってY社側で「使える」プロ演奏家が(レベルはともかく)増加していく。これでは、単なる「音楽教室」ではなく、「稼げる演奏家の養成所」と見なされても、しかたがないのではなかろうか。

すなわち、Y社はコングロマリットとして総合的な音楽ビジネスを展開しており、音楽教室もその一環だと考えられるのだ。したがって、「講師が伴奏に合わせて弾く様子は、まるでコンサートを聞いているかのように美しく聞こえた」と証言した「潜入」職員の感覚は正常であり、JASRAC側の意を呈して虚構の「コンサート」を作り上げたとは言い難い。

長く浜松のため貢献している大企業なので、悪くは言いたくないのだが、残念ながら、先日、知人の演奏家(決して作曲者=JASRAC側に近い人=ではない)から耳にした話も、上記の判断を裏付けている。

だから、ここで「JASRACは悪だ」「音楽教室は正義だ」と決めつけた論評をしてしまうと、私がかねてから日本人の思考形態の特徴だと見なしている「二分割思考」の弊害に陥ってしまう。

この事案については、「ただの音楽教室(音楽教室「T」型)なのか? それとも、楽曲を有償使用したビジネス(音楽教室「Y」型)なのか?」の実態から判断して、著作権使用料徴収の是非を問うべきだと愚考する。裁判所にはこの点を賢察しつつ、判決を出してほしいと思う。

日本の音楽文化を守るためには、係争中の事案はともかく、今後、JASRACの幹部を含めた有識者や各方面の関係者が顔を合わせる場を増やし、議論を深めてほしい。クリエイターの権利をどう守り、他方で楽曲の有償、無償での使用の形態を法律や社会通念でどう定義し、線引きをするのか、利害関係者が対立を超え、知恵を出し合って、望ましい音楽文化のありかたを語り合い、方向付けていってほしいと願っている。

2019年6月26日 (水)

冷静に読み解くべき報告書

最近、以下の二つの報告書が話題になっている。

(1)金融庁が公表した金融審議会「市場ワーキング・グループ報告書 高齢社会における資産形成・管理」

(2)財務省が公表した財政制度等審議会「令和時代の財政の在り方に関する建議」

この両者に関して報道された内容が、人々を騒がせているのだ。

特に(1)は、「夫65歳、妻60歳の夫婦世帯では、30年間に公的年金以外の資産が2000万円必要」との試算だけがクローズアップされ、それを野党が意図的に政治問題化させ、与党は不器用な火消しに追われるといった、ドタバタ政治劇の混乱を招いている。

また、(2)の中にあった年金関係の数字が抹消されたことも、一部の市民から問題視されている。加えて、私たちの介護業界では、(2)のうちケアマネジャーなどの介護業界に関する内容が、安かろう悪かろうを推進し、良質な事業者をツブしかねない愚策だと非難されている。

そこで、〔自分の専門外の分野については十分に理解できていないことは承知の上で〕両者の全体に目を通してみた。

まず(1)であるが、読んでみたところ、報道されている話とは全く異質の印象を受けた。

これは、「余裕のある中高年世代に対する資産運用の勧奨」と、それに対する「金融機関向けの手引書」なのだ。だから、まだ導入部に過ぎない「人口動態等」の箇所で、勇み足よろしく米国の「プルーデント‐インベスタールール」を紹介している(P.8)。「この段階で早々とこんなコラム出すなよ!」と失笑してしまった。

つまり、「年金」の話題は、「資産運用」と「金融機関用手引」を引き出すための糸口に過ぎないのであり、そもそも主題ではない。もちろん、年金に関する試算にはそれだけの根拠があるのだろうが、そもそも一定以上の富裕層が志向する生活水準を前提にしたものであるから、私たち庶民には縁の薄い話(笑)なのだ。

したがって、この数字をネタにして一部野党が攻撃したのは事実「煽り」と言って差し支えないし、与党が報告書を「受け取らなかった」のも拙策だ。いや、受け取らないなら受け取らないでよかった。「ワーキンググループの段階の報告書なので、受理しなかった」と躱せば良かったのだ。受け取らないのにその内容についてあれこれ応酬しているから、かえって話がややこしくなってしまった。

続いて、(2)である。こちらは国政に占める比重は(1)よりもズンと重い。審議会による「建議」の形を採っているが、これが財務省の「意思」だと考えて良い。

まず、財政再建に向けて、オランダの財務大臣室に掲げてあったギリシア神話の絵まで紹介して、危機を警告している(P.9、資料Ⅰ-6-1)。オランダの場合、欧州債務危機の波及を受けての経済回復が緩やかであること、EUとの協調と移民対策との兼ね合いが長期にわたる重要課題であること、中小政党の政策の摺り合わせで連立政権が成立していること、などなど、日本とは国情の違いが大きいので、わざわざ引き合いに出すのはどうかと思うが、ま、それはひとまず措いておこう。

次に、社会保障に関する部分。私が着目したのは、薬局業務のうち、薬剤師の業務を対物業務から対人業務へシフトさせていくとした点である(P.19)。おそらくこの先には、AIの活用による薬剤師業務の省力化、ICT化も見越した見解であろう。ケアマネジメントにおいてもAIの活用が期待されているが、専門性を有する人間でなければできない部分をどう評価していくのか? それを調剤業務の報酬にどう反映させていくのか? 隣接する私たちの業界から見ても興味深い。

そして、上に述べた、介護業界の心ある論者たちから、愚策だとボロクソに叩かれている点。介護サービス価格の透明性向上・競争推進のために(P.23)、ケアマネジャーが複数の事業所のサービス内容と利用者負担額、つまり支払うお金を比較して紹介することで、より良いサービスがより安価に提供される仕組みのために働くべきとされている(資料Ⅱ-1-44)。これはまさしく現場を理解しない暴論であり、いまの時点で他業種に比較しても、職員に満足な給与さえ払えない介護報酬≒公定価格なのである。ここからさらに割り引きすることを期待するのは無理難題でしかない。ましてやケアマネジャーは必要な利用者に対して必要なサービス(たとえ利用者負担が多くなっても)を調整するのが役割であり、価格引き下げの片棒を担ぐものでは全くない。失礼千万である。この点に関しては、愚策だとの見解に全く同感である。業界から有能な人材が去っていく結果しか招かないことは、火を見るより明らかだ。

それから、年金に関連する部分。上記(1)の報告書をめぐる騒動を受け、マクロ経済スライドに関する部分の書き換えが行われたのは事実である(P.26)。しかし、他方で政府が推し進めてきた在職老齢年金制度の廃止(によって、働いて多くの収入があっても年金額を減らされないことになる高齢者の就労意欲を促進するのが目的)については、将来の年金受給者の給付水準の低下にも言及し、高所得者に対するクローバックの可能性にまで踏み込んで提議しており(P.29)、決して現実を軽視したものではない。この課題については、短絡的に反応するのではなく、国民皆が真剣に考えなければならないのではないだろうか。

あまり多岐にわたるので、私自身が該博な知識を持たない部分も多いが、他にも二点ほど気になった部分がある。

一つは、文教・科学技術の項目に関して、大学における研究環境の閉鎖性、硬直性が指摘され、日本の研究人材の国際流動性や国際共著論文数が主要先進諸国の中で劣っていることへの指摘である(P.46)。私たちの業界では、(専門職能団体が中心になってまとめているので)学術研究とはいささか趣を異にするのかも知れないが、先年、国のシンクタンクが事業として『適切なケアマネジメント手法の策定に向けた調査研究事業報告書(2018)』を編纂している。ここで言及されたケアマネジメントの「標準化」なる代物を謹んで拝見し(笑)、国際的なケアマネジメントの潮流であるナラティヴ‐ベイズド‐アプローチが著しく軽視された(としか言いようがない)作品を目の当たりにした私にとっては、実にうなづける指摘だなあと納得してしまった。
他の学問分野についてはよくわからないが、同様な傾向が顕著であるとしたら、日本人研究者のドメスティックな欠点を露呈しているものであり、英語力の不足などのさまざまな要因があろう。今後、業界を超えて克服していかなければならない。

もう一つは、社会資本整備の項目に関して、PPP/PFIの民活導入について論じ、そこでコンセッション方式の事例拡大を推進すべきとする方向性である(P.56)。コンセッション方式導入を勧奨する以上、従来型PFIであるとか、DBO方式であるとか、他の手法と比較した長所・短所について、当該社会資本の受益者が十分に理解した上で採否を決定していくのが筋であろう。私の見落としでなければ、今回の建議ではこの比較が明瞭に示されていない(資料Ⅱ-4-19)。規制緩和と連動した行政責任の縮小だけでは、市民生活に混乱を招く恐れが大きい。経営主体が外資系企業であればなおさらのことである。財政再建を錦の御旗にする財務省は推進に意欲満々なのかも知れないが、悔いを千載に残すことになってほしくないものだ。

以上、ざっと読んだ限りの感想である。賛成論も異論・反論も大いに歓迎する。ただし、必ず全体に目を通してからお願いしたい。

2019年5月29日 (水)

メッキは剥がれると思え!

ファンを大切にしない芸能人やアスリートが、業界からホされる事件が、ときどき起こっている。

最近も、二人のメンズモデルがファンから贈られたプレゼントを蹴ったり踏み付けたりしながら罵倒する動画が出回り、彼らは開催中の企画側から出演を禁止された。このテの行為をするバカモノは、ホされて当然だ。

しかし、まだこれらのタレントは、本性をあっさり露呈してしまっているだけマシな連中なのかも知れない。

「可愛い」...と言うと語弊があるが、若さゆえの傲慢さもあるだろう。自分たちの愚行を反省しつつ、いずれは品格を磨き、成長することを望みたい。

さて、この連中よりも忌み嫌われるべきなのは、相手を見て態度を変える人間ではないかと思う。

顧客≒利用者に相対するとき、貧しい人や立場が弱い人の前では尊大に、横柄に振舞い、富める人や立場が強い人の前では遜(へりくだ)って丁重な態度を示す。

残念ながら、私たちの介護業界でも、数は少ないものの、一定程度の割合でそんな人たちがいるのも現実である。

業界全体がそうだと思われたくはない。どのような立場の利用者さんに対しても誠実に仕事をしている善良な仲間たちの、足を引っ張らないでもらいたい。

そんな「相手によって態度を変える」人たちに一言。

富める人や立場が強い人の前でだけ丁重なサービス提供者を演じても、あなたのメッキは剥がされていると思ったほうが良い。

考えてみれば、これは当然である。地位の高い利用者さん(おもに高齢者)たちの多くは、修羅場を潜り抜けて財産や地位を獲得・維持してきたのだから、長年の経験から人を見る目も備えている。あなたの丁重な態度が、自分を「人」として尊重しているからなのか、それとも自分の財産や地位に対するものなのか、見抜くのは大して難しいことではない。

「こいつ、私の前では謙譲に見せかけているけど、社会的弱者の前では横柄なんだろうな」

そんなことは、何回か面談してコミュニケーションを取るうちに、あなたの振る舞いのどこかでボロが出て、相手は敏感に覚っている。恐らく、気が付いていても、そ知らぬ振りをしてあなたに相対するだろう。そういう人物は、あなたのような「小人」をせせこましく咎めることはしないからだ。

そして、そんな「客商売にふさわしくない」あなたの態度は、いずれ仕事上の破綻を招くだろう。

そうなる前に、胸に手を当てて自分を省みてほしい。そして抜本的に考え方を改め、財産や地位に関係なく利用者さんをリスペクトする姿勢に転換すれば、多くの利用者さんが、心を入れ替えたあなたを信頼してくれるに違いない。

その変容こそが、メッキの下の醜い中身を、美しく変えることができるのだ。

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