介護

2019年3月26日 (火)

ダメなコンサルの見分けかた

経営コンサルタント(以下、「コンサル」という)なる職業がある。

私が身を置く介護業界でも、昨今の制度改正...と言うよりむしろ改悪による、事業経営の厳しさを受けて、コンサルに対する注目度は高まっているようだ。

ところで、これは(ケアマネジャーも含め)どの職種にも言えることだが、コンサルも資質・能力の落差が大きい。

残念なことに、私が過去、仕事上で出くわしたコンサルは、いずれも能力に問題ありと言い切って差し支えない人物であった。宮仕えのときから現在に至るまで、コンサルを名乗る何人かの人物とさまざまな形で接触する機会があったが、「これはダメだな」「このテの人とご縁を持ちたくない」と感じた人ばかりだったと記憶している。早い話が、コンサルとしては用無しの人だ。

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むろん、そのレベルの人ばかりではなく、優れたコンサルも数多く存在する。実力十分であるコンサルの方に出会えた法人や事業所は、好いご縁によって良い仕事ができる可能性が強い。幸せであろう。

しかし、玉石混淆の中から見分けるのは、なかなか難しい。

そこで、あなたが事業経営者や事業所管理者の立場にあり、組織を代表してコンサルを依頼することになった場合に、ご参考にしていただける、ダメなコンサルの見分けかたを伝授しよう(^^)v

(1)財布のヒモをゆるめないコンサル

「ケチ」と同義語ではない。節約して効果的にお金を使う、良い意味での「ケチ」はむしろ評価されるべき。ここでは、「初期投資をしない」意味に取ってほしい。
まずは、あなたが自分の会社や事業所で作った製品(なければ、著書でも自作のアイディアでも何でも良い)をコンサルに売ってみよう。ちゃんと自分がお金を出して入手した上で、その価値について論評するのが有能なコンサル。〔モノによって、すぐ買えるもの、購入しにくいものの差異はあるにせよ、〕その商品を端(はな)から買う気がないコンサルは、「おたくの組織に関心を持っていません」と言っているのに等しい。本気度を疑うに十分だ。

(2)組織の内部に入って観察しないコンサル

コンサル選びで失敗する最大の原因は、たいてい「組織を外からしか見てくれない」ところにある。いつもスーツ姿で改まって来社・来所するのではなく、社員や職員と同じように地味な、またはラフな服装で事業所の中に入り込み、時間をかけて人の動きを観察しながら、課題の核心を抽出し、アセスメント(事前評価)するぐらいは、仕事の入口では当たり前だ。その姿勢に欠けているコンサルに頼るのは、あとで時間やお金の無駄遣いになる公算が大きい。

(3)働く人に敬意を払わないコンサル

まず、ステータス差別。たとえば会社の清掃員があいさつしても、あいさつを返さない人はレッドカード。それから、年代や性別による差別。たとえば20代の女性社員を軽く扱って「若い女の子」などと表現する年輩の人(おもに男性コンサル)などがこれに相当する。自分たちの世代の、それも特に男性に対する過剰な自負の意識を持っていれば、ニュートラルに社員・職員を観察することなどできない。
組織は働く人の集合体である以上、属性に関係なく、それを構成する全員が主役。一人ひとりの「人」を尊重しないコンサルに、組織に対して的確に助言できる資質があるはずはない。裏を返せば、そのコンサル本人のほうが、自分自身が見下しているレベル程度の価値しか持たない人間なのだと、アイロニカルに評価したほうが良いだろう。

(4)その事業の利用客を最優先に考えるコンサル

これは意外かも知れない。だが、利用客・顧客(≦その組織から見たステイクホルダー)満足度の向上は、その組織側の人間が考えることなのだ。コンサルの出番ではない。
コンサルが利用客最優先の指導・助言をしたらどうなるか? 利用客の要望を極大化させた理想論が先行して、働く人たちに無理を強いることも出てくるだろう。そうなれば職場に対する不満も増えて、サービスの質が低下する。
コンサルの仕事は、働く人がその職場で働きやすいように仕向けることによって、働く人が余裕を持って利用客を尊重できる環境を作ることだ。ここを間違えているコンサルの指導・助言は、ピント外れになってしまう恐れが強いので、要注意である。

(5)地位の高い人物、著名な人物や団体との関係をチラつかせるコンサル

このテの話は、いわば「虚仮(コケ)脅かし」の類であり、実際には名前が出ている人や団体と有機的なつながりを持たない空虚な関係であることが多い。自分の存在を大きく見せたいがために、そんな話ばかりするのだ。ホンモノの大物コンサルから、そんな話はめったに出てこない。虎の威を借りなくても、おのずと品格や力量を備えているのだから。

以上、おもな点を掲げてみた。他にもあるのだが、それは機会を改めて。

このように整理してみると、この5条件、たとえば(2)(3)(5)は「ダメな主任ケアマネジャー」とも共通するし、コンサルに限った話ではない。人として、専門家として信頼に値するのかどうかは、業種や職種を超えて共通する面が多いようにも思われる。

ま、とにかく、こんな時代だ。あなたやあなたの組織が三流・四流のコンサルにダマされて、お金をドブに捨てる羽目にならないことを願う。

2019年2月26日 (火)

人と会い、人と語り...(6)

「これはすごい!!!」

...と、掛け値無しに表現できる企画を、このたび体感できた。

22日(金)にライブハウス・神戸チキンジョージで開催されたイベント「Babe 40th Anniversary-生きるために必要な10のこと」。

実はこれ、介護業界の一リーダーの個人的な「40歳の誕生祝い」だった。そこに全国から、業界の「顔」と言うべき人たちが集結した。

主役の「Babe」とは西宮市の幸地伸哉さん(クローバルウォーク社長)。拙著『これでいいのか?日本の介護』第12章にも登場し、関西では草の根で業界の「人の輪」を広げている立役者の一人。三年前の私の開業15周年にも駆け付けてくださったので、お開きの三本締めをお願いした方である。

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その幸地さんが40歳になる日にこの企画を組むと聞いたので、頼まれなくても押し掛けるつもりでいたところ、氏から、トークセッションをいくつか考えており、その一つ「伝える」の章に登壇してほしいとの依頼があったので、快諾して出掛けて行った。

まだ開幕一時間以上、16時ごろ会場に到着すると、すでに怪しい人たちが...

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本ブログに何度も登場したジョージさん@ライフデザインクリエイターふらっと(京丹後)と、会うのは二度目のジャスティスさん@介拓社(和歌山)。他にもライブに登場する人たちをはじめ、幸地さんの親しい仲間たちが準備に駆け回っていた。そのうち福岡勢、神奈川勢、和歌山勢などが続々と到着。「おひけえなすって!」と仁義のやりとりに追われる。

そして17時半に開幕。トークのテーマごとに、幸地さんのよくわからない?(笑)語りの動画披露。そしてセッションごとに4~5人が登壇して、それぞれの思いを語る。MCは久々成さん@プラスワン(大阪)、彼自身がトークに加わった際には、まるこさん@Kakeru(京都)が代役を。

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ライブが入っていよいよ佳境に。まずは「No Name」。づかさん@Lixis(東京)、Shanさん@アロ研(東京)、大平さん@ケアクラフトマン(鹿児島県長島町)、そして久々成さんのカルテット。介護業界では各方面を代表すると言って差し支えない、知名度の高い方たちだ。特にShanさんのドラムは圧巻。

さらに、トークをはさんで沖縄民謡。当日結成してリハ5分の速成コンビ。唄を披露したのは龍カルロスさん@比謝川の里(沖縄県中頭郡)、サンシンは関西でプロのアーティストとして活動されているKudekenさん。カルロスさんの美声も十分にゼニが取れるレベルだ。

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長年のブログが圧倒的な支持を誇るmasaさん@あかい花(登別)。幸地さん、フッキーさん@ソーシャルネット雅(和歌山)とのトリオで。masaさんの渋い声も年季が入っていて流石である。

後半に入って、トークは「伝える」のコーナーになり、私もmasaさんやカルロスさん、正木さん@な~る編集室(西宮)、大関さん@Dasuケア(犬山)たちと一緒に登壇。一応マジメに話していたつもりだが、せっかくの機会にコラボした仲間の画像をと思い、大関さんの隣でブレイク。ところがその場面をジャスティスさんがしっかり盗撮(笑)。

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締めは幸地さんがかつて結成していたバンド「Red Rock Ear Sicks」のリバイバル。これがまたシビれる演奏で、会場を興奮の渦に巻き込む。

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終演は22時過ぎ。実に6時間近くにわたる、メチャ楽しいイベントであった。

そのあとは介護業界を中心に、遠方から集まった仲間が十数人で二次会。みなさんは朝の3時まで飲んでいたようだが、私は翌日の仕事もあったので、1時ころには早々に失礼させてもらった。

あえてHNや通称で表現したが、登場した多くの方は業界で隠れもないビッグネームである。そんな連中が北海道から沖縄まで、謝金もないのに手弁当で集まるトンデモ企画。これを現実の形にした幸地さんの人間的魅力には脱帽だ。

また、当然だが、介護業界に限らず、幸地さんの親友や同級生など、異業種の方も少なからず参加していたので、私たちの見識が広がったことも一つの収穫であろう。

この機会に、私も多くの人たちとつながることができた。SNSでは知り合っていても会うのは初めての方が4人、全く初めて名刺交換した方が13人。特に、背中合わせの席も何かのご縁だと思ってあいさつした方が、川内さん@となりのかいご(伊勢原)。介護離職防止のコンサルタントで、激辛ラーメンの愛好家(笑)。知り合っておくと、何かの企画でコラボできるかもと、構想は広がるのだ。

一日に17人もの方と初対面をして、しかも、どなたに関しても、どこで何をされている方なのかが頭に残っていることは、私にとって全く珍しい。

とにかく、人生でも何年に一回あるかないかの、すばらしい体験であった。

幸地さん、40歳おめでとう!!! 心からお祝いしています☆ さらに輝かしい40代にしてください。

2019年2月 5日 (火)

「聞くは一時の恥」

拙著『口のきき方で介護を変える!(2013厚有出版)』の第6章第4節では、このタイトルの言葉を取り上げた。「わからなければ尋ねる」心構えを説いたものである。これは介護業界に限らず、どの業界にも当てはまる話だ。

このほど、偶然ではあるが、国史の分野で格好の事例を発見したので、参考までにご紹介しておこう。

なお、この事例は、専門領域を深く掘り下げると、それに対する自負からしばしば起こりがちなことを示したものなので、当該人物を貶めるものではけっしてないことを、お断りしておく。

M氏なる方がいる。すでにご高齢の方であり、私自身は残念ながらお会いしてご指導を受けたことがない。このM氏は、中世・近世の島津家・薩摩藩史に関する第一人者である。

そのM氏が『島津継豊と瑞仙院(1983)』なる論考を出している。薩摩藩主・島津継豊が長州藩主・毛利吉元の娘であった瑞仙院を妻に迎えてから、彼女が若くして死去するまでの経緯を記し、そこから島津家の婚姻政策について詳細に論じたものである。

さて、この論考の中で、たいへん気になる箇所がある。

M氏によると、「『追録(引用者注;『薩摩旧記雑録・追録』のこと)には、吉元の娘には『吉元令嬢』『御前様』『瑞仙院』という院号があるのみで、名前の記述がない」とあり、論考の中では、名前が省かれた背景事情として、継豊の再婚相手が徳川将軍家の養女・竹姫であったこと、島津家が特定の大名と婚姻を重ねるのを避けたことなどを挙げ、瑞仙院との婚姻が比較的軽く小規模な形に扱われてしまった。そのため、この時点では後世の薩長同盟につながる動きは見られない、と結んでいる。

この結論自体には何ら異存はない。M氏の見解に全面的に同意する。

では、何が問題なのか?

M氏は島津家側の記録だけを閲覧した結果、瑞仙院の名がわからないので記載していない。

しかし、この人の名ははっきりしている。「皆姫」である。おそらく「ともひめ」、ひょっとしたら「みなひめ」か、あるいは他の読み方かも知れないが、いずれにせよ、長州毛利家側の記録では、この女性の名は明々白々である。

つまり、M氏は島津家側の記録しか調べておらず、かつ〔自分の専門外である〕毛利家側の資料には当たっていないことが明らかなのだ。

いま、Wikipediaなどのネット事典を検索して、「皆姫」の名が普通に出てくるところを見ると、これは該博な碩学の誰かが編集に参加したのであろうと思われるかも知れないが、そうではない。実は瑞仙院が「皆姫」であることを私が見た史料は、『近世防長諸家系図綜覧(1966マツノ書店)』であり、これは一般の歴史好きの人が普通に入手できた本(いまはおそらく絶版)なのだ。そのレベルの史料に瑞仙院の本名が載っているのである。したがって、M氏ほどの一流の研究者が調べられなかったことはあり得ない。

もし、M氏が「私は専門外だから」と、謙虚に知人の毛利家・長州藩研究者に尋ねて、瑞仙院の名を確認しておけば、このようなことにはならなかったであろう。その辺りの経過については、ご本人に聞いてみなければわからないことは確かだが、結果としては、論考の主人公の一人である「皆姫」の名が記載されないままになってしまった。きわめて不自然な隔靴掻痒の論考になってしまったことは否めない

このM氏ほどの方であっても、「聞くは一時の恥」とはいかなかったのだ。

井沢元彦氏によると、M氏に限らず歴史学者には、専門外の知見を、その分野の専門家に尋ねようとしない人が多いようだ。上述した通り、自分の専門分野に関する該博さへの自負が影響しているのであろう。

これは史学だけではなく、どの業界でも起こっている問題である。私たちの保健・医療・福祉・介護業界もまた同様なのだ。「聞くは一時の恥」との認識を欠いた専門職が少なからずいて、横断的な連携ができないままに課題が残されてしまうのは、日本人の通弊なのかも知れない。

2018年12月 5日 (水)

教育機能の欠如

12月に入り、忘年会シーズンたけなわである。

 

ところで、私は宮仕えしていたとき(合計15年余)、最初の2~3年を除いて、その後は職場の忘年会に出るのがあまり好きではなかった。

 

「なぜだろう?」とことさらに問い返したこともなかったのだが、いまになって思い返してみると、単なる職場内親睦のための「息抜き」「浮かれ騒ぎ」に終始してしまっていたことが、大きな理由だった。

 

たとえば、同じ時期に出ていた社会福祉士会の忘年会では、杯を傾けながら、福祉業界におけるさまざまな分野での、クライエントへのアプローチの違いや苦労したエピソードなどを語り合い、視野を広げることができた。また、外国人労働者支援団体(ボランティア)の忘年会では、楽しく食事するためのマナーを分かち合うところから、文化、宗教、思想など多岐にわたるまで、熱く意見を交わすことができた。

 

残念なことに、旧勤務先の忘年会には、その類の収穫がなかった。せっかく他社からゲストを呼んでも、そのゲストとの「間」の取り方(「親しき中にも礼儀あり」)を教わるわけでもなく、歌や隠し芸や世間話・噂話が主流になっていた感が強い。

 

介護支援の技術にしても、ビジネスに臨む姿勢にしても、何かを一からしっかり指導・伝授してもらった記憶があまり残っていないことを考えると、全体として、職場の教育機能が乏しかった印象である(あくまでも私が在職していた当時の状況であることを、お断りしておく)。それが忘年会の様相にも影響していた。

 

同様な職場は、業界を問わず各方面に散見される。建設業をはじめとして、人手不足を嘆く事業所が多いが、教育機能が欠如しているために人が集まらない、定着しないことを理解していない事業所が少なくない。

 

若手に魅力のある職場では、実際に優れた上司(中間管理職)や先輩社員がいて、部下や後輩に対する教育機能が充実している。そこで育った若手がやがて中堅になって、こんどは後進に対して優れた指導をしていく、好ましい連鎖が続く。

 

そのような事業体では、「人」を大切にする。坂本光司氏(経営学者)は、企業が一番大切にすべき対象は「社員とその家族」だと述べているが、至言である。

 

メディアにときどき取り上げられる秋山利輝氏が率いる横浜の秋山木工。全寮制で5年間ストイックな生活を強いる「現代の丁稚制度」を続けているため、ブラック企業だとも評されているようだ。しかし関連情報を調べた限り、職人から丁稚へ、兄(姉)弟子から弟(妹)弟子へ、一つひとつ念入りに木工の技術を伝達しながら、ものづくりの精神をしっかり継承させる方式が確立しているとのことだ。秋山氏の方針で、同社の丁稚は年二回しか帰省できない代わりに、家族との手紙のやり取りは頻繁にしているとのこと。厳しい「修業」に耐えられずに脱落してしまう若者も多いようだし、時代にそぐわない面もあるかも知れないが、教育機能自体はたいへん充実した事業体だと言えよう。

 

これほどではないにしても、現場ではプロフェッショナルとしてあるべき姿、技術や心構えをしっかり伝授していくことが大切である。「上司や先輩も忙しいんだから、自分で見て覚えろ」では、本当に現場で使える社員(職員)が育たない。

 

介護業界に話を戻すと、これから地域で望まれる施設や事業所にしていくためには、現場での教育機能の充実が必須条件だ。株式会社、社会福祉法人、医療法人、NPOなどの種別を問わず、この機能を持たない事業体には、先細りの運命しか待っていないであろう。

 

市民にとってみれば、そのようなところで劣悪な介護を受けるよりは、早くツブれてくれて、優良法人に合併してもらったほうが、幸いだとも言える。

 

教育機能の欠如は、経営者にとっても死活問題だと認識してほしい。

2018年11月18日 (日)

機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない!

浜松やその周辺地域、静岡県西部の介護・福祉業界仲間には、歴史的な風土にも影響される、一つの特性が見られるようだ。

一言で言えば、多くの若手・中堅の業界人が「居座って動かない」のである。

誤解を招くかもしれないので補足するが、彼ら・彼女らは、自分が所属する職能団体や業界団体の研修会や大会など、いわばお定まりの枠の中の集まりであれば、普通に参加して他の都道府県の業界人たちと交流してくる。

しかし残念ながら、そこから先への広がりがない。

昨年のエントリーで、県西部のことを「大きな田舎」だと評したことがあった。いまでもその現実は変わっていない。なぜこの表現を使ったかと言うと、政令市の浜松が多様性のモデル地域であり、さまざまな種別の団体や活動が共存しているので、浜松近傍の業界人たちの多くは、他地域の人たちと意欲的に交流しなくても、自分たちで情報を充足できると錯覚してしまう状況になっているからだ。インターネットが普及してからは、なおさらその感がある。制度や政策の変転についても、坐したままで「そんなこと、私もわかっている」となってしまうのであろう。

これは見当違いも甚だしい。

クールな情報のパッケ-ジを受動的に受信して、「わかっている」と思っているだけであり、その変転にまつわる各々のコンテンツの生々しい諸相について、各地の現場での現実はどうなっているのか?といったホットな情報は、能動的に求めていかないと把握できないのだ。浜松近傍の業界人たちはそこに気が付いているのだろうか?

むろん、各人がそれぞれ、他地域の業界仲間に全く知り合いがいないわけではないのだから、そのような人たちと互いに意見交換する機会はあるだろう。だが、気心の知れた同窓生などであればともかく、研修会や大会で知己になっただけの人同士が、多くは本音を語ることもない。それは自分の側も同様なのではないか。このレベルの交流から得られる情報は、勢い、点を線で結ぶレベルのものばかりになってしまう。

それでは、点と線でなく、「面」や「体」をなしている、より重厚な情報を獲得するにはどうしたら良いのか?

そんな情報が黙っていても向こうから来てくれると思っていたら大間違いだ。

獲得するおもな方法は二つ。

一つは、自分が稀少価値のある情報や技術を持っていること。

私の場合は、一人親方のケアマネジャーとして、独立開業の形態を続けてきた実績がある。また、マイナーな分野ではあるが、介護業界における「産業日本語」の分野で著書も出している。誰もが欲しがる情報を持っているわけではないが、稀少価値の存在としての私と情報や知識を分かち合いたい人も、業界の一部には存在する。そのような方々が礼をもってアクセスしてくれば、私も答礼しながら、仲間としてお付き合いをしていく。やりとりが多くなれば、手持ちの開示しづらい事情や、先取りして実践されている状況などの情報も共有できるようになる。

もし、あなたが業界人であれば、自分はそのような情報や技術を持っているのか、自己評価してみると良い。いくら大きな法人や組織に所属していても、自分自身が情報や技術を持ち合わせていないのに、坐したままで他人の情報や技術をもらえるわけがない。

もう一つは、自分の側が相手のフィールドに出向くこと。

私が各地の業界仲間と気軽に行き来できるのは、長年の間にときどき、全国のさまざまな仲間がいる場所に臆面もなく顔を出して、いろいろな人と図々しく名刺交換してきたからである。どんなに収入が乏しくても、衣食住を削ってこれには投資を惜しまなかった。最初は独立型のケアマネジャーやそれに共感する人たちの集まる場が多かったが、次第に限定しないようになり、いまは業界を超えて、ラーメン道などでつながった異業種の方と会うこともしている。

働き盛りの業界人には、確かにそれぞれの事情もあろう。職場で自分が不在になると業務がうまく回転しない、家庭で育児などの役割分担に制約されて遠出できない、などなど。

しかし、各地で注目されている仲間と出会う「機会」が、あなたの事情に合わせていつまでも待ってくれることは絶対にない。これだけは確実だ。あなたが逃した機会は、すでに別の誰かが獲得して活用しているかも知れない。

特に東北、首都圏、関西、中国地方、九州などの業界では、一部の人たちが始めた先進的な試みに、共感する他地域の人たちが呼応してネットワークを形作っていくなど、さまざまな交歓の輪ができている。その一端に入ると入らないとでは、先々の情報量や先進性に大きな差が出ることもある。こちらから動かない限り、「大きな田舎」浜松へは東西いずれからも、この種のうねりが直接的に波及する可能性が少ないからだ。

こう考えると、自分自身の工夫で時間をこじ開け、費用をひねり出してでも、インフォーマルな業界仲間が集まる場へ出向いて、立体的な情報交換を心掛けるべきであろう。その意義は十分にあるし、しないことによる損失も大きい。自分自身が職場で(経営者、被用者の別なく)輝くためには、大切なステップなのだ。

「その気持ちはあるが、きっかけがつかめない」と言う人には、厳しいようだが、「自分で探せ!」と苦言を呈したい。私自身、いまでこそFacebookのお付き合いが主軸になっているが、まだSNSなど無かったころには、各種の掲示板で同志や話せる相手を探し回り、電話やメールでズケズケと連絡を取って、交流範囲を広げていったのだから。

いまはSNSがあるだけ恵まれた時代だと言えよう。Facebookが嫌いならば、他のSNSでも何でも良い。自分の間尺に合った交流手段はいくらでも転がっている。

居座って動かず、地域に閉じこもっているだけで、機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない。

浜松近傍の若手・中堅の業界人よ! 一歩踏み出す勇気を!

2018年9月18日 (火)

プロフェッショナルはどうあるべきか?

私の事業所の開業記念日は三つある(^^;

 

8月17日 看板「ジョアン」を掲げた日(17年前)

 

9月15日 居宅介護支援事業所ジョアンの指定を受けた日(同上。浜松NPOネットワークセンターに宿借りさせていただき開業した)

 

10月1日 有限会社ジョアンで仕事を始めた日(14年前)

 

どの日も私にとって大切な日だ。

 

一昨年の10月1日に15周年記念企画(ご参加は午後・夜間合わせて14都府県66名)を開催し、昨年の8月17日には16周年の交流会=二時間だけの飲み会(ご参加は5道県13名)を持った。今年は9月15日が土曜日に当たるので、4~5名でも集まっていただければ嬉しいなと思いながら、図々しく「開業17周年...を口実に飲もう会」を呼びかけてみた。

 

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結果、4県8名の方々が参加してくださった。在宅複合型施設・長上苑の施設長で、県ケアマネ協会の副会長でもいらっしゃる鈴木さん、北区でケアマネジャーをされている中川さん、西区で中古セニアカー販売業をされている中山さん、民間保険会社でお仕事をされている元介護支援専門員の松下さん、聖隷クリストファー大助産師専攻科教授の久保田君枝さん、神奈川県秦野市で協働型の独立居宅を運営されている松田智之さん、愛知県豊川市で介護事業の経営に携わっておられる平田節雄さん、奈良県在住で介護事業所の環境整備のため各地を回って指導しておられる山下総司(そうし)さんが、この二時間の飲み会のために集合してくださった。特に鈴木さん、中山さん、松田さんは三年連続のご参加となる。

 

それぞれお仕事の分野や活動されている地域が異なり、介護業界内外にわたる広い範囲になるが、どなたも周囲からの信頼が厚い方であり、とても心強い仲間だ。

 

まずは自己紹介から始まったが、主題になったのはもっぱら、介護に関連する専門職≒プロフェッショナルのあるべき姿である。今回は、利用者本位、現場業務の改善、人手不足、介護職の意識、医療連携、職員教育等々、「自分たちは何を基盤に仕事をすべきか?」を強く打ち出したミーティングになった。特に、看護師が介護現場の中で福祉系職員とどのように協働していくのかに関して、久保田さん、平田さん、松田さんが三者三様の立場で持論を述べ、そこに他のメンバーの意見が絡んで、実に興味深い展開となった。

 

また、介護職の今後のありかたについて、少し異なる業界で働く松下さんや、少し離れた立場の中山さんからの見方は、とても貴重であり、参考になった。

 

締めは山下さんのご見解。私たちが飲食したあとテーブルをわざわざ消毒するわけでもないし、私たちは決まって三時におやつを食べるわけではない。なのに全利用者に対してそうするのが当たり前になってしまっている施設が少なくない。業務のルーティーンに捉われて大切なものを忘れてしまっていないか? という投げ掛け。まさに、介護に携わるすべての人が振り返るべきことであろう。重みのあるお話であった。

 

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今回はやや広めながら、全員で一つのテーブルを囲みながらの会食であったため、お互いの顔が見えるインティミットな議論ができたことは、一つの大きな成果だと言えよう。勝手な推測だが、参加したメンバーの多くにとって、学び、持ち帰ったものは少なくなかったと思われる。

 

所用で早々に帰られた方もいたため、全員ではないが、お開きのあと集合写真(画像)も撮ってもらった。残念ながら、この日は「記念クーポン」を用意していなかったので、後日、みなさんに些少なりとも何か差し上げようかと考えている。

 

自分としては満足度大の飲み会。今後も業界内外の仲間がそれぞれの仕事に勤しむ中、私たちの常識が社会の非常識になってしまわないためにも、ときどきはこのような分かち合いの場を持ちたいものだ。

 

 

 

 

2018年8月19日 (日)

18年目、進むべき道は?

一昨日(2018年8月17日)をもって、当所「ジョアン」は開業満17周年を迎えた。

これほど長く、一人親方としてケアマネジャーを務めてこられたのは、日頃から私の仕事のスタイルを理解してくださっている多くの方々のご支援のたまものである。この場を借りて、心からお礼申し上げたい。

ところで、17年にわたって続けてこられたのには、いくつかの要因がある。

まず、何よりも、私自身が健康でいられたこと。入院するような大病にもかからなければ、不慮の事故などに巻き込まれることもなかった。むろん、自分の健康管理だけで可能なわけではなく、私が幸運に恵まれたことにもよる。「運も実力のうち」の一形態なのかも知れない。

次に、ケアマネジャーの仕事の性格である。意外に思われるかも知れないが、ケアマネジャーは報酬(公定価格)こそ低いものの、他の士業士に比べると、経済的には安定した職種なのだ。歯科医師の先生とか司法書士さんとか税理士さんとか、確かに社会的な地位はケアマネジャーより格上であり、士業士として仕事をした対価はケアマネジャーよりはるかに高いのかも知れないが、当月の仕事がそのまま次月も継続するわけではないから、かなりの数の顧客を確保しておかないと、月々の安定した収入を得るのは厳しいのも現実だ。その点、ケアプランの数に応じて、介護報酬として毎月一定程度の収入が見込めるケアマネジャーの仕事は、それなりに安定していると言うことができる。

それから、地理的な条件。私の自宅は浜松市内でも中心部から北西寄りの郊外であるが、この地域の風土は保守的、誤解を恐れずに言えば新たな試みに対し「冷淡」であって、一人親方のケアマネジャーに仕事を頼むより、大きな施設や病院を頼って併設の居宅介護支援に「いろいろとお願いします」になってしまう住民が多い。そのため、私は最初から自宅開業では早晩ツブれると読み、浜松駅南に事務所を持つことにした。この計算が当たったことは、長期的な戦略の上で大きかった。駐車場所のない利用者さん宅へ、駅からバスに乗って出向くことができるのも利点である。

そして、周囲からの支援。特に最初の三年間、法人格を含め宿借りさせていただいた「特定非営利活動法人 浜松NPOネットワークセンター」さんと、有限会社に移行した四年目以降、格安価格で事務所を貸してくださったのに加え、折に触れ便宜を図ってくださった「カゼェルBIG」さんとの、ご両所には感謝の言葉もないほどだ。

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最後に、自分自身の基本姿勢である。一人親方のケアマネジャーに対する関係者の評価はさまざまであるが、私自身がその世評に右顧左眄せず、利用者さん本位の仕事をする姿勢を貫いてきたことが、上記ご両所を含め、医療関係者や介護・福祉関係者から共感、信頼をいただき、利用者さんのご紹介や講演等のご依頼に結び付いたと考えている。もし私が自分の営利を最優先にして独善的な姿勢を取っていれば、最初は期待していた人たちからも見捨てられてしまったであろう。

さて、18年目に入ったわけであるが、これから進むべき自分の「道」はどこにあるのか?

年齢的な制約もあるが、もちろん、単純に引退モードへ入ることを考えているわけではない。自分自身の可能性を低く見積もってはいないのだから(笑)。

一年前に打ち出した「零細独立型居宅の連合形成」は一つの方向である。最近開業した地域のケアマネジャーたちと名刺交換する機会も得た。仮にその方向を目指すとしても、自分が「個」のケアマネジャーとしてどうあるべきかとの課題は常に付いて回る。

制度の変転も影響するため、簡単に予測できない面もあるが、これまでの路線をしっかり「継続」しながら、新たな道を切り拓いていくことができるのか?

いわば手探りの一年になるかも知れないが、目標を見失わないように日々の仕事に勤しみたいと思っている。

2018年8月12日 (日)

なんとか業績回復(^^;

私の事業所の収益は、先月分に至って、ようやく昨年2月の水準(倒産せずに何とか事業所を存続できるレベル)に戻った。実に17か月ぶりの業績回復である。

亡き母の介護が本格的に始まったのが昨年の1月末。このときの利用者さんの数(給付管理数)が22名であった。それから5月までは新規利用者さんの受け入れをすべて中止。その後も自分自身の時間や行動範囲の制約から、遠方の方や、「申請中」でも要支援になる可能性が強い方は、受任をお断りせざるを得なかった。そのため、母が帰天した3月5日の時点では、利用者さんが13名まで減少してしまう(病院への長期入院や施設入所などによる)。私自身は母の状態に大きな変化がない限り、自宅で介護していくつもりだったから、この状態があと一年続いていたら、仕事の継続自体が難しかったかも知れない。

天の配剤か、母本人が私のことを心配して人生を上手に締め括ってくれたのか。それはともかく、3月8日の葬送を終えたあとは、自分の時間を自由に使えることになった。

ちょうど年度末でもあったので、浜松市の介護保険課へ出かけて、介護認定審査会委員か、介護認定調査員のいずれかを受任できないか相談してみた。

審査会委員であれば、あらかじめ送られた資料に目を通して、自分の空いている時間に「予習」すればよく、月2回の会議で合わせて4万円(?)は安定収入になる。しかし、市の介護支援専門員連絡協議会が推薦母体になっていないため、私の場合なら静岡県社会福祉士会から推薦してもらうことになるが、2019年2月の委嘱だとのこと。県社会福祉士会には最近ご無沙汰してしまっているので、私を被推薦リストに入れてくれるかどうかわからない。また、入れてくれたとしても、実質的に審査会の仕事が入るのは一年先になってしまうので、「待てない」のが本音だ。

調査員のほうは、開業当初には結構な件数を受けていた。しかし、16年前に父が危篤状態だったとき、一件調査の予定が迫っていたので、すでにキャンセルできる状態ではなく、母に父を託して出かけたが、帰宅したら父はすでに息を引き取っており、看取ってやることができなかった。そのトラウマが残ってしまい、ほどなく調査から手を引いてしまったため、2009年の項目大改定後の調査員研修を受けていない。

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それでも、母を看取ることができたことによりトラウマから解放されたので、市の担当者に調査員数の現状を聞いてみると、慢性的に不足状態を免れないとの回答。であれば、受けるとしたらこちらのほうだなと思い、5月の新任研修を受け直して調査員を受任することになった。

市からの調査委託は、6月は2件と少なかったが、7月は10件、8月は9件となっている。慣れてこれば調査自体も50~70分程度で済ませ、特記事項の記載にもそれほど多くの時間を割かないので、それなりの収入にはなる。

利用者さん(居宅介護支援)の数も、知人や地域包括支援センターからの紹介、他事業所の職員退職に伴う一部の利用者さんの引き継ぎなどにより、8月は20名(給付管理数。月末時点での予定)まで増えた。認定調査と合わせると、ひとまず17か月前の水準には戻したことになる。

こう考えると、自営業のメリットは大きい。私ぐらいの年齢の独身者(性別にかかわらず)が勤務先を退職してしまうと、介護していた親が死去した場合、年金も入らなくなってしまうから、再就職しない限り、収入の道が途絶えてしまう。しかし、特別な技術などを持ち合わせていない限り、中高年の職探しはなかなか厳しいのが現実だ。人手不足状態のため雇ってくれる会社があっても、こんどは勤務条件が結構キツい場合も多い。

自分の場合、曲がりなりにも長く健康を維持して、自営業を続けてきたことが幸いしたと思っている。

さて、先月、母の未支給年金が入った。しばしば口癖のように、「私のお金で美味しいワイン買って飲みなさいよ」と言ってくれた母の意向に沿って、楽しませてもらうとしよう(^^*

2018年7月30日 (月)

多職種協働には二種類ある

ケアマネジメントの標準化とか、ケアマネジャーの資質向上とかいった言葉が、私たちの周りを迷走しているようだ。それも、ケアマネジャーたちがおもに医療関係の人たちから、いわば宿題を突き付けられ、それをこなすために必死になっているのが現実だ。

 

個人的に言わせてもらえば、これはあまり芳しくない。医療の下支えをするのがケアマネジャーの職能ではないからである。

 

介護保険制度の開始に伴い、制度上の「介護支援専門員」として位置付けられたケアマネジャーにとって、本来果たすべき役割は、これまで縦割りになっていた保健・医療・福祉を横断的に結び付け、一人ひとりの利用者の生活課題に即して、必要なサービスを調整することであったはずである。

 

そのためには、ケアマネジャーが現在の高齢者・障害者医療を概観し、どの分野で何が行われているかを知っていなければならないのは当然である。しかし、それはケアマネジャーが医療知識を詰め込むべきだという意味ではない。

 

むしろ、一つの分野だけに該博にならなくても、保健・医療・福祉の各分野に対して均等に理解を深め、横断的な連携を図ることがケアマネジャーの役割であろう。すなわち、多職種協働=IPW(inter-professional work)である。

 

ところで、このIPWは大きく分けて二種類の形態を採ることをご存知だろうか?

 

一般的なIPWでは、ケアマネジャーとか、医師とか、地域包括支援センターとか、その他の事業所・機関などが、利用者や介護者からの相談を受け、利用者の生活課題に沿った介護サービス等のサービスを紹介する。こうして揃った各種別のサービスを横断する形で、ケアマネジャーがケアプランを作成し、それぞれのサービスに従事する担当者が生活課題達成のために協働することができるように、サービス担当者会議等の機会を設けて連絡調整を行う。これを仮にIPW「A」としよう。

 

しかし、割合はたいへん少ないものの、もう一つの形のIPWが存在する。こちらを仮にIPW「B」としておく。

 

このIPW「B」に該当するのは、おもに、利用者や介護者が企業経営者や士業士などの場合である。それぞれが社会奉仕団体(ロータリー、ライオンズ、ソロプチミストetc.)等の場で同業他社や異業種の企業経営者等とのネットワークを作っているから、この中からIPWが生まれるのである。すなわち、利用者や介護者が自ら、「医療なら〇〇病院の理事長に」「住宅改修なら△△株式会社の社長に」といったやりかたで、サービスを選択していく。いわば社長同士の信頼関係を踏まえた「利用者・介護者による選択権」が最大限に行使されるのだ。

 

この形態の場合には、ケアマネジャーにとっての課題がいくつか生じる。

 

まず、居宅介護支援事業所がたとえば地域包括支援センター等からの紹介で選任された場合、ケアマネジャーが初回訪問したときにはすでにサービス利用が内定しており、アセスメントが後回しになってしまうことがある。ここでケアマネジャー側から白紙に戻すような提案は、利用者や介護者の顔をつぶすことにもなりかねないので、よほどのミスマッチでない限り、なかなか切り出しにくい。

 

次に、相手側経営者の「顔」でサービスを選ぶのだから、利用者の生活課題からノーマティヴに判断すれば、最善の選択でなくなる可能性も少なくない。ケアマネジャーの目で見て、「確かにそこでも良いのだが、こちらのほうがさらに相応しいのでは?」と思われるサービスがあっても、候補から外さざるを得ないことも起こる。

 

それから、何のためにそのサービスを選ぶのか、長期目標や短期目標に相当する選択の趣旨が不明瞭になることがあり、特に依頼された「理事長」「社長」がその認識に薄いと、部下の担当者に対して説明ができていないから、ケアマネジャーがあとからケアプランの整合のために苦慮することもあるだろう。

 

最後に、これが最大の問題なのだが、IPW「B」の構造になっているのにもかかわらず、ケアマネジャーがIPW「A」のつもりで臨んでしまうと、適切なケアマネジメントができないことだ。利用者や介護者にとってみれば、自分を中心に「○○理事長」「△△社長」が介護に関わる「仲間」であり、そこに(それも末席あたりに)ケアマネジャーが加わっている認識である。特に被用者である介護支援専門員ならば、たとえば〇〇理事長の部下である担当者Cさん、△△社長の部下である担当者Dさんなどと同列になるのだから、ある意味、当然の認識なのだ。

 

したがって、ケアマネジャーがCさんやDさんとサービス担当者会議を行ったり、電話やFAXで連絡調整したりする際には、常に利用者または介護者が、「○○理事長」や「△△社長」らとどんな関係性を持っているかを意識していないと、思わぬ失敗をしたり、気が付かないままに利用者にとっての最善から外れてしまったりする可能性がある。

 

利用者や介護者が企業経営者や士業士でなくても、サービス選択上のキーパーソンである主治医や成年後見人の考え方によっては、このIPW「B」構造のバリエーションが出現することがあるので、注意が必要だ。

 

そして、IPW「A」であろうがIPW「B」であろうが、利用者・介護者をめぐる関係性をソシオメトリックに把握し、利用者の望ましい生活へ向けての的確な連絡調整を粛々と実践していく。これがプロフェッショナルのあるべき姿である。

 

残念なことに、職場や地域のケアマネジャーを指導・助言する役割である「主任介護支援専門員」の中にも、このIPW「B」の形態について理解している人が乏しい。これは今後のケアマネジャーの職能にとって、大きな課題の一つになるであろう。

 

 

 

 

2018年6月25日 (月)

人と会い、人と語り...(5)

前回より続く)

巡礼を終えて向かったのは博多(福岡市内)。小倉からは静岡-浜松ぐらいの距離がある。定刻の11時半には5分ぐらい遅れてしまった(電車の博多着が5分遅れたため)が、待ち合わせ場所の「博多だるま総本店」に無事到着。

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ここで、本ブログに何度も登場してくださったジョージさん(=稲岡錠二さん。京丹後市)たちと合流。地元業界の重鎮・飯山明美さんや、長崎県から来着した諫早ドラッカーズの会、森芳正(もりよし まさし)さんや平川真さんたちの、ケアマネジャーのみなさんと一緒に、本場の博多とんこつラーメンを味わう。

そして、ホテルニューオータニ博多内にあるカフェレストラン「グリーンハウス」に集合。この日の企画「聞きたかとばってん!アンタなんしょ~と」に、遠く浜松から参戦した次第である。

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これはジョージさんが発起人になったもので、中堅・若手のケアマネジャーや介護職員が語り合うための場を作ったものだ。地元博多の髙﨑(たかざき)慎介さんや大関純平さんをはじめ、太宰府市の廣田弘樹(ひろき)さん、久留米市の岡田ヒロ子さん、林田亜紀さんらが参加された。それぞれ自分が何者なのかをプレゼンしながら、仕事や活動の現況、今後の展望などを語り合った(飯山さんは所用のため中座された)。

業界では厳しい環境の中にあって、中堅や若手のメンバーはよりよい仕事をしていくため、職場の外へ出て仲間づくりをする機会を求めている。日本中でアクティヴな中堅の業界人たちにより、このような場を作る試みが意欲的に展開されているが、ジョージさんは前のご勤務先を退職された後、地域の人たちの生活を支える「ライフデザインクリエーター」の職能を立ち上げ、全国各地の仲間と交流しつつ、人と人との輪を広げていく活動を続けておられる。

イベントは13時半から16時半までの三時間だったが、あっという間に過ぎてしまった。名残り惜しかったがお開きとなる。飯山さんや髙﨑さんたちがこれを受けて次の面白い企画を打ち出しそうな雰囲気だったので、楽しみである(残念ながら私は参加できそうもないが...)。

夕方から暗くなる時分まで、福岡城址や博多の街を散策。中洲まで来たあたりで結構歩き疲れたので、地下鉄で博多駅へ向かう。

駅2階の「めん街道」で、歌舞伎役者のG-sawaさん(HN)と待ち合わせ、行列の具合を勘案して「長浜ナンバーワン」で遅めの夕食。

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G-sawaさんと会うのは三回目だ。歌舞伎の演目は一か月単位なので、氏も6月中は博多で出演されている。上位の役者さんに従ってお仕事をもらう形なので(休演すると一か月失業することになってしまうから)、旅行などもままならないし、介護業界とは違うご苦労があろう。そのような中で、役者さん方は古い演目を墨守するだけでなく、観客に歌舞伎の魅力を味わってもらうために、協働してイノベーションや創造に取り組んでおられる。私たちの業界でも見習うべき点は少なくない。

互いの仕事やプライベートの話をしながら、ラーメンのほうは替え玉まで注文した(博多は一杯目の麺が少なめで替え玉を追加するパターンが多いようだ)。ジョージさんがすでに帰途に就かれたため、「キリシタン三人衆」が実現しなかったのは残念だが、それはまたの機会に。ちなみに、ジョージさんからG-sawaさんへと託された丹後の「塩」をしっかりお渡ししている(私もいただいた)。信徒にとって「塩」は特別な意味を持つものだから...(^^*

翌18日朝、小倉のホテルを出ようとした矢先、大阪北部地震の影響で新幹線が運転見合わせになってしまったので、岡山あたりでもう一泊することも覚悟して、行けるところまで行こうと、普通列車で東進した。途中、宮島を通る路線は亡き母と一緒に旅行した(2003年)ところなので、15年前を懐かしく思い出した。新幹線ならスルーしていたのだから、これも何かの巡り合わせだったのかも知れない。

広島の少し手前で運転再開の報を受け、広島から新幹線に乗り換える。新大阪の手前で入線の順送りを待たなければならなかったので、かなり遅延したが、そのあとは順調に走行して、浜松に無事帰着した。当初は15時頃の予定だったのが、19時過ぎの浜松着となった。新幹線のありがたさを実感したものである。地震の影響はなお大きい。被災した方々には心からお見舞いを申し上げたい。

この三日間の旅は、巡礼が主目的ではあったが、私にとっていろいろな意味で実りのあるものであった。

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