著作

2019年10月 9日 (水)

参照すべき書籍

国際的な視野から日本の歴史を眺める。それ自体は必要なことであり、誰しもそうあるべきだと私も考えている。

しかし、いわゆる「国際標準」の呪縛によって、日本史に特有な現象を理解できないとしたら、それは大きな問題である。

かつて拙著『これでいいのか? 日本の介護(2015、厚有出版)』では、特に第7章の一章を割いて、「日本人」に特有の思考形態や行動様式について論じた。読者の方はすでに、賛成するしないはともかく、私が言わんとすることを理解してくださっているであろう。

すなわち、日本は伝統的に「和」を重んじる社会であり、それが「縁側」に象徴されるあいまいさや宙吊り状態をもたらしているとの見解である。「和」以外にも「言霊」「解決志向」「儒教的な諸相」「遠慮」「他人指向」「二分割思考」などの要素があり、「日本的な」様式を墨守すれば、特に他人指向や二分割思考から「知的体力の不足」を招く危険性が高いことについて論じてみたものだ。

この「和」の社会とは、独裁者が嫌われる社会だ。特に、既存のシステムを破壊するところまで手掛けた独裁者は、みな終わりを善くしていない。天智天皇、称徳天皇、足利義満は、表向きは病死であるが、暗殺された可能性が濃厚だ。足利義教は謀殺、織田信長は襲撃されて自害、大久保利通は暗殺された。逆に、殺されなかった独裁者は、悪戦苦闘しながらも既存のシステムを破壊せず、巧みに自分流の改変を施した独裁者だと言うことができる。北条義時、徳川綱吉、徳川家重など。

全国レベルではなく、地方レベルでも事情は同様である。日本的な「和」の合議制は、古来、多くの地方政府で慣行となっていた。この構図を理解するために、ぜひお勧めしたい書籍がある。

Oshikome

笠谷和比古氏の著書、「主君『押込』の構造」(平凡社選書、のち講談社学術文庫)。

日本の近世大名にスポットを当て、彼らが決して額面通りの絶対君主ではなかったことを述べた論考である。独裁的傾向のある殿様が重臣たちから「押込(おしこめ)」の処置を受け、政治生命を絶たれてしまう。笠谷氏はいくつもの大名家で起きたこの「押込」現象を主題として取り上げ、君臣関係の諸相について解説し、さらにそこから近世の国制に論及し、下って現代の会社組織の状況にまで触れている。

以前のエントリーで私が「現実には昭和天皇が軍部の暴走を止められるほどの権力を持っていなかった」と言及したのも、この書籍の内容が頭にあってのことだ。特に終戦前後には「宮城(きゅうじょう)事件」をはじめ、ポツダム宣言受諾に反対する将校たちによるいくつかの反対行動があり、一部の将校たちは現実に昭和天皇「押込」(→皇太子だった明仁親王の皇位擁立)まで構想していたのである。

ここで笠谷氏が分析している「日本」特有の社会構造を顧みずして、イデオロギーに走り、国際標準からステレオタイプされた君主論を発出している論者たちは、浅慮・軽率のそしりを免れないであろう。

2019年2月 5日 (火)

「聞くは一時の恥」

拙著『口のきき方で介護を変える!(2013厚有出版)』の第6章第4節では、このタイトルの言葉を取り上げた。「わからなければ尋ねる」心構えを説いたものである。これは介護業界に限らず、どの業界にも当てはまる話だ。

このほど、偶然ではあるが、国史の分野で格好の事例を発見したので、参考までにご紹介しておこう。

なお、この事例は、専門領域を深く掘り下げると、それに対する自負からしばしば起こりがちなことを示したものなので、当該人物を貶めるものではけっしてないことを、お断りしておく。

M氏なる方がいる。すでにご高齢の方であり、私自身は残念ながらお会いしてご指導を受けたことがない。このM氏は、中世・近世の島津家・薩摩藩史に関する第一人者である。

そのM氏が『島津継豊と瑞仙院(1983)』なる論考を出している。薩摩藩主・島津継豊が長州藩主・毛利吉元の娘であった瑞仙院を妻に迎えてから、彼女が若くして死去するまでの経緯を記し、そこから島津家の婚姻政策について詳細に論じたものである。

さて、この論考の中で、たいへん気になる箇所がある。

M氏によると、「『追録(引用者注;『薩摩旧記雑録・追録』のこと)には、吉元の娘には『吉元令嬢』『御前様』『瑞仙院』という院号があるのみで、名前の記述がない」とあり、論考の中では、名前が省かれた背景事情として、継豊の再婚相手が徳川将軍家の養女・竹姫であったこと、島津家が特定の大名と婚姻を重ねるのを避けたことなどを挙げ、瑞仙院との婚姻が比較的軽く小規模な形に扱われてしまった。そのため、この時点では後世の薩長同盟につながる動きは見られない、と結んでいる。

この結論自体には何ら異存はない。M氏の見解に全面的に同意する。

では、何が問題なのか?

M氏は島津家側の記録だけを閲覧した結果、瑞仙院の名がわからないので記載していない。

しかし、この人の名ははっきりしている。「皆姫」である。おそらく「ともひめ」、ひょっとしたら「みなひめ」か、あるいは他の読み方かも知れないが、いずれにせよ、長州毛利家側の記録では、この女性の名は明々白々である。

つまり、M氏は島津家側の記録しか調べておらず、かつ〔自分の専門外である〕毛利家側の資料には当たっていないことが明らかなのだ。

いま、Wikipediaなどのネット事典を検索して、「皆姫」の名が普通に出てくるところを見ると、これは該博な碩学の誰かが編集に参加したのであろうと思われるかも知れないが、そうではない。実は瑞仙院が「皆姫」であることを私が見た史料は、『近世防長諸家系図綜覧(1966マツノ書店)』であり、これは一般の歴史好きの人が普通に入手できた本(いまはおそらく絶版)なのだ。そのレベルの史料に瑞仙院の本名が載っているのである。したがって、M氏ほどの一流の研究者が調べられなかったことはあり得ない。

もし、M氏が「私は専門外だから」と、謙虚に知人の毛利家・長州藩研究者に尋ねて、瑞仙院の名を確認しておけば、このようなことにはならなかったであろう。その辺りの経過については、ご本人に聞いてみなければわからないことは確かだが、結果としては、論考の主人公の一人である「皆姫」の名が記載されないままになってしまった。きわめて不自然な隔靴掻痒の論考になってしまったことは否めない

このM氏ほどの方であっても、「聞くは一時の恥」とはいかなかったのだ。

井沢元彦氏によると、M氏に限らず歴史学者には、専門外の知見を、その分野の専門家に尋ねようとしない人が多いようだ。上述した通り、自分の専門分野に関する該博さへの自負が影響しているのであろう。

これは史学だけではなく、どの業界でも起こっている問題である。私たちの保健・医療・福祉・介護業界もまた同様なのだ。「聞くは一時の恥」との認識を欠いた専門職が少なからずいて、横断的な連携ができないままに課題が残されてしまうのは、日本人の通弊なのかも知れない。

2015年11月 3日 (火)

【お知らせ】小著の販売状況について

今回はお知らせのみの記事ですので、文体は敬体となります。

小著『これでいいのか?日本の介護』の販売について、本日=11月3日現在の状況をご説明いたします。

一般書店では、原則として日本中どこのお店でも注文、取り寄せが可能です。日数を要しますが、送料はかかりません。

霞が関をはじめ、全国47都道府県庁所在地の近傍にある官報販売所には配本されていますので、お手に取ってみてから購入できる可能性が高いです。それ以外で、書店の店内に現物が置かれてあるのは、東京・浜松・静岡などの一部の大書店に限られます。

ネット書店では、下記に示したところ(例)などで扱ってくださっています。店によっては日数がかかります。また、受け取り場所によっては送料がかかる場合もありますので、購入される方の責任でご確認くださいますよう、お願いいたします。

楽天

オムニ7(=セブンネット)

Tsutaya

エルパカ(=HMV)

ネオウィングYahoo!店

(他のネット書店でも、定価表示されているところでは新品を購入できます。なお、Amazonでは定価販売品を扱ってくれない時期がありましたので、ご注意ください)

どちらで購入されるにしても、書籍の穏当な流通のために、定価1,404円(本体1,300円)で販売しているところをお選びくださいますよう、お願いいたします。

2015年10月 7日 (水)

30年の思い(4)

(前回より続く)

私が過去、講師やシンポジストとして招かれて行ったところは、それほど多くない。都府県の数から言っても、地元の静岡県、秋田県、茨城県、千葉県、東京都、神奈川県、長野県、愛知県、三重県、京都府と、十か所程度である。マイナーな講師としては、まあ身の丈に合った履歴であろう。それでもお呼びが掛かれば他県まで出向いて、自分の取り組みをお話しさせていただくことにより、介護業界で働く人たちの行動変容を促す機会になれば、嬉しいことである。

また、私は浜松市や静岡県におけるケアマネジャー連絡組織の役員も務めているため、当地に来訪される著名な講師の方をお迎えする立場にもある。いわば役得だが、私にとってはその方々を通じて視界や交流範囲を広げる良い機会になっている。

そして、現場が大切なのは言うまでもない。私自身、いま23人の利用者の方々のケアマネジメントを実施する立場でもある。頼りない私を頼りにしてくださる利用者の方々の思いを裏切らないように、日常業務を着実にこなしていきたいと思う。

長々とつづってきたが、私は曲がりなりにも、介護業界の現場で30年間仕事をしてきた。

きょう(2015年10月7日)、30年の集大成というべき第三作『これでいいのか?日本の介護 -あなた自身が社会を変える!』が、厚有出版から発刊される。いわば三部作の完結編としての意味合いを持つ。

政策、地方自治体、ケアマネジャー、介護職員、医療従事者、そして利用者である市民の、それぞれに関する課題を自分流に抽出して問題点を指摘し、さらに日本人、日本文化の根源的なもの、原理、思考形態、行動様式に迫った一冊である。

Korede1

この本のおもな特色を挙げておこう。

(1)介護業界外の方にも読んでいただける一般書である。

(2)大きめの文字で、視力に不安のある方にも読みやすくしている。

(3)参考文献を掲載せず、読者の主体的な思考を促している。

(4)日本人の思考形態や行動様式について、歴史を参照しながら記述している。

(5)各地でがんばっている仲間の取り組みを紹介している。

(6)各論で批判的記述を盛り込みながら、総論では市民、国民の団結を提唱している。

そして最後に、

(7)すべての読者がその日から行動に移せば、介護の未来は明るい! ・・・と大上段の構えを取ってみた!

このように、自分の知見や意見を書籍という形で発信できる私は、幸せ者だなあと思う。業界広しといえども、どれだけの人が同じことをさせてもらえるだろうかと顧みれば、この機会を多くの介護従事者たちのために活用していくことが、自分の使命だとも思える。

そのためには、もちろんこの本を媒介にして、政策提言などをしていく機会も持ちたいと考えている。次世代の介護を担う人たちを活かすために。

今後の私の役割は、「オレが、オレが、」と表に立つのではなく、むしろ一歩退いて、介護業界のニューリーダーたちを下支えしていくことであろう。現実、目の前には途切れ目のない支援を提供しなければならない利用者の方々の存在がある。また、私はスポーティーな業界仲間たちとは異なり、きょうは〇〇県、明日は□□県と、走り回ることができるほどタフではない。そのような役割は若い方々に譲って、自分が共感し、相通じることのできる人たちの活動をしっかり応援していくことが、これからの私が演じるべき役回りであろう。

業界内外の人たちの間には、見解の相違から深刻な対立関係を生んでしまった例もあるが、いまや大同団結が必要な時代だ。不毛な派閥争いをしているときではない。お互いに謙虚になり、他人の意見に耳を傾けながら、自分の意見を聴いてもらうように努めていくべき時代なのだ。

そのためには、勇気を持って「謝る」ことも必要だ。特に業界の著名な方々、指導的立場にある方々には、大切なときに多くの人たちと協働するために、たとえ相手の言動のほうにより大きな責任があると思っていても、どうか自分のほうから「譲って、手を差し伸べる」ことを心掛けていただきたい。

もちろん、率先して見本を示さなければならないのは(決して著名人ではないが)私自身だ。

「私が意図しなかったことや直接責任を負わないこと、あなたの側にも問題があったことを含め、私が発した言葉や行動によって、傷ついた方、不利益を受けた方、反発を覚えた方、一人ひとりにお詫びします。至らない私を許してください。
そして、わだかまりを乗り越え、立場を超えて、ご一緒に働かせてください」
(『これでいいのか?日本の介護』第12章より)

次は、これをお読みになったあなたの番だ。

互いを理解し合うことから、明日の介護に希望を!

介護業界30年選手としての、私の願いである。

(完)

2015年10月 5日 (月)

30年の思い(3)

(前回より続く)

そのような問題意識から、より広い地域で現状の変革に何かの形で寄与したいと考えてはいたのだが、もちろん一介のケアマネジャーが簡単にできる話ではなく、当県における介護支援専門員法定研修などの指導の中で、受講者に改善を促していく段階にとどまっていた。

全国レベルで独立・中立型ケアマネジャーの地位確立を目指して集中的に活動したことによって、自分自身が心身ともに疲れ切ってしまい、しばらくは「田舎に引っ込んでいた」ことも確かである。このころ、時代はどんどん移ろい、これまでネットで論壇を張っていた人たちのあとを承継していくような、業界のニューリーダーが次々と登場していたのだが、その人たちの動向もほとんど知らずにいた。ネットを駆使して他県の業界仲間と交流することも、あまりできない状況であった。

5年近く前に、同居している母が顔面神経麻痺を発症し、その通院介助のため大幅な時間と労力とを割かれてしまったことも、大きく影響している。中高年の独身男性が介護離職したり、情報弱者になっていったりすることが社会問題になっているが、まさに私自身が一時的ながらそれを実感する状況になってしまった(その後、母の状態は軽快し、完治とは言えないものの一応治癒したことで、私の負担はとりあえず解消された)。

そのような私に転機をもたらしたのが、厚有出版から著作の提案をいただいたことだ。これはもともと経済的に苦しい事業所の維持を目的として、50歳になってから「ケアマネジャー・介護・福祉職員のための作文教室」なる冊子、いわゆる「国語の本」を書き始めたことに発する。藤枝市で仕事をしている知人の社会福祉士の方が、「こんな冊子が出ている」と同社社長に話してくださり、注目した社長が私に提案してくださったという経過だ。

介護従事者の資質向上のために、「書く力」をテーマにした本を出してほしい、さらにこの流れで別のテーマを取り上げ、三冊目までは行けるのではないか、との同社長の希望に、私は半信半疑ながら応じることにした。せっかくこの業界でがんばってきた証として、「自分の本を世に出せる」ことへの喜びもあり、現状を少しでも打開する絶好の機会だと思ったこともある。企画出版で本を出すことができるのは、特段の著名な活動をしているか、もしくは元稿が存在するか、このどちらかにほとんど限られるのだが、自分は自費出版の冊子を出したことで、図らずも後者に該当していたわけである。

前の冊子はPRに際して北海道在住の業界著名ブロガー(特養施設長)の方のご協力をいただいたこともあり、いささか粗雑な部分があってもかなりの売れ行きを見せたが、今回は厚有出版の名前で著書を出すこともあり、整然とした構成が求められる。自分でも原稿を書き直し書き直し、四苦八苦しながら仕上げたが、厳しくも楽しい作業ではあった。

こうして、2012年9月に発刊されたのが、『介護職の文章作成術』である。

その次をどうするのか? 出版社との協議でテーマは「話し言葉」と決まり、自分自身が体験した現場の実例をもとに、登場する人たちの家族構成や性別を変えて架空事例を何十と作成してみた。介護従事者のための、それぞれのTPOに即したコミュニケーションの取り方を題材にして、カテゴリー分けをしながら構成してみた。

その結果、2013年8月に第二作『口のきき方で介護を変える! 支援に活かす会話55』を書き上げることができた。

この前後から、年に数回であるが、各地からセミナーの講義の依頼もいただき、細々とではあるが、自分の活動も再び「全国区」の体をなした形となる。

(次回へ続く)

2015年10月 4日 (日)

30年の思い(2)

(前回より続く)

まとまった文章を書くという作業は、簡単に見えて簡単ではない。普段から書き慣れていない人が、にわかに長文のレポートを仕上げようとしても、しっかりとした構成のレポートに完成させるのには、相当な苦労を必要とする。

私自身、仕事を離れた教会活動や市民活動に参加しながら文章作成能力を磨いたとは言え、常に異なった複数の立場で文章を書く機会を与えられていた職場の環境にも恵まれていたことは確かだ。15年余勤めた前勤務先の法人では、さまざまな制約により不本意な不完全燃焼を余儀なくされていたが、良かった点については正当に評価しておきたい。

さて、私は39歳から43歳まで、知人たちが運営していたNPO法人に「宿借り」する立場で、ケアマネジャーとして開業する形を採った。実際には最初の十か月ほどは準備期間であり、その間に前の勤務先を退職し、助走を経て事業所を開設した。自分が20代のときにはまだ何の縁もなかったインターネットが、この頃には誰もが使えるようになっており、開業に当たって介護保険に関するさまざまな情報を入手できたのは、いまさらながら大きな技術革新の賜物と言うべきか。

この間、NPO法人の仲間からバックアップしてもらえた一方、同法人の事務所留守番にも部分的に入り、他の事業にもお手伝い要員としてときどき出向いている。単に高齢者を対象とする仕事から自分の視点を外へ広げるのには、たいへん役に立った四年間であった。

開業したのは良いが、同業者として相談できる仲間がいないことは悩みの種であった。全国にも同じような仲間がいることには違いないのだが、30代の終わりになってようやく浜松市内のケアマネジャーの指導的立場になった私なので、同年代の業界著名人に比べると、非常に世間が狭い。そこでネット情報や知人の縁をたどって仲間を募った結果、全国で20人ほどの独立型ケアマネと連絡が取れたので、浜松でシンポジウムと「独立・中立型介護支援専門員全国協議会」の設立大会を開催した。

この弱小団体でしばらく代表を務めたことにより、結構全国各地を回るなど「散財」もしてしまったが、結果的にそれも「投資」となって、さまざまな立場の業界人とつながることができた。また、団体を代表する形で三回ほど厚生労働省へも赴き、小さな声ながら政策提言も提出している。私が代表を退いた後、団体自体はフェイドアウトしてしまったが、私自身としては次の転換のために良い経験だったと評価している。

Photo

43歳のとき、有限会社を設立して、居宅介護支援事業をそちらに移し、事務所も自分でマンションの一角を借りた。家主さんの二男さんが社会福祉士(いまは市の職員)で、私から見ると業界の後輩に当たるため、家主さんも何かと好意的な対応をしてくださり、たいへんありがたく思っている。

遅ればせながら、44歳から静岡県の介護支援専門員指導者の一人に加わり、全県レベルで後進の育成に当たることになった。何年か研修での指導(演習指導者、講師等)を続けているうちに、強く感じたのは、多くのケアマネジャーや介護職員が、保健・医療・福祉の狭い業界で生きてきたため、一般的な社会人としてのマナーに欠けていることである。業界の常識が世間の非常識になってしまっているのだ。

もちろん、この点では私自身も偉そうに言えたものではない。とあるマナー本を購入してチェックしたところ、できていたことが約4割、知っていたができていなかったことが約3割、そもそも知らなかったことが約3割であった。独立型ケアマネジャーとして、「客商売」に心がけていたはずの私でも、そんな体たらくだった。

(次回へ続く)

2015年10月 3日 (土)

30年の思い(1)

私が日本社会事業学校の研究科を修了し、特別養護老人ホームの「寮夫(当時の呼称)」として、初めて「老人福祉(当時の呼称)」の現場に職を得たのは、1985年5月7日、24歳のときのことだ。

それから30年。

時代は大きく変わり、いまや「介護」はさまざまな課題を抱えながら、日本社会の行く末を占う主題の一つになりつつある。

一人の現業員としての私の仕事のあり方も、この間に大きな変容を遂げてきた。

なかなか仕事が上達せず、失敗ばかり繰り返す無能な職員として、この仕事が本当に向いているのか自問自答していた、特養ホーム職員時代(24~31歳)。

部署が変わったことから、利用者本位とは何かを問い直し、職場の制約と現実のニーズとのはざまで悩みながら、本来あるべき仕事の形を模索していた、在宅介護支援センター職員時代(31~37歳)。

新たな制度に向けての準備、そして大きな変革への対応、激動の中で淘汰されないように必死で時の流れにしがみつきながら、自分を生かしていくための新たな突破口を探していた、居宅介護支援事業所(宮仕え当時)のケアマネジャー時代(37~39歳)。

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事業所の中しか見えていなかった施設職員から、広く地域に目を向けるようになった在宅職員への転換という流れであった。地域の指導的立場であった同年代の他法人職員たちは、広く各地の業界仲間と活発に交流して、意欲的に情報交換をしていたが、私の場合は勤めていた法人の体質も影響して、鳴かず飛ばずの時期が長かった。

一つの大きな成果となったのは、この期間を通して法人の広報部門に関わっていたことであろう。文章を書くという技術を習得し、向上させたことは、その後の職業人生において、自分の流儀を特徴づけるものとなっていった。

(続く)

2015年9月 7日 (月)

部分的介護就労

介護業界の人材不足が著しい。全国的に、人材どころか人員不足と言うべき状況に陥っており、各地で介護事業に携わる人たちの悲痛な声を、毎日のように耳にしている。

この状況をどうすれば打開できるのか?

介護サービスの外部評価事業を営む某社長が言う。「あなたたち、人材不足人材不足って言うけど、ダメなケアマネさんっていっぱいいるでしょ? そういう人が介護福祉士とか看護師とか、もとの仕事に戻れば、人材不足だって少しは解消されるんじゃないですか!」

厳しい言葉だが、その通りだとうなづける面は確かにある。ただし、それだけでは解決にならないことも現実である。

かと言って、東京都稲城市などで始められている、シニア世代のポイント制ボランティアにも、限界がある。何よりもボランティアとなると、事業所側にも相応の配慮が必要で、任せておけば良いものでもない。マッチングが悪いと、かえって事業所側の負担を増やしてしまう。その種のトラブルが、すでに起こっているかも知れない。

また、外国人労働者に安易に頼る考え方もいただけない。個人的には労働力の国際化(→グローバリゼーション)の流れは歓迎したいが、EPAに基づいて日本で就労したい外国人への門戸があまりにも狭い(英語圏の国々に比べると、言葉の壁も大きい)。他方で、外国人技能実習制度の業種拡大は、これまでの同制度の運用経緯から考えても、劣悪な介護労働環境を招く危険がある。私もこちらには反対である。

そこで私が提唱したいのが「部分的介護就労」だ。

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と言っても、目新しい戦略を述べているのではない。すでに各地で前述の事態を憂慮する心ある人たちによって、いろいろと先駆的な実践がなされており、これは私がそれらを総称した造語に過ぎない。あるいは、すでに他の論者が適切な用語を使っておられるのかも知れない。ご存知の方はご一報いただければ幸いである。

極端に言えば、国民のすべてが、「人生の一時期に」もしくは「生活の一部分で」介護業界に就労するシステムを実現しようという考え方である。全国レベルでの制度化となると簡単にいくものではないが、地域に合った促進運動を展開して浸透させることは、それほど難しくないと思う。

奨学金をもらえれば介護現場を経験したい学生もいれば、自営業の傍ら介護の仕事を兼業したい社会人もいるだろう。形態はさまざまかも知れないが、みんなが「介護現場の実態を知る」ことによって、自分にできることは何か、そして、自分が変わることで日本の介護を変えられないか、考える機会になる。現場を「知る」人が増えることによって、一知半解の論者による介護に対するネガティブ‐キャンペーンを抑止する効果もある。

これについては、近々刊行される予定の拙著(書名未公開)でも、最終章の一部を割いて解説しておいた。

「部分的介護就労」。まずはあなたの身近な人たちに勧めてみませんか?

2013年12月13日 (金)

ヴェルディ歌劇の面白さ(5)

7日(土)、上野の東京文化会館でトリノ王立歌劇場引っ越し公演、ヴェルディの『仮面舞踏会』を観賞。

指揮はジャナンドレア‐ノセダ(敬称略、以下同)、演出はロレンツォ‐マリアーニ。キャストはリッカルドがラモーン‐バルガス、アメーリアがオクサナ-ディカ、レナートがガブリエーレ‐ヴィヴィアーニ、ウルリーカがマリアンネ‐コルネッティ、オスカルが市原愛、サムエルがファブリツィオ‐ベッジ、トムがホセ‐アントニオ‐ガルシア。

もともと、この歌劇の題材は、スウェーデン国王グスタフ3世が仮面舞踏会の最中に暗殺された事件(1792)だったのですが、当時の官憲の圧力により、舞台設定がストックホルムから英領ボストンに変更され、同時に登場人物の名前も変えられました。その後、ストックホルム版も復活して、ときどき公演されています。今回の上演はボストン版でした(写真はプログラムです)。

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マリアーニの演出の特徴は、舞台が白・黒・赤の三色で埋め尽くされていたという一点に尽きます。白と黒は単純な善悪の区別ではなく、同じ人物(たとえばレナート)の衣装が白になったり黒になったりと、登場人物の心理的変化を微妙に表現しています。赤について言えば、第一幕でウルリーカがリッカルドの死を予言したとき、リッカルドの顔に赤いスポットライトが当たる場面は秀逸。また第三幕では、レナートとアメーリアの愛が育まれた場所だったベッドの赤い枠が、折れて床に倒れていたのが象徴的でした。

歌手はバルガスがリッカルドを好演。やや抑揚をつけ過ぎて、一部、声が小さくて聞こえにくかった箇所がありましたが、演技は見事でした。ヴィヴィアーニのレナートは朗々としたバリトンの歌唱で会場を魅了し、ディカのアメーリアも出色の出来でした。ベッジのサムエルはあまり目立ちませんでしたが、コミカルな歌唱で第二幕の「レナート嘲笑」の場面を聞きごたえあるものにしていました。対照的にコルネッティのウルリーカは、会場からの拍手は多く寄せられたものの、声の揺れがやや大きく、私の耳では聞きづらい歌唱でした。

その夜は江戸川区で開業する同業者と食事。翌日、午前中はいくつか書店などを散策しましたが、最後に八重洲ブックセンターへ立ち寄ったとき、介護関係の書籍のコーナーで、何と自分の著書が平積みにされているのを発見してビックリ!

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地元ではほとんど書店の店頭にさえ見かけないので、驚きでしたが、そこそこに需要はあるんだなあと思い、嬉しい気持ちで浜松へ帰りました。

2013年9月16日 (月)

口のきき方で介護を変える!(4)

(前回から続く)

ところが、このように表現すると異論が出そうです。「自分の本質から発する自然な言葉で(P.14)」と言っているのに、たとえば「皇国の輸贏(P.184)」などの会話事例は、何十年介護の仕事をしていても、人によっては全く出会わずに終わってしまうような話ではないか? いったいどこが自然体なのか? という疑問が出てくるかと思います。

そういう質問をする方に対して、逆にお聞きしたい。

「本当に利用者のほうがこのレベルの用語を使ってきたら、どうするんですか?」

現実に対応しなければならないのは、介護従事者のほうなんです。そういうときのために、頭の中のボキャブラリーを増やしておいたほうがお得ですよ、ということなんですね。私自身も機械とか電気とか、理系の用語をポンと言われても、多くはその意味がわかりません。そのような場面に遭遇したら、いったん引き上げて自分で調べるしかないのです。そこで知らないまま過ごせば、次にその言葉が誰かの口から出てきても、わからないままなのですから。

他方、たとえば「暑い日が続きますね」のような時候のあいさつなどは、文中に記述してありません。社会人として、どの業界にいても当たり前の、小学生レベルで習得しなければならないような内容の解説に、貴重な紙数を割いてくれるほど余裕のある出版社でもありませんので・・・^_^; 密度の濃い内容になっていると自負しています。

まあ、ぜひお買い求めになってお読みください!

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