著作

2023年2月22日 (水)

「この程度の業界」だと思われたいのか?

どの業界にも言えることかも知れないが、一つの仕事を長く続けていると、それに関連する事象にはたいへん該博になる反面、「あなたはこんな良識もわきまえないのか?」と周囲から指摘されるほどの、世間知らずになってしまうことがある。

「著作権」に関する知見もその一つだ。

私にはマイナーながら、だいぶ前に出版された自著本がある(画像はその一つ)。

Photo_20230219221901

もし、誰かがこの著書の一節をまるまる複製して、その画像を拡散したらどうなるだろうか? それを見て「興味深いことが書いてあるから、購入しよう」と思ってくれる人もいるかも知れない。しかし大半の人たちは「一節をタダで読めたからもうけもの!」と考え、この本を購入してくれないだろう。

つまり、画像を拡散した人は、本来収入が入るべき出版社、さらに著者(この本については、原稿料をいただいているので、当面、私に直接的な損失はない。しかし自分が著述した内容が全く脈絡のない場面で出回るとしたら、それは大きな問題であるが...)の権利を不当に奪っているのだ。

さて、介護業界に関連する朝日新聞の記事が、最近SNSで話題になった。

この記事は本来、同紙を有料で購読している人、およびネット記事の有料会員になっている人だけが、全文を読むことができる。知りたい人はお金を払って情報を手に入れる。当然のことだ。

ところが、私のFacebook友達になっている複数の方が、購読者しか読めないはずの記事全文、または主要な部分を転載していた。

そこで、何人かの方々に「著作権について許諾を得ていますか?」等の確認のコメントやメッセージを入れてみた。お一人の方とはやりとりができ、引用したことを「反省している」との返事をもらい、趣旨を理解してもらえたと思われるが、他の方々からはだんまりである。それどころか、業界の多くの人たちによって「全文」が次々とシェアされており、誰でも読める状態になっている。おそらく、ほとんどの人たちは、朝日新聞社の許諾を得ずにシェアしているものと推察される。

これは記事の剽窃であり、朝日新聞社の「著作権」への侵害にほかならない。

介護従事者は高齢者・障害者などの他者の権利を守るのが仕事であるはずだ。一人では生活できない人たちに対し、度合いの違いこそあれ、直接・間接に側面的な最善の支援を行い、人として当然に希求する権利がある「望ましい生活」を実現してもらうのが、私たちの業務の基本にある。

その介護従事者が、たとえ相手が巨大なメディアであったとしても、他者(社)の権利を侵害しているのであれば、自分たちの仕事の矜持もへったくれもない。待遇の劣悪さを改善してもらうべく国や社会へ働き掛けなければならないのに、守るべき社会規範を守らなければ、主張していることも響かない。

「介護って、この程度の業界なんだね?」と思われたいのだろうか?

特に新聞記事は悪意なく勝手に引用してしまいがちであるが、非公開の記事はルール(日本新聞協会)にのっとって扱わないと、あとで新聞社から料金を請求される可能性がある(そのエントリーは非営利でも、何らかの形で営利に結び付くと判断された場合である)。今回、上記の記事を転載したすべての人は、手元に請求書が送られてくることを覚悟しなければならない。

まず、守るべきものは守ろう。そうしてこそ、自分たちの権利も社会から守ってもらえるのだ。

2022年10月 2日 (日)

応援してくださった方々に感謝☆

「こんなに長く続けてこられるとは、開業した当時は考えられませんでした」

私の正直な思いだ。独立型の居宅介護支援事業所を始めて21年。多くの方々に支えていただき、走り続けることができた。みなさんには感謝の念しかない。

ケアマネジャーとして事実上の「個人事務所」を持ち、一人親方として自分のスタイルで仕事をして、二百数十人の利用者さんのケアマネジメントを展開することができた。いまでこそ周囲に同様な形態で仕事をしている人が少なくないが、2001年当時は全国でも数十人。そのうち半数程度は併設サービスも運営することで収益を維持していた。志の高いケアマネジャーでなければ、単体開業を続けること自体が難しかった。

ここまで続けてこられたのは、利用者さんを紹介してくださった関係機関や事業所の方々の力が大きいが、他方で、さまざまなご縁から知り合った全国の業界仲間の皆さんが、声援を送ってくださったことも大きい。

昨日(10月1日)、コロナ禍が収束していないことも考慮し、昨年に続いて集合イベントではない「オンライン飲み会」を企画して、SNSその他でつながっている方々にお声掛けをしてみた。

20221001nomikai

自分を含めて11名の参加だったが、インティミットな集いになった。浜松の方が3名。他に東京都(離島)、兵庫、島根、愛媛、福岡、大分、宮崎からお一人ずつ。ほとんどが対面でお会いしたことがある方だ。

この中には2011年、私が介護業界の「産業日本語」に当たる緑色の冊子を最初に自費出版したとき、購入してくださった方がお二人いらっしゃる。また2018年以降、文章作成に関する講師としてお招きくださった方、文章作成術の自著本を買ってくださった方、文章作成講座を聴講してくださった方など、国語つながりの方が結構多い。単なるケアマネジャーでなく、異なる分野での専門性を帯びていたことは、業界で私が細々と生き続けてこられた原因でもある。

昨夜は二時間にわたり、観光、信仰、地元の名産、業界の転職事情、災害対策など、いろいろな分野の話に花が咲いた。地域も職種も異なる多くの方々とのつながりは、何にも代えがたい宝物と言えよう。

「人生は何かを捨てて何かを選択する」ものであるのならば、若いときに望んで実現できなかったことがいくつかあったものの、自分の好きな仕事を続けられたことには満足している。

さて、私の年齢も間もなく62歳を迎え、身体にいくつかの小さな疾患を抱えている状態だが、自分の身の丈に合わせながら、まだまだ仕事を続けていくつもりである。

みなさん、今後ともよろしくお願いします。

2021年6月15日 (火)

まもなく開講☆

ここ三年ばかり、研修の場でケアマネジャーや介護職員を指導する仕事から遠ざかってきた。

母の死去(2018年3月5日)を契機に、Facebookの業界仲間たちは、「喪中」の私が研修どころではないと踏んだらしい。もちろん、オファーが途絶えたのは、私自身が新企画のPRを何もしてこなかったことが最大の原因だ。メジャーな講師であれば、喪中だろうが続々とお呼びが掛かる。私のようなマイナーな講師はそうもいかない。宣伝らしいアクションをしない状況が続けば、「引退モード」と受け取られてしまうのは、いたしかたないことであろう。

そのうちにコロナ禍のため、集合研修の開催自体が難しくなり、いよいよ出講する機会はなくなってしまった。

代わって登場したのが、Zoomを活用したオンライン研修である。実は、私はこちらの流れにも乗ることができなかった。ドライ‐アイの症状が強かったため、PC画面を長時間凝視するのが厳しかったのである。

とは言え、転機は訪れるもので、季節の影響もあり、ドライ‐アイもようやく改善した。そんな中、かつての知人から、その方が在住する離島の介護職員の文章作成能力がイマイチなので、オンライン研修の講師をして欲しいとの希望があった。すでに5月9日、第一講を実施、来月には第二講が予定されている。

Photo_20210615225501

さて、こんな体験を経て、自前でも講座を持つことができそうになったので、当方主催で「オンライン文章作成講座」を開始することにした。

現時点での構想は、1時間×4~5講、または30分×6~7講で、前者は一回1,500円、後者は一回1,000円程度を見込んでいる。各講の内容は、

・「ムダな語句を削ろう」

・「読み手が悩まないようにしよう」

・「情景が目の前に浮かぶ文章を作ろう」

・「間違えやすい言い回しや用語に気を付けよう」

・「助さん格さん-助詞・助動詞と『格』を使いこなそう」

などなど。

衛星放送のごとく、同じ資料を用いて各講をそれぞれ数回ずつ、一年かけてローテーションする。聴き逃した方は「再放送(?)」のところでまた受講していただけば良い。全体のサイクルが終了した後、最終的に聴講された講義の数だけ料金を支払っていただければ、振込手数料も一回だけで済む。

大勢の人たちが受講するとも思えないが、FBを中心として、本当に国語を学びたい人たちだけの集まりになっても、それはそれでいいのではないか。単なる「記録の書き方」ではなく、国文法から説き起こして、受講者が自分の文章をスッキリさせるための糧にしてもらうわけだから。

また、上記の離島同様、集合研修に代わるオンライン研修会の開催も歓迎する。その場合は一時間15,000円、二時間30,000円(税込み)で受任している。この場合は、参加者のレポートや記録などを、文法的に問題がないか個別に添削してあげる(別料金。A4一枚1,000円)こともできる。メジャーな講師に比べるとかなり格安なので、以前の集合研修同様、遠慮なくお申し込みされたい。

自前の講座は、いま準備期間。開催日程が決まったら、稿を改めてお知らせします。

2020年12月31日 (木)

どんなに若く未熟な駆け出しのスタッフに対しても、丁寧な言葉で話しましょう

2020年はコロナ禍に明け暮れた年となったが、私は可能な限り感染予防に心掛けながら、一年を通して、目の前の課題に向き合い、粛々と仕事を続けてきた。

日頃から心掛けているのは、「口先だけの人」にならないこと。「有言実行」が自分の目標である。この一年を振り返ると、気持ちはあっても実践したとは言い難いこともあれば、目指した通りに実践できたこともあった。

その中でも特に実践の完成度が高いと自画自賛しているのは、「タメ口をなるべく使わず、丁寧に話すこと」。

こう言うと、人生の先輩である利用者さん(大部分が高齢者)に対してのことだと思われるかも知れない。しかし、「顧客に対してタメ口をきかず敬語を使う」ことは、言われなくてもできて当然だ(画像の拙著でも節を立てて説いている)。むしろ、できていない人や事業所のほうが恥じ入る話であろう。ここで私が言いたいのはそれではない。

Photo_20201230175301

「丁寧に話すべき」相手は、職場や業界の後輩たちなのだ。

私はケアマネジャーだが、一人親方の自営業であるから、連携を取り合う相手はすべて「他法人の職員」である。中には私から見れば経歴・実績が比較にならないほど経験が浅い、30年以上後輩の職員との間で報告・連絡・相談し合うのはよくあることだ。その際に、相手が応接もたどたどしく、なかなか意図が伝わらなかったとしても、タメ口で押しかぶせるような話し方はしていないつもりである。なぜなら、私自身、20代から30代前半のときには、その相手のレベルだったのだから。

そこで、自分が若く未熟な駆け出しのスタッフだった時期を思い出してほしい。経験を積んでいる業界の先輩たちとの間で報告・連絡・相談を繰り返していて、気持ち良く仕事ができたのはどんな場合だろうか? ほとんどの人にとって、それは相手が丁寧な言葉で応接してくれ、自分や自法人の立場を理解してくれ、対等な立場で尊重してくれた場合ではなかったか?

また、同じ法人の職場内でも言葉遣いは重要だ。しばしば、新人職員は上司や先輩の態度を見て学ぶ。横柄で、高圧的な、マウントを取るような上司や先輩が多ければ、それを学んだ部下や後輩は、次には利用者に対して横柄で、高圧的な、マウントを取る態度を示すようになるのだ。もちろん、他法人の職員を相手にするのと違い、上司や先輩が部下や後輩にタメ口で話すこと自体は、日常的でも差し支えないが、相手に対する敬意を込めて会話することは大事である。

さらに、外国人職員(技能実習生も含む)への影響は大きい。かつて製造業や建設業でも、外国人が安価な労働力として使い捨て状態にされている職場で、彼ら、彼女らが身に着けてしまった日本語の多くは、上司や先輩が吐いた暴言や罵詈雑言なのである。介護業界でも指導する日本人職員の資質次第で、同様なことが起きるであろう。逆に彼ら、彼女らが、洗練された言葉や相手に敬意を払う言葉を多く聞いていれば、それらの言葉をしっかり習得して、日本語の美点を理解してくれるに違いない。

近年、常に話題とされているネット上の誹謗中傷、何の躊躇もなく飛び交っている「人を傷付ける言葉」が、心ある人たちの目には、どれほど醜いものに映っているか。それは「丁寧な言葉」とは対極にある存在である。

逆に、敬意を込めた丁寧な言葉は、受け取る人のみならず、発する人の心も豊かにしてくれるのだ。

言葉は生き物であるから、時代に応じて変わっていくことを、もちろん私は否定しない。しかし、日本語の歴史の中で長きにわたって大切にされてきたものを、私たちは受け継いでいかなければならない。豊富な語彙の随所に見受けられる丁寧語や丁寧な言い回しは、私たちの伝統の中で育まれてきた、掛け替えのない文化の所産なのだから。

寒波に包まれた大晦日、みなさんにその大切さを訴え、理解していただきたく願っている。

暖かい言葉に包まれた2021年を過ごしましょう☆

良いお年をお迎えください!

2019年10月 9日 (水)

参照すべき書籍

国際的な視野から日本の歴史を眺める。それ自体は必要なことであり、誰しもそうあるべきだと私も考えている。

しかし、いわゆる「国際標準」の呪縛によって、日本史に特有な現象を理解できないとしたら、それは大きな問題である。

かつて拙著『これでいいのか? 日本の介護(2015、厚有出版)』では、特に第7章の一章を割いて、「日本人」に特有の思考形態や行動様式について論じた。読者の方はすでに、賛成するしないはともかく、私が言わんとすることを理解してくださっているであろう。

すなわち、日本は伝統的に「和」を重んじる社会であり、それが「縁側」に象徴されるあいまいさや宙吊り状態をもたらしているとの見解である。「和」以外にも「言霊」「解決志向」「儒教的な諸相」「遠慮」「他人指向」「二分割思考」などの要素があり、「日本的な」様式を墨守すれば、特に他人指向や二分割思考から「知的体力の不足」を招く危険性が高いことについて論じてみたものだ。

この「和」の社会とは、独裁者が嫌われる社会だ。特に、既存のシステムを破壊するところまで手掛けた独裁者は、みな終わりを善くしていない。天智天皇、称徳天皇、足利義満は、表向きは病死であるが、暗殺された可能性が濃厚だ。足利義教は謀殺、織田信長は襲撃されて自害、大久保利通は暗殺された。逆に、殺されなかった独裁者は、悪戦苦闘しながらも既存のシステムを破壊せず、巧みに自分流の改変を施した独裁者だと言うことができる。北条義時、徳川綱吉、徳川家重など。

全国レベルではなく、地方レベルでも事情は同様である。日本的な「和」の合議制は、古来、多くの地方政府で慣行となっていた。この構図を理解するために、ぜひお勧めしたい書籍がある。

Oshikome

笠谷和比古氏の著書、「主君『押込』の構造」(平凡社選書、のち講談社学術文庫)。

日本の近世大名にスポットを当て、彼らが決して額面通りの絶対君主ではなかったことを述べた論考である。独裁的傾向のある殿様が重臣たちから「押込(おしこめ)」の処置を受け、政治生命を絶たれてしまう。笠谷氏はいくつもの大名家で起きたこの「押込」現象を主題として取り上げ、君臣関係の諸相について解説し、さらにそこから近世の国制に論及し、下って現代の会社組織の状況にまで触れている。

以前のエントリーで私が「現実には昭和天皇が軍部の暴走を止められるほどの権力を持っていなかった」と言及したのも、この書籍の内容が頭にあってのことだ。特に終戦前後には「宮城(きゅうじょう)事件」をはじめ、ポツダム宣言受諾に反対する将校たちによるいくつかの反対行動があり、一部の将校たちは現実に昭和天皇「押込」(→皇太子だった明仁親王の皇位擁立)まで構想していたのである。

ここで笠谷氏が分析している「日本」特有の社会構造を顧みずして、イデオロギーに走り、国際標準からステレオタイプされた君主論を発出している論者たちは、浅慮・軽率のそしりを免れないであろう。

2019年2月 5日 (火)

「聞くは一時の恥」

拙著『口のきき方で介護を変える!(2013厚有出版)』の第6章第4節では、このタイトルの言葉を取り上げた。「わからなければ尋ねる」心構えを説いたものである。これは介護業界に限らず、どの業界にも当てはまる話だ。

このほど、偶然ではあるが、国史の分野で格好の事例を発見したので、参考までにご紹介しておこう。

なお、この事例は、専門領域を深く掘り下げると、それに対する自負からしばしば起こりがちなことを示したものなので、当該人物を貶めるものではけっしてないことを、お断りしておく。

M氏なる方がいる。すでにご高齢の方であり、私自身は残念ながらお会いしてご指導を受けたことがない。このM氏は、中世・近世の島津家・薩摩藩史に関する第一人者である。

そのM氏が『島津継豊と瑞仙院(1983)』なる論考を出している。薩摩藩主・島津継豊が長州藩主・毛利吉元の娘であった瑞仙院を妻に迎えてから、彼女が若くして死去するまでの経緯を記し、そこから島津家の婚姻政策について詳細に論じたものである。

さて、この論考の中で、たいへん気になる箇所がある。

M氏によると、「『追録(引用者注;『薩摩旧記雑録・追録』のこと)には、吉元の娘には『吉元令嬢』『御前様』『瑞仙院』という院号があるのみで、名前の記述がない」とあり、論考の中では、名前が省かれた背景事情として、継豊の再婚相手が徳川将軍家の養女・竹姫であったこと、島津家が特定の大名と婚姻を重ねるのを避けたことなどを挙げ、瑞仙院との婚姻が比較的軽く小規模な形に扱われてしまった。そのため、この時点では後世の薩長同盟につながる動きは見られない、と結んでいる。

この結論自体には何ら異存はない。M氏の見解に全面的に同意する。

では、何が問題なのか?

M氏は島津家側の記録だけを閲覧した結果、瑞仙院の名がわからないので記載していない。

しかし、この人の名ははっきりしている。「皆姫」である。おそらく「ともひめ」、ひょっとしたら「みなひめ」か、あるいは他の読み方かも知れないが、いずれにせよ、長州毛利家側の記録では、この女性の名は明々白々である。

つまり、M氏は島津家側の記録しか調べておらず、かつ〔自分の専門外である〕毛利家側の資料には当たっていないことが明らかなのだ。

いま、Wikipediaなどのネット事典を検索して、「皆姫」の名が普通に出てくるところを見ると、これは該博な碩学の誰かが編集に参加したのであろうと思われるかも知れないが、そうではない。実は瑞仙院が「皆姫」であることを私が見た史料は、『近世防長諸家系図綜覧(1966マツノ書店)』であり、これは一般の歴史好きの人が普通に入手できた本(いまはおそらく絶版)なのだ。そのレベルの史料に瑞仙院の本名が載っているのである。したがって、M氏ほどの一流の研究者が調べられなかったことはあり得ない。

もし、M氏が「私は専門外だから」と、謙虚に知人の毛利家・長州藩研究者に尋ねて、瑞仙院の名を確認しておけば、このようなことにはならなかったであろう。その辺りの経過については、ご本人に聞いてみなければわからないことは確かだが、結果としては、論考の主人公の一人である「皆姫」の名が記載されないままになってしまった。きわめて不自然な隔靴掻痒の論考になってしまったことは否めない

このM氏ほどの方であっても、「聞くは一時の恥」とはいかなかったのだ。

井沢元彦氏によると、M氏に限らず歴史学者には、専門外の知見を、その分野の専門家に尋ねようとしない人が多いようだ。上述した通り、自分の専門分野に関する該博さへの自負が影響しているのであろう。

これは史学だけではなく、どの業界でも起こっている問題である。私たちの保健・医療・福祉・介護業界もまた同様なのだ。「聞くは一時の恥」との認識を欠いた専門職が少なからずいて、横断的な連携ができないままに課題が残されてしまうのは、日本人の通弊なのかも知れない。

2015年11月 3日 (火)

【お知らせ】小著の販売状況について

今回はお知らせのみの記事ですので、文体は敬体となります。

小著『これでいいのか?日本の介護』の販売について、本日=11月3日現在の状況をご説明いたします。

一般書店では、原則として日本中どこのお店でも注文、取り寄せが可能です。日数を要しますが、送料はかかりません。

霞が関をはじめ、全国47都道府県庁所在地の近傍にある官報販売所には配本されていますので、お手に取ってみてから購入できる可能性が高いです。それ以外で、書店の店内に現物が置かれてあるのは、東京・浜松・静岡などの一部の大書店に限られます。

ネット書店では、下記に示したところ(例)などで扱ってくださっています。店によっては日数がかかります。また、受け取り場所によっては送料がかかる場合もありますので、購入される方の責任でご確認くださいますよう、お願いいたします。

楽天

オムニ7(=セブンネット)

Tsutaya

エルパカ(=HMV)

ネオウィングYahoo!店

(他のネット書店でも、定価表示されているところでは新品を購入できます。なお、Amazonでは定価販売品を扱ってくれない時期がありましたので、ご注意ください)

どちらで購入されるにしても、書籍の穏当な流通のために、定価1,404円(本体1,300円)で販売しているところをお選びくださいますよう、お願いいたします。

2015年10月 7日 (水)

30年の思い(4)

(前回より続く)

私が過去、講師やシンポジストとして招かれて行ったところは、それほど多くない。都府県の数から言っても、地元の静岡県、秋田県、茨城県、千葉県、東京都、神奈川県、長野県、愛知県、三重県、京都府と、十か所程度である。マイナーな講師としては、まあ身の丈に合った履歴であろう。それでもお呼びが掛かれば他県まで出向いて、自分の取り組みをお話しさせていただくことにより、介護業界で働く人たちの行動変容を促す機会になれば、嬉しいことである。

また、私は浜松市や静岡県におけるケアマネジャー連絡組織の役員も務めているため、当地に来訪される著名な講師の方をお迎えする立場にもある。いわば役得だが、私にとってはその方々を通じて視界や交流範囲を広げる良い機会になっている。

そして、現場が大切なのは言うまでもない。私自身、いま23人の利用者の方々のケアマネジメントを実施する立場でもある。頼りない私を頼りにしてくださる利用者の方々の思いを裏切らないように、日常業務を着実にこなしていきたいと思う。

長々とつづってきたが、私は曲がりなりにも、介護業界の現場で30年間仕事をしてきた。

きょう(2015年10月7日)、30年の集大成というべき第三作『これでいいのか?日本の介護 -あなた自身が社会を変える!』が、厚有出版から発刊される。いわば三部作の完結編としての意味合いを持つ。

政策、地方自治体、ケアマネジャー、介護職員、医療従事者、そして利用者である市民の、それぞれに関する課題を自分流に抽出して問題点を指摘し、さらに日本人、日本文化の根源的なもの、原理、思考形態、行動様式に迫った一冊である。

Korede1

この本のおもな特色を挙げておこう。

(1)介護業界外の方にも読んでいただける一般書である。

(2)大きめの文字で、視力に不安のある方にも読みやすくしている。

(3)参考文献を掲載せず、読者の主体的な思考を促している。

(4)日本人の思考形態や行動様式について、歴史を参照しながら記述している。

(5)各地でがんばっている仲間の取り組みを紹介している。

(6)各論で批判的記述を盛り込みながら、総論では市民、国民の団結を提唱している。

そして最後に、

(7)すべての読者がその日から行動に移せば、介護の未来は明るい! ・・・と大上段の構えを取ってみた!

このように、自分の知見や意見を書籍という形で発信できる私は、幸せ者だなあと思う。業界広しといえども、どれだけの人が同じことをさせてもらえるだろうかと顧みれば、この機会を多くの介護従事者たちのために活用していくことが、自分の使命だとも思える。

そのためには、もちろんこの本を媒介にして、政策提言などをしていく機会も持ちたいと考えている。次世代の介護を担う人たちを活かすために。

今後の私の役割は、「オレが、オレが、」と表に立つのではなく、むしろ一歩退いて、介護業界のニューリーダーたちを下支えしていくことであろう。現実、目の前には途切れ目のない支援を提供しなければならない利用者の方々の存在がある。また、私はスポーティーな業界仲間たちとは異なり、きょうは〇〇県、明日は□□県と、走り回ることができるほどタフではない。そのような役割は若い方々に譲って、自分が共感し、相通じることのできる人たちの活動をしっかり応援していくことが、これからの私が演じるべき役回りであろう。

業界内外の人たちの間には、見解の相違から深刻な対立関係を生んでしまった例もあるが、いまや大同団結が必要な時代だ。不毛な派閥争いをしているときではない。お互いに謙虚になり、他人の意見に耳を傾けながら、自分の意見を聴いてもらうように努めていくべき時代なのだ。

そのためには、勇気を持って「謝る」ことも必要だ。特に業界の著名な方々、指導的立場にある方々には、大切なときに多くの人たちと協働するために、たとえ相手の言動のほうにより大きな責任があると思っていても、どうか自分のほうから「譲って、手を差し伸べる」ことを心掛けていただきたい。

もちろん、率先して見本を示さなければならないのは(決して著名人ではないが)私自身だ。

「私が意図しなかったことや直接責任を負わないこと、あなたの側にも問題があったことを含め、私が発した言葉や行動によって、傷ついた方、不利益を受けた方、反発を覚えた方、一人ひとりにお詫びします。至らない私を許してください。
そして、わだかまりを乗り越え、立場を超えて、ご一緒に働かせてください」
(『これでいいのか?日本の介護』第12章より)

次は、これをお読みになったあなたの番だ。

互いを理解し合うことから、明日の介護に希望を!

介護業界30年選手としての、私の願いである。

(完)

2015年10月 5日 (月)

30年の思い(3)

(前回より続く)

そのような問題意識から、より広い地域で現状の変革に何かの形で寄与したいと考えてはいたのだが、もちろん一介のケアマネジャーが簡単にできる話ではなく、当県における介護支援専門員法定研修などの指導の中で、受講者に改善を促していく段階にとどまっていた。

全国レベルで独立・中立型ケアマネジャーの地位確立を目指して集中的に活動したことによって、自分自身が心身ともに疲れ切ってしまい、しばらくは「田舎に引っ込んでいた」ことも確かである。このころ、時代はどんどん移ろい、これまでネットで論壇を張っていた人たちのあとを承継していくような、業界のニューリーダーが次々と登場していたのだが、その人たちの動向もほとんど知らずにいた。ネットを駆使して他県の業界仲間と交流することも、あまりできない状況であった。

5年近く前に、同居している母が顔面神経麻痺を発症し、その通院介助のため大幅な時間と労力とを割かれてしまったことも、大きく影響している。中高年の独身男性が介護離職したり、情報弱者になっていったりすることが社会問題になっているが、まさに私自身が一時的ながらそれを実感する状況になってしまった(その後、母の状態は軽快し、完治とは言えないものの一応治癒したことで、私の負担はとりあえず解消された)。

そのような私に転機をもたらしたのが、厚有出版から著作の提案をいただいたことだ。これはもともと経済的に苦しい事業所の維持を目的として、50歳になってから「ケアマネジャー・介護・福祉職員のための作文教室」なる冊子、いわゆる「国語の本」を書き始めたことに発する。藤枝市で仕事をしている知人の社会福祉士の方が、「こんな冊子が出ている」と同社社長に話してくださり、注目した社長が私に提案してくださったという経過だ。

介護従事者の資質向上のために、「書く力」をテーマにした本を出してほしい、さらにこの流れで別のテーマを取り上げ、三冊目までは行けるのではないか、との同社長の希望に、私は半信半疑ながら応じることにした。せっかくこの業界でがんばってきた証として、「自分の本を世に出せる」ことへの喜びもあり、現状を少しでも打開する絶好の機会だと思ったこともある。企画出版で本を出すことができるのは、特段の著名な活動をしているか、もしくは元稿が存在するか、このどちらかにほとんど限られるのだが、自分は自費出版の冊子を出したことで、図らずも後者に該当していたわけである。

前の冊子はPRに際して北海道在住の業界著名ブロガー(特養施設長)の方のご協力をいただいたこともあり、いささか粗雑な部分があってもかなりの売れ行きを見せたが、今回は厚有出版の名前で著書を出すこともあり、整然とした構成が求められる。自分でも原稿を書き直し書き直し、四苦八苦しながら仕上げたが、厳しくも楽しい作業ではあった。

こうして、2012年9月に発刊されたのが、『介護職の文章作成術』である。

その次をどうするのか? 出版社との協議でテーマは「話し言葉」と決まり、自分自身が体験した現場の実例をもとに、登場する人たちの家族構成や性別を変えて架空事例を何十と作成してみた。介護従事者のための、それぞれのTPOに即したコミュニケーションの取り方を題材にして、カテゴリー分けをしながら構成してみた。

その結果、2013年8月に第二作『口のきき方で介護を変える! 支援に活かす会話55』を書き上げることができた。

この前後から、年に数回であるが、各地からセミナーの講義の依頼もいただき、細々とではあるが、自分の活動も再び「全国区」の体をなした形となる。

(次回へ続く)

2015年10月 4日 (日)

30年の思い(2)

(前回より続く)

まとまった文章を書くという作業は、簡単に見えて簡単ではない。普段から書き慣れていない人が、にわかに長文のレポートを仕上げようとしても、しっかりとした構成のレポートに完成させるのには、相当な苦労を必要とする。

私自身、仕事を離れた教会活動や市民活動に参加しながら文章作成能力を磨いたとは言え、常に異なった複数の立場で文章を書く機会を与えられていた職場の環境にも恵まれていたことは確かだ。15年余勤めた前勤務先の法人では、さまざまな制約により不本意な不完全燃焼を余儀なくされていたが、良かった点については正当に評価しておきたい。

さて、私は39歳から43歳まで、知人たちが運営していたNPO法人に「宿借り」する立場で、ケアマネジャーとして開業する形を採った。実際には最初の十か月ほどは準備期間であり、その間に前の勤務先を退職し、助走を経て事業所を開設した。自分が20代のときにはまだ何の縁もなかったインターネットが、この頃には誰もが使えるようになっており、開業に当たって介護保険に関するさまざまな情報を入手できたのは、いまさらながら大きな技術革新の賜物と言うべきか。

この間、NPO法人の仲間からバックアップしてもらえた一方、同法人の事務所留守番にも部分的に入り、他の事業にもお手伝い要員としてときどき出向いている。単に高齢者を対象とする仕事から自分の視点を外へ広げるのには、たいへん役に立った四年間であった。

開業したのは良いが、同業者として相談できる仲間がいないことは悩みの種であった。全国にも同じような仲間がいることには違いないのだが、30代の終わりになってようやく浜松市内のケアマネジャーの指導的立場になった私なので、同年代の業界著名人に比べると、非常に世間が狭い。そこでネット情報や知人の縁をたどって仲間を募った結果、全国で20人ほどの独立型ケアマネと連絡が取れたので、浜松でシンポジウムと「独立・中立型介護支援専門員全国協議会」の設立大会を開催した。

この弱小団体でしばらく代表を務めたことにより、結構全国各地を回るなど「散財」もしてしまったが、結果的にそれも「投資」となって、さまざまな立場の業界人とつながることができた。また、団体を代表する形で三回ほど厚生労働省へも赴き、小さな声ながら政策提言も提出している。私が代表を退いた後、団体自体はフェイドアウトしてしまったが、私自身としては次の転換のために良い経験だったと評価している。

Photo

43歳のとき、有限会社を設立して、居宅介護支援事業をそちらに移し、事務所も自分でマンションの一角を借りた。家主さんの二男さんが社会福祉士(いまは市の職員)で、私から見ると業界の後輩に当たるため、家主さんも何かと好意的な対応をしてくださり、たいへんありがたく思っている。

遅ればせながら、44歳から静岡県の介護支援専門員指導者の一人に加わり、全県レベルで後進の育成に当たることになった。何年か研修での指導(演習指導者、講師等)を続けているうちに、強く感じたのは、多くのケアマネジャーや介護職員が、保健・医療・福祉の狭い業界で生きてきたため、一般的な社会人としてのマナーに欠けていることである。業界の常識が世間の非常識になってしまっているのだ。

もちろん、この点では私自身も偉そうに言えたものではない。とあるマナー本を購入してチェックしたところ、できていたことが約4割、知っていたができていなかったことが約3割、そもそも知らなかったことが約3割であった。独立型ケアマネジャーとして、「客商売」に心がけていたはずの私でも、そんな体たらくだった。

(次回へ続く)

フォト
無料ブログはココログ
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

他のアカウント