仲間との交流

2018年11月18日 (日)

機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない!

浜松やその周辺地域、静岡県西部の介護・福祉業界仲間には、歴史的な風土にも影響される、一つの特性が見られるようだ。

一言で言えば、多くの若手・中堅の業界人が「居座って動かない」のである。

誤解を招くかもしれないので補足するが、彼ら・彼女らは、自分が所属する職能団体や業界団体の研修会や大会など、いわばお定まりの枠の中の集まりであれば、普通に参加して他の都道府県の業界人たちと交流してくる。

しかし残念ながら、そこから先への広がりがない。

昨年のエントリーで、県西部のことを「大きな田舎」だと評したことがあった。いまでもその現実は変わっていない。なぜこの表現を使ったかと言うと、政令市の浜松が多様性のモデル地域であり、さまざまな種別の団体や活動が共存しているので、浜松近傍の業界人たちの多くは、他地域の人たちと意欲的に交流しなくても、自分たちで情報を充足できると錯覚してしまう状況になっているからだ。インターネットが普及してからは、なおさらその感がある。制度や政策の変転についても、坐したままで「そんなこと、私もわかっている」となってしまうのであろう。

これは見当違いも甚だしい。

クールな情報のパッケ-ジを受動的に受信して、「わかっている」と思っているだけであり、その変転にまつわる各々のコンテンツの生々しい諸相について、各地の現場での現実はどうなっているのか?といったホットな情報は、能動的に求めていかないと把握できないのだ。浜松近傍の業界人たちはそこに気が付いているのだろうか?

むろん、各人がそれぞれ、他地域の業界仲間に全く知り合いがいないわけではないのだから、そのような人たちと互いに意見交換する機会はあるだろう。だが、気心の知れた同窓生などであればともかく、研修会や大会で知己になっただけの人同士が、多くは本音を語ることもない。それは自分の側も同様なのではないか。このレベルの交流から得られる情報は、勢い、点を線で結ぶレベルのものばかりになってしまう。

それでは、点と線でなく、「面」や「体」をなしている、より重厚な情報を獲得するにはどうしたら良いのか?

そんな情報が黙っていても向こうから来てくれると思っていたら大間違いだ。

獲得するおもな方法は二つ。

一つは、自分が稀少価値のある情報や技術を持っていること。

私の場合は、一人親方のケアマネジャーとして、独立開業の形態を続けてきた実績がある。また、マイナーな分野ではあるが、介護業界における「産業日本語」の分野で著書も出している。誰もが欲しがる情報を持っているわけではないが、稀少価値の存在としての私と情報や知識を分かち合いたい人も、業界の一部には存在する。そのような方々が礼をもってアクセスしてくれば、私も答礼しながら、仲間としてお付き合いをしていく。やりとりが多くなれば、手持ちの開示しづらい事情や、先取りして実践されている状況などの情報も共有できるようになる。

もし、あなたが業界人であれば、自分はそのような情報や技術を持っているのか、自己評価してみると良い。いくら大きな法人や組織に所属していても、自分自身が情報や技術を持ち合わせていないのに、坐したままで他人の情報や技術をもらえるわけがない。

もう一つは、自分の側が相手のフィールドに出向くこと。

私が各地の業界仲間と気軽に行き来できるのは、長年の間にときどき、全国のさまざまな仲間がいる場所に臆面もなく顔を出して、いろいろな人と図々しく名刺交換してきたからである。どんなに収入が乏しくても、衣食住を削ってこれには投資を惜しまなかった。最初は独立型のケアマネジャーやそれに共感する人たちの集まる場が多かったが、次第に限定しないようになり、いまは業界を超えて、ラーメン道などでつながった異業種の方と会うこともしている。

働き盛りの業界人には、確かにそれぞれの事情もあろう。職場で自分が不在になると業務がうまく回転しない、家庭で育児などの役割分担に制約されて遠出できない、などなど。

しかし、各地で注目されている仲間と出会う「機会」が、あなたの事情に合わせていつまでも待ってくれることは絶対にない。これだけは確実だ。あなたが逃した機会は、すでに別の誰かが獲得して活用しているかも知れない。

特に東北、首都圏、関西、中国地方、九州などの業界では、一部の人たちが始めた先進的な試みに、共感する他地域の人たちが呼応してネットワークを形作っていくなど、さまざまな交歓の輪ができている。その一端に入ると入らないとでは、先々の情報量や先進性に大きな差が出ることもある。こちらから動かない限り、「大きな田舎」浜松へは東西いずれからも、この種のうねりが直接的に波及する可能性が少ないからだ。

こう考えると、自分自身の工夫で時間をこじ開け、費用をひねり出してでも、インフォーマルな業界仲間が集まる場へ出向いて、立体的な情報交換を心掛けるべきであろう。その意義は十分にあるし、しないことによる損失も大きい。自分自身が職場で(経営者、被用者の別なく)輝くためには、大切なステップなのだ。

「その気持ちはあるが、きっかけがつかめない」と言う人には、厳しいようだが、「自分で探せ!」と苦言を呈したい。私自身、いまでこそFacebookのお付き合いが主軸になっているが、まだSNSなど無かったころには、各種の掲示板で同志や話せる相手を探し回り、電話やメールでズケズケと連絡を取って、交流範囲を広げていったのだから。

いまはSNSがあるだけ恵まれた時代だと言えよう。Facebookが嫌いならば、他のSNSでも何でも良い。自分の間尺に合った交流手段はいくらでも転がっている。

居座って動かず、地域に閉じこもっているだけで、機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない。

浜松近傍の若手・中堅の業界人よ! 一歩踏み出す勇気を!

2018年9月18日 (火)

プロフェッショナルはどうあるべきか?

私の事業所の開業記念日は三つある(^^;

8月17日 看板「ジョアン」を掲げた日(17年前)

9月15日 居宅介護支援事業所ジョアンの指定を受けた日(同上。浜松NPOネットワークセンターに宿借りさせていただき開業した)

10月1日 有限会社ジョアンで仕事を始めた日(14年前)

どの日も私にとって大切な日だ。

一昨年の10月1日に15周年記念企画(ご参加は午後・夜間合わせて14都府県66名)を開催し、昨年の8月17日には16周年の交流会=二時間だけの飲み会(ご参加は5道県13名)を持った。今年は9月15日が土曜日に当たるので、4~5名でも集まっていただければ嬉しいなと思いながら、図々しく「開業17周年...を口実に飲もう会」を呼びかけてみた。

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結果、4県8名の方々が参加してくださった。在宅複合型施設・長上苑の施設長で、県ケアマネ協会の副会長でもいらっしゃる鈴木さん、北区でケアマネジャーをされている中川さん、西区で中古セニアカー販売業をされている中山さん、民間保険会社でお仕事をされている元介護支援専門員の松下さん、聖隷クリストファー大助産師専攻科教授の久保田君枝さん、神奈川県秦野市で協働型の独立居宅を運営されている松田智之さん、愛知県豊川市で介護事業の経営に携わっておられる平田節雄さん、奈良県在住で介護事業所の環境整備のため各地を回って指導しておられる山下総司(そうし)さんが、この二時間の飲み会のために集合してくださった。特に鈴木さん、中山さん、松田さんは三年連続のご参加となる。

それぞれお仕事の分野や活動されている地域が異なり、介護業界内外にわたる広い範囲になるが、どなたも周囲からの信頼が厚い方であり、とても心強い仲間だ。

まずは自己紹介から始まったが、主題になったのはもっぱら、介護に関連する専門職≒プロフェッショナルのあるべき姿である。今回は、利用者本位、現場業務の改善、人手不足、介護職の意識、医療連携、職員教育等々、「自分たちは何を基盤に仕事をすべきか?」を強く打ち出したミーティングになった。特に、看護師が介護現場の中で福祉系職員とどのように協働していくのかに関して、久保田さん、平田さん、松田さんが三者三様の立場で持論を述べ、そこに他のメンバーの意見が絡んで、実に興味深い展開となった。

また、介護職の今後のありかたについて、少し異なる業界で働く松下さんや、少し離れた立場の中山さんからの見方は、とても貴重であり、参考になった。

締めは山下さんのご見解。私たちが飲食したあとテーブルをわざわざ消毒するわけでもないし、私たちは決まって三時におやつを食べるわけではない。なのに全利用者に対してそうするのが当たり前になってしまっている施設が少なくない。業務のルーティーンに捉われて大切なものを忘れてしまっていないか? という投げ掛け。まさに、介護に携わるすべての人が振り返るべきことであろう。重みのあるお話であった。

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今回はやや広めながら、全員で一つのテーブルを囲みながらの会食であったため、お互いの顔が見えるインティミットな議論ができたことは、一つの大きな成果だと言えよう。勝手な推測だが、参加したメンバーの多くにとって、学び、持ち帰ったものは少なくなかったと思われる。

所用で早々に帰られた方もいたため、全員ではないが、お開きのあと集合写真(画像)も撮ってもらった。残念ながら、この日は「記念クーポン」を用意していなかったので、後日、みなさんに些少なりとも何か差し上げようかと考えている。

自分としては満足度大の飲み会。今後も業界内外の仲間がそれぞれの仕事に勤しむ中、私たちの常識が社会の非常識になってしまわないためにも、ときどきはこのような分かち合いの場を持ちたいものだ。

2018年6月25日 (月)

人と会い、人と語り...(5)

前回より続く)

巡礼を終えて向かったのは博多(福岡市内)。小倉からは静岡-浜松ぐらいの距離がある。定刻の11時半には5分ぐらい遅れてしまった(電車の博多着が5分遅れたため)が、待ち合わせ場所の「博多だるま総本店」に無事到着。

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ここで、本ブログに何度も登場してくださったジョージさん(=稲岡錠二さん。京丹後市)たちと合流。地元業界の重鎮・飯山明美さんや、長崎県から来着した諫早ドラッカーズの会、森芳正(もりよし まさし)さんや平川真さんたちの、ケアマネジャーのみなさんと一緒に、本場の博多とんこつラーメンを味わう。

そして、ホテルニューオータニ博多内にあるカフェレストラン「グリーンハウス」に集合。この日の企画「聞きたかとばってん!アンタなんしょ~と」に、遠く浜松から参戦した次第である。

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これはジョージさんが発起人になったもので、中堅・若手のケアマネジャーや介護職員が語り合うための場を作ったものだ。地元博多の髙﨑(たかざき)慎介さんや大関純平さんをはじめ、太宰府市の廣田弘樹(ひろき)さん、久留米市の岡田ヒロ子さん、林田亜紀さんらが参加された。それぞれ自分が何者なのかをプレゼンしながら、仕事や活動の現況、今後の展望などを語り合った(飯山さんは所用のため中座された)。

業界では厳しい環境の中にあって、中堅や若手のメンバーはよりよい仕事をしていくため、職場の外へ出て仲間づくりをする機会を求めている。日本中でアクティヴな中堅の業界人たちにより、このような場を作る試みが意欲的に展開されているが、ジョージさんは前のご勤務先を退職された後、地域の人たちの生活を支える「ライフデザインクリエーター」の職能を立ち上げ、全国各地の仲間と交流しつつ、人と人との輪を広げていく活動を続けておられる。

イベントは13時半から16時半までの三時間だったが、あっという間に過ぎてしまった。名残り惜しかったがお開きとなる。飯山さんや髙﨑さんたちがこれを受けて次の面白い企画を打ち出しそうな雰囲気だったので、楽しみである(残念ながら私は参加できそうもないが...)。

夕方から暗くなる時分まで、福岡城址や博多の街を散策。中洲まで来たあたりで結構歩き疲れたので、地下鉄で博多駅へ向かう。

駅2階の「めん街道」で、歌舞伎役者のG-sawaさん(HN)と待ち合わせ、行列の具合を勘案して「長浜ナンバーワン」で遅めの夕食。

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G-sawaさんと会うのは三回目だ。歌舞伎の演目は一か月単位なので、氏も6月中は博多で出演されている。上位の役者さんに従ってお仕事をもらう形なので(休演すると一か月失業することになってしまうから)、旅行などもままならないし、介護業界とは違うご苦労があろう。そのような中で、役者さん方は古い演目を墨守するだけでなく、観客に歌舞伎の魅力を味わってもらうために、協働してイノベーションや創造に取り組んでおられる。私たちの業界でも見習うべき点は少なくない。

互いの仕事やプライベートの話をしながら、ラーメンのほうは替え玉まで注文した(博多は一杯目の麺が少なめで替え玉を追加するパターンが多いようだ)。ジョージさんがすでに帰途に就かれたため、「キリシタン三人衆」が実現しなかったのは残念だが、それはまたの機会に。ちなみに、ジョージさんからG-sawaさんへと託された丹後の「塩」をしっかりお渡ししている(私もいただいた)。信徒にとって「塩」は特別な意味を持つものだから...(^^*

翌18日朝、小倉のホテルを出ようとした矢先、大阪北部地震の影響で新幹線が運転見合わせになってしまったので、岡山あたりでもう一泊することも覚悟して、行けるところまで行こうと、普通列車で東進した。途中、宮島を通る路線は亡き母と一緒に旅行した(2003年)ところなので、15年前を懐かしく思い出した。新幹線ならスルーしていたのだから、これも何かの巡り合わせだったのかも知れない。

広島の少し手前で運転再開の報を受け、広島から新幹線に乗り換える。新大阪の手前で入線の順送りを待たなければならなかったので、かなり遅延したが、そのあとは順調に走行して、浜松に無事帰着した。当初は15時頃の予定だったのが、19時過ぎの浜松着となった。新幹線のありがたさを実感したものである。地震の影響はなお大きい。被災した方々には心からお見舞いを申し上げたい。

この三日間の旅は、巡礼が主目的ではあったが、私にとっていろいろな意味で実りのあるものであった。

2018年1月20日 (土)

ところ変われば...

去る13日(土)、島根県の安来地域介護支援専門員協会からご依頼をいただき、同会の研修会における文章作成講座の講義のために、安来市まで出向いてきた。

安来市と言えば「どじょう」の街。「うなぎ」の街である浜松からお邪魔することになったのも、何かのご縁であろう。

今回お招きいただいたきっかけは、同団体の会長を務めておられる宇山広さん(お仕事は小規模多機能型居宅介護の所長。以前は島根県介護支援専門員協会の副会長もされていた)とFacebookでのつながりができ、宇山さんが私のしょうもない駄文に目を留めてくださったことだ。事情はともかく、私のようにマイナーな講師から見れば、わざわざ遠方から出講のご依頼をいただくのは、ありがたいことである。

早朝に家を出て、新幹線で西へ向かい、岡山駅で伯備線の特急「やくも」に乗り換える。今回は残念ながら素通りであったが、岡山の方から教えていただいた三好野の「祭り寿司」を駅で購入。「極(きわみ)」と称する1,480円のお弁当はなかなか豪華。こんなときでなければ味わえない一品だ。

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乗り継ぎを含めると、電車に乗ること約6時間。安来は島根県の東の入口であるにもかかわらず、浜松からはたっぷりと距離がある。

安来駅に到着すると、宇山さんご自身がお迎えに来てくださった。本当は握手をしたかったのだが、私の両手は皮脂欠乏症に加えて「遠州のからっ風」の影響もあり、「あかぎれ」がひどかったので、ご迷惑になってはと思い断念。雪道の中、宇山さんのお車で広瀬町の会場まで向かう。15時から講義開始。

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演習を含めて三時間。おそらく安来地域のケアマネジャーさんたちの大部分は、社会人になってから「国語の授業」を受けることになるとは想像されていなかったのではないか。文章の出来次第で意図が伝わらないことも起こり得ることを例示しながら、簡単な国文法に踏み込んで、助動詞や助詞「てにをは」の使い方について解説。終盤では、単なる文章作成技術の向上で終わるのではなく、それを私たちの仕事の評価につなげていくことが大切であることを説いた。

研修会が終了したあと、駅近くで宇山さんと一杯。途中からは、遠路、大田市から駆け付けてくださった野際智紀さん(宇山さんの友人、同じく小規模多機能の管理者)が合流。野際さんともFacebookでつながっており、先年は東京で昼食をご一緒する計画もあったが、氏の予定変更により、お会いするのを逸したことがある。そのこともあり、三人で鍋を囲んだのは嬉しいひとときであった。

島根県は「アローチャート」の先進地域でもあるので、お二人はこの分野への造詣も深い。とは言え、それをどう使いこなすのか、考え方には人それぞれに差異も大きいようだ。お二人からは、学会などにおける研究成果積み上げとは別に、現場のアセスメントで誰もが使いやすいものをどう普及させるかの課題についても、検討が求められていることへの言及があった。「陸の孤島」である浜松のアローチャート自主勉強会「矢万図浜松」としても、大いに参考になるお話が聴けたと思う。

一夜が明けて、朝、ホテルの外へ出ると、昨夜から降り続いた雪景色。雪道用のブーツを履いてきたのは正解であった。

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チェックアウトした後、お二人のご案内で西へ。日曜日であったが、途中で宇山さんのもとに事業所のスタッフから相談の電話が入る。小規模多機能は臨機応変に対応できるメリットがある一方、包括報酬であるためどうしてもオーバーワークになりやすい。現実にはどの事業所も、運営にかなり厳しい面が出ているとのことで、安来市のような人口密度が少ない地域であればなおさら、遠隔地の利用者のためにどこまで対応するのか、悩ましいところであろう。

午前中に松江まで出向き、松江城近傍を見学。天守閣には昔登ったことがあるので、今回は時間の制約から割愛し、周辺の建物や武家屋敷を散策した。

この辺りの名所は江戸時代の遺構だけではない。城の近くには旧日銀松江支店の建物を活用した「カラコロ工房」なる場所もある。伝統と前衛とが交錯したユニークな空間だ。ファッションを軸に、グルメや体験コーナーもあり、地元の人も旅行者も楽しめる店がいくつも共存している。

昼食後、地元のキャンペーンをしている「お侍さん」たちにお願いして、記念写真を撮ってもらった。私の向かって左が宇山さん、右が野際さん。散策終了後、野際さんは好きなお酒を求めて別方向へ。

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安来へ戻る車中で、宇山さんが島根県の介護業界の現状をお話しくださった。他県同様に人材不足であるが、ケアマネジャーの研修指導陣にしても、いま中核になっておられる宇山さんや野際さんの世代である40代の方々が、その次の世代の人材を発掘するのが難しく、苦労されているとのこと。当・静岡県の状況に比較すると、かなり深刻かと受け止めた。この現状を国の政策担当者はどこまで実感し把握しているのだろうか。

いろいろな思いを巡らしながら、安来駅で宇山さんと別れ、帰路は再び「やくも」に乗り、岡山経由で新幹線に乗り換え、浜松へ戻った。

ところ変われば事情も変わる。静岡県や浜松市でも業界の課題は少なくないが、他の地域と比較参照することにより、別の視点からの知見が加わる。今回の目的は出講であったが、自分自身の学びの機会を持つこともできた、たいへん有意義な二日間であった。

2017年10月18日 (水)

輝いてください☆

浜松の、いや周辺の市町も加えて、静岡県西部地区の介護業界は、ある意味「大きな田舎」である。関東や関西、あるいはその他の地域で、当地より一歩も二歩も先んじたアクションが起こり、それが全国的に大きなうねりを作ろうとする形勢にあっても、なかなかそれらの動きについて行くことができない。

介護業界の括りにかかわらず、保健、医療、あるいは福祉の業界では、「やらまいか精神」で注目すべき活動をしている人たちが当地にも結構見受けられるのだが、なかなか「全国区」でのダイナミックなアクションに結び付いていると言い難いのは、寂しい限りである。

私も、かつてはブログや掲示板、あるいは同業のMLなどをきっかけに、全国各地を旅しながら業界の友人たちと交流させていただき、最近はFacebookの助けもあって、多くのすばらしい仲間とネットで結び付くことができたが、2月に母が要介護状態になってからこのかた、行動が制約され、なかなか自分から他県まで出かける機会を持てずにいた。

そこで、去る14日、他の用事も兼ねて東京へ一泊ツアーを敢行。数人の方にお声掛けしてディナーにお誘いしたのだが、ご用事で参加できなかった方もあり、新宿の「KICHIRI」で三人の方とテーブルを囲むことになった。

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相模原市在住の認知症介護指導者・認知症ケア専門士、阿部敦子さんは、「認知症ONLINE」のサイトで認知症介護小説『その人の世界』を執筆されている。家族側や支援者側から見た認知症の姿ではなく、徹底した利用者目線で一人ひとりに「何が起こっているのか?」を導き出そうとする短編小説の連作は、利用者本位の介護を究めようとするすばらしい試みだ。すでに29作まで紹介されている。

都内在住の管理栄養士、林裕子さんは、患者(利用者)本位の在宅医療で全国から注目されている、悠翔会在宅クリニック・在宅NSTチームに所属されている。他の医療職と協働して、「摂食」「栄養」「嚥下」などの側面から多くの人たちの在宅生活を支える、訪問栄養指導のスタッフのお一人である。一般にはまだまだ普及していない訪問管理栄養士としてのお仕事をされている。

奥平幹也さんは、以前のエントリー「人と会い、人と語り...(2)」にもご登場いただいた。その後、「ミライ塾」はNHKの番組でも取り上げられ、その取り組みが全国的に紹介されたこともあり、最近は各地を回るなどのご多忙な日々が続く。

実は阿部さんと林さんとは、FB上で私の「ダジャレ友達(正しくは「言葉遊びの友達」かな?)」でもあるのだが、お目にかかるのは今回が初めてであった。お会いしてお二人ともステキな女性であるとの認識を新たにしたことは、説明の要もないと思う(^^*

(なお、顔出しNGの方がおられたので、画像は料理のみである)

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阿部さんは、現在のところ本業の傍ら、短編小説をポランティアで執筆されている。奥平さんから、他の方のことはともかく、阿部さんの作品は対価を受けるだけの価値があると思うとのご意見があった。私も、せっかくの力作が悪用・盗用などされないように、著作権を守る手立てを講じるべきだと述べさせていただいた。阿部さんも今後の対応については考えるところがあったようだ。

個人的には、保健・医療・福祉に携わる方すべてに、ぜひ『その人の世界』を全編お読みいただきたいと思う。阿部さんにはさらに書き続けていただき、いずれこの小説が紙媒体で出版され、業界の教科書になることを期待したい。

奥平さんの「ミライ塾」塾生たちは、すでに三期目に入っている。この塾は介護の現場で働きながら奨学金を返済し、そのあとは一人ひとりに合った職業に就いて(もちろん、介護でも良いのだが)、社会に羽ばたいていくのが理想だ。しかし、しっかり足元固めをして独り立ちしようと研鑽を怠らない学生が多い一方で、中には若さゆえの気のゆるみや、社会人としての経験の浅い面が露呈してしまう学生もいる。現実には奥平さんがそれらの課題解決に向けてサポートしているとのお話があった。

学生のフォローアップは、学生の就労先法人→関連団体からの支援を受けているとは言え、奥平さんの過重負担が大きくなっているようだ。ミライ塾の取り組みが画期的なものであるだけに、長く続けられることを思えば、お一人に負担がかかる状況が軽減されることは大切である。学生の卒業までに社会人として磨き上げていくのがミライ塾の目指すところだ。今後はどこかの基金を活用するなどして、サポートしてくれる要員を確保できないものか。喫緊の課題になろう。

談話の中で、一般的に奨学金を返せない人が増えている事情は、就労してからの収入が伴わないなどシステム上の問題がないとは言えないが、本人の意識に係る要因が大きいとの議論もなされた。林さんもご自身の経験を踏まえ、借りたものは責任を持って計画的に返済すべきことを指摘された。私も同意見だ。

林さんからは、栄養士の給与が医療職の中ではいまだ低く抑えられている現状のお話があった。給与待遇面のみならず、一般的には管理栄養士が在宅訪問する場面は限られており、悠翔会さんのように在宅NSTを推進する医療機関は少数だ。栄養士さんたちが活躍することで、高齢者などの入院に至るリスクを減らし、医療、介護双方の社会保障費を抑制する効果もあるのだ。林さんも複数の業界誌などにお仕事での取り組みを投稿されているが、今後は市民啓発にも一層力を注ぐ必要があるかも知れない。

ちなみに、林さんはおもに電車を使って利用者さんを訪問されており、本当は自転車も併用したいらしい。私自身、ケアマネジャーとしての居宅訪問は徒歩やバス利用の割合が多いので、安易に車を使わないスタイルには共感できる。

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私から見れば一回り以上若い方々とのトークであったが、とても実りある時間であった。自分自身の生涯学習のためには、これからも年代に関係なく、価値のあるお仕事をしている方とは、親しく交流していきたいと考えている。

トークに付き合ってくださった方々(および、今回参加いただけなかった方々を含め)は、それぞれの分野で先駆的な方である。しかし、いまだ介護業界、保健・医療・福祉業界の中で、ふさわしい声価を得ていないというのが、私の正直な感想だ。ヒーローやヒロインを作ることが業界にとって良いという意味ではない。より多くの人たちに携わってほしい分野を開拓していく人、いわば牽引車のような人が、どの分野にも必要なのだ。その人たちがスポットライトを浴びることにより、協働する人たちが増え、私たちの業界、ひいては市民社会に大きく寄与することになるのだから。

阿部さん、林さん、奥平さん。もっともっと輝いてください☆ 及ばずながら、私もできる限り応援します!

2017年8月18日 (金)

17年目の航海へ

親の介護を抱えると、離職しないまでも情報弱者になりかねない状況になるのだが、逆にそういうときこそ、人寄せをして孤立化を回避すべきであろう。

昨日は、2001年8月17日に「ジョアン」の看板を掲げて開業してから、満16年に当たる日なので、開業記念を口実に、浜松で一杯やろう会...との名目で、内輪の懇親会を企画してみた。

Facebook友達のうち、比較的距離感が近い三分の一ほどの方々、また当地のケアマネジャーでは、私とご一緒に市ケアマネ連絡協の役員を務めてくださった近しい方々を中心に、役員ではなくとも勉強熱心な方などにお声掛けした。しかし、お盆明けの多忙な時期であり、平日のたった二時間の飲み会ということもあって、来場してくださったのは浜松で半数程度、市外で一割程度にとどまった。それでも5道県から13人の方々が参加してくださったことには、心から感謝申し上げたい。

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特に、ネット上では15年前からのお付き合いであり、6年前に作文教室の冊子を自費出版した際にはブログでPRいただき本当にお世話になった、介護福祉道場「あかい花」の菊地雅洋さん(前列、パネルの隣)は、折しも他用で浜松にご滞在中だったため、貴重なお時間を使ってこの会に出向いてくださった(むしろ、菊地さんがこの日に在浜されているので、平日の飲み会を敢行したと言うほうが正確だ(^^;)。また、過去のエントリーでも登場願った、私の「歴友」岡山の渡邊さん(後列、向かって左から四人目)と、協働で独立型居宅を運営されている秦野の松田さん(同、左から五人目)とは、昨年の15周年記念行事に続き、遠路をいとわず二年連続で駆け付けてくださった。

さて、当面の課題は、すでに各サイトが報じている通り、独立型、特に一人親方の介護支援専門員が、どこまで制度上の仕事を続けていくことができるかということになるが、これに関連して、参加者のお一人から眉を顰める情報が飛び込んできた。

とある地方で一人親方として居宅介護支援事業所を自営していた介護支援専門員が、複数の場面で不正行為を重ね、指定取り消しになったのである。それも、その地方ではそれなりの知名度もあり、複数の団体で役職も歴任していた人物なのだ。これによって、政策側や医療系団体から、「一人親方ケアマネは危ない」との論調が強まることが予想される。

実は、私自身も、一人親方ケアマネは危ないと思う。

こう言うと意外に感じる読者があるかも知れないが、真意は、「基盤が弱いところに立っている人間は、初心が崩れると倫理的にも心が弱くなる」...である。

当該人物も最初はコンプライアンスを意識しながら、事業所の運営を軌道に乗せようと努めたであろう。しかし、独立して公正中立を守ってケアマネジメントを展開しても、制度の動向や周囲の情勢は、好転するどころか、どんどん悪化している。そのようなところで、倫理感覚を保つのがいかに難しいことか、何よりも16年間仕事を続けてきた私自身が実感している。当該人物は哀れにも転落して、さげすまれる存在になってしまったようだが、次は私自身がそうならないとも言い切れないのだ。

政策側が今後一人親方の介護支援専門員に求めてくるであろう「ネットワーク化」は、皮肉なことに、政策側が独立・中立の一人親方を報酬の上で評価してくれないところから、必要性が高まっていると、私は考えている。協業する仲間は、「病気や事故に遭ったとき」のために必要だと言うより、むしろ「倫理感覚を失いそうになったとき」のために必要なのだ。前者であれば、他の居宅介護支援事業所に利用者を委ねれば良いが、後者の場合は、公正中立や公益性などケアマネジャーとしての根本的なミッションが音を立てて崩れていくのである。

正直者がバカを見てはならない。しかし、正直者でいることがバカバカしくなる人は当然出てくるのだ。そのとき、「われわれは正直者でいこう!」と励まし合って、補い合える人がいるかいないか、それは今後の独立・中立型居宅、特に一人親方の動向を大きく左右するのではないか。

昨日の会で参加者と楽しく語らいながらも、この点を痛感した。

私の事業所は17年目に突入したが、この一年の最大の課題は、これから自分らしくケアマネジメントを展開していきたい地域の独立・中立型ケアマネジャーのために、協業しながら支え合う仲間を作っていくことであろうと感じている。

2016年10月 8日 (土)

大きな転換期

私がケアマネジャーとして開業15年、一つの大きな転換期を迎えたと言うことができる。その節目として、10月1日に、自分自身の「記念のつどい」を企画・開催してみた。

これはクローズ企画であり、お声掛けした方は全部で280名ほど。そのうち、来場してくださった方は、北は福島県、南は宮崎県まで14都府県に及び、全部で62名。うち研修会が58名、懇親会が48名(大部分は重複)であった。62名の内訳は、静岡県内が32名、県外が30名。4割以上が県外の方であり、その多くは泊まり掛けで遠路浜松までお越しくださった。

著名な論者でも学識経験者でもない、一人のケアマネジャーである私が開催した、事実上の個人企画に、これだけの方々がお集まりくださったことには、ただただ感謝・感激するばかりだ。

半年前から少しずつ準備を重ね、十日ほど前からは多忙な日々が続いたが、当日になると快い緊張感で満たされていた。講義や講演などにときどき呼んでいただくうちに、大きな節目に当たっても自分のコンディションを整えるすべを身に付けたと言うことか。とは言え、当日の運営は一人で難しかったことは確かであり、従妹夫妻と、厚有出版の社長・編集担当者(著書の販売も兼ねて)とが応援に来てくれたのは、とても助かった。

午後の企画は、14時からクリエート浜松で開催。冒頭のあいさつ、ご祝辞、ご祝電披露と、まずはセレモニーから。

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研修会前半は、記念講演と称して一時間半、独演会をやらせていただいた。ここでしか話せない内容を満載して、数発のダジャレを散りばめたのはもちろんのこと、「水戸黄門」を全く異なるコンテクストで4回登場させ(いばらき福祉研究会の小林和広さんや北野さんのお顔を立てて...)、さらに放送禁止用語(?)にまで言及。会場では何人かの方に振ってご意見を求める部分もあり、結果は10分ほど延長してしまったが、歯に衣着せぬ話を洗いざらいしゃべらせていただき、実に爽快であった。

後半はシンポジウム。私の著書にちなんで「これでいいのか? 日本の介護」が主題。コーディネーターが石田英一郎さん(アシストケアプランセンター昭島・取締役)、シンポジストが佐々木香織さん(あるぷすヘルパーステーション管理者/相馬市)と稲岡錠二さん(北丹後福祉会 在宅介護課長/京丹後市)。お名前を見る限りでは介護業界「イロモノ隊」の観が強いが、もちろん内容は真面目な話である。特に丹後や相馬の介護現場をめぐる状況は、ナマで聴ける機会に乏しいだけに、浜松からの参加者にとっても学びになったようだ。

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夜、18時からは、場所をハートランドに移して懇親会。古井慶治さん(ふるい後見事務所所長・社会福祉士/静岡市)による乾杯の音頭でスタート。

この懇親会は「融和」「友愛」をテーマにしたつもりだが、それだけに事前の準備はかなり周到に行った。参加申込は前日の夕方に締め切ってFacebookでも通告、さらにFacebookを見ていない浜松周辺の方で、当日飛び入り可能だと誤解している人がいないか、可能性のある人たち全員に、前夜のうちに電話を掛け、来場されるかされないかの最終確認をした。主張の隔たりが大き過ぎる人同士や、齟齬が生じてしまった人同士などが、最初は同じテーブルにならないように、また私の関係者の輪に初めて参加する人が孤立しないように、また男性だけ・女性だけにならないように、眠気を我慢しながら(笑)約一時間かけて作業して、テーブルの配置を決めたのである。

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その上で参加者のみなさんに、宴が始まってからは自由に行き来していただき、有意義な交歓の場にしてくださるようにお願いした。結果として、初対面ながら会話が盛り上がったり、距離を置いていた人同士が仲直りしたりと、良い成果を上げられた二時間になったかと、勝手に(笑)自画自賛している。

途中で3~4回、「ライジングポーズ」でカメラに収まった記憶がある。下の画像はちょっと暗めに写っているが、関西アホ仲間+関東の〇〇〇〇仲間で。向かって私の左下、岡肇也(としや)さん(会社で高齢者施設入居案内を担当され、お仕事は東京都内)と、右下で稲岡さんに虐待されている(?)幸地伸哉(こうち しんや)さん(グローバルウォーク代表取締役)とは、著書「これでいいのか...」の第12章にも登場いただいた。私の左隣が過去エントリーに登場された小田原貴之さん(医療機関併設居宅のケアマネジャー/明石市)、一番左が白井法子さん(レインボー西宮=グループホーム・デイサービス等=施設長)。右隣は高阪史生(たかさか ふみお)さん(ウェルソル株式会社代表取締役=介護・福祉関係の人材・企画のコーディネートを実践/渋谷区)である。

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実は、つい先月11日、オペラ鑑賞の後で夕食をご一緒したのが岡さんだったのだ。介護業界から少し離れた立場にあって、課題をズバッと指摘してくださる、数少ない貴重な仲間である。その前、8月にはサッカー観戦の目的で浜松に来訪された小田原さんとも昼食をご一緒して、地域事情について情報交換するなど、私も人と語る機会を大切にしてきた。

最後は関西中堅経営者の重鎮、幸地さんの締めで閉幕。

散会後、お決まりのラー店へ。会場界隈でイチ押しの「細麺三太」が若い人たちに人気があるため、土曜日の夜は厳しいかな、と思っていたが、意外にも12人が一緒に入店できた。従妹夫妻は別の席を選んだので、「ナントカ仲間(?)」7人に、齋藤由美さん(オフィスそら/宮崎市)+松田智之さん(秦野福祉会)+次田(つくだ)芳尚さん(介護支援サービス)らの社長仲間を加えてテーブルを囲む。

向かって私の左隣が次田さんで、介護支援専門員の資格を持ちながら、介護現場とITとを結び付けるお仕事をされている。その対面側手前が松田さんであり、NPO法人で複数のケアマネジャーとともに独立型居宅を運営、厚労省の介護保険部会も傍聴してFB友達にアウトラインを伝えてくださっている。昨年航空自衛隊のエアフェスタで来浜された斎藤さんは、今年はお仕事の関係でエアフェスタのほうを断念されるとのこと。

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ご用事の関係で明朝早く戻らなければならない方もいらっしゃったが、多くは浜松の観光を楽しんでから帰宅されたようだ。ただし意外にも、NHK大河で盛り上がっている奥浜名湖のほうへ行かれた方はほとんどなかったらしい。行くと結構時間がかかるので、ゆっくり回りたいのならば機会を改めてのほうが良いのかも知れない。

さて、以前のエントリーでも指摘したが、若いリーダーが主導するものに限らず、介護・福祉業界の団体・企画には限界が見られる。特別な人以外は脇役にされたり、参加に不便な人が主流から取り残されたり、といったような。確かに一つ一つの団体や企画にはすばらしいものがあるのだが、「自分」「自組織」「自前組織」の意識が強いと、なかなか悪循環から抜け出すことが難しい。私自身、独立・中立型介護支援専門員全国協議会を運営してきた際の失敗を、記念講演では正直に告白した。

そこで、今回、私が提唱したのは「次郎長サロン(仮称)」。エラそうな名称だが、もちろん私が業界の清水次郎長を演じようということでは決してない。そもそも、そんな力もない。

社会保障が大きく後退しようとしている節目に当たって、介護・福祉業界全体の「融和」「協調」「大同団結」をテーマにした「場」を作ることができないだろうか? ということだ。これまで結びつきが希薄だった、接点に乏しかった人たちをつなぐ。また、見解の溝が埋まらずに袂を分かったり、不快な行動や態度を取られて反目したり、共感できずに接点を避けたりといった、負の関係にある人たちの和解を図っていく。このようなことができれば、私たちの業界に大きな果実をもたらすのではないだろうか。

そのためには、自意識が強過ぎるとうまくいかない。常に一歩引きながら、全体をコーディネートしていく力が必要になる。不器用な私一人では到底実現できないことだが、上述の白井さんや高阪さんのような、人と人とを結び付ける橋渡しに長けた方々をはじめ、多くの方々の協力を得られれば、決して不可能ではない。

今回、前半で私の言いたいことを言わせていただき、研修会後半や懇親会では、「次郎長サロン(仮称)」の試みの第一歩を踏み出した形だ。幸い、多くの参加者から好意的に受け取っていただけたようなので、次の一歩をどう進めるのか、参加された方もされなかった方も合わせて、みなさんのお知恵をお借りしたい次第だ。

自分から動き、信じて前へ進み、希望を捨てない!

これからの道を、そのように歩みたいと考えている。

2016年8月17日 (水)

開業15年、明日へ!

私が2001年8月17日に「ジョアン」の看板を掲げて相談受付を開始(居宅介護支援事業者指定は9月15日)してから、きょうで満15年になる。

「開業→独立・中立型ケアマネジャー」15年の歩みを支えてくださった、また声援を送ってくださった全国の方々に、心からお礼を申し上げたい。

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上の画像は開業当初のころ。夏でも長袖を着ていた日があった(行先での空調対策)のは確かだが、スラックスから判断すると、少し後の秋ごろの写真だった可能性もある。

これまでの経過は「30年の思い(1) (2) (3) (4)」につづっておいたので、繰り返さないが、前人未踏と言うべき道をここまで歩んでくることができたのは、私が所属しているいろいろなネットワークの力が大きい。いま自分が所属している集団を、この機会に列挙してみよう。各団体では特段のお世話になった何人かの方がいらっしゃるが、個人名は省略させていただくことを了解されたい。

1.カトリック教会

1984年に関口教会(東京カテドラル)で洗礼を受けてから、信仰は私の精神的な基盤である。1985年に三方原教会(浜松市)、1994年に浜松教会へ信徒としての籍を移している。

2.多文化共生に携わる市民活動団体

1989年に「外国人労働者と共に生きる会・浜松」=「へるすの会」のメンバーとなり、アジア・南米をはじめとする移住労働者の問題に取り組んだ(いまは発展的に解消)。1996年には「へるすの会」の活動の一環として浜松の医師・歯科医師・中小企業経営者・外国人支援ボランティアなどの有志と協働して、おもに保険未加入の外国人市民を対象とした無料検診会の開催に参画、1997年から同志とともに市民活動団体・浜松外国人医療援助会(MAF Hamamatsu)の創設・運営に携わった。この団体は2011年に第一生命(株)主催の第63回保健文化賞を受賞している。ここで中核的な立場にあった医師をはじめ、ボランティア仲間の何人もの先生が、私に居宅介護支援の利用者を紹介してくださっている。

3.社会福祉士会

1992年に社会福祉士の資格取得。直後に県士会に入会。2006~11年、静岡県社会福祉士会第三者評価事業部のコーディネート担当として、同会の公益事業である福祉サービス第三者評価事業に参画し、2013年まで評価調査者を務め、私の貴重な副業でもあった。その後は事情があり退任し、いまは一会員となっており、またソーシャルワーカーに関する自分の見解と相違することから、認定社会福祉士資格は取得しない意向である。

4.浜松NPOネットワークセンター

1998年、行政の情報公開を求める市民たちが中心になって結成した「浜松NPOネットワークセンター(N-Pocket)」の会員となる。2000年には同法人での「宿借り」を承認していただき、居宅介護支援事業を開設、全面的にバックアップしていただいた。2003年に有限会社を設立した後に事務所と法人格を離れるが、その後も団体正会員の立場で、同法人スタッフからの介護相談等の依頼は原則として対応、受任している。

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上の画像は宿借りした開業当時の事務所内部。まだデスクマットもテーブルクロスも用意していなかった(^^;

5.介護支援専門員協会と当地の介護業界仲間

1999年、浜松市が招集した「介護支援専門員代表者会議」の委員としてケアマネジャーの意思決定に参画し、2000年に浜松市介護支援専門員連絡協議会が設立されると役員に就任。2005年、静岡県の介護支援専門員研修指導者の一人に加えられ、現任研修や実務研修の演習指導を手伝い、研修の実施主体が静岡県介護支援専門員連絡協議会(現・静岡県介護支援専門員協会)へ移った後も、そのまま指導者として留任している。2009年から静岡県介護支援専門員協会の役員として、県内外の団体や有識者等との連絡調整に当たっている。法定研修・自主研修で講師・指導者として登壇、また県内各地区の団体から講義のご依頼を受け、出向いたこともあった。また地域では地元の地域包括支援センターが在宅介護支援センター時代から断続的に利用者の紹介をしてくださっており、あえて積極的営業をやらないスタイルの私にとってはたいへん助かっている。

6.独立型ケアマネジャーの仲間

2002年、日本でも稀少な独立型の同志と連絡を取り合い、翌年には独立・中立型介護支援専門員全国協議会を設立、中心メンバーの一人として活動し、厚生労働省にも政策提言を届ける。その後、同会が活動停滞状態に陥ったため、2012年には退会した。2013にFacebookにアカウント登録して、同様な独立型のケアマネジャーたちと交流を深め、情報交換を続けている。より近く「同業者」と呼べる方々の活躍は、自分自身の振り返りと励みになっている。

7.冊子購入者の方々

2011年、会社が赤字続きで倒産の危機に陥ったとき、苦し紛れに『ケアマネジャー・介護・福祉職員のための作文教室(基礎編・応用編)』の冊子を自費で発行したことがあった。とある方がお薦めの一品としてブログで紹介してくださったのをはじめ、複数の方からネットで紹介いただいたことが奏効し、財政危機をしのぐことができた。このとき冊子を購入してくださった方々のうち、いまもネットを介してつながっている方が何十人かおられる(一部の方からは講師としてお招きいただいている)。

8.「リアル」の仲間

2013年、Facebookでつながった旧知の方々とのご縁で仲間入りした。ずっと以前からブログの読者同士としてつながっていた業界仲間たちが、「○○リアル」と称して各地に集まって懇親を深めている。茨城(←講師としてお招きいただいた)・愛知・長野・神奈川・千葉・群馬・福島、また九州の方も参加しており、メンバーの分布は結構広い。ヘビースモーカーが多いので、喉の不具合がある私としては、何人かの方と個別にお会いするのを別として、ふだんはネット上でのお付き合いが主流。

9.関西アホ仲間

2013年、Facebook上のお付き合いの中、某黒幕からラーメンを愛する同好の士のグループに入会させられてしまった。その関西支部がこれだ(親団体が秘密のグループなので、やむを得ず「関西アホ仲間」と仮称している)。京都府丹後地区(←講師としてお招きいただいた)・兵庫県・大阪府・和歌山県・奈良県のメンバーが中心。私も遠路いとわず年一回程度は参加し、代表から「お前アホや」と言われている。

10.アローチャート研究会

2014年、数年前に研究開発されたケアマネジャーの論理的思考のためのツール「アローチャート」を学ぶ機会を得た。浜松でも関心のある人たちと一緒に自主勉強会「矢万図(やまと)浜松」を発足させ、その年に開かれた第一回の学会にも参加して創設者の方や先達の方々とも交流、研究会の一員として普及に協力している。

このような多くのネットワークに支えられて、いまの私がある。

同じように独立型の事業形態を採りながら、一匹狼のごとく超然としているケアマネジャーもあるようだが、そのスタイルでは業界での意思疎通以前に、利用者にとって最善のケアマネジメントができると思われない。

これからも多くの人たちとの良い関係を大切にしながら、さらに16年、17年と先をめざし、自分の流儀で仕事を続けていきたい。

2016年7月15日 (金)

人と会い、人と語り・・・(4)

自分の信仰がカトリックで、介護業界に身を置いている私としては、どうしてもこの二つのどちらかの属性を共有する人と同席することが多くなるのは、自然の勢いである。しかし、このところ少し状況が変化した。

4月24日に岐阜でお会いした伊東亜樹(つぐき)さんは、5年前に私が自費出版した『作文教室』の冊子をご購入くださった方だが、Facebookで(そもそも私のリクエスト押し間違いから)友達になってくださるまで、私の頭からお名前が全く欠落していた。正直に言うと、6年前に伊東さんは同じ法人の高齢者部門でお仕事をされており、冊子購入のときの振込通知にあったお名前の字面から、私のほうはてっきり女性のお名前だと勘違いしていた(汗)という、お粗末な話なのである。

いまは法人内で昇任されて、青少年のための児童養護施設で施設長をされている(お齢は三十代後半の)伊東さんと、岐阜でお会いすることになり、昼食は岐阜駅前の「麺や六三六(本拠地は神戸)」をご案内いただいた。煮干し・昆布・野菜が混じり合ったスープが実に美味しい!

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ご勤務先の社会福祉法人愛燦会は、高齢者・障害者・児童の福祉各部門にわたる事業所を経営しており、木曽川をはさむ濃尾平野の東西、岐阜県から愛知県へとまたがっている。名古屋の郊外地域を巻き込む立地であるため、今後も各部門で利用者のニーズの増加や多様化が見込まれ、人材活用が急務になっている。

伊東さんからお聞きした話の中で注目されるのは、同法人の社会的役割と人材育成とをマッチングさせようとする試みである。一つはいわゆる18歳問題を解決するため、養護施設を巣立つ青年たちのうち希望者に、同法人内で就労するチャンスを提供しようというものだ。たとえ将来他業種へ転身するとしても、高齢者や障害者の事業所で働いた経験があれば、さまざまな形で役に立つのだから、私が提唱する「部分的介護就労」の考え方とも重なるものがある。

もう一つは、外国人研修生・技能実習生の活用である。この制度は拙著『これでいいのか?日本の介護』にも触れた通り、安価な労働力を確保するための方便に悪用されてしまっているので、私は旧来のまま運用されるのであれば廃止してほしい制度だと考えている。しかし伊東さんの法人では、むしろ研修生や技能実習生のために適正な労働環境を用意することで、将来的な介護労働力として活用する可能性を模索する方向である。この制度が介護分野にも適用されるのと同時に、抜本的な改善がなされることが条件になるとは言え、同法人の選択は一つの見識であろう。

「介護の場に人が欲しい」ことを先に考えてしまうと、壁にぶつかってしまう。逆に「働きたい人が不当な搾取を受けず、安心して労働できる場を用意する」ことから入るのは、いわば発想の転換である。一時的に苦しい場面があっても、同法人が長期計画で人材育成に取り組むのであれば、未来は明るい。伊東さんのような中間管理職の層が厚く、異部門同士の横の連携が円滑にできれば、それが可能になる。

私にとっても大いに学びになった対談であり、伊東さんには貴重な出会いにお礼を申し上げたい。

それから二か月余り。

7月3日には名古屋駅近くで、国内システム開発会社で仕事をされているシステムエンジニア、辻保行さんとラーメンをご一緒する機会を得た。辻さんは市川澤路さん(歌舞伎)のご友人であり、ラー友の団体(名称は開示できないが、あの「関西アホ仲間」の親団体になる^^;)を通して知り合った方だ。私も昔、短期間であるが千種区に住んだことがあり、中村区には母の実家もあるので、地下鉄東山線つながりでFacebook友達になっていただいた。

昼食は名駅から少し西へ歩いた「にぼしらーめん88」。ここは濃厚魚介とんこつ系の煮干しスープで、六三六とは違った旨味が何とも言えない。また来たい味である。

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辻さん(四十代前半)は金沢のご出身で、名古屋には過去に一度、今回は数年前から赴任されている。本当のラーメン通で、他にも東山線沿線のラー店をいくつか紹介してくださった。私もこんど名古屋へ行ったときには、順番に食べ歩こうと目論んでいる。

さて、異業種の方と語ることは、私たちの業界の常識を見直す機会にもなる。辻さんはご自身のお仕事について気さくに話してくださったが、具体的な仕事内容を語るときには決して顧客を特定されるような表現をされず、逆に顧客を推定される語りのときには決して具体的に立ち入った仕事内容には言及されなかった。

セキュリティに関わるお仕事なのだから、守秘義務が厳格なのは当然であるが、本来、どの業界でもそうあるべきなのだ。しかし残念ながら、介護従事者の口の軽さはこれと対照的な、嘆かわしいレベルなのである(これも拙著で触れた)。

また、辻さんは顧客から急な要請があれば、夜間でも駆け付けなければならない。しかるべき技術を持った方が、そのようなハードな時間配分の仕事をされるのだから、当然対価もそれに見合ったものとなる。私たちの業界で、夜間緊急対応の訪問看護師の報酬が高く、日中の決められた勤務だけの介護職員が低報酬なのも、こう考えると納得できるであろう(もちろん、いまの水準のままで良いと言っているのではないが)。辻さんご自身も、オーバーワークや部下のトラブルへの対応などが影響するのか、ときどき体調を崩されると聞いている。

人気の業種・職種は、積み上げられた技術・知見に基づいて確実な仕事をこなす職能や、決して楽ではない労働環境と表裏一体なのだ。介護業界の職員も、他業種の厳しさを覗いてみることは大いに必要であろう。

このたびは異なる業界の視点から、職業人のあり方についてのご教示をいただく得難い機会となった。辻さんには感謝の念を表させていただく。

最近は、私自身が遠方へ出向く機会が著しく減っているので、このような形で機会を捉えて、近県の人たちと交流を深めることが大切だと考えている。

自分だけの殻に閉じ籠っていては、何も生まれない。また、ネットでのやりとりはどうしても限界がある。現実に人と会って、人と語ることで、その人柄に触れ、自分自身の糧にすること、換言すれば生涯学習の一場面とさせてもらうことを、私は志向したい。

2016年6月18日 (土)

若きリーダーのみなさんへ

SNSやブログだけの話ではないのだが、いま介護業界で活躍されている、20代後半から40代前半ぐらいまでの、全国的に著名なリーダーの方々に、50代半ばのオッサンからちょっと苦言を。

決して私の加齢や知名度の低さなどから来る劣等感を背景にモノを言っているつもりではなく、リーダーシップを取る方々や、そのムーヴメントの将来を真摯に懸念した意見だ。ほんの数分だけを割いて、一回でもお読みいただければ幸いである。

(1)どのリーダーも同様だとは言わないが、多くの人に類似した傾向が見られる。自分の「テリトリー」の中に入ってきた人とは、懇意なコミュニケーションを取る一方で、その中に入れない人とは距離を置く傾向である。

活動の初期にはむしろ当然であり、まずはコアになるメンバーと緊密な信頼関係を築くのが常道であろう。問題は、活動が軌道に乗り、メジャーになっても、リーダーがこのような行動傾向を続けることにある。テリトリーの内外とは、面識の有無や年代を問わず、自分が仕切る活動の枠に(草創期から、理念が周囲に知られ、広まっていく時期に)参加した度合いで、区分しているようだ。

しかし、これが続くと、内輪だけで盛り上がってしまうような活動になってしまう恐れがある。譜代大名と外様大名ではないが、活動組織の中軸になる人は、リーダーに近い人たちに限られてしまい、距離がある(「距離を置く」ではない。「距離が縮まらない」のである)人たちに取っては、なかなか活動の中軸部分に参画する機会を得られない。

(2)理解度や意識の問題がある。

法人や事業所がその活動組織を全面的にバックアップするのでない限り、活動に参加する人たちは、それぞれ個人の責任において参加することになる。しかし所属先における経営者・上司・同僚の活動への理解度は均一ではない。理解度が低ければ、活動に参加した職員が職場の中で浮き上がってしまうことにもなり、苦しい立場に追い込まれてしまう。

そういう人たちから苦渋を訴えられた場合、私も安易に「辞めれば?」と言ってしまうことがないわけでもない。しかし、辞めたらそこの法人・事業所が開明的な職員を一人失うだけで、その職場は逆に悪い方向へ向かうかも知れない。せっかく職員が職場を(利用者のために)良いものにしようと努力しているのだから、経営者・上司・同僚にも、活動組織側の人間から働きかけて、「○○さんはどのような目的で自分たちの活動に参加しているのか」を伝え、理解してもらう機会が欲しいのだが、現実的には中軸メンバーにも体力の制約があり、そこまでできない場合が多い。もちろんそれはリーダー一人の責任ではない。

しかし、それをしないまま、リーダー一人がメジャーな存在になって名前が売れてしまえば、意識の低い経営者・上司・同僚たちは、ますますその活動を理解しようとする機縁から遠ざかってしまう。仮に何かの機会があってリーダーの講演を聞いても、「ああ、良い話を聞いたけれど、どうせ有名な人の理想論だね。うちではそんなわけにいかないし・・・」となる。正確に言えばそれは法人や事業者の変容能力の問題なのだが、当事者にはその自覚がない。

だからと言って(不祥事でも起こらない限り)その能力の乏しい法人や事業者を退場させる権限は誰も持っていないのだから、利用者の不幸を招かないためには、とにかく変えていくための働きかけが求められる。すでに輝かしいスターになったリーダーには、現実的に個別の職場に働きかけることは困難である。裾野を広げて協力する人たちを確保していかないと、末端では活動が空転する場面が増えるであろう。

(3)活動に参加できるかどうかを左右する要因は、意識の高低だけではない。環境も大事な要因となる。

たとえば私には兄弟姉妹がなく、母親を私が一人で看なければならない。だから、複数の活動組織のリーダーとコンタクトを取ることはできても、多くの場合、その活動に参画することは困難である。結局、リーダーのテリトリーの「外」になってしまう。若いリーダーから見るとそんな私は、50代半ばという年齢も勘案すると、積極的に情報交換する意味が薄い人間に映るであろう。

しかし、おそらく私の前後の年代で、介護離職を余儀なくされた元介護・福祉職員は、さらにそれが困難で、情報からも取り残されがちになっているだろう。リーダーが私のことを(決して意識していないにせよ)情報交換に値しない人間だと位置付けることは、介護離職した元職員たちを嗤うことにつながることを認識してほしいのだ。このような元職員たちの中には、一つきっかけがあれば、物理的に動くことは無理でも、活動の有力な支えになってくれる場合があるのに、リーダーがその可能性を自ら閉ざすのは、望ましいことではあるまい。

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(4)かつて介護・福祉業界で、最先端の旗手として活躍した人が、その後はアクティブな活動に乏しく、自分の取り巻きたちに囲まれた快い環境に満足しているのを見かけることも少なくない。過去の栄光にすがっているかのように見えるその姿には、哀れみを禁じ得ない。

中には現場から卒業してしまい、エラい学識経験者の地位を得たら、その安定した地位に安住している方もある。悪い例では、自分が業界の「エスタブリッシュト指導者」になってしまうと(それは時として自画自賛、ナルシズムに過ぎないこともあるのだが)、特権を持つ偉大な人物であるかのように錯覚し、自分(たち)だけは〇〇が許されるといった二重基準の振舞いをすることもある。

ヘソマガリの私には、この種の人たちが余計に、知名度とは裏腹な虚しさを抱える、哀れな小者に映るのだ。

以上、いろいろ述べてきたことを総括してみる。

いま、若いリーダーは全盛期で、何をやっても自分が主役、自分がメジャーであるかも知れないが、くれぐれも裸の王様(女王様)にならないように、自らを振り返っていただきたい。

高い丘の上の、隠れもなく輝く塔であるだけではなく、多くの仲間たちと一緒に咲き誇る小さな花の一つでもあってほしいのだ。

一回完結の忠言のつもりである。ご不快ならスルーしてくださって構わない。

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