仲間との交流

2022年10月 2日 (日)

応援してくださった方々に感謝☆

「こんなに長く続けてこられるとは、開業した当時は考えられませんでした」

私の正直な思いだ。独立型の居宅介護支援事業所を始めて21年。多くの方々に支えていただき、走り続けることができた。みなさんには感謝の念しかない。

ケアマネジャーとして事実上の「個人事務所」を持ち、一人親方として自分のスタイルで仕事をして、二百数十人の利用者さんのケアマネジメントを展開することができた。いまでこそ周囲に同様な形態で仕事をしている人が少なくないが、2001年当時は全国でも数十人。そのうち半数程度は併設サービスも運営することで収益を維持していた。志の高いケアマネジャーでなければ、単体開業を続けること自体が難しかった。

ここまで続けてこられたのは、利用者さんを紹介してくださった関係機関や事業所の方々の力が大きいが、他方で、さまざまなご縁から知り合った全国の業界仲間の皆さんが、声援を送ってくださったことも大きい。

昨日(10月1日)、コロナ禍が収束していないことも考慮し、昨年に続いて集合イベントではない「オンライン飲み会」を企画して、SNSその他でつながっている方々にお声掛けをしてみた。

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自分を含めて11名の参加だったが、インティミットな集いになった。浜松の方が3名。他に東京都(離島)、兵庫、島根、愛媛、福岡、大分、宮崎からお一人ずつ。ほとんどが対面でお会いしたことがある方だ。

この中には2011年、私が介護業界の「産業日本語」に当たる緑色の冊子を最初に自費出版したとき、購入してくださった方がお二人いらっしゃる。また2018年以降、文章作成に関する講師としてお招きくださった方、文章作成術の自著本を買ってくださった方、文章作成講座を聴講してくださった方など、国語つながりの方が結構多い。単なるケアマネジャーでなく、異なる分野での専門性を帯びていたことは、業界で私が細々と生き続けてこられた原因でもある。

昨夜は二時間にわたり、観光、信仰、地元の名産、業界の転職事情、災害対策など、いろいろな分野の話に花が咲いた。地域も職種も異なる多くの方々とのつながりは、何にも代えがたい宝物と言えよう。

「人生は何かを捨てて何かを選択する」ものであるのならば、若いときに望んで実現できなかったことがいくつかあったものの、自分の好きな仕事を続けられたことには満足している。

さて、私の年齢も間もなく62歳を迎え、身体にいくつかの小さな疾患を抱えている状態だが、自分の身の丈に合わせながら、まだまだ仕事を続けていくつもりである。

みなさん、今後ともよろしくお願いします。

2021年9月15日 (水)

開業して20年

2001年9月15日、静岡県から居宅介護支援事業所の指定を受けて、本日で20年になります。

開業ケアマネジャーとして、細々とであるが仕事を続けてくことができました。これまで支えてくださった多くの方々に、心から感謝いたします。

記念企画として、オンラインでミニ講話と飲み会を開催しました。平日の夜なので、人数は前後合わせて14名様と少数でしたが、ご参集くださいました方々、ありがとうございました。

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みなさん、今後ともよろしくお願いいたします。

2019年12月25日 (水)

自ら進んで灯りを点ける人

多くの人が少年時代に、O.ワイルド(1854-1900)の『幸福の王子』を読んだことがあるだろう。そしてその最終の場、自分が着けていた宝石や黄金を貧しい人たちに惜しみなく分け与えた王子と、それに対して献身的に協力したツバメとを、神様が天国で再生させる段に至って、瞼を潤ませた経験を持つ人は少なくないのではないか。

この王子やツバメのような気高い行為は、誰にでもできるわけではない。ましてや、偽善や打算(結果的に人の幸せをもたらすのであれば、偽善も打算もそれだけで批判するつもりはないが...)ではなく、素のままで自己犠牲や献身ができる人は、私たちの周囲にも、簡単に見付けられるものではない。日本中を見渡しても、一握りではないだろうか。

南関東のある地域に住む女性、A子さん(仮名)。

私がお会いしたのは17年前。自分が開業して二年余のとき、各地の仲間と協働して立ち上げた企画のパネリストとして、浜松に来ていただいたときである。

介護保険が制度が開始されて三年弱。いまだ各地で現場の混乱が収まらず、「囲い込み」を事としたケアマネジャーも横行していた時期である。とあるメディアで市民活動団体の取り組みが紹介されており、それを見てA子さんの存在を知った。当時、A子さんはチャキチャキの若い市民活動メンバーとして、地域の仲間たちと一緒に、介護現場の状況改善へ向け、市民目線で提言していくために活動されていた。そこで、私たち独立型のケアマネジャーを後押ししていただく意味で、市民の立場から彼女にシンポジウムで発題していただいたのだ。

このころのA子さんは、辺りを払うパワーで輝いている印象が強かったことを覚えている。

A子さんはその後、高齢者分野・介護分野から離れて障害者支援に転じ、団体の再編や新たなプロジェクトの立ち上げなどを経て、自分たちが中心となって市民活動団体を創設される。その経過は時折ネットで目にしていたものの、部門が離れてしまったこともあり、ずっと彼女は遠い存在であった。

先日、上京中に心組んでいた予定が不調になり、時間が空いてしまった。東京で買い物するよりも、久しぶりに同地へ行ってみようか、と思い、二日前になってA子さんに連絡してみたところ、応諾をいただき、出掛けて行った。

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17年ぶりの再会。ご自身が中心になって運営されている、福祉系の授産事業所で作った品物を販売する店(小児科系の大病院の一角)で待ち合わせ、お昼をご一緒していただいた。

端正なお顔立ちではあるが、際立った美女というわけではなく、外観だけであれば、服装も含めてごく平凡な存在なので、道ですれ違っても、特に周囲の目を惹く方ではない。「お姉さん」から、そろそろ「おばちゃん」と言われる年代である。持ち前の明るい笑顔で、ビジネスやプライバシーや、飾り気のない自然体でいろいろと語ってくださった。

同席しながら、A子さんの内面からにじみ出る「人」としての美しさ、気品の高さは隠し切れないなぁ、と強く感じたものだ。17年の時を経て、取り組む分野が変わっても、彼女が一段と輝く姿を見て、私は嬉しかった。

A子さんがいまのプロジェクトに手を着けられてから12年。市民活動団体として独立されてから9年。その間、このプロジェクトを推進するため、ご自身の力を注入されてきた。健康面では決して十全だったわけではなく、大きな病気で複数回の入院も経験されたとのこと。

販売するものの品質は決して「障害者が心を込めて授産施設で作ったものを買ってもらう」レベルのものではない。食品類は一流のシェフの指導を受け、市場で十分に戦える質を備えたものなのだ(実際に賞味して納得できた)。中身を伴った製品なので、病院に来る子どもたちや親たちにも人気である。

いま、このプロジェクトは事情があって拠点を移すことになり、A子さんたちはそちらの設備投資にかかる経費の調達に苦戦されている様子だ。非力な私であるが、貧者の一灯程度にでも、何かしらお手伝いできないものか考えている(自分自身が年末、不覚にも右足小指を骨折してしまったので、アクティヴに動けそうもないが...)。

A子さんの意図は障害福祉の枠にとどまらず、このプロジェクトを通じて、多くの市民たちの共生の場を広げていくことにある。この運動が実現すれば、障害を持つ人たちや、引きこもり・ニートの人たちや、病弱な子どもたちや、さらには外国にルーツを持つ子どもたちや、介護が必要な高齢者も含め、多様な属性を持つ人たちへの偏見や差別が次第に力を弱めていき、やがては誰もが住みやすい地域になる。

それだけの大きな意義を持つ計画に長年取り組んでいるA子さん自身は、受ける報酬が極めて低い。献身や自己犠牲の姿勢なくしては続かないであろう。それが事業に対する「正当な評価」の観点から望ましい姿なのかはひとまず措いて、誰かがやらなければ前進しないことも、また現実なのだから。

何よりも素晴らしいのは、そのお店を軸としてA子さんの周囲に集まる人たちが、笑顔にあふれていることだ。彼女と同じ空気を一時間吸っただけで、心がポカポカと温まるのを感じた。

A子さんの生きかたは、どれだけ多くの人たちに幸せをもたらしているだろうか? 本ブログで以前から言及している、人を傷付けて稼いでいる連中とは対極にあることは、いまさら言うまでもないであろう。

コルカタの聖テレサの名言で、「心のともしび」の標語にもなっている言葉が頭に浮かぶ。

「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けなさい」

A子さんがその仲間たちと手を携えて、難局を乗り切り、住みよい地域を創り上げていけることを、心から祈りたい。

2019年12月18日 (水)

人と会い、人と語り(8)

中高年(むかしなら、すでに「初老」と呼ばれていた年齢だが...)の私としては、これから自分の交流範囲が縮小しないように、そろそろ心掛けないといけない時期だ。

特に、母の介護を契機にいろいろな役職から退いたこともあり、気軽に語り合える地元の業界仲間も減少している。

しかし、良い時代になったもので、ブログやSNSを媒体として、日本全国の業界内外の仲間とのお付き合いがとても容易になった。〇〇県の△△さんが直近に何をしていたか、お互いに知り合うことが可能になっているのだ。私が20代のころには、物理的な距離感が大きいことが交流を妨げていたが、いまは離れていても身近に感じるのは、ネットの恩恵であろう。

そんなわけで、今年も自分の開業18周年を口実に、来られる方に来ていただき、飲み会をしようと心組んでいたが、自分の都合で結構時期が遅くなってしまった。11月23日(土)勤労感謝の日に、お互いの労苦へのねぎらいを兼ねて開催。

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お集まりくださった方々は2県6名。三年前(午後の企画とセット)は14都府県62名、二年前は5道県11名、昨年は4県8名だったので、次第に矮小化(?)しつつある(笑)。ご参集くださった方々には心から感謝の意を申し述べたい。

鈴木さん(長上苑。右から三人目)、中山さん(トーケイモータース。左端)は四年連続。久保田さん(聖隷クリストファー大。左から三人目)、平田さん(シリアヴィラ・パトリ。右奥)は三回目である。それぞれ、本ブログに過去複数回ご登場願っている。

初のご参加はお二人。小池美枝子さん(右から二人目)は名古屋市でケアマネジャーをされており、スペイン語を生かして外国人支援にも携わっておられる方。大貫芳夫さん(右端)は生活クラブ生協の配達を担当され、市民活動団体とも協働されている方だ。お二人とも視野がお広くご見識の高い方であり、私はFacebook等の場で学ばせていただいている。

今回は初対面の方同士に意外なつながりがあったことが判明するなど、インティミットで佳い時間を持つことができた。

仕事も活動も異なる人たちが集って、お互いを尊重しながら意見交換をするのは素晴らしいことであり、今後もこの種の「自前企画」は、時期を見ながら続けていきたいと考えている。

さて、すでに読者の方々にはご存知の通り、私はときどき首都圏や関西へ出掛けて行く。浜松に居るだけでは生活が単調になるため、刺激を求めて業界内外の若い方々と交歓したい気持ちがあるからだ。

この冬にも、12月10日(火)、東京まで泊り掛けで「出張」してきた。

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画像のお二人は、用心棒稼業の怪しい方々ではない。左の方はアームレスリング、右の方は空手を身に着けておられるので、まぁ格闘家と言えないことはないが、「趣味・特技」ぐらいかな?(^^;

以前のエントリー、「人と会い、人と語り」の(2)に登場された練馬(ご出身は石垣島)の「ミッキーさん」=奥平幹也さん(左)と、(6)に登場された沖縄の「カルロスさん」=玉城竜一さん(右)である。

ちょうどカルロスさんが認知症指導者研修のため在京されていたので、それなら双方にとって旧知のミッキーさんと席をご一緒しましょうか! とお誘いして、お二人にご快諾いただいた。「暗い酒場の片隅(?)」状態だが、ミッキーさんがご存知のリーズナブルな店で会食。

カルロスさんが参加されている研修成果を今後どう活用するか、ミッキーさんが取り組まれている人材育成の課題と展望はどんな状況か、首里城再建や沖縄の現況をどう見るか、などがおもな話題になった。

二時間程度の間に、それぞれのお立場からの、たいへん有益な情報をいただき、意見交換することができた。特に私が再確認できたことは、「優れた人は、相手や対象になる人や組織の側がどうしてほしいかを、常に考えて行動する」点である。自営業の私は、気が付かないうちに、振舞う姿勢が自事業所本位に傾いているかも知れない。自分自身を振り返って心したい大切な部分だ。

漫然と仕事を続けている人たちと中身の薄い談話をするより、お金や時間を掛けても、普段なかなか会えない人たちと中身の濃い話を展開するほうが、あとに残る充実感ははるかに大きい。

さて、今回の東京行きは定休日(水曜日)をはさんで二泊したので、11日にも他のところへ足を延ばした。これについては、別の機会に稿を改めて書きたいと思っている。

2019年9月10日 (火)

人と会い、人と語り...(7)

先週はエントリーを一回お休みしたが、実は4日(水)に東京まで日帰りで往復してきた。

護保険の2024年報酬改定(2021年の誤りではない。その三年後の診療報酬とのダブル改定のことだ)に向けて、私たちが利用者本位の仕事を続けていくために何をすれば良いのか? 浜松に居すくんでいても実のある情報は入ってこない。まずは、しかるべき人たちに会って話を聞こうと思い、以前から注目していながら対面する機会がなかったお二人の方にアポを取って、語り合う時間を作っていただいた。

お一人は、鐵(てつ)宏之さん。私より21歳ぐらいお若い。埼玉県新座市で独立型居宅介護支援を開業、一人親方として仕事を始められて一年半になる。今回は池袋までお出向きいただいて、昼食を共にしながら語り合うことができた。

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自ら「変態ケアマネジャー」と称されているが、他県にもしばしば出向いて活躍されている実力派ケアマネジャーのお一人。居宅介護支援の本業以外に、法定研修の講師、県内外の業界・職能研修の講師(「生活支援記録法」が中心)などご多忙である。

この辺りまでは、十年前ぐらいの私とよく似ている営業形態なのだが、鐵さんはこれらに加えて「産業ケアマネジャー」として企業の介護離職対策への参画を始めておられる。私自身はケアマネジャーの一つの可能性として示していたものの、母の介護などの制約もあって踏み切れなかった。鐵さんが先駆けてモデルケースになっていくことを願いたい。今後、実力派のケアマネジャーの方々には、ぜひ携わってほしい分野である。

これからの時代、AIをケアプランに導入していく趨勢にあること、他方、それによって「サービスありき」になってしまってはならないことについても、私とおおむね同意見であった。鐵さんは同じく変態仲間であるアローチャート研究会・石田英一郎さん(府中市)らの勉強会にも参加されており、利用者さんそれぞれの正直な思いを汲み取るためにも、一人ひとりに寄り添って生活課題を抽出していく、ケアマネジャーの思考過程の重要性を強く意識されている。介護支援専門員の国家資格化についても、実践が伴わなければ意味が薄いとのお考えだ。

いま政策サイドで議論されているケアプランの自己負担導入については、利用者負担を回避したい人たちを狙い撃ちにした、大手組織等のヒモ付き「自己作成代行事業者」が暗躍する可能性を予測されている。利用者(市民)本位の視点から、望ましい選択を妨げる「囲い込み」的な利益誘導を憂慮されているのだ。

初対面なのにもかかわらず、職能団体等に関する見方も率直に露出して語ってくださった。総じて、鐵さんの姿勢には賛同できる部分が多い。「同志」と言って差し支えないだろう。

昼食を済ませて鐵さんと別れ、新宿経由で西荻窪駅まで向かう。もうお一人の方と会うのが目的だ。

その人は、佐藤弘幸さん。私より18歳ぐらいお若い方である。東京都杉並区で5年前から通所介護「空の花」を経営されている。

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訪問美容サービスのFC事務局を担うようになった後、ミライ塾・奥平幹也さん(練馬区)と知り合ったことから介護の世界に踏み込む契機を得られたとのこと。その後、杉並区高井戸で通所介護を開設、いまは区内の宮前に移り、サービスを継続されている。

私が宮前にお邪魔したのは15:20頃で、ティータイムのあとのレクの時間だったが、ティータイムが終わっていない(食事介助が必要な)利用者さんもおられ、スタッフの方が急がずその方のペースに合わせて介助されていた。レクではリーダーの方の言葉遣いが丁寧であり(原則として敬語で、ときにはあえて親しみのこもった言葉を使うことはあったが)、参加されている利用者さんがご自分の体験談など、あまり良くなかった思い出も含め、しっかりとご自身を表出されていた。15分ぐらい見学させていただいた後、佐藤さんご本人が登場。

通所介護運営の傍ら、「ポテンシャル介護プロジェクト」として家庭介護支援にも携わっておられる佐藤さんは、ご自分が運営される事業に関わる人々の「心を満たす」ことを理念として、利用者さん、その家族、事業所で働く職員(および家族)、ケアマネジャーと、優先順位を付けずに、皆を人として大切にしたいと希望されている。

そのために、「空の花・宮前」では利用者さんの真の生活課題を把握し、一人ひとりの利用者さんとともに、段階的に「自立」後の目標までを設定し、それを実現させるべくスタッフが支えている。巷に少なくない「老稚園」や「リハビリのためのリハビリ」とは全く異なる姿だ。職員に対する「やりがい搾取」もない。その方式によって毎月のように劇的な改善を見せる方が出ているので、このように事業所とケアマネジャーとが互いに理解し合い、利用者各々の自立支援へ向けて協働する望ましい姿が、全国に広がってほしいと願っている、と佐藤さんは語っておられた。

ともに運営に参画されている「音楽の花束」後藤京子さん(イベントプロデューサー・ピアニスト)をはじめ、良き仲間に恵まれているのは、佐藤さんたちの事業の展望を明るいものにしている。将来を見越して、現状にとどまらない新しい事業展開の方針についても、常にアイディアを出し合っておられるとのこと。その一部分を話してくださったが、未公開だとのことなのでここでは触れない。

このような好循環によって、能力ややる気のあるスタッフが集まり、真のリハビリを受けたい利用者さんが集まるのであれば、これに過ぎることはない。佐藤さんの熱い思いと理念が空回りせず、実践に裏付けられていることに、共感と敬意とを抱いた。

私が感じた鐵さん・佐藤さんのお二人の共通点は、「人」の尊厳を何よりも大切にされていること、良き業界仲間たちと実り多い結び付きを築いておられること、何年も先を読んで時代を生き抜く覚悟をお持ちであること、そして、自分や自組織が社会のための「公器」であると認識されていて、道から逸れないこと、...などなど。

若い方々から学ぶべき点は大きい。漫然と年功や地位を重ね、時代に流されるだけで大事なものが見えていない業界の古者たちに、鐵さんや佐藤さんの爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ。

私の唯一の取り柄は、このお二人のような地理的にも年齢的にも離れている方々と、(相手の迷惑を省みず(^^;)気軽に会いに行って、ざっくばらんに語り合えることかも知れない。

2019年8月28日 (水)

自分自身と向き合うこと

8月は税務署に決算を提出する作業が多忙だったため(税理士を依頼するほどの余裕はない)、仕事が遅れがちになった。それでも顧客=利用者さんに対して、必要最低限の責任は果たしているつもりである。

国が定めた運営基準も基本的には守っているつもりだ(ケアレスミスが発見されることが無いとは言えないが)。特に昨年4月から新たに居宅介護支援の運営基準に加えられた(守らないと減算)、利用者がサービス事業所を選択することに関する規定、「複数箇所から選べる権利」「位置付けた理由をケアマネジャーに説明させる権利」の二つは、契約書にもしっかりうたってある。

もっとも、この二点は私が居宅介護支援を開業したときから、当たり前のように利用者さんや介護者さんに話してきたことである。なので、昨冬以降受任した5名の利用者さん(およびその介護者さん)に対しては、契約書をお渡しして「確認しておいてくださいね」としか言っていない。何しろその5名の方々は、「家族で3人目」「一族で5人目」「家族で2人目」「しばらく休止後に再開」「何年か休止後に再開」なのだから、くどくどと説明するほうが失礼に当たる。二番目と五番目の方のキーパーソンなどは、上記の両者についての説明責任を私がしっかり果たしているからとの理由で、わざわざ選んでくださったほどだから。

さて、そんな中の17日、開業18周年を迎えた。一人親方のケアマネジャーとしては、ほとんど前人未踏かと思う。

いまの私の仕事は、居宅介護支援(現在、利用者さんは21名)、予防支援(現在、受託している方は4名)、要介護認定調査(現在、受託件数は月10名)である。母を介護していた時期に法定研修の講師から引退し、任意研修の講師としてもほとんど呼ばれることがなくなったが、それでも、これだけの仕事をこなすのにはかなりの労力を要する。

他方、何年か前に宣言した通り、私の今後のスタンスは、若い人たちをバックアップしていくことだと考えている。それは研修などで教えることではなく、業界のさまざまな分野で今後輝いてほしい人たちのために、活躍の場を用意してあげることを意味している。しかし、そのための企画や交流の場を継続的に持ちたいと思いながら、なかなか実現していない。いささか目の前の仕事に追われて、大切なことが先送りになっている感がないわけでもない。

ただ、自分自身、業界でメジャーな人間でも何でもないのだから、できることにはおのずから限界があることは確かだ。

加えて、これまで何度か述べてきた通り、静岡県の介護業界は外へ向けて開かれていない感が否めない。関東とも関西とも距離がある中で、果たして何ができるのか?

無理な背伸びは禁物。それは自分が主役になりたい場合でも、若い人たちを主役にして「名脇役」になりたい場合でも、変わることはない。自分自身と向き合って、この業界で34年間、一人親方のケアマネジャーとして働いてきた者の立場で、これから何ができるのか。加齢とともに健康管理もこれまで以上に重要になってくる。

年に4回ほどしか購入しない、それなりの水準のワインを楽しみながら、まずは一歩一歩足元を踏みしめて進んでいこうと、改めて実感した。

以下の画像は、今回の「開業節(?)」のワインである。順番に、アダージョ‐デゼッサール、エントレスエーロ、ロッソ‐ディ‐モンタルチーノ、シニャルグ。

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19年目には、身の丈に合った役割を着実にこなしていくことを目指します(^^*

2019年2月26日 (火)

人と会い、人と語り...(6)

「これはすごい!!!」

...と、掛け値無しに表現できる企画を、このたび体感できた。

22日(金)にライブハウス・神戸チキンジョージで開催されたイベント「Babe 40th Anniversary-生きるために必要な10のこと」。

実はこれ、介護業界の一リーダーの個人的な「40歳の誕生祝い」だった。そこに全国から、業界の「顔」と言うべき人たちが集結した。

主役の「Babe」とは西宮市の幸地伸哉さん(クローバルウォーク社長)。拙著『これでいいのか?日本の介護』第12章にも登場し、関西では草の根で業界の「人の輪」を広げている立役者の一人。三年前の私の開業15周年にも駆け付けてくださったので、お開きの三本締めをお願いした方である。

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その幸地さんが40歳になる日にこの企画を組むと聞いたので、頼まれなくても押し掛けるつもりでいたところ、氏から、トークセッションをいくつか考えており、その一つ「伝える」の章に登壇してほしいとの依頼があったので、快諾して出掛けて行った。

まだ開幕一時間以上、16時ごろ会場に到着すると、すでに怪しい人たちが...

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本ブログに何度も登場したジョージさん@ライフデザインクリエイターふらっと(京丹後)と、会うのは二度目のジャスティスさん@介拓社(和歌山)。他にもライブに登場する人たちをはじめ、幸地さんの親しい仲間たちが準備に駆け回っていた。そのうち福岡勢、神奈川勢、和歌山勢などが続々と到着。「おひけえなすって!」と仁義のやりとりに追われる。

そして17時半に開幕。トークのテーマごとに、幸地さんのよくわからない?(笑)語りの動画披露。そしてセッションごとに4~5人が登壇して、それぞれの思いを語る。MCは久々成さん@プラスワン(大阪)、彼自身がトークに加わった際には、まるこさん@Kakeru(京都)が代役を。

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ライブが入っていよいよ佳境に。まずは「No Name」。づかさん@Lixis(東京)、Shanさん@アロ研(東京)、大平さん@ケアクラフトマン(鹿児島県長島町)、そして久々成さんのカルテット。介護業界では各方面を代表すると言って差し支えない、知名度の高い方たちだ。特にShanさんのドラムは圧巻。

さらに、トークをはさんで沖縄民謡。当日結成してリハ5分の速成コンビ。唄を披露したのは龍カルロスさん@比謝川の里(沖縄県中頭郡)、サンシンは関西でプロのアーティストとして活動されているKudekenさん。カルロスさんの美声も十分にゼニが取れるレベルだ。

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長年のブログが圧倒的な支持を誇るmasaさん@あかい花(登別)。幸地さん、フッキーさん@ソーシャルネット雅(和歌山)とのトリオで。masaさんの渋い声も年季が入っていて流石である。

後半に入って、トークは「伝える」のコーナーになり、私もmasaさんやカルロスさん、正木さん@な~る編集室(西宮)、大関さん@Dasuケア(犬山)たちと一緒に登壇。一応マジメに話していたつもりだが、せっかくの機会にコラボした仲間の画像をと思い、大関さんの隣でブレイク。ところがその場面をジャスティスさんがしっかり盗撮(笑)。

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締めは幸地さんがかつて結成していたバンド「Red Rock Ear Sicks」のリバイバル。これがまたシビれる演奏で、会場を興奮の渦に巻き込む。

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終演は22時過ぎ。実に6時間近くにわたる、メチャ楽しいイベントであった。

そのあとは介護業界を中心に、遠方から集まった仲間が十数人で二次会。みなさんは朝の3時まで飲んでいたようだが、私は翌日の仕事もあったので、1時ころには早々に失礼させてもらった。

あえてHNや通称で表現したが、登場した多くの方は業界で隠れもないビッグネームである。そんな連中が北海道から沖縄まで、謝金もないのに手弁当で集まるトンデモ企画。これを現実の形にした幸地さんの人間的魅力には脱帽だ。

また、当然だが、介護業界に限らず、幸地さんの親友や同級生など、異業種の方も少なからず参加していたので、私たちの見識が広がったことも一つの収穫であろう。

この機会に、私も多くの人たちとつながることができた。SNSでは知り合っていても会うのは初めての方が4人、全く初めて名刺交換した方が13人。特に、背中合わせの席も何かのご縁だと思ってあいさつした方が、川内さん@となりのかいご(伊勢原)。介護離職防止のコンサルタントで、激辛ラーメンの愛好家(笑)。知り合っておくと、何かの企画でコラボできるかもと、構想は広がるのだ。

一日に17人もの方と初対面をして、しかも、どなたに関しても、どこで何をされている方なのかが頭に残っていることは、私にとって全く珍しい。

とにかく、人生でも何年に一回あるかないかの、すばらしい体験であった。

幸地さん、40歳おめでとう!!! 心からお祝いしています☆ さらに輝かしい40代にしてください。

2018年11月18日 (日)

機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない!

浜松やその周辺地域、静岡県西部の介護・福祉業界仲間には、歴史的な風土にも影響される、一つの特性が見られるようだ。

一言で言えば、多くの若手・中堅の業界人が「居座って動かない」のである。

誤解を招くかもしれないので補足するが、彼ら・彼女らは、自分が所属する職能団体や業界団体の研修会や大会など、いわばお定まりの枠の中の集まりであれば、普通に参加して他の都道府県の業界人たちと交流してくる。

しかし残念ながら、そこから先への広がりがない。

昨年のエントリーで、県西部のことを「大きな田舎」だと評したことがあった。いまでもその現実は変わっていない。なぜこの表現を使ったかと言うと、政令市の浜松が多様性のモデル地域であり、さまざまな種別の団体や活動が共存しているので、浜松近傍の業界人たちの多くは、他地域の人たちと意欲的に交流しなくても、自分たちで情報を充足できると錯覚してしまう状況になっているからだ。インターネットが普及してからは、なおさらその感がある。制度や政策の変転についても、坐したままで「そんなこと、私もわかっている」となってしまうのであろう。

これは見当違いも甚だしい。

クールな情報のパッケ-ジを受動的に受信して、「わかっている」と思っているだけであり、その変転にまつわる各々のコンテンツの生々しい諸相について、各地の現場での現実はどうなっているのか?といったホットな情報は、能動的に求めていかないと把握できないのだ。浜松近傍の業界人たちはそこに気が付いているのだろうか?

むろん、各人がそれぞれ、他地域の業界仲間に全く知り合いがいないわけではないのだから、そのような人たちと互いに意見交換する機会はあるだろう。だが、気心の知れた同窓生などであればともかく、研修会や大会で知己になっただけの人同士が、多くは本音を語ることもない。それは自分の側も同様なのではないか。このレベルの交流から得られる情報は、勢い、点を線で結ぶレベルのものばかりになってしまう。

それでは、点と線でなく、「面」や「体」をなしている、より重厚な情報を獲得するにはどうしたら良いのか?

そんな情報が黙っていても向こうから来てくれると思っていたら大間違いだ。

獲得するおもな方法は二つ。

一つは、自分が稀少価値のある情報や技術を持っていること。

私の場合は、一人親方のケアマネジャーとして、独立開業の形態を続けてきた実績がある。また、マイナーな分野ではあるが、介護業界における「産業日本語」の分野で著書も出している。誰もが欲しがる情報を持っているわけではないが、稀少価値の存在としての私と情報や知識を分かち合いたい人も、業界の一部には存在する。そのような方々が礼をもってアクセスしてくれば、私も答礼しながら、仲間としてお付き合いをしていく。やりとりが多くなれば、手持ちの開示しづらい事情や、先取りして実践されている状況などの情報も共有できるようになる。

もし、あなたが業界人であれば、自分はそのような情報や技術を持っているのか、自己評価してみると良い。いくら大きな法人や組織に所属していても、自分自身が情報や技術を持ち合わせていないのに、坐したままで他人の情報や技術をもらえるわけがない。

もう一つは、自分の側が相手のフィールドに出向くこと。

私が各地の業界仲間と気軽に行き来できるのは、長年の間にときどき、全国のさまざまな仲間がいる場所に臆面もなく顔を出して、いろいろな人と図々しく名刺交換してきたからである。どんなに収入が乏しくても、衣食住を削ってこれには投資を惜しまなかった。最初は独立型のケアマネジャーやそれに共感する人たちの集まる場が多かったが、次第に限定しないようになり、いまは業界を超えて、ラーメン道などでつながった異業種の方と会うこともしている。

働き盛りの業界人には、確かにそれぞれの事情もあろう。職場で自分が不在になると業務がうまく回転しない、家庭で育児などの役割分担に制約されて遠出できない、などなど。

しかし、各地で注目されている仲間と出会う「機会」が、あなたの事情に合わせていつまでも待ってくれることは絶対にない。これだけは確実だ。あなたが逃した機会は、すでに別の誰かが獲得して活用しているかも知れない。

特に東北、首都圏、関西、中国地方、九州などの業界では、一部の人たちが始めた先進的な試みに、共感する他地域の人たちが呼応してネットワークを形作っていくなど、さまざまな交歓の輪ができている。その一端に入ると入らないとでは、先々の情報量や先進性に大きな差が出ることもある。こちらから動かない限り、「大きな田舎」浜松へは東西いずれからも、この種のうねりが直接的に波及する可能性が少ないからだ。

こう考えると、自分自身の工夫で時間をこじ開け、費用をひねり出してでも、インフォーマルな業界仲間が集まる場へ出向いて、立体的な情報交換を心掛けるべきであろう。その意義は十分にあるし、しないことによる損失も大きい。自分自身が職場で(経営者、被用者の別なく)輝くためには、大切なステップなのだ。

「その気持ちはあるが、きっかけがつかめない」と言う人には、厳しいようだが、「自分で探せ!」と苦言を呈したい。私自身、いまでこそFacebookのお付き合いが主軸になっているが、まだSNSなど無かったころには、各種の掲示板で同志や話せる相手を探し回り、電話やメールでズケズケと連絡を取って、交流範囲を広げていったのだから。

いまはSNSがあるだけ恵まれた時代だと言えよう。Facebookが嫌いならば、他のSNSでも何でも良い。自分の間尺に合った交流手段はいくらでも転がっている。

居座って動かず、地域に閉じこもっているだけで、機会をつかみに行かない人に、機会などめぐってくるはずがない。

浜松近傍の若手・中堅の業界人よ! 一歩踏み出す勇気を!

2018年9月18日 (火)

プロフェッショナルはどうあるべきか?

私の事業所の開業記念日は三つある(^^;

 

8月17日 看板「ジョアン」を掲げた日(17年前)

 

9月15日 居宅介護支援事業所ジョアンの指定を受けた日(同上。浜松NPOネットワークセンターに宿借りさせていただき開業した)

 

10月1日 有限会社ジョアンで仕事を始めた日(14年前)

 

どの日も私にとって大切な日だ。

 

一昨年の10月1日に15周年記念企画(ご参加は午後・夜間合わせて14都府県66名)を開催し、昨年の8月17日には16周年の交流会=二時間だけの飲み会(ご参加は5道県13名)を持った。今年は9月15日が土曜日に当たるので、4~5名でも集まっていただければ嬉しいなと思いながら、図々しく「開業17周年...を口実に飲もう会」を呼びかけてみた。

 

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結果、4県8名の方々が参加してくださった。在宅複合型施設・長上苑の施設長で、県ケアマネ協会の副会長でもいらっしゃる鈴木さん、北区でケアマネジャーをされている中川さん、西区で中古セニアカー販売業をされている中山さん、民間保険会社でお仕事をされている元介護支援専門員の松下さん、聖隷クリストファー大助産師専攻科教授の久保田君枝さん、神奈川県秦野市で協働型の独立居宅を運営されている松田智之さん、愛知県豊川市で介護事業の経営に携わっておられる平田節雄さん、奈良県在住で介護事業所の環境整備のため各地を回って指導しておられる山下総司(そうし)さんが、この二時間の飲み会のために集合してくださった。特に鈴木さん、中山さん、松田さんは三年連続のご参加となる。

 

それぞれお仕事の分野や活動されている地域が異なり、介護業界内外にわたる広い範囲になるが、どなたも周囲からの信頼が厚い方であり、とても心強い仲間だ。

 

まずは自己紹介から始まったが、主題になったのはもっぱら、介護に関連する専門職≒プロフェッショナルのあるべき姿である。今回は、利用者本位、現場業務の改善、人手不足、介護職の意識、医療連携、職員教育等々、「自分たちは何を基盤に仕事をすべきか?」を強く打ち出したミーティングになった。特に、看護師が介護現場の中で福祉系職員とどのように協働していくのかに関して、久保田さん、平田さん、松田さんが三者三様の立場で持論を述べ、そこに他のメンバーの意見が絡んで、実に興味深い展開となった。

 

また、介護職の今後のありかたについて、少し異なる業界で働く松下さんや、少し離れた立場の中山さんからの見方は、とても貴重であり、参考になった。

 

締めは山下さんのご見解。私たちが飲食したあとテーブルをわざわざ消毒するわけでもないし、私たちは決まって三時におやつを食べるわけではない。なのに全利用者に対してそうするのが当たり前になってしまっている施設が少なくない。業務のルーティーンに捉われて大切なものを忘れてしまっていないか? という投げ掛け。まさに、介護に携わるすべての人が振り返るべきことであろう。重みのあるお話であった。

 

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今回はやや広めながら、全員で一つのテーブルを囲みながらの会食であったため、お互いの顔が見えるインティミットな議論ができたことは、一つの大きな成果だと言えよう。勝手な推測だが、参加したメンバーの多くにとって、学び、持ち帰ったものは少なくなかったと思われる。

 

所用で早々に帰られた方もいたため、全員ではないが、お開きのあと集合写真(画像)も撮ってもらった。残念ながら、この日は「記念クーポン」を用意していなかったので、後日、みなさんに些少なりとも何か差し上げようかと考えている。

 

自分としては満足度大の飲み会。今後も業界内外の仲間がそれぞれの仕事に勤しむ中、私たちの常識が社会の非常識になってしまわないためにも、ときどきはこのような分かち合いの場を持ちたいものだ。

 

 

 

 

2018年6月25日 (月)

人と会い、人と語り...(5)

前回より続く)

巡礼を終えて向かったのは博多(福岡市内)。小倉からは静岡-浜松ぐらいの距離がある。定刻の11時半には5分ぐらい遅れてしまった(電車の博多着が5分遅れたため)が、待ち合わせ場所の「博多だるま総本店」に無事到着。

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ここで、本ブログに何度も登場してくださったジョージさん(=稲岡錠二さん。京丹後市)たちと合流。地元業界の重鎮・飯山明美さんや、長崎県から来着した諫早ドラッカーズの会、森芳正(もりよし まさし)さんや平川真さんたちの、ケアマネジャーのみなさんと一緒に、本場の博多とんこつラーメンを味わう。

そして、ホテルニューオータニ博多内にあるカフェレストラン「グリーンハウス」に集合。この日の企画「聞きたかとばってん!アンタなんしょ~と」に、遠く浜松から参戦した次第である。

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これはジョージさんが発起人になったもので、中堅・若手のケアマネジャーや介護職員が語り合うための場を作ったものだ。地元博多の髙﨑(たかざき)慎介さんや大関純平さんをはじめ、太宰府市の廣田弘樹(ひろき)さん、久留米市の岡田ヒロ子さん、林田亜紀さんらが参加された。それぞれ自分が何者なのかをプレゼンしながら、仕事や活動の現況、今後の展望などを語り合った(飯山さんは所用のため中座された)。

業界では厳しい環境の中にあって、中堅や若手のメンバーはよりよい仕事をしていくため、職場の外へ出て仲間づくりをする機会を求めている。日本中でアクティヴな中堅の業界人たちにより、このような場を作る試みが意欲的に展開されているが、ジョージさんは前のご勤務先を退職された後、地域の人たちの生活を支える「ライフデザインクリエーター」の職能を立ち上げ、全国各地の仲間と交流しつつ、人と人との輪を広げていく活動を続けておられる。

イベントは13時半から16時半までの三時間だったが、あっという間に過ぎてしまった。名残り惜しかったがお開きとなる。飯山さんや髙﨑さんたちがこれを受けて次の面白い企画を打ち出しそうな雰囲気だったので、楽しみである(残念ながら私は参加できそうもないが...)。

夕方から暗くなる時分まで、福岡城址や博多の街を散策。中洲まで来たあたりで結構歩き疲れたので、地下鉄で博多駅へ向かう。

駅2階の「めん街道」で、歌舞伎役者のG-sawaさん(HN)と待ち合わせ、行列の具合を勘案して「長浜ナンバーワン」で遅めの夕食。

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G-sawaさんと会うのは三回目だ。歌舞伎の演目は一か月単位なので、氏も6月中は博多で出演されている。上位の役者さんに従ってお仕事をもらう形なので(休演すると一か月失業することになってしまうから)、旅行などもままならないし、介護業界とは違うご苦労があろう。そのような中で、役者さん方は古い演目を墨守するだけでなく、観客に歌舞伎の魅力を味わってもらうために、協働してイノベーションや創造に取り組んでおられる。私たちの業界でも見習うべき点は少なくない。

互いの仕事やプライバシーの話をしながら、ラーメンのほうは替え玉まで注文した(博多は一杯目の麺が少なめで替え玉を追加するパターンが多いようだ)。ジョージさんがすでに帰途に就かれたため、「キリシタン三人衆」が実現しなかったのは残念だが、それはまたの機会に。ちなみに、ジョージさんからG-sawaさんへと託された丹後の「塩」をしっかりお渡ししている(私もいただいた)。信徒にとって「塩」は特別な意味を持つものだから...(^^*

翌18日朝、小倉のホテルを出ようとした矢先、大阪北部地震の影響で新幹線が運転見合わせになってしまったので、岡山あたりでもう一泊することも覚悟して、行けるところまで行こうと、普通列車で東進した。途中、宮島を通る路線は亡き母と一緒に旅行した(2003年)ところなので、15年前を懐かしく思い出した。新幹線ならスルーしていたのだから、これも何かの巡り合わせだったのかも知れない。

広島の少し手前で運転再開の報を受け、広島から新幹線に乗り換える。新大阪の手前で入線の順送りを待たなければならなかったので、かなり遅延したが、そのあとは順調に走行して、浜松に無事帰着した。当初は15時頃の予定だったのが、19時過ぎの浜松着となった。新幹線のありがたさを実感したものである。地震の影響はなお大きい。被災した方々には心からお見舞いを申し上げたい。

この三日間の旅は、巡礼が主目的ではあったが、私にとっていろいろな意味で実りのあるものであった。

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